語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】ロシアと提携して中国を索制するカードを失った

2015年09月14日 | ●佐藤優
 (1)北方領土交渉が、新生ロシア成立(1991年12月)後、最大の危機を迎えている。しかるに、首相官邸、外務省、マスメディアは事柄の本質をよくわかっていないらしい。

 (2)9月2日、モルグロフ・ロシア外務省次官(北方領土交渉担当官)が、前代未聞の挑発的発言を行った。
 <ロシアのモルグロフ外務次官は2日、北方領土問題について「私たちは日本側といかなる交渉も行わない。この問題は70年前に解決された」と述べた。インタファクス通信が伝えた。ロシア外務省の強硬姿勢で、日本側がプーチン大統領の訪日を受け入れることは困難な情勢とみられる。
 モルグロフ氏は、日本政府がメドベージェフ首相の北方領土訪問を批判していることに対して、こうした見解を示した。
 モルグロフ氏は「南クリル(北方領土のロシア側呼称)は第2次大戦の結果、法的に我々の側に移った。ロシアの主権と管轄権がこれらの島にあることに疑いはない」と強調。両国の交渉が中断していることについても、ウクライナ危機を理由に対ロ制裁に加わった日本側に責任があるという考えを示した。
 プーチン大統領は昨年5月には北方四島すべてが交渉の対象となるという考えを示していた。今回のモルグロフ氏の発言は、大統領の発言に反しており、これまでの交渉の流れにはそぐわない。ただ、現在のロシア外務省の厳しい対日姿勢を示したものだと言える。
 日本政府はプーチン氏の年内訪日の準備のために岸田文雄外相の訪ロを検討していたが、白紙に戻っている。(北京=駒木明義)>【注1】

 (3)駒木明義・「朝日新聞」モスクワ支局長は、政治部出身、北方領土交渉を過去20年近く詳細にウォッチしている一級の専門家だ。駒木支局長は、今回のモルグロフ次官の発言は「大統領の発言に反しており、これまでの交渉の流れにはそぐわない」と指摘する(まさにその通り)。
 モルグロフ次官は、「根室半島と歯舞群島の間に国境線を画定する、すなわち北方四島がロシア領であることを日本が認めるならば平和条約を締結してもよい」という交渉スタンスを示している。
 これは、過去の日露間の合意を完全に無視するものだ。
  (a)日ソ共同宣言(1956年10月)で、ソ連は平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の日本への引き渡しを約束している。日ソ共同宣言は、両国議会が批准した法的拘束力を持つ国際約束だ。
  (b)東京宣言(1993年10月)で、日露両国は、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することに合意している。
  (c)イルクーツク声明(2001年3月)で、プーチン大統領が、日ソ共同宣言と東京宣言を明示的に再確認している。
 (b)と(c)は、法的拘束力はないが、重要な政治的合意だ。今回のモルグロフ次官の発言は、ロシア外務省が過去に日本に対して行った約束を反故にする、と宣言した深刻な事態だ。

 (4)本来ならば、原田親人・駐露大使が緊急記者会見を行い、
 「日本政府としては今回のモルグロフ次官による従来のロシア政府の立場を否定する発言に当惑している。今後の対露外交政策について政府指導部と協議するために一時帰国する」
と宣言し、
 「こういう挑発行為のツケは高くつくぞ」
というシグナルを出さねばならない。しかし、首相官邸も外務省も、犬の遠吠えのような批判をするだけで、ロシアに「少しやりすぎた」と思わせるような措置をとっていない。
 こういう外交のていらくからすると、モスクワ勤務の日本人外交官が、ロシア秘密警察に個人的弱みでも握られている可能背も否定できない。

 (5)ロシア外務省の消極的姿勢を突破する力は、プーチン大統領にしかない。しかし、客観的に見た場合、プーチン大統領も頼りにならない。
 <ロシアのプーチン大統領は2日、東シベリア・ザバイカル地方のチタを訪れ、第二次大戦の犠牲者の記念碑に献花した。
 ロシア極東のシベリアではこの日、第二次大戦終結70年を祝う事実上の対日戦勝記念式典が行われ、軍人や各種兵器によるパレードが実施された。シベリアで行われた式典に国家元首が参加するのは初めてとみられる。プーチン氏はパレードには出席しなかったが、献花をすることで住民の愛国心を鼓舞する狙いがあったとみられる。
 現地報道によると、プーチン氏は地元住民らと握手を交わし、住民らは涙を浮かべていたという。>【注2】

 (6)スターリン・ソ連首相は、東京湾の米艦ミズーリ号の上で日本が降伏文書に署名した1945年9月2日に行ったラジオ演説で、次のように述べた。
 <1904年の日露戦争でのロシア軍隊の敗北は国民の意識に重苦しい思い出をのこした。この敗北はわが国に汚点を印した。わが国民は、日本が粉砕され、汚点が一掃される日がくることを信じ、そして待っていた。40年間、われわれ古い世代のものはこの日を待っていた。そして、ここにその日はおとずれた。きょう、日本は敗北を認め、無条件降伏文書に署名した。
 このことは、南樺太と千島列島がソ連邦にうつり、そして今後はこれがソ連邦を大洋から切りはなす手段、わが極東にたいする日本の攻撃基地としてではなくて、わがソ連邦を大洋と直接にむすびつける手段、日本の侵略からわが国を防衛する基地として役だつようになるということを意味している。>【注3】

 (7)2010年、ロシア政府は9月2日を「第二次世界大戦の日」に定め、毎年、シベリアや極東の各地で記念式典を開いている。
 プーチン大統領はしかし、これまでこの記念行事に参加したことはなかった。今回、日本のシベリア出兵の舞台となったチタで、軍事パレードの観閲は行わなかったとはいえ、対日戦争記念行事に参加することで、プーチン大統領は、第二次世界大戦をめぐる歴史認識についてスターリン主義に復帰した。
 この事実は、プーチンは対日関係改善の意欲をなくしつつあることを示す。

 (8)近未来に北方領土が進展する可能性は皆無だ。
 日本政府は、ロシアと提携して中国を牽制するカードを失った。その結果、沖縄の基地機能を強化し、中国を軍事的に作成するという論者が安倍政権の周辺で力を増すことになる。
 北方領土交渉の停滞のツケを沖縄が払わせられるリスクをいかに回避するか。

 【注1】記事「北方領土問題「解決済み」 ロシア外務次官」(朝日新聞デジタル 2015年9月3日)
 【注2】記事「プーチン大統領、シベリアでの対日戦勝式典で献花 愛国心の鼓舞狙う」(産経ニュース 2015年9月2日)
 【注3】「スターリンの「ソ連国民に対する呼びかけ」(放送)」(独立行政法人北方領土問題対策協会HP)

□佐藤優「ロシアと提携して中国を索制するカードを失った ~飛耳長目 第111回~」(「週刊金曜日」2015年9月11日号)

 【参考】
【佐藤優】中国政府の「神話」に敗れた日本
【佐藤優】日本外交の無力さが露呈 ~ロシア首相の北方領土訪問~
【佐藤優】「アンテナ」が壊れた官邸と外務省 ~北方領土問題~
【佐藤優】基地への見解違いすぎる ~沖縄と政府の集中協議~
【佐藤優】慌てる政府の稚拙な手法には動じない ~翁長雄志~
【佐藤優】安倍外交に立ちはだかる壁 ~ロシア~
【佐藤優】正しいのはオバマか、ネタニヤフか ~イランの核問題~
【佐藤優】日中を衝突させたい米国の思惑 ~安倍“暴走”内閣(10)~
【佐藤優】国際法を無視する安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(9)~
【佐藤優】日本に安保法制改正をやらせる米国 ~安倍“暴走”内閣(8)~
【佐藤優】民主主義と相性のよくない安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(7)~
【佐藤優】官僚の首根っこを押さえる内閣人事局 ~安倍“暴走”内閣(6)~
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【佐藤優】中小企業100万社を潰す竹中平蔵 ~安倍“暴走”内閣(4)~
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【佐藤優】自民党の全体主義的スローガン ~安倍“暴走”内閣(2)~
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