さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 トレド その2

2008年09月10日 | 海外旅行
トレドは、エル・グレコが住んで。アトリエを構えた街としても知られています。これは、美術館としてアトリエを再現したエル・グレコの家。

エル・グレコは、スペイン絵画を語る時に必ず出てくる画家ですが、実はギリシャ・クレタ島出身。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称です。

エル・グレコは、後期ルネッサンスの画家で、マニエリズムとも呼ばれる、激しい感情とタッチが特長の画家です。時代に先んじた作風であったため、没後忘れられていましたが、19世紀になってから再評価された画家です。




エル・グレコの作品は、プラド美術館に多数展示されていますが、日本の倉敷大原美術館に、重要な作品の「受胎告知」があります。

倉敷の実業家大原孫三郎をパトロンとして、渡欧することができない日本の画家のために西洋絵画の購入を行っていた児島虎次郎は、パリの画廊でエル・グレコの受胎告知という作品が売りに出されていたのに出会いました。この作品を買うだけの手持ちがなかった為、大原孫三郎に送金を依頼、大原も送られてきた写真を見て了承し、児島は受胎告知を購入すると日本へ持ち帰ったといいます。大原美術館には、印象派の良い作品が並んでいますが、これらは、お金を出せば買うことは可能なものです。大原美術館に、エル・グレコの「受胎告知」があるのは、奇蹟とも言われています。

トレドを訪れることとは別に、エル・グレコの好きな人は、倉敷の大原美術館を是非訪れてみてください。



エル・グレコの家の中庭



トランシト教会

14世紀に建てられた、レコンキスタの後、残留イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したスタイルのムデハル様式の建物で、ユダヤ教徒のシナゴーグ(会堂)です。



サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会

15世紀末、カトリック両王(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン国王フェルナンド2世)の命令で建てられました。ゴシックとムデハル様式が混合したイサベル様式の典型といいます。



サン・ファン・デ・ロス・レイエス教会の壁には、開放されたキリスト教奴隷の金属の足かせがかざられています。



そのアップ。500年の時を越えて、憎しみは忘れないという印ですかね。日本人の感覚には、ちょっと合わない感じです。



サンタ・クルス美術館

はイサベル1世が完成させた慈善施設で、エル・グレコの『聖母被昇天』などが展示されています。




エル・グレコの絵としては、サント・トメ教会の「オルガス伯の埋葬」も、見るのを忘れてはなりません。



ピサグラ新門

自動車では、この門をくぐって、城内にはいることになります。



街中の方からピサグラ新門を見たもの。



少し高いところから見たピサグラ新門。



トレドの魅力は、これまで写真を出してきた名所・旧跡だけでなく、小路をそぞろ歩いて、中世の気分を味わうことにあります。

トレドは、剣の生産地としても知られていました。現在は、お土産屋の店先に、観光客用として、エル・シドの使用した剣・ティソナの複製品や、フルアーマー、チェインメイル、モーニングスター(いぼいぼを付けた鉄球を棍棒の先に鎖で取り付けて、振り回してぶんなぐる武器)が売られており、まさにコンピューターゲームのRPGの武器店のようでした。

西洋甲冑一式が、買えないこともない値段で、欲しかったのですが、その後の旅で持ち歩けないため、諦めました。



トレドの街の高みからは、周囲の平野部の眺めが広がっていました。イスラム教徒、キリスト教徒と守る兵は代わったにして、周囲を包囲した軍勢を見下ろしたのでしょうね。

(本項のエル・グレコの絵の画像データーは、ウェブより拾ったものです。)

(スペイン篇については、これで終わり。続いて、オランダ篇に移ります。)

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