(承前)
(8)官僚の課長クラスの人事も握る内閣人事局の恐ろしさ
安倍政権は今、官邸独裁で、明らかに大統領府みたいな形になっている。自民党の部会や各省の幹部たちの意見を蹴飛ばして、全部官邸がやるという態度だ。
各省庁の官僚は、安倍政権が長く続くとは思っていない。小泉政権も5年しか続かなかった。安倍政権があと4年も続くとは誰も思っていない。だから、外務省の次官とか幹部からすれば、安倍に余計な意見をして、首を飛ばされたらかなわない。官邸は人事権を行使するからだ。だから、「お手並み拝見」みたいな態度だ。
安倍首相は、内閣人事局を設置した(2014年5月30日)。内閣府人事局ではない。官邸にあるのだ。あれは恐ろしいところだ。稲田朋美・自民党政調会長が、この内閣人事局で、幹部公務員600人(全省の課長以上)の人事を握っている。彼らから天下り先の決定権を奪った。官僚どもにしてみれば恐ろしいことだ。これが公務員制度改革【注】の行き着いた果てだ。安倍晋三は、官僚トップたちの首根っこまでこうやって抑えつけることに成功した。だから、あの財務省でさえ屈服した。
大臣の人事権は、建前上は各省の事務官や技官全員に及ぶ。肩書きの名称に「官」が付く者は全員、大臣が人事権を握っている。だから辞令はみな大臣名義でもらう。「何とか委員」は雇い委員だから、局とかの単位でやっている。
実際は、事務次官から外務審議官、ナンバー2か3くらいまでの人事に、政治家は触れなかった。ところが、15年ぐらい前に、局長以上の人事は、総理、官房長官、官房副長官のところで申し合わせがないと執行できないようになった。
霞が関との関係において、人事に対する官邸の力が強くなったのは、橋本内閣のときだった。それでもまだ官僚は安心していた。官僚で本当に実権があるのは課長だ。兵隊を持っているのは課長までなのだ。
安倍政権は、その課長のところに入っていいって。官僚としては、人事に相当手を突っ込まれることになった。ただ、問題は、課長クラスで誰が適任なのかを政治家が知っているかだ。実際は、そこまでは、なかなか知らない。
可愛い稲田朋美を使って、安倍晋三と菅義偉が官僚たちの首まで押さえた、といくら言っても、官房課長の適材適所まではわからないわけだ。
ちなみに、各省での本当のエリートは、人事課長と総務課長と文書課長の3つだ。業界用語で“官房課長”という。大臣官房の課長だ。キャリアの中でも若い頃からこの3つの席に座ってない者は出世組ではない。
【注】公務員の再就職を一元管理する「官民人材交流センター」を内閣府に設け、公務員にも能力・実績主義を導入し、設置後3年以内に各省庁による天下り斡旋を全面禁止した。
(9)「戦後レジームからの脱却」で日本はどこに行くのか
官邸直属の日本版NSC(国家安全保障会議、わかりやすく言えば日本国防最高会議)のトップは、谷内正太郎・元外務事務次官/元政府代表/元内閣官房参与だ。彼は2007年頃から国家戦略としての「自由と繁栄の孤」を言い出した。安倍外交は、それを採用している。「自由と繁栄の孤」で中国包囲網をやろうとしている。
しかし、できるはずはない。逆に中国に包囲されてしまう。だいたい球体において包囲するというのは、包囲されるのと一緒だ。
ところが、彼らは「自分たちは世界規模でのビジョンを持っている」と勝手に思い込んでいる。
彼らは「戦後レジームからの脱却」と言っている。しかし、「戦後レジームからの脱却」をして、どこに行くのか。
もし、ドイツで「ニュールンベルク体制からの脱却」と言ったら、大変なことになる。今のドイツ連邦共和国はナチスドイツとは別の国という前提だから、世界から信頼されている。日本も、大日本帝国とは別の国ということにしておいたほうがいい。
「戦後レジームからの脱却」という言葉は、宮崎正弘が使い始めた。彼は「ヤルタ=ポツダム体制の打破」と言い続けている。
大東亜共栄圏(the Great East Asia Co-Prosperity Sphere)は大きな構想だった。谷内正太郎は「自由と繁栄の孤(クレセント/三日月)」でそのマネをしている。
大東亜共栄圏という言葉は、松岡洋右・外相(当時)がラジオ放送で使った。彼は、ヒトラーとスターリンとムッソリーニの3人から一目置かれたほどの人物だった。だから、松岡は再評価すべきだ。しかし、谷内正太郎程度では。、世界政治のプレーヤーになれない。
「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」は、1940年、41年の2年間ぐらい松岡がラジオで唱えて人気があっただけだ。
松岡が外相の首を斬られた1941年7月からは、坂道を転がるように戦争に突入していった。日本は騙されて戦争をさせられた、というべきだ。
松岡としては、ヒトラーとスターリンがどこかで手打ちして休戦をすると思ったのに、そうはならなかった。英米のほうが騙しが一枚上だった。今の安倍や菅程度の知能では、とても世界政治の土俵には上がれない。
松岡洋右は英語も上手だったし、米国事情にも通暁していた。帝国主義的な戦力均衡外交をやろうとしたが、日本にその基礎体力がなかった。そのため、日米戦争という最悪のシナリオに日本を追い込んでしまった。日本の国力を等身大で見ることができなかったのが、松岡の限界だ。
□対談:副島隆彦×佐藤優『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(株式会社キャップす、2015)の「第1章 安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本」の「官邸主導で暴走する安倍政権の危うさ」
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【参考】
「【佐藤優】円安を喜び、ルーブル安を危惧する日本人の愚劣 ~安倍“暴走”内閣(5)~」
「【佐藤優】中小企業100万社を潰す竹中平蔵 ~安倍“暴走”内閣(4)~」
「【佐藤優】自民党を操る米国の策謀 ~安倍“暴走”内閣(3)~」
「【佐藤優】自民党の全体主義的スローガン ~安倍“暴走”内閣(2)~」
「【佐藤優】安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本 ~安倍“暴走”内閣(1)~」
(8)官僚の課長クラスの人事も握る内閣人事局の恐ろしさ
安倍政権は今、官邸独裁で、明らかに大統領府みたいな形になっている。自民党の部会や各省の幹部たちの意見を蹴飛ばして、全部官邸がやるという態度だ。
各省庁の官僚は、安倍政権が長く続くとは思っていない。小泉政権も5年しか続かなかった。安倍政権があと4年も続くとは誰も思っていない。だから、外務省の次官とか幹部からすれば、安倍に余計な意見をして、首を飛ばされたらかなわない。官邸は人事権を行使するからだ。だから、「お手並み拝見」みたいな態度だ。
安倍首相は、内閣人事局を設置した(2014年5月30日)。内閣府人事局ではない。官邸にあるのだ。あれは恐ろしいところだ。稲田朋美・自民党政調会長が、この内閣人事局で、幹部公務員600人(全省の課長以上)の人事を握っている。彼らから天下り先の決定権を奪った。官僚どもにしてみれば恐ろしいことだ。これが公務員制度改革【注】の行き着いた果てだ。安倍晋三は、官僚トップたちの首根っこまでこうやって抑えつけることに成功した。だから、あの財務省でさえ屈服した。
大臣の人事権は、建前上は各省の事務官や技官全員に及ぶ。肩書きの名称に「官」が付く者は全員、大臣が人事権を握っている。だから辞令はみな大臣名義でもらう。「何とか委員」は雇い委員だから、局とかの単位でやっている。
実際は、事務次官から外務審議官、ナンバー2か3くらいまでの人事に、政治家は触れなかった。ところが、15年ぐらい前に、局長以上の人事は、総理、官房長官、官房副長官のところで申し合わせがないと執行できないようになった。
霞が関との関係において、人事に対する官邸の力が強くなったのは、橋本内閣のときだった。それでもまだ官僚は安心していた。官僚で本当に実権があるのは課長だ。兵隊を持っているのは課長までなのだ。
安倍政権は、その課長のところに入っていいって。官僚としては、人事に相当手を突っ込まれることになった。ただ、問題は、課長クラスで誰が適任なのかを政治家が知っているかだ。実際は、そこまでは、なかなか知らない。
可愛い稲田朋美を使って、安倍晋三と菅義偉が官僚たちの首まで押さえた、といくら言っても、官房課長の適材適所まではわからないわけだ。
ちなみに、各省での本当のエリートは、人事課長と総務課長と文書課長の3つだ。業界用語で“官房課長”という。大臣官房の課長だ。キャリアの中でも若い頃からこの3つの席に座ってない者は出世組ではない。
【注】公務員の再就職を一元管理する「官民人材交流センター」を内閣府に設け、公務員にも能力・実績主義を導入し、設置後3年以内に各省庁による天下り斡旋を全面禁止した。
(9)「戦後レジームからの脱却」で日本はどこに行くのか
官邸直属の日本版NSC(国家安全保障会議、わかりやすく言えば日本国防最高会議)のトップは、谷内正太郎・元外務事務次官/元政府代表/元内閣官房参与だ。彼は2007年頃から国家戦略としての「自由と繁栄の孤」を言い出した。安倍外交は、それを採用している。「自由と繁栄の孤」で中国包囲網をやろうとしている。
しかし、できるはずはない。逆に中国に包囲されてしまう。だいたい球体において包囲するというのは、包囲されるのと一緒だ。
ところが、彼らは「自分たちは世界規模でのビジョンを持っている」と勝手に思い込んでいる。
彼らは「戦後レジームからの脱却」と言っている。しかし、「戦後レジームからの脱却」をして、どこに行くのか。
もし、ドイツで「ニュールンベルク体制からの脱却」と言ったら、大変なことになる。今のドイツ連邦共和国はナチスドイツとは別の国という前提だから、世界から信頼されている。日本も、大日本帝国とは別の国ということにしておいたほうがいい。
「戦後レジームからの脱却」という言葉は、宮崎正弘が使い始めた。彼は「ヤルタ=ポツダム体制の打破」と言い続けている。
大東亜共栄圏(the Great East Asia Co-Prosperity Sphere)は大きな構想だった。谷内正太郎は「自由と繁栄の孤(クレセント/三日月)」でそのマネをしている。
大東亜共栄圏という言葉は、松岡洋右・外相(当時)がラジオ放送で使った。彼は、ヒトラーとスターリンとムッソリーニの3人から一目置かれたほどの人物だった。だから、松岡は再評価すべきだ。しかし、谷内正太郎程度では。、世界政治のプレーヤーになれない。
「大東亜共栄圏」とか「八紘一宇」は、1940年、41年の2年間ぐらい松岡がラジオで唱えて人気があっただけだ。
松岡が外相の首を斬られた1941年7月からは、坂道を転がるように戦争に突入していった。日本は騙されて戦争をさせられた、というべきだ。
松岡としては、ヒトラーとスターリンがどこかで手打ちして休戦をすると思ったのに、そうはならなかった。英米のほうが騙しが一枚上だった。今の安倍や菅程度の知能では、とても世界政治の土俵には上がれない。
松岡洋右は英語も上手だったし、米国事情にも通暁していた。帝国主義的な戦力均衡外交をやろうとしたが、日本にその基礎体力がなかった。そのため、日米戦争という最悪のシナリオに日本を追い込んでしまった。日本の国力を等身大で見ることができなかったのが、松岡の限界だ。
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【参考】
「【佐藤優】円安を喜び、ルーブル安を危惧する日本人の愚劣 ~安倍“暴走”内閣(5)~」
「【佐藤優】中小企業100万社を潰す竹中平蔵 ~安倍“暴走”内閣(4)~」
「【佐藤優】自民党を操る米国の策謀 ~安倍“暴走”内閣(3)~」
「【佐藤優】自民党の全体主義的スローガン ~安倍“暴走”内閣(2)~」
「【佐藤優】安倍“暴走”内閣で窮地に立つ日本 ~安倍“暴走”内閣(1)~」
日立金属本社を巻き込むことに成っているのかを聞きたい。もはや独禁法以前の
犯罪が繰り広げられているイメージがある。