hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

上野正彦『監察医の涙』を読む

2010年11月30日 | 読書2
上野正彦著『監察医の涙』2010年6月、ポプラ社発行、を読んだ。

2万体を検死した法医学の権威・上野正彦医師が、退官後、愛と生と死のドラマを書き下ろした。

上野さんは言う。
死んでいる人を扱っているという感覚ではなく、普通の医者が患者さんを診る感覚だった。話さない死体と向かいあって、丹念に身体を見ていけば、私はこういう状況で死んだんですと語りだす。


「夫の献身愛」
ある仲の良い夫婦の妻が脳梗塞で倒れ、寝たきりとなる。夫は会社を辞め、誰にも世話にならずに、何から何まで、妻の世話をする。数年経った頃から、夫はもう限界となり二人で死のうかと悩み始めた。
夫はついに決断し、妻を殺し、そして自分も死のうとする。たまたま様子を見に来た近所の人が、風呂場で死んでいた妻と、大量の睡眠薬を飲んだ夫を発見する。
助かった夫は「私が妻を殺しました」と言う。しかし、監察医が妻の手首の強く握られた痕を見つける。それは両手首を持って、強く妻を引き上げようとした痕だった。
問い詰められた夫は語る。溺れる妻の手首を必死に引き上げようしたのですが、妻は「あなた、もういいです」と言って、唯一動かせる右手で私の手をふりほどいたのです。


「信者」

オームの信者が弁護士一家を殺害した事件で、彼らは現場に指紋を残してしまったことに気がついた。オームの外科医が彼らの指先の皮膚をむき、筋肉だけにする手術をし、指紋を消し、元には戻らないようにした。しかし、有名大学をトップで出たこの医者も、捜査では手のひらの文様(掌紋)も使うことを知らなかった。

「お世話になりました」
東京都で昭和51年から3年間、16,500人の変死があったなかで、60歳以上の自殺者は994人(6%)だった。そううち、63%が家族と同居する老人だ。家族と同居する老人1万人のうち5.5人が自殺していることになる。一人暮らしの老人の1.6倍の自殺率になる。
老人の遺書には、ただ一言「みなさん、大変お世話になりました」と書かれているものばかりだ。冷たく疎外されているにもかかわらず。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

新書版190ページほどで、大きな活字なので、簡単に読める。なにしろ、死体の話であり、その多くは事件であるので残酷な状況も多い。しかし、著者の目は温かく、一方では悲惨な状況の中で、必死の愛の話も多く、心を打つ。死は人間の究極のドラマなのだ。

感動の話に興ざめなので控えていたのですが、追加します。
風呂で溺れる人を助けるには、引き上げるより、風呂の栓を抜くのが簡単です。



上野正彦
1929年、茨城県生まれ。医学博士。元東京都監察医務院院長。
1954年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。
1959年、東京都監察医務院監察医
1984年、同院長
1989年、退官後法医学評論家
『死体は語る』は大ベストセラー




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伊坂幸太郎『あるキング』を読む

2010年11月28日 | 読書2

伊坂幸太郎著『あるキング』2009年8月徳間書店発行、を読んだ。

宣伝文句はこうだ。

弱小地方球団・仙醍キングスの熱烈なファンである両親のもとに生まれた山田王求。“王が求め、王に求められる”ようにと名づけられた一人の少年は、仙醍キングスに入団してチームを優勝に導く運命を背負い、野球選手になるべく育てられる。期待以上に王求の才能が飛び抜けていると知った両親は、さらに異常ともいえる情熱を彼にそそぐ。すべては「王」になるために―。人気作家の新たなるファンタジーワールド。



山田王求は、生まれた時から野球選手になるべく育てられ、プロ野球界でも規格外の常識を破る凄い選手になる。なにしろ、投手が投げた球を瞬時に見分け、ストライクの球はほとんどホームランする。小学生のとき、プロの全力投球の球をホームランする。
しかし、彼があまりにも強いがため、多くの困難が襲い掛かる。王求が、仙醍キングス悲劇の選手・監督の生まれ変わりとして誕生したときから、青年期に育つまでの物語だ。

両親の熱狂ぶりがすごい。同級生に「山田君はやっぱりプロ野球選手を目指しているんですか」ときかれた母親は「ひまわりの種に、ひまわりを目指しているんですかって質問する?」と答える。父親も父親で、王求をいじめた奴を殺してしまう。


初出:「本とも」2008年4月号~2009年3月号。
あとがきで著者は言っている。

「本とも」連載中はとにかく、「自分が読みたい物語を自由に書きたい」と思っていました。が、書き上げてみると、当初の思惑よりは、自由に書いていなかったのではないか、と不安になり、単行本化にあたって書き直しを行ったのですが、すると、本筋は同じであるもののまるで違う様子の物語になりました。もちろん、いつもの僕の小説とも雰囲気の異なるものになりました。





私の評価としては、★★(二つ星:読めば)

伊坂さんの持ち味「シャレた会話」「騙されて爽快なプロット」「伏線の鮮やかな開花」が見られず、空虚なファンタジー。重要なところで出現する黒装束の三人組魔女も浮いている。シェークスピアの『マクベス』を参考にしているようだが、無理が目立つ。著者だけが楽しんでいて、ついていけない。
その上、アンチ巨人が行き過ぎて野球嫌いになった私には、読むのも辛い野球の話だった。



伊坂幸太郎&既読本リスト


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伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』を読む

2010年11月26日 | 読書2

伊坂幸太郎著『ゴールデンスランバー』2007年11月新潮社発行、を読んだ。

宣伝文句はこうだ。

仙台での凱旋パレード中、突如爆発が起こり、新首相が死亡した。同じ頃、元宅配ドライバーの青柳は、旧友に「大きな謀略に巻き込まれているから逃げろ」と促される。折しも現れた警官は、あっさりと拳銃を発砲した。どうやら、首相暗殺犯の濡れ衣を着せられているようだ。この巨大な陰謀から、果たして逃げ切ることはできるのか?



仙台市にはあらゆる街角にセキュリティポッドという携帯通話傍受、周囲映像撮影などの監視装置が配置され、市民を監視していた。その中を、ひたすら青柳は逃げ続ける。

青柳は、あらゆる情報を支配する警察庁総合情報課の追求から、大学時代のクラブの仲間の助けを得て、からくも逃れ続ける。また、絶対絶命のときに運よく出会わせる数人はたまたま反権力で、テロリストとみなされた青柳を助けてくれる。追う警察官の中には感情をなくしたような男や、大男でいきなりショットガンをぶっ放す男までいる。まるでハリウッドのアクション映画のように。

Golden Slumber とは、「最高の眠り」といったような意味で、イギリスの子守歌にあるフレーズで、ビートルズのAbbey Road にも出てくる。

例によって謝辞には、参考にした本、取材した人たちを丁寧に列挙している。

この作品は書き下ろし。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

伊坂さんらしいキャラの立った人物、会話のやりとりは少なく、ただただ力技が目立つ。冒頭のテロの話はスケールが大きく、期待を抱かせたが、あとはただただ逃げ、運よく逃れるだけ。それでも、最終章は、それまでの伏線を生かして巧妙で、気のきいた小技が光る。
ただ、ハリウッド映画だと、巨悪は政府の幹部の一人というお決まりなのだが、この本では・・・。



伊坂幸太郎&既読本リスト

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『内訟録 細川護煕総理大臣日記』を読む

2010年11月22日 | 読書2
細川護煕(もりひろ)著、伊集院敦構成『内訟録(ないしょうろく) 細川護煕総理大臣日記』2010年5月、日本経済新聞社出版社発行、を読んだ。

細川護煕は、1993 年8月に38 年ぶりの政権交代を実現し、さまざまな改革をなしとげ、8ヶ月後内閣総辞職した。この間の首相としての日々の苦闘、本音を書いた日記をはじめて公開した。
内訟とは、内(自分)に自らを訟むる(せしむる)こと、いわば、反省だ。

日記自体は簡単なメモ程度の記述が多いが、古今東西の名言至言の引用も多く、知識人ぶりを示している。また、ときに自らの考えを明快に語った日もあり、優れた情勢・人物分析に基づききっぱりした決断力の持ち主であることを示している。

日記本文の下には、日経新聞「首相官邸」(=首相動静)欄を載せているので、日記の内容と照らし合わせることが出来る。また、重要なところに、立場の違う人も含めた関係者の証言があり、かなり率直に実情を述べているのも興味深い。伊集院氏の編集は見事だ。



細川政権といっても中にはいろいろなことを忘れている人もいると思うので(それは私です)、ポイントのところだけ、この本からご紹介。

細川護煕は、肥後熊本藩主だった細川家の第18代当主で、熊本県知事を2期で退任し、たった一人で1992年6月号の「月刊文藝春秋」で日本新党結成宣言し同志を募る。訴えたのは、分権的、開放的な国家システムを創造するための抜本的政治改革を断行するというものだった。

93年7月の総選挙の結果、新生党55、日本新党35、新党さきがけ13で、自民党223は過半数の256を割り込み、社会党は70と過去最低に落ち込んだ。新生党の小沢一郎が、細川を立てて政治改革を旗印に8派連合の政権を樹立した。

首相指名(8月6日)の直前の1993年7月31日から日記は始まる。

内閣支持率は発足時の76%から、一ヶ月後79%に。(今考えると驚異的)

新しげな政治風俗、スタイル
組閣写真を官邸の玄関でなく中庭で撮る。
立って記者会見し、プロンプターを使用し、ペンで記者を指名する。
視察のときも作業着を着ない(私も作業着はわざとらしいと思う)。普段は議員バッジもつけない。英国首相にも自分でコーヒーを入れて驚かれた。
シアトルでのAPECでマフラー姿が話題に。

クリエーターの佐々木宏氏が「広告批評」に載せた漫画のコピーが公邸に貼ってあった。

政治改革とか、景気対策とか、・・・
ああ、めんどくさい
でもやります。
総理大臣なんか、いつでもやめてやる
でもやります。
細川護煕


エリツィンとの会談
直前の勉強会での「ゴルバチョフの話はしない」「押し付けがましい言い回しは避ける」など些細な留意点を念頭に入れた。このときは、北方4島問題が少し進展した。

文化勲章の親授式に出席して(11月5日)
それにしても勲章の如きものに人は何故かくも執着するのか。真に世の為、人の為に陰ながら尽くした人々を顕彰するは結構なることなれど、既に功成り、名遂げたる高位、高官の物欲しげなる態、誠に見苦しきものなり。これを見れば、大体その人の器量は解るものなり。


金泳三韓国大統領と会談(11月6日)
事務当局案に、「創氏改名」「母国語教育の具体例」を加え、「お詫び」ではなく「非道な行為」「陳謝」と一歩踏込んだ表現に変えた。 

小沢氏が武村氏更迭を要求(12月18日)
「秦を滅ぼすものは秦なり」というがまさにこの政権を滅ぼすものは自民党でも、マスコミでも世論でもなく連立政権そのものならんとの思いを深くす。


強烈な米自由化反対を押し切り、ウルグアイラウンド(自由貿易)を決着させた。
社会党の反対を押し切り、執念の巻き返しで、選挙制度に関わる政治改革法案を成立(1月28日)
年末時点の内閣支持率78%

私の使命は達成した。政権は長きをもって貴しとせず。首相の座をいつ辞めるともやぶさかならず。


深夜突然記者会見し、7%の国民福祉税構想を発表後、撤回(2月)
内閣支持率が急落した際も
「支持率なんて気にする必要はない。30%あるなら、あと30キロ走れるだけ燃料が残っていると思えばいい。税制改革に向け、ガス欠になるまで、走れるところまで走りましょう。」(小池百合子氏へ)


佐川急便から細川への借入金問題で国会が空転(3月)
国会空転の責任をとり辞意表明(4月8日)

退任後も結局、細川は気が向かぬまま混乱が続く政治の世界に居続け、政界から身を引いたのは1993年の5月。自民党に対抗し得る政治勢力の結集を目指し、当時分裂していた野党4党をまとめて新・民主党を立ち上げる大仕事をやり遂げた直後だった。




私の評価としては、★★★★★(五つ星:是非読みたい)

歴史の勉強は、遠い昔より、ついこの間の歴史を学んだ方が役に立つ。マスコミの報道する政治は、ごく一面からみたものに過ぎない。本来は政治に関心を持たないといけないと、思っている人は、中心人物が激動の時代を率直に語っているこの本を読まない手はない。

当時は、細川氏は、人気はあったが、おぼっちゃま、お殿様で、私には頼りなく思えたのだが、この本を読むと、折にふれ、常に歴史上の人物の言動を基準にし、指導者としての考えをしっかり持って政治的判断を下した人だったということがわかる。

明快なリベラリズムも私を魅了する。
政治家がナショナリズムをあおりたつることは、それこそ国を誤ることにつながるもの。石原(慎太郎)氏らのいう如く、確かに東京裁判には種々の批判なきにしもあらず。しかしながら、裁判の結果を受け入れし上は、いまとなってそれに異議を申し立つつなら、国際社会での信用地に堕つること必定なり(10月5日)


一方で、真の指導者だと思うのは、これということに絞り、それ以外の些細なことは捨て置く。そして、重要事項に対しては、何者も乗り越えようとする。

信長もそうでありし如く、自ら認めて価値あり意義ありと信じたることの外は、何事をも眼中に置かぬNon-conformisit(既成の概念に捉われぬもの)たることが、改革者としての最も重大なる資格たらん。(1月5日)


この本では、どうしても首相になりたい武村正義が、官房長官でありながら自民党に内通する。これに反発した小沢一郎が辞任させないならと、何日も雲隠れして駄々をこねる。与党8派、野党自民党の政治家の権謀術数も面白いが、こんな中で細川さんはよく頑張った。


細川護煕
1938年生まれ。上智大学法学部卒。
新聞記者を経て、1983年熊本県知事。
1992年5月、日本新党を旗揚げし代表就任。
1993年7月の衆院選で初当選。
1993年8月~1994年4月、第79代内閣総理大臣。
1998年5月、衆議院議員辞職。
現在は菜園をやりながら、やきものや書、油絵などを楽しむ。

伊集院敦
1985年、早稲田大学卒、日本経済新聞社入社。
ソウル支局長、政治部次長、中国総局長などを経て、アジア部編集委員。


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『美女という災難-08年版ベスト・エッセイ集-』を読む

2010年11月18日 | 読書2

日本エッセイスト・クラブ編『美女という災難-08年版ベスト・エッセイ集-』2008年8月、文藝春秋発行を読んだ。

毎年出版されている企画で、2007年中に発表された新聞、雑誌(校内紙誌など)に掲載されたエッセイを自薦他薦で応募し、文藝春秋が選定したものだ。二次予選を通過した116編から最終選考された54編よりなる。
したがって、エッセイの作者は、作家、有名人から一般人までさまざまだ。
4つだけご紹介。



題名になった有馬稲子の「美女という災難」
「昭和の美女」という雑誌の特集に載っていた23歳頃の自分の写真を見て、「当時の私はこの美女というレッテルがいやでたまらなかったのです。」「美女とは演技のできない奴と同義語だったのです。」という。
それから50年。「時々昔の映画を見ては……美女だったなあ……しかし下手だったなあ……しかし良い映画だ、などと思っています。」
「仕事に限らず2度の結婚を含めて「思考は常に短絡し向こう見ずで浅慮」これも私の人名事典の説明には不可欠でしょう」
(私も全く同感だ。有馬さんは、もちろん美しくはあるが、絶世の美女ではないし、意欲ばかりが目立ち、演技も下手だった。年取ってからは、力が抜けた演技でなかなか良かったのだが) 

小野遙(無職)の「母の日」がせつない。
母を介護老人保健施設に入所させて7ヶ月、母の日に自宅に連れて帰った。「やっぱり家はいいわねぇ」という母に、娘は笑顔で肯くが、「家はやっぱりいいでしょう」とは答えられない。そう言ってしまえば、その先の「家に帰りたい」という母の気持ちと向き合わなければいけないからだ。
しばらくすると、「家に帰れないかね」と繰り返す。「車椅子じゃ、家で生活できないからねぇ」と私は口ごもる。家に帰りたいと手すりに掴まり歩行訓練に励んでいる母を見ながら、実は、より安全なところと、特別養護老人ホームへの入所申請を出していて順番待ちなのだ。そばから父も「無理だよ」と答える。すると母は「私がこっちに居ると、家族がみんな倒れてしまうんだねぇ」と、薄く笑った。
「-お母さん、ごめんなさい。家に帰りたいんでしょう。でも、私は怖い。いつまでとも分からずに続く介護をしていたら、私はそのうちきっと私を縛り付けるお母さんを恨むようになってしまう。だから、施設にいるお母さんの所に通う今のやり方でやらせて・・・。」
ところが、四時近くになると、母は「ご飯の時間になるから、はやくかえらなくちゃ」とそわそわし、施設に帰りたい一心になっていた。

(私も、施設に入っていた母を一度だけでもよいから家に連れて帰りたかった。しかし、家に帰れば、母は「もう絶対、施設には行かない」と強く主張しただろう。結局、何も言わないまま、母は施設から病院へ移り、家に戻ることなくそのまま死んだ。今でもそのことが私を苦しめる。)

塚本哲也(元東洋英和女学院学長)「思い出は生きる力」
ピアニストの奥さんが突然亡くなる。多くの人が「早く立ち直って下さい。奥様が心配しますよ。元気になることが奥様を安心させることです」を励ましてくれる。しかし、教会の司祭は「立ち上がれなくていいではないですか。心ゆくまで悲しんでやることです」と言ってくれた。

永六輔「妻への手紙を書きつづけて」
奥さんが亡くなって、いろいろな人がいろいろ言ってくれる。
無着成恭「看取ってから5年がヤマ。あとはゆっくり生きましょう」
月心寺庵主「生きてちゃ駄目だって言ったでしょ。恋女房を看取ったら、すぐ後を追わなきゃ駄目だって。そうすりゃ、周囲も納得するし・・・。後を追えないなら、もう生きているしか仕様がないわね」
黒柳徹子「私ね百歳まで仕事してると思うの、それ見届けてほしいの」
妻を亡くして5年。1日も欠かさずその妻宛の手紙を毎日書いては自宅宛の住所を書いて出し続けている。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)

有名人も一般人も悩みや喜びは一緒だなと、当たり前のことを思う。
どうと言うこともなく、ベストエッセイとも思えないものも多いが、心に響くものもいくつかある。そういったものはやはり内容が深いものだ。
逆に言うと、日常の何気ない事柄を見事な筆ですくいあげたようなエッセイは見当たらなかった。というか、私にくみ取れるだけの心の余裕がないのだろうが。


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山崎ナオコーラ『カツラ美容室別室』を読む

2010年11月16日 | 読書2
山崎ナオコーラ著『カツラ美容室別室』2007年12月、河出書房新社発行、を読んだ。

本の帯にはこうある。
こんな感じは、恋の始まりに似ている。しかし、きっと、実際は違う。
カツラをかぶる店長・桂孝蔵の美容院を舞台に、淳之介とエリ、梅田さんたちの交流を描く各紙絶賛の最新作


主な登場人物は、27歳サラリーマンの淳之介(オレ)と、高円寺の「桂美容室」の47歳の店長の桂孝蔵、理容師の27歳の樺山エリコと、24歳の桃井ゆかり、誰にもなれなれしい年上の友人の梅田さん。
淳之介とエリは、皆で花見に行ったり、2人で美術館に出かけたり、いい雰囲気になりながら、なかなか付き合うまでに進まない。
二人の関係は、『人のセックスを笑うな』に似てはいるが、恋人以前の関係で、むしろ大人の友情に近い。話は淡々と進み、淡々と終わる。

初出:「文藝」2007年秋号



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

170cmを超えるエリの縮こまったような自信のない生き方や、意外に腕はよさそうで、カツラを気にしていそうな桂店長が雰囲気を出している。しかし、自由奔放な梅田さんはどの本にも出てきそうだし、淳之介の迷いも平凡だ。
芥川賞候補になった作品だが、ミニマムで迫力に欠ける。川上未映子の「乳と卵」と比べると、とても勝てない。

いずれにしても、著者は、はっきりしたテーマや、感動のストーリーでなく、ゆるーく、心地良い雰囲気、はっきりせず揺れる気持ち、そういったものを描きたかったのではないかと思う。



山崎ナオコーラ
1978年9月15日福岡県北九州市生まれ、埼玉県育ち、東京都在住。本名山崎直子。
國學院大學文学部日本文学科卒業後、会社員。
2004年「人のセックスを笑うな」で文藝賞を受賞、芥川賞候補。
2006年『浮世でランチ』で野間文芸新人賞候補、
2008年『カツラ美容室別室』で芥川賞候補、『論理と感性は相反しない』で野間文芸新人賞候補、
2009年「手」で芥川賞候補、『男と点と線』で野間文芸新人賞候補、
2010年『この世は二人組ではできあがらない』で三島由紀夫賞候補、
いずれも候補で「無冠の帝王」とも呼ばれる。


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山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』を読む

2010年11月14日 | 読書2

山崎ナオコーラ著『人のセックスを笑うな』2004年11月、河出書房新社発行を読んだ。

19歳のオレ、磯貝は美術専門学校の講師の39歳のユリに誘われ付き合い始める。オレは最初はなんていうこと無いと思ったのに、そのうちに情熱的になったりする自分に気づく。しかし、恋なのか、愛なのか、執着にすぎないのか自分でも結局よく分からない。
題名は過激だが、年の離れた男女の恋愛模様が淡々と進む。

「WEB本の雑誌」の「作家の読書道」で、著者はこう言っている。

書いていた時期に本屋さんに行ったら、同性愛の本のコーナーでクスクス笑っているお客さんたちがいたんです。それで心の中に「人のセックスを笑うな」というフレーズが浮かんで。後から、いいリズムだな、恋愛小説のタイトルにぴったりかもと思って。ただ、言葉は鋭かったりするんですけれど、私の小説ってほとんど主張がないんです。筆名もナオコーラという変わったものにしているけれど、言いたいことはありません。ただ「このフレーズには良さがある」と出している。感度で小説を捉える読者はきっと、気持ちいい、感じてくれる。逆に、小説というものを作家の主張の場だとか何かの考えの発表の場だとかと思っている読者には、なんでこんな小説があるのか全然分からないと思う。


初出:「文藝」2004年冬号



山崎ナオコーラ
1978年9月15日福岡県北九州市生まれ、埼玉県育ち、東京都在住。本名山崎直子。
國學院大學兼任講師。
國學院大學文学部日本文学科卒業後、会社員をしながら書いた「人のセックスを笑うな」(2004年)で文藝賞を受賞し、芥川賞候補となり、作家デビュー。
2006年『浮世でランチ』で野間文芸新人賞候補、
2008年「カツラ美容室別室」で芥川賞候補、『論理と感性は相反しない』で野間文芸新人賞候補、
2009年「手」で芥川賞候補、『男と点と線』で野間文芸新人賞候補、
2010年『この世は二人組ではできあがらない』で三島由紀夫賞候補、
いずれも候補で「無冠の帝王」とも呼ばれる。
著者のHPは「微炭酸ホームページ



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

単行本120ページで、会話主体なので、分量が少ない。内容も,表現も淡白なのであっという間に読める。なんということないといえば、なんということはない。ストーリーよりも感覚的な表現、男女心理を楽しむ人には勧められる。



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伊坂幸太郎『オー!ファーザー』を読む

2010年11月11日 | 読書2

伊坂幸太郎著『オー!ファーザー』2010年3月、新潮社発行、を読んだ。

なぜか個性の強い父親4人と暮らす男子高校生由紀夫の物語。直感をもとに生き、ギャンブル好きの鷹。格闘技マニアの中学教師の勲。元ホストで女性という女性にやさしくし、モテる葵。静かで博識な大学教授の悟。
成績抜群、スポーツ万能、ケンカも強い由紀夫は、それぞれの父親の良いところを教え込まれたようだ。イヤミなはずなのだが、なにかというと現れる父親たちにウンザリし、恋人ぶってつきまとう同級生多恵子を持て余す人のよい由紀夫が普通の高校生に思えるように描かれている。
変な家族だが、仲が良く、4人に父親は母(妻?、長期不在中)はもちろん、ひとり息子の由紀夫を心から愛し、協力して事件に巻き込まれた由紀夫を助ける。

中盤までは動きが少なく、ダレ気味だが、事件が起こってからは一気に解決に向かう。



この小説は、著者のはじめての新聞連載で、2006年3月より2007年12月まで地方紙13紙に順次連載された作品に加筆修正したものだ。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

あとがきで著者は、この小説を新聞連載した後、「別のタイプの小説を書かなくてはならない」と思い始め、『ゴールデンスランバー』から第二期に入った、そして、第二期の挑戦、試行錯誤を行うことができたあとで、この第一期最後の作品の単行本化する気持ちになったと言っている。

私は、伊坂さんの第一期の作品、4作しか読んでいないが、その登場人物の漫画的な突飛なキャラクターと、ふざけた会話の妙味が面白く、満足していた。この作品は、その点が若干弱く、伊坂さんの特徴が出ていない。父親が4人いるという設定の突飛さに負けている。もちろん、4人の違いはくっきり出ているし、なにかというと恋人ぶりを押し付ける多恵子の話しぶりは見事なのだが、少々インパクトに欠ける。

早く、第二期の本が読みたい。私は、つねに身辺をすっきりさせておくために、本は買わないで図書館で借りることにしているのだが、伊坂さんの本は人気で、新しい本は数百人などと待ち行列が長く、予約する気になれない。と思って今検索して見たら、もはや数人になっていて、即、予約した。

 

伊坂幸太郎の履歴&既読本リスト









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吉祥寺ブラブラ

2010年11月09日 | 日記
五日市街道を歩いていて、消防団の分団に気がついた。上を見ると、火の見櫓と半鐘(サイレン?)がある。



しばらく行くと、別の分団の屋上にも半鐘(?)が。現在でも本当に役に立っているのだろうか。



八幡様の東側にある安養寺。正面に大きなイチョウの木がある。



手前の看板には、



笑点の小遊三さんに教えてあげねば。
ギンナンがいくつも転がっていた。



吉祥寺通りとの交差点にある武蔵野八幡宮には、「大酉の市 一の酉11月7日、二の酉11月19日」の看板。



今は閉まっているが、多くの店が並んでいる。



境内は静まり返り。



左手の社務所の横の木には、実がたくさん。




近くでみると、ザクロだ。子どもの頃、ザクロを一度でもよいから食べてみたいと思っていた。自分の金で買えるようになって食べて見たら、種ばかりだし、それほどおいしい物でもないとわかり、憧れていた頃の方が幸せだったと思った。



立派なお社にお参り。音が小さい一円玉ではなにだと、五円玉を必死で探して、一杯お願いごとをして、二礼二拍手一礼。



成蹊学園入口のケヤキを横に見て、



しばらく進んで、テンミリオンハウス「くるみの木」で500円で美味しいお昼を食べて引き返す。

仲道通りを行くと、遠くに、ここはアキバかと思える派手な格好の女性がいる。



姫の「はしのえみ」だ。「王様のブランチ」の撮影だろう。



通りすぎて、振り返ると、仲道通りの店を覗きキャーキャー言いながらゆっくりと撮影していた。




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鉄塔は美しい?

2010年11月07日 | 日記
ベランダに出てボーと外を眺めていたら、見慣れない建物が遠くに見えた。



目を転ずると、いくつか似たようなものがあった。






2,3日後に同じところを見ると、電力搬送の鉄塔だった。塗装など保守を行っていたのだろう。



近くには様々なタイプの鉄塔が見える。



「意外と鉄塔ってカッコいいじゃない」と思い、散歩のついでにパチリ。







マンションの上の階に登ると、鉄塔が並んでいる。







思い出したのは、子ども二人が延々と鉄塔を訪ね歩くという変な小説『鉄塔 武蔵野線』だ。銀林みのるの日本ファンタジーノベル大賞受賞作だ。この小説には数百枚の鉄塔の写真が添付されていた。読んだ当時、調べて見ると、送電鉄塔を愛するマニアの人のクラブもあったのには驚いた。
確かにじっと眺めていると、なんだか美しく思えてくる。だんだんおかしくなっているのだろうか。






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南直哉『老師と少年』を読む

2010年11月06日 | 読書2
南直哉著『老師と少年』2006年10月、新潮社発行、を読んだ。

少年が問い、老師が答える禅問答が8晩つづく。最後に、老師の世話をする少女が老師の言葉を少年に伝える。

少年は、老師を「師」と呼び、「本当の自分とは誰か? 」「自ら命を絶つことは許されるのか? 」など根源的な問いを発する。老師は、少年を「友よ」と呼び、諦観をもって論理的な答えとは思えない答えで応える。まさに禅問答だ。 

いくつか抜き書きして雰囲気だけ味わっていただく。

第一夜
「では、自ら死を選ぶことは悪いことではないのですね」
「善悪を言うのは、意味がない。・・・自ら死ぬべきではない」
「それはなぜですか?・・・」
「なぜと問うてはいけない。理由を求めてはいけない。理由はないのだ。
これは決断なのだ。友よ、君は自ら死を選んではいけない」

第二夜
「では、『本当の自分』をさがす人は愚かなだけですか?」
「友よ。『本当の』と名のつくものは、どれも決して見つからない。それは『今ここにあること』のいらだちに過ぎない。苦しみにすぎない。『本当の何か』は、見つかったとたんに『嘘』になる。またいらだちが、還ってくる。もし、『本当の何か』が見つかったとすれば、それはどれもこれもすべて、あるとき、ある場合に、人の都合でとりあえず決めた約束事にすぎない」

第七夜
「聞け。自分が存在する。自分が生きている。そう思うから、人は自分とは何かを問い、なぜ生きているかを問う。しかし違うのだ」
「自分が存在するのではない。存在するのだ。自分が生きているのではない。生きているのだ。問いはそこから始まる。『自分』からではない」

後夜
老師から託されたことばを少女は少年に告げる。
「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだ」「生きる意味より死なない工夫だ」



南直哉(みなみ じきさい)
1958年長野県生れ。禅僧。早稲田大学文学部卒業後、西武百貨店に勤務を経て、1984年曹洞宗で出家得度し、大本山永平寺へ入門。2003年まで約20年の修行生活をおくる。2005年から青森県恐山の院代(山主代理)で、福井市霊泉寺住職。
著書に『語る禅僧』『日常生活のなかの禅』『「問い」から始まる仏教』『「正法眼蔵」を読む』『なぜこんなに生きにくいのか』、共著に『人は死ぬから生きられる』など。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

私には、わけが分からないという意味で、禅問答だった。少年の問いは、青年なら誰でも考えることで、私も含め、多くの人は、答えのでない問いを封印して、生活する。しかし、たまにはこんな根源的な問いを自ら発し、考えてみるのも良いだろう。私のように単純で、0 or 1人間でも、死が近くなると、何かと根源的なことを考えたくなるものなのだから。

ただし、当然ながら、この本に答えが有るわけではない。この本には、禅の諦観はあるが、それがすべての人に適合する答えではないのだろう。答えはないとも言えるのだが、実際にこの本を何回か読んで、参考にして、自分で自分の答えを考えること自体に意味があるのだろう。
それにしても、怠惰な生活を送るうちに、物事を突き詰めて深く考えることができなくなっている。もともと私はなにごとも諦めやすい人間ではあるが、まだまだ悟りには程遠い。




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増谷文雄『歎異抄』を読む

2010年11月05日 | 読書2
増谷文雄著『歎異抄』ちくま学芸文庫、1993年1月、筑摩書房発行を読んだ。

裏表紙にはこうある。
今なお多くの人々の心に深い感銘を与え続けている『歎異抄』。そこに記された親鸞の「よきひと(法然)のおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり」「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや」などの言葉を、彼が生きてその言葉を語った歴史的時点に立ち帰って考察し、後世の宗学の影響によって歪められてきた親鸞像を正した『歎異抄』研究の白眉。


本書は1964年2月筑摩叢書版にもとづいたものだ。

原書の『歎異抄』(たんにしょう、以下原書を『歎異抄』、本書は本書と称する)の作者は、親鸞に師事した唯円で、師の死後30年ごろとされる。『歎異抄』という書名は、親鸞滅後の浄土真宗教団内の異議異端を著者が嘆いたことによる。

第一部は、『歎異抄』原文、注釈、現代語訳である。基本的知識にかける私には、原文、注釈は歯が立たず、現代語訳さえ読みにくく、飛ばし読みした。

第二部は、『歎異抄』の時代、本文の著者による解釈が述べられる。



増谷文雄は、1902年北九州市小倉生まれ、1987年没。
1925年東京大学文学部宗教学科卒業。文学博士。
東京外国語大学教授、大正大学教授、都留文科大学学長などを歴任。
戦後、在家仏教協会で新仏教運動を勧め、わかりやすい仏教を目指した著書を書く。『仏陀時代』『仏教とキリスト教の比較研究』など。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)

第二部だけでも一通り読めば、親鸞の教えの大略は理解でき、著者の主張もおおよそ読み取れる。
しかし、著者による解説文自体はわかりやすいのだが、『歎異抄』や、法然、親鸞などに関する基本的知識を前提としているので、知識のないものには取っ付きにくい。
内容も、ストレートに著者の主張を述べるのでなく、従来の(1964年以前の)『歎異抄』解釈に反論するという研究成果発表のおもむきが強く、結論だけ知りたい者にはまどろっこしい。



以下、私のメモ。

高校の歴史授業の知識しかなく、かつ単純な頭の私の理解では、この本の主張は、次の2点だと思う。以下を読まれる方には、すべて私の浅い理解による独断的記述であると、お断りしておく。

(1)念仏の教えを広めた法然(浄土宗)を親鸞(浄土真宗)は全面的に信じていて、両者の教えに本質的差異はなく、親鸞はより徹底し、かつ関東など広く教えを広めただけだ(乱暴に言えば)。例えば、「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(悪人正機)も、親鸞が言い出したのではなく、法然から親鸞へ口伝えされたものだ。

(2) 『歎異抄』の内容を、法然から親鸞への教え、親鸞自身の言葉、唯円が異議異端に反論した部分を、さまざまな書を研究、参照して、明確に区分している。

法然と比較して、親鸞はその教えの内容が違うと言うより、教え方、人柄により、より広く、強烈に浄土(真)宗の教えを広めた。両者の違いとして、以下があげられている。

唯円が、「念仏してもどうも喜び湧き上がる気持ちになれない。いそぎ浄土へという気持ちもない」と嘆くと、親鸞は、「私もその疑問を持っていたが、唯円もそうだったか」と師とも思えぬことを言い、「われらは煩悩具足の凡夫であるということであり、往生は確かなのだ」と喜んだという。
一方、同じ質問に、「知恵第一」と呼ばれた法然は、お経の言葉を引用して「人間には頓機と漸機がある」(頓機はすぐ悟る人で、漸機は次第に解る人)「一生懸命願えば、年月を経て信心が深まるでしょう」と教えたという。

「念仏して浄土に生まれる件は大丈夫でしょうか」と聞かれて、親鸞は、たとえ法然にだまされて、念仏して地獄に落ちてもすこしも悔いないと、法然への絶対憑依(ひょうい)を語ったという。



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遠くを眺めれば

2010年11月03日 | 日記
今日11月2日はすっきりとした晴れです。ベランダから見ると、冠雪した富士山が心を和ませます。(残念ながら、電線などを消した写真です。)



マンションの上に登って都心方向を眺めると、右端に東京タワーらしきモノがかすかに見えます。写真の中心の新宿副都心の左、写真の左端に何かあります。



拡大すると、おお!これは。



さらに拡大すると、スカイツリーだとはっきりわかります。



我がカメラで最大限拡大すると、最上部のクレーンまではっきり?と見えました。



2つ並んだ都庁ビルを超えて、カメラを右にふります。



東京タワーだって、負けじとくっきりと??見えました。





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紫門ふみ『ぶつぞう入門』を読む

2010年11月02日 | 読書2
紫門ふみ著『ぶつぞう入門』2002年9月、文藝春秋発行、を読んだ。

柴門ふみが50あまりの寺をめぐり、サイモン流の仏像の感想、好みを述べる。

いくつかの仏像についてはそのイラストを描き、・歴史度、・技巧度、・芸術度、・サイモン度という評価を星5つを満点として示す。さらにその下には6行ほどの説明と、像の高さが書かれている。ところどころにお寺などの様子を、ブタの姿の自分を入れて漫画として描いている。また、仏像初心者として、勉強した知識を分かりやすく解説した部分もある。巻末には関西を中心とするお寺へのアクセスなどの紹介がある。
全体として、「オール讀物」編集部のY氏など同行者を茶化しながら、面白おかしく道中し、快慶好きなど個人的好みを優先して書いている。

結局、著者のおすすめは
1位 円成寺大日如来
2位 聖林寺十一面観音
3位 東大寺戒壇院四天王広目天
4位 興福寺阿修羅像(八部衆)
5位 三十三間堂千手観音と二十八部衆
6位 観心寺如意輪観音
7位 東大寺月光菩薩像
8位 興福寺北円堂無著世親像(むじゃくせせんぞう)
9位 空也上人像
10位 浄土寺阿弥陀三尊像

釈迦/弥勒菩薩/阿弥陀如来の違い、運慶と快慶の関係などの説明は、仏像初心者にはわかりやすい。



柴門ふみ(さいもん・ふみ)
1957年徳島県生まれ。お茶の水女子大学哲学科卒業。
1979年漫画家デビュー。
1983年「P・S元気です、俊平」で講談社漫画賞受賞
1990年「東京ラブストーリー」
1992年「家族の食卓」「あすなろ白書」で小学館漫画賞受賞
著書に、『最後の恋愛論』など。

本書は、「オール讀物」2001年5月号より9月号に連載された作品に加筆、再構成したものだ。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

仏像やお寺好きな人にはお勧めだ。関西を中心に数多くのお寺、仏像を一気に紹介しているので、行ったところも、行っていないところも、「そうそう」だの、「そうなの!」などと楽しめる。ただし、権威とは関係なく、なにかというと、仏像のお顔を芸能人に例えるので、不謹慎と思う人は遠慮した方がよい。例えば、京都・三十三間堂の摩和羅女像を『ドラマ「昔の男」で雨に濡れながら夫の帰りを待つ富田靖子』と、私には不明な表現をする。

仏像の絵は、思ったほどは上手くないが、全体の印象と、指などポイントとなる細部は良く捉えている。さすが漫画家、観察眼が鋭い。

「深大寺が東京とは思えぬ静寂」とあるが、私は最近「深大寺へ」行ったが、ゲゲゲの女房のおかげで現在は大変さわがしくなってしまった。




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