黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

お十夜法要とは?

2015年11月14日 20時57分07秒 | その他

     

 今日、兄の「お十夜法要」に行って来ました。午前中に止みかけた雨が2時過ぎから本降りに成り私の実家から800m程は離れたお寺が今回は当番で雨の中を直ぐ上の兄と歩いて行きました。我家は此のお寺の檀家では無いのですが私が小学生の3~4年生の頃はこのお寺の本堂で遣っていた「そろばん教室に通って居ました。そろばん教室は夕方の5時頃からの始まりでしたが近隣の悪ガキが学校が終わると早々と境内に集合し遊び場と成って居ました。当時は古いボロ寺で檀家も少なかったのでしょう。多分そろばん教室に貸す場所代も貴重なお寺の収入に成って居たのでしょう。悪ガキが境内を走り廻っても小言一つ言わない子供が思うのもおかしいですが本当に人間が出来た住職で子供心に尊敬して居ました。反面、そろばん教室の先生は若い独身の女性でしたが結構な豪傑さんで「ごさんじく」太い幹の方は節が短く続いて居る1m程の竹を持って居て悪さをすれば其れを鞭代わりにして良く其れで打たれました。其れから先生が生徒の前で「そろばん玉」のはじき方を実演するための結構大きいそろばんが壁に掛けて有るのを見て「あの実演用のそろばん(横幅が1m50cm縦が60~70cm位ある)で本堂の廊下を滑ったらそろばん玉がローラーに成って面白いんでないかえ?」等と良からぬ事を思い付き遊んで居たら滅多に早く現れない先生が如何した訳か急に現れてにやっと笑みを浮かべたと思ったら首根っこを捕まれて其の「そろばん玉」で頭から背中じゅうをゴリゴリ遣られてポロリと涙がこぼれた事が有りました。其の時、先生が「天網恢恢疎にして漏らさずとは此の事を言うんじゃ憶えとけ」と言われ小学生低学年には少し難しい諺を自身の痛みをもって知る事と成りました。其れでも負けずに「女が そんな事をするから嫁に貰い手が無いんじゃ」と反論したら例の鞭を持って追っ掛けらました。気も強く口も悪い先生でしたが教える事には熱心で女女して居ない所が好きでしたが一回り以上も年上なのでひょっとしたらお十夜法要の対象者に成って居るのでは無いかと思います。私が工業高校の電気科に進んだ時に珍しい同じ苗字の同級生が居たので「わしが子供の頃に教えて貰ったそろばんの先生が女傑で本気で時々ボロボロにされたわ」と言っていたら「其れ僕の身内じゃ」と言われ「え~あの先生嫁に行ったか?」と聞いたら「おお~わしも良く偉い目に合わされたが物好きがおってな無事嫁に行けたわ」と大笑いしていた。


 今日久し振りに訪れてみると子供時代の事が思い出され懐かしくて周辺を一回りしましたが本堂も新しく建替えられて居て昔の面影は全く無く、鐘楼だけが昔のままの状態でした。途中の道筋の家々も昔からのお金持ちの蔵と槙囲いだけは昔の侭でしたが其れ以外は全て建替えられて立派には成って居るのですが私としては思い出の景色が全て変り一寸残念な思いがしました。


 「お十夜」は正式には「10日10夜別時念仏会」と言い今では浄土宗のお寺で多く行われて居る行事で平たく言えば「此の世で10日10夜念仏の行を行えば仏国土で1000年良い事をした事に勝る」と言う教え(無量寿経)をもとに阿弥陀如来の法恩に感謝しお念仏の尊さを感得する法要でお詣りになる貴方自身の修善の場であり其の善を先祖様に御回向する場所と言う事らしいです。平たく言われても凡人には良く解りませんが???実家の宗旨は真言宗???実際は11月5日から始まり11月15掛けて行われて居た行が段々と省略され現在は亡くなった初仏の在りし日の面影を思いながらご先祖様ともども御供養されては如何でしょうか。」即ち今年亡くなった人の回向をしようと言う事なのでしょう。


 此の「お十夜の法要」の特徴は坊さんが喪主と亡くなられた人の戒名を読み上げると其々のご家族の方が賽銭箱やお坊さんの前にお金をばら撒く儀式で横から後ろからお金が飛んで来ます。此れは量が多い方が良いのか大半が1円玉ですが5円玉や10円玉も有りますが一人が50個から100個近くばら撒きますので今日は大半が1円玉でしたがその数は尋常な数では有りません。前の方に座ると後ろからバンバンお金が飛んで来ますので座った場所に寄っては大変な事に成ります。私の家内等は最前列に座って居ましたので家に帰り着いた時靴を脱ぐ為に屈むと1円玉が何個か頭の髪の毛の間からこぼれ落ちました。Hi 言葉は悪いですが私は余り善行を積んで居ないのでお金の方で御容赦して頂きましたが此のお金を撒いた事で兄が別の世界の良い所に行ければ良いのですが・・・・・



 「ファイブ・ナイン」と言うDX月刊誌を思い出した日

2015年11月14日 18時57分02秒 | アマチュア無線

 昨日は終日交信実績が無かった為に今朝は気合を入れて臨んだコンディションは決して良くないが早朝は7Mhz帯で09時前からは21Mhz帯にQSYして昨日の実績をカバーする事に務めた。



  R170GS/0(7Mhz,CW)  UA5C(7Mhz,CW)  EN90IARU(7Mhz,CW)


  R90IARU(7Mhz,.CW)  OM/HA6PJ(7Mhz,CW)  4U1WRC(7Mhz,CW)


  CX3Dx(21Mhz,SSB)   YB8XM/P(21Mhz,SSB) R170GS/0(21Mhz,SSB)


  VE7SV(21Mhz,CW)



 午前10時頃から16時過ぎまでは家内と実家に行き「お十夜法要」に出席して返って来たら21Mhz帯のEU方面が騒がしかったので「何かな?」と聞いて居ると「ジャパン・インターナショナル・DXコンテスト」が始まって居る様子で此れは懐かしいなと短時間参加したが呼び続けられるのも高々20分程でやがて直ぐに閑古鳥が鳴く状態に成って仕舞い早々にリタイヤと成ってしまった。此れは二昔前に「ファイブ・ナイン」と言うDXの専門月刊誌が発刊される様に成り、私も創刊から3年間くらいまでは購読していた。此れは当時としては魅力ある雑誌でページ数こそ少なかったが其の当時の世界的なDxerの使用して居る最先端の無線機やアンテナ設備の紹介写真や最先端のニュースを(DX情報)知る貴重な情報源であった。当時はアマチュアの通信網によるDX情報は一部には流れていたがインターネットに寄る現在の様なDXクラスター(掲示板)は発展段階で十分な物で無かっただけに私は其の情報源として活用していた。

 其の「ファイブ・ナイン誌」が主催する此のコンテストが創刊後の早い段階で日本の月刊誌の力で始められ、其々の部門の優勝盾などの費用は読者の中から公募し有志の方が負担して居た様で有った。最初の頃は結構盛況で有ったが最近は何れのコンテストも参加局が少なく大半のコンテストが盛況さは無くなり今日の此のコンテストも例外で無く低調で有った。此のコンテストは確か?各県ナンバーがマルチと成るので徳島県の様なDXをする人口が少ない県は希少価値が有り弱小局でも人気が有るので楽しむ分には面白いのだが残念ながら今日は30分で25局位と交信したら呼掛けが続かず早々と途切れてしまい仕方無くQRTした。

 久しく2000年以後の「ファイブ・ナイン誌」を見た事が無いが現在も発行されて居るのだろうか?私は創刊から5年間分の月刊誌を(一部はオークションで後ほど手に入れた)ブック・ホルダーで整理して保管しているが今でも時々広げて見る事が有るが記事の内容は今でもDX心を揺さぶる魅力が有り全く古臭さを感じないし1980年代の後半から1990年頃のビッグなDXペディションが続いた当時の事を思い出させる貴重なコレクションと成って居る。

 先日の べふ峡(高知)と高ノ瀬峡(徳島)の紅葉

2015年11月13日 17時00分33秒 | その他

         


   


 先日に行った四足トンネルを挟んだ紅葉の名所、「べふ峡」高知県香美市(旧、香美郡物部村)と「高ノ瀬峡」那賀郡那賀町(旧、那賀郡木頭村北川)の紅葉の写真ですが紅葉が凄く真っ赤に成る年と裏年と言われる紅葉が今一の年が有る様です。今年は何れの年で有ったのか毎年訪れて居る訳では無いので良く解りませんが過去4回程訪れた時より色付がよく無かった様に思われます。両場所とも紅葉の場所は近付く事が出来ずに可也離れた場所からの眺める事に成るのが少し残念でした。(100m位から山頂の紅葉が進んでいる場所までは遠い場所で300mくらい離れて居る状態です)

 天気も お空のコンディションも冴えない日々!

2015年11月12日 20時01分20秒 | アマチュア無線

 此処2~3日は一寸気合が抜けて海外との交信実績は思う様に捗らずアンテナ工事の方も天候が不順で余り進まなかったが今日は昼からタワーに昇り明日予定の作業の下準備をした。第一タワーのローテーターの外装の塗料が剥げ掛けて来ていたので下に降ろし手塗りで分厚く二重塗りを行った。明日の天気が良ければ再度取り付けて21MHz帯の5エレ八木の北米向け(コンテスト用の固定)の取付け部をタワーの支柱に固定する予定である。

 最近のハイ・バンドは私の聞いて居る時間帯は殆ど聞えず交信実績は進んで居ない。


  此処2~3日の交信実績


  JA3QJW/6(7Mhz,SSB,沖縄県国頭郡今帰仁村 47001B)


  A35OK(21Mhz,CW,558A)


  C31CT(7Mhz,CW,568A)


  JK3FBV/6(7Mhz,SSB,沖縄県八重山郡与那国町、47005A)


  IZ3ZZB(7Mhz,CW,640A)


























 存在を知らなかった午尾の滝

2015年11月12日 14時30分54秒 | その他

              



 昨日の夜にテレビを見ていたらドラマの最初に鳴門の渦潮が映ったと思ったら阿南市を流れる那賀川の見慣れた橋が映り出され其の後、蒲生田岬の灯台下のLA対象の場所が映り出されて少し驚いた。日頃は余り見ない「さすらい署長 風間昭平」のロケ先が阿南市を中心に行われて居た様で其の放映が昨晩だった様です。主人公は何処かの携帯電話のコマシャールで犬の声を担当している役者さんです。


 ストリーは相変わらず大した事は有りませんでしたが阿南市の色んな場所が映ると少し興味が出て最後まで見てしまいました。阿南市に阿南中央警察所成る物は無かった様に思いましたが最初の方で署長室が映った時に「何処か見覚えの有る部屋だなぁ?」と思いながら黄昏掛けている頭の中で真剣に思い出して居ましたが中々思い出せず番組の終りの方で阿南市商工会議所の会頭室だろうと思いますが???多分間違いは無いと思うのですが私の兄が学生時代からの友達で2回程、付き添いで訪れた事が有ったので少し記憶が有ったのですが・・・・・


 ドラマの中で最初の殺人事件現場として「午尾の滝」が映り出され「果たして何処だろうか?阿南市内に滝など有ったかな?」と私には疑問が残ったのでドラマ終了後にインターネットで調べたら流石便利なもので検索を掛けたら一発で情報が出て来ました。調べて診ると阿南市深瀬町と出て来ましたが「深瀬町?此れ又 余り聞かない地名」其処でグーグル・アースで確認をしたら我家から直線距離だと6~7Km程で台風時に校舎の2階まで浸水し全国放送された中学校(加茂谷町)の那賀川を挟んだ対岸地区に有りました。


 比較的近所に有りながら全く知らなかったので此れは一度見に行かねばと思い立ち今日の午前中にカメラを持って出掛けたのですが場所的に少し道筋から入り込んで居る為、見過ごしそうな細い路地を山手の方に進んだ行き止まりに神社が有り其の奥に大きくは無かったですが趣の有る滝が有りました。写真を撮り終わり車に帰って来ると女性3人と運転者の男性のグループが現れ「何処や何処」と女性が言って居たので「昨晩のテレビに映っていた滝なら左側の奥ですよ」と教えたら流石にオバタリアン物怖じせずに「あんた 何処から来たん?」と聞かれたので「大野町から」と答えると「此の場所は知ってたん?」と矢継ぎ早に聞かれ「全然知らなかったので見に来ました」と答えると「ほれみ~近くの大野町の人が知らんのやから私やが知る訳ないわ ガヤガヤ」と喋りながら滝の方に向かった。運転手の男性は嫌々引っ張り出されたのだろう。昨晩テレビを見ながら「轟の滝かいな?」と聞かれたので「全然場所が違うわ」と言ったら「ほな 連れて行け」に成ったらしい本当に敵わんわの表情がありありと伺う事が出来たが遣り取りとその表情が面白くテレビを見たら皆さん思う事は同じなんだなと妙に納得した。

  
 行く途中の田んぼにコスモスの花が植わって居たので引き返し写真を撮りに入ったがピンクと白のコスモスの花しか咲いて居らず色彩的には寂しい感じ2年ほど前には近所の田んぼに沢山のコスモスが観賞用に植わって居たのだが手間が掛かるのか最近は町内でコスモス畑を全く見掛け無い。矢張り流行り廃れが有るのかな?大半の写真はホンチャンのカメラで撮ったが1枚辺り24Mの領域が有るのでブログ用にはデーター量が大き過ぎで不向き、当ブログ用は相変わらずコンパクトなデジカメで撮った物を使用して居るのだが発色や鮮明さには格段の相違を実感するがブログで使用する写真領域には限りが有るので残念ながら仕方が無い。

三菱重工業のMRJが初飛行に成功!

2015年11月11日 17時47分44秒 | その他

 三菱重工業が官民共同で開発を進めていたMRJ(ミツビシ・リージョナル・ジェット)旅客機が今日、名古屋空港で初飛行に成功した様である。此の話題は可也以前から噂をされて居ましたが翼の材質やエンジンの主要部品調達問題で伸び伸びに成って居ましたが今日、離陸、着陸に成功した事は誠に喜ばしい次第です。小型ジェット旅客機(100座席程度)はカナダとブラジルの航空機メーカーが凌ぎを削って居り、其処に日本の企業が参画出来る飛行機が開発出来たと言う事は今後、良い勝負が出来るのでは無いかと思います。

 MRJの性能情報を見てみると90人乗りタイプの機体で価格は約58億円で既に可也の発注予約や商談が入っているそうです。

 全長 35.8m   巡航速度  マッハ  0.78    最高航続距離は  約 3000 Km


 日本の航空機産業は戦前のゼロ戦に代表される様に其の時代のトップクラスの名機を生産している。戦後の占領下で航空機の開発生産が禁止されたり抑圧されて居たが最近は次世代のステルス戦闘機の開発も進められて居り其の性能はアメリカ空軍のステルス型戦闘機を凌駕する可能性があるとか?インターネットの世界では色々噂をされて居る。日本人独特の仕事への取組み方や研究熱心さを考えた時、其の世界の頂点を極めるのはそう先の話でなさそうで有る。現在までは戦闘機一つをとってもアメリカから高額で購入しているが軍事機密上の理由から同盟国と言えども最新式の物は購入出来ず少しバージョン・ダウンした物しか売って貰えず日本の泣き所で有ったが軍事用や民間用に関らず航空機の自国生産は日本の悲願で有り其れ等の実績が見えて来た事は「工業立国 日本」を世界に再認識させる事に成るであろう。

 大栗さん(JA5CS)との思い出

2015年11月10日 23時05分04秒 | アマチュア無線

 先日の夕方に自宅の電話が鳴り電話を取ると地区の常会長から「大栗さんが無くなった」との訃報が入った。私も驚いたが2013年に私が常会長を務めて居た時は此の地区の長老として御出席頂き公私共に大変御世話に成った方である。しかし此処一年程前から余り常会で姿をお見掛けする事も無く御無沙汰をしていたので気には成って居たのだが・・・・


 実は大栗さんはJA5CSのコール・サインで開局された此の県南地区は勿論、徳島県下でも指折りのアマチュア無線の先達である。確か初対面は私が高等学校の二年生の時であったと記憶しているのだが学校の無線部の先輩が御近所で何かの機会で同行し訪問した事が有った。当然、二文字コールの方は私達には雲上人で御話もまともにする事が出来なかったが屋敷内に当時としては珍しいダイポール・アンテナがピーンと張ってありシャックには当時では見た事が無かったSSBのTX-388とJR-300の送受信機が並んで居て其の機種を初めて見た私は「格好良いなぁ~」と思った事が非常に印象深く記憶に残っている。


 当時の徳島県南部でアクティブにアマチュア局を運用する局は旧、那賀郡那賀川町(現在の阿南市)のJA5FQさんJA5HTさんと川向の大野町近辺にJA5CSさんJA5HVさんJA5AJSさんと僅か直径5Kmの円の中に集中しており阿南市の中心地はおろか其れ以外の県南部からの電波は殆ど聞えて居なかった。今の時代と違い二文字コールのOMさんの時代は全て自作の無線設備での開局で其の為の技術が無ければ無理で前記の皆さんも其々に電気の専門職の方々ばかりで(電力会社、船舶通信士、電気会社を企業された方)此の地区の電気畑の草分け的存在の方々ばかりで有った。無線機器の自作段階での技術的問題の解決や自作の為の部品の入手も大変な時代で今と違いアマチュア局同士の繋がりもお空の上だけで無く非常に密接であったらしい。何より近くにアマチュア局が居なければ其の存在を知る事も無かっただろうし開局などは非常に難しい時代で有ったのでアマチュア局は一部の地区に如何しても集中する傾向にあった即ち其の地区に先達が居なければアマチュア無線に触れるチャンスが無いに等しい時代で有った様だ。私も小学生の頃に農家の裏に竹で作った蜘蛛の巣の様な大きいアンテナを見て子供心に「一体 何だろうか?」と思った事が有ったが其れがJA5HTさんのアンテナであった事が随分後で解った。諸先輩との年齢差は親子くらいの違いから近くても一回りは違って居たのでお空で声を聞いても技術的な会話や世間話でも大人と子供で恐ろしくて声が掛けられない程の存在感が有った。因みに私達の時代でも個人局の開局は殆ど電気関係の学校の在学中か卒業生で其れ以外の関係の学校のクラブ局は存在したが個人局は稀であった。話が戻って大栗さんと御会いしてから1年以上経って私も漸く個人局を開局したが距離的にはローカルで有りながらお空の上では御会いする事も無く余り御縁が無かったが後の私の物作りの師匠であるJA5HT庄野さんとは無線仲間でJA5CSさんJA5IPさんJA5LQさんJA5HVさんJA5GTさんは良く庄野さんの御宅で御会いする機会があったが世代が一回り近く違って居たし技術的なレベルも含め中々会話の中には入って行けない状態で御会いすると御挨拶を申し上げる程度の御付合いであった。


 処が私が結婚して自宅の近くの土地を貰えずアマチュア無線を本格的に始めようと条件的に適合した川向の可也離れた此の地に家を構えた時、地区の常会(隣組の様な組織)に入れて貰い初めての行事に参加した時に地区の長老として大栗さんが居られ無線関係よりは御近所としての御付き合いが始まった。大栗さんは電気関係の会社を設立し社長として地元で大活躍されて居たし公の世話役もされており多忙で有った様で私が若い時はお空の上で殆どお声を聞く事は無かったが年に3~4回有る常会の食事の席で御会いすると自然に無線の話をする事が有ったが今から10年位前に息子さんが会社を始められた時から時間的に余裕が出来たのか?HF帯で良く声が聞える様に成り各バンドで運用していると「遣ってるな」とブレークを頂きお空でお話する機会が有ったが何せ家と家の直線距離は600m位の超至近距離で何時もお互いにパワーを最小にして交信していた。


 大栗さんとの一番の思い出は可也以前に本人から電話を頂き「今回、JARLの特別局の運用許可が阿南市に下りたので運用を手伝ってくれないか?」と言われ「私の様な者でも宜しければ」と二つ返事でお受けした。其の当時、徳島では初めてだったと思うのだがインターネットで自宅からコントロール出来る180mH近く有る山頂の無線設備(CQ誌に記事として発表したらしい)を持って居たので其の場所に上がる事にして山頂の建物に初めて御伺いした。大栗さんの自宅から自動車で5~6分だったと思うが山の麓に入り車を降りてモノレールの乗り場に向かい最初は緩やかな勾配の斜面を上がり掛けたが途中から様相が一変し何か有ってモノレールが下に落下し始めると此れは必ず「一巻の終わりだな?」と思う程の急勾配の斜面をゴトゴトと振動を感じながら登り詰める途中の場所に電源用のディーゼル発電設備と終点に木造の建物が有った。其の後、発電機の自動制御装置や無線設備を含めた制御関係を熱く説明頂いたが本当に素晴らしいシステムで有った。山頂にはHF帯のビーム・アンテナも上がって居たのだが余り高さが無かったので生意気にも「お手伝いをしますからもう少しアンテナを上げられたら如何ですか?」と言ったら「望む処なんだが残念ながら地面が岩盤質で基礎が出来無いのでタワーを立てる事やコン柱を立てる事は難しい」と残念そうに話されて居た。

 其の山は下の此方から見ると余り高さを感じない山であったが流石180mH近くから見る眼下には那賀川の流れが見れ景色は抜群で素晴らしく無線の上でも無線機のスイッチを入れて聞いた7Mhz帯はノイズ・レベルが低く別の世界であった。何せ1Km四方は人家も無く雑音源が無く電源に成る発電機も建物から可也離れた所に配置し其の間はキャプタイヤコードで建物まで接続されて居た。特別局の運用は私がSSBモードを大栗さんがCWモードを運用し無事終える事が出来たが此の場所に於ける運用状況は最高で其の後の私の全国からの移動運用で挙って出来るだけ標高のある場所から運用する事の布石と成った。其の時もし私に此の設備が有ったら多分、毎日を山篭りして家に帰らないで無線三昧の私にとっては夢の生活に成っただろう。其の後、数年間は仕事から帰り自宅の南側の山を見ると無線設備が稼動している証のLEDの明かりが灯って居たが此処3~4年前から其の明かりを殆ど見る事は無かった。

 其の後に一時体調を崩された事は御本人から聞いては居たのだが私が常会長を引き受けた2013年度は全ての会合に出席頂きお会いすると必ず「無線の方は最近は如何か?」と必ず話し掛けて下さっていた。昨年の夏の会合辺りから姿を見なく成って居たので心配して前を通った時に何回か声を掛けた事も有ったのだが何時も昼間は不在であったので公の世話役員でお忙しいのだと思って居たのだが・・・・・

 
 昨日の午前中に告別式が有り私も出席したが大栗さんは事業をしていた事もだが何より沢山の地域の役員をされ此の地域の重鎮で有られたので参列者は多く座る椅子は満杯で久振りの大きな告別式であった。焼香に向かい遺影に「長い間、お世話に成りました。先に逝かれたJA5FQさんJA5HTさんJA5IPさんJA5HVさんと美味しいお酒を飲み交わしながら無線談議に花を咲かせて下さい」と心に念じながら御別れをして来ました。外に出ると午前中は余り天気が良くなかったんですが青空が広がり大栗さんの人徳の性でしょう良い天気に変わって居ました。

 
 諸先輩との御付き合いは一部の方を除いて余り有りませんでしたが当時のDXの世界で日本で指折りのランキングに居られた方や全市全郡コンテストで全国一位に成られた方が二名居られたりして憧れたもので正に徳島のアマチュア無線史に燦然と輝く実績を持つ方々が居られた此の地区で段々とアマチュア無線の世界でアクティビティが下がる現状にもう少し私達後輩も頑張らねばと強く感じると同時に其れを実践せねばと思いました。

    JA5CS 大栗さんの御冥福を御祈り致します。



 「こんなの出て来ました!」

2015年11月10日 16時53分45秒 | アマチュア無線


     


 ジャンク倉庫を探して居たら「こんなの出て来ました」しかし肝心要のソケットが出て来ません。最初のセラミック球のソケットが中々見付からず入手に3年程かかりました。先日のブログに書いた関東から「お探しのソケットが有りますが要りませんか?」と突然電話が掛かって来た代物です。其の時に大枚を叩いて購入しましたが世の中おかしなもので其の後、腑としたタイミングで非常に珍しいソケットを「居るならあげるわ」と2個手に入り、確か3個はある筈なのですが?見当たらないので私が3年間程、実家のセメント加工の仕事場の休憩室でゴゾゴゾ色んな物を製作して居たので其処らに置いて有るのでは?と思います。兄が居れば値打が解って居るので捨てる事は無いと思うのですが其の兄も別の世界の人になってしまったので甥だとアマチュア無線を遣って居ても「何じゃこれは?」の世界で粗大ゴミとして処理され兼ねないので今週の週末でも探しに行こうと思います。


 2番目の写真の高電力タイプのコンデンサーも探して居たらボツボツと出て来ました。比較的古い時代の代物なので現在の物と比較すると随分馬鹿デカイ電力用コンデンサーですが中古市場で手に入れると成ると中々大変です。箱の中に数個見える真白い綺麗なコンデンサーが比較的最近の物です(此れは新品)ジャンクの中にある巻線タイプの可変抵抗器はスクリーン電圧の定電圧回路の微妙な電圧調整には必要な部品で30W~50Wクラスは中々見付からず此れも年数と手間隙を掛けてオークションで探しました。


 最後の写真は強制空冷管の構造上、下のヒーター側から強力なファンで吹上げた風を効率的に真空管のプレート・フィンの中を通す為に必要なチムニー(通称 エンントツ)です。此の部品も無線装置には1個しか付いて居ませんし真空管ソケットと同じで定期的に交換する部品では無いので中々手に入りませんので如何しても急いで入手しようと思えば万札が軽く飛んで行く事に成ります。写真右下のアイマックの純正チムニーと成るとプレート電圧が5000V~8000V程、印加する球用なので耐電圧、耐熱性に優れた材質(テフロン)を一体加工していますのでビックリする値段ですHi


 写真下側の左端のチムニーを使用する球は申請の仕方では如何にか当局の落成検査をパスする事が出来るらしいですが?下側右端のチムニーを使用するセラミック球は申請段階で受付て貰えない代物です。上段の左端のチムニーを使用するセラミック球等はプレート損失が5桁なので申請等は勿論、論外の代物と成ります。

 パネルメーターや遅延リレー部品

2015年11月09日 16時05分24秒 | アマチュア無線


         


 予定のRFデッキは可也大きい物に成りそうなのでパネルメーターはチンケな小型メーターでは様に成らず横巾120mmのメーターを予定している。私は形が古くてもメーター指針の先がトランプのスペードの様な格好をしたメーターが好きで(同じ値を指示しても指針の先が重たいのでユックリとした重厚な振れ方が大好きなのだが?)使いたいのだが最近は余りお目に掛かれない様に思う。

 電源投入後(ヒーター点灯後の)高圧電源投入のタイミングや電源OFFに送風ファンを暫く回す為の遅延回路に使用するリレー等も探し出して来たのだが高圧投入時に使用する電磁接触器は見付からず今日も何箇所かに分かれて居る保管場所を探し廻ったが見付からず困って居る。何処かに有る事は間違い無いのだが・・・・

 高圧コンデンサーは写真の大小共に4個づつ見付けたが耐圧が5KWVなのだが容量的には1個が4uFしか無く、耐圧的にも一杯一杯、2個を直列接続をした2組を並列接続して耐圧と容量を確保する方法を取るか?思い切って新品1個で仕上げようか?迷う処です。

 全部の部品の拾い出しをした所でケース加工の寸法図を作り、何処かの鉄工所に発注する予定、JA5HTさんが御存命なら作業所に通い自分で作りたいのだが其れも叶わずケース作りだけは結構な費用が掛かるのではないかと思って居る。しかし最近は鉄板への穴あけ(メーター穴や真空管ソケット部)もレザーで綺麗に切取る事が出来るので以前の様にヤスリ掛けを多用する事も無く仕上がり程度が良い物が出来上がるだろう。今回、色んな部品を探しながら彼是考えて居たら段々と楽しく成って来た。

 今日は沖縄や周辺の離島からの信号が聞えた日

2015年11月08日 20時06分31秒 | アマチュア無線

 今日は久振りに7Mhz帯で国内交信を聞く機会が有った。此処数ヶ月は朝方の7Mhz帯を聞く事は有っても国内交信実績は全く無し、先程に業務日誌で確認すると今年の8月20日の21Mhz帯でJP7DKU(福島県南会津郡只見町)と交信して以来、約2ヶ月半の間、国内交信は全くして居ない事に気付いた。

 朝食の後に漠然と7Mhz帯を聞いて居たら7.111Mhzで今成さんの信号を捕らえ久振りだと思い聞いていたらJN1JFO/6とアナウンスして居るではないか?今成さんには全国の珍しい町村から運用されて居る時に沢山の交信をして頂いて居るが此の方の移動運用地は普通の局とは違い可也レアーな場所からの運用が多い。特に沖縄方面や其の周辺の離島からの運用が多く、過去に鹿児島県の離島の三島村(硫黄島)十島村、奄美大島(龍郷町、宇検村、大和村)、与論島、沖縄方面の離島の久米島、与那国島、多良間村、等々非常に珍しい場所からの運用が多い。本州からの運用も有るが私が交信して頂いている運用地は何れも貴重な場所からの運用ばかり、青森県南津軽郡田舎館村(02008B)大分県竹田市(4408)秋田県北秋田市(0413)山形県東田川郡三川町(05007C)青森県北津軽郡鶴田町(02002B)長崎県東彼杵波佐見町(42007B)青森県上北郡七戸町(02001B)徳島県板野郡板野町(37002B)同、板野郡上板町(37002C)長野県諏訪郡下諏訪町(090011A)等々


 多分今成さんは自分が移動運用する運用地は可也綿密な事前調査を行い、単なる思い付きで無く全国を視野に入れた皆さんが中々交信し辛い場所から計画的な移動運用をしている数少ない局と私は日頃から尊敬している人で有る。今日もアナウンスを良く聞くと沖縄県市島尻郡粟国村(47002A)で日本の最西端からの運用で非常に珍しい所からの運用で久振りに呼掛ける私の方も興奮した。

 そう言えば今日はJF2KFC/6で橋本さんが午前中は徳之島の鹿児島県大島郡天城町から午後は大島郡徳之島町からハイ・バンドで信号が聞こえて居たしJR6KE/6やJQ3QJW/6(沖縄県国頭郡大宜味村47001B)の信号が沖縄方面から良く聞えて居た。私は最近、本州や北海道方面の移動局の信号を聞いても殆ど呼掛ける事は無かったが矢張り沖縄本島や周辺の離島からの信号が聞えると此れは別物、今日は可也気合を入れて呼掛ける一日と成った。


今日の海外との交信


   TT8AMO(Chad)   17:43JST      24Mhz     CW     728A

可能性の有る残りは7Mhz帯のRTTYモードか?

2015年11月07日 20時36分24秒 | アマチュア無線

 今日も野暮用で日中は外出し無線運用は早朝と日没後の短時間の運用と成った。3W3MDのRTTYの運用を期待して朝の時間帯は7Mh帯を聞いてみたが信号を確認する事も無く空振り状態に終った。午前中は14Mhz帯のRTTYの信号を求めて聞いたが此方も運用が無く信号を聞く事は無かった。

 夕方に家に帰り受信体制に入ったがどちらの周波数も運用は無く夕食が終って一休みの後の20:15JSTに14Mhz帯を聞き始めたら3W3MDのRTTYモードの信号がいきなり聞えて慌てて呼掛けたら珍しく一発コールで応答が有り20:17JSTに交信に成功した。

 残りで可能性が有るのは7Mhz帯のRTTYモードのみと成り現在も網を張って聞いているが信号は聞こえて居ない。


HA8FM(7Mhz,CW)  HC5AI(21Mhz,CW)   3W3MD(14Mhz,RTTY)

 3W3MDの信号を聞いた事が無い周波数も有る。

2015年11月06日 23時39分03秒 | アマチュア無線


 昨日は高知県まで紅葉の写真を撮りに出掛けたので午前中の無線運用は全く無し、夕方に自宅に帰ってから出遅れている3W3MDの追っ掛けを開始したが余り信号を捕らえる事が出来ずに終わった。




   昨日から今日までの交信実績


    3W3MD      11/05      15:43JST     18Mhz      RTTY


    3W4VX      11/06      07:30JST      7Mhz      CW


    TI5/N3KS    11/06      07:47JST     21Mhz      CW


    3W3MD       11/06      09:32JST     14Mhz      CW


    3W3MD      11/06      11:27JST     28Mhz      CW  


残りで可能性の有るのは14Mhz帯のRTTYモードの交信くらいだろうか?7Mhz帯のRTTYも交信出来ていないが此の周波数でのRTTY信号は一度も聞いて居ないし、どの様な時間帯に出て居るのかも良く解らない状態?そろそろ運用も終わるのでは無いか?と心配している。  

 思いの他 山奥の紅葉は思った程、進んで居なかった

2015年11月06日 22時05分30秒 | その他

 昨日は朝から青空が広がり素晴らしい天気で有ったので前々から予定していた紅葉の写真を撮る為に高知県の香美市(旧の物部村)の「べふ峡」に行って来ました。此の場所には過去に家内と4回ほど全て11月3日に出向きましたが今年は此の日の天気が余り良くなく2日ほど遅れての紅葉狩りと成りましたが残念ながら家内は仕事で行く事が出来ずに私一人で行く事に成りました。午前中の9時過ぎに我家を出発し我がピョンピョン二世号には久し振りの県外への遠出と成りました。通るコースは195号線の山道を只管走り徳島県と高知県の境界に有る「四足トンネル」1857mを抜けると高知県香美市に入ります此処は旧、高知県香美郡物部村で嘗ては無線的に余りQRVの無い珍しい村でしたが市に編入されてからは可也広域な香美市の一部と成り無線の移動運用地としての魅力が無く成ってしまいました。

 此の場所は我家から約92Km程の距離が有り紅葉で有名な「べふ峡」に辿り着いたのは11時一寸過ぎ車の中で軽食を済ませカメラが入ったリュックサックを背負い4Km位山間に入り紅葉を楽しんで来ましたが前回に来た時よりは紅葉の進み具割が遅い様に感じられ平日という事もあって人手の方も疎らで少し寂しい感じがしました。此の場所は狭い渓谷の向こう側の山肌に有る木々が紅葉するので山道からは近い所でも100m程離れていて手が届くような場所での紅葉を見る事は出来ずに高さで50~100m前後、山道からは100~500m位離れて居る場所は真っ赤に紅葉した紅葉とその上の真っ青な青空の対比は素晴らしいのですが残念ながら直ぐ傍の身近な場所で紅葉を楽しむ事は出来ませんでしたので1時間程で切り上げ再び四足トンネルを引き返し徳島県側の紅葉の名所「高ノ瀬峡」と向かいました。此方は規模としては小さいのですが駐車場近くの手が届く様な場所に真っ赤に成った紅葉の木が有ったので写真を取りましたがどちらも迫力に欠けるので更にスーパー林道の山道を進み剣山トンネルの有る場所へ向かい其処から徒歩で上がれる次郎笈(1929mHの徳島県第二高峰)へ登り写真を撮ろうと思って現地を出発したが2Kmも進まぬ内に全面通行止めの看板が有り遭えなく断念する破目に成ってしまいました。

 帰り道の木頭村の出合から旧、木沢村側から山間に入り四季美谷温泉を経由して剣山トンネル広場の登山口へと向かうコースも有るのですが車の往復で2時間強、山への登り下りで2時間以上を考えると下山が夕方に成る事から十分な装備はして来たが安全策をとる事にして次の機会とする事にした。此の日は抜群に天気が良く、素晴らしい青空が広がって居たので良い写真が撮れたと思うのだが年寄りの単独行は何か有ったら世間に御迷惑を懸けるので止む得ない判断をしたが機会を作って次回は家内と一緒に行こうと思って居る。

3W3MD の追っ掛けに徹した一日

2015年11月04日 17時20分16秒 | アマチュア無線

 今回の3W3MDの追っ掛けに関しては当局は出遅れた感じ、何時もの「余り大した場所からの運用で無いし如何でも良いわ」の悪い癖で時間が経つと少し焦りを感じるパターンの始まり・・・・オン・ライン・ログで日頃目標とする他局の実績を見なければ何て事は無いのだが?其れを一度見てからエンジンが掛かるタイプで如何も始末が悪い。しかし少なからず此の思いが無ければアマチュア無線を長続きさせる事は無理であろう。

 今朝も5時前に起き出し昨日の情況から先ず最初に3.5Mhz帯から聞き始めたバンド・コンディションは昨日と同じ様にノイズ・レベルが低く全体的に信号強度は弱いのだが信号が浮かび上がって了解度は悪くは無い状態で4W/JA8BMKとT88Kの2局と続けて交信する事は出来たが当局のアンテナではクラスターにアップされているEU方面の局の信号らしい物が微かに聞こえても正確に判読する事は出来ずに諦めて7Mhz帯にQSYしてR25MDCとCWの交信が終ると早朝のDXコンディションは徐々にフェードアウトして行った。朝食を終えて一服した後の10:40JST辺りからクラスター情報を確認しながら3W3MDの追っ掛けを開始して夕方まで続けたが14Mhz帯のCWはチャンスが有ったにも関らず力及ばず取り逃がしてしまって明日の課題と成った。

   
    今日の交信実績


    4W/JA8BMK(3.5Mhz,CW)  T88K(3.5Mhz,CW)  R25MDC(7Mhz,CW)


    3W3MD(28Mhz,SSB)      RG0A(14Mhz,CW)   3W3MD(24Mhz,RTTY)


    3W3MD(18Mhz,CW)       3W3MD(14Mhz,SSB) 3W3MD(18Mhz,SSB)


    3W3MD(28Mhz,RTTY)

 3W3MDは賑やかだがコンディションは今一つ!

2015年11月02日 20時27分05秒 | アマチュア無線


 先週の週末はハイバンドも少しは聞えて居たので朝方のコンディションに期待をして02:30JST頃に起き出して7MHz帯と14MHz帯を聞いて見たが14MHz帯はノイズばかりで殆ど何も聞こえ無かった。其の後、下にQSYし日の出少し前まで7MHz帯で待機した。少し明るく成り掛けた06:35JSTにHZ1BW(Saudi Arabia)が弱く聞こえ始め此れは呼掛けねばと呼び始めたが電波は中々届かず、半ば諦め気分で呼び掛けて居たら応答が有り漸く交信する事が出来た。

 太陽が十分昇ってからは21~24MHz帯を中心に聞いてみたが週末とは違い中米やカリブの信号は聞えず収穫は無し、日中から夜半に掛けては3W3MDの追っ掛けに終始下。太陽には二群の大きい黒点が見えて居るが思いの他コンディションは下降線を辿っている感じで余り期待出来そうに無い感じがする。



    3W3MD(7MHz,CW)  YU65GMN(7MHz,CW)  

    R25MDC(7MHz,CW) EV90IARU(7MHz,CW)

    GW3YDX(7MHz,CW) HZ1BW(7MHz,CW)

    3W3MD(21MHz,CW) 3W3MD(21MHz,SSB) 

    3W3MD(24MHz,CW) ZA/DL7UCX(21MHz,CW)

    4W/JA8BMK(7MHz,CW) 3W3MD(10MHz,CW)