切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

極楽寺 京都市山科区・・・忠臣蔵

2019-06-29 23:13:17 | 撮影


極楽寺



 山科区にある折上稲荷神社と極楽寺へ行ってきた。
 しかし神社の方は本殿が大規模改修中ということで、仮本殿が設けられていた。しかも2年前にこのブログで取り上げていた。当時はブログを始めて1ヶ月ぐらいだったので、なんとも拙い写真ばかりの文字がほとんどないような、頼りない内容だった。
 本殿を除けば青空であったし、いい写真も撮れたのでどうしようかと思ったが、ブログへの掲載はやめた。
      
 極楽寺。ちょうど伏見と山科を結ぶ高速道路のトンネルの出入り口のすぐ近く。
 そしてお寺の南側には「大石神社」が見えている。さらにその南には「岩屋寺」と続く。こう見てくると予想がつくかもしれないが、この極楽寺も赤穂藩の「大石内蔵助」との由縁がある。
 映画や舞台でも「忠臣蔵」としてあまりにも有名だ。赤穂藩に対する諸行への仇討ちとして吉良上野介邸に討ち入り、その首を取った。幕府の命により虎之助は切腹する。これら一連の流れの中で一時期、大石内蔵助は山科のこの地に隠棲していた。それが岩屋寺でありこの極楽寺であった。極楽寺には赤穂藩士の様々な遺物が保管されており、公開日には見ることができるらしい。普段は非公開となっている。
 主君の敵を討って、その責任を取って切腹すると言う、いかにも人情噺の典型的な話として、後に映画や舞台などに何度も取り上げられている、というのも日本らしいといえば日本らしい。こういう実話であろう物語の内容というのは、明治以降、大正昭和といわゆる、「任侠もの」になって引き継がれていく。戦後はもはや任侠ものなど通用せず、悪質な暴力団がのさばるような社会になってしまって、忠臣蔵の世界観とは全く別物となってしまった。
 大石神社には映画化された時の資料や写真などが展示されている。自由に見ることができるので、興味ある人は極楽寺から順番に三カ所歩いて回ってもいい。すぐに到着するほどお隣同士という近さだ。
 極楽寺の境内は決して広くはないが、全体的に草木が生い茂っており綺麗な花も咲いていた。そういった意味での見栄えはなかなか良かった。境内を奥に行くと山の斜面に広大な墓地が広がっており、まだまだ開発中という状態だった。

     
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