まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

付和雷同 09 8/26 あの頃

2016-10-02 09:21:13 | Weblog

  阿波、郡上と並ぶ流し踊り  青森県黒石市「よされまつり」




今どきのことだからと政局や流行に付和雷同しているとの考察ではない。

いつからか慣れ親しんだモノの中で、言葉も好いし,反駁するスベも無い「自由」と「民主」は、一時の自分探しではないが、分けのわからなくなった自分自身、つまり、そんなはずではないと思いつつも往く末の見えないままに、いまどきは欲望と放埓に入り込んだ自由と民主の主人公は、己そのものが分からないまま「己」そのものに付和雷同していると視るのである。

自己責任なとどという言葉にいちばん反発するのはそのためだろう。


以前、民主の「民」は目に矢が刺さって昏(くら)くなっている姿を表している文字だと記した。
それらが一人々の自由権利を唱え主なる人(主人)として民主主義体制を構成している。

以前、民主と自由を与える側のことも記した。
大衆に自由と民主を謳い、解放という自由を与える。つまり、゛群れ゛への恣意的提供だが、その後、大きな力を持つものは国家という権力をも壟断する。それは経済学者に国富による幸福価値をさも高邁な思想論理として宣伝させて国家に事業を強いて借金を背負わせる。

民が主人である以上、国家の借金は国民の借金である。
また、いつの間にか月賦借金がローンとなり、元手もなしに担保をとって家や車を買い、金利のサジ加減で破綻する。まだ国の場合は自給率よく借金は国民に買わせている。もしも外国に買われたら担保に関税権や租借地を要求され植民地当時に還ってしまう。
そこまでいかなくとも闘いたくなくて傭兵を雇えばサボタージュをほのめかされて、思いやり賃上げや毎年の待遇要求(対日年次要望書)を突きつけられる。
これも似合わぬ成功価値に踊る結果である。

江戸っ子からすれば野暮な格好付けの成り上がりと嘲笑われるだろう。




                  

            名山の元に名士いずると詠われた 岩木山





日本も明治の頃に国家とか国民という呼称が生まれた。そして他国から守るために皆徴兵が布かれた。伝聞だが、戊辰の戦いにおいて会津若松の市街の戦闘は激烈だった。そのときの会津側は戦闘集団であった武士のみならず老若男女が参戦した。

その惨禍を身に沁みて察したのは薩、長、土などで構成されていた官軍である。そのなかでペテンの利く先導者は国民皆兵でなければならないと、その前段で自由民権を声高に謳って、゛みんなの国゛゛みんなが兵隊になって国を守る゛と国民皆兵を先導した。

なかには、おんぶに抱っこの依頼心のある大衆の中で、官兵、つまり軍人を食い扶持として選択するものが出てきた。この食い扶持軍費も主人である国民持ちである。

当時の投資は西洋の植民地勢力が習い事のようにしていたように力による強奪が基礎的な前提だった。国力が増大してくれば販路の拡大や軍備の増強、そして国債という借金の増大がある。また偏った事業育成が顕著になる。それは国家の統制があってこそ成せることでもあるが、人と設備の増加はひとたび内外の変化があると余り溢れて外部に流れ出す。つまり国威伸張と呼ぶ海外進出である。また進出しやすいように他国の制度に圧力を加え強制転換させたりもする。

いまも何ら変わりが無いのである。先に記した毎年強圧される対日年次要望書なる日本改革提案もその類だ。







                

                 青森県 木村ヨシ作




きかない子供ではないが、小遣いが減らされれば不満を言うように、民は自らが主人たる身体を食いつくように、いや他人の身体と同化すべき共体を互いに痛みを感ずることなく食い尽くしている。

また、国家が民に応じられることが年々狭められている。金融投機とか作為的な戦闘による夫々の地域の資源なり産物の一過性の欠乏などによって、叶えられない国家への不満はより内向的な対応に追われ、諸外国の連携なり交渉のスタートラインにも立てなくなっている。

自由も民主もそうだが、欲望の増大と制御の不足は社会の調和や連帯を衰えさせ、国粋を超えた架空な連帯意識を平和、人権というスローガンを添えて盛んになってきた。

だが、それとて集約する前提は資金であり、人の多少、国家の力加減が左右する脆弱なものであり、あるものは悔悟や美意識の充足になっている場合もある。









                 




加えて民主と自由は人権平和の掛け声の下、騒々しくなっている。誰でも唱える権利があるという。近頃は環境という掛け声が多くなり利に転換して勤しむものも増えてきた。
この状態を俯瞰すると「右往左往」という文字が思い浮かぶ。人間や社会、いや世界中が騒々しい。

IT革命の一面の利便ではあるが゛易きに流れる゛とか、秘めたる欲望の喚起が密室というべき場面で踊っているようだが、匿名性にみる罵詈雑言やスキャンダルの暴露は芸能のみならず政治家や良質な知識人まで自身の範疇に落としこみ、ボーダレスな凡人に仕立て上げ、しかも一過性の如く忘れ去られている。

これらはあくまで世俗の世界である。一人ひとりが金なり地位なりで覇を追求し、珍奇な個性と呼ぶ異なりをひけらかしている現状である。また、或る者はそれらの嫉妬に駆られ徒な競争と虚飾に勤しんでいる。





                 





そこには神々や精霊の思想も無く、鎮まりの中での沈思や鎮考、あるいは観照もなく、単なる流行価値を成功価値と錯覚した付和雷同組が世に蔓延っている。一方、歎いたり、憂いたりするものも人々の連帯効果もなく、固陋な唯我独尊に陥り、爽やかな目標設定も無く悶々としているのが現状のようだ。

よく、行動突破力は色、食、財の三欲といわれる何れかを除くことにあるという。有るを知らずという境地になることもあれば、目標に愚直になり競馬の遮眼帯のようにわき目も振らずという状態に追い込むことが肝要だという。高杉晋作も維新回天の一鞭を入れたときの振り切りを、゛女房は敵と思え゛と喝破している。財利に目もくれず女性に優しい晋作も余程の覚悟であったに違いない。なにしろ町民や農民の寄せ集め兵を率いたことに勝てるとは思っていなかった傍観者には到底、出来無い覚悟だったのだろう。

「敵と思え」の心中を理解して察するのは「異なることを恐れない自己を養う学問の目的」を身を以って訓示した師である松陰の遺志だったのだろう。

その後の勝ち組に乗るような付和雷同組の維新政治の体たらくは西郷をして「こんな国を創るつもりではなかった・・」とも言わしめている。西洋近代化を模倣した、似て非なるアジアの近代国家の姿は、単に模倣、小手先の更新、あるいは立身出世のシステムに問題意識無く迎合した官吏、軍人の姿に顕著に現れ、それが食い扶持既得権として昭和20年8月15日を迎え、かつ戦後統制経済のなか残滓は再び芽を出し現在に至っている。





                




物珍しさ、好奇心、付和雷同、これに恣意的支配の美用句となった自由、民主、人権、平等を添加すると、無い物ねだり、おんぶに抱っこの世情になる。

政治の世界は変わるだろうが、易きに流れる人の世界は変わらない。

だが、これは嘆息の世界ではない。人の縁(よすが)の淵として考えたいと思うのである。

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