黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 アマチュア無線に対するマンネリ化に付いて

2013年07月28日 08時54分01秒 | アマチュア無線

  此処暫くブログの書込みが出来なかった。特別な理由があった訳では無いがアマチュア無線に対するアクティブの無さが一番の原因だろうか?何故か最近、アマチュア無線の各バンドでの交信を聞いていても呼ぼうか?と言う気に成らない。ハイ・バンドのコンディションが今一良くないのも一つの要因だが、アマチュア無線の中心的周波数である7MHz帯に於けるバンド・コンディションの午前中後半から夕方前の10~16時頃までのコンディションの悪さ、加えて自分も移動運用しているので第三者からその様に思われて居ると思うがコンプレッサーをガンガン掛けた絶叫タイプのオペレート、さらに組織化された移動運用等、一瞬、受信ダイヤルは止まるがそれ以上の展開には発展しない事が多い。



 アマチュア無線を長く続けている人なら何方も経験する事と思うが「或る時期、夢中に遣っていた事が時の経過と共に興味が失せてしまう事はよくある事」私には今がまさに其の時期の様な気がする。今年の前半は「プチ・アワード」が始まり其の加熱振りから私も挑戦し過去に無い執着で取り組んだ。1月の初旬から3月の中旬まで毎日の昼食は無線卓で取りながら終日、無線機の前で過ごした。この様な状態は長続きする筈も無く、まさに其の反動が現在の状況の様に思える。



 この様な時の打開策は一番に目先を変える事と思い、1ヶ月程の間7MHzにQRVする事を止めてハイ・バンドに(18,21,24,28、50MHz帯に)QRVする様に運用して来ましたが残念乍、ハイ・バンドのコンディションが開ける機会が少なく思う様に交信数は伸びなかった。其の後、7月15日~8月31日までの「JAIAアワード」が始まったが昨年のEXクラスに挑戦した時の様な打って出る様な積極さが無くなり今年は受身の態勢での運用スタイル、ボーナス局として無償配布されたカードを消化する程度の運用スタイルで現在は進んでいる。其れに平日の日中に7MHz帯でQRVされる方は、アマチュア局の加速度的な減少傾向の関係か?ほぼ一定化されて来ている様子で1stQSOの率は極めて低く早朝から午前中にQRVされている方とは大半の局とは交信済み状態、毎日の暑さと此れ等が相乗効果と成って、最近は自分の中で「少しアマチュア無線離れ」の気持ちが日々高まって来て居る様に感じます。



 しかし私の気持ちの中ではアマチュア無線を完全に辞めてしまう気持ちは全く無く、何か他の事を楽しみ乍、少し冷却期間を置いた後に自然に気持ちが高揚して来るのを待とうと考えて居ます。


 「継続は力なり」とは言うけれど・・・・・

2013年07月24日 20時47分00秒 | アマチュア無線

 連日暑い日が続き午前中ならまだしも午後に成るとアマチュア無線処では無い状態に成りエアコンの有る部屋に逃げ込む始末、無線運用は早朝と夜半に限られる状態、しかしながらコンディションの方は余り良くない。今朝も7時30分頃から50、24,21、18MHzと下がって聞いたがハイ・バンドのコンディションは皆無の状態で7MHzを運用したが8時頃にはバンド全体にノイズぽくなり、比較的近距離は良いが1エリヤから先は信号が可也落ちる。最終的に午前中は3局との交信でQRTした。



 午後は16時頃からハイ・バンドをチェックしたが国内の信号は殆ど聞こえず試しにCQを数回出したがまったく応答が無く7MHzにQSYして暫く聞いていたら移動局がQRTしたので其の周波数でCQを出したが3回ほど空振りの後、此れで応答が無ければ閉局と思った最後のCQに応答が有りJA8EHV、苫小牧市の上川さんと交信しJR8JRM 新得町の三浦さん其の後にJH7GNC 青森市の磯野さんと続いた。

 

 御三方とは移動先や固定局でも沢山QSOして頂いて居るのでゆっくりと交信、磯野さんとは2010年の東北を移動中に青森県の津軽半島の蓬田町に態々御越し戴きアイボールQSO、其れ以来、各バンドで交信戴いている。ゆっくりとしたQSOを楽しんだ後の16:30JST辺りから国内コンディションが変わりバンド全体のノイズレベルが下がり関東より西方面の0,1,2,3,4エリヤが59プラスで入感し始めた。

 

 其の後5局と交信して閉局、早めの夕食を取った後、日が落ちた川縁の散歩コースを1時間半を掛けゆっくり散策した。以前はこの散策時間は只管歩いていたが、歩くだけでは勿体無いと最近に感じ此の時間を有効に使う為、オーディオ・プレイヤーに英会話の教材を録音して「50の手習い成らぬ60の手習いを始めた」、前々から英語が話せれば海外との交信に役立つと高額の教材を入手していて過去に幾度と無く挑戦したが私の飽きっぽい性格から長続きする事無く御蔵入りの状態、今回も同じ様な結果に終わりそうだが今日で10日程、継続している。此の教材は基本的に聞き流すタイプの物で途中で色々、質問されたりする方式だが現段階では質問されている内容は理解出来るが其れに対する返答が中々浮かばない。「語学は勉強と捉えず赤ん坊が自然に母国語を喋る様に只管な繰り返ししかない。」と教本には書いて有るのだが必要に迫られない限り継続する事は難しいし、その様な環境下にも居ないので何処まで続くか?爺さんの戯言に成りそうな気がする。


久し振りの同級生との嬉しいお空での再会

2013年07月24日 00時47分08秒 | アマチュア無線

 先日7MHzでCQを出していたら高校時代の同級生のJA5BRN/1の樫福さんから声が掛かった。学校を卒業してから47年に成るが彼のコール・サインも忘れていないし即座に彼だという事は解かった。ヘッド・ホォンから聞こえる声も話し方も昔と余り変わっていない。卒業後、随分昔に一度、彼と高校の無線部の後輩の音頭取りで、阿南で会合を開いた事が有ったが其の後、10年に一度位の頻度でお空では会って居るのだが今回は1年振りの交信と成った。不思議なもので65歳に成っても彼と話していると瞬間に高校生時代にワープし色々な彼との思い出が甦って来た。


 私がアマチュア無線と出会ったのは中学2年か3年生頃、余り定かでは無いが兄が其の当時としては珍しいトランジスターラジオを組んだりしていた関係で其の方面の本は家に有って理屈は解からなくても興味本位で見ていた様な気がする。当時のアマチュア局はA3の電波形式で交信していた為、当時の2バンド用5球スーパーでも短波帯を聞いていると7MHz帯は受信する事が出来た。勿論、選択特性が悪いので複数の局が同時に聞こえる状態で有ったが息を止めて選局して交信会話を聞いていた。当時は白黒テレビは各家庭に普及していたが電話はまだ各家庭には引かれておらず九州や関東方面から入感する信号に心ときめいて居た。


 中学時代の3年生の前半は白衣姿に憧れて工業高校の化学科への入学を考えていたがアマチュア無線の存在を知った事により3年生の夏休みが終わる頃には自分の中で電気科に進む事を決めた様に思う。特別に電気に興味が有った訳では無いが今考えると其の延長線上にアマチュア無線が有った様に思えて成らない。当時のアマチュア無線局を開局する事は経済的な基盤が必要で有ったがそれ以上に国試に合格する事が大変であった。試験も全問記述式で問題集も余り流布されておらず受験用参考書も余り無く、専門知識は当時の電気の工業高校では高校2年生以降に習う内容で有り合格率も40%以下で有った様に思う。当然、試験会場は大半が工業高校の電気を専攻している人が大半で一般の人は非常に少なかった様に思う。


 そして目標の電気の学校には入学出来たが1年生の1学期まではアマチュア無線とは無縁の世界に居た。当時の電気科の定員は90名、其の中で同じ中学から8人が同科に入学していた為、入学仕立ての1学期は気持ちの余裕も無く仲間内で小さく纏っていたが2学期が始まると他校から入学した連中との付合いが始まった。樫福さんは当時グラスバンド部でクラリネットを吹いていたが私は帰宅組みで余り接点は無かったが彼は小松島市からの自転車通学、私の家は彼の通学路の途中に有り、私も同じ自転車通学で有ったので多分其の辺りが接点で有ったと思うのだが(ハッキリ思い出せない)ある日「家に遊びに来ないか?」と誘われた。


 彼の家は町筋から少し離れた所に有り、屋敷内に松の木が有り其の間にアンテナを張っていた様だが私には余りよく見えなかった。2階の広い部屋に入るとアルミシャーシに組んだ受信機と黒いケースに入った送信機と裸のシャーシに組み込まれた変調器と其の電源トランスは机の上に転がっていた。やがて彼の交信の実演が始まり彼のCQに九州や関東方面から応答が有り次々と交信が進むのを聞いて驚いた。ラジオで無線交信を聞く事はしていたが交信している現場を見たのは初めて、勿論、送信機を見たのも初めてで有り、この様な小型の送信機で保々全国と交信する現場や無線機器の現物を見て可也興奮した事を覚えている。この辺の状況はブログで何度か書いているが先日の彼との話で彼自身は其の時の事は余り覚えて居ない様で有ったが、其の様な事は彼にとっては日常茶飯事の事で それ故に印象に残って居ないのだろう。


 この様な出会いから卒業まで彼との付合いが始まったが卒業後は彼は東京へ私は大阪へと就職し、暫く直接やお空で会う機会は無かったが最近、団塊の世代が退職したり仕事を続けていても時間的な余裕が出来ると此の時代にアマチュア無線に興味を持った人達はカムバックやアクティビティが上がって居る様で、其の中で同級生と電波で昔の事を語れる事は楽しい。もし彼が同級生に居なかったら私のアマチュア無線に対する思いも頓挫していたかも知れない。其の意味で私に多大な影響を与えた一人である。

 



 今日の運用 (2013/07/20)

2013年07月20日 17時33分23秒 | アマチュア無線

 此の15日から始まったJAIAのアワードを対象とした運用が出来て居なかったので今朝は07:30JSTから7MHz帯で運用を開始した。この時間帯から9時頃までは連日コンディションは安定しているので09:11JSTまで運用して26交信、9時頃に成ると国内のコンディションは7~8エリヤ方面からQSBが出始め、10分少々でコンディションは一変し落ちた。

 

 此の時点で7MHz帯での運用を諦め10時前から21MHzを選択QSYした。ここ4週間位の週末はハイ・バンドのコンディションは恵まれて居なかったが今朝は先ず先ずのコンディションで12局程に切れ目無く呼ばれJAIAのボーナス・ポイントを供給出来た。其の後、手応えを感じたので思い切って24MHz帯にQSYし聞いてみたら少し聞こえていたのでCQを出すと7、8エリヤから声が掛かり2局目との交信が終わると正午の時報、午前中の運用はQRTした。

 


私のアマチュア無線の長続きの秘訣 (2013/07/19)

2013年07月19日 21時33分45秒 | アマチュア無線

 今日は朝から7MHzでJAIAアワードに取り組んだ。昨年はEX3000に挑戦し達成出来たので本年のボーナス局とJAIAからボーナス局の特典としてのQSLカードが届いて居たので其の数の交信はしたいと思って7月15日からハイ・バンドを中心にQRVしようとしたが残念ながらハイ・バンドのコンディションのオープンが無く交信数は殆ど進んで居なかった。午前中に7MHz帯で10局ほど交信の後、21MHzにQSY運用したが3局とのQSOが終了した段階でコンディションはフェード・アウトした。

 

 午後は16時30分頃から7MHz帯で夕方のコンディションを利用し30局ほどの方と交信したが其の中で4局がボーナス局で、合計120ポイント位の成果と成ったが思った程に成果は進まなかった。移動運用中と違い阿南市固定での運用は如何してもゆっくりとした交信スタイルに成ってしまうが此れは移動運用中の私の交信スタイルがシグナル・レポート交換程度のショートQSOで終わってしまうので、せめて阿南市の固定局での交信時は移動運用中の交信では出来ないコミニケーションを図る為、意識的に時間を掛ける様に心掛けている事が起因している。

 

 四六時中、局数稼ぎの早いQSOに徹していると時々、虚しさを感じる事が有る。今年の正月からの執着したプチ・アワードに挑戦してパーフェクトを達成した直後は特にその様に感じた。其の為、5月の移動運用後から先日まで殆ど7MHzでの交信は殆どしていなかった。矢張りアマチュア無線の運用には其れ等の運用バランスが必要であると思う。



 明日からJA5コンテストが始まるので明日からは必然的に局数稼ぎの運用スタイルに成る。終了すれば、再度ゆったりした運用スタイルに戻し運用しようと思う。これ等のバランスを上手く取らないとアマチュア無線は長続きしない様に思うのだが・・・・


 今朝は早起き (2013/07/18)

2013年07月18日 16時37分54秒 | アマチュア無線


  昨晩は日付が変わってから寝たのだが早朝の3時頃にパチッと眼が覚めた。常は一度寝ると余程の事が無い限り目覚める事は無いのだが「此れは何か在るな?」と思い無線機のスイッチを入れて聞き始めた。昼間のハイ・バンドと違いノイズ・レベルが低いので海外の信号は決して強くは無いが(Sメーターは余り振れないが)浮かび上がる感じで聞こえる。最初は14MHzから聞き始め途中で7MHzや18MHz帯を上がり下がりして聞こえている所を呼んで見た。大した所は入って居なかったがD3(アンゴラ)とA71(カタール)は朝起きの得となった。



  D3AA          19:33U    14MHz    CW

  HB30OK        19:51U    18MHz    SSB

  R070PS        20:09U     7MHz    CW

  HG5FIRAC      20:20U    14MHz    CW

  EM20RRC       20:35U    14MHz    CW

  GI4DOH        20:58U    14MHz    CW

  HA4FF         21:11U    14MHz    CW

  A71AM         21:17U    14MHz    CW

  EA8/DL3FCG    21:25U    18MHz    CW

  LZ1722SN      21:58U    18MHz    CW

 
 現役中は平日でも夜討ち朝駈けは時々遣ったが 其れは特別に珍しい所とのQSOが目的の時のみ、其れでも週末は集中的に聞く事が多かった。ほぼ徹夜状態で太陽が上がり切りバンド・ノイズが大きくなると椅子の下のカーペットに「ああ~疲れた~眠たい」と崩れる様に横に成るのは常であったし、夏場の週末は布団で寝る事は無かったように記憶している。

 

 其れ成りに得る物も有ったが今思い返すと家族サービスは疎かにしていた様に思える。特に子供にとっては良い父親では無かった様で成人した子供からは「子供の頃の父さんのイメージはヘッド・ホォンをしてマイクに向かい大声を出していた無線機の前の姿しか無く、近付くと煩い向こうへ行って遊べとよく言われた」と言う。「誠に不徳の致す所」確かに少なからず自覚しているが其の不徳の私でも子供の幼少の頃は寝る前に私の両脇に娘と息子を置いて2年間位は毎晩、童話を読み聞かせた事も有ったのだが如何した訳か?其の効果も記憶も無い様である。まあ父親とは子供に取ってその様な存在感しか一般的に無いのだろう。



 私の父親は時代背景もあったが農家の長男に生まれた為に、当時は農繁期間が長く兼業農業は難しく、其の為、勤めをする事は無かった。其の為に定期収入が無く、子沢山と戦争の影響も有り、一生懸命に仕事に明け暮れた人生で、趣味も持たず(多分持てなかったのだろうが?)酒、タバコも遣らず、頑固一徹を絵でいく人であった。小さい頃、其の父親を見て尊敬はしていたが自分の中で「経済的に許されるなら仕事人間には成らない事と農業だけは生活の糧にはしたくない」と子供心に感じていた。

 

 私は5人兄弟の末っ子、家を継ぐ必要も無かったので、何時かは家を出て独立する身、子供の頃には希望として教師に憧れたが大学進学は期待出来なかったので2人の兄が其々、技術者だった事も有り、工場高校に進み技術系に進む事は小学校の高学年にはおぼろげながらに決めていた。そして中学生頃にアマチュア無線を知り、当時の状況から自分には縁遠い物と思って居たが「念ずれば通じると言うべきか?」不思議な縁でこの世界に入った。

 

 不遜だが電気が好きな訳でもなく電気の世界に進むと、ひょっとしてアマチュア無線が出来るかも知れない的、動機で電気科を目指した。今と違って当時のアマチュア無線は誰でもが手掛けられる趣味では無く、可也ハードルも高く経済的な事は勿論だが技術力が必要で当時の開局者は殆どの人が其の道の人達であった。

 

 多感な時期にこの泥沼に入り、後は勉強もせずに無線に明け暮れた。事実この世界に入った事で家電メーカーのサービス部門に身を置いたが学校で勉強した事よりアマチュア無線をする事により知れ得た事の方が実社会では役立つ事が大半で有った。最終的に、この世界を目指した事は選択肢として正解で有ったかどうかは最後まで解からないが首をつ込んだ以上、後戻りは出来ないし他にも色々な事を遣ったが其の存在を知ってから50年、色褪せる事無く継続出来た趣味はアマチュア無線のみ、此れは最後まで付合うしか無いと思っている。長い間には取組み方にも浮き沈みが有るが、時々今朝の様なコンディションに遭遇すると俄然、意識が高揚する。日頃、失せかかっている無線の原点「無線は如何に遠くの人と交信するか?」に私の場合は尽きる。 


 遣って初めて知る世話役の大変さ

2013年07月17日 21時12分37秒 | 日記

 



 昨日の夜は地区のソフト・ボール大会、私等が若い頃は地区の此の様な大会は彼方此方で開かれていたが最近は同好会の様な形の草野球や、ソフトボール大会は在っても各在所対抗の大会は少なく成っている。今回は常会(地区の親睦団体)の世話役を受けているので去年の見習い時期に続いて2回目の大会、各家庭に連絡して出場を御願いするのが今回の私の主な仕事、最近は試合中の怪我に対する保険もかけるので、参加の有無の確認で可也前から電話の掛けっ放し、矢張り試合なので勝つ事も考えて若い人を中心に参加を御願いした。

 

 ところが最近は皆さん携帯電話の時代に成っているので各家庭電話(連絡簿の電話番号は全て家庭電話番号)にかけても殆ど不在で連絡がつかない。ついても家族の人では本人の帰宅時間まで解からないので結果として何回も電話することに成った。特に昨日は3連休明けの初日の出勤日の夕方、最終確認で8人までは如何にか集まったが最後の一人が中々決まらなかった。此れは棄権もやむ無しと監督に電話で状況を説明したら「棄権はしない。如何にかするので準備だけはして置いてくれ」との事、昼からはクーラーの購入、ジュースや飲み物の購入、最後は氷の手配と走り回った。氷は実家の近くに釣具屋さんが在ったので其処に行くと店が無い(廃業)最終的に小松島市まで出向き氷を手に入れた。簡単な事だが要した時間は3時間を上回った。



 試合は8時40分からの第二試合、私は気に成って居たので7時には家を出て会場へ最初の試合が終わり掛かっても我がチームは誰も来ない、其のうち家内が来て2人で「今回は棄権かなぁ~?」と心配しながら待っていると試合終了前にメンバーが次々と集合、見ると若い人を中心に15人近く参加してくれた。有難い事で御陰様で棄権する事も無く大会に参加出来た。メンバーが揃ったので年寄りの出番は無く成って良かったと一安心、裏方に徹しようと思って居たら「常会長同士の握手と今日一番の大仕事がある」とホーム・プレート前での挨拶に呼び出された。先攻。後攻を決めるジャンケンが有ったのだ。此れは貢献せねばと気合を入れてジャンケンで勝利、先攻を取って試合は始まった。



 試合の前半戦は此方が勝っていたが中盤に相手側の猛打爆発で逆転され大差をつけられ9点差でコールド負けの一歩手前、ピッチャーが交代を希望したので思わぬ処で代打が回って来た「年寄りが出る幕では無い」と辞退したがメンバーが居ないと言う事で代打で登場、実は打撃には自身が在ったので少し色気を出したのが失敗の元、見送ればボール気味の低めの玉を強振しサードゴロで3アウトのチェンジ、大差だったので試合終了と思っていたら相手側が後一点入れるまでは試合を続行すると審判の判断、そうなると私がピッチャーをする事にキャッチ・ボールもしていないのに行き成りピッチャーとは7球の練習ボールの一球目、久し振りのピッチャーなのに自分でも驚く様なズドーンという様なストライク、味方も相手チームから驚きの声が上がったが良かったのは此処まで、其の後、ランナーを背負い最後は押出しのフォアボールで1点を献上、見事敗戦処投手を演じてしまった。



 終わった段階では申し分けない事だが負けた事に正直、ホットしてしまった。勝ち進めば参加者集めに連日、電話攻勢を掛けねば成らず、無理を御願いする事に成るので心苦しい事もあるし、私自身にとっても選手集や裏方の準備にはストレスを感じその様に思ってしまった。しかし帰って一風呂浴びて落着くと悔しさが沸々と湧き上がり負けるより勝つ方が気持ちが良いし一瞬とは言え其の様に思った自分を恥じた。今回は選手集めに苦労し世話役の大変さを身をもって感じたので次回からは協力せねばと強く感じたが多分、年寄りが出る幕は無かろうが応援には行こうと思う。


 アマチュア無線の魅力

2013年07月16日 12時26分20秒 | アマチュア無線

 今朝は8時頃より21MHz帯が開けて21.180~21.230MHzの間に3~5KHz間隔に国内局が並んで入感していた。私の聞いた限りではこの3連休のコンディションは良くなかった様子だったが連休明けの日頃の閑散とするバンド状態では無く。可也 安定した国内コンディションに思えた。JAIAのアワードも昨日から始まっており、7MHzでの運用より21MHz帯での運用の方が珍しいかな?と考え21.205MHzでCQを出したら応答があったのだが21.200MHzで交信中の局のカブリが強く相手のコール・サインが聞き取れない状態、仕方が無いので21.195MHzで出たが この周波数も上下の混信があり呼んでくれる局がコピー出来ない状態、7MHz帯なら問題ない位、離れた周波数間隔なのだが其れが随分、混信と成る状況に驚いた。余程良いコンディションだったのだろう。


 仕方が無いので21.183MHzまで下がって 再度CQ出したらJA7EPC(伊藤さん)から声が掛かり、QSOが始まった。伊藤さんも今年はJAIAのボーナス局、今日から始めたアワード対象の初めての交信がボーナス局との交信とは縁起の良いスタート、日頃7MHzではよく交信するのだが其の大半が私の移動運用中が多いのでユックリと話す機会が無かったのでコンディションも良い事だし自然にラグチュースタイルの交信と成った。話はQSLの印刷や、発送時のQSLの仕分け方やボーナス局の話など多岐に渡りファイナルを送った後、気付けば交信時間は1時間を超えていた。其の後 青森市のJA7HQU(山谷さん)から呼ばれてゆっくりと交信、共に御二人は7エリヤでは非常にアクティブに運用されている方々である。


 QSOが終わるとJE7EDW(八重樫さん)岩手県の金ヶ崎町から声が掛かりQSOが始まった 八重樫さんとは初めての交信であったがQSO中に投げ掛けてくれた話題に私が反応(私は岩手を八重樫さんは徳島を訪れた事で)し其々の土地の話をしていたら交信時間は1時間を超えていた。この様な時は連鎖は繫がるもので次に呼び掛けて頂いたJA0GNSさんとも1時間以上に及ぶ交信と成った。QSO中に正午を告げる阿南市の放送が聞こえた為、ファイナルを送り御別れしたが両者共にアンテナ設備が5エレのモノ・バンダー同士の向い合せ一番強力な時は40dbオーバー9で入感していた。



 今日は平日、この時間帯にQRV出来る方は ほとんどがリタイヤ組、後半の御二人は年齢的に私よりは其々に少し先輩の方々であった。其々、其の前の交信内容をお聞きに成っていて呼んで頂いただけに単なるシグナル・リポートやQSLの交換約束だけのショートQSOに終わらず、ゆったりとしたQSOの中で御互いの意思疎通が出来たと言うか?気持ちが通じ会えたQSOが出来たという充実感を味わいながら無線機器の電源を落とした。




 冴えない週末のコンディション

2013年07月14日 20時26分21秒 | アマチュア無線

 今日は日曜日ながらあまりコンディションの上がらず、18~50MHzは国内の信号も殆ど聞こえず寂しい限り、正午過ぎに18MHz帯が開け4局と交信した後、 急に梅雨明けて初めて雷が鳴り、にわか雨が降り久振りに気温が下がった。其の後、ゴロゴロと大きい雷鳴と光、誘導雷の危険からリグを守る為、空中線のコネクタを外し暫く様子見とした。今日は時期遅れの七夕行事が近くの西部公園で開催され、3~4時過ぎに撤収作業の予定であった。正午頃から天候が崩れた為、早めの撤収作業と成り、1時半頃に現場に行ったが、可也強い雨ので作業が続いたがテントや足場の解体や、七夕の竹竿と撤収作業で全身びしょ濡れの状態、しかしながら其の状態が返って心地良い、作業は順調に進み1時間程度で終了した。



 家に帰って再度、無線機の前に座り受信体制に入ったが最終的に大したオープンも無く午後からの交信実績はゼロに終わった。此れで4週間連続の週末のコンディションは皆目駄目状態、明日のコンディションは如何程であろうか?


 JH5AVMでの国内の(全市全郡、全町村)コンファーム状況

2013年07月13日 21時04分54秒 | アマチュア無線


  今日もコンディションが悪く交信する相手が居なかったのでJH5AVMのコール・サインでの各バンドにおける国内の全市、全郡、全行政区分、全町村のコンファーム状況を調べてみた。ほぼコンファーム出来ているのは7MHz帯のみ3.5MHzと21MHzは後、一頑張りで現存は完成しそうだが14、24、28、144MHz帯などは遠く及ばない状態で、まだまだ先は長い感じ もう少し計画性を持って取組まねば感じた。


     周波数    市      郡     区      町    村     GL

   3.5MHz  674   382    142   481   129   1111

   7  MHz  882   559    198  1044   250   4182

  10  MHz  280    210    62   249    59    308

  14  MHz  148     74    21    35    17    698

  18  MHz  484    212   103   181    35   1097

  21  MHz  700    352   153   310    58   2365

  24  MHz  285     94    70    45     7    853

  28  MHz  171     72    31     8     1    329

  50  MHz  440    220    99   235    47    683

 144  Hhz  108     33    25    37    12    115


    計     4172   2208   904  2625   615   7120   


ハイ・バンドのコンディション本日も悪し

2013年07月13日 20時27分09秒 | アマチュア無線

 この2~3日はハイ・バンドのコンディションは悪く 特に国内のコンディションは非常に悪い。18MHzや21MHz帯は1日に一度位は国内が聞こえる時間帯があるが(9~12時)聞こえても信号が弱くコンディションが安定している時間が非常に短い感じ、開けていても通常の交信を一局終わると直ぐに信号が落ちて行き直ぐにフェード・アウトしてしまう。其の為 この4日間で5局との交信で終わっている。7MHzも早朝は良いが8時を超えるとバンド内がノイズぽく成りNG、夕方まではコンディションが上がってこない。



 来週からJAIAのアワード(7/15~8/31)始まる。昼間のコンディションは安定しないので期間中、早起きして海内との交信でEXランクに挑戦しようと考えている。昨年は頑張ったので今年はボーナス局に成ったが運用は18~50MHz帯を中心にQRVする予定、聞こえていたら交信の程、宜しく御願い致します。

 


ブログを始めて間もなく2周年目で思う事

2013年07月12日 12時33分20秒 | 日記

 このブログを始めて間もなく2年目を迎えようとしている。始めたのは2011年の7月21日の事であった。ブログを始めた動機は60歳で早期退職し、現役中に出来なかった国内の各地を巡る旅行を思い立ち5ヵ年計画を立てて、初年度は北海道周遊の旅(2009年7月10日~08月11日の1ヶ月間)2年目は信州、東北、北海道、中部地方を回る旅、(2010年5月14日~7月31日の2ヶ月半)そして3年目の沖縄~鹿児島県大島郡の離島~九州本体~中国地方の隠岐方面の移動運用(2011年4月14日~6月20日、2ヶ月と6日)を実行して行く中で沢山の人達との出会いや思い出が出来た。其の当時、私の中でそれらを忘れるなど思いもしなかったのだが2年~3年と時間の経過と共に忘れる部分も出始めたので何か記録を残したら思い返せると考え、とにかく日記的に文章に残す事を考え始めた。



 最初はホーム・ページの開設も考えたが現役を退き「単なる素浪人」に成った私がホーム・ページを開設する程のニュース・ソースが在る筈も無く直ぐに閉鎖を余儀なくされると思い、自分にとっても運営上で負担の軽い「ブログ」に思い当たったが此れは今思うと実に賢明な選択でブログで有ったからこそ今日まで継続出来たと私は思っている。何しろ気の向く侭に思い立った事を書きなぐればよく、見る見ないは相手の選択する処、こちらに選択肢は無いし、元々の目的が加齢から来る自分自身の物忘れから思い出を留める手段として書き始めた物だから・・・・そして無料サイトと違い、このブログサイトは、「Book機能」が有り最終的に記事内容を一冊の本に出来る機能が備わっている為、自分でサイトが維持出来なくなったら一冊の本にして薄れ行く記憶の中で読み返し過去を呼戻そうと考えている。



 開設当初は閲覧者が少なく、幾ら自分の為の物と思って書き込んでも訪問者が無いのは寂しい限り、カウンターが回らないのにヤキモキしたが開設後に移動運用時の記事を書いたりQSLカードにブログのIDアドレスを印刷した物が行渡り始めると徐々にブログ・カウンターが回り始めた。こうなって来ると此方も俄然張切って熱心に書き込むと其の思いは数字と成って跳ね返って来た。満1年目には訪問者が50000人を超え閲覧数は12万を達成した。其の時に満2年目を迎えた時には訪問者は10万、閲覧数は25万を目指して頑張って来たが閲覧数はすでに達成しているが訪問者合計は現状では10万には届きそうに無い。今回の離島の移動運用中にブログを続けていれば楽勝で達成出来たと思うのだが素浪人の身分では、全国何処に居てもインター・ネットにアクセス出来る環境はコスト的に「高値の花」で今までは難しかったが、今後は考えねばと思っている。



 ブログの運営を よく考えてみるとブログは多い日だと200人以上の訪問者が有り少ない日でも130人程の人が態々、私のブログを見てくれている訳でこの事は在る意味、すごい事の様に私には思える。極端な例だがアマチュア無線で毎日100局以上の人と交信する事は不可能に近い、しかし乍、一方的なブログ記事の押売りとは言え、如何様に評価、判断されているか?私に解からないが自分の思いや感じる事を自由に表現出来るブログの場に訪問者が訪れてくれる現実に充実感を肌で感じ感謝している。

 

 仕事での現役を退き、自分の存在感が段々と世間から薄れ行く中に在って「まだ生きてるぞ、まだ頑張っているぞ」と其の現状の中での ささやかな自己主張の思いが私を移動運用やブログに掻き立てるのかも知れない。私は実生活では決して積極的でも無いし、目立ちたがりでも無いが実像が見えないアマチュア無線の交信の場やブログという媒体の中でしか精一杯の自己主張が出来ない小心者なのだ。そして其の事が三日坊主の性格の私が2年間もブログを継続出来た理由の様に思える。



 今回、満2年目までに達成したい大きい目標が私には有った。其れは以前にも書いたが週間ランキングで5000番以内に一度で良いから入りたいと思っていた事、其の千載一遇のチャンスが先週に訪れたのだが結果発表は5115位に終わった。このブログ・サイトには190万人がブログを開設していて1週間、平均で5000番以内をキープするのは可也のハードルの高さ、アマチュア無線と言う特殊な分野では更に至難の技だが三周年目に向けての私の第一目標としたい。


現在までのハイ・バンド(14MHz以上)の交信実績

2013年07月11日 13時19分45秒 | アマチュア無線

 今日も朝からカンカン照りの真夏の天気、温度計も「うなぎ昇りで」9時頃には早々と30度を上回った。外に出るのも大変なので無線機の前に座ったがコンディションは悪く14MHz以上では殆ど国内さえ聞こえず手持ち無沙汰な状態、する事も無いので14MHz以上の周波数帯で過去、如何ほどの交信実績が有るのか調べて診る事にした。私は業務日誌は「ターボ・ハムログ」を使用しているので集計はいとも簡単に瞬時に出た。実績は下記の通り




  周波数     国内      海外        小計      エンティティ

 14MHz    435    6510      6945      340

 18MHz   2209    2482      4691      288

 21MHz   8556   14319     22875      341

 24MHz    803    4455      5258      277

 28MHz    465    9024      9489      281

 50MHz   2675     250      2925       40 


  合計    15143   37040     52183      353  


 この様にデータ化すると面白い事が見えて来る。ハイ・バンドの中心的3バンド(14、21、28MHz)の中で14MHzの交信数が一番少ない、そして国内交信数が非常に少ない事、此れには理由が有り14MHzでの其の当時の国内交信の雰囲気が私にとって敷居が高く感じ、余り近寄らなかった事が原因と成っている。現在もDXぺディションかコンテスト以外は出る事は殆ど無い。14MHzでの国内QSOは此処25年は遣って居ない様に思う。



 28MHzも国内交信数は少なく28MHz帯の全体の交信の中の実に5%でしかない。此れは国内コンディションが余り開き難く交信のチャンスが少なかった事が原因で有る。反面、海外に対してはコンディションが一度開けると馬鹿飛びする特性から他のバンドで交信する事が出来なかったカリブ海、西インド諸島との交信は全て28MHzでカバーした。



 18と24MHz帯は開放された1990年からビーム・アンテナを使用して運用したが24MHz帯は28MHz帯の特性と似通って折、同じ様に国内交信数が少ないが 18MHz帯は約半数が国内交信と成っている。此れは近年、18MHz帯が3級の資格にも運用枠が拡大され全体的にπが広がった事とコンディションが開けるとQSBの少ない安定した国内QSOが可能であり私自身も14MHz帯の様に肩が凝らずにリラックスして交信出来る好きなバンドである事が起因している。



 私の現段階のハイ・バンドにおける最大目標は18MHzと50MHz帯で5000局との交信を完成する事、18MHzは残り300交信、此れは多分今年中に達成出来ると思うが50MHzは2000交信を残している為、現在、可也集中して運用しているが中々交信数が伸びず苦戦しているがコンテストを中心に運用して交信数を伸ばすべく頑張っている。


 足の痛みが完治

2013年07月10日 22時59分42秒 | 日記

 今日は21MHz帯が08時頃から聞こえ始め私のCQに2エリヤからのコールがあり交信を始めたがお互いのレポートは56-56、若干のジャミングが有りコンディション的に不安定に感じたので早めにファイナルを送って交信終了、其の後徳島市内の方からコールを戴き このバンドとしては珍しく久し振りの同県内の局との交信が始まった。日頃はローカル局が聞こえていても、双方共に遠慮が有り(何処か遠くの局との交信を求めCQを出してるのでは?)中々交信する機会が無い。呼んで戴いた事で1時間以上のゆったりとしたローカル・ラグチューを楽しむ事が出来た。充実した交信が出来たのでアマチュア無線を堪能し今日の午前中の運用はQRTした。



 午前中の散歩に行こうと外に出たが「梅雨明け十日」のピーカン天気「此れは散歩をする状況ではない!」と判断、テレビの有る居間に入りエアコンを入れて以前に番組を録画しながら見らていない番組を見る事で半日を過ごす結果に、太陽が可也西に傾いた18時過ぎに、朝出来なかった散歩に出た。何時もだと2~3人の人と会い挨拶を交わすのだが暑すぎる為か?本日は誰とも会う事は無かった。約5Kmくらいの距離をゆっくりと歩いたが家に帰り着く頃には全身が汗びっしょりと成り即、風呂に飛び込んだ。



 先般の、宮崎県の「えびの高原」で右足の親指近くを痛め、其の痛みが完治したのが10日程前の日から最初は1Km位から始め徐々に距離を伸ばし昨日から5Kmを歩く事を始めたが足の痛みは無いので明日は8Kmに挑戦してみようと思う。今日は珍しく午後以降は無線機の前に座る事は無く終わった。


今日のコンディション (2013/07/09)

2013年07月09日 20時20分37秒 | アマチュア無線

 今朝も4時少し前に起きて14MHz帯を聞き始めた。昼間はノイズの高い、このバンドが早朝はノイズ・レベルが低く入感する信号は強く無いのだが信号が浮かび上がる感じで聞こえる。早朝は大声を出せないのでLY8OU,LZ1722SN,9A282TN,RA27HW,9A287R,S573DX,IQ2CJ,MV0PCB,HZ1HX,OL863CM,L760W,SV8/SV1CEIとCWで交信し途中で18MHz帯を聞いた時にY1000LEANYとCWモードで交信した。



 夜が明けて午前中は50MHz~14MHzを聞いたが9時~11時の時間帯に18MHzと21MHz帯で少し国内が開けたが50MHzで信号を確認する事は出来なかった。午後から夕方に掛けてもバンドがオープンする事は無かった。