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自己家畜化による協調行動と組織的な暴力傾向との併存を説明

2020-11-19 19:44:52 | 読書ノート
リチャード・ランガム『善と悪のパラドックス:ヒトの進化と<自己家畜化>の歴史』依田卓巳さん訳, NTT出版, 2020.

  人間の暴力的傾向についての進化論的考察。著者はハーバード大学所属の霊長類学者で、『男の凶暴性はどこからきたか』(三田出版会, 1998.)と『火の賜物:ヒトは料理で進化した』(NTT出版, 2010.)の二つの邦訳がある。原著はThe goodness paradox: The strange relationship between virtue and violence in human evolution (Pantheon, 2019.)となる。

  人間には、温和で協調的な傾向と攻撃的で暴力的な傾向が同居する。しかし、それぞれの傾向のどちらか一方が生物学的な本性に近く、どちらか一方が文化的というわけではない。どちらにも共に生物学的な根拠がある、というのが本書の主張である。まず攻撃的性向を「反応的攻撃」と「能動的攻撃」の二つに分類する。前者は他者の挑発や攻撃に対する防御的反応であり、後者は冷静な思考によって準備・計画された暴力であり殺害である。飲み屋で喧嘩して刑務所にはいるような行為は前者で、戦争は後者だ。この分類は神経生理学的に裏付けられるとのこと。

  警戒を怠ることのできない野生動物と異なり、家畜にとって反応的攻撃を抑制することは適応上のメリットになる(人間に従順であれば食糧と繁殖機会が保証される)。現生人類には、旧人類と比べて形態的に幼児的特徴がある。こうした特徴は「家畜化」の証左であり、したがって、人間は反応的攻撃を抑制するように進化した可能性が高い。家畜化は協力行動を容易にするので、そうでない集団より組織化された争い事の遂行で有利である。こうして現生人類は、形態的に家畜化の程度が低いネアンデルタール人を滅ぼしたのだろう、と推測される。

  では、なぜ家畜化が人間に起こったのか。著者は、暴力的なチンパンジーと平和的なボノボを比較しながら、食べ物が豊富であるという生態学的なストレスが少ない環境と、言語が可能とする個体間の協力関係が重要だとする。それらの条件がそろうことで、群れは暴力的な個体に特権(特に繁殖機会)を与えず、処刑によって暴君を排除することができるようになる。結果として、排除されないよう、群れの仲間の機嫌に配慮する平等かつ平和的な性向が人間に埋め込まれた。ただし、狩猟採集民を観察する限りでは、その平等は男性だけのものだったとも付け加えられる。

  能動的攻撃は人間が協調行動ができる能力の帰結である。他集団の人口を減らし資源を奪うことは自集団のメリットになるという点で進化的な意味での適応である。ただし、その発現の仕方は、チンパンジーほか野生動物の生態や狩猟採集民の記録から推論すると、奇襲攻撃による「攻撃する側にとって安全な形で、多数の味方で少数の敵を殺害する」という形となることが多いという。会戦形式でぶつかり合うような戦闘には、戦闘員の本能を克服するような心理的な操作が必要だ。したがって、そのような戦争はコントロールできる、とも匂わされる。

  以上。自己家畜化現象が人間の行動にどのように現れるかについて、壮大なストーリーを展開したという内容である。憶測の部分も多く、特に能動的攻撃については十分説明されたという感じはしない。証明よりも、今後の研究のために仮説を示した本という位置づけなのだろう。少々複雑な論理展開ではあるが、語りの展開が上手く面白く読める。

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