語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】日中を衝突させたい米国の思惑 ~安倍“暴走”内閣(10)~

2016年06月30日 | ●佐藤優
 (承前)


(5)もうすぐ尖閣諸島で軍事衝突が起きる
 尖閣諸島をめぐって、やはり軍事衝突が起きるのではないか。軍事衝突とは、公務員が死ぬということだ。漁民とか侵入者をいくら捕らえて死人が出ようとも軍事衝突ではない。公務員が死んで、軍事衝突になる。国家の行為としてやったことになるからだ。
 民間人であろうとも、双方が死ぬと本当に戦争になる。片方が死ぬだけだったら、片方は文句を言い続けることができる。
 軍事衝突(military conflagration)という段階は、まだ「事変」ではない。少なくとも500人ぐらい死なないと事変とは言えない。
 事変は紛争ともいう。満州事変、志那事変、ノモンハン事変のレベル7になると戦争(Warfare)の一歩手前だ。少なくとも事変の段階でもまだ国交はあるし、人の行き来はできるし、企業が相手国で工場を操業していたりする。
 2,000人以上死ぬと、もう事変(military conflict)だ。だから、その前の段階である軍事衝突がもうすぐ尖閣諸島で起きる。
  そして、それはすぐに停戦(cease fire)する。そして再び衝突が起きて、また停戦する。
 死者2,000人が一つのハードルだ。2,000人までは紛争が起きても止まらない。2,000人が死んだところで、双方が一応やめたいという気持ちになる。
 2014年のガザ侵攻やウクライナ政変でもそうだった。
 この事変の段階をヒラリー・クリントンたちは東アジアでもやろうとしている。2017年から。
 ヒラリーは、2010年の「フォーリン・アフェアーズ」誌に Pivot to Asia という論文を発表した。「軸足(pivot)をアジアに移す」と書いた。極東で戦争をやらせる気らしい。だから安倍政権に安保法制の改正を急いでやらせている。

(6)日本と中国とぶつけさせたい米国の計略
 安保法制改正は大変だ。あれでは集団的自衛権で逃げられない。
 集団的自衛権(collective degfense right)は、国連憲章第51条に1行あるだけだ。
 集団的自衛権という言葉は、どうも戦勝国しか使ってはいけないようだ。安倍たちが勝手にガバガバ使うことに操り人間のアーミテージすら嫌がっている。
 「お前らみたいな負けた国が偉そうに collective degfense という言葉を使うな」
と米国人から不思議がられている。自衛隊ごときが、米軍と対等に「集団的」軍事行動ができるなどと思っていない。自衛隊なんか、ロジスティカル・サポート(物資補給、後方支援活動)で十分だ。
 それでもアーミテージにしてみれば、日本の自衛隊を中国軍にぶつけさせたい。だから、「わかった。それならお前らに集団的自衛権というコトバを使わせておいてやると」という感じだろう。日本側が唆されて、勝手に暴走しているのだ。
 NATOは集団的安全保障であり、集団的自衛権だ。1951年にアジア地域での太平洋集団的安全保障構想というのがあった。が、実現しなかった。吉田茂・首相が逆らったからだ、という説がある。
 それで、1951年に、オーストリラリアとニュージーランドと米国の間でだけ、太平洋安全保障条約(ANZUS)ができた。あとは韓国やシンガポールや日本が、個別にそれぞれ米国と安保条約を締結した。
 日本はやはり敗戦という事実を誤魔化している。ドイツの場合、それができない。一回、国家がなくなって、占領されているのだから。
 それと、日本の場合、 the United Nations を「国際連合」と訳していることも問題だ。あれはどこから訳しても「連合国」だ。
 しかも実態として、ポツダム宣言を要求した、我ら連合国の「連合国」が the United Nations なのだから、「国際連合」という誤訳によって、第二次世界大戦の前とは全く違う国際秩序なのだと思っているあたりが問題だ。
 1951年9月にサンフランシスコ講和条約があって、その4年後に、日本は自分から尻尾をまるめて、国際秩序(連合諸国 the United Nations )に入れてもらったという自覚を、意識的に持たないようにしている。それで、日本の安倍たちは、「誇りを取り戻せ」の一点張りで、当然のように自分たちにも集団的自衛権というものがあると思い込んでいる。
 横畠裕介・内閣法制局長官たちは、そうは思っていない。今の憲法や法律をどう読んでも、整合的に解釈できるのは個別自衛権だけだ、という立場だ。
 ただし、米国はもう一つ別の軸を持っている。とにかく日本の自衛隊を先に中国にぶつけさせろ、という政策も採っている。これがヒラリー勢力だ。二股をかけるというか、二重構造で来ている。
 だから、自衛隊が米国との同盟軍(アライド・フォース)としての動きをするといっても、認めないだろう。日本の自衛隊が自分で勝手に中国とぶつかるように誘いかけるのだ。その際に米軍の兵器をいっぱい買わせて、「お前らが前面(フォワード)に出ろ」という考え方をする。
 なんで日本ごときが米国と対等になるのか、と米国人はキョトンとしている。個別的自衛権しかないのだ。
 そもそも限定的な集団的自衛権というが不思議な概念だ。そんなものは、集団的自衛権を丸々やるか、やらないかのどちらかだ。
 集団的自衛権と個別自衛権が重なる部分があって、その個別的自衛権の部分を集団的自衛権と、今のところ呼んでいる。だから安倍政権の2014年の閣議決定は、「これまで個別的自衛権と呼ばれていた部分を集団的自衛権と呼び直すことにした」という話だ。
 それ以上のことをするときは憲法改正が必要だ。それなら、全部、個別自衛権で説明できるということになる。
 横畠長官たちは、そういう立場だ。国際法が少しでもわかっている人なら、この理屈がわかる。いくら日本でおかしな意見一致をしても、相手は世界だから。
 日本の法律作成官僚は、そこで踏みとどまって、何を言われようが、言うことを聞かない。安倍たちが何をやろうが、どんなに脅かそうが、どうせ個別自衛権しかないのだ、という立場だ。
 だから無理なのだ。
 だが、この議論がわかる人はあまりいない。横畠長官たち法律官僚は、憲法が改正されたらその条文に従う、という立場だ。
 安倍政権は、集団的自衛権に関する閣議決定をほとんど無視するだろう。あの閣議決定では何もできないから。
 実態として見るならば、今回の閣議決定で、以前より自衛隊の海外派遣は難しくなった。もし、今回の閣議決定の内容について「集団的自衛権と警察権の範囲で処理しろ」という指示を外務省と内閣法制局の頭のいい官僚に与えたならば、見事に集団的自衛権を迂回した処理ができたはずだ。
 ところが、安倍政権の強さというのは、閣議決定のような難しいことに縛られていないところだ。「俺は難しいことはわからないから、あとは気合いでやってくれ」みたいな感じだ。しかし、それを国民が許容したのだ。

□対談:副島隆彦×佐藤優『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(株式会社キャップす、2015)の「第1章 安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本」の「戦争に突き進んでいく安倍政権」
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 【参考】
【佐藤優】国際法を無視する安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(9)~
【佐藤優】日本に安保法制改正をやらせる米国 ~安倍“暴走”内閣(8)~
【佐藤優】民主主義と相性のよくない安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(7)~
【佐藤優】官僚の首根っこを押さえる内閣人事局 ~安倍“暴走”内閣(6)~
【佐藤優】円安を喜び、ルーブル安を危惧する日本人の愚劣 ~安倍“暴走”内閣(5)~
【佐藤優】中小企業100万社を潰す竹中平蔵 ~安倍“暴走”内閣(4)~
【佐藤優】自民党を操る米国の策謀 ~安倍“暴走”内閣(3)~
【佐藤優】自民党の全体主義的スローガン ~安倍“暴走”内閣(2)~
【佐藤優】安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本 ~安倍“暴走”内閣(1)~



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