さすらい人の独り言

山登り、日々の独り言。
「新潟からの山旅」別館
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さすらいの風景 トレド その1

2013年07月22日 | 海外旅行
マドリッド観光の午後は自由時間でしたが、オプショナルツアーでトレドに出かけることにしました。トレドは、マドリッドの南約70kmの距離にあり、1時間強のドライブになりました。

トレドが近づくと、まず街の上に聳えるアルカサルが目に入ってきました。



タホ川沿いの道に進むと、アルカンタラ橋の前に出ました。

前回は、マドリッドから列車を利用してやってきたので、このアルカンタラ橋がトレドの入場口になりました。



アルカンタラ橋を、通り過ぎてからアルカンタラ新橋を渡る際に撮影したもの。トレドの街は、左になります。

アルカンタラ橋は、以前からあった橋が洪水によって流され、1258年に現在の橋が架けられ、修理を繰り返しながら現在に至っています。

古来、この橋はトレド攻略の要所になっており、街の対岸の丘の上にあるCastillo de San Servandoも防御拠点として築かれたものかもしれません。



丘の上にある展望地に上がって、トレドの街を眺めました。丘全体に広がる茶色の街並みを一望できました。


(写真をクリックで拡大します)

ズームレンズを広角にしても収まらないので、サブカメラのコンデジによるパノラマ画像をどうぞ。

560年に西ゴート王国の首都となったトレドは、711年のウマイヤ朝の征服から約400年にわたってイスラム教徒の支配下におかれました。キリスト教国によるレコンキスタの過程でもトレドは難攻不落の要塞として抵抗をつづけましたが、内紛に乗じてカスティーリャ王国のアルフォンソ6世が1085年にトレドを陥落させることに成功しました。トレド征服は、レコンキスタの節目の1つとなりました。このアルフォンソ6世と同時期に活躍したのが、伝説の英雄エル・シッドです。

トレド征服以降、カスティーリャ王国やスペイン王国は定まった首都を持たず、トレドも一時的な宮廷の所在地になりましたが、1561年、フェリペ2世がトレドからマドリードに宮廷を移すと、トレドはゆるやかに衰退を始め、現在に至っています。現在では、世界遺産にも認定され、「もしもスペインに一日しか滞在しないなら、迷わずトレドに行け」という言葉も残される人気の古都になっています。



丘の上に威風を誇るのはアルカサル。

アルカサルは、王城と訳されますが、スペイン語で「城」を意味し、スペイン各地の古都に存在します。

西ゴート、イスラム時代にもこの丘の上に砦が築かれていましたが、アルフォンソ6世以降の歴代王が増改築を加えていきました。



中心部にあるカテドラル。後で見学することになります。



多くの教会が見られますが、それらの名前は判りません。





サン・ファン・デ・ロス・レイフェス教会。

1470年のポルトガルとの戦いで勝利したことを記念して、カトリック両王が建設しました。



気温は40度ほどに上がって、茶色の家並みも太陽に焼かれているように見えました。



丘を下って西に向かうと、これも古い橋のサンマツティン橋が現れました。(写真は通り過ぎてから撮影したもの)

サンマツティン橋は、13世紀の初めにゴシック様式で建設されました。カスティーリャ王ペドロ1世とその庶子のエンリケの戦いの舞台ともなっており、先にアルカンタラ橋から市内に突入したエンリケ軍を、ペドロ1世はサンマツティン橋から攻撃するという場面が青池保子作「アルカサル王城」にも出てきます。
(コミック・青池保子作「アルカサル王城」については、セビーリャのアルカサルにて詳しくふれます。)



トレドの街は三方をタホ川に囲まれていますが、周囲を取り巻くように強固な城壁が築かれています。



トイレ休憩も兼ねて、市内観光の前に、象嵌細工を作っている土産物屋に立ち寄りました。



象嵌細工の飾り皿やアクセサリーが並べられています。これらは、トレドの伝統工芸になっています。



トレドは、昔から剣の産地として有名で、市内の店でも剣や甲冑が売られています。



まさにRPGの武器屋といった感じで、剣を買いたいところですが、税関で没収してしまうので無理です。甲冑や盾なら持ち込めるのだろうか。
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