アンコール・トムからタ・プロームに向かう途中、車の中からタ・ケウの遺跡を眺めることができました。「クリスタルの古老」という意味を持っており、アンコール・ワットの試金石として建てられたといいます。ジャヤヴァルマン5世によって11世紀初頭に建築が始まったものの、王の死によって石材を積み上げたままで未完成に終わりました。
このような遺跡が車での移動中にも幾つも現れてきて、頭の中が混乱することになりました。
タ・プロームは、ジャヤヴァルマン7世が母のために造った仏教寺院で、後にヒンドゥー寺院に改宗されたといいます。建築年は、およそ1200年頃で、バイヨンとほぼ同じ年代になります。
遺跡の入り口には、観音象の彫られた塔が建てられていました。
バイヨンのものと同じ雰囲気ですね。
西門前のテラスは工事中で立ち入り禁止になっていました。
タ・プロームの魅力は、遺跡を破壊するまで覆うスポアン(榕樹)の姿です。
アンコール遺跡は、150年ほどまえにフランス人博物学者によって再発見されましたが、密林の奥に眠っていた当時の姿をうかがうことができます。
遺跡を飲み込もうとする自然の力を感じさせます。
この遺跡では、発見当時の姿を保存するため、樹木の伐採や、石組の積みなおしは行われていません。
5000名もの僧侶と615名の踊り子がいたと言われますが、その繁栄の跡は失われています。
ここにも、多くのデバター像が見られます。
これらの巨木は、樹齢300~400年のものと言われています。
生き物のように根を伸ばしています。
石垣を倒し、回廊を押しつぶそうとしています。
遺跡には崩れているところもあるため、迷路のような通路を辿っていくことになります。
このような遺跡が車での移動中にも幾つも現れてきて、頭の中が混乱することになりました。
タ・プロームは、ジャヤヴァルマン7世が母のために造った仏教寺院で、後にヒンドゥー寺院に改宗されたといいます。建築年は、およそ1200年頃で、バイヨンとほぼ同じ年代になります。
遺跡の入り口には、観音象の彫られた塔が建てられていました。
バイヨンのものと同じ雰囲気ですね。
西門前のテラスは工事中で立ち入り禁止になっていました。
タ・プロームの魅力は、遺跡を破壊するまで覆うスポアン(榕樹)の姿です。
アンコール遺跡は、150年ほどまえにフランス人博物学者によって再発見されましたが、密林の奥に眠っていた当時の姿をうかがうことができます。
遺跡を飲み込もうとする自然の力を感じさせます。
この遺跡では、発見当時の姿を保存するため、樹木の伐採や、石組の積みなおしは行われていません。
5000名もの僧侶と615名の踊り子がいたと言われますが、その繁栄の跡は失われています。
ここにも、多くのデバター像が見られます。
これらの巨木は、樹齢300~400年のものと言われています。
生き物のように根を伸ばしています。
石垣を倒し、回廊を押しつぶそうとしています。
遺跡には崩れているところもあるため、迷路のような通路を辿っていくことになります。