●松本健一氏は発言すべきある
日本文化チャンネル桜の8月12日の番組「討論・討論・討論2006」において、評論家の西部邁氏は、大意次のように語っている。
「1年も前に、フジテレビの生番組で、松本健一さん(註 評論家・麗澤大学教授) が、天皇はA級戦犯の合祀に反対なさっていたのだ、と言った。私はその横にいた。その場に、中曽根さんもいた」
この番組とは、平成17年6月26日に放送された「報道2001」である。(註)
東条英機の孫・東条由布子氏もまた、チャンネル桜の番組で、大意次のように語っている。
「これ(註 富田メモ)は、松本健一さんが去年の秋、おっしゃっていたことと同じだと思った。その根拠は何かと訊くと、徳川さんだと秦先生(註 秦郁彦氏)も横にいらして、おっしゃっていた。(略)松本さんは、同じことをサンデープロジェクト等でおっしゃっていた」
「私は時事懇話会で講演したが、去年10月21日に、同じ時事懇話会で、松本健一さんが同じことを講演されていた。徳川メモのこともお話になっていたと聞いた」
東条氏が最後に「徳川メモ」と言っているのは、何かの言い違いだろう。「徳川メモ」なる資料の存在は、知られていない。
さて、松本氏は、富田メモの公開前に、天皇はいわゆる「A級戦犯」の合祀に反対だった、と公言していたという。冨田メモについては、富田夫人が、日経の記者に富田の日記・手帳・メモの束を渡したのは、今年の5月だと言っている。それより前には、誰にも見せていない。資料の一部をCDに焼いて親しい人々に配っただけらしい。当然、松本氏も富田メモを見ていない。
松本氏は、徳川氏の本を読んで、それに対する解釈を述べただけだろうか。それとも、何かそれ以外の情報を得て、発言したのだろうか。文書資料なり、聞き取り情報なり、何か持っているのだろうか。「日経のスクープと自動書記は紙一重」さんは、昭和63年4月28日に行なわれたらしい徳川の記者会見を「ウラコン」と呼ぶ。そして、この「ウラコン」のメモを、松本氏は1年以上前に入手したのかもしれないと言う。その可能性は、あるかもしれない。
徳川氏の本だけで、天皇がいわゆる「A級戦犯」の合祀に反対だったと主張するのは、根拠が弱い。昭和天皇のお言葉を記した『昭和天皇独白録』や『木戸幸一日記』等は、昭和天皇のさまざまなご見解を伝えており、徳川の本によるのみで断定するのは、安易である。
富田メモの公表後、松本氏が寄稿・発言したものを、私は知らない。松本氏は、富田メモを昭和天皇のご発言と見ているのだろうか。もしそういう見方をしていれば、昨年来自分が言ってきたことが富田メモによって裏付けられた、とメディアで力説しているだろう。そして、時の人になっているだろう。
それとも、松本氏は、富田メモは徳川の言っていることと同じであり、天皇ではなく徳川の発言だと思っているのだろうか。
是非、松本氏には、発言の根拠や情報・資料の有無を明らかにしてほしいと思う。本人が発言しないなら、『週刊新潮』や月刊『WiLL』などのメディアは、松本氏に取材してほしいと思う。
●新聞協会賞で既成事実化を画策
富田メモ報道に新聞協会賞が贈られた。7月20日の日経の報道以来、冨田メモの公表や報道の仕方に対し、多方面から疑問の声が上がった。日経と富田家は、富田資料を公開せず、公表の経緯等についても食い違ったまま、時が経過している。最も重要なことは、冨田メモを天皇のお言葉だとして政治利用しないことだが、日経・朝日等のメディアや一部の政治家は、自己の主張のために冨田メモを利用し、日経の報道内容を既成事実としようとしている。
こうしたなかで、新聞協会は、富田メモを報道した日経の記者に新聞協会賞を授賞した。以下に引用する授賞理由は、日経の報道内容をそのまま事実として断定する内容となっている。
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・2006年度新聞協会賞
<編集部門>
「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」
を記した富田朝彦・元宮内庁長官の日記・手帳(富田メモ)に関する特報
日本経済新聞社
編集局社会部 井上 亮
授賞理由
日本経済新聞社は、昭和天皇が昭和63年、靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していたことを、平成18年7月20日付の朝刊1面トップで特報した。
昭和天皇の靖国神社参拝は50年11月以来途絶え、理由について公式発表は一切なかった。今回の特報は、A級戦犯14人が合祀されたことに昭和天皇が強い不快感を示し「だから私はあれ以来参拝していない」と、63年、当時の富田朝彦宮内庁長官に対し語っていたことを、富田氏のメモによって明らかにした。
地道な取材の成果として第一級の史料を発掘したこの特報は、首相の靖国神社参拝問題、靖国神社のあり方そのものの議論を喚起し、政治、社会、外交など各方面へ大きな影響を与えた極めて衝撃的なスクープであり、新聞の力を再認識させる報道として高く評価され、新聞協会賞に値する。
井上 亮(いのうえ・まこと)=昭和36年4月29日生まれ。昭和61年日本経済新聞社入社、整理部、社会部、長岡支局長などを経て平成18年3月から現職。
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あきれた話しである。冨田メモ報道への新聞協会賞は、わが国のマスメディアの偏向・腐敗・堕落ぶりを露骨に示した出来事だと思う。
天皇の権威を貶め、国家の根幹を揺るがし、日本人の精神を腑抜けにするような行いを、マスメディアが唱導している。心ある日本人は、良識を結集してこの画策を打ち破らねばならない。
註
・私のBlogでの「政治番組収集家」さんの情報提供による。
日本文化チャンネル桜の8月12日の番組「討論・討論・討論2006」において、評論家の西部邁氏は、大意次のように語っている。
「1年も前に、フジテレビの生番組で、松本健一さん(註 評論家・麗澤大学教授) が、天皇はA級戦犯の合祀に反対なさっていたのだ、と言った。私はその横にいた。その場に、中曽根さんもいた」
この番組とは、平成17年6月26日に放送された「報道2001」である。(註)
東条英機の孫・東条由布子氏もまた、チャンネル桜の番組で、大意次のように語っている。
「これ(註 富田メモ)は、松本健一さんが去年の秋、おっしゃっていたことと同じだと思った。その根拠は何かと訊くと、徳川さんだと秦先生(註 秦郁彦氏)も横にいらして、おっしゃっていた。(略)松本さんは、同じことをサンデープロジェクト等でおっしゃっていた」
「私は時事懇話会で講演したが、去年10月21日に、同じ時事懇話会で、松本健一さんが同じことを講演されていた。徳川メモのこともお話になっていたと聞いた」
東条氏が最後に「徳川メモ」と言っているのは、何かの言い違いだろう。「徳川メモ」なる資料の存在は、知られていない。
さて、松本氏は、富田メモの公開前に、天皇はいわゆる「A級戦犯」の合祀に反対だった、と公言していたという。冨田メモについては、富田夫人が、日経の記者に富田の日記・手帳・メモの束を渡したのは、今年の5月だと言っている。それより前には、誰にも見せていない。資料の一部をCDに焼いて親しい人々に配っただけらしい。当然、松本氏も富田メモを見ていない。
松本氏は、徳川氏の本を読んで、それに対する解釈を述べただけだろうか。それとも、何かそれ以外の情報を得て、発言したのだろうか。文書資料なり、聞き取り情報なり、何か持っているのだろうか。「日経のスクープと自動書記は紙一重」さんは、昭和63年4月28日に行なわれたらしい徳川の記者会見を「ウラコン」と呼ぶ。そして、この「ウラコン」のメモを、松本氏は1年以上前に入手したのかもしれないと言う。その可能性は、あるかもしれない。
徳川氏の本だけで、天皇がいわゆる「A級戦犯」の合祀に反対だったと主張するのは、根拠が弱い。昭和天皇のお言葉を記した『昭和天皇独白録』や『木戸幸一日記』等は、昭和天皇のさまざまなご見解を伝えており、徳川の本によるのみで断定するのは、安易である。
富田メモの公表後、松本氏が寄稿・発言したものを、私は知らない。松本氏は、富田メモを昭和天皇のご発言と見ているのだろうか。もしそういう見方をしていれば、昨年来自分が言ってきたことが富田メモによって裏付けられた、とメディアで力説しているだろう。そして、時の人になっているだろう。
それとも、松本氏は、富田メモは徳川の言っていることと同じであり、天皇ではなく徳川の発言だと思っているのだろうか。
是非、松本氏には、発言の根拠や情報・資料の有無を明らかにしてほしいと思う。本人が発言しないなら、『週刊新潮』や月刊『WiLL』などのメディアは、松本氏に取材してほしいと思う。
●新聞協会賞で既成事実化を画策
富田メモ報道に新聞協会賞が贈られた。7月20日の日経の報道以来、冨田メモの公表や報道の仕方に対し、多方面から疑問の声が上がった。日経と富田家は、富田資料を公開せず、公表の経緯等についても食い違ったまま、時が経過している。最も重要なことは、冨田メモを天皇のお言葉だとして政治利用しないことだが、日経・朝日等のメディアや一部の政治家は、自己の主張のために冨田メモを利用し、日経の報道内容を既成事実としようとしている。
こうしたなかで、新聞協会は、富田メモを報道した日経の記者に新聞協会賞を授賞した。以下に引用する授賞理由は、日経の報道内容をそのまま事実として断定する内容となっている。
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・2006年度新聞協会賞
<編集部門>
「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」
を記した富田朝彦・元宮内庁長官の日記・手帳(富田メモ)に関する特報
日本経済新聞社
編集局社会部 井上 亮
授賞理由
日本経済新聞社は、昭和天皇が昭和63年、靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示していたことを、平成18年7月20日付の朝刊1面トップで特報した。
昭和天皇の靖国神社参拝は50年11月以来途絶え、理由について公式発表は一切なかった。今回の特報は、A級戦犯14人が合祀されたことに昭和天皇が強い不快感を示し「だから私はあれ以来参拝していない」と、63年、当時の富田朝彦宮内庁長官に対し語っていたことを、富田氏のメモによって明らかにした。
地道な取材の成果として第一級の史料を発掘したこの特報は、首相の靖国神社参拝問題、靖国神社のあり方そのものの議論を喚起し、政治、社会、外交など各方面へ大きな影響を与えた極めて衝撃的なスクープであり、新聞の力を再認識させる報道として高く評価され、新聞協会賞に値する。
井上 亮(いのうえ・まこと)=昭和36年4月29日生まれ。昭和61年日本経済新聞社入社、整理部、社会部、長岡支局長などを経て平成18年3月から現職。
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あきれた話しである。冨田メモ報道への新聞協会賞は、わが国のマスメディアの偏向・腐敗・堕落ぶりを露骨に示した出来事だと思う。
天皇の権威を貶め、国家の根幹を揺るがし、日本人の精神を腑抜けにするような行いを、マスメディアが唱導している。心ある日本人は、良識を結集してこの画策を打ち破らねばならない。
註
・私のBlogでの「政治番組収集家」さんの情報提供による。
>昭和天皇はA級戦犯の遺骨にはお参りしいてる。<
ということですが、いつ、どこに行啓されたのでしょうか。
歴史家<思想家<批評家というのは、当たっているかもしれませんね。歴史家には裏づけが、思想家には論理性が必要ですが、批評家は対象に応じて態度や言い方を変えても批判されません。
もし松本氏が何か独自の資料をもっているのなら、冨田メモが報道された直後に、自分もこういう資料を持っていると名乗り出て、日経や秦氏・半藤氏らの主張を支持し補強しただろうと思います。そうしていないところを見ると、批評家として、徳川本の解釈だけで言っていたのかも知れません。本人に発言して欲しいと思います。
若い方々には、「文藝春秋」「正論」「諸君!」「WiLL」「VOICE」「SAPIO」あたり、何か一つ継続して読むようお勧めしたいと思います。「継続は力なり」といいますが、半年も続けて読むと、自分の目が鍛えられてきたことに気づくと思います。
早速記事に反映させていただきました。
「元々合祀したときにですね、靖国がひそかに合祀したわけですね。
で、その時にA級戦犯を、こういう名簿を出して天皇、昭和天皇のところに持っていったわけですね。
今度こういうふうに合祀するからというふうに言ったら天皇は非常に不機嫌になって、プイッと横を向いてしまって、マー、あれは認可するとか認可しないとかいう問題じゃないですけれども、天皇は不機嫌になって、そして結果とするとその以後天皇は、靖国に行けなくなった、行かなくなったわけですね。
そういうことを考えると、神社のやり方というのが非常におかしい。
今中曽根先生がおっしゃったように、あの国家神道的な考え方が非常に強いんですね。国家護持という形になっています。
今は本当は一宗教法人ですから神社本庁とは別の宗教法人という形になっていますから政府が認可しているわけですね。だから極端に言うと国策に反するような、あるいは国家神道に戻るかのような、そういう発言をするんであれば宗教法人として認可しないというね、それくらいのその行政指導を出してもいいと私は思っているんですね。」
松本氏:
「この内容はですね、真贋は論争がありますけれども、徳川義寛侍従長に言われたことと殆ど全く同じでありまして、昭和天皇がそのようなお考えを持っていたということは私は殆ど明らかだというふうに思っていますので、そこにある昭和天皇のお心というものがやはりA級戦犯という言葉を使われたかどうかは別にして、やはり政治的な責任は彼らが取ってくれたんだから私の考えでは天皇というのは日本の大いなる神主だというふうに思っていますので、日本のことを見守り戦没者を追悼するという、そういう私の気持ちを表したいんだけれども、政治的な責任を取った人に対しては、それはお参りできないというふうな考え方を示しているというふうに思いますね。」
司会・影山氏:
「不快感というような言葉を使うかどうかは別にして、A級戦犯が祀られていることに対してやはりわだかまりを感じておられたんじゃないかと・・・」
松本氏:
「そうですね。まさに不快感という形を言われておりますからそういうふうに思われたんだと思います。」
他の発言者の見解をはさんだ後
司会・影山氏:
「資料としてもう少し検証が必要なんでしょうかね」
松本氏:
「資料としての検証は、先程の徳川侍従長の発言にもありましたけれども検証は必要であろうとも思います。しかし、昭和天皇という方はもう60年以上にわたって“オオヤケゴコロ”“オオミゴコロ”というか、常に私的な考えはあるけれども、私的な考えはそのままでは洩らさない、四六時中、言ってみれば日本のことを考えているという存在ですから、それがポロッと洩らされたっていうふうなことでも、たとえば自分の好みの食べ物の話しもしないというふうなことでありますから、そういうふうな形での存在であります。ですから他の資料とのかみ合わせ・他の状況とのかみ合わせっていうのは必要だと思いますけども、たとえば中曽根康弘元首相がですね、中国で外交問題になった首相参拝の問題ですけどもね、その時にそれを取りやめられたという時があります。その時に富田長官がですね、天皇のお考えだけれども今日はよく取りやめたと、よくやったというふうにおっしゃっておられるのでそれを伝えてくれというふうに言っておりますから。そういう意味で言うと、日本国内の問題が外交問題になるとか、個人の感情とすればA級戦犯に対してはこれは中心であるというふうに思われることと、それからこの存在が政治的責任を如何に負っていくべきかというふうなことは充分に考え続けていたということだと思います。その結果として現れている発言だというふうに私は思いますね。」
以上
長文になり失礼いたしました。
その後8月19日のNHK子供ニュースでは「富田メモが昭和天皇のお言葉である」と確定的に子供たちに解説しておりました。
このようにして有無を言わさず『事実』として認証されていくとしたら恐ろしいことです。