ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本の心23~和歌が生み出す調和

2021-11-07 08:56:35 | 日本精神
 和歌の起源は、神話の中に求められます。『古事記』の伝える須佐之男命(すさのおのみこと)は、天照大神の弟で大国主命の父です。須佐之男命は、出雲の国で八俣大蛇(やまたのおろち)を退治して、櫛名田姫(くしなだひめ)を妻に得て、須賀の地に新婚の宮を建てた時、祝婚の歌を詠みました。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻篭みに 八重垣作る その八重垣を

 こうした起源を持つ和歌が歌い継がれて、最初に編纂されたのが、『万葉集』です。『万葉集』には、第16代仁徳天皇皇后の歌とされるものから、8世紀までの約350年間の種々の歌が収集されています。
 『万葉集』は、作者は天皇や貴族ばかりでなく、庶民や防人といった兵士、乞食に至るまで、全く身分も男女も差別がありません。地域も、中央ばかりでなく、地方や辺境の地まで含まれており、文字通り国民的歌集になっています。しかも帰化人も含まれており、国際的な要素もあります。
 この歌集では、高貴な身分の人の歌もと、名も無い低い身分の者の歌が隣り合わせに並べられています。こうした例をさかのぼると、『古事記』の日本武尊(やまとたけるのみこと)と火焼きの翁の合作による和歌に行き当たります。日本武尊は、父の第12代景行天皇の命令を受けて東国征伐に出かけて成功し、その帰りに甲斐の酒折宮(さけおりのみや)に立ち寄りました。そこで日本武尊は、

 新治(にいはり) 筑波をすぎて 幾夜が宿(ね)つる

と詠いました。するとそこに居合せた火焼(ひたき)の老人が、その後を受けて
  
 日々並(かがな)べて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を

と続けました。
 日本武尊は、皇子であり天皇の名代(みょうだい)です。そういう高貴な人が歌った歌の後に、つけ句をしたのが、身分の低い名も無い老人です。歌において、身分の差がなくなり、和歌を合作しているわけです。これが連歌の起源とされています。
 良い和歌を詠むと、身分の高低に関係なく、宮廷で取り上げられ、歌人として遇されました。和歌三神とされている柿本人麻呂、山部赤人、衣通姫のうち、人麻呂は、身分が低く六位以下であり、赤人も下級官吏です。
 こうした日本独特の文化について、優れた比較文化論者でもある渡部昇一氏は、大意次のように指摘しています。
 「ユダヤ・キリスト教圏では『万人は神の前において平等』と考え、異民族支配のローマ帝国では『法の前において平等』と考えた。近代の欧米社会では、個人生活では神が、社会生活では法が平等の拠り所となっている。これに対し、日本では、『和歌の前において平等』という考えがある。和歌の前には、天皇も乞食も平等という日本独特の思想である」と。
 シナの儒教には、「礼楽」という考え方があります。『礼記』に「礼は民心を節し、楽は民声を和す」とあります。また「仁は楽に近く、義は礼に近し」「楽は同(どう)を統(す)べ、礼は異を弁(わか)つ」ともあります。「礼」は政治の制度、社会の規範であり、宗教的な儀礼や慣習の形式です。これに対し、「楽」は音楽・詩歌・舞踊です。「礼」だけでは、君主と国民の間に秩序が固定され、堅苦しい関係となります。その隔たりを超えて、楽しく交流・融和するのが、「楽」でしょう。
 わが国は、シナから儒教的な制度を採り入れましたが、その一方で固有の和歌の伝統を保ちつづけました。そして、和歌を通じて君民が交流し、調和・一体化するという文化を発展させてきたといえましょう。

参考資料
・渡部昇一著『歴史の読み方』(祥伝社)、『人生観・歴史観を高める事典』(PHP)

 次回に続く。

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