黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

隠岐の島の移動運用

2011年11月22日 08時29分02秒 | 日記


 2011年 6月13日 晴天に恵まれて七類港から出港する船に乗船、一路隠岐の島へ、この航路は乗船客も多く受付窓口は沢山の人が並んでいた。観光客も多かったが釣人の集団が非常に多かった。フェリー会社の設備やサービスも沖縄航路とは比較に成ら無い程、良かった。天気が良かったので到着まで甲板に出て2時間近くを過ごした。

 昼前に隠岐の島に到着、スーパーに飛込み食料の買込みが終わると移動場所の確認(各島の移動ポイントはJL1ERJ小原さんから情報を貰っていた)に飛行場の周辺を確認、高台の良い場所をナビに登録
し後、島の観光と島の北側に温泉が有ったので風呂に入ろうと島の中央の道を北に向かった30分以上走って迷いながら温泉を見付けたが、車が1台も停まって居なかったので、施設に入って行くと叔父さんが浴槽の掃除をしていたので「夕方から営業ですか?」と聞くと「今日は定休日」とつれない返事、沖縄に続き相変わらず温泉には縁が無い。此処まで来るとロウソク岩を見ないで帰るわけには行かず島の北西の突端まで行った。ローソク島展望台に車を止めローソク岩の写真を撮り終えて駐車場に帰ると同世代位の御夫婦が話しかけてきた。「徳島から観光ですか?」から始まり、世間話に花が咲いた。その御夫婦も定年退職し全国を旅行するのが楽しみで始めた所らしく興味が有ったのか色々聞かれた。私は退職後、一人で5ヵ年計画で全国を無線をしながら旅行しており、沖縄の帰りに隠岐を最終に徳島に帰る途中である事を説明すると「どの様にして生活しているのか車の中を見せて欲しい」と言われたので御見せした。少し驚いていたので こんな旅行をしていると「皆さんから羨ましい」とよく言われますが誰もがこの様な生活は辛抱出来る訳では無く余程旅行が好きでないとこの様な生活は出来ませんと言ったら御二人が笑っていた。

 1時間以上話をしている内に国内が開ける時間に成ったので最初の運用ポイントを諦め、この駐車場で
運用する事にしてアンテナを設営、運用を開始 この場所は名勝シリーズのポイントが有りアクティブに
運用する局が無いので即パイルアップが起こり予想通り沢山の局と交信する事が出来た。


 総交信数 624交信 内3.5Mhzは79交信で終了した  



















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DXに再挑戦

2011年11月17日 22時07分53秒 | 日記
 今の場所に住所を変更してからは(1975年頃)若かったしDx通信に興味を持ち毎日、早朝から深夜まで各バンドを聞いていた。当時はクラスターなる物は無く 自分の耳が頼りの時代、聞かないと始まらない時代だった。随分、無駄な時間を費やしたと思うが得る事も今思うと多かったように思う。何せハム全盛の時代の世界の一流のオペレーションを毎日、数時間に渡り聞いていたのだから少しは刺激を受けていると思うのだが?

 サイクル21とサイクル22は思う存分海外と交信した。現在の海外との総交信数は4万交信をオーバーして居るが最近(2005年から2011年)は月に1~10局程度しか遣っていないので95%位は其の期間に遣っている事に成る。新婚時代に無線機の傍に布団を敷き無線中心の生活、子供が出来てからも子供の相手をせず無線ばかり遣っていたらしい子供曰く「父さんがヘッドホーンをしている時は声を掛けられない」と言って居たくらい御蔭様で子供達は大の無線嫌いに成ってしまった。

 2005年から全市全郡全町村に挑戦、退職した事も有り、かなり気合を入れて遣ってきて沖縄県の与那原町が未交信で残るのみと成った。来年行く方が居られるので多分来年には完成すると思うので来年から本格的にDx通信に取組もうと考えて最近、1日に最低でも1局以上の交信実績を作る為、各バンドを聞き始めた。太平洋方面が連日出ている様子だが出来て当り前の所、最近では3XY1D 7Mhz CW 本日の21Mhz SSB 9N7MDの信号を聞くと久し振りに私の血が騒いだ。6年間の御休みの間に海外で3つ未交信の場所が有る。全世界、全日本との交信と日本全都道府県の移動は遣り遂げ無ければ「死んでも死に切れない」此れが私のアマチュア無線の最終目標だ。
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カード発送の問題

2011年11月09日 08時10分38秒 | 日記
 QSL印刷用のレーザープリンターが故障し、しばらく休止していたカード印刷を最近、4日連続で始めた 毎日連続使用したが 色んなチェックをしたりすると1日当たり3000枚が限度の様だ。印刷方法はJARL指定順、入力順とか色々有るが私の場合は入力順を利用している 理由はJARL指定順した場合 万一プリントミスをした場合、排紙がランダムの為、最初からのチェックかコンピュータを併用したチェックが必要に成る。(私の今までの経験から5000枚に1枚くらいのプリントミスが発生している)其の点、入力順にすると発見し易く、前後のカードの印刷状況が確認しやすい。  入力順に印刷されたカードを写真中央の様に手間は掛るが一枚一枚検査しながら各エリヤ毎に分類して、箱に入れて発送している。(写真3の約14000枚の中で紙が重なったのか途中で印字が無いのが3枚 パソコンへの入力ミスと思われるコールサインのおかしい物1枚が有った)以前はこの様な確認をせず送っていたが「カードが1枚届かない」の申し入れが何回か有り確認段階でコールサインの聞違え以外にも潜在的に前者の問題が有ると思い 最近は確認する様にしている。最終確認をしない場合、今回で解っただけで現実として4局分のカードが届かない事と成る。  其れがどの局に成るかは解らないし申出が無ければ当局は届いていると思い、相手側はカードを出さない局と思うだろう。其の為の防御策としてメールアドレスをカードに印字する様にしている。完全な物ではないが申し出て戴ければ有難いのだが、でも此れは移動局の勝手な言い分かも知れない。
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鹿児島県大島郡瀬戸内町の移動運用

2011年11月04日 23時50分17秒 | 日記
 
 
 2011年 5月20日 鹿児島県大島郡瀬戸内町で移動運用した

 沖縄本島から鹿児島港までの船便は1日1便の為、与論、沖永良部、徳之島と順次、入港時間が遅くなり
上りの船が奄美大島に入港する時間は夕方に成る、逆に下りは鹿児島を夕方に出港の為、翌日の早朝に成る
其の為、上り便の場合は夕方から夜の時間帯のパスは使えなくなる。入港して直ぐ移動場所の確認の為に山に登った夜で周りは良く解らなかったが高さが有る様なので一安心、ガスが出たのと自動車の燃料が残り少なく心配だったので下山し当日は港から1Kmくらい離れた車が6台も停まると満車になる公園で早々と眠りに就いた。

 奄美大島は南側に大小の島があり(内海が有り)瀬戸内町の古仁屋港に入港時には島の近くを左右に舵を切りながら進むので周りの景色と航跡が美しく見応えがある。次の朝(近くの灯台から撮った内海の写真が3枚目、クレーンの国道側に公園が有った)食料調達のスーパーが開くまでの時間で港近くを散策した。(写真2枚目)中心の水色の大きい建物に土曜市と思うが早朝から連絡船で人々が集まり準備で賑わっていた。私が入った時は値札を付ける段階だったが早々と売手と買手の交渉が裏で始まっていた。係りの人が「まだ市は始まっていません不公平に成るので裏交渉はいけません」のアナウンスに笑ってしまった。今風に言えばフリーマーケットは可也盛況で活気があり私が想像していた瀬戸内町のイメージとは違っていた。

 スーパーで食料を調達、基本的に移動中は二食、早朝からの運用が始まり通常9時~10時近くまで運用するので朝食はまず食べられない其の後アンテナの撤収などをしていると少し早い昼食の時間帯に成るので如何してもパン食に成る 栄養が偏るので野菜ジュースとバナナは欠かす事は無い。夕食は次のポイントに移動中にスーパーを見つけて弁当を購入するが高くても400円以下、基本的にコンビ二は利用しない ただ九州の安養子さんの言う「おむすびだけはコンビニでないと駄目だ」には同感、其の場合にはコンビニに入る。ご飯物で飽きないのは巻寿司、いなり寿司などだ。非常食としてクラッカーや乾パンも積んでいるが多分、死線をさ迷う時にしか食べないと思う。現在の物も何時買ったのか記憶に無いくらいだ。カップラーメン、お湯で作る焼そば等は常時5個以上は積んでいる。調理用器具としては去年までは電磁調理器と電子レンジを搭載していたが電子レンジが場所をとるのと発電機を必要とするので今回から携帯ガスコンロと電磁調理器にしたが後者は今回使用する事は無かった。水は箱入り(非常用に6本組を積んでいる)通常の使用分は道の駅やガソリンスタンドで給油時に貰う様にしている、道の駅の水道蛇口では容器に水を入れられないので小型のヤカンを持っていると便利だ。この生活を2ヶ月継続すると毎回6~7Kgは確実に体重が減る。交信する皆さんから「そんな事が出来るのがうらやましいですね」とよく言われるが実情はこんなものだ。お酒は元々飲まないが移動中は菓子類と糖度の高いジュース類は口にしない事にしている際限なく欲しがる様に成るからだ。移動中で一番困る事は体調を崩す事で昨年北海道で脱水状態に成り大変不安になった事が有った 今の時代、前記した物は何処でも手に入る物ばかり常備の必要はないかも知れないが意識は常に必要だと思う。

朝9時頃 車の燃料を補給、昨日来た道を30分位登ると380mHの駐車場に着いた夜には見えなかったが直ぐ近くにテレビアンテナの鉄塔が有りほぼ山の頂上付近、障害物も無く抜群のロケーションすぐさまアンテナを設営、心配したテレビ電波の妨害も入らない電波は飛びそうな予感があった。

 この場所での総交信数は 799交信

      28Mhz   20局
 
      24Mhz   32局

      21Mhz  248局

      14Mhz    6局

      18Mhz   27局

       7Mhz  466局

 3.5Mhzの運用は夜ガスが掛り視界が悪かったのとアンテナの片方が草むらの中に入らないと切替が出来なかったので(ハブが居る可能性が有った)中止し実績なし 夜1時を回った頃、2台の車が来て10人くらいの人が山の中に入って朝方4時くらいに帰ってきたので何かなと後で地元の人に聞いたらハブを取りに来ていたらしい良い値段で売れるとの事、3.5Mhzを運用していたら100局以上出来たと思うが状況判断としては正解と思っている。

 
  


























































































































































 

 
 
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鹿児島県大島郡徳之島町の移動運用

2011年11月03日 17時31分41秒 | 日記


 2011年 5月19日 鹿児島県大島郡徳之島町に移動

 天城町で運用後、徳之島を時計回りに亀徳港に向かい南下する途中(町立の井之川中学校の少し北側)の海淵に公園が有ったのでトイレ休憩のつもりで立ち寄った。国道から緩やかな坂道を下ると大きいトイレと東屋が有り正面に太平洋が広がっていた、昨日は天城町での長時間の運用、正直、無線はどうでもよい心境に成っていたので車の中で少し眠った。2時間くらい眠ったと思うが夢うつつの中で懐かしい演歌が聞えていた。

 目が覚めると軽四の車の天井に取付けたスピーカーから其の演歌が流れていた。聞きながら暫くぼんやり海を眺めていたら其の車のドアが開き、同世代の男性が出てきて「アマチュア無線ですか?」と話掛けて来た。「そうです」と答えると昔、ハムの経験が有るらしく懐かしそうに車内の無線設備や今のアマチュア無線の事等を色々聞かれた。無線が聞きたそうだったのでアンテナを設営し受信し音を流すと「随分 雰囲気が変わりましたね?浦島太郎状態です」と笑っていた。

 アンテナを建てるとQRVしない手は無いなと無線の虫が起きて21Mhzから運用を開始した。この場所での総交信数は874 内 21Mhzが 97局 18Mhz が41局 24Mhzが 12局 28Mhz が 1局
3.5Mhz が 153局 総交信数は天城町に及ばなかったが時間当たりの交信数は徳之島町が上回っている。 徳之島の3町で総交信数は2642交信と成った。

 演歌の主は其の後も運用中に3回ほど訪れては一言、二言、話しては去って行く不思議な人だった ひょっとすると無線の虫が騒ぎ出したのかも知れない 最後の別れの時「昔を思い出して又始めませんか?」と声を掛けたら肯定とも否定とも思える笑みを浮かべながら去って行った。多分、同世代と思うが私の好きな演歌が現れる度にスピーカーから流れていた。移動から帰って6ヶ月が経つが不思議と其の情景やその人の
笑顔は今でもはっきり思い出せる名前は勿論、何処で住んでいる人かも知らないのに本当に人の出会いて不思議だ。夢物語だが今回の事で無線を再開する様な事が有れば嬉しいのだが?

















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国内の交信記録を出した鹿児島県大島郡天城町移動 2-2

2011年11月03日 00時50分24秒 | 日記
 2011年  5月17日 17時40分運用開始

  17時40分~22時26分   7Mhz   338局

 2011年  5月18日

  04時09分~09時48分   7Mhz   188局

  12時02分~18時03分  21Mhz   177局

  18時05分~18時54分  18Mhz 67局

  18時57分~19時25分  21Mhz    33局

  19時29分~20時16分   7Mhz   138局          

  21時41分~22時30分  3.5Mhz    156局

                総交信数   1097局


  最終的に1097交信 秋田県の藤里町の交信記録を大きく更新した 3.5Mhzにおける交信数も過去の数字を大きく上回った。これ以上の数字を出す為には可也の離島に行くか海外での運用しか無い様に思える 元気で居られれば自己記録に再挑戦したいと思っている。
  
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国内の交信記録を出した鹿児島県大島郡天城町移動 1-2

2011年11月03日 00時50分09秒 | 日記


 2011年 5月17日 天城町の運用ポイントを探す途中、徳之島町の砂浜に誤って入り出られなく成り悪戦苦闘の結果、脱出し天城町の北端、ムシロ瀬に移動この場所に遅れながらも到着、アンテナを設営、運用を開始した。ムシロ瀬は徳之島の北端にある観光の名所、高さこそ無いが北方面は写真の様にすぐ海
南は山を控えていた。最高の運用場所では無かったが思わぬトラブルで遅れた分、辛抱するしか無かった。

 今回の離島の運用中、多分徳之島の何処かで国内での交信記録の達成は必ず出来ると信じていたが私自身は其れは徳之島町と予想していた。しかし以前にも書いた様に皆さんからは「天城町の予定は何時ですか」と聞かれる事が多く反して徳之島町の予定を聞かれる事は余り無かった。私自身は天城町は比較的簡単に出来たが徳之島町は2005年から全町村を追いかけ始め4年間、交信出来なかったし聞いた事すら無かった。

 私の移動運用した場所での総交信数の最高は秋田県山本郡藤里町の854交信(複数のバンドでの運用なので交信局数は不明)この私自信の記録を更新する場所は比較的簡単に行ける場所では徳之島しか無いと1年を掛けて計画して来た。 
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鹿児島県大島郡伊仙町の移動運用

2011年11月02日 23時38分13秒 | 日記
 2011年 5月15日の夕方前、沖永良部島を出港した船は夕方に徳之島の亀徳港に入港したスーパー で食料を買込むと直ぐ薄暗く成り(雨がショボショボ降っていた)其の日の運用は諦め沖縄を出て最初の洗濯をするためコインランドリーに行き其れが終わったのが21時を回っていた様に思う。亀徳港の駐車場に 入る頃には本降りと成り早々と眠りに着いた。翌朝、徳之島を時計周りに伊仙町に行く事にした。地図写真の小原海岸近くの公園に偶然迷い込んだ 寂しい所で駐車場は舗装されていなくハブの居そうな気がしたが(徳之島はハブの多く居る島)人家は無いしアンテナを張るには十分な広さと観光客が訪れるような場所では無かったのでアンテナを設営した。  この場所での総交信数は671局 21Mhzが129局 18Mhzが29局 24Mhzが2局 3.5Mhz のアンテナの切替は夜に成るし雨が降り視界も悪かったのでハブの危険性から運用しなかった。  運用時間は10時42分から15時36分までは21Mhz を15時39分から16時21分までは18Mhzを 16時42分から21時15分までを7Mhzで運用している。途中、町の観光課の方が公園の状況チェックに来られアマチュア無線の話になり伊仙町のPRに成ると感謝された。最後の写真は小原海岸から犬田布岬方面
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鹿児島県大島郡知名町の移動運用

2011年11月02日 21時49分53秒 | 日記


 2011年 5月14日 鹿児島県大島郡知名町で移動運用 

 和泊町の城ヶ丘中学校を出て少し行くと知名町に入った町は農業地帯で田畑が多く和泊に比較して人家もすくなかった。又例により少しでも高い所を目指し山に上って行くと(240mH)頂上部にレーダーやパラボラアンテナやワイヤーアンテナが乱立する基地の建物に出た 後で調べると航空自衛隊の沖永良部島分屯基地だった(写真の場所)近くを車で通行出来たが物々しい門番が居たので長居は無用と少し下がると町営らしい運動場が有ったので運用出来るかも知れないと車を止め釣竿アンテナで聴いてみると案の定 雑音が出ている 特に21.195Mhz 当たりの妨害はかなり強烈でアンテナが回っている周期で強いのと少し弱い妨害信号が同じ周期で出ていたので自衛隊からの物だと察しは着いた。何れにしても御上と喧嘩しても勝目は無いので山を下り出来るだけ離れた島の南の海岸線まで下がり運用場所を探した。
 島の南側の住吉に入ると漁港らしい堤防が見えたので入って行くと写真の場所に着いた。人家も無く昼間は釣り人が居たが此処なら気兼ね無く発電機が回せると思ったのでアンテナを設営した最初の写真の岩の前の土が黒くなっている当たりに車を停め前の堤防と平行に成る様アンテナを張ったが撤収前に写真を撮り忘れた。昼間の写真なので解らないが日が暮れると真っ暗、街灯一つ無く闇の世界、流石の何処でも怖い物知らずのAVMさんも少々びびった。
 この場所では総交信数は730局 (内21Mhzが90局 3.5Mhzが114局 18Mhzが66局)伝搬状況も良く15時27分から16時48分までは21Mhz で運用、16時54分から17時28分までは18Mhz 17時30分から21時42分まで7Mhz で21時56分から23時までは3.5Mhzで運用、翌朝 05時12分から09時まで7Mhzで運用 実に11時間以上運用した事に成る。
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鹿児島県大島郡和泊町の移動運用

2011年11月02日 17時35分52秒 | 日記


 2011年 5月13日 鹿児島県大島郡和泊町に移動した。与論町をフェリーは昼過ぎに出港、私は乗船すると直ぐにシャワー室に飛込み体を洗った(台風の影響で3日間の足止め湿度が高いので間平さんのギャグの「体が痒いの」状態だった)此れ以降鹿児島までの間、離島には公共の温泉を見つける事は出来なかった。すべて離島を結ぶフェリーの中の有料シャワーを利用する事と成った。ただ徳之島と奄美大島(徳之島では3日半、奄美大島では5日半の滞在)では我慢できず海水浴場の冷水シャワーの洗礼を受ける羽目に成った。シャワー室と言っても表航路は4室位、裏航路(値段の安いフェリー)は1室しかなく衣類を置く棚も無いに等しい状況の設備で有った。

 2009年 北海道に移動した時は新日本海フェリーを使用、移動距離も約1000Km で航行時間もほぼ同じ24時間、料金は半額の32000円、10人位入れる浴槽で23時から朝の6時までは閉まるが其れ以外は入浴が自由、映画の上映も午前と午後に有った。ボヤイテモ仕方ないが「この違いは何なんだろか?」航路の競合が無い事と利用者が少ない事と思うが此れでは船旅の魅力が感じられない 非常に残念に思った。

 和泊町は離島のイメージがあまり感じられず港の近辺もかなり開けた感じだった、移動場所も条件のよい場所が沢山有ったが少しでも高い所が良いと考え小高い丘の上にある城ヶ丘中学校の横の空き地を利用した
此処での総交信数は666局(内3.5Mhzは92局)運用開始は16時4分の7MHzに始まり22時まで
パイルが続いた22時05分から3.5Mhz に降り23時08分まで翌朝は5時前から09時まで運用した
与論町より数字は伸びていないが運用時間が短いのとHiバンドの運用が無い分だけ7Mhzと3.5Mhzに
集中できた。特に3.5はアンテナもフルサイズに成り交信数が伸びた。コイル入りのアンテナは場所を取らず便利では有るが局数を遣る為には選択は出来ない 特に受信能力に差が感じられる。移動局は如何しても飛びに意識がいくが私は受信能力を重視すべきと考える パイルの中で如何に的確に相手のコールサインを取れるか捌けるかは受信能力に掛っている 移動の目的と場所にも寄るが移動の醍醐味はパイルを如何に捌くか(言葉が悪いが)私の場合は此れに尽きる。それ故に人の行かないレアーな場所に挑戦している。

 
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鹿児島県大島郡与論町の移動運用

2011年11月02日 11時21分15秒 | 日記


 沖縄からのフェリーは正午頃に与論港に着岸 溶岩状の岩が海に突き出ており特徴の有る港だった下船して直ぐに運用場所を探しに島を一周、環状道路を走ると15分位で一周出来る大きさだった。途中のスーパーで食料を買込み港の近くの茶花海岸の駐車場でアンテナを設営運用した。この場所はトイレと冷水であったがシャワー設備あり何より良かったのは人家が近くに無くアンテナを十分に張れるスペースがある事だった。与論空港近くにも高さの有る良い場所があったが管制塔の近くで遠慮した。この島では台風1号が西側近くを通過したのでフェリーが欠航、最終的に2泊3日の滞在となった。(海の写真は島の南部に位置する 台風の波に洗われる前浜海岸、城跡と琴平神社、そしてブログの最初に書いたラーメンを奢ってくれた土産物売り場の奥さんと出会った百合が浜海岸)

 台風が近くに居たので心配したが強い風も吹かず雨は降ったが問題の無い程度だった2日目の夕刻。曇天の雲の中に1点だけ青空が見え「台風の目」が北上するのがはっきりと見えた。

 与論町での総交信数は776 (うち21Mhz が98局 18Mhz が18局、3.5Mhzが13局)3.5が飛ばなかったのでSWRを測定すると3以上、此れでは飛ばないはず 両端のトラップを調べたら密着巻きのコイルにスパーク痕があり どうも其れが原因らしい 予備の3,5Mhz フルサイズのアンテナの片方を外して2当分し7Mhz の終端の塩ビパイプの先にそれぞれ取付け3.5Mhz時にはクリップで40mのフルサイズのアンテナに変更した。無調整でSWRは1.3に下がったが気付くのが遅かった でも気付いてもあの雨の中では修理出来なかっただろう。其の後の3.5Mhz は送受共に格段に良化された。 

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 沖縄本島から与論島へ

2011年11月02日 08時57分54秒 | 日記


 沖縄の本部港にA LINEのフェリーが入港、荷物の積み下ろしも無く30分位で出航、生憎天気は小雨が降っていたが、次に沖縄に来る事が出来るかどうか解らないのでデッキに出て沖縄の北端、辺戸岬までの景色を見ていた。(海からの写真は海洋博公園の沖に浮かぶ島)変わっていく景色を見ていると沖縄での色々な出来事を思い出していた。今回の沖縄の移動運用は私が最初に遣りたかった事だが今考えると移動を始めて3年目、最初は日帰りから其れが2泊なり3泊に成り最初の北海道(1ヶ月)2年目の長野、東北、北海道(2ヶ月半)徐々に経験を積みながら計画実行して来た事が良かったように思う。其其の移動時にも問題点やトラブルは存在したが個々に対応克服する事によりオペレート方法や移動車の居住性の改善や無線設備、何よりも自分自身が精神的にタフに成った様に思う。まさに今回の移動はそれらが試される様な移動だった。其れにしても思えば色んな事が有った。発電機の不調、沖縄での無線機の故障、米軍基地や米兵との問題、連日にわたるパトカーの訪問と職務質問、ハブに対する注意と対応、十数年振りの4月30日からの入梅による悪天候の中で風呂に入れぬ日々、最悪は砂浜からの脱出など本当に大変だった。ただ幸いな事に無線大好き人間なので其の瞬間瞬間は大変だったが苦になる事も無く終わってみれば思い出に残る達成感の有る移動運用と成った。

 それから電波の伝搬状況も想像以上に良好だった。正午前後は西日本が聞えるが呼んでも飛んでいない状況だが17時頃から6エリヤが入り始め19時前までは6,5,4エリヤの独壇場 其の後1エリヤが入り始めるが
同時に7,8エリヤも入っているが1エリヤの壁が厚くピックアップ出来ない この時間帯はエリヤ指定を利用した20時を過ぎると安定しエリヤ差は少なく成ったが北海道だけは開ける時間が短かった様に思う。其の後、連日23時を過ぎる時間帯でも国内は聞えていた。心配した東南アジアからの混信やトロピカル・ノイズに悩む事も無かった。移動中は夕方の17時から23時までと早朝の5時前後から8時前位の7~9時
間の運用を毎日行ったが出来なかった方も有った様で申し訳なく思っています。

 最終的に西原町を除く(この町は青柳さんが毎日アクティブに出ておられる)全町村からと少数ではあったがうるま市と南城市から運用した。

 沖合いに与論島が見え始めると今回の目玉、離島からの運用に思いが切替わって「遣るぞ」と気持が高揚した。
                                                                                                                            
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沖縄本島最後の日

2011年11月01日 20時44分25秒 | 日記
     鹿児島港を出航してから21日が経過した5月9日 沖縄本島での最後の日うるま市 と橋で繋がっている島、平安座島、宮城島、伊計島を訪れる事にした。最初の平安座島は石油と思われる備蓄基地で大きなタンクが50基以上並ぶ島だった。次の宮城島は中央部に田畑が広がる田舎の雰囲気が有った。島の東側の港に車を停め釣竿アンテナを上げたが伝播状態が悪く又地元の漁師さんが車のナンバープレートを見て「徳島とは珍しいな?」と話し掛けられ運用する様な状態では無かった。30分程 世間話をした後、突端の伊計島に行った伊計大橋をわたると大泊ビーチ伊計が有り大きくは無かったが家族連れで来るなら静かで休養には最高の場所に思えた。その奥にはサーキット場とリゾート設備が出来ていた。沖縄で色々なビーチを見たが家内と来るなら此処だと思った。  其の後、来た道を帰ったのだが平安座島から浜比嘉大橋で繋がる浜比嘉島に渡り北東端の(アマミキヨの墓前の海の隣)港に車を止め再度釣竿アンテナを立てCQを出すと1エリヤから呼びかけが有りQSO、6,4,5、エリヤで7局と交信、夕方の5時頃で有ったが続かなかった。この島は港が三つ有り前の島の事も有り一番、人の居ない港を選んだがここでも漁師が話し掛けて来た やはり珍しさも有る様だが船には無線機が載っているので興味が有るのと通信管理局が時々来るらしい事を言っていた。お役人と思ったらしい。  其の後うるま市に出て高速を使い北上、本部町まで行き公園の駐車場で一泊、翌朝4時より7Mhzで30局交信した後、本部港に行き11時頃、出航のフェリーを待った 。
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沖縄県南城市の移動運用

2011年11月01日 20時21分31秒 | 日記






 2011年 5月8日 沖縄本島唯一の名勝のポイント地 南城市に移動した。この地は沖縄本島の南部に位置し近くの南風原や与那原町の人口密集地帯と比較しても田畑が広がり落ち着いた感じの場所だった。南城市の海岸線に向かい南下中に小高い丘が見えたのでグスクロードを登り仁愛療護園を少し東に行った所に大きい駐車場が有ったので(176mH)アンテナを設営し運用した。この日は天気が良く大変暑かったことを記憶している14時34分 21Mhz から始め184局、16時54分から18Mhz にQSY50局と17時17分からは7MhzにQSYして20時32分までに335局と交信した。 (運用場所とアンテナの入った写真のシャッターを切った記憶が有るが記憶媒体の保管が悪く現在、探しているが行方不明)運用終了後、奥武島に立ち寄り運用を考えたが可なり時間が遅かったので断念(人家が建ち並び周囲も暗く安心して運用出来る場所を見つける事が出来ず)海岸線を東に走り八重瀬町をこえ糸満市の名城ビーチで眠った。


 
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