さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらい人 アウシュヴィッツ強制収容所 その3

2017年02月08日 | 海外旅行
11号棟、「死のブロック」。

収容所内の刑務所として使われていました。



陰気な廊下が続いていました。



入口付近は、当直の親衛隊員の詰所が並んでいます。





被収容者の待遇とは大違いです。



ここで、多くの者が有罪として死刑を宣告されたのでしょう。



洗面所。

銃殺の前にここで服を脱がされました。





絞首台。

この棟の地下には、飢餓牢、窒息牢、立ち牢がありますが、撮影禁止でした。

政治犯として収容されていたコルベ神父は、収容所から脱走者が出たことで、無作為に選ばれる10人が餓死刑に処せられることになった際に、その一人の身代わりとなって飢餓牢にて命を落としました。



10号棟と11号棟の間には、銃殺が行われた「死の壁」があります。ここでは数千人が殺害されました。



近くに銃殺の様子を描いた絵が掲示されていました。これから銃殺されようとする被収容者は裸にされています。



キッチン。





被収容者の数を確認していた点呼広場には、集団絞首台が復元されています。



SSの詰所。



金網で囲まれた収容所の外に出ていきます。



脱走防止のため、高圧電流の流された金網が張り巡らされています。



収容所から出た所の絞首台では、アウシュビッツ強制収容所初代所長ルドルフ・ヘスの死刑執行が行われました。



ガス室と焼却炉を合わせた複合施設のクレマトリウム。



ソ連軍の進行が迫ったところで破壊されましたが、三基のうち二喜が復元されています。



当初は、遺体置き場として使われていましたが、ガス室に改造されました。



天井の穴からチクロンBが投入されました。



焼却炉。当時は1日に340人もの遺体が焼かれていたといいます。



ガス室や病気、栄養失調などで死亡したおびただしい数の遺体を焼却炉などに運んで処分するのは、被収容者から選ばれた「ゾンダーコマンド(特別労務班員)」が担当しました。比較的待遇は良かったものの、大量虐殺の秘密保持者として一般収容者から隔離され、口封じのため数ヵ月ごとに彼ら自身も処分されました。



見学はこれで終わりで、入口のビジターセンターに戻りました。

引き続き、バス移動して、アウシュヴィッツ強制収容所2とも呼ばれるビルケナウ強制収容所の見学を行うことになりました。
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