Side Steps' Today

裏版Side Steps' Today

よい年を

2020年12月26日 | 時事批評
今年はコロナウィルス一色に染まった一年。
当初の予想とおり、1年やそこらでは全く終息するわけなく、来年以降も影響はしばらく続きそうです。その中で膨らみ続ける様々なバブル…。
世の中ステイホームな中、仕事もステイホーム。余暇とてどこへと行けるわけでもなく、ステイホームで音楽と読書に明け暮れ、まさに引退後の生活様式を一足先に予習した感覚。街に出る機会も少なく完全に運動不足で筋力低下しまくっているかと思うと、正常化後のルーティンに復帰もできるのか将来がとても気懸りです。なんだか冴えない内容になっておりますが、来年こそはもっとパッとした一年になることを祈念しております。

皆様もよい年をお迎えください。

※写真は都心に飛来したブルーインパルスを自宅から撮影。こんなこともありました…。

映画「音響ハウス Melody-Go-Round」

2020年12月19日 | CD批評
(3)
(まだご覧になっていない方にはネタバレの危険性あり、ご注意)
②は空気感。それは②-1:「音としてのアンビエンス」、そして②-2:「関係者が醸し出す空気感とインスピレーション」ということか。②-1:「音としてのアンビエンス」とはスタジオの響きをレコーディングすることだが、リバーブのようなエフェクトでは再現できない効果があるのは事実。とくにミュージシャンにとってその場で演奏してプレイバックする際にはプラシーボ効果もあるだろう。しかしそれ以上の効果が②-2:「関係者が醸し出す空気感とインスピレーション」。レコーディングはメンタルであり、そのコントロールは非常に重要。その場に居合わせるバンドメンバーだけでなく、エンジニアやスタッフの醸し出す空気感が非常に重要になる。レコーディングの時も押し潰されそうなメンタルを救ってくれる(特にミスのテイクを連発している時…)のも彼ら。演奏するためのプレイバックの良い音・アンビエンスや、その演奏環境を作るホスピタリティーだけでなく、重要なのは笑顔であって映画の中でも笑顔のシーンは溢れる(シリアスな局面も当然あっただろうがその場面は当然カットだろう…苦笑)。それら神輿を担いでくれる人によってインスピレーションも高まり、演奏も良くなる。話は飛ぶが、このホスピタリティーの部分?でのエピソードが印象的。矢野顕子が子供同伴でスタジオ入りした際、夜遅くなるとキック(バスドラ)のミュートに使う毛布をかけてドラム・ブース内で寝かせた話を披露しているが、これを聴いた瞬間にゾワっと全身に痒みが走った…(笑)(音響ハウスの毛布ならダニなどなく清潔な筈だが)。(続)

玉肌日記

2020年12月12日 | 玉肌日記
【湯ノ花沢温泉(神奈川県足柄下郡箱根町)】
かなりの久方ぶりに箱根を訪問。かつては首都圏から「安近短」な観光地の代表銘柄としての箱根だったが、レラティブ・バリューの観点からは価格が明らかに割高であって「高近短」だったために自ずと足も遠のいていたが、首都圏の近くでどうしてもマトモな温泉に入りたいとなると自ずと選択肢に入ってくる。その中で比較的マイナーではあるものの、泉質が良いと評判の温泉へ。場所は、学生時代にゼミ合宿で何度か来たことのある箱根・芦ノ湯からさらに奥に入った場所にあるが、箱根の中ではもっとも標高の高いところにある白濁の温泉とのこと。ただし、湯は蒸気造成泉の人造温泉。見遣れば箱根・駒ヶ岳の山腹に蒸気を発している岩場があり、その臭気からもそこが蒸気を噴出している場所と思われるが、その蒸気に水を通して温泉にしている。源泉温度は62℃程度で、その後加水されて42℃程度の適温になっているが、たしかに湯の中には細かい白色の湯の華が舞っており、「湯ノ花沢温泉」というネーミングそのもの。しかし、泉質はその噂に違わずになかなかに良質かつ強烈。泉質は単純硫黄泉(硫化水素泉)、pHは5.6とやや酸性気味な数字を確認したものの、pHの数字が甘目であったことで久方に温泉に入っていなかった身としては完全に油断。入浴の開放感のあまりに思わず温泉で顔をバシャバシャと洗って「あーっ」と温泉の素晴らしさを痛感したのは良かったが、その入浴後には強烈な眼の痛み! 眼に硫黄がぁ!(硫化水素がぁ!)という滲みる痛さであり、自ずと泪が溢れる…。その泪で硫黄成分を流そうと泪を流れるままにしておくが、泪は止めどなく流れるものの一向に痛みは引かず。その後、水道水で眼を洗い再度、泪を流れるに任せるが、結果10分ほど悶絶。なぜか台湾の北投温泉で入浴前に番頭さん(女性)が「顔を洗わないように」(英語だったか中国語だったかは不明)と言っていたことを突如思い出し、多いに後悔。浴後には温泉成分を洗い流したものの、それでもかなりの硫黄臭が残る。最後に教訓「硫黄泉では安易に顔を洗うべからず」。

映画「音響ハウス Melody-Go-Round」

2020年12月05日 | CD批評
(2)
(まだご覧になっていない方にはネタバレの危険性あり、ご注意)
ミュージシャン、エンジニア、そして業界人が語る思い出は①贅沢な場所、②空気感という2点に集約。①贅沢な場所、というのは様々な含意があるも、まずは①-1「立地」。冒頭のメンテナンス・エンジニアの通勤風景を見ればそれが銀座であることは分かる。歩く方向と景色から判断するに銀座5~7丁目の昭和通りから首都高の間の地域にあると想像したが、帰宅して調べてみるに銀座1丁目の昭和通りから首都高の間にあって意外(駅は新富町が最寄り)。銀座にあるレコーディングスタジオ、1階は喫茶店となかなか洒落込んでいる。時代の流れに抗えずマンションかオフィスに、という(芸術家からみれば短絡的)発想に陥りがちな場所柄だが、ストリングスを録れる規模のスタジオが都心にあることが贅沢、という具合。「レコーディング中に晴海までドライブをした」と荒井由美が(恐らく)云っていたが、街の雰囲気も気分をアゲるに充分だろう。2つめの含意としては①-2:「実験場」。スタジオは実験場である、と。Side Stepsのレコーディング時にヤマハの方が「スタジオは本当は実験の場」と仰っていたことがあった。映画中では「スタジオで曲作りから」とか1年間もスタジオを仮予約していた坂本龍一のエピソードもあったが、違う意味でタイム・イズ・マネー(コストが直撃する)な我々素人にとってはコストを考えるととてもビビってしまってそんなことはできない。が…「コスト度外視なのが芸術」という妙な感覚もコメントから伝わる。「無駄の多さが文化的であることの証」なのはある程度は真実だが、商業ベースに乗らない芸術が拡散・発展しにくいのも真であり、結果、スタジオ興隆の時期は外部の経済環境がバブル経済に向けて、偶(たま)さか良い時期だったということか。(続)