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母校文化祭訪問記(1)

2024年02月03日 | 畸観綺譚
とある機縁あり、母校たる中学•高校の文化祭へ。当時は大学学園祭と同時期に開催されており、11月文化の日を挟んだ3日間だったと記憶するも、現在では9月末に開催となっており、意外。当時は毎朝の東西線高田馬場駅が鬼門で、ホームが狭くて入場制限がでるほどだったが、今ではホームの幅も広く、かつ最後尾に乗客が集中しないように階段位置も変更されていて衝撃、結果としてその恩恵は全く得られなかった…。そういえば、発狂的な超満員状態のため乗車時にC君の革靴片足が脱げ、そのまま車内に押し込まれたことで革靴片方のみホームに取り残されるという悲しい事件があった。幸い学校は地下鉄出口の至近なので片足は靴下状態で登校、帰りは体育靴を履いて駅事務室に片足を取りにいった(ことに同行した)…。そういえば当時は黒の革靴指定だったが、いつの間にか革靴でなくなっており、なんだか学生諸君の足元はだらしないが、このC君事件がキッカケで革靴でなくなったのか? 地上に出るとなんだか早稲田通りも綺麗になったと思いきや、電線が地下埋設されているのであった。ここに綺麗とかお洒落といったテイストは当時存在しなかったのだが…。当時の学祭では、目ぼしい他校女子を確保しては校内案内の名目で是非接近したいという不埒な諸君が正門前に待機していたが、(ライバルとさえ思っていなかった)実業は駅改札まで出張しており、戦線が究極に前線化していた。ところが、今では校庭側からの入校に変更されていて、そのような諸君も(強制排除されたのか)皆無でお行儀がよろしい。三十数年ぶりの学校は、場所こそ変わらねどさすがに内部はほとんどが刷新されており、当時の姿を留めるのは校庭と高三当時に完成した高校棟のみ。戦前からあった校舎はすでになく、初の本土爆撃だったドーリットル空襲の際に生徒が校庭で犠牲になり、その崩れ落ちる姿を模したという追悼碑(彫刻家OB制作)があったはずだが、どこかに移設されたのだろうか。(続)
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