風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
忘れないうちに 忘れないように
短い言葉でメモ memo   
       

母からの葉書

2005-12-04 | 終わり方・思い出す人
消印:1991,7,8

梅雨の方はいかがですか こちらにいると何もわからなくなってきます 元気でしょうか、 そろそろ帰る日も近づいてきました
七月四日の誕生日は知床峠で午前十時丁度バスで迎えました。
自分でもおどろく位元気でいます御安心下さい。
今日七日ですが九日までには帰仙しなければなりませんから、いづれお会いする日も近いとたのしみにまっています。
七月七日夕、小包とどきました。こころづかいありがとうございました。姉君(注・母の姉、入院してる)がよろしくとのこと。こちらはいい天気です。いづれ仙台で。
札幌にて、 ***(注・母の名前

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整理をしていたら母からのはがきが見つかった。1991年(平成3年)7月、母が知床峠で誕生日(注・75歳)を迎えたことが書いてある。
母は札幌に住んでいた母の姉ガ入院していたので、たびたび北海道に行っていた。
格安の周遊券を買って、荷物は小さな手提げ袋とリュックサックだったと思う。
糖尿病だった母は北海道旅行といっても旅館に泊まって美味しいご馳走を食べるような旅行ではなかった。列車の中で寝泊りもするようなお金をかけない「旅」。
自分でその場で行く先を決め、食べ物、泊まる場所を決める「旅」。

病院あてに私は何かを送ったのだろう。覚えていない。

そのころの我家の状況を家族年表でみると、夫が南のK市に通勤、上の娘は就職3年目でYのピアノ教師、下の娘は中学2年、私は町内会の仕事もPTAの仕事もなかったけれど身体の調子があまりよくない時期だった。



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2 コメント

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私にも。。。 (さらd)
2005-12-05 16:39:44
母は私と違って字が上手でした。



家族の誕生日 子供たちへの宅配便などに

手紙が必ず入っていました。



何気なく束にしてとっていたのですが。。。

こんなに早く{思い出の品」になってしまう

なんて。。。



姿はもうないですが こう言った物を

手にすると すごく身近に感じられ

ますよね。



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あのころ もっと真剣に ()
2005-12-05 17:47:38
さらださん



私たちは偶然にも今年「飼い犬と母」を亡くしましたね。



「亡くなっても思い出される限りその人は生きている」・・・そうおもっています。

さらださんのお母様の手紙の束にもお母様がいっぱい入っていますね。



私は母からのはがきを読んで、母の「おもい」を

あのころもっと真剣に受け止めてやればよかったと後悔しています。



小学校4年生ころまでしか学校に行けなかった母は

努力でむずかしい本も読んだし、このようにハガキもよこしました。



今、私は母のハガキのくらいの内容を書いて

娘たちに送っているかと振り返ってみると全くやっていないのです。



まして75歳になったときに 母のような行動力をもって生きていけるだろうか、疑問です。



母は偉かったとつくづく思います。
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