ほそかわ・かずひこの BLOG

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日本の心161~『国家の品格』と武士道精神:藤原正彦2

2022-08-22 08:06:51 | 日本精神
●武士道の歴史と変遷を、どうとらえるか

 武士道精神の復活を唱える藤原正彦氏は、武士道の歴史と変遷をどのようにとらえているのだろうか。もとより氏は、歴史家や思想家ではないのだが、そのとらえ方には傾聴すべきものがある。
 「武士道はもともと、鎌倉武士の『戦いの掟』でした。いわば、戦闘の現場におけるフェアプレイ精神をうたったものと言えます。しかし、260年の平和な江戸時代に、武士道は武士道精神へと洗練され、物語、浄瑠璃、歌舞伎、講談などを通して。町人や農民にまで行き渡ります。武士階級の行動規範だった武士道は、日本人全体の行動規範となっていきました」(『品格』)
 「明治維新のころ海外留学した多くの下級武士の子弟たちは、外国人の尊敬を集めて帰ってきた」「武士道精神が品格を与えていたのである」(『けじめ』)
 明治維新によって、身分としての武士は消滅した。その後の武士道精神の変遷を、武士道精神の中核を「惻隠の情」と理解する視点から、藤原氏は次のように述べている。
 「かつて我が国は惻隠の国であった。武士道精神の衰退とともにこれは低下していったが、日露戦争のころまではそのまま残っていた」(『けじめ』)。
 その実例として、氏は、水師営での会見で、乃木将軍が敗将ステッセルに帯剣を許したこと。日本軍は各地にロシア将校の慰霊碑や墓を立てたこと。松山収容所では、ロシア人捕虜を暖かく厚遇したことなどを挙げている。
 「日本人の惻隠は大正末期にはまだ残っていたようである」(『けじめ』)。
 その実例として、氏は、第1次大戦後、ポーランド人の援助要請に応え、日本人が極東に残されたポーランド人孤児765名を救済したことを挙げる。
 確かに、私たちの先祖であり先輩である明治・大正の日本人は、異国の人々の身の上を、わがことのように思いやり、親切このうえなく心を尽くした。まだほとんど外国人と接する機会のなかった時代であるのに、国際親善・国際交流の鑑のような行動を、人情の自然な発露として行っている。
 こうした日本人の精神を、藤原氏は、武士道に重点を置いて、武士道精神と呼ぶわけである。
 大東亜戦争の敗戦後、武士道精神は大きく低下した。しかし、氏は、これは戦後、突然起こった現象ではないと見ている。
 「武士道精神は戦後、急激に廃れてしまいましたが、実はすでに昭和の初期の頃から少しづつ失われつつありました。それも要因となり、日本は盧溝橋以降の中国侵略という卑怯な行為に走るようになってしまったのです。『わが闘争』を著したヒトラーと同盟を結ぶという愚行を犯したのも、武士道精神の衰退によるものです」(『品格』)
 「当時の中国に侵略していくというのは、まったく無意味な『弱い者いじめ』でした。武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なことです」(『品格』)
 「日露戦争に比べ、日中戦争や大東亜戦争での捕虜の扱いはかなり違う。日本軍は捕虜を労働力と見るようになり、酷使、虐待を平気でするようになった。昭和の初めごろより惻隠が少しずつだが衰えていったのである。明治が遠くなったこともある。野卑な外国を見習ってしまったこともある」(『けじめ』)
 ヒトラーと同盟を結んだのは、武士道精神の衰退によるという見方は、私も同感である。私は、三国同盟締結は日本精神に外れた行いだったことを、別に書いてもいる。ただし、藤原氏が、日本の大陸進出を「まったく無意味な『弱い者いじめ』」「もっとも恥ずかしい、卑怯なこと」とのみ書いているのは、歴史認識の視野の狭さ、底の浅さを露呈したものと思う。
 20世紀前半の日中関係には、国際市場のブロック化、共産主義の策謀、シナの排日運動・協定違反・日本人虐殺等、複雑な要素が重なり合っていた。氏は「盧溝橋事件以降の中国侵略」と安易に筆を走らせているのではないか。盧溝橋事件は日本側の攻撃によるものではない。また、事件後、第2次上海事件によって本格的な戦争になってしまうまで、わが国は戦争回避のため慎重な対応に努力した。
 ところが、日本を大陸深く誘い込み、戦争を勃発・拡大させて、共産革命を実現しようとするコミンテルンや中国共産党の工作が行われていた。わが国は、まんまと大陸での泥沼の戦争に引き釣り込まれたという面があったのである。
 次に、捕虜の扱いについて、氏がどういう事例を思い浮かべているのか分からないが、国家総力戦段階に突入した世界における戦争の悲惨さを抜きにして、日本人の精神面の変化だけでは論じられないものがあると思う。
 こうした藤原氏の現代史に関する認識は、よく注意して読む必要があるだろう。
 日露戦争について水師営の会見、大正時代についてポーランド人孤児の救援などを挙げるのであれば、大東亜戦争についてもインドやインドネシアの独立への支援などを挙げるのでなければ、昭和戦前期の日本人に対して否定的すぎると思う。
 いずれにしても藤原氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め、戦後はさらに衰退が加速された」(『けじめ』)というとらえ方をしている。武士道精神が悪いから「侵略」「虐待」をしたのではなく、反対に武士道精神が衰退・喪失し始めたから、そういう行動が出てきたのだという理解である。
 私はおおむねこれに同意する。日本精神が悪いから戦争を起こしたのではなく、日本の指導層が日本精神から外れたために、三国同盟を結び、米英戦争に突入し、大敗を喫したのである。

●武士道精神喪失の根本理由

 藤原正彦氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め」、大東亜戦争の戦後は「さらに衰退が加速された」という。アメリカは占領期間、日本弱体化のためにさまざまな政策を行なった。「たった数年間の洗脳期間だったが、秘匿でなされたこともあり、有能で適応力の高い日本人には有効だった。歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる」(『けじめ』)
 「戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さなければなりません」(『品格』)
 基本的には、私は同感である。ただし、藤原氏の所論には重要なことを補う必要がある。戦後、武士道精神が失われてきた根本的な理由である。
 日本は、GHQから押し付けられた憲法により、独立主権国家として不可欠な国防を大きく制限された。憲法上、国民には、国防の義務がない。「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」という文言のある教育勅語は、教科書から取り除かれた。国家が物理的に武装解除されただけでなく、日本人は精神的にも武装解除された。その結果、日本人は自ら国を守るという国防の意識さえ失った。
 武士道とは、本来、武士の生き方や道徳・美意識をいうものである。武士とは、武を担う人間である。武を抜きにして、武士道は存立しない。自衛のための武さえ制限され、自己の存立を他国に依存する状態を続けている日本人が、急速に武士道精神を失ってきたのは当然である。
 根本的な原因は、憲法にある。日本国憲法が、日本人から武士道精神を奪っているのである。この問題を抜きにして、武士道精神の衰退は論じられない。
 藤原氏は、武士道精神の中核は「惻隠の情」だとし、「弱い者いじめ」に見て見ぬふりをせず、卑怯を憎む心を強調する。氏のいうような武士道精神に照らすなら、例えば北朝鮮による同胞の拉致に対し、日本人及び日本国は、どのように行動すべきか。中国のチベット侵攻や台湾への強圧に対し、どのように考えるべきか。
 これらの問題は、単なる道徳論では論じられない。日本という国の現状、自分たち日本人のあり様を、国際社会の現実を踏まえて論じる必要があるだろう。やはり、「この国の形」を決める憲法に帰結する事柄である。
 さて、藤原氏は、戦後、衰退してきた武士道精神が、バブルの崩壊によって、一層、顕著に衰退してきたという見解を表している。
 「歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる。だから、たかがバブルがはじけたくらいで狼狽し、世界でもっとも優れた日本型資本主義を捨て、市場原理を軸とするアメリカ型を安直に取り入れてしまった。その結果、日本経済は通常の不況とは根本的に異なる、抜き差しならない状況に追い込まれている」(『けじめ』)
 「バブル崩壊にともなう市場原理主義は、武士道精神を崖からまっさかさまに突き落としつつある。日本人の道徳基準であっただけに今後が心配である。とりわけ新渡戸稲造が武士道の中核とした惻隠の情が急激に失われつつあることは、我が国の将来に払拭できない暗雲としてたれこめている」(『けじめ』)
 市場原理主義について、次のように藤原氏は述べている。
 「市場原理に発生する『勝ち馬に乗れ』や金銭至上主義は、信念を貫くことの尊さを粉砕し卑怯を憎む精神や惻隠の情などを吹き飛ばしつつある。人間の価値基準や行動基準までも変えつつある。人類の築いてきた、文化、伝統、道徳、倫理なども毀損しつつある。人々が穏やかな気持ちで生活することを困難にしている。市場原理主義は経済的誤りというのをはるかに越え、人類を不幸にするという点で歴史的誤りでもある。苦難の歴史を経て曲がりなりにも成長してきた人類への挑戦でもある。これに制動をかけることは焦眉の急である」(『けじめ』)  
 市場原理主義は、資本主義発生期の経済的自由主義の現代版である。この古典的自由主義は、修正的自由主義が「リベラリズム」を標榜するのに対し、「リバータリアニズム(徹底的自由主義)」ともいう。英米ではこの国権抑制・自由競争の思想が、伝統的な「保守」である。一般的にはアダム=スミスに始まるとされ、ハイエク、フリードマンらがこの系統である。ブッシュ政権に集合した「ネオコン」と呼ばれる新保守主義者は、その新種である。
 国防に致命的な欠陥を持つわが国は、1980年代にアメリカを主人とする金融奴隷になったような構造に組み込まれた。バブルの崩壊後は、その構造のもとで、アメリカ主導の市場原理主義に押し捲られている。そして、米国政府に成り代わって、市場原理主義を積極的にわが国で推進しているのが、小泉=竹中政権である。
 現在の自民党は、私が「経済優先的保守」や「リベラル」と呼ぶ人たちが主流派となり、「伝統尊重的保守」は駆逐されてきた。日本政府が行なっている改革は、アメリカの「年次改革要望書」に応える改革にすぎない。2000年代から、自由競争と個人主義が徹底的に推進されてきたことにより、「格差社会」が生まれ、若者を中心に「下流」が増大している。経済中心、金銭中心、個人中心の国策によって、日本人の精神性は劣化している。
 『国家の品格』が大ベストセラーになったのは、こうしたわが国のあり方を批判する藤原氏の言説が、多くの国民に共感を呼ぶからだろう。
 既に引いた文章と多少重複するが、藤原氏の主張を再度、引用したい。
 「バブル崩壊後、日本では政府ばかりか国民までもが『経済を回復させるためなら何をしてもいい』と考えるようになった。アメリカからの要求に従うような改革が次々断行され、貧しい者や弱者、地方が泣かされるという、非情な格差社会が生まれた。(略) この勢いは経済の領域を超え、社会全体が拝金主義や「勝ち馬に乗れ」といった風潮を蔓延させつつある。(略) さらに、日本人の繊細な感性を育んでいた日本の美しい自然や田園も、開発という名の破壊を受けて見るかげなく、子供達の教育も混乱を極めている。(略)
 私は、こうした様々な現象の元凶は、アメリカ流の経済至上主義や市場原理主義だと思っている。市場原理とは、できるだけ規制をなくし競争原理を働かせるものだが、結果は勝者と敗者ばかりの世界になる。規制とは弱者を守るためのものだからだ。世の中は、勝者でも敗者でもないふつうの人々が大半を占めなければ安定しない。市場原理で代表されるアングロサクソンの『論理と合理』を許し続けたら、日本だけでなく世界全体もめちゃくちゃになってしまう。
 こんな世界の中で、日本はどうすべきか。私は、経済的豊かさをある程度犠牲にしてでも『品格ある国家』を目指すべきだと考えている。そのためにも新渡戸稲造の『武士道』の精神を復活させることが大切だ。」(『何か?』)
 私は、氏の所論に強い共感を覚える。ただし、これを単なる道徳論に終わらせないためには、先に書いたように、日本人は憲法を論じなければならない。今日の日本で武士道精神の復活を実現するには、「精神の形」だけでなく、「この国の形」を論じる必要があるのだ。
 「国としての形」をなしていない国に、「国家の品性」は備わりえない。それが道理である。そのことを『国家の品性』を読んだ人々に、ともに考えていただきたいと思う。

 次回に続く。

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