ミュンヘンはドイツ南部のバイエルン州の州都です。ベルリン、ハンブルクに次ぐドイツ第三位の都市で、商工業も盛んですが、ヴィッテルスバッハ家の宮廷都市として栄え、ヨーロッパ文化の中心地の一つになっています。
ミュンヘン中央駅を出てカールス門をくぐると、ミュンヘンの中心部になります。
フラウエン教会の、たまねぎ型の屋根をつけた二つの塔が頭上に覆い被さってきます。
フラウエン教会は、1468年~1488年にかけて作られた後期ゴシック様式で、ミュンヘンのシンボル的存在になっています。
中は、意外にシンプルなつくりになっています。
フラウエン教会と並んでシンブル的存在なのが、新市庁舎
1867年~1909年に建てられたネオゴシック式の建物です。
新市庁舎の建つマリエン広場には、ある時間がくると人が集まってきます。
塔にはからくり時計が設けられて、一日数回10分間に渡って動き出します。
上段は、馬上試合のものです。騎士がぶつかり、一方は落馬。
下段は、ペスト流行からの復興を祝う踊り。高いところにあって大きさが判りにくいですが、実物大あるそうです。
マリエン広場では、マリア様が見守るなか、人々がビール片手にのんびりとすごしています。
17世紀前半の三十年戦争の際に、ミュンヘンはスウェーデン人に占領されますが、解放後にマクシミリアン一世が感謝の印に立てたのが、このマリア像です。バイエルンの守護女神になっています。
旧市庁舎
1470年~80年にかけて建てられました。第二次大戦で破壊されて再建されたため、建物自体は新市庁舎よりも新しくなっています。
これは裁判所。古めかしい建物も沢山あります。
ところで、ミュンヘンの名前の由来ですが、僧院をあらわす「メンヒ」が由来です。市庁舎にあった市章ですが、中央に修道僧が描かれているのもそのためです。
このように書いていて気が付いたのですが、スイス観光でお馴染みのアイガー、ユングフラウともにオーバーラント三山と呼ばれるメンヒも、修道僧に由来しているんですね。
ミュンヘン中央駅を出てカールス門をくぐると、ミュンヘンの中心部になります。
フラウエン教会の、たまねぎ型の屋根をつけた二つの塔が頭上に覆い被さってきます。
フラウエン教会は、1468年~1488年にかけて作られた後期ゴシック様式で、ミュンヘンのシンボル的存在になっています。
中は、意外にシンプルなつくりになっています。
フラウエン教会と並んでシンブル的存在なのが、新市庁舎
1867年~1909年に建てられたネオゴシック式の建物です。
新市庁舎の建つマリエン広場には、ある時間がくると人が集まってきます。
塔にはからくり時計が設けられて、一日数回10分間に渡って動き出します。
上段は、馬上試合のものです。騎士がぶつかり、一方は落馬。
下段は、ペスト流行からの復興を祝う踊り。高いところにあって大きさが判りにくいですが、実物大あるそうです。
マリエン広場では、マリア様が見守るなか、人々がビール片手にのんびりとすごしています。
17世紀前半の三十年戦争の際に、ミュンヘンはスウェーデン人に占領されますが、解放後にマクシミリアン一世が感謝の印に立てたのが、このマリア像です。バイエルンの守護女神になっています。
旧市庁舎
1470年~80年にかけて建てられました。第二次大戦で破壊されて再建されたため、建物自体は新市庁舎よりも新しくなっています。
これは裁判所。古めかしい建物も沢山あります。
ところで、ミュンヘンの名前の由来ですが、僧院をあらわす「メンヒ」が由来です。市庁舎にあった市章ですが、中央に修道僧が描かれているのもそのためです。
このように書いていて気が付いたのですが、スイス観光でお馴染みのアイガー、ユングフラウともにオーバーラント三山と呼ばれるメンヒも、修道僧に由来しているんですね。