さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 ワディ・ラム その1

2014年04月14日 | 海外旅行
ペトラを離れると砂漠地帯が広がるようになりました。



ワディ・ラムが近づくと、岩山が見えてきました。



ヨルダン南部の砂漠地帯にあるワディ・ラムは、月の谷を意味し、赤い砂の上に荒々しい岩山が聳える風景は、ヨルダン南部を代表する観光地になっています。

ワディ・ラムは、第1次世界大戦当時、アラビアのロレンスことイギリス人将校T.E.ロレンスがベドウィンを率いてトルコ軍と戦った戦闘の舞台にもなりました。リーン監督の「アラビアのロレンス」は、実際にワディ・ラムで撮影が行われており、映画を思い起こしながらの見学ができます。



アカバに通じるメイン道路のデザートハイウェイからワディ・ラムに通じる道に入ると、鉄道を横断しました。

この鉄道は、オスマン帝国によって建設された、シリアのダマスカスから現在のサウジアラビアの聖地マディーナ(メディナ)までの区間を、シリア、ヨルダン、およびアラビア半島西部のヒジャーズ地方を縦断して連絡したヒジャーズ鉄道の支線である「アカバ鉄道」です。ヒジャーズ鉄道は、1908年に完成し多くの巡礼者や兵士を運びましたが、第一次世界大戦時にイギリスの支援を受けたアラブ勢力に破壊され、路線のほとんどは以後再建されることはありませんでした。アラビアのローレンスでも、この鉄道の襲撃が描かれています。

現在では、アカバ鉄道は、リン酸塩の鉱石の運搬に使われているようです。



停車場に列車が停まっていました。



ワディ・ラム入り口のポリス・チェックポイントが見えてきました。現地ガイドだけが降りて、なにやら手続きを行ってきました。



少し走った所で、写真ストップとなり、バスを降りました。



ここで、「智恵の七柱」の岩山を見学しました。



「智恵の七柱」は、T.E.ロレンスの回想録の題名にもなっています。



さらに少し走ると、現地部族の住むラム村に到着し、ここのビジターセンターで4駆に乗り換えます。



ビジターセンターには、昔使われていた貨車が展示してありました。

アラブ族の襲撃からヒジャーズ鉄道を守るために、オスマン帝国は列車に兵士を乗り込ませる必要が生じ、この後方攪乱によって、イギリス軍によるシリア・パレスチナ攻撃を許す結果になりました。



4駆トラックの荷台に取り付けられた座席に腰かけて、いざ砂漠へ出発。

シートベルトはどうしたって、細かいことは気にしないこと。



村はずれで、道路は終わって、以後は砂漠の上を走ることになります。



箱乗り状態で写真を撮り続けました。

思ったより砂埃はありませんでした。ここのところ、雨が多かったせいかもしれません。



最初に、ロレンスの泉を訪れました。ラム山(1754m)の山裾にあたり、急斜面の中間部に木が生えている所から水が湧いています。

「智恵の七柱」の著書の中でも、ロレンスがここで水浴びをしたという記述があります。



水を引いてきて貯水槽が設けられていました。



岩山を見上げたところ。実際の山頂は、さらに高い所にあります。



ロレンスの泉の駐車場脇には、岩絵が残されています。



サムード文字だそうです。サムード族は、ナバタイ族と同時期に勢力を広げていた部族のようです。



動物を描いた絵も見られました。



ロレンスの泉は、ワディ・ラムで最も有名な観光ポイントでもあるので、ベドウィン族がテントを張って商売をしていました。



テントの中で、ミントティーを飲んで一服。
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