まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

優しさへのとりなし

2024-03-25 19:47:24 | Weblog

 

「郷に入れば、郷に倣う」と年上に諭されたが、人情や道徳心はたとえ異郷や異民族の地に入っても、変わるものではない。

よく言われるのは、すみません、わるいね、は自分の罪?を認める事になるので言わないようにと教えられる。エキスキューズミーに似た心を譲る「礼」の意味だが、使う場所にもよるらしいが近ごろは無言も多くなった。

近頃は人の様子を覗うような情報は欲しいが、自身にとっとそれほど有用でもないものは見向きもしないといった手合いが増えているようにもみえる。
少々、へそ曲がりな観察かと反復もするが、その傾向はある。

とくに安易、つまり易しい事柄ばかりに慣れてくると当然のことだが考えることすら面倒になってくる゛易きに流れる゛とか容易ににある自身の小さな「容器」に納まるものしか考えられない状態になってきている。「容」・・かたち、ゆるす

この「容」だが、考え方や切り口によって大きくも小さくも、また変容するものである。
その意味では多くを知る、広く知る、深く知ることが昔からの学問の勧め方だったのだが、いつごろからか知識が情報として、しかも種々雑多な方法や営利の目的に利用され、人の姿や雰囲気を作り上げる部分としての知識が却って流れに浮遊し、情感さえも衰えさせるようになってきた。

確かに文字や映像を通じた情報はわかりやすいが、何かを察知するためにはより多面的な集積と、「思い込み」を避けるための自身の座標軸を確かなものとして行動なり対応に対する動きを柔軟に出来るようにしなければならない。

野球にたとえると安打製造機と呼ばれた張本勲氏とイチローの決定的違いはバッターボックスでの動き方がある。





                

        ジャイアンツHPより   張本勲氏


右足を基点にするが特徴は左足の送り、イチロー氏は球種、速度に応じて自在に動くが、張本氏は身体を押し出すように蹴る動作をする。夫々が異型であり今までの定説を変える姿だが、共通するものは選球と動態を追い変化を読み取る瞬時の対応に優れていることだ。つまり応用は手であり添え足であっても回転は「軸足」である。

もちろん瞬時に覚ったり見抜いたりする直感性だろうが、往々にして頭の理屈より体の慣性ではあるが、これも知識技術の修得以前の習慣学習に譬えられる小学の「躾け」の理屈なき体得に似ている。

それが表れるのはグランド整備、用具の選択と片付け、自身にあった練習、他人との調和と連帯、スポーツマンならずとも世に出るための必須の自得である。


               

ジャイアンツHPより     王選手



さらに考えれば両氏は人の対応をを大切にする。これは王選手もそうだが真剣な集中力を支える野球に対する取り組みに、゛好きで優しい゛心があるからだろう。
「好きで楽しくならなければ勉強は覚えない」と孔子も謂うが、゛易しさ゛では到達できない事でもある。



               

       ヤフーニュースより   イチロー選手



また好きで愉しいことは難しいことに挑戦する探究心も生まれる。難しいことに向かうと人は険しくなり自身に厳しくなる。

かといって易しさに馴れたものにとっては見ることと聴くことに驚きはあっても、彼等の優しい対応の深いところにある厳しさや優しさは見ようとはしない。いや、゛そこまで教えてくれないから判らない゛と。




  

               ジャイアンツHPより  




それぞれと見方はあるだろうが、人から習うとはそのようなことのようだ。
それは、ヤンキースの松井選手のジャイアンツ時代の逸話を練習場に通っていた老人の言葉として紹介したい。

『ともかく松井は礼儀正しかった。必ず球場に入るときは帽子をとる。なかには有名選手の中には斜めにかぶったりバットを引きづる者もいたが、松井の姿勢はいつも変わらなかった。練習が終わって帰るときは多くのファンが選手にサインを貰おうとフェンスに並んでいる。松井は一人ひとり丁寧にサインをするので多くのファンが並んでいる。みな疲れているだろうが松井はあたりが薄暗くなるまでサインしていた。




                

    ジャイアンツHPより   松井選手


なかには笑いながらそっぽを向く選手、下を向いたまま早足で過ぎる選手、嫉妬なのか薄笑いをしながら帽子を斜めにかぶる選手、松井はそんな環境で練習をしていた。
彼の偉いところは嫌な顔を見せなかった。松井の成績はともかく人の在り様を見せてくれた選手だった。とかく人気といものは付き方によってファンに変な影響を与えるね』

この老人も野球が好きだった。そして松井の仕草をみるのが楽しかったようだ。或るとき名も知らぬ新人が一軍で活躍したとき、ことのほか喜んでいたのも老人だった。
『彼はいつも陰で松井の仕草を見ていたょ』

ヒットは何本、年俸は幾ら、易しい見方ではあるが、厳しさから培った真の、゛優しさ゛はなかなか感知できない世の中になった。
とくに世の中の現象に慌てず、騒がず、競わず無名で暮らす人々の優しさは、誰に言われるまでもなく率先した仕草にみてとれるようだ。

ただ、口にしたり、人前で動くと無い腹まであれこれ探られる時代だが、松井選手のように環境を変えてみることも一考だと思ったりもする・・・・

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