まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

官吏の面子は国民の善意を覆うのか 08.11/11 あの頃

2022-04-29 02:50:00 | Weblog

      11月23日 金鶏神社社稷祭 郷学研修所内




以下は四国新聞11/10の記事である

《愛知県安城市の市道交差点に本物そっくりの偽の一時停止標識を設置したとして、愛知県警安城署は10日、道交法違反(道路における禁止行為)の疑いで、近くに住む建築設計事務所経営の男(55)と同県豊田市の従業員の男(27)を書類送検した。

 



調べでは、2人は7月30日夜、市道交差点に、工場などで使用する市販の一時停止標識を勝手に設置した疑い。調べに「(交差点で車がスピードを出すと)子供が事故に巻き込まれる恐れがあり、危ないから設置した」と供述したという。

 同署によると、2人はほかにも近くの進入禁止標識2枚が汚れていると判断し、新しい標識と入れ替えていた。標識3枚の購入代金計約2万6000円は自ら負担していた。


             


 安城署は9月下旬から10月上旬にかけ、偽の標識に基づき、誤って運転手5人を道交法の一時停止違反で摘発。標識が偽物と分かり、5人の処分を取り消した。その後、県警と市はスピードを出し過ぎないように、この交差点にゼブラ帯を設けるなどの対策を取った。》



これはYahoの道徳、マナーに関するトピックに記載されたものであるが、その他に各地の図書館の蔵書28万冊不明、9歳男子の無免許運転などが載っている。

つまり目くじらを立てれば、蔵書不明も無免許も立派な犯罪であるが、こちらは立件されてはいない。

さて、結果から追えば県警と市は事故を想定し道路にゼブラマークを描いている。
天邪鬼だが、道路交通法で立件された彼等がゼブラマークを描いたら法律では違法だが、ゼブラでは警察官の点数切符はできないはず。


          
                愛知県警のゼブラ帯



またまたヒネクレものだが、公道に立っている電柱に電力会社に掲示使用料を払って質屋や病院の広告があるが、゛立ち小ベンをするな゛タバコを捨てるな゛と掲示すると早速電力会社から苦情が来る。しかしストリップのグラビア看板を子供の通学路だと剥したら、ヌード看板の所有者に断らなくては・・・、剥せるが捨てることは出来ない・・・、そのうち興行期間が終わりウヤムヤニなった。

何ごとも無関心、不作為の世情だが、゛よかれ゛と思うことを子供なり、庶民ナリが拙なる意志でも行動にすると、゛世間゛からは嘲笑に晒され小さな善行などの喚起もお題目になってしまう。ことに廃棄したらどうかと思える取締り条例を駆使して、゛禁ずるところ利あり゛と道徳喚起どころか罰金徴収ノルマに血眼になっている現場治安官吏の恥態は他の文明国家にはあまり見当たらない姿だろう。

どうも道路は金になる、しかも多岐にわたり食い荒らされている。
昔は朝起きたら道端の掃除と決まっていたが、これも官吏御用(お抱え)の出入り業者が路上生活者に制服を着せて、しかも生活保護の適用を受け、安価で吸殻拾い、自転車整理をさせている。

昔は街道筋の親分が篭担ぎを仕切り、今の運輸行政のような事をしていたが、なかには御上から十手まで頂いて、゛みかじめ゛を貰ったり、悪徳官吏の懐を膨らますことの手代をしている者もいた。

しかし、下々は可愛いもので上級官吏は道路建設、清掃、管理、飲食店の独占営業、通行料、はたまた標識、レッカー、罰金徴収と、ただならぬ徳の無い「道」が手段を使って公務員の「狡」を絞って考案されている。

「道」はクビが動くというが、彼の国の或る意はもっと緊迫したものである。
他領に赴く道程は、厳しく、険しく、危険がある。そこで人柱として首、つまり除けのために出立時に「路」に奉げたという逸話がある。

同じミチでも、路地や径、間道、古道、あるいは哲学の途と称されるものがあるが、昔の間道などは野党盗賊が出没したようだが、何故か昨今は大手を振って道路に金食い虫や、罰金獲りが昼夜を問わず出没している。

そのせいか上は政官業の既得利権にまみえ、下は交番を留守にしても一時停止の標識の陰に隠れている治安官吏が増えてきた。

それを秤にかけたとき標題に戻るが、何か割り切れないものがある。
彼等は地域の善行者である。実費と労力と安全の為にと意志を添えて行なった善行である。ことさら、゛お目こぼし゛を官吏に願うべき筋合いではないが、何故か地域の感謝と官吏に翻意を促す続報が無いようだ。



            


昔のことだが、奈良の猿沢の池で投網を使って魚を獲っていたものがいた。売るわけでもない。子供に食べさせたかった。それを見た警官はこう言った。
『そんなところで網を洗わないで、家に帰って洗ったらどうだ・・』
これは決して落語のオチではない。

また、風呂帰りに気持ちよくなったのか立ち小便をしていたとき、途中で止められないのをはかってか警察官は終わるのを見届けて、『そんな所で手ぬぐいを絞ったらだめだよ・・』と。
双方は二度とヤラ無くなったと、前コラムに登場する奈良出身の岡本義雄氏の談だ。

「尽くして欲せず、施して受けず」岡本氏の意に安岡先生が添えた小章だが、きっと標識善行者は、尽くしたからといって表彰を求めてはいない。施しても相手からは受けるものは無い。代わりに書類送検と罰金、あるいは官吏に叱られるだろう。
「益」とは妙だか、安全が保たれた受益者は嘆願や上申などという、゛お願い゛や、゛申し上げる゛という卑屈な意から抜け出し抗議するべきだ。せめて庶民の交通安全の善意をモトとした行動に対する秤の均衡を保つべきだ。

あの安岡、岡本御両人なら言う筈だ。

官吏は「吏道」という道がある。それは一隅の善行を喚起し、人々はそれに倣う。
官吏はそれを扶けるために存在する。その調和と連帯から生まれる信頼、それが真の国力というものだ、と。

官吏が集えば国権とは異質の権力を溜め、行使することで「利」を生ずる。そして食い扶持の為の既得権と化し、国家の根底を蝕み終には国民の道徳心を衰えさせ、自尊、自立を本とする人間の尊厳すら毀損するようになる。

この一隅の善行、つまり小事にそれを見るのが政治の役割である。
仁徳天皇の「民のかまど」の故事もその倣いすべきことである。
『手を拱いてはいけない 今こそ動くべき、゛小事に観る大事゛だ』

そんな声が聴こえてくる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 東條英機口述遺言  08/6再

2022-04-22 01:06:38 | Weblog





実直で生真面目な宰相だった・・ 花山氏(巣鴨プリズン教誨師)




東條英機氏のお孫さんの由布子さんは、よく「祖国」という言葉を発する。
今どきはビジネスの蓄財グランドや利便性で国家を選択するむきもあるが、「祖国」の深遠なる問いかけに感応することも少なくなったようだ。

戦後「東條が悪かった」「軍閥のボス」と国民怨嗟のはけ口として「詰め腹」を切らされたように思われた東條氏だが、実のところその先が意味不明、はたまた意識外に置かれたような人物だが、昨年の参議院選挙での由布子さんの立候補で新たな印象が描かれつつある。

「語るなかれ」東條家の決まりごとだが、近頃海外からのメッセージが発せられるようになった。

とくに英国の二百年にわたる植民地を打破し、戦うことによってアジアを回復しようと連帯したインド国民軍の指導者スバス・チャンドラ・ボース、さかのぼればタゴール、中村屋のカレーで有名なビハリー・ボース、極東軍事裁判(東京裁判)の判事ラダ・ビノード・パル、彼らを輩出したベンガルからその声は高まっている。逆に他国から教えられているという状況である。
そこには感謝と激励がともなって、『知って欲しい』という海外からの内容である。

それに触発されたように国内でもその動きは各界に興り、理解不明であるが、心の片隅にあった「印象」を残像の疑問から解き起こそうとの動きがおこっている。

そこで長文だが裁判における宣誓供述書を二回に分けて掲載します。
もちろん由布子さんには「お祖父さんの記録を記す」と伝えてのことです。


≪東條秀機 彼も日本人、吾も日本人≫ 2008,6/6 当ブログに連続記載参照を請う

東條英機宣誓供述書(全文)  昭和22年12月26日提出

極東国際軍事裁判所 
  亜米利加合衆国其他 対 荒木貞夫其他 宣誓供述書

                  供述者 東條英機

自分儀我国ニ行ハルル方式ニ従ヒ宣誓ヲ為シタル上次ノ如ク供述致シマス








東條英機口述遺言  08/6再


東條英機は「12月2日~数日かかって、二つの遺言状を書いた。これを本日読み直してみたが、間違いない。これは死を直前にした者の偽りなき告白である」と告げて、これを示した。

花山師は
「検閲その他で、これらの方々の手にはいらぬこともあり得ますから、それを今読んでいただきたい。私がその要点を摘記しておいて、清瀬君その他にお告げいたしましょう」と述べた。東條大将は、用紙二十枚ほどにしたためた遺言をゆるやかに読まれた。  

花山信勝師より直接聴取した内容にもその箇所があった。同席佐藤慎一郎氏

その、昭和23年12月23日午前零時の死刑執行数時間前(昭和23年12月22日夜)に、花山師の前で東條英機が朗読した遺言である。

 ※ 当時、巣鴨刑務所では、文書でも物件でも房内の者から外来者に直接授受することは、厳禁されていた。

               〈 資料中に記されていた文章を転記〉







極東裁判判事 ラダ・ビノード・パル氏




 【東條英機口述遺言】

〔思い起こせば断腸〕

 開戦の時のことを思い起こすと、実に断腸の思いがある。今回の死刑は個人的には慰めらるるところもあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈服した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまでも刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従軍し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っておる。


〔いま判決を批判せず〕

 今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ。もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に望まなければならぬのではないか。この裁判は、結局は政治裁判に終った。勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。


〔天皇の地位〕


 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるのものである。
 天皇存在の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。それにつきこれ言葉をさいはさむる者もあるが、これらは空気や地面のありがたさを知らぬと同様なものである。〔東亜諸民族〕

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである






市ヶ谷の軍事法廷





〔米軍に要望〕

 現在の日本を事実上統治しておる米国人に対して一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめさざるよう願いたい。
 また日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の他民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えておる。

〔アジア大陸赤化の情勢〕

 こんご日本は米国より食糧その他の援助を感謝しておる。しかし、もしも一般人が自己の生活の困窮や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をおつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

〔米国指導者の失敗〕

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。それは、日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っておる。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。








東條家とパル判事




〔日本の武力放棄

 日本は米国の指導にもとづき、武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除しておらぬのに、一方的に武装をやめるということは、泥棒がまだおるのに警察をやめるようなものである。

 私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わなければならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄しておらぬ証拠である。国家から欲心を除くということは、不可能である。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第三次世界大戦は避けることができない。

 第三次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第二次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ二国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第三次世界大戦は避けることができぬ。
 第三次世界大戦において、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするであろうか。米国はこの武力なき日本を守る策をたてなければならぬ。これは当然の、米国の責任である。日本を属国と考えるのであったならば、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。

 米国は、日本八千万国民の生きてゆく道を考えてくれなければならない。およそ生物としては、生きんことを欲すれば当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

〔新たなる戦犯逮捕をやめよ〕

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後三年を経ておるではないか。新たに戦犯を逮捕するとうごときは、即時にやむべきである。米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持でやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

〔靖国神社への合祀など〕

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地へ返還せられたし。戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

〔青少年の保護〕

 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきておるものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 敵味方を含めた一大追悼会__今回の処刑を機として敵、味方、中立国の羅災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆弾や原子力爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。


〔統帥権独立は過ち〕


 最期に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っておる。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべきこと
し。



〔教育は精神教育を大いにとらなければならぬ〕


 忠君愛国を基礎としてしなければならぬが、責任感はゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念【註】を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男を売るなら60まで、あとは省き狭めるだけだ 16 8/15 改再

2022-04-14 00:37:02 | Weblog

               

             後ろ姿で魅せる も組 竹本

 

 

 

拙考だが、いま耳目を集めている天皇の譲位の問題を別の切り口から眺めてみたい。

それは数多の身の「分」を問わず、人生の始末についてである。始めは無頼でも宰相になるものもいる。辞したあと故郷で子弟の育成に身を捧げる賢人もいる。  あるいは糜爛した都会にとどまり勲章待ちする者もいる。頭を下げて握手する、それは世俗では「売り込み」という。同じ議員でも人生の末(すえ)はさまざまだ。

いまはネット社会である。知ってほしい。わかってほしい、と書き連ねアップしたら未来永劫ネットの海に漂う。筆者のごとく人生の備忘として健忘や痴呆に備えんと駄文の記録帖代わりに用いているが、それさえも人の歴史の集積とは申せ効を期すまでのことではない。だが始末はどうするかと考えれば、世間に意を晒したことからして不用意なことだ。かように「始」めと「末」は厄介なものだが、その始末のつけようで人物が判ることでもある。

「お辞めになる時のことを考えて言動を気をつけなさい」安岡氏に就任挨拶に訪れた大企業の社長に教導した言葉だが、祝いどころではない、それほど社長には浮かれる立場ではないということだ。

とくに御上のことゆえ普段は昇位や分配に勤しむ議員や売文の輩や言論貴族まで、いくらか畏まった意見を述べているが、明確な整理はみえてこない。

 

               

            禁を破って幕府に民の救済文を送った光格天皇 (現陛下の直系)

            http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/d/20160809

 

麻生太郎財務大臣(元総理)のことを以前のブログに書いた。

得てして育ちのよい家柄に生まれた人間に二つの処世のかたちがある。

一つは家の風格や柄に順って庶民からみれば窺い知れないその世界に留まり、血統ゆえの生活域で生涯を暮らして伝統血脈を繋ぐことを生涯の糧とするか、もしくは下界ならぬ世俗に飛び込んで物わかりのよい姿をあえて出して、大向こうの歓心を買うのか、いずれかだが麻生氏は後者の類だが、貴族趣味のいい漢であることは間違いない。

あの吉宗も遠山の金さんも暴れん坊将軍や桜吹雪の判官で人気がある。副将軍の黄門さんもそうだが、悪しき権力に諫言して身を賭して一揆をおこした大塩平八郎とは一味違う。腕まくりして庶民の中に入って車座で一杯ひっかける福岡の名物市長進藤一馬や地位を捨てた田中正造なども本物の下座観を持った至誠の人物だ。問題意識の如何だが、今どきの高位高官はそんなことはしない。

        大塩平八郎

麻生氏の妹はひげ殿下と愛称された三笠宮に嫁いだが、ひげ殿下も皇族においては臣籍降下問題などで、゛あなた方と同じ゛と皇室の煩いにもなったことがあったが、庶民の苦渋や困窮に添うような下座観はなかった。ともに庶民派として軽薄な民には人気があった。

 

制度や思想はともかく、その立場はこの世に存在している。たとえ維新の無頼者でも官位と財を得れば爵位は頂ける。もともと天爵のないものが偶然、人爵紛いに位置すると寄り添うものが増え、座りのよい床の間の石として重宝される。その効用は曖昧だが、逆に共産党のように闇雲に民主・人権・差別だと否定されると、これも曖昧だが慣れ親しんだ存在に愛顧が湧いてくる。これを論証するのが左右の御用学者だが、これとて瓦版に毛の生えた売文の親方には逆らえない。

 

庶世に親しむことを旨とすることが一種の流行り事になった。プライパーシーを露呈することで、゛あなたと同じ゛゛心は一緒゛を表わすのだが、この時代、政治家の選挙のように笑い、手を振り、津々浦々の目立たない、いや、鎮まりを以て敢えて隠れて暮らしている人々を訪ねて、その生活を晒す。マスコミもそれに同調する。これが善行の心遣いだともてはやす。

 

一例だか、昔の保護司は仮釈放や試験観察の犯罪者が訪れると本人の更生の妨げになる恐れがあると、あまり保護司の存在を世間に周知しなかった。あくまで対象とする人間への配慮だった。つまり隠徳の作業だった。

ところが予算獲得の宣伝なのか、犯罪予防や更生援助の社会的協力への啓蒙ということで、保護司も組織運動が盛んになり、相談活動・更生保護の周知など世間にその姿を具現するようになった。面白いもので、そうなると一部ではあるが町会長や議員などの一人多役の人たちが己を売る(存在周知)用として受任することが多くなり、制度を支える褒章制度によって自身の格付を求める人も出てきた

 

本来はやんごとなき立場において隠れた善行を己の能力範囲で行なうべきことが、表に出ることによって多忙になり、思索が落ち着きを失くし、守護すべき時と存在を単なる経過の上に載せて、しかも慣性となり、真の任務すら忘却するようになる。

時は移り、自由や人権要因もあるが更生保護の対象者と保護司の関係は変わることはないが、外的要因(おもに自主的要望ではなく、官吏からの通達指示)の猫の眼政策によって本意は薄まり、それによって使命的志願はほとんどなくなり、数多の少年育成や犯罪防止をとなえる諸機関や諸団体の運動に似て集団化、恒例化、数値化に埋没してきた。つまり似て非なるものだか、非なるものの差別化が乏しくなったのだ。

 

 

                  

 

江戸の火消し鳶頭のも組の竹本の呟きだ。

任侠稼業と同じでシマがある。銀座通りの松坂屋やライオンビヤホールを越して天ぷら屋の天国あたりまでだ。これも代が替わると力関係で広くも狭くもなる。

あくまで旦那があっての稼業で、頼まれればトブさらい(掃除)もやるのが仕事師だ

もちろん売り物は、義理と人情とやせ我慢の三拍子だが、近ごろでは口達者が幅を利かせている。竹本は彫り紋の意匠は水滸伝、木遣りはキングのCDにもなっている。梯子のことは云わなかったが、若いころは成らしたようだ。

 

竹本の人生観は「ほど」だ。むかし浅草寺の住職から聴いたことだ。

≪男を売るのに忙しかった。女房ともいっときは難しくなった。売るときは鬱陶しいときもある。「売る」とは大勢に知ってもらい、縁をたくさん作る。仕事どころではない、谷町から貰った羽二重の赤筋袢纏(はんてん)と、それに合った襦袢に帯や小物が粋な江戸鳶の恰好だが、旦那紛いに職人鳶が小ぶりなポチ袋に折りたたんだ撒きもの(心付け、チップ)を着物の袖に目立たぬように投げ込むことも小粋な仕草だ。

 そうなると色々なところにお呼ばれして顔も売れる。人は頭を下げ歩く道も拓き旦那も増える。旦那(たにまち)にはヤクザの大立者もいるが、稼業違いだし男芸者でもないのでホドに付き合う。だだ、そんなことばかりでは出銭も多くなり、身を狭めるようになる。できるのは昔なら50.今なら60くらいまでで、その後は広くなった世間を狭めるようにしなければ、売った男気も枯れ落ち葉になってしまう。そのタイミングだが、呑みたくない酒を旨そうに呑み、野暮な野郎とも付き合うが、終いには懐が寂しくなり、身体もどこかおかしくなる。それも始末の機会だが、やはり連れ合い(嬶・女房)が肝心だ

 

外で一杯やっても寿司屋の土産は七寸(七寸の寿司おり)を持って帰る。それを肴に女房の前で一杯やる。女と遊んで酔って帰っても待ってる女房と座卓を囲む。改めての話もないが

世間のいい加減さから比べれば落ち着くもんだ。

そのうち意地を張らずに付き合いも遠慮するようになる。付き合い銭は出しても出役は丁重に断るようになる。これができなければ、人生の始末が付かない。粋な女とも離れがちになるが、惜しくなる男は野暮天だ。≫

 

竹本とはいつもビヤホールでは一緒だった。野郎どうしでは色がないので界隈の女を連れて行く。地下鉄から上がれば三越、松坂屋などのネクタイ売り場にいってビヤホールに誘うとやってくる。毎回違うので竹本に「レコ(彼女)ではないですよ」と断りを入れると、「形つけちゃいけないよ、わざわざ来るのは気が良かったからだ、いま目の前にいるのが一番だ。大事にしろよ」

 

竹本は養子だが義父は鳶頭の神様と呼ばれた竹本金太郎、高雄山に記念碑もある。

いや、親父と比べられるわけでもないが気負いはあった。彫りものもそうだが木遣りは適わない。楽譜はないが、あの頃のオヤジの木遣りを耳で覚えているが、なかなか届かない」

             

そんな竹本が再々言ったのは、

広げたら閉じるのが難しい。とくに誘われ、持ち上げられ、たとえ業界で大事なことでも、それが当たり前になって、自分もそれが天職のように思ってしまう。おおくは思い込みと欲だが、もたもたすると人に迷惑をかけることにもなってしまう。たしかに後に続くのが、「帯に短し、たすきに長し」では苦労もあるし、つれあいが稼業違いから来て、しきたりだの、粋だの、男気だの言われてもチンプンカンプンで逃げられることもある。

 このあいだも褒章をくれるというので女房と皇居に行った。鳶頭の礼装、しるし袢纏ではなく紋付き羽織だ。陛下も大変だ。こんな集まりが幾度もあって視察や慰問、観劇もある。政治家に頼まれて海外にも行かなければならない。いくら国民に近づくことが大切だといっても、皇居でゆっくりする暇もない。それと神さんも奥の方で鎮座しているから有り難味があるが、あまり表に出てくるようになると馴れがでてくる。喰ったり飲んだりも人前に晒さないのもやせ我慢の江戸っ子なんだ。≫

 

                  

         松平容保 討幕軍から追われ青森むつに転封させられ斗南藩を創設

                 

         松平容保の縁者を妻として、おしるしは会津に縁のある「若松」の秩父宮殿下 

 

 

先帝の昭和さんは「私が外出することで国民の普通の生活を制約してたりするので・・・」と、あまり出かけなかった。マスコミに妙なことを書かれることも少なかった。

近ごろでは出かければ衣装や泊った場所、なかには行楽シーズンに車列を整えて観光客の車を規制渋滞させて山歩きするなど、皇室、いや皇室のアットホームな姿を人々に見せるようにもなった。

 

奥の方からお出まし願ううちは好いが、万たび鑑賞、観劇、スポーツを見せられたのでは、゛目垢゛がついて有り難味もなくなる。私事(プライベート)は隠れてすることだ。覗きや見世物は立場違いを薄めて、゛何ら俺たちと変わらないじゃないか゛と思うようになる。親父も博打や女遊びをしたり酔っぱらって喧嘩もしたが、渡る世界も分別しないで親父をバカにすることはなかった。いまは男女ならずとも親子同権のようになって、親子喧嘩、子供の非行、不倫などの制約のない煩いが増えている。

 

先帝が御病気の時、人は「かわいそう」と言ったが、どこの家で親父が具合悪くて可哀想というか。どこか関係が曖昧になっている。俺も学校は出ていないがそのくらいのことは分る。

それと、代繋ぎが難しい。親が果実の生る木だと思っても、子供は枯れ木にしか見えないことがある。ましてアメリカンファミリーのように夫婦と子供の家庭なら飲み食いや旅行もまとまりやすいが、家となると自分の判断は先祖、親、自身、子供のことを考えて今を判断するが、環境の違う嫁がくるだけで統一もなくなり、しまいに暗転することもある。

 

精一杯、でき得る限り、と我が身を国民に晒しても、元気なうちはあれもこれもと出役が増えてくる。出ないことの役割と目の前に出る役割の威力は今後のことだが、どこかで狭めなければ政治家の新年会や忘年会廻りのようになって、来なければ批判の対象にもなる。だからと云って無理をすれば跡継ぎは大変だし、後継ぎなりの方策さえ難しくなってしまう。

自分の時にできた付き合いは、自分の代で始末をつけなくてはならないだろう。

お出ましになることより大切なことがある。

 

不特定多数の人々に近づくとは、同様な趣味や嗜好を好むものでなく、多くの国民に御姿を見せることではない。ことに国民を煩わせ熱狂する騒ぎを起こすものでなく、鎮まりを促すものでなくてはならない。後の天皇が子供背おぶりを被写体に晒し、車列を整えて私事である我が子の課外授業に押しかけることなど、日本人の倣いにある慎みある行動ではないだろう。

 

ときに、浮俗の欲望が支配する今どきの価値観に異なることを恐れず棹差すことも必要となる。人に「添う」が、存在のそもそもの本意に「沿う」ことでなければ、本来あるべき信をいずれ毀損することにもなる。それはいつの間にか微かになる心であり、更新や覚醒に購えない肉体の衰えであろう。

 

結果の「御答え」には応えるべきだろう。だが国民の学びとして感じたことは、幼・青・壮・老の始末に課された勤労だけでなく、代を繋ぐ「分」の役割と存在を浮俗から離れて行うべきことだ。

 

              

 

再び竹本は言う

俺も稼業のためと意地で男を売りいくらか世間に貢献できたが、子供の教育は女房任せだった。それが役割であり、女房も分別が付いていた。お陰かどうか稼業の跡継ぎは実子ではない。広げたものを狭くすることは難儀だったが、己にあった欲が見つかっただけ助かった。近ごろでは死んでもないのに俺のことを語りにするものも出てきた。それが聞けただけでも、いい人生だった。≫

 

「学歴もないが、このくらいのことは百も承知だよ」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒を温めて「鬱」を医す  08/9再

2022-04-07 07:04:36 | Weblog

Yamauchi Tatuo


行きつ戻りつの酔譚で恐縮ですが・・・


絵本作家 夢ら岡実果さんは「カー君と森の仲間たち」(文 吉沢誠)という絵本を出版して小中学生に増えている鬱症状から自殺について警鐘を鳴らしている。

内容は独りよがりにもみえる、思いつめた孤独感が他と接触し、認め合うことで錯覚した生き方を新しい環境の中で見つめなおし、そして自信を持った生き方を発見する・・というストリーだが、この絵本をスライドを使った、゛読み聞かせ授業゛を夢ら岡さんは行なっている。

この取り組みに対して学校、自治体、文部省が賛意を示し、その展開は全国的な取り組みとして拡大している。

いま小学生の十人に一人、中学生の五人に一人は鬱症状があるという(夢ら岡談)
たしかに読み聞かせ後の感想を生徒に聞くと、茫洋とした気持、目的が明確ではない、などを「鬱症状」とするなら、多くの生徒がそれに当たるだろう。

余談だが「ストレス」についても老若男女を問わず、感ずる、ある、が大部分だろう。つまり思い通りにならないことが数多の内部障害的症状に出てくるということである。

そこにカウンセラー、心療医師、研究者教師、はたまた占い師などが切り口の異なる原因論、解決策を提示し、その選択は「鬱」と自覚、あるいは認定された内部障害者に委ねられている。つまり症状を持つ人が多くなったと同時に、社会の表層に現れたとき、とりわけ「鬱」に関わる人々も増大し、社会現象としも耳目が集められるようになり、人間が「個性」という文字に括られたように、過去の歴史には今ほど表れることのなかった「鬱」が、触れてはならないことから、現代の病として定着しはじめている。

症の高低はあるが、無気力、虚脱、は競争社会には付き物だというが、

自己を知らずに競争に混じり敗北感を味わい自信をなくす。
馴染まない、あるいは似合わん事に手を出し混乱し、右往左往してしまう。

これらは、たとえプロパガンダで誘導されたとしても事前の観照や思索が無かったと諦められるが、自己に還ることの出来ない場合は「ストレス」「鬱」という自己認定が幾許のダメージを和らげてくれることもある。



Yamauchi Tatuo

「鬱」に真贋は馴染まないが、重度、軽度に評される他からの認定は、これが見た目症状ではなく、患い病としての医療処置が施されるべきことだが、筆者は天邪鬼にも「鬱」と対に発せられる「躁」についても考えてみた。

よく、゛躁鬱が激しい゛というが、前後の起伏が交互に訪れる状態を言うのであろうことを理解の前提として考えると、躁にみる騒がしさとの関係はアカデミックな論を外にして、躁鬱交互とは落ち着きの無い騒がしさとも観える。

ならば「躁」を考えることで「鬱」の理解程度も高まるのではないかと考えるのである。歳を増すと感情の度合いが弛むのか、それとも落ち着きが増すのか前後交互の節目が曖昧になる。肉体的鮮度?なのか、コントロールが効くのか躁鬱の調和が取れてくる。もちろん鬱や躁という意の持つ有効性と負荷を経験則で学んだ故のことだが、ことさら忌諱する文字でもないことを理解している。

またそのようになったときの対処を己に合った方法で解決している。


Yamauchi Tatuo

つまり、手軽な相談者や受診者にならないものがそこにある。

「酒を温めて鬱を医す」
食生活の変化もそうだが、よく肉を食べると冷える、根菜を食べると温まるという。風邪に葛根湯というが、葛の根を炊いたものを飲むことで身体を温めることだが、芋を食べていた敗戦直後の女性の体温は37度だが、ベジタブル、肉食グルメの近頃の女性は35度~36、これでは冷え性から便秘、体毒が滞留して関節の痛み、肌荒れ、そして「鬱」が顕著になる。

近頃では馴染まない世界で抜け切れない状態が「鬱」を招くという。だが理解の許容を云々するより、目的、使命の置き所と無闇な合理や計数との整理不可など、自と他、つまり公私の間の涵養が欠けると「鬱の棲家」も浮俗の許容に届くらしい。

それらは際限のない欲求とともに、内在的不満、要らぬ恐怖心を発生させ容相まで変化させる。誰のせいでもない「欲を少なくして貧を医す」である。

ならば「躁」を賢人はどうしたか。
「静座して躁を医す」
まず、不安から群れる徒党の騒がしさから離れ、独り静かに座って目を閉じることだと教えている。

どうも人間から発した欲望がコントロールを失い、それが社会の現象となり、育て上げたモンスターが一端降り注げば、それから逃れる為に乱舞し、あるいは殻に閉じこもる。しかし乱舞に疲れ、殻の居心地を考えたとき、解決策の無い亡羊とした世界に独り置かれたようになってしまう。

民主主義の発祥といわれるギリシャ都市国家アテネ、ローマ帝国、日が落ちることの無いといわれた大英帝国、アジアの大清国、そして今は米国も歴史の栄枯盛衰に倣って衰亡しようとしている。我国もその淵にある。

それらは繁栄の渦中に何を見て、何を国家なり民族の目的とし、行く末として観たのか・・・
人々には共通した嗜好があり、目標があった。
「温泉、グルメ、旅行、イベント」それが繁栄が誘引した幸せ感だった。

財貨と国威影響力を用いた支配地域への旅、世界の美味、浴場にみる快楽、そして奴隷の闘いと競争(スポーツ)が過度の刺激として際限なく増大した結果、民族は弛緩し国家は滅んだ。

あえて過量な酒と薬草で「躁」(トランス)状態をつくり性を快楽として、その後表れる「鬱」をも陶酔として愉しむようになった。それは病的な鬱とは異なり人為的に躁鬱といわれる症状を愉しんでいる。また自己の肉体さえ改造し、変形させてあらゆる欲望を昂揚させてもきた。終には天国や楽園をおもって自らの命を悦楽に捧げるものも出てきた。民族のカオスである。



                Yamauchi Tatuo

自省を鬱的(的→のような)ものと観て、自己陶酔を躁的と理解するもいいだろう。
ただ、我々が字句に囚われ、スポットとして関心を持つようになったことで多くのエネルギーを費やし、解決の無いまま多くの問題を浮遊させていることに、幾許の関心を抱くべきだろう。 反核、人権、平和、平等、自由、民主、総じて美句である。

アノ頃は言われることも無かった。科学は新しい問題提起として部分の探求に勤しむあまり、多くの刺激的字句を命名し発表してきた。分野としての功はあるが、果たして人々に安心を与えたか・・・誰にでも当てはまるデーターの差異と、見るからに利便に見える科学からのシャワーのように降り注ぐ、゛お知らせ゛は、より人間の心身にスパイラルにも見える負荷線を提示しているようにも見えないだろうか。

標題に戻って付け加えるが、徒党を組み酔いにまかせて悪口を言う、これは悪酒で身体にも悪い。

まずは独りで酒を温めて杯を傾けることだ。それを悦楽とすれば良き友も自然に集うものだ。

冷でも温でも和酒は対応する。なにか日本人の自助の姿に似てはいないだろうか。







コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする