黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

久し振りのDX局とのQSO

2019年08月31日 21時56分01秒 | アマチュア無線

  


 今日は昼から天気が崩れて雨が降ったり止んだりの状況で外に出られなかったので16:00JST頃から暇潰しに18MHz帯(SSB)を聞いて居たらYB0NDTが59プラスで入感して居た。普段なら呼掛けることの無いインドネシアの局だったが久しくDX局との交信は無かったので移動用の無線機で呼掛けたら2回程コールサインの
再送を要求されて3回目のコールで漸く当局の正確なコールサインが返って来て59-55で如何にかQSOする事が出来た。業務日誌で調べると6月2日の50MHz帯で海外局とQSOして以来、3ヶ月振りのDX局との交信と成った。


 其の後に少し上での8A74RI/9のCQが出始めたが何方も応答しないので此方から呼掛けたら直ぐに応答が在り59-59でQSOで来た。18MHz帯のSSBモードで聞えて居たDX局は此の二局だけだったので今度はCWの周波数帯を聞き始めたら先程SSBで交信した8A74RI/9が出て来たので直ぐに呼掛けたら599-599で交信する出来た。


 何れも日本からすると珍しくも無い近場のDX局だが此の時期に成ると50Wでも海外に電波が飛んで居る事が解かり明日からの朝方は気合を入れてワッチしてみようと思って居る。

気合が入って居た作業が天候不良でオジャンに成る。

2019年08月31日 15時27分33秒 | アマチュア無線

  


 先日に此のブログに書いた3.5MHz帯のループ・アンテナ化の下準備に両サイドに使用するエレメント支持するポールを作る作業に入った。当局のアンテナ廃材の中から高さを稼ぐ為の単管4m(内径 41mmφ)とカツオ釣り用のグラスロッド3m強(内径 31mmφ)をジョイントする適当なアルミパイプを探し出すのに1時間程掛かった。グラスロッドの一番元の太い外形寸法は38mmφ強、在るので其の侭の状態で単管の中に入るのだが残念ながら其の部分の長さは10cmも無く此の長さでは強風時の強度に問題が在るのでグラスロッドの内径の方に入って行くパイプを見付けロッド側に最低でも50cmは通し下側に成るパイプを3段階位で段々と太くして単管の中に最低でも1m程度は納まる様にして十分な強度を持たせる事にした。単管とグラスロッドをジョイントする中間部の長さは1~1.5m位にして最終的に全長は9mH前後にする予定、このアンテナのループ形状は歪な三角形に成るが底辺部分のエレメントは三点支持にする予定、ロッドの先端の太さが少々心許ないが先端部はパイプでは無く棒状なのでエレメントに張力を掛けない無い様な張り方をすれば何とか持ち堪えてくれるとの甘い考え方?


 漸く頃合の部材を見付け出し結合させる為の異径ジョイント(中間パイプ)を作る作業を始め掛けたら雨がパラツキ出して折角、気合を入れて始めた作業がオジャンに成って仕舞った。今朝は青空が見えて居たので「今日の天気の方は大丈夫だろう」と思って居たが先週からの天候不良は今日も続いて如何もハッキリとしない。急ぐ作業では無いが出鼻を挫かれた感じ、然し天気だけは如何しようも無い。

 今週辺りから運用形態を朝方に変えました。

2019年08月30日 10時54分14秒 | アマチュア無線

  


 今年の冬(1~3月頃まで)は早朝に起きて3.5~7MHz帯のDXの信号を聞いて居ましたが4月に入ってからEsが出始めると如何しても国内が中心の運用に成り日中のワッチが多くなり、ハイバンドでの国内局との交信数が中心に成り半面、夜中や早朝の「夜討ち朝駆け」は少なく成り結果としてDXとの交信は無く3月11日を最後に殆ど出来て居ません。


 5月のGW明け頃から国内コンディションは上がり始め18~50MHz帯を中心に運用しましたが先程、ターボ・ハムログをチェックしてみたら此れまでの交信数は200局程度で非常に情けない結果に終わって居ます。頼みの綱の18~50MHz帯もお盆過ぎから国内の信号もパタリと聞えなく成り、時折信号が聞えても無線設備の良い日頃出て居る常連さんばかりで目新しさは無くワッチだけに終わる毎日です。


 そんな状態の中、先週の土曜日でしたか?久し振りに04時頃に7MHz帯を聞いて居たらEU方面のDX局が可也強力に聞えて居たので如何やら秋型のコンディションに移行して居る感じで?当局も週末以降は運用形態を早朝ワッチに切替えています。今朝も7MHz帯(SSB)はEU方面が聞えて居ましたし移動局が運用して居る周波数帯では此の時間はノイズばかりの状態ですが今朝は06:20JST頃から国内の移動局の信号が何時に無く安定に聞え始めて此の前後の時間帯でDX向けから国内向けへのコンディションに切り替わっている様です。日中が暑い此の時期は04~06時の時間帯に1時間程の散歩をして居ましたが此の日曜日からは散歩を日没後に切替えて此の時間帯を無線の早朝ワッチに当てています。


 昨日の20~22時前頃に144MHz帯(SSB)を聞いて居たら何時もは聞えない6エリアの信号が安定に聞えて居たので今朝は試し
に18MHz帯を聞いてみたら11時前までは国内の信号が何局か聞えて居ましたが11時を過ぎた辺りで急にフェード・アウト・・・・・何れの周波数帯もコンディションの変り目で、其の把握が難しいですが段々と涼しく成って汗をかく事無くワッチが出来る時期の到来、可也の遅れを取り返す為にも頑張らねばと思う今日此の頃です。

 ガラクタ無線機の嫁ぎ先が確定か?

2019年08月29日 07時46分16秒 | アマチュア無線

 昨日、旅グループの姉から電話が掛かって来て「長男が帰って来てお土産があるから取りに来て」と連絡が在った。甥は中学生の頃の夏休みに男ばかりの三兄弟で泊まりに来た事もあったので家内側の甥や姪の中では一番親交のある方、又、其の時の影響か?天体観測やアマチュア無線に興味を持って居て天体観測は私より遥かにレベルが高く100万以上する望遠鏡を購入し星の写真を撮ったり、アマチュア無線の方は就職してから資格を取得して居た。


 彼は大手損保会社に勤務する転勤族の為にアマチュア無線の方は少し遠ざかって居たが今年のGWに帰省した際にモービル・ハムを楽しむ為に三級の移行試験を受験して受かったと言って居たので「何れは家も在る事だし徳島に帰って来るのだったら?今の内に2級を受験してみたら」と勧めてみたら興味は持った様子だった。今回、電話で少し話したら「此の前に2級を受験して自己採点では合格点以上を取れて居るので多分受かったと思う。」との話をして居たので私が「此方はそろそろ終活準備をして居るので必要だったら殆ど使用して居ないU・VHFの固定局のリグがあるので使ったら?」と言ったら喜んで居た。「今日、今から其方の家に行くので車で帰って居るなら持って行くよ」と言ったが今から帰る予定らしく時間が合わず次回に帰省した時に手渡す事にした。


 U・VHFの無線機はTS-790のフルオプション機とIC-970のフルオプション機に其れ以外にシングル・バンドの弁当箱タイプのトランシーバーが3~4台は転がっている筈、最近、此れ等の処分の事でオークションに出品す事も考えたが出品する為の作業が煩わしいし、万一、後々トラブルが在ると面倒なので興味を持って居て価値が解かる身内が使ってくれるなら云う事なし(奥さんには迷惑がられるかも?)其の内にHF帯にまで興味が広がれば我家のガラクタ無線機を全て引き取ってくれる可能性が出来て来た。彼は55歳位なので早ければ7~8年でリタイヤか?私の寿命が其の時期まで続くと上手くバトンタッチが出来るかも知れない等と勝手な事が頭に浮かんだ。



 年季物のトランシーバー如何にか復活

2019年08月28日 11時29分01秒 | アマチュア無線

  


 昨年の年末に当局の使用しているIC-756PROⅡのトランシーバーのデイスプレイ部の表示で緑色が欠色した変な色に成ったり、何処か接触不良に成った様なトラブルが発生して「此れは愈々、御陀仏かな?」と思って居たら2~3日で其の症状は治まり、最近まで正常に動作して居ましたが盆前に再び同類のトラブルが発生したので本体を分解して調べて居たら操作パネルの裏のフレキシブル・フラットケーブルをコネコネしたら症状がぱっと直ったので如何やらソケットとの接触不良らしい感じ、ソケットの方は接触部をクリナー・スプレーで洗浄しフラット・ケーブル側は交換する事にした。


 少し前のブログにも書いたが同等のフラット・ケーブルの販売先を探すのに可也の時間が掛かったがインターネットは現物を部品写真で確認出来る事から非常に便利で此れを業者と電話対応で見付けると成ると一寸大変な作業と成り、今回はインターネットの便利さを凄く実感した。部品発注は盆前でタイミング的に最悪で、休みと台風の影響で部品入荷までは10日近く掛かって3日前位に漸く届いた。直ぐにフラット・ケーブルを交換して今日で3日目か?私と同じ可也ガタが来た年代物のトランシーバー、何とか正常に動作する様に成った。


 此のフラット・ケーブルは1個単位の注文が出来ずに届いた封書には20本も入って居た。今回は2本使ったので残り18本余って仕舞ったのでIC-756シリーズのトランシバー(多分殆ど共用と思われる)を使用して居る方で必要ならコメント欄で申し出て頂いたら無償で差し上げます。

 24ピンのフレキシブル・フラットケーブル ピッチ1mm、幅25mm、長さ150mm(純正部品は100mm)

国、内外供にコンディション悪過ぎ!

2019年08月27日 15時52分24秒 | アマチュア無線

  


 最近は無線をワッチする時間が随分と短く成って仕舞って居る。其れでも在宅時は1日に4~5回は断片的にワッチはして居るのだが18MHz帯から上の周波数帯では何時聞いてもノイズが聞きえるだけで7月中に18MHz帯で毎日聞えて居た北海道のOMさんの信号も最近は聞きえずハイバンドの国内コンディションは既に落ちてしまった感じ?ハイバンドのコンディションが駄目な時はバンド・スイッチを7MHz帯に切替えてワッチしてみるのだが此方も可也、国内コンディションは悪く、新手のアワードを対象とした何時もの移動局の信号は聞えるのだが其の信号レベルは弱くノイズ混じりの信号レベルで聞く事も無く直ぐに無線機の電源を落とす事に・・・・・・・


 現在時間でもハイ・バンドはノイズばかりでNG、聞く周波数が無いので7MHz帯(SSB)を聞いて居るが7.051MHzで6エリア局のCQが聞えるのと7.090MHzで北海道の局がQSOして居るが相手の局(愛媛県内子町移動)の信号は断片的にしか了解出来ない。其の局を呼掛けて居る北海道と沖縄の局の信号は聞えるが如何やら其れ以外のエリアは当地ではスキップして居る感じがする。先週の土曜日の早朝にはDX局が強力に聞えDXがフェード・アウトしてからは国内が強く安定に聞えて居たのでコンディションの変化の兆しか?と今週からは期待して居たのだが、そうでも成さそうな感じである。


 此の夏は7MHz帯で運用する事は少なく、殆どがワッチのみで終わって居た感じがしたので先ほどターボ・ハムログを開け交信実績をチェックしたら6/9の18MHz(CW)の交信の後は8/3に50MHz(SSB)で山梨県の鳴沢村(17008G)と交信しただけで此の50日間で交信数は僅か2局で終わって居る。


 現在時間の16:51JSTに成って漸く7MHz帯の国内コンディションが開き始めたのか?バンド内が徐々に賑やかに成り始めた。


 



 

 遠い富良野産のスイカの味

2019年08月26日 20時17分29秒 | その他

  


 此の前に私の好きなスイカが食べたく成って果物屋さんに行き、どのスイカが良いか物色して居たら店の主人が「味を云うなら此れが一番!」と指差したスイカを見ると北海道の富良野産のスイカ、少々小振りなスイカだったが遠い北海道から来た割には値段も余り高く無かったし何より「富良野産」のブランド力は大きいので迷う事なく買う事を決めた。


 私が利用している果物屋さんでは石川県産や西日本産のスイカを見る事が多かったのだが此の店で北海道産のスイカを見掛けたのは初めての事で在ったし、先月に訪れて居たあの遠い北海道の富良野と取引して居る事は意外で在った。北海道がスイカの名産地である事は初めての北海道旅行で岩内方面の雷電スイカを初めて見るまでは全く知らなかったし、本来スイカは暑い所で育つ物と思い込んで居た私には何で北海道が名産地なのか?全く意外であった。其の時の旅行中に私が「道の駅 当麻」で見た初めての雷電スイカは数万の値札が付いてビックリした事があったが其処で聞いた話では北海道は全国有数のスイカの名産地であるらしい。


 スイカは中身が見えないので素人では其の味はスイカを割って見なければ解からないので店の人の見立てを信じるしか方法は無いが、良いと進められた物を買って帰ってスイカを割ってみて期待を裏切られるケースは結構ある。今回はネームバリューの在る富良野産のラベルを信じて買って帰ったが流石に大型農業の本場の富良野産、其の期待を裏切る事は無く本当に甘く美味しいスイカであった。考えてみると当然、遠い北海道からの輸送コストを考えれば近場の産地からの仕入れが有利な筈、其れなのに輸送コストが掛かる北海道から態々仕入れるだから矢張り品質が安定して良く、業界で信用されて居る証拠なのだろう。「富良野産のスイカ大いにあり!」と思った。

愈々、本気になったループ・アンテナ化

2019年08月25日 22時02分24秒 | アマチュア無線

        


 最近の朝夕は暑さも和らいで来ましたが其れと供に早朝の7MHz帯でDXの信号も強く入感し始め夏型のコンディションから秋型のコンディションに変化して居る様子です。昨年の暮れから今年の冬は3.5MHz帯でDXの真似事をして居ましたが如何せん3.5MHz帯のアンテナはタワーから吊り下げた逆Vアンテナではロシア辺までの信号は何とか受信出来てもEUやAFの信号と成るとノイズの中で浮き沈みするレベルで殆ど聞えず御手上げ状態でした。


 如何も此処数年間のハイバンドのDXコンディションは冴えず、今年から来年に掛けてDXは3.5~7MHz帯位しか期待出来ないので3.5MHz帯のアンテナを少しでもレベルアップせねばと考えて3.5MHz帯のループ・アンテナを計画して居たのですが何せ暑い時期には作業する気にも成れず頓挫していました。


 最近の朝夕は少し涼しく成って来たので最初の写真の畑(アンテナ置場)に在る廃材利用の28MHz帯の6エレ八木を先日に先ず分解して其の後にループアンテナの両サイドのポールに使用する4mの単管を分解する作業と畑の中に鎮座した廃車したチェイサー(家内に見付かるとヤバイ無線関係の物置に利用して居た)を処分して畑を元の状態に戻し、今朝の10時過ぎから畑全面の草刈をする事にした。作業を始めた頃は曇り空でまだ良かったが正午の時間帯はお日さんが顔を出して暑い事暑い事、作業は休み無しで続け作業が終わったのは14時を廻って居た。


 計画して居るアンテナの両端のポールには4mの単管を立てて其の上に3m前後のカツオの釣竿を乗せる予定(単管と釣竿の元径が合わないので2m程のアルミパイプで異径を合わせて接続)で両サイドが高さが約8mH位の予定で此の高さだと三角形の形をしたループの底辺部分のエレメントが如何しても垂れ下がるので調度中間点に以前に移動運用に使用していた伸縮ポールを立て最高で10mHまで状況に応じてエレメントを吊り上げる事が出来る様にする。此れだとループの形状は可也変形した三角形と成るが色々考えたが他に方法が無い。給電点は最上部にするか底辺の中央から給電するかは状況判断する。その意味でも此の伸縮ポール使用は便利である。


 カツオ一本釣りの釣竿はエレメントの絶縁と単管の影響を避ける為に3本使用する。



「沢山の思い出を有難う」北海道からの帰途に

2019年08月25日 07時41分30秒 | 旅行

        



 此の日の帰り道は洞爺湖の周遊道路から離れて有珠国道~尻別国道~支笏国道~樽前国道~支笏道を経て苫小牧市内へと進んだが此の時間では既にどっぷりと日が暮れて居り人家の無い殆どが山間か?と思われる寂しい林間道路をただ只管に走った。其の中でも尻別国道に入ると霧が発生して視界が悪く、其の状態は苫小牧市内へ入る手前まで続いた。


 其れにしても今回の旅行は前半の旭川市内観光以後の旭岳温泉、オンネトー湖、パンケトー湖、摩周湖、裏摩周、美幌峠、知床峠、等の標高のある観光スポットでは全て濃霧の影響で素晴らしい景観は見られず殆どが全敗に終わった。考えてみると旅行のタイミングを北海道の花々の最盛期に合わせた事が道央や道東の観光スポットの観光にはそぐわ無かった様で霧の影響は最後の最後まで続く事に・・・・・・過去の北海道旅行は5月中旬から6月の中旬辺りが多く、矢張り此の時期でも霧の影響はあったが此れ程までに酷くは無かったので此の時期は高地の観光には向いて居なかった様だ。


 苫小牧市内に入ったのが20時頃で「愈々、北海道内、最後の夕食、さて何処に行こうか?」と家内に尋ねたら「7泊中に食べるに食べて体重が2Kg以上も増えたので今晩は軽く行きましょう。」との御意見だったが走行中に「びっくり・ドンキー」の看板を目敏く見付け「此処、此処!」の指示が出て其の店に入る事に成った。義姉は80歳だが毎日ジムに通いプロティンを飲む程の健康志向派だが此方も旅行中の体重増加を可也気にして居たらしく、取敢えず此の場の雰囲気を壊しては悪いと思ったのか?同じメニューを選んだが其の料理の半分以上を「マコちゃん、此れを食べて」と分けると家内は「有難う!」と嬉しそうに全て平らげた。「何処が今晩は軽く行きましょうなのか?」と思ったが不用意な発言で地雷を踏むのは拙いと口出しは止めたが家内の「宵の物は残さない。」的な食欲は凄い。


 苫小牧東港から出航する帰りのフェリー便は「すずらん」で0時前に出航したが「此れが最後の北海道か?」と思うと私も ちょっくら感傷的な気持ちに成りゆっくり流れる街明かりを眺めて居たが家内は既に極楽浄土か?眠りに入って居た。此の時の帰り便の航行する日本海に向けて九州方面を抜ける台風が北上する可能性が在ったので船に可也の影響が在るのでは?と心配をしたが流石に大型船、殆ど揺れる事も無く、敦賀港までの船旅は順調其の物で定刻の20時30分に一寸蒸し暑い敦賀港に入港したら快適其の物だった北海道から漸く帰って来た事を実感した。


 最初の写真は船長服で記念撮影が出来る場所だが残念ながら私の体型では合わずアウト、二番目は新卒の社員か?此の船の「ビンゴ大会」の進行役を務めた初々しいお姉さん、進行中に同乗船した大勢の陸上自衛隊の若い隊員さんに、ちょっかいを入れられ、照れながらも道産子弁で可愛い対応をして居た。ビンゴ大会も今回で6回目の参加だったが女性の進行役は初めて、最後の写真は行きの船上(すいせん)から秋田沖で対向した時に私達が帰りに乗船した「すずらん」を撮ったもの、長い様で短かった北海道の旅は終わった。


 


 

 綺麗だった洞爺湖の夕日!

2019年08月24日 19時23分41秒 | 旅行

      


 洞爺湖の浮見堂を出発して洞爺湖畔で一番賑やかな大きなホテルが建ち並ぶ洞爺湖温泉街を抜けて洞爺湖観光果樹園の前に差し掛かった時にちょうどサイロ展望台方向に沈み掛ける綺麗な夕日が見えて女性達が「夕日が見たい!」と言い出し、御要望にお応えする為に果樹販売所の駐車場に車を停めて暫く夕日が沈む様子を見る事にした。


 今回の旅行中の此の時間だと毎日、既にホテルのチェックインを終えて夕食が始まって居る楽しい時間帯なのでユックリと夕日を眺める事は無かったが此の日は深夜に出航する新日本海フェリーに乗船する日で此の段階で道内の観光も全て終り、後は苫小牧東港までの途中で夕食を食べるだけ、昨日までの様に時間に追われる事も無かったので三人で心行くまで夕日が沈んで行く様子をぼんやりと眺めていた。


 太陽がカルデラ湖の外輪山に沈む少し前は洞爺湖の対岸から此方の岸までの湖面に一直線の光の帯が出来て非常に綺麗だった。そして太陽が山陰に姿を隠し始めると其の光の帯は段々と消えて細く短く成って行く様は調度私達の「楽しかった北海道内の旅行も愈々今日で終りか?」の気持ちと自然にリンクして寂しい気持ちに成って仕舞った。そして多分、再び北海道の地に訪れる可能性がない事が解かって居るだけに私は道内で最後の夕日を精一杯此の目に焼き付けた。


 


 


 

洞爺湖畔の「浮見堂」

2019年08月24日 09時38分37秒 | 旅行

       


 洞爺湖サイロ展望台を出発し少し北上した後に洞爺湖町の役場の在る方へ下って行った。此の地区には四国の香川県の財田町の人達が開拓者として入植して其の中の大久保翁は私財を投じて洞爺湖町の開拓に尽力し「洞爺湖町(旧、洞爺湖村)の開拓の父」と尊敬され北海道内で四国とは御縁の在る場所と成って居る。私は此の事を全く知らなかったが2009年の初めての北海道旅行で洞爺湖芸術館を訪れた際に直ぐ前の公園で其の大久保翁の胸像の下に刻まれている碑文を読む中で財田(さいた)と言う此の珍しい名前を見付けて「もしかして?」と読み続けて其の事実を知った。


 洞爺湖は支笏湖と連帯した国立公園で有名だが先日の支笏湖のブログで書いた様に支笏湖は湖畔沿いの道路から其の湖面を見られる場所は少ないが此の洞爺湖には湖畔近くを周回する道路が通って居り、其の各所から洞爺湖の景観を楽しむ事が出来る。其の中でも矢張り有名な場所は写真の「浮見堂」であろう。浮見堂は洞爺湖に向かって突き出た小さい岬の先端に建って居り、其の赤い屋根の色から直ぐに目に付く建物で何時もなら見物する観光客の姿が在るのだが今回は時間帯が夕暮れ時期に成って居たので観光客は居らず私達の独占状態であった。



 此のお堂には大正時代の初めに北国行脚の僧から木造の聖徳太子像が贈られ其れを納めるお堂が昭和12年に建てられたらしい。私が初めて此処に立ち寄ったのは2009年で今回立ち寄ったのは10年振り(湖に面する前の道路は何回も通った)で以前に見た感じと少し違う様な感じがしたのだが?如何やら平成15年に落雷に合い焼損して現在のお堂は再建された物らしい。其れ以外に湖畔には至る所に最後の写真の様な芸術作品が展示されて居て観光客の目を楽しませて居るらしいが私には其の芸術性を理解するのは難しい。


 此の日は洞爺湖町の役場付近から有珠国道への合流点までの洞爺湖の西側湖畔を半周して苫小牧市方面に向かったが洞爺湖湖畔を離れる段階では日はどっぷりと暮れていた。






       

 西日に輝くサイロ展望台からの洞爺湖

2019年08月23日 15時05分53秒 | 旅行

        


 登別温泉を出て登別東ICから道央自動車道で虻田洞爺湖ICまで進んだ。私の過去の北海道内の一人旅では経費節減と急ぐ旅では無かったので有料の高速道路は全く使わなかったが今回は移動時間短縮の為に此の高速道路を使った事で走行中に初めて昭和新山の姿を近い距離で見る事が出来た。私が小学生の頃の記憶と思うのだが社会科の教科書に大きい昭和新山の写真が載っていて何故か不思議と?其の写真の事が印象に残って居て其の写真と保々同じアングルでの昭和新山が見えた時には一寸した感動ものだった。


 高速を降りて578号線で洞爺湖の西側を北上して洞爺湖の全景が見渡せる洞爺湖サイロ展望台へと向かった。上段の最初の写真が玄関側で建物全体が農場風の建物で特徴が在った事と保々真北の方向に遠景に「蝦夷富士」と云われる羊蹄山が綺麗に見えて居た。上の写真では山頂部分の左端が少し下がって富士山の稜線とは違っているが此の場所より西側に在る真狩村やニセコ町のニセコ・ビューポイントパーキング等から見た羊蹄山は流石に「蝦夷富士」と呼ばれるだけの富士山の稜線に良く似た綺麗な姿をして居る。


 建物の中を通り抜け外に出ると「サイロ展望台」の大きな看板の後ろに有珠山や洞爺湖の中島や遠く昭和新山が遠景に西に傾き掛けた陽に照らされて綺麗に見えて居た。此の展望台からは洞爺湖の絶景が見渡せる事で沢山の観光客で賑わって居たが此処も中国人観光客が大半で正に占拠された様な状態と成って居た。



         


 下段の最後の写真に一部赤土色の岩肌を見せる昭和新山の姿が画面中央右寄りに写って居る。 

 ひっそりと静かに佇む「倶多楽湖」

2019年08月23日 08時54分02秒 | 旅行

      


 登別温泉の地獄谷駐車場からの観光道路は「大湯沼」~「倶多楽湖」を結び、走行すると再び登別温泉通りに合流する周回道路と成って居る。然しあれ程に多い登別温泉地獄谷での観光客も大湯沼では見掛けても倶多楽湖畔で見掛ける事は少ない。大湯沼を出て細い道を暫く進むと林間にひっそりとした倶多楽湖が見え始める。今回も展望台には観光客の姿は全く無かったが私は此の目立たないひっそりと物静かな湖に魅力を感じる。


 此の湖は周囲8Kmと大きい湖ではないが水深が148mと深く、流れ入る川も無ければ流れ出る川も無い湖で此れは摩周湖と同じで然も其の水の透明度は日本一の摩周湖と肩を並べる19mで摩周湖とは違い水辺に人が近付く事が出来るのに此の透明度を維持している事は凄い。私達も試しに水際まで行き見て見たが水底の砂の粒子が解かる程の透視度で私が実家の環境計測会社のアルバイトで良く河川水の透視度検査をして居たが其処で経験した事の無い透視度であった。


 此の湖は景観上で特別な特徴は余り見当たらなかったが見た目で「随分丸い形をした湖だなぁ~」と思って居たら後で調べると日本国内で一番円形に近い湖と表記されていた。


 

過去に見過していた「大湯沼」

2019年08月22日 09時36分02秒 | 旅行

        


 地獄谷の駐車場を出て観光道路(350号線)を登って行くと峠を登り切った所に「大湯沼」を見下ろす場所(最後の写真)が在るので其処で写真を撮って居たら家内が「大湯沼の回りに道路が在るし、登って来る途中に大湯沼へ、の立て看板が在ったので引き返して見に行こう」と要望があり引き返す事に成った。


 広い場所でUターンすると少し下がった場所に右に下る道が在り其処を進むと大湯沼の駐車場があった。二番目の写真の様に直ぐ傍に水蒸気が上がったり場所に寄っては温度が高いのか?水面の一部がボコボコと泡立っている所も在り家内は「凄い、凄い!」と言い乍、暫くは其処を離れなかった。先程の地獄谷を見て廻った時には二回目という事も在ったのか余り興味は無さそうだったが?此の場所では少し興奮気味だったので家内の好みがよく解からない。後で感想を聞いたら此の日に訪れた観光スポットでは此処が一番良かったらしい。


 私が登別温泉に来たのは今回で3回目だが此の場所まで来たのは初めてで何故、以前に通った時に此の道に気付かなかったのか?不思議な感じ!もし家内が道路標識に気付いて居なかったら今回も此の場所を見過ごして仕舞って居た筈、家内のナイス・フォローで「奥の湯展望台」を含む初めての道内観光スポットが一つ増えた。


 

 登別温泉の「地獄谷」に行く

2019年08月22日 07時19分04秒 | 旅行

        


 支笏湖を出てセンターラインの無い林間の道路(多分ルート141)を通り可也走ると室蘭国道(ルート36)に出た。此の道を西に走り 義姉が未だ訪れた事の無い登別温泉へと向かった。


 駐車場に車を入れて地獄谷の木道を通って間欠泉のある一番先端までを往復して可也の観光客と出会ったが其の大半は大声で話をする中国人グループで日本人観光客が随分遠慮して居る感じがして「此処は中国か?」の感じに成って居た。


 此処には4回程訪れて居るが初めて訪れた時には見学用の此の木道は無く、温泉が流れて居る地面を直接歩いて散策できたが今は木道でしか見学出来ないので安全で便利に成った半面、面白さは半減した感じで、家内などは規模的に小振りだが直接硫黄や蒸気が噴出している所まで近ずく事が出来る弟子屈町に在る「硫黄山」の方がお気に入りの様だが義姉の方は先日の「硫黄山」には余り興味が無い様子であったが此処は熱心に見て廻って居た。姉妹といえども好みの方は少し違う様である。