兵庫県の中央部に位置するところに「埴岡の里」があります。
ここが童謡、「かごめかごめ」と「とうりゃんせ」の舞台です。
播磨風土記が古事記の前編になっているのではないかと、埴岡の里ので生れ育った古代史研究家の市川慎さんは語っていますが、どうもそのようです。
下記のことは偶然でしょうかね。
ヤマト建国の最大の功労者、物部氏を祀る物部神社と伊勢神宮と、日本三奇の一つに数えられる高砂市の石の宝殿の謎の巨石とがキッチリと一直線に並びます。そしてその巨石の位置は、伊島から生野に伸びる黄金比率の十字架のちょうど交点です。この巨石が向いてる方向は、神武天皇陵と出雲大社をキッチリと見つめています。
又、物部神社と埴岡の里にある大嶽山と京都御所が一直線上になります。
そして、物部神社と女王卑弥呼の墓と比叡山が一直線に並びます。
そしてそして、出雲大社と京都御所を結んだ線上に生野があります。
生野には山で大きく鶴と亀の地上絵が造形されていますが、全て偶然でしょうか。
ヤマトの建国の謎が、ここ埴岡の里にキッチリと保存されているようです。
邪馬台国の謎の解明は、世界の歴史の謎も同時に解明してくれそうです。
さぁ・・・、大変なことになりそうです!
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日本とユダヤの関係を明らかにする「夜明けの晩」の時に来たようです。
女王卑弥呼おばさんのお墓の形、山の上に見事なドーム型をしています。東からも南からも綺麗ですねぇ。