切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

切れ切れ爺いさんの「食道がん」闘病記

2019-06-21 22:59:32 | 日記



 今週は京都第一日赤病院に行って、月曜日にCTスキャンを撮る。そして今日は胃カメラを飲み、その後診察。



 CTスキャンは何回かやっているが、痛くも痒くもなくただじっとしてるだけで、1台何億円もする機械が自動で全部やってくれる。
 そして今日はまず採血。これはいつものことだ。続いて内視鏡室へ移動。いわゆる胃カメラ。今までに数回経験しているが、何回やってもはっきり言って、苦しいものは苦しいとしか言いようがない。半分嫌々ながらとの思いで臨む。
 先にゼリー状の麻酔薬を口に含み、喉に達するようにする。胃カメラのチューブは口から入って喉を通過し、食道へ入っていくが、その直角に曲がるところが1番痛む。そのための麻酔と言うことだ。
 しかし食道を通って胃に達しても、強い違和感があり、マウスピースをしているために空気もどんどん胃の方へ入っていく。ゲップが出そうになるが、それが出ない。うずくような感覚が強くて、それを紛らわすために、カラーモニターを見ている。
 食道は思っていた以上に綺麗だった。そして手術した箇所を通過するときに、素人でもはっきりとわかる状態になっていた。胃の中に入ると、特に問題なし。全体的に非常にきれい。
 ようやくチューブが抜かれた。その途端に胃に入っていた空気がゲップとして次々に出て行く。後は診察を待つだけだ。



 巨大病院と言う宿命なのか、普段から患者数は非常に多いが、この日はいつもの日に増して患者数が多く、延々と診察を待つことになった。朝9時に到着したが、やっと診察を受けられたのが1時前。担当の先生のほうも大変だろう。テレビなどても大概お医者さん達は、昼食が摂れないらしい。
 診察室に呼ばれて結果を画像とともに聞かせてもらう。結論から言うと、非常に順調だと言う事。栄養状態も良く、今の状態を保っていけば良いと言われた。次回は8月の下旬だが、その段階で特に異常がなければ、一旦抗がん剤は打ち切りとなる。まぁ一安心といったところだ。しかし最終判断は3年半後だ。まだまだ通わなければならない。

 普段の生活はマシになったのかと言えば、確かに体力は大幅に落ちたものの、少しずつマシにはなっていると思う。
 生活の中で一番困っているのがやはり食事だ。朝食は少量でパターンが決まっていて、特に問題は無い。しかし昼食についてはほとんど毎日外食。といってもかつてのように牛丼店や食堂などに入るわけではなく、コンビニでパン2つとコーヒー。あるいはパンとおにぎりでコーヒー、というのがパターン化している。どうしてもファミレスなどに入ると、分量が多くて全部食べようと思うとかなりの時間がかかる。コンビニだと先に半分食べて、1時間から2時間後に残りを食べると言うことが可能なので、はるかに楽だ。いちどにたくさん食べると、どうしても食道から胃にかけて、食べ物が詰まって何かの拍子に吐き出そうな感覚になる。また胃のほうも重苦しい感覚が強まってしまう。
 つまり食事が全く楽しくもないなんともない。幸い味覚については副作用の影響もなく、味を楽しむと言う点では問題ないが、とにかく毎日同じようなものしかもう食べられない。晩御飯が量的には一番多いものの、これも毎晩毎晩ほとんど変わらない同じようなものばかり。たまに切り落としの安い牛肉を買ってきたり、インスタントカレーにしたり、たこ焼きを主食にしたり。そんなものが主食なのか、と言われそうな有様の実態だが、仕方ないと言えば仕方がない。

 今日改めて主治医に聞いてみたが、やはり胃のほうは一生このままの状態で、胃拡張のような形で大きくなる事はないと言う。このまま歳をとってよぼよぼになっても、コンビニに行ってパンとおにぎりを食べてるんだろうか。果たしていつものスーパーに車で買い物に行けるようになってるんだろうか。などと時々思ったりもする。
 いずれにしろ年齢的に見ても、残りはうまく生きてもせいぜい10年から20年。確実に老化は進行し、できることが少なくなっていくだろう。
 今の段階で「死」と言うものを考える事はあまりないが、時としてふと考えることもある。
 その時の望みは2つだけ。
 1つは、死の直前まで自分の力で歩けること。
 2つ目は、認知症になっていないこと。
 この2つだけで充分だと思っている。もう少し体力が回復してくれば、また簡単な筋トレとウォーキングを再開しようかと考えている。老人とはいえども、先輩方からしたらまだまだ老人の域には達していないと言われる。町内会のご近所さん達も老人だらけだが、私はその中でもはっきり言ってかなり若い方になる。

 先日向かい側に住宅が新築され、幼児がいる若夫婦が転居してきた。子供たちは非常に元気でその様子見てると、やはりいいなと思ったりもする。ご主人も遅くない時間に定時に帰宅されているようだ。

 私自身の送ってきた激務に激務を重ねた人生とはえらい違いだ。今から振り返ってもよくあんなブラックの現場で働いていたものだと思う。
 今頃になって文科省が教員の、特に中学校教員の異常な働きすぎに対して、対策をとるように全国に指示を出しているが、先日の新聞を見ても、ほとんど改善されていないと言う。当たり前の話だ。決定的に人員不足。生徒数が減っているとはいえども、とにかく教員の数が足らなさすぎる。こういう現場を文科大臣は見たこともないだろう。

 昔、元東大総長の人物が文部省の大臣になって現場を見たいと言うことで、ある都内の中学校を訪問したことがある。なんとその中学校は、学校全体が極めて落ち着き、暴力沙汰も何もない典型的な模範校。まぁ世の中に数多くの学校があれば、中にはそんなところもあったんだろう。わざわざ探して模範校を見せて、中学校がちゃんとしている、と大臣様は大いにご満足されたとの事だった。その時のニュースを苦々しい思いで見たことを、今でもはっきりと記憶している。お上の馬鹿どもはあくまでも馬鹿でしかないということがよくわかった出来事だった。

まだまだ話がそれたが、まぁ今日の段階で手術から1年8ヶ月経過。順調と言うことで安心すべきと思ったほうがいいだろう。
 中には再発したり転移したり、私などよりもはるかに厳しい状態に陥っている人々も多い。そんな中贅沢は言ってられない。今後は生活のいっそうの改善に向けて取り組んでいこうと思っている。

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