さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ジャラゾヴァ・ヴァラ

2017年03月01日 | 海外旅行
9日目はいよいよ帰国日になります。飛行機の出発は午後のため、午前中にワルシャワの西54kmの距離にあるジャラゾヴァ・ヴァラでショパンの生家を見学することになりました。



入口に設けられたビジターセンターから中庭を抜けていくと、ショパンの生家が現れます。

ショパンは、1810年にこの村のスカルベク伯爵邸の別館で、フランス人の父ミコワイとポーランド人の母ユスティナの間に生まれました。ミコワイは、スカルベク伯爵家の家庭教師をしており、母は伯爵の遠縁でした。数か月の後にワルシャワに移り住みましたが、夏休みや祭日には必ず里帰りしていました。

当時の建物は残念ながら消失してしまいましたが、家具や内装はショパンの生まれた当時のままに復元されて、公開されています。



生家の前に置かれたショパン像。



ショパンの生家の内部に入りました。



ショパンの生きていた当時を再現した家具が置かれています。













古そうなピアノが置かれていました。



ショパンが愛用した楽器としてプレイエル社のピアノが有名ですが、それではないようです。





ショパン一家の肖像画。



有名なショパンの肖像画。



楽譜なども置いてありますが、資料は僅かです。



家の脇にはベンチが置かれていますが、夏には家の中で演奏されるショパンの曲をここで聞くことができるようです。



生家の周囲は緑豊かな公園として整備されていました。





ミュージアムショップでは、ショパンの演奏CDやショパングッズが充実していました。



記念のためにCDを買いたいと思いましたが、ポリーニやアルゲリッチ、ピリスなど持っている物が多く、少々困りました。結局、ラン・ラン演奏のピアノ協奏曲を買いました。ロマンティにばりばり弾くところが好きなのですが、ショパンにしてはうれいが少ないかなと思いました。



ショパンの写真が入っている絵葉書セットを買いました。

ショパンの死ぬ二年前の1847年に、ルイ=オーギュスト・ビソンによって撮影されました。



絵葉書セットには、有名なショパンの肖像画が入っていたので、これについても触れておきましょう。

この絵は1838年にドラクロアによって描かれて、ルーブル美術館に収められています。この絵は、「ジョルジュ・サンドの前でピアノを弾くフレデリック・ショパン」として一枚の絵として描かれたものが、ショパンとジョルジュ・サンド、それぞれの肖像画として切り分けられました。当時、ショパン28歳、ジョルジュ・サンド34歳。

ジョルジュ・サンドとの交際期間に、ショパンは、「24の前奏曲集」や「ピアノ・ソナタ第2番」、「幻想曲/バラード第4番/英雄ポロネーズ/舟歌/幻想ポロネーズ」などの傑作を生みだしました。しかし、1847年にはジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際は決定的な破局を迎え、二月革命も勃発し平穏な時は終わってしまいます。1849年には、長旅で衰弱し持病の結核も悪化して、ショパンは亡くなってしまいます。

一方のジョルジュ・サンドは、72歳まで生き、「愛しなさい。人生で良いものはそれだけなのですから」と書き残しました。

若い日の愛の印として、この絵は切り離されては欲しくない気がしますが、実際の運命を象徴しているようにも思えます。



生家の前のレストランで早めの昼食をとりました。



内部には、ショパンにまつわる飾り付けが施されていました。

これでポーランドの見学は終了し、空港に向かいました。特に問題なく帰国することができました。やはり直行便はありがたいですね。
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