黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

此の日一番の観光スポット「松本城」

2019年04月30日 13時30分23秒 | 旅行

        


 此の日の白馬村から南木曽の宿泊地までの観光コースでメインの観光スポットは松本城で女性達も非常に楽しみにして居た。安曇野の「穂高神社」を出発し松本城の駐車場に到着したのは13時頃、車は西側駐車場に入れて城の堀に沿って反時計方向に進んで太鼓門から城内に入った。


 此の松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで現存する5層6階の天守の中で日本最古の国宝の城で黒と白のコントラストがアルプスの山々に映え見事な眺めと成って居る。此処に訪れるまでは松本城の桜の状態が心配であったが城内外の桜は満開状態で見事であったが桜の本数や豪華さでは上田城の方が勝っている様に私には思えた。


 折角の機会なので天守閣に上がる事になったが天守に至る建物内に入ると中は狭い上に物凄い観光客で混雑して居た。特に4階あたりから階段幅が狭い上に勾配が急に成り然も各階段差が異常に高く高齢者には中々大変な状況で上がり下がりが同時に行えず階段の上下に待機したガードマンが上がり「上がりのみ」や「下りのみ」とコントロールして居たので天守に上がるには可也の時間が掛かったが天守に上がる価値は十分にあった。




        

 珍しい十島村(口之島)からの信号!

2019年04月29日 21時54分41秒 | アマチュア無線

     



 今朝は珍しく朝の6時30分頃に目が覚めた。其処で無線機のスイッチを入れて7MHz帯を聞いてみたら国内さえ まともに聞えないコンディションの中で少しノイズをかみながらCQを出す局が聞えて居たが「多分、7~8エリアの移動局だろう」とBGMにして鳴らして居たら其の局を呼ぶ局は複数局は居るのだが其れ等の信号は当局側でも可也のQSBがあり時折沈んで聞えなくなる状態に成って居た。御本尊局も最初の内は安定に受信する事が出来なかったが06:50JSTに成ると安定に聞え始めコールサインはJA1YVT/6の十島村とアナウンスして居たので此れは珍しい移動地なのでブログを書き込んで居た手を休めて無線の方に集中するする事にした。


 此の局を暫くワッチして移動先は鹿児島県鹿児島郡十島村(46006D)の口之島からと解かると此れは直ぐに呼掛ける事にし06:56JSTに応答があり59-59でQSOする事が出来た。十島村からの移動運用と成ると年間に1~2回有るか無いかのチャンスなので今朝は偶々聞いて居たので非常にラッキーな事と成った。今後、此の島以外の十島村の2島から運用する情報を御本人から聞いたので今回の休暇中は要注意である。

 穂高神社に行く

2019年04月29日 14時40分20秒 | 旅行

        


 白馬ハイランド・ホテルを出発して長野オリンピック大会で使用した「白馬ジャンプ競技場」を見学した後に「道の駅 白馬」に立ち寄り女性達は買い物を楽しんだ。其の後は千国街道を安曇野方面に南下、途中の青木湖と木崎湖では車を停車して湖面をバックに記念撮影をし、道の駅「安曇野松川」へと向かった。此の時間帯に成ると白い雲は浮かんでいたが真っ青の空が広がり雪を被ったアルプスの山並みが何処でも綺麗に見えて居た。「道の駅 安曇野松川」では外に出ると暑い位の日差しで少し汗ばんだが一寸木陰に入ると心地良い風が吹き抜け清々しい。


 女性達は旅の道中で「道の駅」が見えると必ず寄りたがって、地元の物産店内を見るのが一番の楽しみの様だが此処では珍しく買い物無しで車に帰って来た。其の後に安曇野の「スイス村」(食事や買い物が中心の場所)に行く事を予定して居たが「如何ですか未だ買いたい物が在りますか?」と尋ねたら「土産物なら買い終わりました。」の返事に急遽、訪問先を変更して箕輪の方が勧めてくれた「穂高神社」へ向かう事にした。


 「穂高神社」の場所は直ぐに解かったが神社の前は小洒落多た通りで鳥居は見えたのだが鳥居の通路が狭く(写真は駐車場から撮った物)、奥が良く見えない状態で鳥居の中には車は入れない物と思い込み、入口を見過ごして仕舞い駐車場を見付ける為に周辺でウロウロして仕舞ったがゆっくりと引き返してみて漸く此の駐車場に気付く事と成った。如何やら歳を取ると自分勝手な思い込みが強く、時々、此の様な失敗をして遣らかして仕舞う。


 満開の桜と長寿と健康に御利益の在る健康長寿道祖神に迎えられ東側から神社内に進むと古くからの伝統格式のある神社なのに新しそうな見事な本殿や神楽殿があり少し驚いた。後で調べてみたら20年に一度、本殿一殿を造り替えて新しく清らかな本殿に御神体をお遷しする大遷宮祭と大遷宮祭の20年間に2度(7年目、6年目)本殿を修理・洗浄して御神体をお遷しする小遷宮祭を行い、常に新しく清らかさを保って居る事が解かった。



         


 此処には1時間半に渡り滞在し願い事は私達の事では無く、子供達の健康と孫の都の健やかな成長を祈願した。 

 思い出の八方尾根スキー場

2019年04月28日 22時30分13秒 | 旅行

      



 私が長野県に初めて訪れたのは私が21歳の春であった。大阪のラジオやテレビを生産する会社に勤務して居たが此のブログの最初に書き込んで居る様に仕事は嫌いでは無かったが「若気の至り」と云うべきか?大好きだったアマチュア無線が学生時代の様に大阪では自由に出来なかった事が可也のストレスと成って居た。当時の私には「アマチュア無線が出来ない生活等は意味無い物」と考えて居たが流石に就職仕立ては無理と我慢して居たが3年間務めて其の可能性が極めて低い事を実感した時、最終的に思い切り無線が楽しめる田舎に帰る事を決断した。


 退社日から最後の給料(三月分)を貰うまで1週間近くの待機期間があったので気持ちの整理も含めた一人旅をする事を思い付き、其の頃に既に始めて居たスキー道具を担いで大阪から北陸本線の夜行列車で新潟県糸魚川市まで行き糸魚川から大糸線で白馬村の駅に降り立ったのは翌日の朝の8時頃であった。其の当時(1970年頃)の白馬駅から民宿の細野まで向かう沿道は田園が続く田舎道で当時はスキーヤー憧れの八方尾根スキー場では在ったが現在の白馬村周辺とは全然様相が違って居た。(良い意味での田舎であった)


 此処で1週間近くスキー三昧をして此の村が大好きに成り次のシーズンは此処でアルバイトしながらスキーの技術を磨く事を真剣に考え始め最終的には何処かのスキー場のパトロール隊員に成る事が私の夢と成った。其の後、徳島に帰り居候をして居たが若者が何時までもブラブラして居るのは世間体が悪いので就職活動をして居たら其の年の9月頃に思わぬ良いチャンスに恵まれ、徳島で勤務出来る会社から採用通知が来て前記の事も在ってどちらを選択すべきか?随分悩んだが最終的に徳島で就職する道を選んだ。今と成っては此の事に全く後悔はして居ないが、もし此の事が無かったら可也の確率で私は信州に移り住んで居たに違い無いと思うので今でも長野県は私の一番好きな憧れの県と成って居る。


 実際に其れから結婚するまでの8年間は毎年、正月は野沢温泉スキー場へゴールデン・ウィークの休みには八方尾根スキー場の春スキーを楽しむ事に精を出し、結婚する時には全く貯金が無く親爺に「其れでよう結婚するなぁ~」と呆れられた。然し其の変わり当時有名であった長野県内の志賀高原の全スキー場、栂池、野沢温泉、八方尾根、etcと保々廻って当時の「スキーの三壁」と言われた難コースの野沢温泉の「シュナイダー・コース」赤倉の「ジャイアント・コース」そして八方尾根スキー場の「牛の首コース(一寸名前はおぼろげ・・)現在の黒菱ゲレンデ」を滑り降りる脚前?には到達した。結婚してからは此れを続けると生活が成り立たないと断念した途端に今度はアマチュア無線熱が嵩じて現在に至って居る。


 今回、白馬ハイランド・ホテルから見える八方尾根スキー場を眺めて居ると若い頃の沢山の思い出が鮮明に甦って懐かしかったが物事良い事ばかりで無く急斜面を滑り降りる為にビンディングの開放圧を強めにして滑って居た為に急斜面でスキー板が上手く外れない侭の大転倒を繰り返して居た為に脚に負担が掛かり左足のくるぶし辺りの痛みや腰痛は日常毎で今回の旅行中の宿泊先で下蒲団下にマットレスが使用されて居ると寝られず畳の上やカーペットの上に直接寝て上布団のみで寝なければ成らなかった。兎に角、柔らかい蒲団では寝れない。


 今回の旅はスキーから離れての5回目の信州方面の旅と成ったが年齢的には最後かも知れないし、家内の希望も在ったので漸く実現したが最初の日の景観は今一で在ったが翌日は素晴らしい天候に恵まれ青空の中、今まで見た中で一番の北アルプスの山並みが私達を見送ってくれた。


 


食欲が旺盛に成った都ちゃん

2019年04月28日 14時36分56秒 | 都ちゃん


    



 先週の週末に「信州のお土産が在るので都を連れて来る様に!」と息子に電話を入れたら「都は風邪で熱があり体調不良で今週は無理なので会社の帰りに貰いに行く」と言ったので私が「都ちゃんに直接手渡す為に買って来たので御前では駄目だ、都を連れて来い!連れて来ないなら此方で食べて仕舞うぞ!」と言ったら電話の向こうで息子の笑い声がした。


 そして昨日の午前中に一週間遅れで都が「爺ちゃ~ん」を連発しながら我家にやって来た。私達の息子は30年間も確りと面倒を見たのに我家から僅か800m位しか離れて居ない会社に徳島市から毎日通勤していながら我家には全く立ち寄らないので私の愛情の対象は息子から都ちゃんに完全に切り替った。従って都ちゃんへの土産物を息子に渡しても都ちゃん本人には未だ解からないので今回からは此の方法を取る事にした。


 今回の土産物を渡しても其れを理解出来る年齢に達して居ない都ちゃんへの得点稼ぎに今回も焼きプリン、アンパンマンのりんごゼリー、チーズケーキー等々の物量作戦を実施する事にしたが効果覿面で都ちゃんは在宅中、終始ニコニコ顔であった。向こうの家庭には向こうの「子育て方針」が在るのだろうが?私達が月に1~2回程度会う機会では、此の事はそう害には成ら無いだろうし兎に角、そう長くは無いお付き合いと成る孫とは、「遣った者勝ち!の好かれる爺ちゃん路線」で行く事に決めた。


    


 帰る前の夕食の「チャーハン」は息子用に大皿を、都ちゃん様に小皿に盛った物を用意したが都が取ったのは大皿の方で家内が「此方が都ちゃん」と言って小皿の方と交換したら都は不服そうで其れを見た息子がスプーンで大皿から小皿に何杯か移すと納得した様子で其れを食べ始めた。こんな幼子でも量の多い方を選ぶ欲があるのだ!と感心したと同時に其の食欲の旺盛さに驚いた。チャーハンをたらふく食べ終わって満面の笑顔で、ご馳走様状態の都ちゃん(二段目最初の写真)と夕食後に食べる予定のケーキはお土産に持って帰らす事にして家内が冷蔵庫から取り出す所を都ちゃんがバッチリ見付けて目の色を変えたので「此れは御土産に!」とレジ袋に入れて居たら自分で持って帰るとアピールし、チャイルド・シートに座っても此れだけは最期まで手放す事は無く、御機嫌状態で「爺ちゃん婆ちゃんバイバイ」と言って帰って行った。

 今回の旅行のメイン「白馬村」

2019年04月27日 08時23分19秒 | 旅行

        



 小川村の大洞高原を下りながら途中にある数箇所のアルプス展望台に車を乗り入れて北アルプスの景色を眺めたが此の日の天気は雲が多かった性で山並みの景観は以前に見た時と比較すると一寸物足りなさを感じた。其の後に長野市から白馬村に通じるオリンピック道路に出て「道の駅 おがわ」に立ち寄ってから白馬村に向かい此の日の宿泊地である写真の「白馬ハイランド・ホテル」と向かった。


 今回、此のホテルに宿泊を決めたのはホテルの部屋からの眺望が大洞高原付近のアルプス展望台とは標高差が300m程の違いはある物の遜色無く「白馬連峰(後立山連峰)」が望める白馬村一番のビュー・スポットだった事にあった。私達の部屋はアルプス側を取って居たのでホテルに到着後に刻々と変化する山並みを窓から眺める事は出来たが残念ながら窓は雪国独特の二重窓に成って居て外側の窓は開ける事が出来ない構造で写真撮りには不便な為に次の日の早朝には4時半過ぎから後ろの山側を70m程登り冬場はスキーのゲレンデに使用するのか?下草が綺麗に刈り取られた其の最上部で日の出の時間を待つ事に成った。


 此のホテルの予約段階での対応は素晴らしく、数日後にパンフレットが送られて来て、露天風呂の前に水を張ってアルプスの山並みが水面に映る趣向は家内が気に入って居たし、女性達の旅の楽しみである食事も今回の泊まった宿の中では一番美味しかったし、何より何時も正面に此の日本を代表する北アルプスの景色が眺められる事は何物にも代え難い魅力で残雪が少なく成る時期(夏場)に再度訪れてみたいと思った。

 アルプス・ドームからの北アルプス

2019年04月26日 18時59分08秒 | 旅行

        



 戸隠中社を出て宝光社まで下がると如何も女性達は此処もお参りしたそうな様子であったので、私は取敢えず駐車場に車を停めて女性達は上りの階段の様子を確認に行った。



 私は以前に此処を上がった事が在ったので杉に囲まれた小高い丘の上に本殿があり、其処に至るには約270段にも及ぶ石段を登り切る必要がある事を知って居たので、後は女性達が其の現状を見て如何判断すかに任せる事にした。女性達は下から石段を見上げながら暫く話をして居たが、やがて上から降りて来た2人組の女性達と二言~三言、話をしたら車の方に帰って来たので私が「如何しますか?」と聞いたら即座に「今回はパス!」と返事が返って来た。降りて来た方の話では「可也厳しいですよ!」との話で女性達は諦める事にした様子・・・・・・・此れも又、最終的には賢明な判断と成った。



 宝光社を出発し鬼無里に至る途中に「大望峠」と云う写真スポットが在るので其方に向かったが現場に着くと以前(2011年)に小原さんに案内された時は早朝だったので下界には雲海が垂れ込んで雰囲気のある写真を撮る事が出来たが、今回は夕方前に立ち寄ったので以前の様な雰囲気は無く、車を停めて周囲を見渡す程度に終わった。其の後は鬼無里支所の前の小さい橋を渡り小川村に至る峠道を登り始めた。此れは2010年に小川村での移動運用地の大洞高原(1004mH)の様子を見る事と其処を少し西側に下がった「星と緑のロマン館」の展望台からの北アルプスの見事な景観を家内に見せる為だったが残念ながら北アルプスのバックには白い雲が立ち込め然も山並みには可也の雪が残って居た事で山の稜線が確りせずに残念な結果に終わった。



 人間の目では其れ成りに綺麗に見えたが(コントラストは弱かったが)写真では自分の目で見た感じに程遠い物と成ったし、イメージ・センサーに紛れ込んだ小さい塵が付着して画像に映り込んで居て後で解かったのだが大失敗の巻と成った。


 徳島に帰って来て小さい異物を吹き飛ばすカメラ用のゴムポンプ・ブロアーを探し廻って此れを使って今日の夕方に此の問題を解消したが黄昏爺さんの視力も可也落ちて居る事を実感!イメージ・センサーには可也の倍率の天眼鏡で漸く確認出来る程度の異物が付着していた。日頃の撮影時はカメラのモニター画像で確認せずにビュアーで見て確認し写真を撮って居たので結果として気付くのが遅れた。残念だが今更如何しようも無い。


 其れから小川村は此処からオリンピック・ロードに至る道中の麓までには桜の名所が沢山点在するのだが今回の旅の戸隠、鬼無里、小川村、白馬村方面では桜の開花全く見られずに蕾も未だ固い状態で花が咲き始める時期が想像出来ない状態であった。




 戸隠中社に行く

2019年04月25日 23時15分51秒 | 旅行

      


 鏡池への周回道路を一回りして戸隠奥社からの道との合流点に戸隠中社の西参道駐車場があり今回は戸隠中社の参拝をする事に成った。観光的には奥社や宝光社の方が魅力的であったが両社共に急な階段や大変な距離を登る事に成るので今回は女性陣の体力を考えて無難な戸隠中社を選んだが此れは賢明な選択と成った。


 戸隠中社内は部分的に残雪があり可也足場も悪かったが駐車場からの参道は階段も無く距離的に短かったので楽に参拝する事が出来た。此処の御神木(最後の写真)は樹齢700年程らしく御利益がありそうで確り触れて来た。


        



  

訪問が一寸早過ぎた「鏡池」

2019年04月24日 19時15分51秒 | 旅行

        



 善光寺の北駐車場を出て西の方角に進み長野西高校の横を通過した後にスノー・セルターのある急勾配の九十九折の坂道を登り詰めると、やがて見覚えのある広い道の戸隠バード・ラインに合流した。私は過去の移動運用時(2010,2011年)に無線関係の知人が所有する品沢高原にある別荘に何回か泊めて頂いた事で此の方面には数回訪れて居た事から此の戸隠、鬼無里、小川村周辺の道路は以前に可也迷いながらも走行して居たので今回は8年振りであったが道に迷う事無く、戸隠神社の宝光社まで進んだ。



 今回、態々、此の善光寺~戸隠バード・ライン~大座法師池~鏡池~戸隠神社~大望峠(鬼無里)~アルプス展望広場(小川村)~白馬村に至るコースを選んだのは私が未だ訪れた事の無い「鏡池」を見たかった事と、白馬村方面に至る道中で「日本で一番景色が美しい村」と云われる小川村の「星と緑のロマン館」前の展望広場からの北アルプスの絶景を是非家内に見せたいと思ったからであった。実際に此の場所からの北アルプスの景色は圧巻で私が初めて此処からの景色を見た2010年の5月21日には其のスケールの大きさと余りの美しさに30分間程、此の場所に立ち尽くした。此の様な感動を覚えたのは北海道の摩周湖の絶景と此の場所からの絶景が私の中では1~2位を争う。



 鏡池の景色に関しては移動運用中に何時も御世話に成って居た小原さん(JL1ERJ)から秋の頃は木々の紅葉が進み戸隠の山々が水面に映って素晴らしい景色と聞いて居たので一度訪れたいと思いながらもチャンスが無かったので今回は一寸季節外れの感は在ったが?訪れてみる事にした。宝光社へは南側から進み少し手前で左折して最初は細い一本道を進むと二番目の写真の唯一の建物「どんぐりハウス」が見えて来た。道路脇には5台程の乗用車は駐車して居たが観光客の姿は見えず周囲は白一色の世界で池の水も積雪で全く見えない状態で女性陣が如何反応するのか?心配したが2人とも「綺麗な景色!」と雪解けで足元の悪い中を直ぐ近くまで歩いて降りて暫く景色を楽しんで居た。其の後に「どんぐりハウス」でコーヒーでも飲もうと建物に向かったら中から美人の女性が現れて「御免なさい!20日から営業予定で現在準備中でお休みです。」との事、残念ではあったが次の戸隠神社中社へと向かったが途中の一番標高の高い場所では1300mHも有り雪の多い所では2m位のザラメ状の残雪が残って居たが路面は雪解けの水が沢山流れる状態だったので遅くても今月の後半には雪が解け切り、愈々観光シーズン到来なのだろうか?今回の訪問は残念な事に時期的に一寸早過ぎた。


 

 初めての善光寺参り

2019年04月24日 10時51分27秒 | 旅行

        


 上田城を出発して上田菅平ICから高速道路に入り須坂長野東ICで降りて善光寺に向かった。此処は昔から「牛に引かれて善光寺参り」と言われる程に有名な観光地、私は何十回と長野県に訪れながら今まで善光寺には一度も訪れる機会は無かった。然し此処は不幸にして道路を横断中に交通事故で亡なった母親の霊を慰める為に父親が善光寺に出向き「永代供養」の御願いをして居る場所なので、何時かは訪れねばと思いながら延び延び状態と成って居たが此の歳に成って今回、漸く其れが実現した。


 生前の父親からは「家内は末代まで何が在ろうと善光寺で永代供養して貰える様に御願いして来たが、もし善光寺に出向く事が在れば寺事務局に住所と名前を申し出れば何時でも上まで上げて貰え、其れ成りの対応をしてくれる筈だ。」と言って居たが今回は善光寺の本堂に入ったらお賽銭を投げ入れるにも人垣を掻き分掻き分けなければ出来ない程の人出で本堂は大変な状況に・・・・・従って此の人出では寺事務所に届け出ても可也の待ち時間が掛かりそうで今回は一般客として参拝する事にした。


 本堂を出て山門に至る境内では沢山の参拝客で賑わって居て特に外国人の多さが目立った。其の中に結婚の前撮り写真か?何組かのカップルを見掛けたが其の中に外国人カップルも居た。此処では都へのお守りと御土産を、家内は自分の一寸高い翡翠のお守りを買った様だが私には何も無かった。



        







   

 上田城に行く

2019年04月23日 19時15分09秒 | 旅行

        


 17日は鹿教温泉を出発し上田市にある上田城へと向かった。此の城は昨年の大河ドラマのタイトル映像で良く見て居た場所で長野県に行けば是非訪れたい場所で私も家内もじっくりと見学したい場所であり、此処には9時頃に到着して午前中は城内や上田市立博物館内を隅々まで見学して回った。桜の開花状況も正に満開状態で沢山の花見客で賑わって居た。見学が終わったのは12時を過ぎて居て駐車場に戻ったら駐車場に入る沿道には駐車場の空きを待つ自動車が延々と続いて大変な状態に成って居た。毎回、旅行中の朝方は腰の重い女性陣だが此の日は此れ等を予測して08時に宿を出発したのは大正解で、もし出発が1時間遅れて居たら駐車場の空き待ちで此の日の行程は滅茶苦茶に成って居た筈・・・・・しかし女性陣の朝方の準備って何故あれ程に時間が掛かるのか不思議?何時もの事だが毎回イライラする。敵わんわ!


        


 此の日は天気も良く桜の花弁も全く落ちて居ない桜としては最高のコンディションで、お堀端には三脚に高額な望遠レンズを装着したカメラが20台程ズラリと並び其々が思い思いにシャッターを切って居た。

 ビーナス・ラインからの素晴らしい景色

2019年04月22日 11時18分25秒 | 旅行

        


 諏訪大社本宮を出発した私達は諏訪湖の東側に向かって北上し諏訪元町の交差点を右折してルート40へ入り霧が峰方面(ビーナス・ライン)と進んだ。長野県内への旅は多かった私だが其の殆どがスキー場巡りで観光旅行を始めたのは退職をしてからで此の霧が峰や白樺湖を未だ見た事が無かった為に私の思いで今回の旅行に組入れた。


 此の交差点が海抜で770mHで其の後10Km程の走行で車山駐車場に(最初の写真)到着したが此処の海抜は1798mHで写真の右端辺りで最高点の1800mHに達した。予想して居た寄りも積雪量は少なかったが此の高さに成ると残雪が有り女性陣は四国では滅多に見る事が出来ない雪景色に感動して居た。


 此の日は雲一つ無い素晴らしい天候に恵まれ其の後の富士見台の駐車場では南アルプスの山々や富士山の勇姿を見る事が出来たが(三番目の写真の右端は富士山)残念な事にデジカメのイメージ・センサーに塵が付いて居た様で今回の旅行中の写真には単色の部分にはシミ状に写り込んで大失敗の巻と成って仕舞った。今回は荷物に成るとノート・パソコンを持って行かなかった事で此の状態に気付くのが遅れ、旅の後半の部分で気付きイメージ・センサーのクリーニング機能を何回か行ったが効果は無く、今回の旅の素晴らしい天候の中での山の写真は全てパァ~に成って仕舞い残念な結果と成った。


 如何やら原因は地元での「桜巡り」の写真を撮りに行った時に現地でレンズ交換をした時に(普段は殆ど遣らないのだが)小さい塵が舞い込んだ様子)カメラ用ブロアーや予備のカメラを持って行かなかった事が悔やまれるが如何しようも無い。気に入った写真は今後時間を掛けてフォトショップ・プロのソフト処理で消したいが果たして上手く行くか如何か??


 今までに訪れた事の無い場所への旅行は楽しい。残念な失敗もあったが此の日の「霧が峰高原」の素晴らしいコンディションの中での景色はスチール・カメラで撮った一コマの美しい写真の様に私の記憶の中に刻み込まれ、今でも鮮明に思い出す事が出来る素晴らしい物であった。


 



 


 






 


 

 最初の観光スポット「諏訪大社本宮」から

2019年04月21日 00時20分06秒 | 旅行

        


 今回の信州へ旅の最初の訪問地は諏訪大社だったので高速道路を使用しても約500Km程の距離が有るので出来るだけ高速料金を安くする為に早朝の出発と成り、我家を出発をしたのは午前04時過ぎで姉の家で車を乗り換えて鳴門ICから高速に入り京都の桂川PAでトイレ休憩を取っただけで後は長野県の伊那の小黒川PAまでひた走りと成った。


 旅に出発する前にアマチュア無線で御世話に成って居る「箕輪の会」の堀内さん(JH0UDR)から電話が掛かり「此方に来るのに伊那の関所を素通りするのですか?」と言われ隠密裏に伊那を通過すると今後の御付き合いに支障が出るかも知れないし?私も出来れば御会いしたいと思って居たので小黒川PAで11時頃に御会いする事に成った。此の時は可也のハイペースで高速を進んで居たので時間合わせの為に走行スピードを落としたら約束の時間に10分ほど遅れて到着した。堀内さんとは5年振りの再会で今回で5回振りで(一度は阿南市にも、お出で頂いている)久し振りに元気そうな尊顔を拝した。少し遅れて小平さん(JA0JIU)も、お出で頂き開口一番「お痩せに成って居ますか?」の何時通りの挨拶から始まった。御二人からは何時も信州の名産を送って頂く、遠い信州の親戚付き合いをさせて頂いている身としては今回は素通りしなくて本当に良かった思った。同じ様な御付き合いをして居る平松さん(JA0KJD)はレストランを経営して居る為に調度忙しい時間帯で来れなかったが電話で少しお話をして預けて貰って居た御土産を頂いた。箕輪の会の皆さんとの御付き合いは2010年、私の長野県南蓑輪町の移動運用中に現地に態々お越し頂きアイボールしたのが最初の切っ掛けで其の時の北海道~東北方面の移動運用の帰り道に箕輪町に立ち寄り盛大な歓迎会をして頂いた事から始まって以来、今年で10年間に渡り続いて居る。


 名残惜しかったが30分程でお別れして諏訪SAで手弁当の昼食を取って諏訪ICを降りて最初の訪問地の諏訪大社本宮へと向かった。本来なら4箇所を巡るべきだが諏訪大社までは順調に来られたが其の後の霧が峰を経由して白樺湖へそして最初に泊まる鹿教温泉までのルートは初めて走る道なので所要時間が如何程掛かるのかが?解からなかったので最初の予定とは違い本宮だけの見学にする事にした。


 カーナビの設定は電話番号を入れたら最初の写真の本宮見取り図の東側から入り最初に見た「御柱が一の柱」と思って居たら此れは「二の柱」である事が後で解かり、小平さんが「一の柱~二の柱は直ぐに解かるが三の柱と四の柱は解かり難い」と云われて居たので気合を入れて探していたら解かり辛かったが可也離れた木々の中立って居るのを見付ける事が出来た。



        


 諏訪大社本宮は平日にも関わらず可也の人出で賑わって居て流石に諏訪方面の有名な観光スポット!それに散歩中のおじさんが私達の話して居る言葉で地元の観光客で無い事が解かったのか?色んな事を説明し案内を頂き非常にありがたく四国地方の「御接待」と云われる物と同じ事を此の信州路でも何回も経験した。


 

 旅から無事帰って来ました。

2019年04月20日 21時54分41秒 | 旅行

   


 今回の旅は諏訪(諏訪大社)~霧が峰高原~白樺湖~上田城~善光寺~戸隠(鏡池、戸隠神社)~鬼無里~小川村~白馬村~安曇野~松本市~南木曽方面をゆっくりと観光して今日、家に帰り着きました。心配していた天候(路面の凍結や雨降り)も問題無く快適な旅と成りました。桜の開花状態も上田城と松本城では満開の桜が見られましたが小川村、白馬方面は全く花も開いて居ない状態、南木曽方面は風が吹くと花吹雪が舞う状態で其々の桜を楽しんで来ました。


 今回の旅は家内の前からの念願であった「北アルプスの山並み」を見せる事が一番の目的でしたが白馬村の滞在中は晴天の中のアルプスの山並が見られ義姉も家内も凄く喜んでいました。私も若い頃のゴールデン・ウィーク休暇には八方尾根スキー場の黒菱山荘や麓の民宿に泊まって毎年、春スキーを楽しんで居たので北アルプスの山並みは何回も見て来ましたが其の中でも今回の北アルプスの景観は一番見応えが在りました。また女性陣には今までに経験した事の無い雪景色を霧が峰高原や戸隠方面で見せられたし、白樺湖へ向かう途中で南アルプスや富士山が見えた時には感動して居ました。


 道中の運転は私一人で少し大変な事も有りましたが何とか無事に帰り着き、今はホットした処ですが女性陣の次なる旅の目的地は「北海道」らしく早くも夏場か秋頃にするか?道中の車の中で賑わって居ましたが年金生活の中で年に二回の大きい旅は一寸大変な感じです。

女性のポイント券やカード好きには困った物

2019年04月15日 18時53分10秒 | その他

   



 今日は昼から家内のお供で旅行の為に必要な買い物に出掛けた。私は旅に出るからと云って特別な恰好をする事無く普段通りの恰好で出掛けるので買い足す物も無かったのだが家内の方は今朝から準備をして居たが早くも小さい旅行カバン3個に色んな物が詰め込まれパンパン状態に・・・・・たかが4~5日間の旅に何であれだけの荷物に成るのか?不思議で頭を傾げて仕舞う??


 今回も車を利用した旅なので幾等荷物があっても問題は無いのだが義姉も同等量の荷物と成ると座席の後ろの荷物を積むスペースは既に満杯になりそうな気配、家内は普段の靴とは別に動き易いスニーカーが欲しかったらしく最初に靴売り場に向かい品定めを始めたが兎に角時間の掛かる事掛かる事、余りにも時間が掛かったので私は他の売り場を見ていたら家内が居らなくなり店内を探す羽目に・・・・・2階建ての大きい店舗を2回ほど上がり下がりして探したが見付ける事が出来ずに困って仕舞った。


 最終的には売り場の隅にあった。支払い上の特別な問題を解決するカウンターで家内の姿を見付けたが其の時には私は既にプッツン状態に・・・・・家内は昨年のお歳暮購入時のポイント券を使用して支払いをした後に65歳以上から割引出来る券を出したらしくレジの機械では其の処理が出来ないらしく(特別の処理が必要なので売り場の店員やポスでは処理が出来ない)其のカウンターでも20分位、係りの人と話をして居た。たかが300~500円程度の再割引の為に時間を掛ける事と最初から全てのカードを提示して支払いをすれば何も問題は無かったのにポイント券で支払った後に「此の券は使えないのですか?」と更に後出し交渉と成ったので売り場担当者は困って別のカウンターを案内した様であった。


 女性は何故にあれ程にポイント券が好きなのか?本当に理解に苦しむ・・・・家内はポイント・カードを50枚まで入れられる名刺入れ状の入物を財布とは別に持って居り其の容量の半分近いポイント券やヤヤコシイ割り引き券?を入れていて驚いてしまう。其れでも其々のカードの詳しい利用方法を熟知して居るなら良いのだが生半可な知識で使用して店に迷惑を掛けるのが腹立たしく私の頭から蒸気が吹き上げそうに成った。


 帰りの車の中で私は「大概目にせい!」と一言!其の後は未だ口をきいて居ない。