黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 以前には見られなかった中之島の景色が今日はバッチリと見られた。

2020年07月07日 20時38分22秒 | 日記

 

    

 

 今日も朝から曇天の天気で時折、雨がぱらつく天気で外に出る事も出来ずに午前中から暇で時間を持て余して居た。ハイバンドの国内コンディションが開ければ楽しみも在るのだが今朝のコンディションは今一の感じ・・・・・・

 

 先日に水害にあった人吉市内をグーグル・アースのストリート・ビュー機能で見ていたら以前と違い可也細かい部分まで見られたので私は暇に任せて2013年のゴールデン・ウィーク中に移動運用に出掛けたトカラ列島の十島村の第二番目の島、中之島の景色を急に見たくなってストリート・ビュー機能を利用して確認してみたら島内の主要道路は勿論の事、島の南側で移動運用地を探す為に通った道の殆どの景色が映像で見られて懐かしく其れを見て居たら時間が経つのを忘れて夢中に成って居た。

 

 私は2009年から1014年までの6年間で日本全道府県を回ったが此のトカラ列島の中之島では自分の不注意で最初で最期の公(地元、派出所のお巡りさん)の御世話になる失態を起した。其の事から全国を移動運用で回った場所の中では此の場所が一番印象に残って居たので此れまでも何回か此の機能を使って思い出の場所を見たいと思って時折、確認して居たが過去では見えない所が大半であったが今回、久し振りに試したら映像バージョンが2017年度に成って居たので『若しかして?』と確認したら御岳の周回道路周辺の景色は見られなかったが其れ以外の道路周辺の景色を7年振りに見る事が出来た。

 

 其れにしてもゼンリンさん、此の様な離島まで立体カメラを搭載した自動車を乗り入れ撮影するとは本当に凄い有難う。御蔭で今日は此の島の映像を見ながら色んな出来事を思い出して楽しかった。

 

  十島村(中之島)の東、西温泉

        


    

   


 中之島(十島村)での運用は私が予想した交信数に遠く及ばなかった事とこの日に昨日に私が乗って来た下り便が上り便と成って中之島港に入港するので思い切って一つ北側の口之島に移動する事にした。


 何故なら次に中之島に入港する便は5月11日の下り便と成り南側の島に下る事は出来ても翌日の上り便で即、鹿児島港へのトンボ帰りの行程に成る。週末の土、日曜日を移動に使うのは勿体無いし、此の日の便を使い口之島に移動すれば週末の運用地は同じ十島村に成るが別の島からの運用として有効に使えると考えたからである。アンテナを撤収して山を下ったが途中の七つ山海岸の分岐点で右折してヤルセ灯台方面に向って20分位走った所で道路は改良工事中でユンボで道が塞がれていた。現場の小父さんが「10~15待ってくれたら通れる様にする。」と言ってくれたが其の場所から灯台までは距離も有る為「話の種」だけに向うのもと考え諦めて踵を返して港へと向った。


 港近くの乗船券売場に行き、乗船の予約変更を申し出たが本日の乗船受付けは既に終了した様子だったが無理を覚悟で御願いすると女性の方が各部署に連絡戴き其の結果、乗船が可能と成った。支所を出た所で昨日、大変御世話に成った駐在さんとバッタリお会いし再度御礼を言う事が出来た。フェリーの入港までに2時間程の時間の余裕が有ったので島内の温泉に入る事にした。


 最初に港近くの西区温泉に向った。上段2番目が温泉の建物、道路から下がっており看板も無いので見付けるまで前を数回往復した。中は小型の大衆浴場の感じで御湯は乳白色で良い温泉で有った。料金は御気持ちの集金箱が有ったが私以外は入れている人は居なかったので無料なのだろう。私が入った時は地元の一回り以上の御年配の方が数名入浴中で有ったが「徳島から来た」と言ったら徳島の事を色々聞かれて話が弾んだ。西区温泉を出て直ぐに東区温泉に向かい折角の機会、温泉のはしごをする事に成った。構造的には西区温泉と同じ感じで贅沢な作りでは無かったが両温泉共に綺麗に管理されており気持ちが良かった。


 温泉を出て来ると自動販売機が有ったので喉も渇いたしジュースを購入しようと入ったが2台有る内の1台は故障中の張り紙が有り別の自販機に最初150円入れたが受付けないので次に100円硬貨を2枚入れたが再度受付けず「おかしいな?」と別の100円玉を入れたら受付けたので100円玉を更に入れたら其れは受付されず返却口に落ちる。何回しても同じなので返却レバーを動かしても最初の100円玉が返ってくる事は無かった。


 そうこうしている内に道路に車の止まる音がして車から「小父さん其の自販機は故障しているから駄目です。もう少し先に行くと自販機が有るので其方で買ったら」と教えてくれた。車を良く見ると先程、この自販機の前に停車する時に対向した車であった態々引返して教えてくれたのか?用事終わって帰り道なのか?解らないが其の親切心で100円玉が取込まれた事は腹が立たなかった。そして教えられた自販機を探して走っていると突然、大柄な人が行く手を塞いだので何事かと?車を停めると「車は上がって良かったね うどん美味しく戴きました有難う。」と言われたので総てが解った。


 昨日、駐在さんに御世話に成ったので何かの時の為に持っていた讃岐うどんを渡そうとしたら「私は警察官として当り前の事をしたまで戴く事は出来ない。」と辞退されたので「そんな堅い事を言わずに」と言ったら「其れではジャッキを借りた民宿の方に御渡しすれば貴方の感謝の気持ちも相手に伝わるし、私も道具を借りた事の御礼の気持ちを相手にお伝えすると言う事で預かります。」と実に立派な大岡裁きと成った。其の方はジャッキと道具を貸して頂いた民宿の御主人だったのだ。


 私も直接会えたので御礼を申し上げたが昨日、山で御会いして御手伝い頂いた方が偶々、宿泊していた民宿だったらしく、其の方から御主人さんは私の山で起こった経緯は聞いて総て御存知だったらしく、徳島ナンバーと屋根に乗っているポール等で私の車が解った様子で有った。そして私の車内を見渡し「流石に色んな物が載っているなぁ~此れだけ荷物が載っていると小型のジャッキでは無理だったんだろう。」と呟いていた。


 この調子で行くと小さい島、私の御岳での武勇伝が島内に知れ渡るのは時間の問題、昼のフェリーで中之島からの脱出判断は正解であった様に思う。12時頃に「フェリーとしま」は港に入港、車として乗船したのは2台のみ直ぐに少し波が荒い海を口之島に向けて出港した。

 


 俄か大工に熱心に成り過ぎ腰を痛めた

2016年01月06日 21時07分42秒 | 日記


 昨日からの腰が痛い情況は全く直らず本日は俄か大工の仕事はお休みにする事にした。作夜は20時頃から布団の中に入って眠った。処が夜中の2時頃に目覚めると矢張り腰の痛みは(鈍痛は)消えず仕方が無いので夜中に熱い風呂に入り英語教材を聞きながらバスタブに全身を浸かったり足湯状態で過ごしながら1.5時間以上を風呂場で過ごしたが此の様な経験は私にとって初めてと成って少し心配に成ったので今日の日中の作業は完全に中止して大人しくコタツの中で昼寝をしたり正月の期間に撮り溜めた番組を見て過ごしたが早朝は少しアマチュア無線を楽しんで昨年の12月26日から交信実績が無い状態が続いて居たが本日は漸く業務日誌に交信データの書込みが出来た。




  S58N(7MHz,CW)  RM5M(7MHz,CW) R70RAA(7MHz,CW)


 其れにしても海外向けのコンディションは本当に悪くEUの中心部の無線局の多い国でも信号が余り聞えないし聞えても蚊の鳴く様な信号レベルで交信し辛い状況が続いて居る。


  


 腰は痛いは首は回らずはで大変な情況

2016年01月05日 20時42分40秒 | 日記


 昨年の12月30日から本日まで正月気分をそっち除けで「俄か大工」を続けていたら今晩は腰が痛くて如何にも成らない状態に成った。夕食の後に熱めの風呂にユックリ入り体全体を暖めたが腰が真っ直ぐに伸びていない状態(体の腰から上が全体的に左側にくの字状に曲がって居る感じ)の違和感と頭と首の境界辺りに時々ピク ピクとランダム状の痛みが走る症状が出て来た。


 原因は多分、此処数日間は1階部分の蹴上がり窓の上の庇屋根の下の白い化粧板を交換していたので脚立の位置を動かしながら作業をしていたので其の上がり降りの回数は半端で無く然も元々はこの化粧板は建設時には庇部分の骨組みを取付け其の後に化粧板を打付けた後にトタン屋根を取付けて居るので古い化粧板を取り外しても建物の骨組みに打付けられた釘は取外す釘抜を動かすスペースが無く化粧板をバリバリと撤去した後、一本一本の釘を古いニッパーで抜取る作業と成り始末が悪い事にこの釘は美観を良くする為に一般の釘とは違い頭の部分が小さく釘も長いのだが非常に細い為に直ぐに頭の部分が潰れて仕舞い抜取る事に非常に手間が掛かってしまう。化粧板の厚さだけ出っ張って居る部分を骨組みの中に打込んでしまえれば作業は意図も簡単なのだがハンマーを振れるだけのスペースが無いので此の事は侭成らない。更に建物の骨組みに打込まれている釘を抜く場合にも顔が入らない部分が大半なので左手で釘の頭部分を確認したら右手のニッパーで頭を挟み釘を切り飛ばさない程度にニッパーの刃先で釘抜き作業と同じ要領でユックリと引抜かねば成らない此の作業は結構手間隙が掛かり時間食い虫だ・・・・


 其れが終ると化粧板を打付ける垂木の部分に挟まれたベニヤ板の破片を丁寧に取り除かねば新しい化粧板が閊えて旨く入って行かない最初は此れを手間を掛けて手で探って遣って居たが余りにも時間が掛かるので(隙間は2mmほどの厚さ)何か良い道具は無いか?とホーム・センター内を探し回り見付けたのが「センマイ通しセット」此れは先が真っ直ぐな物、少し斜めに曲がった物や先が丸く曲がった(ワインの栓抜き状)4本組み此れを旨く利用して垂木と骨材の間に挟まれた化粧板の残りを取出す事にした。多分本職の大工さんが作業をするならトタン屋根を外し完全に邪魔者を除いた状態で仕事をするのだろう。多分骨組みもトタン屋根下の骨組みも最初から交換する仕事にして仕舞うのだろうと想像する。其の方が作業も楽だし工賃も確り貰えるだろうから?処が貧乏人の私の場合は其の手間賃を自分で稼ごうとするセコイ考えなので其の部分は自分の体力と手間隙を掛けるしか方法は無い。従って僅か4~5mの化粧板の交換に何日も掛かって居るのだ。


 ベニヤ板の残りカスと釘の抜取りが完全に終わると骨組みの表面に見える所に茶色の塗料を塗り(先に遣らず後からでは化粧板が塗料で汚れるから)其れが終ると化粧板を現状に合わせて切り取り入れ込んで行く訳だが庇の外側部分は切り込みを入れて有るので(3mm~5mm程度の)其処に化粧板の片方は入り建物側の方は家の骨組みの影響を受けるので細工は直線では無く骨材や雨戸の戸袋の形の影響を受け可也複雑な形と成る。骨組みの形に合わせながら微調整をして漸く入れ込みして最終的に根板に釘で打付けるのだが此れが又上向きの作業、外側はベニヤ板の外側が切り込みの中に入るので打ち付ける事に寄る移動の心配は無いのだが家側はハンマーの打付け作業が出来無いので2mm程度の隙間に挟み込みと所々の根板に釘止めするのだが此の固定作業が此れ又大変な作業の繰り返しとなり要領の解らない初めての作業だけに本当に嫌に成ってしまう動作の連続、おまけに上に向いた釘打ち作業は本当に首がくわる作業である。


 脚立の移動をしながら上がり降りの動作を何回やっただろうか?脚立の上がり降りを階段数にしたら可也の数に成ったに違い無い御蔭でロートル爺さんの体はガタガタ状態で悲鳴を上げる状態に成って居る。此れで1階部分の修善作業は8割方終わったが此れからが本番、愈々2階部分の作業に入るが作業足場が必要に成るので見様見真似で自分で組むか、はたまた本職に組んで貰うか?(業者に任せると15~20万位掛かるらしい?)現在思案中、其れに合わせて瓦屋根の漆喰作業をインターネットで勉強中、外観の手入れが終ると最終は床の張替工事が待構えているし中々先は長く老体に鞭打つ日々が続きそうである。


 



 移動運用は別にして無性に車中泊の旅に出たく成った。

2016年01月04日 21時24分04秒 | 日記

今日も朝の7Mhz帯で国内コンディションが開けた時間帯は少しバンド内を聞いて居ると「境界アワード」が始まったみたいで何局かが移動運用をしていた。SSBの周波数の下の方で安養子(JO6XMM/6)さんの運用情報がクラスターにアップされていたが此方にはパスが無いのか?信号が全く聞えない状態・・・・・4~5分したら凄く弱い信号が聞えたと思ったら1分位で信号強度は59プラスに上がって何時も通りの安養子の強力な信号に変った。この段階では全国から切れ目無く声掛けが有ったが保々全員が聞き覚えの有る声の人達で懐かしく思った。運用場所は人吉市からとのアナウンスで有ったので私が5年前に人吉から伊佐市に抜けた道かな?と思って居たら明日はえびの市からの運用と言っていたのでループ橋のある221号線の境界からの運用であったらしい。このルートは2013年の三島村と十島村の移動運用の帰り道に通過したえびの高原を抜けて「道の駅えびの」から山越えのルートであった。凄く懐かしかったのでグーグル・アースで全ルートを確認したら懐かしいルート橋の景観も確認する事が出来た。其の後に其の時に阿蘇山まで走行した球磨村~八代市~阿蘇市~阿蘇山~阿蘇産山村の事を思い出して居ると無性に県外への車中泊の旅に出掛けたく成った。

 兄の初盆の法要で懐かしい人との再会

2015年08月02日 21時57分44秒 | 日記


 今日は兄の初盆の法要がある日、10時ころに親戚が実家に集まる予定が有ったので朝の起き掛けに少しでもフィールド Day コンテストに参加して50MHz帯で少しでも交信をしておこうと思いCQを連発していた。コンテスト規約の方を熟読せずに生半可の状態で1st局を求めて運用していた。昨年は此のコンテストには参加しなかったが其の前の年まで固定局は電力表示はHまで運用が可能であったと認識して居たので「59-37-H」で運用して居たら2エリアの局から「50W以上は駄目ですよ」と言われて良くコンテスト規約に目を通してみると50W以上の出力は駄目と書いて有ったので「此れでは駄目だ」とコンテストに参加する事を止めてしまった。此れは朝から大チョンボを遣らかしてしまい呼び掛けて頂いた方には本当に申し訳無い事をしたと反省した。



 10時からは兄の初盆の法要に家内と出席、極内輪の集まりだったが東京から従弟(学年は同じだが誕生月が違う)が帰って来て6~7年振りかに顔を合した。従弟は私の親父の弟の長男で高知県出身だが大手石油会社に就職し系列の会社の社長にまで登り詰めて現在も現役で頑張って居るらしい。もう一人の従弟は(同学年)私の母方の従弟で自分で自動車販売店を始め結構大きい商売を展開している社長さん。私には父方に私達兄弟を含めて11人母方は14人の従兄妹が居るが皆其々にいい年配に成って居るが現役時代は結構社長職を務めて居た人がいる。

 

 中には運輸省の役人で数百憶の予算を持ち頑張って居た3歳上の父の妹の長男も居たので会社を早期退職して全国を無線移動運用してチャラチャラしていた私等は本当に肩身が狭い状態であったが矢張り濃い血縁んで繋がって居るので社会に於ける立場等は関係無く親交を温めて「次回、其々が寄り会う時は余り良い事では無いだろうが?とにかく御互いに残された人生を精一杯頑張ろう。」と言い合って別れた。

 

 以前から「従兄妹会」を作ろうとの話が一番年上の兄から出て居たのだが(父親は3人兄妹の長男、母親は7人姉弟の一番上)其の夢を実現する事無く兄は旅立ったが兄の初盆の法要で久し振りに懐かし人と再会する事が出来て楽しい一時を過ごす事が出来た。


 「二十四の瞳」を見て感動

2015年03月25日 15時33分45秒 | 日記


 今日の午前中は国内外へのコンディションも余り芳しく無く交信出来たのは安養子さん(JO6XMM/6)の沖縄県国頭郡大宜味村からの移動運用のみ、其の他にも何局かは聞えて居たが珍しい場所からの移動運用は見当たらず無線の方は早々とQRTした。午前中は風も強く少し寒の戻りか?吹く風も冷たく午前中の散歩も億劫で最近嵌っている可也以前の名作映画を動画サイトで見る事にした。



 少し前にテレビか?ラジオかは忘れたが高峰秀子さんの自伝番組で高峰さんの北海道での幼少の頃から可也苦労をした事の話を聞いて個人的に興味を持っていた。高峰さん(1924~2010年)の映画は私が生まれた年代とに可也の差が有るので私の中では余り強烈な印象は無かったが子供心にハッキリ記憶に残って居るのは佐田啓二さん(現在の中井喜一さんのお父さん)と夫婦役で主演した「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)位だろうか?此の物語は燈台守の話で戦中戦後を通じて全国の灯台を転勤しながら苦労をする夫婦と家族を描いたもの 確か実話に基づいたストーリーで子供には関心が余り無い様な映画であったが何故か?心を揺さぶる様な迫力の有る主題歌と相俟って(私が9歳の時の映画であったが)主題歌の歌詞もストーリーも今でも確り憶えている。私の親父等は特に感動して直上の兄に海上保安大学の受験を進めるくらいで有った。(灯台の管轄は海上保安庁)最近は灯台も無人化が進んで苦労も少なく成ったが海上を航行する船舶にとっては重要かつ大変な仕事、私も「海猿」や此の映画も影響が有ったのだろうか?息子の進学時には強く海上保安大学を受験する様に進め息子も受験したが力が及ばず門前払いに成った経緯がある。



 しかし高峰秀子さんの代表作と言えば壺井 栄原作、木下恵介監督の(恵の字が違うが)「二十四の瞳」1954年の映画であろう。此の作品は小豆島の分校へ新任教師として赴任した女先生と受け持った12人の生徒との交流を描いた物語、私は有名な作品で有る事は噂では聞いて居たが此の映画は見た事は無かった。其処でインターネットで「二十四の瞳」で検索を掛けたらカット無しの全編を探し出す事が出来て小さい画面ではあったが2時間30分近い全編を今日見る事が出来た。



 此の時代は私の親父の子供時代より5~6年後位の時代、子供達の服装は大半がカスリの着物姿、先生の正装は羽織袴の時代で私達の時代とは随分違っていたが其れでも私が小学校の低学年位までは正式な行事等は特に女先生方は格好良い羽織袴姿を見たので非常に懐かしく思った。映画は今風のテクニックを余り使わず其々の生徒と教師の触れ合いを追って行くのだが其々の家庭環境(没落や家業の制約に寄る進路問題や病気)に寄って教師として如何にかしてあげたいと思いながらも如何する事も出来ない微力さに苦悩する姿を描いている。



 映画の中で大石先生は其々の家庭の事情がある事なので「人は其々に悩みが有り自分だけが不幸と思わないで!先生は此の事には何にも言えないけれど(出来ないけれど)一緒に泣く事だけは出来る。何か有ったら尋ねて来て!一緒に泣く事だけは出来るから」との台詞にどどっと涙腺が緩んでしまい後はタオルが必要な状況に見舞われた。



 古い時代の映画で しかも白黒画面で音声の状態が悪く所々解り難い所もあったが2時間半があっと言う間に過ぎ、久し振りで白黒映画で感動した。多分此の時代の生活状況は白黒映画だからこそよりリアルに表現出来たのだろうと思えた。興味が有る人は一度見られたらと思う。


ブログ開設以来、初めての閲覧数2000越え

2014年12月20日 10時47分34秒 | 日記


 今朝起きて何時も通りの日課のブログの訪問者数と閲覧数を確認した。訪問者は何時も通りの平凡な数字で有ったが閲覧数を見たら驚きの数字、開設以来の2000越え(通常は500~600多い時で800~1000位の数字)最初は200かな?と桁数を確認したが間違いない。

 アマチュア無線だけの記事なら此れだけ多く閲覧はしなかっただろうが矢張り庶民のささやかな夢をつなぐ「年末ジャンボ宝くじ」の事を書いたので日頃アクセスしない方が検索で私のブログに飛び込んで、其の後に前後の記事を読んだ事が此の結果に繋がった感じがする。

 今年の夏の北海道に旅立つ前は訪問者も1日に200人平均居たのだが40日間ブログが止まったのでそれ以降は平均100~130止まり、既に5ヶ月が経過したが数字は一向に返り咲かなかった。勿論原因は内容のつまらなさが最大とは思うのだが、それ以外の要因を私としては模索していたのだが今朝の数字を見て何と無く今後のヒントを感じた。

 矢張りアマチュア無線だけに拘ったブログでは日々の記事の題材に困る状態、矢張り他のジャンルを見ている人を呼び込まねば数字が伸びる可能性は少なく来年からは日々の内容を多彩にせねばと思った。

 今日は昼から出発して一泊する我家の忘年会、参加者は日頃家内を温泉旅行に誘ってくれる家内の姉夫婦を招待、私達夫婦と息子の5人、以前に此のブログで紹介した四国の最東端にあるが蒲生田岬の対岸、椿泊の民宿で阿波水軍の料理を戴く予定、行きに蒲生田温泉に立寄るが無線運用は無し年一回の豪華な料理を楽しむ予定にして居る。


蛍のシーズンも早くも終わりか?

2014年06月05日 21時43分08秒 | 日記

 
 此処2日程、天気がガラリと替わり夏の様に暑い日から涼しく成り雨が降ったり止んだり時折、強い風が吹いて荒れ模様の天気、今日も終日、雨降りの天気だったのだが先程、漸く雨が上がったので庭先に出たが今日は蛍が一匹も飛んでいない。今年は5月の22日に私は初めて蛍が飛んでいるのを確認したが其の後段々と増え始め5月の31日が一番多く私の家の敷地近くの100m位の範囲の中で100匹を越える蛍の乱舞を見る事が出来た。

 

 此の数は此処20年で最高の数字、昨年などは九州と隠岐の移動運用を終えて蛍を見る為に合わせて5月21日に帰って来たが蛍はポチポチしか飛んで居らず最盛期でも30匹前後の数で有った。其れに比べると今年は異常発生、徳島県の蛍の名所の、旧美郷村(現在の吉野川市)も如何なる理由か解らないが例年に無い蛍の数で賑っている事が報道されていた。



 此の場所には蛍が沢山飛んでいる事は皆さん知っている事なので毎年、何組もの子供連れが「蛍を見せてくださいね」と我家の敷地内に入って来るのだが今年は御近所の奥さんの御一人だけ都会住まいだった其の方は蛍の飛ぶ風情を驚いた様子で楽しんでいた。 蛍は我家の横を流れる岡川の200m位の区域でしか飛んでおらず周囲は草が生い茂り迂闊に入り込めず間違って川に転落したら辺りは真っ暗だし大人でも這い上がれない程に水が早く流れている。辺りがハッキリ見渡せて安全に蛍の乱舞を観賞出来るのは我家と直ぐお隣の家に入っていく私有地のみで例年訪れる方が何人か?居られるのだが今年は子供連れの家族は一組も無かった。



 今年も家内と何回か風呂上りの涼みに蛍の飛ぶのを外に出て眺めたが久し振りに「乱舞」と言える数の蛍の飛び交う情景を見ることが出来た。蛍の寿命は短く10日から長くて2週間くらいで姿を消す。今年も既に其の時期も終わろうとしている。少し残念だが我家で一番季節を堪能出来る時期は3月後半から4月の初めに掛けての桜の開花と初夏の風物の蛍が飛ぶ此の時期、今年は既に其の二つが終って仕舞い寂しい気がする。


蛍の乱舞の季節

2014年05月26日 23時59分04秒 | 日記


 毎年此の時期に成ると我家の南側を流れる岡川に蛍が飛び始める。時期的には5月25日から6月の第1週目位の間、2~3日前から数匹飛び始めたのは確認していたが今日夕食後に外に出たら例年に無く多く飛んでいる。岡川は無線をしている部屋の3m先を流れている川幅3m強の川で可也流れの早い川で子供等が落ち込むと這い上がれないくらいの勢いで流れている。調度我家の反対側は元、大野中学校が在った場所で川岸は3mHの石積みで我家側は低いコンクリートに成って居るが川底は土で両岸は鬱蒼とした草で覆われて居る為 いまだに蛍が生息する環境が残って居る。しかし其の環境も我家を中心に上流側100mと下流側150mの範囲だけである。



 我家が家を建てた頃は地元の民法放送局が撮影に来るほど蛍が飛んでいたが此処数年は段々と飛ぶ数は少なく成り少し寂しい感が有ったが先程数えたら近年に無く100匹以上を確認し久し振りに「蛍の乱舞と」言うに相応しい状況と成っていた。此の辺りは可也田舎だが其れでも蛍が飛ぶのを見ることが出来る場所は殆ど無くなった。現在も直ぐ横の窓際を時々蛍が横切って行く時の蛍の点滅する光を見ることが出来る。我家では四月の桜と初夏の風物詩の蛍が飛ぶ此の時期に一番季節を感じる事が出来る。今年も其のシーズンが到来した。先程も例年通りに家内と30分位、外に出て観賞して至福の時を過ごした。蛍を見られる期間は非常に短いが今月一杯は毎晩、夕食後に蛍の乱舞を楽しめそうだ。田舎生活は不便で苦労もあるが其処で無ければ味わえない楽しみもある。ある意味贅沢な楽しみなのかも知れない。


段々と節約せねばと思う年金生活

2014年04月23日 16時46分11秒 | 日記

 

 


 今日は青空の広がる最高の天気で有ったが残念ながら昨日の山歩きの疲れと、少し風が有るのでアンテナ入替作業は中止、朝方にハイ・バンドを聞いてみたが殆ど海外からの信号は聞えずコンディションは良くない感じ、早々に諦めて、そろそろ納入期限が来る。固定資産税と自動車税の納入に出向いた。此の時期は色々と出費が多く此の26日には自動車の任意保険の支払いが迫って折、来月には健康保険料、其の後に県民税、市民税と続く・・・・現役時代は今から思うとボーナスと言う有難い物が有って計画的に残し一度に来る此の時期を乗り切って来たが退職すると其れは無くなるので年金の1ヶ月以上の金額の納税が集中して来る此の時期は中々大変である。



 日頃は町内の郵便局で納入するのだが欲しい物も有ったので阿南市内に有る大型電気店と大型資材店を回った。家電店では前々から欲しいと思っていた外付けHDDと外付けブルーレイの書き込みドライブを購入予定で有ったが当初予定の外付けHDDの500GTを同じ買うなら1TBに変更したため予算オーバーした。少しのオーバーだったが今日は税金だけでも10万以上支払ったので気持ち的に現役時代とは違い少し節約しなければと思い辛抱する事にした。

 

 大型資材店にはアンテナ工事用のワイヤークリップとブームの垂れ下がり防止するステーワイヤとターン・バックルを購入する予定で立ち寄ったがワイヤーが約11m必要なのだが1m辺り280円もしたので家の周りを探すと昔にダイポールに使用していた廃材がある筈なので其れを流用する事にした。ターンバックルは一度張力を調整したら動かす事は殆ど無いのだが数年後にアンテナのメンテ作業で外す時に鉄製だとアカサビで動かなくなるので今回は奮発してステンレス製にしたいと思っていたが鉄製は1個160円、反してステンレス製は1100円した。在庫の関係でステンレス製は少し大きいので同比較は出来ないのだが此の差は余りにも大きいので鉄製にする事にした。金額的に少しの差だが年金生活に成ると少しでも「出を制さなければ」との思いが働くのが少し寂しかったが必要不可欠なものと違い所詮は遊びの道具、出来るだけ今後も節約を旨にせねばと思った。



 正午前に家に帰って21MHzと50MHz帯の国内の信号が入っていないか?聞いてみたが国内はオープンしていなくノイズばかりの状況、諦めて散歩に出かけた。外は風は有ったが青空が広がり絶好の散歩日和で何時もの堤防下の河川敷の散歩コースをユックリと回り途中の堤防の草むらに寝転んでみたり野草の写真を撮ったりして遊んで帰って来た。これ等は費用が掛からないので年金暮らしには分相応である。



2番目の写真は花の上で日向ぼっこをする黄金色の蜘蛛、3枚目は河川敷に沢山居る鶯の鳴き声がする方面に向けてシャッターを切った。


 季節の移り変わりの速さ

2014年04月15日 22時50分31秒 | 日記


 今日は7時頃に起きたら朝から雲一つ無い快晴の天気、風も全く無かったので絶好の工事日和と思い 月曜日に風が吹き出来なかった。21MHz帯の5エレのアンテナを降ろす作業を考えていたら珍しく早朝に我家の電話が鳴った。1~2回呼び出しが鳴って直ぐに切れたが、電話を取りに行って正面のカレンダーを見た所で 誰からで何の用件か?直ぐに解った。今日は15日、「那賀奥のダム湖の水取りの日」であった。



 リタイヤ後の日々は毎日が休日なので「今日が何日で何曜日か?」の感覚は薄れてしまう。カレンダーの15日の所に丸印と用件が書き込まれて居るのが見えたのでハット気付いたのだ。数秒後に再度電話が掛かり甥から予想道理の用件の電話が入った。予定は忘れて居た訳では無いが私の中で日の感覚が少し曖昧に成っていたので電話が無ければ気付かなかったかも知れない此れは信用問題で朝一番から思わぬ冷や汗ものであった。



 集合は8時30分なので時間的には十分余裕が有ったので問題は無かったが最高の工事日和に所用でアンテナ工事が出来ないのは一寸残念であったが頼まれて居た事を優先するのは当然の事、身支度を整えて我家を出発した。集合場所の「わじきの道の駅」には8時20分頃に到着したが外に出ると山の木々の間に雲一つ無い青空が広がり年に数日有るか無いかの?素晴らしい天気で有った。

 

 作業は那賀川に降りてボートで移動しながら所定の場所でサンプルの採取や測定器を川底に下ろして各種測定のお手伝いだが(実際は余り御役には立って居ないが)メインの仕事は作業後にサンプルを集めた物を高松の分析センターまで送り届ける事で全工程は約300Km位有るので殆どが自動車の運転である。此れも毎日だと多分嫌に成ると思うが10日に一回のペースで徳島から高松間は高速道路を使うので半分ドライブ気分で楽しく務めている。元々、私は現役時代は徳島県下の御客様の家まで出張修理に出向いていたので一日に100~200Km程度の走行距離は日常茶飯事の事で余り苦に成る方では無かったので其の意味では此の仕事は私向きなのかも知れない。



 先月の初め辺りまでは川をボートで走ると風が冷たく厚着に雨具を重ね着した上にライフ・ジャケット姿でも寒くて震える日も有ったが今日は打って変わって川面で21℃も気温が有り暖かいを通り過ぎて熱い感じ、天気は良いし新緑の中に桜もまだ花弁が残って居る季節の中での作業で大変気持ちが良かった。 今日帰って風呂に入って顔を洗ったら少し日焼けしたのか?少しヒリヒリ感があった。日中は外に居たので今日は無線機のお守りをする事も無く一日を終えた。明日以降は予定が無いので天候に恵まれれば順次、アンテナ交換作業を進め様と思っている。


 まだまだ続く花見シーズン

2014年04月07日 23時08分00秒 | 日記


 今日は2週間振りくらいに長安口(那賀町)まで行った。阿南市内は土、日曜日の雨と風で桜の花も可也散ってしまい 場所に寄っても違いが在る物の2~4割位が葉桜状態に成った木々が目立ったが長安口迄山に入ると桜は満開状態で路面にも花びらが余り落ちておらず丁度「花の見どころ」気温の方も昨日とは打って変わって20℃も有り正に最高の花見日和と成っていた。今日は仕事で出向いたのでデジカメはもって行かなかったので写真に撮ることが出来ず残念な思いをした。

 

 此のコースは2~3月に何回も往復したが前回までは植林された杉林と那賀川の川沿いを走る道筋で何時もは緑一色の杉林の単調な景色の中を走るのだが今日は彼方此方に白や薄いピンク色の満開の桜が其の景色の中に強力な存在感を表していた。此の場所は阿南市の平地と比較すると海抜で400mH程高いので桜の開花状況が大分違う様子、此の様子では先日に行こうと思っていた神山町の川井峠へ近日中に訪れようと思っている此の場所は海抜771mHで今回の場所より300mH高いので良いコンディションの桜を見ることが出来ると思う。万一状況が悪い時は土須峠(1042mH)に向かえば途中で良い状態の花見が出来そうである。







 風邪いまだ治らず・・・・

2014年04月06日 16時42分01秒 | 日記


 風邪をこじらせて今日で2日目、然程熱は無いのだが頭が鈍痛で朝から痛い状況、其れと何より体の節々が痛くて困った。月曜日には仕事の予定が入っているので如何にかして風邪を治さねばの思いから無線も自粛して終日大人しく過ごした。VK9MTも嵐の関係か?完全撤収になった感じ 今回も160mバンドで交信する事が出来なかったのは残念であったが3.5MHzと7MHz帯のSSBを除く其れ以外で合計13交信出来たので良しとしなければ成らないだろう。とにかく体調が悪いと何も手に付かない。


 無線より花見

2014年04月01日 21時55分13秒 | 日記

 



 暫く各周波数帯を賑わしていたTX6G(フランス領ポリネシア)からのDxペディションも終った様子で今日からはVK9MT(メリッシュ・リーフ)に集中する事が出来る状況に成って来た。双方共に海上伝搬の信号なので信号も強力で安定して入感して居たので特別な苦労は無かったが相手のNA,SA,EUの指定が有り待ち時間が長かったのには閉口した。先週の週末には親父の7回忌の法事が火曜日、水曜日は一気に花開いた桜を見に阿南市近郊の桜の名所で花見のはしごをした為に無線の方は少し集中力に欠けTX6Gと多くは交信できず失敗の巻・・・・



 矢張り此の時期は何と言っても「桜が一番」ぱっと咲いてぱっと散る花の命の短さと日頃は目立たない木だが開花時の其の存在感の大きさで日本人に最も愛されている花ではないだろうか?数ある花の中でも「花見」と称されて此の時期に全国共通で繰り広げられる花に纏わる行事等は他に有るだろうか?私は退職して平日に何処にでも出掛けられる身分に成り此れからの人生での先細りの状態を感じた2~3年前から「来年は此の桜が見れないかも知れない?」と思う様に成ってから家内と近郊の桜の綺麗な所を見て歩く様に成った。日曜日は地区の「花見会」に出席、此の時は寒くて花も漸く開き始めた頃であったが火曜日辺りから一気に花が咲き揃い見頃となったので昼から一人で勝浦町の道の駅「雛の里」、岩脇公園、明見山、西部公園、水際公園と花見のはしごをして回った。木々の多さや規模では矢張り「雛の里」が近在では一番、続いて岩脇公園の桜の馬場、此の場所は幼少の頃から花見弁当を持ち良く訪れて居たので思い出深い場所、大野町の西の端にある西部公園の「枝垂れ桜」も見逃せない。



 水曜日(昨日)は「名も無い桜シリーズ」と称し加茂谷の「猫神さん」ど有名な「お松大権現」や吉井町、鷲敷町まで足を延ばし遠征して写真を撮りまくって帰って来た。沢山の人が行き交う花見も良いが昨日辺りから花が散り始め花吹雪の中での一人での花見も乙な物で結構楽しんでいる。今の状況だと結構、桜に嵌っているので此れから少しずつ高い所に上がりながら桜の追っかけをしようか?と考えている。