hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

チョン・セラン『フィフティ・ピープル』を読む

2020年08月31日 | 読書2

 

チョン・セラン著、斎藤真理子訳『フィフティ・ピープル』(2018年10月17日亜紀書房発行)を読んだ。

 

ある大学病院内と周辺の50人(正確には51人)の物語。主人公がいない小説だ。バラエティに富む50人の日常を一人数頁で語るだけだが、それぞれの確かな生き方が感じとれる。

 

前に登場した人が、関係ない人の場面にほんの少しだけ姿を見せるなど、幾人かが絡み合って全体の物語を織りなしている。
例えば、韓国への苦手意識を持つハンドボールのナイジェリア代表・スティーブ・コティアンが食あたりで入院する。ふと、病室から窓の外を眺めると、隣の建物の屋上に女性が寂しげに一人立っている。女性と目が合い、とっさにスティーブは手を振った。女性も手を振ってくれた。女の人が親切な国だな。暮らしたいとは思わないけど、それでもまた来てみたい。(p241)
この女性は、病院で働く女性医師のイ・ソラだった。女性蔑視にきちんと戦い「剣の舞」と揶揄されていた。(p311) 二人は互いに、ほんの少しだが、それぞれの人生の脇役になった瞬間だった。

そして最後にほとんどの登場人物が映画館で一堂に会す。

 

初出は2,016年から出版社チャンピのウェブサイトに連載。

2016年11月単行本化。韓国で最も権威ある文学賞の一つ、韓国日報文学賞を受賞



私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)

 

次から次へと様々な人が登場し、次の人に代わる。短い文ながら、その人の人柄、人生の一端がかいま見られて飽きない。

 

思わぬところで、前出の登場人物がそっと登場し、気づくとなんだか少し嬉しくなる。我々もいろいろな局面で、それぞれの人生を歩んでいる人と交差しているのだろう。そして、この小説を読んだ今は、多くの場合には何かプラスになることを得ているのではないだろうかと思えてくる。

 

韓国は日本とは異なる独特の習慣やルールが多くある国だと気付かされた。この点について本書は親切で、本文中に簡潔な注を入れてくれている。例えば「ワカメスープを飲ませた」とあれば、めでたいときに飲むとか、友達の紹介で異性に会うソゲッティングという仕組みがあるとかなど、近くて遠い国だなと思い、もっと理解しなければと思った。

 

 

チョン・セラン
1984年ソウル生まれ。大学の歴史学科と国文科を卒業後、有名出版社で編集者として働いた。

2010年に雑誌『ファンタスティック』に「ドリーム、ドリーム、ドリーム」を発表して作家デビュー。
2013年、『アンダー、サンダー、テンダー』(吉川凪訳、クオン)で第7回チャンビ長編小説賞
2017年に『フィフティ・ピープル』で第50回韓国日報文学賞を受賞。
純文学、SF、ファンタジー、ホラーなどジャンルを超えて多彩な作品を発表し、若い世代から愛され続けている。童話、エッセイ、シナリオなども手がけている。他の小説作品に『地球でハナだけ』『保健教師アン・ウニョン』『島のアシュリー』など。
常々「何ももらえず搾取されるばかりの自分の世代の声を代弁したい」と語る。

斎藤真理子
1960年新潟生まれ。訳書に『カステラ』(パク・ミンギュ、ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン)、『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ、河出書房新社)、『ギリシャ語の時間』(ハン・ガン、晶文社)、『ピンポン』(パク・ミンギュ、白水社)、『誰でもない』(ファン・ジョンウン、晶文社)、『羞恥』(チョン・スチャン、みすず書房)など。『カステラ』で第1回日本翻訳大賞受賞。

 

メモ

「あんた、知ってる? 世の中の安全法のほとんどは、遺族が作ったんだって」

 

韓国の病院は地下に霊安室とともに葬儀場があり、そこで葬儀を営めるようになっていることが多い。

 

韓国の医師養成課程はグローバルスタンダードを目指している。

  • 高校卒業後、だいがくの医学部(6年制)で学ぶ
  • 四年制大学の他学部の卒業生や社会人がメディカルスクール(4年制。「医療免許専門大学院」と呼ばれる)で学ぶ。

の二つの方法がある。医師国家試験に合格すれば医師免許が発給される。

以後の臨床研修は、

  • インターン(一年間かけて主要な診療科を巡回する)
  • レジデント(診療科を確定し、3年か4年経験を積む。この課程を修了すると専門医になる。
  • フェロー(専門医として、一般に1~3年の経験を積む)

各課程ごとに国家試験がある。男性は大学学部卒業後やレジデント終了時などに約2年兵役に就く。

 

 

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鴻上尚司『不死身の特攻兵』を読む

2020年08月29日 | 読書2

鴻上尚司著『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書2451、2017年11月20日講談社発行)を読んだ。

 

第一回の特攻作戦から9回の出撃、「必ず死んで来い!」と言われながら、9回生還を果たした特攻兵がいた。

なんと、当時21歳のその佐々木友次は92歳で存命だった。

この本は、著者が、命令側と命令される側から特攻について調べたことと、佐々木氏への5回のインタビュー結果、そして、日本軍の行った「特攻」について著者の考えを述べている。


体当たりせよという命令は、十分な急降下爆撃技術を持つ初期の兵士の誇りを傷つけるものだった。だから佐々木さんらは、命令に逆らって米軍の戦艦に爆弾を投下して帰還したのだ。
しかし、軍幹部は生還した兵士に早く再出撃して、こんどこそ死ねと迫る。小舟でもいいから体当たりして死んでくれと叫ぶ。天皇にも死んだと報告してしまったのだからと。

佐々木さんの上官である岩本隊長は、当初から「体当たり」攻撃を否定していて、操縦席から爆弾を投下できず、爆弾を抱えたまま突っ込むことしかできないように改装された特攻仕様機を、投下して生還できるように再改装し、隊員に向かってこう言った。

「…このような改装を、…許可を得ないでしたのは、…自分の生命と技術を、最も有意義に使い生かし、できるだけ多くの敵艦を沈めたいからだ。……(略)「出撃しても爆弾を命中させて帰ってこい」


体当たりをしないで、戦艦を沈めることにこしたことはない。しかし、特攻隊が体当たりしないで生きていたら、うるさいだろう」津田少尉は正直に聞いた。
「いろいろ言われますが、船を沈めりゃ文句ないでしょう」佐々木は人懐こい目を細くして、笑いを浮かべた。

 

米軍の進軍を止める可能性があるのは特攻しかないと軍幹部は認識していた。しかしその特攻でさえ実際の戦果は少なかったが、若者が国を守るために命を捨てたという国民への宣伝効果はあった。そのためだけに、沖縄戦以降、成功確率がほどんとなくなった特攻は続けられた。

 

著者は書いている。「攻撃を受け、生還の望みのない兵士が、自主判断で敵に体当たりをすることと、組織として「九死一生」ではなく「十死零生」の命令を公式に出すことは、根本的に違うのです。]

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)

あの時代に上官命令に反して、何回も生還してきた兵士がいたとは想像もしなかった。日本軍は上から下まで、ガチガチの教条主義者だと思っていたが、そんな若者がいて、それを支える本の数人の上官もいた。そのことだけでもこの本を読んでよかった。

 

日本軍はアメリカ軍の圧倒的軍事力に対抗できず、特攻で一矢を報いる方法しか考えられなかった。その一矢も効果がなくなっても、若者が死ぬことに意義があると、戦意高揚のため特攻を続けていた。

もっと早く終戦(敗戦)を決断できず、繕いと強弁のみの指導者たちに呪いを!

 

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。
在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。
95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞
2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。
現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける

著書に『「空気」と「世間」』『不死身の特攻兵』『鴻上尚史のほがらか人生相談』『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』『英語とわたし』(著者23人の一人)など。

 

 

海軍の第一回特攻隊・『敷島隊』は1944年10月25日、陸軍の『万朶(ばんだ)隊』は11月12日に出撃した。

 

万朶隊の岩本隊長28歳は「跳飛(ちょうひ)爆撃」の第一人者。跳飛爆撃とは、1943年にアメリカ軍が初めて採用した方法で、爆弾を直接、艦船に投下しないで、一度、海に落として跳ね上がらせ命中させる方法。

「跳飛爆撃」もマリアナ沖海戦以降、アメリカ軍が使用し始めた近接信管(VT信管)のためほとんど不可能になった。近接信管とは、電波発信機を備えドプラー効果を利用して、目標物が15メートル以内に来ると爆発するものです。

 

敷島隊の関大尉は新聞記者に言った。「報道班員、日本もお終いだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある」

 

5回目の出撃。アメリカ軍は、特攻対策として、空母に載せる急降下爆撃機の数を半減させ、迎え撃つ艦上戦闘機の数を2倍にした。そして、空母に前方60カイリ(110キロ)に、レーダー警戒駆逐艦を配備した。

 

大西瀧次郎中将(特攻発案者)のように戦後自刃しなかった司令官達は、ほとんどすべてが「すべての特攻は志願だった」と証言します。

司令官ではなく、隊員達が書いた多くの手記は、「志願」の形をした「命令」だったと断じます。

 

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南杏子『ディア・ペイシェント』を読む

2020年08月27日 | 読書2

南杏子著『ディア・ペイシェント』(2018年1月25日幻冬舎発行)を読んだ。

 

幻冬舎の繰り返しがあるし、長すぎる宣伝文句は以下。(原文に改行を追加)

クレーム集中病院で、若き女性医師が“モンスター・ペイシェント”に狙われた!? 失敗しようと思う医師はひとりもいない。けれど、医師と患者が解りあうのは、こんなにも難しいのか――。
現役医師が、現代日本の医療界の現実を抉りながら、一人の医師の成長を綴る、感涙長篇。
 病院を「サービス業」と捉え、「患者様プライオリティー」を唱える佐々井記念病院の常勤内科医になって半年の千晶。午前中だけで50人の患者の診察に加え、会議、夜勤などに追われる息もつけない日々だった。そんな千晶の前に、執拗に嫌がらせを繰り返す“モンスター・ペイシェント”座間が現れた。

患者の気持ちに寄り添う医師でありたいと思う一方、座間をはじめ様々な患者たちのクレームに疲弊していく千晶の心の拠り所は先輩医師の陽子。しかし彼女は、大きな医療訴訟を抱えていた。失敗しようと思って医療行為をする医師はひとりもいない。
医師と患者が解りあうことはこんなにも難しいのか――。

座間の行為がエスカレートする中、千晶は悩み苦しむ。 現役医師が、現代日本の医療界の現実を抉りながら、一人の医師の成長を綴る、感涙長篇。

 

真野千晶:川崎市にある佐々井記念病院の常勤内科医。35歳独身。父は山梨の診療所の医師で妹の万里が事務を手伝っている。母は認知症で老人ホームへ入所。

 

浅沼智恵子は診断ではほぼ正常なのに調子が悪いと主張する。挙句に認知症試験を拒否して退場。

保坂剛士は薬をきちんと飲まず、不要な精神安定剤ヤルキンや、母親のための湿布を要求する。

こんな患者ばかりで診察時間ひとり3分半が倍以上になっている。

 

高峰修治:病院の事務長で実質的に経営を支配している。事務局主任の沼田は忠実なしもべ。

浜口陽子:千晶の6年先輩で専門は心臓病。姉御肌。

金田直樹:千晶の2年先輩の内科医。カネゴン。

蓮見勇夫:警備員

座間敦司:千晶をねらう謎の男

 

本書は書き下ろし。

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

医者と患者との間の軋轢がテーマだ。本書に登場する患者のほとんどは問題があり、その辺はよく書けている。

しかし、現実は問題ない患者がほとんどだろう。一方で勤務医には癖が強かったり、親切ではない人もけっこう多い。まあ、どっちもどっちと言ったところか? 勤務医の激務とその中で誤診をしないように集中するのは、保険完備であっても、大変だろう。一方では病院での待ち時間が長時間なのも調子の悪い患者には大変つらいことなのだ。

 

南杏子(みなみ・きょうこ)の略歴と既読本リスト

 

 

外来患者のSML:Sは要領よいスムーズ。Mは悪気はないが、まどるっこしい。Lは台風なみのLow Pressure で、「何かあれば訴えてやる」と身構えている。

 

 

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南杏子『サイレント・ブレス』を読む

2020年08月25日 | 読書2

 

南杏子著『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』(幻冬舎文庫み34-1、2018年7月10日幻冬舎発行)を読む

 

裏表紙にはこうある。

大学病院から、在宅で最期を迎える患者専門の訪問クリニックへの“左遷”を命じられた三十七歳の倫子は、慣れない在宅医療にとまどう。けれども、乳癌、筋ジストロフィー、膵臓癌などを患う、様々な患者の死に秘められた切なすぎる謎を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けする医療の大切さに気づく。感涙の医療ミステリ。

 

巻頭に、「サイレント・ブレス」というのは「静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉」だとの説明がある。

この本は主人公の水戸倫子が大学病院から訪問クリニックに異動になり、終末期の患者たちを看取ることになる物語だ。

 

大学病院の総合診療科に入局して10年、すべてに要領が悪く予定が遅れ遅れだが、誠意ある仕事をと突っ走る37歳になる倫子。今日もまた終電を目指し駅に走っていた。

ある日突然大河内教授に呼ばれ、武蔵野訪問クリニックに異動させられる。「何がいけなかったんでしょう。一生懸命やってきたつもりですが……」と言う倫子に、教授は「三年前に僕が試験的に始めた在宅医療部門だ」と説得する。

 

訪問クリニックは三鷹駅から数分の井之頭通りにあった。スタッフは看護師のコースケこと武田康介、医療事務の亀さんこと亀井純子だけだ。

訪問先には様々な患者、そしてさまざまな死があった。

  • 末期の乳がん患者、ジャーナリストで45歳の知守綾子は「とにかく私は、死ぬために戻ったの」「だから治療の話はやめて。時間の無駄よ」と言う。
  • 22歳の進行性筋ジストロフィーの天野保は、母親の和子は協力的でないが、陽気で挑戦的。
  • 御屋敷に住む古賀芙美江は息子純一郎の願いを聞いて胃瘻拒否の態度を翻した。
  • ひとつだけ毛色の変わった話が挿入される。身元不明で発見された高尾花子は言語障害で推定10歳。倫子と医学部同期の糸瀬は里親宅で在宅医療を要請してきた。
  • 消化器がんの権威として知られた名誉教授・権藤は、手遅れの膵臓がんになり自宅に戻り一切の治療を拒否したが、突然、点滴と痛め止めを要求された。
  • 倫子の父・慎一は脳梗塞から意識のない状態で誤嚥性肺炎を繰り返し、施設と病院を往復していた。倫子は自宅で看取ろうと考えて休職したが、母は……。倫子は当事者となって苦悩する。

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

重苦しいテーマだが、説得力ある内容・文章でわかりやすく、読みやすい。現役の終末期医療専門の医師だけあって、話はリアルだ。

すべての例を通じて、死を静かに受け入れる時代へ近づいていると感じる。

武蔵野市や、三鷹駅など私に土地勘のある話が多く、長い行列で知られる評判店(さとう)のメンチカツや、御殿山の屋敷などフムフムと楽しんだ。

 

南杏子(みなみ・きょうこ)の略歴と既読本リスト

 

 

お墓や仏具は祭祀財産と呼ばれ、遺族間で分割する遺産の対象にならなず、祭祀継承者、多くの場合長男、が受け継ぐ。

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あこがれのガレ

2020年08月23日 | 美術

 

「200万円!」思わず口に出てしまった。

 

ふらりと入ったアンティークショップ。見入っている彼女は、1個のランプをそんな大金出して本当に買う気なのだろうか。

「まずこの値段では手に入らない」とますます話に力がこもる店主。憧れのガレ制作のバラのランプに囚われてしまった奥さんは、すっかり買う気になっている。確かに淡い朱色のバラがほんのり輝くランプは上品で手元に置きたくなる品だ。良く行くガラス工芸美術館のショップにある鮮やかすぎる商品とは違う。

大変なことになってしまった。定期を解約して、そしてさらに……。「う~ん」何とかなると言えば言えるのだが、それにしても。

 

「ねえ、買いたいんだけど」と言われて、弱みを握られた私が拒否できるわけがない。「え? 弱みといっても何かいけない事したわけではありませんよ。惚れた弱みということです」

「そこのデパートで今、ランプ展をやっているから、それを見てから決めようよ」と言うのが精一杯だった。

 

そして今、ベッドの脇には、いかにも品の良いガレの「ばら文(もん)ランプ」がある。

 

写真になってしまったのだが。

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冲方丁『はなとゆめ』を読む

2020年08月21日 | 読書2

冲方丁(うぶかた・とう)著『はなとゆめ』(角川文庫う20-10、2016年7月25日KADOKAWA発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

なぜ彼女は、『枕草子』を書いたのか――。28歳の清少納言は、帝の妃である17歳の中宮定子様に仕え始めた。華やかな宮中の雰囲気になじめずにいたが、定子様に導かれ、その才能を開花させていく。機転をもって知識を披露し、清少納言はやがて、宮中での存在感を強める。しかし幸福なときは長くは続かず、権力を掌握せんとする藤原道長と定子様の政争に巻き込まれて……。清少納言の心ふるわす生涯を描く、珠玉の歴史小説!

 

歌人としては高名だが身分は高いとは言えない清原元輔を父に持つ清少納言が、橘則光と離婚して、息子を夫に取られた。帝のおわす皇居の内裏を浄土に近い場所として憧れていたなか、25歳になり藤原信義を二人目の夫とすることになった。彼は「…君の頭の良さと、わたしの顔の良さを持った子を。…」と言った。

 

そして、思いもかけずくせっ毛で28歳(おお年増)の清少納言は、中宮である藤原定子(ていし)のもとへ出仕することとなる。中宮定子は権勢を誇る父・藤原道隆、20歳の若さで権大納言の兄・伊周に支えられ、支えて繁栄の真っただ中だった。まだ、藤原道長ははるかかなただった。

 

本書は2013年11月刊の単行本を加筆訂正のうえ文庫化。

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

従来、私は清少納言を好きになれなかった。自慢話が多く、機転はきくが深い考えがない女性と思っていた。
しかし、この本を読んで、そして山本淳子氏の解説を読んで、それほど単純ではなく、誤解していた面もあったと考えるようになった。『枕草子に』には、仕える中宮定子が悲劇的状況になってもなお、「中宮様はお笑いになった」「不如意なことは何一つなかった」など定子をたたえ、幸せであるとの記述が続くという。悲劇的状態にあるからこそ、定子の素晴らしさだけを後の記憶に残そうとしたというのだ。

この本を読んで少なくとも清少納言の定子に対する献身的な思いは十二分に感じ取ることが出来た。対立する彰子に仕えた底意地が悪そうな紫式部より人柄は良いかも。

 

『枕草子』の面白がる解説だけでなく、一度ちゃんと読んでみたくなった。この本はそんな一冊であった。

 

冲方丁(うぶかた・とう)
1977年岐阜県生まれ。14歳まで、シンガポール、ネパールに在住。埼玉県立川越高校卒。
1996年早稲田大学在学中に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞 金賞を受賞しデビュー
1997年ゲーム制作者としてデビュー。先鋭的なゲーム開発に多数関わる。
2003年小説『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞受賞
2009年『 天地明察』刊行。2010年本屋大賞1位、吉川英治文学新人賞受賞、舟橋聖一文学賞受賞、直木賞候補
2012年『光圀伝』で第3回山田風太郎賞を受賞

その他、『もらい泣き』『戦の国』など。

 

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宮部みゆき『理由』を読む

2020年08月19日 | 読書2

 

宮部みゆき著『理由(りゆう)』(新潮文庫み22-13、2004年7月1日新潮社発行)を読んだ。

裏表紙にはこうある。

事件はなぜ起こったか。殺されたのは「誰」で、いったい「誰」が殺人者であったのか――。東京荒川区の超高層マンションで凄惨な殺人事件が起きた。室内には中年男女と老女の惨殺体。そして、ベランダから転落した若い男。ところが、四人の死者は、そこに住んでいるはずの家族ではなかった……。ドキュメンタリー的手法で現代社会ならではの悲劇を浮き彫りにする、直木賞受賞作。

 

本作品は1996年9月2日から1997年9月20日まで「朝日新聞」夕刊に連載。1998年朝日新聞社より単行本、2002年朝日文庫として刊行された。

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)

 

777ページと大部だが、飽きることなく、読み進められる。最初から最後まで貫く筋に導かれながら、3,4冊の家族小説を読んでしまった気がした。

犯人はもちろん被害者たちの身元もわからないまま最後の方まで引っ張っていく、珍しい展開だ。しかし、飽きることはない。借金漬けの家族、凄まじい嫁舅争いの家族、18歳の未婚の母を抱える家族など様々な形の家族の話をしっかり重厚に描きながら話を進めていくからだ。

 

著者は、TVのクルーが解決済み事件を検証し、アナウンサーのナレーションや、記者が語るという「NHK特集」のつもりで書いたという(池上冬樹の解説より)。したがって、ドキュメンタリー風に話は進み、若干の解説もつくので、各段階での展開が徐々に積み重なっていくので分かりやすい。

 

 

宮部みゆき 概歴と既読本リスト

 

登場人物

ヴァンダール千住北ニューシティ:東西の地上25階の高層タワー2棟と、中央棟は15階。ウエストタワー20階の2025号室が事件現場。

佐野利明:ウエストタワーの管理人。妻・昌子は入院中。20歳の娘は雪美。

葛西美枝子:ウエストタワー2023号の住人。編集プロダクション勤務。夫はアパレルメーカー勤務の一之。

佐藤義男:ウエストタワー1225号の住人。妻は秋江、長男博史。長女彩美が落下した人を見る。

北畠敦子:ウエストタワー2024号に離婚して小4と小2の子と67歳の母・智恵子と住む。

島崎昭文:中央棟の管理人。妻は房枝。

佐々木茂:イーストタワーの管理人。32歳。

井出康文:パークハウジング・マンション管理部長

 

小糸信治:事件現場ウエストタワー2025号室の持主。41歳。機械メーカー勤務。

小糸静子:信治の妻。40歳。衣料品店勤務。派手で浪費家。長男は孝弘10歳で私立小学校在学。

小糸貴子:信治の姉。塾の教師。53歳。静子と仲が悪い。

 

片倉義文:簡易旅館「片倉ハウス」経営。42歳。妻は幸恵。中一の信子、小6の春樹と母68歳のたえ子。

 

宝井睦夫:「宝食堂」経営。妻は敏子。長女は綾子。長男は高1の康隆。

宝井綾子:18歳で、八代祐司との間に2か月の祐介がいる。

八代祐司:宝井家に来て綾子と結婚するつもりはないという。

 

木村惟之(これゆき):小糸静子の父。妻は逸子。資産家。

坂田尚子:小糸静子の子供の時の友人。木村家の近くに住む。

 

石田直澄:事件現場の部屋の買受人。一家4人殺しの重要参考人。物流会社運転手。46歳。妻はキヌ江、大2の直己、高2の由香里。

早川一起:一起揆不動産経営。競売物件の元持主を夜逃げさせてさかのぼって賃貸契約させた「占有屋」である砂川一家を住まわせ、競売妨害をする。

砂川一家:夫が砂川信夫、妻は里子、長男が毅、信夫の母がトメ86歳。

伊沢和宜:深谷市でサンドイッチスタンド「あしべ」経営。妻は総子(ふさこ)。従業員は砂川里子。

秋吉克之:草津町で「レストランさなえ」を経営。妻は早苗。末の妹は勝子。

皆川康子:浜松市郊外の老人ホーム「あすか園」に勤務。三田ハツエは入園者。

 

 

料理の味付けとか、掃除の仕方とか、収納のやり方など、生活のなかのきわめて実際的なところの主義が一致することが多かった。……女性の場合、こういう部分の好みさえ一致するならば、資本主義者と共産主義者だって一緒に暮らしていかえるものだ。(p522)

 

 

 

 

 

 

 

 

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島本理生(しまもと・りお)の略歴と既読本リスト

2020年08月17日 | 読書2

島本理生(しまもと・りお)
1983年東京都板橋区生まれ。
小学生のころから小説を書き始め、1998年、15歳で書いた『ヨル』が『鳩よ!』掌編小説コンクール年間MVPを受賞。
2001年都立新宿山吹高校在学中「シルエット」で群像新人文学賞優秀作受賞デビュー。
2003年、『リトル・バイ・リトル』野間文芸新人賞受賞、芥川賞候補、立教大学文学部入学(2006年中退)。
2004年『生まれる森』芥川賞候補、2005年『ナラタージュ』山本周五郎賞候補
2006年『大きな熊が来る前に、おやすみ。』芥川賞候補、2007年『Birthday』川端康成賞候補
2011年『アンダスタンド・メイビー』直木賞候補、2015年『Red』島清恋愛文学賞受賞、『夏の裁断』芥川賞候補
2018年『ファーストラブ』で直木賞受賞
2019年『Red』で島清恋愛文学賞受賞 

他、『イノセント』、『七緒のために』、『よだかの片想い』、『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』、『あられもない祈り』等。

7人の女性作家による『最後の恋 Premium つまり、自分史上最高の恋。』、6人の作家による『聖なる夜に君は』 

2006年に小説家・佐藤友哉と結婚、離婚、2010年復縁・再婚し、2011年第一子出産。

 

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島本理生『夜 は お し ま い』を読む

2020年08月15日 | 読書2

 

島本理生著『夜 は お し ま い』(2019年10月23日講談社発行)を読んだ。

講談社の宣伝文句は以下。

島本さんの小説はいつも、自分は傷ついているのだと気づかせてくれる。――藤崎彩織

深い闇の果てに光を掴もうとする女性たちの、闘いと解放。直木賞作家の真骨頂!
性とお金と嘘と愛に塗れたこの世界を、私たちは生きている。
ミスコンで無遠慮に価値をつけられる私。お金のために愛人業をする私。夫とはセックスしたくない私。本当に愛する人とは結ばれない私――。
秘密を抱える神父・金井のもとを訪れる四人の女性。逃げ道のない女という性を抉(こじ)るように描く、島本理生の到達点。

 

「性とお金と嘘と愛に塗れたこの世界」を生きる4人の女性が、秘密を抱えた神父・金井のもとを訪れる連作短編集。

 

「BOOKウォッチ」にこうある

島本さんは「純文誌で小説を書くのはこれが最後」という意味を込めて、本書のタイトルをつけた。それが改稿を進めていくうちに、次のような気持ちになっていったという。

「この小説にとっての『おしまい』ってもう少しポジティブな意味でもあるかな、と......。夜が明けていくときのような、暗闇の中で光が見えてくるような感覚でおしまいにするのがちょうどいい気がしたんです。それなら......少し余韻を残すような一マス空きの『お し ま い』にしよう、と

 

「夜のまっただなか」
ともかく有名私大に行きたかった琴子は、入りやすい神学部に入学。大学のミスコンで最下位になりショックを受けた琴子は、タレント事務所勤務だという北川と付き合うことになる。北川に誘われてホテルに入ったが、逃げたくなる。皆がしているんだから、むしろこれくらいしないといけないと思う。結局、琴子は病院へ行くことになった。キリスト教の講義を受けた金井先生から借りた本を金井先生に返しに行き、机の上のメッセージカードを読んでしまう。そこには「結局は更紗さんのことが大切だということなのです。」とあった。。

 

「サテライトの女たち」
お金のために愛人業をする結衣は、繁盛しているチェーン店の副社長・中年男の北川が借りたマンションに住む。友達のハル君は資産家の息子で弁護士を目指している。ホストクラブでは雪成がごひいきだが、ルイとも付き合う。結衣は北川を騙してお金を手に入れようとしたが……。母・葉子は前任の神父に犯されて、女性信者だけの小さな新興宗教「マリアの住処」を立ち上げている。結衣は金井神父に告解しに行く。

 

「雪ト逃ゲル」

「はなれる、もうおわりにする、という言葉をくり返して、なぜか金沢の市内をいま歩いている。」と始まる。

セックスは抜きで良いという夫と息子・伊月がいながらKと逢瀬を繰り返す作家の私。誘われるままに寝た男は他にもいる。

Kの前で無防備に泣いたことなどないので動揺して顔をあげると、驚いたように見つめ返す目があった。突然、喉が開いた。

「お父さんが私を」

その瞬間、バツンッと扉が落ちたように脳が閉まった。

暗い視界に静かに言葉が浮かび上がった。

 

それが本当に起きたことなら生きていけない。

のちのちになって、母が帰宅した直後に父をビール瓶で殴ったことを知った。それから数か月の記憶は曖昧だ。

 

「静寂」

こういう仕事をしていると、自分のメンタル管理なんてたやすいだろう、と誤解されがちだ。

実際はどんなに操縦に慣れていても、荒い海流を小さな高速船で突っ切るときに揺れないことはまずない。

カウンセラーの更紗は24歳の相談者・有栖(ありす)に密かに想いを寄せる。自宅では27歳の弟・渚と二人住まいだ。恩師の大垣先生の悲報が届く。

大垣が、大学で同期だった金井が精神科医からカソリックの司祭に転身したと語ったことを思い出す。金井は父

に追い詰められた妹・亜子の治療に失敗し、神学科へ入りなおした。更紗は亜子にそっくりだという。

 

初出:「群像」2014年11月号、2015年3月号、8月号、9月号、12月号

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

かなりエグいベッドシーンが続き、キリスト教、神、罪悪感といった宗教的なテーマが観念的な文章で語られる。とても楽しんでは読めない。この種の純文学は御免だ。

 

昔昔には、悲恋を生み出すものとして身分の差があったが、それが少し前には難病に代わり、それも「またか」となり、今は幼少期の父親の性的虐待が悲劇的人生の原因として描かれることが多くなっている気がする。

 

島本さんは「たぶんこれ以上は同じことのくり返しになってしまうので、純文学はこの作品で一区切りが着いたかな、とも思っています」と「BOOKウォッチ」にあるので、今後に期待しよう。

 

島本理生(しまもと・りお)の略歴と既読本リスト

 

 

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福岡伸一『最後の講義』を読む

2020年08月13日 | 読書2

 

福岡伸一著『最後の講義 完全版』(令和2年3月31日主婦の友社発行)を読んだ。

 

表紙の裏にはこうある。

「あなたは人生最後の日に何を語りますか?」

NHKで放送され、大反響をよんだドキュメンタリー番組「最後の講義」が、本になってよみがえりました。本書は「最後の講義」を書籍化するに当たって、未放送だった部分も収録した完全版!

各分野のトップランナーが未来を託された若い世代へメッセージを送ります。

 

「西原理恵子」「大林宣彦」「石黒浩」の本と並んで、私の敬愛する福岡伸一氏の“最後の講義”の本だというのだから、読まざると得ない。しかし、「はじめに」を読むと、“最後の講義”の意味は以下だった。

もし何かの理由で明日私がきえてしまうとしたら、「今日のうちにぜひ、これだけは皆さんに聞いておいてもらいたい」ことをお話しする講義です。

 

虫オタクと顕微鏡

蛹(さなぎ)の中で何が起きているか現代でも解明できていないが、

幼虫の体をかたちづくっていた細胞がいったんドロドロに溶け、その中から成虫の体を作り出す細胞が現れ、蝶を作っていくということはわかっています。

 

食べ物は体で何になる

絶え間のない合成と分解によって、食べ物の原子や分子と自分の体の中は交換されています。胃や小腸や大腸など消化管の細胞はだいたい2日か3日で分解され入れ替わります。うんちの主成分は食べ物のかすではなく、分解され捨てられた細胞のかすなのです。筋肉は2週間ぐらい、血液の細胞は数か月で入れ替わる。脳細胞も細胞と細胞の配置は変わりませんが、細胞の中身は入れ替わっています。

 

動的平衡とは?

大きく変わってしまわないために、常に小さく変わり続けているのが私たちの体なのです。

 

地球で、重さでみて一番繁栄している生物は?

人間は全員合わせても3億トン。トウモロコシは家畜の餌として使われ、年間10億トン以上生産されている。トウモロコシは人間を奴隷のように働かせて繁栄しているとも見える。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

内容的には福岡さんのだいぶ前の著書『動的平衡』と同じだが、講義形式なのでよりわかりやすい。また、福岡さんが昆虫少年から研究者となり、フェルメールに魅せられるなどその人生を語っている点が、一流の研究者でありながら趣味が広く深い福岡さんのファンである私には興味深かった。

相変わらず素人にもわかりやすく、納得できる語り口は見事だ。

 

福岡伸一(ふくおか・しんいち)

1959年東京生まれ。2004年より青山学院大学理工学部化学・生命科学科教授。専攻は分子生物学。
1982年京都大学農学部食品工学科卒。

1988年ロックフェラー大学ポストドク、1989年ハーバード大学医学部ポストドク
1991年京都大学講師、1994年京都大学助教授
2006年科学ジャーナリスト賞受賞。『プリオン説はほんとうか?』で講談社出版文化賞科学出版賞受賞
2007年『生物と無生物のあいだ』サントリー学芸賞<社会・風俗部門>受賞。
2009年『動的平衡

その他、『プリオン説はほんとうか?』、『ロハスの思考』、『生命と食』、13人のエッセイ集『楽しむマナー』、大竹昭子『須賀敦子の旅路』への解説

 

 

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呉座勇一『応仁の乱』を読む

2020年08月11日 | 読書2

呉座勇一著『応仁の乱』(中公新書2401、2016年10月25日中央公論新社発行)を読んだ。(表紙のタイトルは、「応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱」)

 

表紙裏にはこうある。

室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(1467~77)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか―――。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。


応仁の乱の概説

応仁元年(1467)から文明9年(1477)の日本最大の内乱。

嘉吉(かきつ)元年(1441)6代将軍足利義教(よしのり)が暗殺された「嘉吉の変」が起こり、以後20年余り幕府政治の混迷が続く。

室町幕府8代将軍義政には息子がいなかったので、弟・義視を後継者とした。妻・日野富子が男子(のちの義尚(よしひさ))を出産し、覇権勢力の細川勝元に新興勢力の山名宗全が挑戦し、お家騒動に介入し、やがて細川方東軍と山名方西軍が戦う地方も含む大乱となった。
大名たちが何のために戦ったのかはっきりしないし、劇的で華々しいところがまるでなく、不毛で不条理な大乱だった。しかし、乱後、幕府の権威は失墜し、後世に与えた影響は大きい。

さらに、明応2年(1493)細川政元がクーデターを起こし2人将軍となった明応の政変により幕府が崩壊し、戦国時代へ移行していく。


しかし、発端の当事者(細川勝元と山名宗全)たちも、短期に決着と考えていたのに、両氏が多数の大名を引きこんだために、諸大名の目的が錯綜、もはや将軍も大将もコントロール不能となり、地方でも戦闘がくり返され、結局終結まで11年もかかってしまった。しかも、戦後処理も判然とせず、結局のところ応仁の乱はよくわからないことになっている。

本書は、同時代の興福寺の2人の高僧(経覚と尋尊)が遺した日記と、最新の研究成果により、日本最大の内乱を実証的に検証し、戦乱に巻きこまれた人々の生態を描く。


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

応仁の乱の大きな流れ、始まり・戦乱の拡大・曖昧な終息、は掴めるように記述されている。しかし、細かい中味は複雑怪奇だ。なにしろ裏切り、変身、合体など混乱が激しく、登場人物の名前まで途中で変わり、とても詳細は追いきれない。

限られた文献から人物の性格まで読み取って、物語としての応仁の乱を興味あるものに描いている。

 

 

呉座勇一(ござ・ゆういち)
1980年(昭和55年)、東京都生れ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は日本中世史。

現在、国際日本文化研究センター助教。『戦争の日本中世史』で角川財団学芸賞受賞

著書は、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『戦争の日本中世史』(新潮選書)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)、『陰謀の日本中世史』(角川新書)

 

 

以下メモ。

 

一乗院と大乗院

興福寺には100を超す院家(いんけ)や坊舎があった。天皇や摂関家の子弟が院主となる院家を特に「門跡」と呼ぶが、一乗院と大乗院が「門跡」であり、「両門跡(両門)」と称した。ほとんどの院坊はいずれかの門跡の傘下に入り、門跡を頂点とする組織が形成され、学会ではこれを「両門体制」と呼ぶ。
観応2年(1351)の「両門跡確執」により一乗院と大乗院は30年以上争った。

経覚(けいかく)
応永2年(1395)関白左大臣九条経教(つねのり)の子として生まれた。応永17年(1410)大乗院門跡を継ぎ、応永33年(1426)32歳で興福寺別当となった。

6代将軍・足利義教
一乗院と大乗院など大和での争い仲裁に失敗することを恐れ当初は放任したが、関与し始めると命令に逆らう者を許せなくなり、口先介入に留めるべきとの周囲の反対を押し切って武力介入に踏み切った。
後花園天皇供応のため一乗院・教玄と大乗院・経覚に銭を出すように命じたが、経覚は応ぜず罷免された。後任は一条家の尋尊(じんそん)となった。

足利義政
1449年14歳で元服し征夷大将軍となった。

文正の政変
1464年、男子のいない足利義政は弟を還俗させて足利義視(よしみ)を後継者とした。直後に実子(後の義尚(よしひさ))が誕生した。

第一の勢力:義政の側近の伊勢貞親は義政→義尚を押し、日野富子は義政→義視→義尚と考えていた。
第二の勢力:山名宗全は義政を引退させて義視が将軍と目論んだ。

第三の勢力:細川勝元は義政→義視→義尚と考えていた。
結果として、勝元が勝って、義視が事実上の将軍となり、義政も復権し、伊勢は失脚した。


応仁の乱勃発
応仁元年(1467)細川勝元が図り、武田信賢・細川成之が、山名方の一色義直邸を襲い、京都各所に火が上がった。
管領職を巡り、畠山政長の後ろ盾は細川勝元で、畠山義就(よしひろ)は山名宗全だった。1466年畠山義就は山名・斯波義簾の助けを得て京へ上った。。
東軍:細川勝元・畠山政長・斯波義敏・京極持清・赤松政則・武田信賢・・足利義政・成身院光宣・筒井順永

西軍:山名宗全・畠山義就・斯波義簾・一色義直・土岐成頼・大内政弘・・足利義視↓・朝倉孝景↑

大乱終結
山名家臣団は宗全を引退させ(主君押込)、孫の政豊が当主になった。細川勝元・勝之親子は引退し、勝元息子(後の政元)で宗全の外孫が細川当主となった。両軍の将は諸将を説得することなく、文明6(1474)年、単独講和した。西軍の大内政弘・畠山義就などは戦闘態勢を継続した。



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鴻上尚史『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』を読む

2020年08月09日 | 読書2

 

鴻上尚史著『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(2020年5月30日朝日新聞出版発行)を読んだ。

 

月刊誌「一冊の本」(朝日新聞出版)に連載し、それをネットのAERA dot.(アエラドット)で1週間に1本の割合で紹介した人気人生相談。 本書にはその中から27の相談と回答が収められている。

鴻上尚史のほがらか人生相談』の第二弾。

 

相談5「これまで容姿に対する男性の態度・言動に、ひどく傷つけられてきました」

多くの男達は、自分のことを「見る性」だと思って、女性を「見られる性」だと決めつけています。男達の中で「イケメンに限る」という言い方があります。しかし、多くの女性は、恋愛対象は「イケメンに限ることはない」と思っているはずです。

「ぶさいく村・心優しき地区」に住む男達は、自分がされたら嫌だから、美醜を口にし、態度を変えるということをしないのです。微笑みましょう。無理せず、頑張れる範囲でポジティブになりましょう。

 

「あとがきにかえて」

演劇の現場では、お節介なおじさん俳優達が、演技に悩む若手女優の相談相手に積極的になろうとします。効果的ですが続けているうちに若手女優は若手ではなくなり、おじさん俳優達は去っていきます。残されたのは「自分の頭で考えたことない、もう若くない女優」です。

僕は、演出家として、正解だと思うことを先取りして言わない、誘導尋問の形で答えを導き出さない、なるべく俳優が自分の頭で考えるように進める。「ほがらか人生相談」も基本的にはこのスタンスでやっています。

相談・回答の結果にかかわらず、「その結果、あなたが幸せになるなら、僕は本当に幸福です。んじゃ。」

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

私が、人生相談を読む楽しみには、人の不幸を覗き見て、こっそり笑う楽しみと、回答者の意外な答えや、あまりにも割り切った考えに、「うーむ」と感心することになる。

私がもっとも感心する人生相談は、上野千鶴子さんの極端なほど合理的な回答だ。

 

この鴻上さんの人生相談は以上の範疇には入らないが、ついつい読んでしまう。相談はどこにでもある日常の問題で、それだけに回答は当たり前といえば当たり前の答えだ。ただ鴻上さんの語り口がふんわりと包み込むようで、いつのまにか「そうかも。まあそうだよな」と納得というか、気持ちを収めてしまう。

 

 

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。

在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。

95年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞

2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。

現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける

著書に『「空気」と「世間」』『不死身の特攻兵』『鴻上尚史のほがらか人生相談』『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』『英語とわたし』(著者23人の一人)など。

 

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鴻上尚史『鴻上尚史のほがらか人生相談』を読む

2020年08月07日 | 読書2

鴻上尚史著『鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(2019年9月30日朝日新聞出版発行)を読んだ。

 

月刊誌「一冊の本」(朝日新聞出版)およびネットのAERA dot.(アエラドット)に、2018年8月~2019年4月まで掲載された同名タイトルの連載を一部修正し、新規原稿を加えたもの。 本書にはその中から28の相談と回答が収められている。

続編は『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談

 

相談9  10キロ太ったら周囲の男性の態度が変わりました。結局女は容姿が10割でしょうか?

「ぶさいく村」の住人は、ずっと「容姿」と「中身」をイコールとされるアンバランスさ、理不尽さと戦ってきました。容姿が美しい人を見ると、中身まで素晴らしいと思い込みがちになります。でもね、「ぶさいく村」の中央広場に住む人間は間違いません。だって、「容姿」と「中身」はイコールではないんだと、魂にまで刻んでいるからです。

 

相談11  「率直に」「普通に」の日本語の使い方いついてイギリス人の友人から困った質問をされています。

スポーツ選手がいい成績を残すと「率直に嬉しいです」。日本人のSNSは、「普通にすごいでしょ」「普通にNGでしょ」。

どうしても個人の感想を言いたいとき、「世間」の中で個人の感想を語ることが許される言葉を選びます。それが「率直に」。本当はコーチへの感謝、負けた仲間への配慮もあり語るべきではないが、心のままに言えば、「率直に」嬉しいんです。

みんな同じ仲間だと思っているから、スタンダードを持ち出し、「普通に言うでしょう」「それ普通でしょう」。

 

 

私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

 

私が人生相談を読む楽しみには、人の不幸を覗き見てこっそり笑うことや、回答者の意外な答えを知ることにある。もっとも好きな人生相談は、上野千鶴子さんの「うーむ」と感心するほどあまりにも割り切った考え、回答だ。

 

鴻上さんの人生相談はどこにでもある日常の問題で、それだけに回答は当たり前といえば当たり前なる。それがついつい読んでしまうのは、鴻上さん相談相手を徐々に巧みに説得する話術にある。語り口がふんわりと包み込むようで、相談者に同情しつつ、いつのまにか「確かにそういうこともあるよな」「そうかも。まあそうだよな」と納得というか、気持ちを収めてしまうことにある。

鴻上さんって、ニコニコして楽しそうで、ふざけてばかりで、意外と苦労人なんだなと思う。

 

 

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。

1995年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞

2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。

現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける

著書に『「空気」と「世間」』『不死身の特攻兵』『鴻上尚史のほがらか人生相談』『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談』『英語とわたし』(著者23人の一人)など。

 

 

性格は、「良い」「悪い」「ない」の三つに分類される。性格が「ない」人は大勢います。可もなし不可もなし、いてもいなくても同じ、いるかいないのか分かんない、毒にもクスリにもならない人です。

 

僕の知り合いで整形を受けた人は、……、「何が問題なの? 子供が自分の顔が嫌だと思ったら、子供も整形手術を受ければいいのよ。それだけのことよ」

 

日本人がよく「トイレに行ってもいいですか?」と言います。日本人以外では聞いたことがないのですが、もし、「ダメです」と言われたらどうするんだろうと思います。

 

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松本侑子『赤毛のアンのプリンスエドワード島紀行』を読む

2020年08月05日 | 読書2

松本侑子『赤毛のアンのプリンスエドワード島紀行』(楽学ブックス 文学歴史18 JTBパブリッシング(2013年1月)発行)を読んだ。

 

宣伝文句は以下。

『赤毛のアン』の舞台プリンス・エドワード島を、毎年現地を訪れる翻訳者ならではの視点で物語や著者モンゴメリとの関連を明らかにしつつ徹底ガイド。特にグリーン・ゲイブルズについては見落としがちな部分も含めて詳細に解説。島でお勧めのホテルやレストランも紹介。物語に登場する花を含め、全ての写真は実際に現地で撮影したもの。

写真が紙面の7割は占めようとする写真集。写真はすべてこの本のために新たに撮られたもので、その2/3が著者自身によるもの。さすが凝り性な松本さん。

 

グリーンゲーブルズの展示施設

「この農場は、1800年代に、モンゴメリの祖父のいとこ、デイヴィドとマーガレットのマクニール兄妹が所有していた。二人には子どもがなく、親を亡くした親戚のマートル・マクニールを引き取った。

 

キャベンディッシュ共同墓地

モンゴメリ67歳は1942年トロントで、鬱病の睡眠薬過剰摂取で死に、プリンス・エドワード島(Prince Edward Island、略称PEI)に運ばれてお墓に埋葬された。

 

プリンス・エドワード島(PEI)の風物

プリンス・エドワード島(PEI)の花というとルピナスの写真が目立つが、19世紀、アンの時代には島になかった植物だそうだ。私たちが訪れた9月末はリンゴの木が目立った。

食べ物といえばなんと言ってもロブスターだ。

 

宿

松本さんお勧めの宿、キンドレッド・スピリッツ・カントリー・イン KINDRED SPRITS COUTRY INN の写真を見て、私たちが宿泊した宿だと思い出した。女性受けするカワイイ宿だった。

「赤毛のアン」全巻紹介(第1巻~第九巻)

マシューは世間づきあいが苦手で、女性と口をきくこともできませんでした。社会的には未熟だったと言えるかもしれません。

 しかし彼は、アンがグリーン・ゲイブルズに(手違いで)来た夜、マイラが「女の子は農作業の役にたたない」と言うと、「自分たちがこの子の役に立つのではないか」と答えます。

妹マイラもアンを育てるうちに

心をおおってきた固い鎧をとりさり、愛の表現ができる女性へ、生まれ変わったのです。……

『赤毛のアン』は子どものすこやかな成長とともに、大人の成熟、後半生の再出発を、明るく幸福感に満ちた世界のなかに描いています。だからこそ、百年をこえて世界中の老若男女に読みつがれているのでしょう。

 

 

私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき)(最大は五つ星)

 

プリンスエドワード島のグリーンゲーブルズを訪ねたことのある人は写真を見て懐かしく、まだの人は一層のあこがれが募る一冊だと思う。

 

旅行案内としてもすぐれているが、本『赤毛のアン』の写真付き解説、さらにアンの著者モンゴメリーの生涯もよくわかる。

 

私のブログ「プリンス・エドワード島(1)~(10)」。

 

松本侑子(まつもと・ゆうこ)

1963年出雲市生まれ。筑波大学卒、政治学専攻。

テレビ朝日系列「ニュースステーション」出演をへて

1987年『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞

1990年『偽りのマリリン・モンロー』が野間文芸新人賞候補

2008年NHK教育TV「赤毛のアン」英語番組で講師、テキスト全3冊を執筆

2010年評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』で新田次郎文学賞受賞

2013年本書『赤毛のアンのプリンス・エドワード島紀行』が全国学校図書館協議会選定図書

他に、幕末維新小説『島燃ゆ 隠岐騒動』『春の小夜』など。

村岡花子訳『赤毛のアン』は名訳だが省略がある。松本侑子さんは、英米文学からの引用を詳解した全文訳『赤毛のアン』の翻訳本を出した。英検1級。

2008年、NHK教育テレビ放送の『赤毛のアン』の英語番組に講師として出演。『アン』の解説書として、『赤毛のアンへの旅 秘められた愛と謎』(NHK出版)、DVD+ブック『赤毛のアンへの旅 あこがれのプリンスエドワード島へ』(NHK出版)、『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』(集英社)等がある。毎年、アン・シリーズの舞台を旅するカナダ4州ツアーに解説者として同行。プリンスエドワード島訪問は10回をこえる。

 

 

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「吉祥 吉祥寺」でランチ

2020年08月03日 | 食べ物

 

  • 吉祥寺駅からJRの北側に沿って西荻方面に伸びる道を数分、第Ⅱ大栄ビルの2階に「Kissho KICHIJOJI」がある。1階にテナントが入っていないので、見逃しそうになる。

入口手前の立て看板に東京都お墨付きの「感染防止徹底宣言」ワッペンが掲示されていた。

従来「和食 伝統~創作」だったが、「和と洋の饗宴 創作料理」となっていた。

今回で確か 5回目だと思う。(4


個室もあるが、中央の大きな部屋のテーブルには巨大な枝ぶりが。

席は従来から十二分に離れているが、アクリルの分離板もしつらえられていた。


ランチメニューは従来の和風に加えて、洋風メニューが登場していた。
私は、洋風のBランチ(¥1,760)、相方は松花堂弁当“武蔵野”(限定10食)(¥3,080)。

Bランチのポトフ?は、「最初はそのまま召し上がって、次に塩をかけて違った味をお楽しみください」との事。

鈍感な舌には、違いは分かったが、楽しむことはできなかった。スープの味は深みがあり極上。


ご飯は白米ではなく、枝豆入りを選択。出て来た時、一瞬、戦後のグリーンピース入りを思い出し、びっくり。

相方の松花堂弁当“武蔵野”

それほど私に回ってこなかったのでわからないが、相方は至極ご満足の様子で一安心。

ランチBのデザートと、選択したコーヒー

そうそうこのスプーンだった。

松花堂弁当のデザートと、選択した緑茶

 

本当はもっといい色でした。

上品な味の食事、丁寧な接客、室内もトイレもゴージャスな雰囲気でお金持ちになった気分でご満足。

 

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