さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
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さすらいの風景 クラクフ その2

2016年12月28日 | 海外旅行
クラクフ観光は、まず旧市街地の南東部に位置するカジミエシュ地区にあるユダヤ人街の見学から始まりました。

カジミエシュ地区は、1335年にクラクフとは別な街として造られました。カジミエシュ大王は、当時迫害されていたユダヤ人の保護に努め、多くのユダヤ人が移り住んで商工業の発展に尽くしました。15世紀以降第二次大戦まで、カジミエシュ地区はユダヤ人が大多数を占める街として栄えました。

第二次大戦中のドイツ軍によるユダヤ人の収容所送りによってカジミエシュ地区からユダヤ人の姿は消え、街も荒廃してしまいましたが、近年は再開発が進んでおしゃれなスポットとして観光客を集めるようになっています。

バスを降りて、中心になる広場に向かいました。このナ・プシェイシチュと呼ばれる小路は、後で述べる映画「シンドラーのリスト」の撮影場所になっています。



広場に出ると、ユダヤ博物館になっているスタラ・シナゴーグがありました。



スタラ・シナゴーグの前に延びる広場には、大勢の観光客が集まっていました。



この広場は、映画「シンドラーのリスト」では、クラクフにおけるユダヤ人ゲットーの舞台として撮影場所になっていました。現在では、広場を囲む建物は、こぎれいに整備されています。



広場に面したレストラン「アリエル」は、ユダヤ料理の店として有名ですが、「シンドラーのリスト」の撮影時にスピルバークが通ったといいます。



アリエルの建物には、ユダヤ教のシンボルのダビデの星と分岐燭台が飾られていました。



広場には、レストランの戸外席が並んでおり、ここを訪問する観光客の多さがうかがわれました。







ポッパー・シナゴーグ。



広場の端にある緑地には、ホロコーストにより命を落としたユダヤ系ポーランド人のための記念碑が置かれていました。



レム・シナゴーグ。



少し入ってみました。



二階の窓からラビがお祈りをしている姿が見えました。



広場の周りに並ぶ建物はきれいに改装されており、第二次大戦中のユダヤ人迫害の印象は薄れていました。



カジミエシュ地区の見学はこれで終わりで、バスに戻って旧市街に向かいました。

旧市街とヴァヴェル城の見学で午前中は終わり、午後は自由行動になりました。カジミエシュ地区の見学がシナゴーグの入場観光も無く消火不良に終わったので、昼食後に戻ってきました。見学の順番としては飛びますが、自由行動時のカジミエシュ地区見学の記録をこの後に続けます。
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