対話とモノローグ

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跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇 4

2014-12-09 | 跳ぶのか、踊るのか。
跳ぶのか、踊るのか。 ―― ロドスはマルクスの薔薇 4 

 4 マルクスのロドス

 こんどは、Hier ist die Rose, hier tanze!(ヘーゲル)とHic Rhodus, hic salta!(マルクス)の関係についてみていこう。
 マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳)で次のように述べている。
自分の目的のばく然たる巨大さをまえにして、たえずあらたなたじろぎをおぼえる。こうしてついに一切のあともどりが不可能となり、事情そのものがこうさけぶ情勢がつくりだされる。――
   Hic Rhodus, hic salta!
   Hier ist die Rose, hier tanze!

 記事は、マルクスがラテン語とドイツ語を併記しているのを、ありえないが、まるで翻訳のようだと述べていた。私は次のように読み替える。

   as if it were a translation(まるで翻訳)を it was a translation(翻訳)に、
   it cannot be (ありえない)をit can be(ありえる)に。

 ヘーゲルのHier ist die Rose, hier tanze!を翻訳したものとして、Hic Rhodus, hic salta!を捉える。つまり、saltaはtanzeの訳で「踊れ」である。そしてRhodusはギリシア語でもラテン語でもあり得ないが、Roseの訳で「薔薇」である。ありえないはずの翻訳がありえたと想定する。Rhodusは、当時でも現代でも「ロドス」という島を指すが、saltaと初めて結びついたRhodusは、島の名前ではなく、薔薇なのである。マルクスはラテン語とドイツ語で、同じ一つのことを言ったのである。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」と。マルクスの頭の中では、RhodusはRoseなのである。マルクスはrhodonのつもりでRhodusと書いているのである。
 rhodonはギリシア語の薔薇ροδονのローマ字表記である。ドイツ語では名詞を大文字で始める。それゆえrhodonではなく、Rhodon。ロドスの古名Rhodosなら一字違い、Rhodusなら二字違いである。it can be(ありえる)である。

 マルクスは Hier ist die Rose, hier tanze!(ここに薔薇がある、ここで踊れ!)をラテン語に翻訳しただけである。ラテン語の表現もドイツ語の表現も、英語の表現でいえば、Here is the rose, here dance!と言っているだけなのである。Hic Rhodus, hic salta!は、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』を書いているマルクスの頭の中では、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」とか、「ここがロドスだ、ここで跳べ!」という意味をもっていない。「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。

 なぜドイツ語の提示だけでなくラテン語に訳しそれを先に提示したのかといえば、それはヘーゲルの「法哲学」ではなく、「ヘーゲル法哲学批判」の立場を鮮明にしたかったからである。いいかえれば「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」の精神を、ミネルバの梟ではなくガリヤの雄鶏に、夕暮れではなく明け方に、和解ではなく挑戦において継承しようとする意志を表していると考えられるのである。ヘーゲルを継承しその先へ行くという姿勢を表しているのである。記事がいうa more active spin(もっと積極的な解釈)である。
 ヘーゲルが「存在するところのものは理性である」と見たのに対して、マルクスは「存在するところのものは理性を実現していない」と見たのである。マルクスは「世界が何であるか(what is)」を把握するだけでなく、「世界が何であるべきか(what it ought to be)」を展開しようとしたのである。

 Hic Rhodus, hic salta!というラテン語を正確に訳せば、「ここがロドスだ、ここで踊れ!」である。しかし、マルクスはその意味の表現を意図したのではなく、あくまでも、Hier ist die Rose, hier tanze!の翻訳として提起したのである。もちろん、それはマルクスの内部においてだけ成立する。そしてマルクスは生涯にわたって、この間違いに気づかないのである。Hic Rhodus, hic salta!は、マルクスにとって、「ここに薔薇がある、ここで踊れ!」なのである。ロドスはマルクスの薔薇なのである。

 しかし、マルクスの表現したHic Rhodus, hic salta!を他の人が読むと、薔薇の花はたちまちロドス島に変わることになる。薔薇がロドスに変わったあと、二つの読まれ方をすることになる。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」と「ここがロドスだ、ここで跳べ!」である。

 最初は「ここがロドスだ、ここで踊れ!」の方だったろう。フォイエルバッハの『唯心論と唯物論』(桝田啓三郎訳)には次のようなところがある。
すなわち私とは、ここで考えるこの個人、ここでこの肉体のなかで、とりわけ汝の頭の外にあるこの頭の中で考えるこの個人のことなのである。単に「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」といわれるばかりでなく、また、ここがアテナイだ、さあ考えてみろ、ともいわれるのである。
 「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」を正確にラテン語に翻訳すると、Hic Rhodus, hic salta!である。フォイエルバッハはマルクスの作ったラテン語の箴言を引用していると思われる。

 「ここがロドスだ、さあ踊ってみろ」には訳注がついていて、Hic Rhodus, hic salta!への言及がある。
 アイソポスの寓話、いわゆるイソップ物語にある寓話に由来する言葉。ロドス島ではオリンピック選手の誰にもまけないほど巧みな跳躍をしたといってホラを吹く競技者に向かって、市民の一人が、それならここがロドスだと思って跳んでみせろ、といった話から、hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)という言葉が、なにごとでもひとに信じてもらいたければ人の目の前で事実を示して証明しなくてはならぬ、という意味の格言になって伝えられた。ここではこの格言的な意味ではなく、ヘーゲルが『法の哲学』の序で、個人が時代の子であるように、哲学も時代の子であって現在の世界を越えることはできないとして、ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである。(最初が大文字ではなく小文字になっているのは訳注にある通りで、引用の間違いではない。)
 この訳注には「跳ぶ」と「踊る」が混在している。「ここがロドスだと思って跳んでみせろ」の直後に、「ここがロドスだ、ここで踊れ」である。Hic Rhodus, hic salta!が掻き乱しているのである。
 桝田啓三郎はHic Rhodus, hic salta!(ここがロドスだ、ここで踊れ!)が格言として伝えられたと述べているが、これは誤解である。格言として伝承されてきたのは、Hic Rhodus, hic saltus!の方である。そして、Hic Rhodus, hic salta!は1852年に、マルクスによって作られたばかりの表現なのである。

 注の後半に、「ここでこのロドスで哲学しなくてはならぬと語ったのをもじって、ここにいるこの個人に結びつけているのである」(二つの「ここ」・「この」には強調の傍点がある)とある。この指摘は正しいが、背景がまったく違っている。ヘーゲルのロドスは、Hic Rhodus,hic salta(ここがロドスだ、ここで踊れ)ではなく、Hic Rhodus, hic saltus!(ここがロドスだ、ここで跳べ!)である。
 
 ちなみに、フォイエルバッハは『唯心論と唯物論』を書いていたのは1863年から1866年のあいだと解説にある。ここの引用は、『資本論』(1867年)ではなく『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(1852年)からのものであることがわかる。 

 このように、マルクスのHic Rhodus, hic salta!は、マルクスの頭の外にある個人の頭の中では、違った意味に捉えられるのである。「ここがロドスだ、ここで踊れ!」が最初に現れた例である。

 「ここがロドスだ、ここで踊れ!」は、ラテン語の意味としては正しい翻訳である。しかし、伝承されてきたイソップの物語とはまったく切断されていて、歴史的にも文化的にも孤立した表現であるというべきだろう。 

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