hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

横須賀へ

2011年12月30日 | 日記
今月上旬の朝、今日も富士山が見事で、気持よく一日が始まる。



用事があって15年ぶりだろうか、京急横須賀中央駅に降りる。駅前の交差点には2階にYデッキなる通路?広場?ができていて、山側にもモアーズシティなるモールがあって賑やかになっていた。

用事を済ましてモアーズのレストラン街に上がると、「つきじ植むら」がある。一度だけ入ったことのある本店は格式高い日本料理の老舗だった。さっそく入ると、店内は古ぼけていてきれいとは言えない。これがあの「つきじ植むら」? 帰ってから調べたら、関東に50店以上展開しているという。知らなかったのは私だけか。
眺めは、まあまあ。






遠くに見えるのは、アクアラインの排気口だろうか?



今季のおすすめの「都忘れ」と「一人静」各2千円なりを注文。





とても名店の料理とも思えないが、レストラン街で2千円の料理としては量もあるし、まあまあか。デザート付きだし。





地元の人に勧められた「横須賀軍港めぐり」クルーズに乗るため汐入に向かう。



このばかでかいホテルは、我々が横須賀に住んでいたころに横須賀プリンスホテルとして出来たのだが、その後ホテルトリニティ横須賀を経て、今はメルキュールホテル横須賀となっている。大きなお世話だが、こんなところでやっていけるのか心配になってしまう。

軍港めぐりは橋を渡ったところにあるショッパーズプラザ横須賀とダイエー横須賀店の建物の北側からでる。



1時間毎に出ると聞いていたのだが、なんと着いたのは2時半で、11時から2時までの4便だけだった。
しかたなく、軍艦らしき姿をパチパチ撮って帰る。なんでもこの軍港めぐりは人気で予約必須だとか。




















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月食

2011年12月29日 | 日記
年末の大掃除でパソコンの中を整理していたら、12月10日の月食の写真がありました。
わざわざ載せるほどのできばえではないのですが、一応。

21時47分



右下が少し欠けていますが、カメラをどのように持っていたかを思い出せません。

寝る前の22時37分



途中目が覚めた23時33分





そして次に目が覚めたときは、1時32分でした。



撮影時間をチェックしていたら、カメラの時計設定が10分程度ずれていたのがわかりました。また、いつもはそのまま寝てしまうのでしょうが、寝てから1時間後、さらに2時間後に眠りが浅くなっていることがわかりました。


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穂村弘『整形前夜』を読む

2011年12月26日 | 読書2
穂村弘著『整形前夜』2009年4月講談社発行、を読んだ。

2005年から2008年にかけてさまざまなメディアに発表されたエッセイを集めている。
女性誌「FRaU」連載分は、女性への驚きをユーモアで語る。
「本の雑誌」連載分は、歌人穂村が表現者として文章と言葉や本について語る。
その他、さまざまな内容の単発エッセイの中では、若い頃の思い出話が多く、笑えて、切ない。
各エッセイにはテーマに関連する穂村さんやお仲間の歌が挿入されている。

「共感と驚異」は3回に分けて真剣な調子で書かれている。
詩歌が読まれないのはたぶん「わからない」からだろう。そもそも近代以降の詩歌とは、どんなに「わかる」ひとにも半分くらいしか「わからない」ジャンルなのだ。例えば、私の場合、20年以上詠みまた読み続けている短歌でも、「わかる」のは、全体の60%くらいである。俳句が25%、現代詩では10%くらいだろう。


エンタテインメント小説を求める人は共感(シンパシー)を求め、詩歌は驚異(ワンダー)と親和性が高い。加齢と共に「驚異」を「驚異」のままキャッチする能力が衰えて「共感」に変換して味わうようになるのではないか。

「引越しと結婚と古本屋」
穂村さんは司書の方と結婚して古本屋巡りを楽しんでいる。毎晩、夜御飯を食べた後で、奥さんと散歩をしながら何軒もの古本屋を回っている。



穂村弘 ほむら・ひろし
1962年5月北海道生れ、名古屋育ち。北大入学し、すぐ退学し、上智大学入学。卒業後、SEとして就職。
1989年第1歌集刊行。
2002年初エッセイ『世界音痴』
2005年『現実入門』
2008年結婚、『短歌の友人』で伊藤整文学賞受賞
2009年『整形前夜』



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

相変わらずのヘタレ男の穂村さんも47歳。「あるある、同じようなことが私にもある。だけど、ここまで惨めじゃないけど」と、笑いながら、安心させてくれる。
それにしても、「共感と驚異」はマジだった。

「愛し合える身体」
「男の側からすると、つるつるすべすべいい匂いの相手と抱き合えるわけだから、それはうれしいけど、女性からみると、いつも自分よりごつごつざらざらしたものと抱き合うことになって、それは『損』なんじゃないの?」
「それがいいのよ」・・・「ああ、私って女だ、って実感できるから」
・・・
ほろびる、としずかに声に出してみるボディソープを泡立てながら
                              富樫由美子





以下私のメモ

「普通列車「絶望」行き」
著者がSEだった頃、少し前を歩いていた先輩が突然しゃがみこみ、数秒間、じーっとしゃがみこんでいた。それから、ふらりと立ち上がって、何もなかったかのように歩き出した。
穂村さんは、会社を「休む」のではなく、どこかに「逃げる」のでもなく、通勤の途上でただ「しゃがむ」というところが、悲しくて怖かった。

「整形前夜」
マリリン・モンローが兵士を慰問する「雪が顔にかかりながら、大歓声をあげている兵士たちの前に立ったとき、生まれて初めて何も恐怖を感じなかった」と言った。彼女はいつも孤独だったのだろう。


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穂村弘『現実入門』を読む

2011年12月23日 | 読書2
穂村弘著『現実入門 ほんとうにみんなこんなことを?』光文社文庫ほ5-1、2009年2月光文社発行、を読んだ。

40代の男性としては異様に「人生の経験値」が低い歌人の穂村弘が、さまざまな分野の「初体験」に挑んでいく。

前作『世界音痴』で穂村さんが未経験の項目は、「独り暮らし」「結婚」「離婚」「子供をもち」「親の死」「家を買う」「転職」「料理」「洗濯」「骨折」「手術」「海外旅行」「ソープランド」「献血」「選挙の投票」「ボタン付け」「犬、猫を飼う」「髪型を変える」「お年玉をあげる」で、経験済なのは「就職」だけで、その後経験したのは「しゃぶしゃぶ」だけだった。

ある日、美人編集者のサクマさんがやって来て、初体験の事柄に挑戦してエッセイを書くという話を持ってくる。穂村さんはサクマさんも一緒に挑戦すると話にのってしまう。
さっそく、献血、モデルルーム見学、占い、合コン、角田光代さんお勧めのはとバス旅行、結婚式場見学、健康ランド、一日お父さん、競馬場、相撲観戦。
そして、最後が、パラサイトシングルを脱出して住むための家探し。

途中、祖母を訪ねる話と、女優の本上まなみと編集者の沢田康彦さんの結婚式に出席する話がはさまっている。三人は短歌作りの仲間なのだ。本庄さんの歌も6首ほど掲載されている。いわゆる短歌ではなくニューウェーブ短歌(?)だが、TVやエッセイの印象通りの素朴でやさしい歌だ。

解説を、この本にはまってしまった江國香織が書いている。

初出: 『小説宝石』に連載された「ふるふる初体験」の単行本化をさらに文庫化したものだ。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

ともかく面白い。キラキラ、テキパキとヤル気のあるサクマさんと、オドオド、グズグズしすぐ妄想に走る穂村さんの対比が可笑しみを増殖する。

最後に結婚のために花荻窪で家探しとあるが、実際は西荻窪。また、サクマさんと結婚と暗示させるかのような文章だが、サクマさんは架空の人物で、実際は司書の方と結婚して古本屋巡りを楽しんでいる。



穂村弘 ほむら・ひろし
1962年5月北海道生れ、名古屋育ち。北大入学し、すぐ退学し、上智大学入学。卒業後、SEとして就職。
1989年第1歌集刊行。
2002年初エッセイ『世界音痴
2008年結婚、『短歌の友人』で伊藤整文学賞受賞

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穂村弘『世界音痴』を読む

2011年12月21日 | 読書2
穂村弘著『世界音痴』2002年4月小学館発行、を読んだ。

歌人の穂村弘が日経新聞に連載したエッセイを中心とした初のエッセイ集だ。ところどころに、自作、多作の歌が挿入されている。
歌人が日経に連載したエッセイというと、しみじみと穏やかな季節の変化、日本を別の視点から・・・などと思うが、さにあらず。穂村さんの歌は、

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

なんていう歌で、破壊的な歌なのだ。

40歳近くで独身(当時)、実家にパラサイトするサラリーマン(課長代理)の穂村さんが、世界とズレた情けない日常をこってり嘆いている

「年賀状は穂村弘宛が126枚、本名宛が8枚。短歌を書いていなければ8枚の現実」
「雪道で滑った恋人の手を「キャッ」と叫んで放してしまい、彼女は『あたし、なんか、わかった気がする』と呟き、結局別れる」
「寿司屋でよっぱらいの注文に負けて、丁寧に注文したのに無視される」
「ホームランボールが自分に当たるのが怖くて野球を見に行けない」

初出:前半半分強は日経への連載、後半は他の新聞や雑誌に発表したものや、書き下ろし。短歌や文芸に関わるものは外している。


穂村弘 ほむら・ひろし
1962年5月北海道生れ、名古屋育ち。北大入学し、すぐ退学し、上智大学入学。卒業後、SEとして就職。
1989年第1歌集刊行。
2002年初エッセイ『世界音痴』
2008年結婚、『短歌の友人』で伊藤整文学賞受賞



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

面白い事は面白い。あまりのダメ男ぶりについて行けない、嘘くさく思える人以外は、楽しく読み飛ばせる。かなりな人が、幾つかの点で、「そうそう、僕にもある、ある」と共感し、穂村弘は他人とは思えなくなるだろう。そして、たまらなく切なく、いとおしくなる。



文中のギャグを2つだけ。

実家はメロン農家だという先輩が、「メロンをうまく喰う方法知ってるか?」と聞く。答えは、「メロンの上にメロンジュースの粉末をかけて喰うんだ」という。

冬山で寒さと疲労から痙攣を起こして倒れた仲間が言う。「だめだ。この脚じゃ、もう家へケイレン」



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スチュアートダイベック『シカゴ育ち』を読む

2011年12月18日 | 読書2
スチュアートダイベック著、柴田元幸訳『シカゴ育ち』白水uブックス143、2003年6月白水社発行、を読んだ。

1950年代のシカゴの下町を舞台に叙情と乾いたノスタルジーを織りまぜて描かれた短編と1ページほどの掌篇よりなる14編の連作短篇集。
とくに強いストーリーがあるわけでもなく、綿密にシカゴの街を描くわけでもないのに、荒廃したシカゴの下町が愛情を持って描きあげられる。訳者の柴田元幸さんが後書きで「いままで訳した本のなかでいちばん好きな本を選ぶとしたら、この『シカゴ育ち』だと思う」と書いている。

本書収録の「荒廃地域」「熱い氷」「ペット・ミルク」はO・ヘンリー賞受賞作品

初出:1992年単行本として白水社から発行。



スチュアートダイベック Stuart Dybek
1942年シカゴ生まれ。
1980年、第1短篇集 Childhood and Other Neighborhoods
1990年、第2短篇集 The Coast of Chicago 『シカゴ育ち』
現在ミシガン州カラマズーに住み、ウェスタン・ミシガン大学で文学を教える。



私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)

味わい深い作品で、落ち着いて読みたい本だ。私は行き帰りの電車の中で読んだのでその良さを充分実感できなかった。おそらく少数だが熱烈なファンがいる小説なのだろう。
細切れの連作短編を読み進めると、荒廃し、さまざまな国からの移民の町、シカゴの下町が全体としてイメージできてくる。そして、今はバラバラになってしまった仲間と、いらついてバカなことばかりしていたあの頃を懐かしく思い出すのだ。




以下、私のメモ

「ファーウェル」Farwell
ロシア文学のゼミの先生のバボの家の招待された時を思いだす話。
「今夜、小雨がたえまなく降りつづけ、街灯の光も霧に煙り、雨を集める光の漏斗のように見える。ここはファーウェル。アパートに並んだバルコニーの窓が、濡れたテニスコートに映っている。」こんな風に始まる。

「冬のショパン」Chopin in Winter
少年の部屋では放浪癖のある祖父のジャ=ジャが戻ってきて、凍傷の足をお湯で温めてる。上の部屋では、音楽で奨学金をもらって大学に行っていた娘マーシーが妊娠して戻ってきて、ピアノを弾いている。マーシーの母親は、午後になると家に降りてきて、少年の母親に娘は父親の名をあかさないと泣きながら話す。何も話さなかった祖父は突然、聴こえてくるピアノの曲がショパンの『華麗なるワルツ』だと少年に教える。少年は僕は絶対マーシーの味方だと決心しながら、必死で苦手なスペリングの練習をする。少年の娘マーシーに対する淡い憧れや、ダメ人間の祖父への親しみが甘酸っぱい。

「荒廃地域」Blight
バンドを組む4人の少年が住んでいた町は「公認荒廃地域」に指定される。少年達はバカをやってその日を過ごすが、そのうちに一人、二人と町を出てゆく。「スタンド・バイ・ミー」を思い出す4人組がシカゴの下町を遊び歩く。

「熱い氷」Hot Ice
エディとマニーと、マニーの兄パンチョの5連作短編
「聖人たち」氷漬けになっている娘が冷凍庫の中にいるとの伝説を信じるパンチョと信じないマニー。
「失われた記憶」二人は刑務所にいるパンチョに会いに行くが、彼はどんどん様子がおかしくなる。
「哀しみ」あっちへ行っちまったパンチョを思い、マニーは荒れる。
「郷愁」エディとマニーは昨日と同じだと思いながら町を歩く。
「伝説」アル中のアンテクと二人は冷凍庫へ氷漬けの娘を探しに行く。

「ペット・ミルク」Pet Milk
祖母は必ずコーヒーにペット・ミルクを入れていた。祖母のラジオには、ヨーロッパじゅうの、相容れないいくつもの国家が、雑音の多いダイアル右端のあたりに一緒くたに詰め込まれていた。(遅れてやってきた移民たちの町)
僕が大学を出た翌年、仲のいいガールフレンドのケイトとレストランに入る。いずれそれぞれの道に進み別れることになるだろうケイトとは、すでに別れているような気になる。しかし、その時、改めてケイトの美しさに気づく。


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長嶋有『ジャージの二人』を読む

2011年12月14日 | 読書2
長嶋有著『ジャージの二人』2003年12月集英社発行、を読んだ。

あまり売れないグラビアカメラマンの父親は毎年夏に北軽井沢の山荘に行く。無職の僕は小説も書けず、妻は他の男に夢中という現実を逃れ、5年ぶりに父に付き合い山荘へ行く。山荘は、五右衛門風呂や、汲み取り式トイレと、古く冴えない。そこでの生活はカビで緑色の畳を拭き、カビ臭い布団を干し、薪を割るという地味で、アンチ・スローライフなものだ。
僕は、東京に残った妻が気になってしかたがない。父親も3度目の結婚が危機らしい。
翌年の山荘行きの「ジャージの三人」との2編を収録。

初出:「ジャージの二人」「すばる」2003年3月、「ジャージの三人」11月



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

常に気だるく、誰も、何事にもヤル気がなく、ゆるーい話が続く。妻が公然と本気をしている点を除けば、日常生活そのもので、ユーモアに多少救われるが、読んでいてもだるく、飽きが来る。映画化されているが、どんな映画になったのだろう?

商品名がやたらでてくる。ミロ、コアラのマーチ、フリスクなどが日常感、実在感を醸しだす。



長嶋有(ながしま・ゆう)
1972年埼玉県草加市生れ。北海道育ち。東洋大学第2文学部国文学科卒業。
シャチハタ勤務後、
2001年「サイドカーに犬」で文学界新人賞受賞、芥川賞候補
2002年「猛スピードで母は」で芥川賞受賞
2007年『夕子ちゃんの近道』で大江健三郎賞受賞
その他、本書『ジャージの二人』、エッセイ安全な妄想』など
ネット・コラムニスト「ブルボン小林」としても活動


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長嶋有『猛スピードで母は』を読む

2011年12月12日 | 読書2
長嶋有著『猛スピードで母は』文春文庫、2005年2月文藝春秋発行、を読んだ。

裏表紙にはこうある。
「私、結婚するかもしれないから」「すごいね」。小6の慎は結婚をほのめかす母を冷静に見つめ、恋人らしき男とも適度にうまくやっていく。現実に立ち向う母を子供の皮膚感覚で描いた芥川賞受賞作と、大胆でかっこいい父の愛人・洋子さんとの共同生活を爽やかに綴った文學界新人賞受賞作「サイドカーに犬」を収録。解説・井坂洋子


サイドカーに犬
小四の姉、薫の視点できままな父とかっこ良い愛人の洋子さんが見つめられる。
父と母は喧嘩ばかりしていて、ある日母は家を出て行く。残された父と姉薫と弟の家にすらりと背の高い美人の洋子が晩御飯を作りに来る。その後、夕方になると洋子さんはさっそうと自転車で毎日やってくるようになる。母がきちんと守らしていた生活のルールを洋子さんは気にせず、自制心の強い薫はとまどいながら、洋子さんに惹かれていく。そしてある日・・・。

猛スピードで母は
小学生の慎の視点でおもいっきりのよい母と恋人が見つめられる。
母は離婚して故郷北海道に戻り、幾つかの仕事を変わりながら、慎を育てている。母はキビキビと働き、辛さも見せず、何かあると捨て身であたる。母の今度の恋人は慎一といい、今度は慎も親しくできそうだったのだが、・・・。

初出は、「サイドカーに犬」が「文學界」2001年6月号、「猛スピードで母は」は「文學界」2001年11月号。単行本は2002年2月。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

たいした筋立てはなく、感動的な出来事もとくになく、軽快に、サラリと読んでしまう。しかし、読後感はさわやかで、しみじみと、心が静になる。

大人はいろいろな事情を抱えているが、その内面には立ち入らず、子供の視点でのみ語られる。そして、子供が大人の世界を外から垣間見て、大人の辛さ、我慢を感じとり、新しい世界、経験をすることで自分も自立へと育っていく。

「猛スピードで母は」の結末で、母親がシビックで憧れのワーゲンの車列を猛スピードで追い抜いていくシーンは爽快だ。
描かれている女性達は不器用で良い結果は得られないのだが、かっこ良い。長嶋有さんは素敵な女性を描き出し、子供の経験、気持ちを見事に現す。

犬歯がぐらぐら抜けそうだった。舌でさわると血と歯の味がする。・・・「下の歯なら上に、上の歯なら床下に投げる」・・・

すっかり忘れていたあの血の味、ちょっとうれしく屋根に投げたあの日を思い出した。



長嶋有(ながしま・ゆう)
1972年埼玉県草加市生れ。北海道育ち。東洋大学第2文学部国文学科卒業。
シャチハタ勤務後、
2001年「サイドカーに犬」で文学界新人賞受賞、芥川賞候補
2002年「猛スピードで母は」で芥川賞受賞
2007年『夕子ちゃんの近道』で大江健三郎賞受賞
その他、『ジャージの二人』、エッセイ『安全な妄想』など
ネット・コラムニスト「ブルボン小林」としても活動




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角田光代『彼女のこんだて帖』を読む

2011年12月10日 | 読書2
角田光代著『彼女のこんだて帖』講談社文庫、2011年9月講談社発行、を読んだ。

総勢15編の手作り料理をめぐる連作短編。巻末には作中の15の献立がカラー写真付きのレシピ(ベターホーム協会協力)として収録されている。
生きることは食べることで当たり前の日常だが、食べることは、どんなものを、どんなときに、誰と食べたかという、暮らしにつながる。さまざまな人生の節目に、そっと寄り添ってくれた素朴な料理が暖かな思い出につながる。
出てくる料理はとくに豪華なものではないが、日常のハレ料理といったところだ。うどんやピザも生地から作っているのが驚きだ。

「泣きたい夜はラム」
4年交際した彼と別れて迎えた一人の週末。協子の記念の晩餐は、肉汁たっぷりのラムのハーブ焼きとポテト。空豆のポタージュとサラダを添えて。
協子は思う。彼と過ごした4年は、ラム肉と同様に、失われたのではなく、彼女の栄養に、エネルギーになって、今も彼女の内にあり、あり続けるのだと。

その他、
交際期間が5ヶ月になり、情熱も冷めてきたはずなのに、姉の作る中華ちまきを食べながら、彼にも食べさせたいと思う。
専業主婦が「今日からストライキに入る」と夫にメールする。あわてて帰って来た夫が作ったミートボールシチュウ。
母子家庭で手作りの料理を作れなかった母が1つだけ作ったのがかぼちゃの宝蒸し。
長年連れ添った妻と死別した無骨な男が、料理教室に通って作る妻の味の豚柳川。
など

解説井上荒野

レシピがキッチンでも使えるようにと、濡れなどにも強い上質紙製。 

初出:『月刊ベターホーム』2005年4月号~2006年3月号。さらに、レシピなどを追加した単行本を再編集したものだ。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

それぞれは10ページほどの短い話だが、心温まる懐かしい味がする。どこにでもあるエピソードだが、失恋した女性、毎日の家事のストライキを宣言する女性、母親の味を知らない息子に申し訳ないと思う母子家庭で働き詰めだった母の気持ち、いずれも理解でき、そして料理と共に暖かくなる。

食べることは生活そのものだから、そのときの家族関係や、いろいろな思いと共に身体に染み付いている。料理しない私は、作る立場からの思いに至らないのが残念だ。(とは言いながら、「やってみれば!」という誘いには絶対に乗らないのだ)

前の話にちらっと出てきた人が次の主役となる構成で、いわば料理を巡るfacebookだ。

「あとがきにかえて」で、角田さんの亡くなったお母さんの話が良い。店をやりながら朝昼晩と毎日一からごはんを作っていた母親は、店をやめると料理教室(ベターホーム横浜)へ通い、熱心に試作を繰り返す。そして、26歳までまともな料理ができなかった角田さんに熱心に伝授し、料理好きにしてしまう。



角田光代
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。
96年「まどろむ夜のUFO」で野間文芸新人賞、
98年「ぼくはきみのおにいさん」で坪田譲治文学賞、
「キッドナップ・ツアー」で99年産経児童出版文化賞フジテレビ賞、
2000年路傍の石文学賞を受賞。
2003年「空中庭園」で婦人公論文芸賞を受賞。
2005年『対岸の彼女』で第132回直木賞。
2006年「ロック母」で川端康成文学賞を受賞。
2007年「八日目の蝉」で中央公論文芸賞をいずれも受賞
2009年ミュージシャン河野丈洋と再婚。習い事は英会話とボクシング。趣味は旅行で30ヶ国以上に行った。
その他、
水曜日の神さま」「森に眠る魚」「何も持たず存在するということ」「マザコン」「予定日はジミーペイジ」「恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。 」「『私たちには物語がある』 」「 『愛がなんだ』 」「 『ひそやかな花園』 」「 『よなかの散歩園』 」「 『さがしもの』


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角田光代、井上荒野、森絵都、江國香織『チーズと塩と豆と』を読む

2011年12月08日 | 読書2
角田光代、井上荒野、森絵都、江國香織著『チーズと塩と豆と』2010年10月、発行所:ホーム社、発売元:集英社を読んだ。

ヨーロッパの田舎を舞台に食にまつわる短編を女流直木賞作家4名が競作した短編集。

読み始めてどこかで読んだというより、場面に既視感があった。思い出した。NHK・BSの「プレミアム8」で、4人の女性作家が、それぞれヨーロッパの田舎を旅する番組だが、創作した小説が、ドラマ化され、番組に挿入されていた。作家の実写とドラマの場面を混同しそうになったことを思い出した。


「神様の庭」角田光代(スペイン・バスク地方)
アイノアは古くからの因習、濃密な人間関係をもつこの土地に息が詰まっていた。母がガンにかかったとき、いつもの派手な食事の会を催して親族を集めたことに不満が爆発する。彼女はこの土地を出ようと、バルセロナの大学へ進学し、世界中を旅し、各地の難民キャンプで炊き出しを行う仕事につく。彼氏との別れなどを経験し、つらい状況の中でも親しい人との食事が幸せの記憶になることを実感する。

「理由」井上荒野(イタリア・ピエモンテ州)
アリダは30歳年上の自分の先生であったカルロと結婚し、山の中に住む。幸せな結婚生活だったが、今カルロは病院のベッドで眠ったままだ。今でもカルロを愛する理由は無数にある。でも、理由が無数のあるということは、理由がひとつもないのと同じではないだろうか。

「ブレノワール」森絵都(フランス・ブルターニュ地方)
パリの二つ星レストランのシェフとなったジャンは、絶交中の母親が危篤という知らせを受け、かって母子で引き取られた親族の家へ急ぐ。母は、人間は楽しむためでなく生きるために食べるんだと主張し、クレープも昔ながらのしょっぱいものしか認めず、喧嘩になったのだった。ジャンは結局ブルターニュに戻り、温かい夕食付きの宿を作ることにする。

「アレンテージョ」江國香織(ポルトガル・アレンテージョ地方)
誰にでも笑顔の伊達男のマヌエルと相方のルイシュは、リスボンから田園へ小旅行に出かける。予約していたコテッジのオーナー夫妻と家出を繰り返す幼い娘、他の客たちとの軽い交流、そして料理。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

ヨーロッパの田舎での生活と都会の対比、田舎の料理、人情、愛を巡る話。田舎とはいえ舞台はヨーロッパで、登場人物の名は皆横文字、女性作家による、暗さが全くないシャレたさわやかなお話。
ただそこは直木賞作家達、キレイキレイではなく、軋轢があって、田舎への回帰があり、料理は技術ではなくつまるところ人間関係だとの落ちがある。(強引なまとめ方ですんません!)


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スティーブン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』を読む

2011年12月06日 | 読書2
スティーブン・ミルハウザー著、柴田元幸訳『エドウィン・マルハウス あるアメリカ作家の生と死』 2003年8月白水社発行、を読んだ。ミルハウザーのデビュー作。

子供によって書かれた子供の伝記という形式をとった変わった形の小説だ。アメリカ文学史に残る傑作「まんが」を10歳で書いて11歳で死んだ作家エドウィン・マルハウスの伝記という形になっている。そして、この伝記作家は幼なじみで同年齢のジェフリー・カートライトで、11歳のときに書いたということになっている。なお、「まんが」の内容ははっきり書かれていない。

「復刻版によせて」で、カートライトと同級生で文学者のホワイト氏は、コロンビア大学近くの古本屋で、『エドウィン・マルハウス ―あるアメリカ作家の生と死(1943―1954) ジェフリー・カーライト著』という本を見つけ、復刻版の出版に貢献したことになっている。そして、1972年現在、カーライトは所在不明と書いている。やたら複雑な構成だ。

第一部が幼年期で1943年に生れ6歳まで。第二部は壮年期、といっても8歳までで、第三部は晩年期、11歳、と三部構成だ。

幼年期も、語り手は6ヶ月年長のジェフリーが子供の視点でエドウィンを観察し記録している。エドウィンは絵本や玩具への強い執着をみせ、未知の世界に驚き、たちまち影響され、熱中する。大人びた子供の口から語られる生き生きとした子供の世界、子供のいやらしさも含め、がここにある。
ミルハウザーは目に入るものすべてを精細に描き、子供からみた「子供自身の世界」を読むものに感じさせる。

壮年期では、小学校に入るエドウィンが恋の病にかかる。エドウィンも、相手の女の子も、そして乱暴者の男の子もやたらエキセントリックで、伝記の著者のジェフリーだけが冷静だ。
ここでもエドウィンが書いたどんな意味があるのか不明な家族新聞の内容が延々と紹介される。

晩年期でエドウィンは小説を書き始め、終局へ突っ走っていく。



スティーブン・ミルハウザー Steven Millhauser
1943年ニューヨーク生れ。コロンビア大学卒。
1972年本書「エドウィン・マルハウス」でデビュー、フランスのメディシス賞(外国文学部門)受賞
1998年「ナイフ投げ師」でOヘンリー賞受賞
1996年『マーティン・ドレスラーの夢』でピューリッツァー賞受賞。

岸本佐知子
1960年生まれ。上智大学文学部英文科卒。アメリカ文学専攻。翻訳者。
訳書は、T・レオポルド、J・ウィンターソン、N・ベイカーなど。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

子供からみた世界のことが精細に語られていて、本書のメインの部分になっている。しかし、私にとっては60年以上昔の忘却の彼方にあり、本当にこんなだったかなと思ってしまう。言葉も喋れない頃からの記述には驚かされ、デタラメにしてもこんなこと書けるのは凄いと思う。

伝記作家のジェフリーの冷静な観察、記憶、記述を見ると、彼こそ天才で、エドウィンはエキセントリックではあっても凡庸な少年だと思えてくる。あるいは、実はこのふたりは同一の人間なのではないかとも思える。

それにしても、本当に意味あるのか疑問が残る長々とした記述が多い。指摘するときりがないが、例えば、幼児のエドウィンが読んだ絵本の内容が2ページにも渡って記述される。
ミルハウザーのしつこさには参る。まあ、そこが魅力の源泉なのだろうが。


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スティーブン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』を読む

2011年12月04日 | 読書2
スティーブン・ミルハウザー著、柴田元幸訳『マーティン・ドレスラーの夢』白水Uブックス171、 2008年8月白水社発行、を読んだ。

野原の高層ビルが次々と建っていく興隆期のニューヨークに生まれたマーティン・ドレスラーは若く才能溢れ、努力家でもあった。父親の葉巻販売店を手伝い、工夫を重ね売上を伸ばす。ホテルのベルボーイに採用され、夜昼2つの商売に精を出す。やがてホテルで出世を重ね、ホテル内に葉巻販売店を出店し、いくつもの仕事を成功に導く。
立身出世を重ねる中で、彼は何か満たされない思いを抱く。やがて自ら理想とする新しいホテルを作るまでになり、評判を呼ぶ。人々の期待を上回る従来にない革新的ホテルを次々と建てるが、やがてホテルというより街そのものといったものになり、・・・。



スティーブン・ミルハウザー Steven Millhauser
1943年ニューヨーク生れ。コロンビア大学卒。
1972年本書「エドウィン・マルハウス」でデビュー、フランスのメディシス賞(外国文学部門)受賞
1998年「ナイフ投げ師」でOヘンリー賞受賞
1996年『マーティン・ドレスラーの夢』でピューリッツァー賞受賞。

柴田元幸(しばた もとゆき)
1954年東京生まれ。東京大学教授、専攻現代アメリカ文学。翻訳者。訳書は、ポール・オースター、ミルハウザー、ダイベックの主要作品、レベッカ・ブラウン『体の贈り物』など多数。著書に『アメリカン・ナルシス』『それは私です』など。『生半可な学者』は講談社エッセイ賞を受賞。



私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

内容に興味を持てるかどうかは人によるが、ともかくよく書き込めている。なにしろピューリッツァー賞受賞作だ。

ニューヨークの興隆にあわせて主人公の出世ぶりが、ちょっと一本調子だが鮮やかだ。厚かましいところもなく、細かいところにも手を抜かず、周りの人にも配慮を欠かさない点は好感を呼ぶ主人公だ。

前半は立身出世物語で、自分で理想のホテルを建てるころから、話は幻想的になる。人々の期待通りの評判を呼ぶホテルを建て、次には期待を上回るホテル、そしてもはやホテルとは言えない夢想的、幻想的ホテルを建てて、ついにはっきりと姿を現した彼の夢を実現すると同時に・・・。ドレスラーのしつこい描写と共に、いつものパターンといえばいえるのだが。

ホテルに宿泊する夫人と娘2人との交流は私には今ひとつピンと来ない。必要性があったのだろうか。



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