まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

4%金利で毎年40兆円の利子 2022/10 再

2023-11-30 03:38:54 | Weblog

萬晩報 伴武澄

高知発 元共同通信経済部

 

アメリカの長期金利の利率は4%。普通の金利に近づいている。

日本は20年以上ゼロ金 利が続いている。

失われたものはとてつもなく大きい。金利上昇には当然メリットとデ メリットがあるが、日本に金利が戻った場合のメリットについて話したい。

日銀が6月27日発表した資金循環統計(2022年第1四半期)によると、家計金融資産額は 前年同期比+2.4%の2,005兆円と過去最高となった。このうち、現金・預金が1,088兆円 で、全体の54%を占めている。

この1000兆円だけでもアメリカ並みの4%で運用されると 国民は40兆円の新たな資金を手にすることになる。まずこれは消費市場において政府が これまで打って来たどんな経済対策より強力である。

次にこの40兆円には20%の税金がかかる。8兆円である。政府収入が8兆円増える勘定と なる。年間予算規模100兆円からすれば、政府もまた巨額の財政収入を得ることになる。

毎年、巨額の国債発行を余儀なくされている財務省からすれば、金利上昇はなんとか阻 止したいところである

1000兆円もの累積債務を抱えているから当然の話である。

しか し、金利が4%となったところで直ちに発行済み国債のすべての金利が上昇するわけで はない。新発債プラス過去の国債の借り換え債の金利負担が増えるだけ。

その合計が仮 に100兆円あったとしても初年度の金利負担は4兆円。金利にかかる税収増の半分で済む。 もちろん2年目には8兆円、3年目には12兆円となり、10年後には負担増は40兆円となって しまう。

北京の友人作

 

しかし、先に示した40兆円の金利収入は毎年発生する。その経済効果を考慮す れば、経済規模の拡大につながる。 忘れてはならないのが、年金の積立額である。年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF) の直近の発表によれば、年金の運用資産は195兆円である。

4%の金利で回せば、約8兆 円弱の金利を生む。過去20年の利子・金利収入は45兆円弱。年間平均2兆円でしかない。 8兆円と比べれば4分の1にしかすぎない。金利上昇は年金会計にとっても朗報であるは ずだ。

 

もう一つある。90年代以降、民間への天下り先を失った霞が関は景気対策ごとに数えき れないほどの外郭団体を設立した。

虎ノ門周辺にはそんな外郭団代ばかりのビルが少な くない。何十億円単位の基金はもちろん税金から支出された。

当初、金利益を生み出し て組織運営が支えたが、ゼロ金利以降、政府からの補助金や助成金に依存せざるを得な い体質なっている。金利収入が回復すれば、補助金や助成金の大幅削減につながる。

自民党の最大の愚策は金利ゼロ政策である。

ゼロ金利はもともとは金融機関がつぶれる ことへの対応から始まった。早い段階で解除しておけばよかったのにそれが出来なかっ た背景には、巨額の財政赤字を補填する国債発行がある。

ゼロ金利ならどれだけ国債を 発行しても財政への負担とならない。結果的に日本国は1000兆円を超える借金をつくっ てしまった。

逆説的に言えば、ゼロ金利で国民は大きく富を失ったことになる。

しかし、問題は日本 経済の500兆円程度のGDPからどうやって40兆円の利子払いを捻出できるかということで ある。

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観人の妙「飼い犬に手を咬まれる」とき

2023-11-29 03:06:41 | Weblog




同郷、道縁、政治で言えば派閥などでよくあることだが、ここでは、゛咬まれた゛ときの咬むほうと、咬まれた側の応答に、愚かさと賢さをみるときがある。

時代の推移と共に老、壮、青、小が入れ替わり、夫々のステージが変化してくるのは常ではあるが、無常観(一定ではない)をどのように消化するかは栄枯盛衰の流れを、どう捉えるかによって大きく左右され、不消化は怨嗟、反目になり、うまく消化すれば人生に重層された許容なり度量として賢く自身に内包される。

一方、咬んだほうは高邁、狡猾になり、人との関係を計算高く見るようになる。とくに理解が半知半解であっても歓心を買うことにずる賢くなり、たとえ相手に道理が整っていなくても利のために追従し、かつそのような考察や行動が習慣化して軽薄な人物になってしまう。

また、一方では往々にして理想を語り、大言壮語して生真面目さを装い、見るものを底の浅い人物として固定されてしまうようだ。




             

       ジープに乗る左 菅直人 市川房江

  


                       関係サイトより転載



以前、市川房江氏と菅直人の関係について同様なことを記したことがある。
政治の部分のことだが、若き野にして粗のごとき青年を可愛がって、手とり足取り教えたがその厳然たる埒(らち)である、間合い、囲いの許容を越えて、隣の飼い主や反目する飼い主に歓心を売り、ついには埒外のさもしい権力に尻尾を振る、ここでは犬のバーバリズムではあるが、人間の信念や道理からすれば「許せない」状態になってしまう。
いわゆる「野にして粗にして卑ならず」ではなく、市民という衆を用とした一種の権力を窺がう「卑」だったのである。
しかも、上っ面の半知半解なりに口舌巧みで、何よりも未熟さゆえの清風の錯誤が社会の軽薄な夢を怨嗟、反抗に乗せて上昇させた。

明治の気骨は、中央集権のもと俯瞰した国家観とともにそこに共存する人々を「国民」として、平和安定と繁栄のための連帯と調和をもとに養われている。
またその制度なりシステムが徐々に劣化し、人間の欲望の交差がスムーズに進まなくなり、かつ速度や量のコントロールが効かなくなり、ひいてはそのしわ寄せが弱い立場に積み重なることを憂いて、既得権益や劣化した構造に対して改めて一般生活の原点から考え直そうとする市井の国民のための運動がおこった。

公害問題の田中正造、神社合祀による神域自然破壊に抵抗した南方熊楠などは国家権力というより国家の機能に関わる人間、つまり立身出世の風潮に堕する官吏や、それらが起こす法治上の罪無き不作為の連鎖に対する已む無き行動であった。

今はどうだろう。かの思想にいう階級闘争や無責任な私情から発する嫉妬が「国民」を分化した「市民」という名において行なわれているようにもみえる。

言い換えれば国家国民を大義として謳う既得権力と、一方では異なることを前面に市民を屏風なり己のガードとして、平等、人権、平和という恣意的なファッショを用し、ここでは反論さえ許すまじと、便宜的大義を前面に出すような簡便左翼運動が起こり、安逸の世から人々がそろそろ気がつき始めた既得権者に対する嫉妬の代弁者として社会的位置を占めるようになった。

つまり明治の田中や南方が一部の困窮を不特定多数に照らして為政者に対して、しかも人権と平等などの理解が乏しかった世情において衆を恃まず行なった烈行にくらべて余りにも魂の熱情が感じられない運動家の発生だ。








関係サイトより転載


そのウエーブやムーブメントの行き着く先は往々にして政治権力に志向する。
田中は議員を辞め、南方は自身を名利から遠ざけた。以下に記す市川房江も赤尾敏もその点の矜持は同じだ。だから無条件な信頼もあり時節のヒーローでもあった。

それは経験情緒を重責された人物によってはじめて成されるものだ。市川氏と仲の良かった赤尾敏氏も浮世の勝手な左右のレッテルには頓着せず、自身に合った行動をとっている。共通していることは人と共に可能性を抱える許容がある。

大塚の赤尾氏の道場にはキリスト、日蓮の掲額と山口おとや氏のデスマスクが安置してある。
なぜキリスト、日蓮なのか・・・、筆者は問うた。

「彼等は命を懸けて語った。いまは命をとられなくても語らない」

山口二矢氏のデスマスクは・・・
「彼は僕の話を学生服を着て隅っこで聞いていた。詳しく語ったことは無いが、僕の精神を彼は受け取った。行為には色々な姿があろう。赤尾が指示したんだろうというが、僕は人の行為は責めても命の大切さは分かっている。だだ、考えが乏しく立場は弱くても、そのような国民を路頭に迷わすようなバカな政治家は許せない。山口君は僕の話を聴いて決起した。僕の責任でもある。だから何といわれようと大切にしたい」

゛オレは指示していない゛゛知らない゛と口舌巧みに逃げることは簡単だが、こと青年の志操堅固を育みの原点として、たとえ行きずりの縁であっても迎えるものには誠心誠意応える姿勢は明治人の至極当然の行動であり導き方だった。

赤尾氏と肝胆合い照らした市川氏も同様であった。
たとえ若輩で口舌巧みな青年でも、゛何か゛を見たのである。それは善き変化を期待し、かつ、単なる知学反抗と教養を具えた反骨の気概をもつ人物にしようと、良なるお節介゛を行なった。




                    

             大丈夫とカイワレを食う 菅直人


                         関係サイトより転載



市川はその青年を「許せない」と呟いた。
周囲はそれを「恩知らず」と感じていた。だだ、観る目がなかったと思いたくなかった。
期待は正しかった。そして繋げることを期待して、゛青年の臭い゛を荒削りの、゛薫り゛として錯覚したのだ。

尽くして欲せず、施して求めず、これが運動家としての矜持だろう。
特に市民を旗印にしにしているなら尚更のこと、彼の政党のように弱者救済に名を借りて階級闘争ならぬ分裂を促し、且つ、゛さもしく゛も゛卑しい゛人々を増殖させるなど、呼称は左翼市民のように取り纏められてはいるが、半既得勢力イコール自民党だっただけで、いまは姿形も捕捉できないような官吏や食い扶持議員、労働貴族に対して、よりその狡猾になった群れに増殖した。

今なら赤尾、市川は連携して挑むに違いない。
赤尾氏は笑いながらこういった。
「市川とオレはババアとアパッチのようだ」

市川はそれを理解した。
志操なり行動はその関係性を論ずることより、結実させる連続性にある。
人を観るにも、得るにもその行動性が重要になる。とくに市民のありがちな怠惰な既得権、あるいは権力機構に巣をつくる食い扶持既得権などに抗するには、己の欲を省きつつも、それらの既得権者の群れも国民の一翼として眺める鷹揚さも必要になってくる。
あの上杉藩政改革の旗手も鷹山と称したのもそのせいか、器量でみる許容の広さなのだろう。

また、その度合いと許容の問題を考えるとき善悪は問わず生き様として営みを忖度する心が必要になってくる。それが度を越した忖度は看過無作為となるが、判断は善悪の高低ではなく内省の精神の乏しくなった「愚かさ」の多少に向かわなくてはならない。
なぜなら、「愚かさ」は、人心のにいう情緒性の豊かさが乏しくなっとき乱れるものだからだ。
忖度は関係の継続性であり、恩を還す、つまり人々に巡らせることなのだ。

市川とて己の心は克服するとしても、公に貢献する人物として青年に白羽の矢を立て、しかも結果として口舌に乗り、従来の同志の道を遮ったことに己の人の見る目を責めつつも、至情に感応しない青年の似非日本的にも映る心根に慙愧の念を抱いたに違いない。

為政者の流れにも同じことが言える。
佐藤から意中の福田ではなく田中、田中派から竹下派、咬むほうも咬まれるほうも大義はある。そこに個人的な事情や仲間の事情はあるだろうが、つねに、゛裏切り゛゛恩知らず゛が付いて回る。
また、ほとんどといっていいほど「金」に纏わるハナシが添えられる。

経済界とて三越も服部時計も重役の計略による役員会の反乱だ。罷免されたほうからすれば飼い犬に手を咬まれたと思うに違いない。

職人とて手塩に掛けて教えた従業員がいつの間にか親方の客をとり独立する。往々にして義理や人情をそえて継続していた取引先が代替わりしたときが勝負になる。しかし結果は良いとは限らない。状況が悪くなっても親方には戻れない。しかも親方と取引先が復旧したら何もかも虚ろな状態になる。

縁の巡りは自然の循環と似て多くの純利を生み出す。計算で届く経常利益は無駄な行為と経費、とくに蛙が大きく見せようと腹を膨らませて破裂するのに似て己の柔軟ささえ無くしてしまう。

中川一郎氏がゴルフ談義で総理立候補をにおわせれば、田中角栄氏は「元気で泳ぐ池の鯉も陸に上がったらお終いだ」と、厳しさを隠して優柔な応答をしている。

昔は離れていくものに罵詈雑言を投げかけるような野暮はいなかった。人物なら当然な度量であり、一種の我慢だった。騒ぐのは周りである。

ただ、上手く立ち回ってもそんな人間が「長(おさ)」になったら、他に対する印象は事のほか軽薄になる。家族も会社も政治も数値評価や目垢の付いた見栄えではない。

あの時の青年よ、今からでも遅くない、国家の集積養土となった森羅万象と協働した人間の生死を想起して報恩の心を興し、己を内観することだ。幾らかは鎮まりをもった思索なり観照が叶うだろう。

口舌はその後でも決して遅くない。

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少々昂じた書生論のようだが・・・   2008 あの頃から

2023-11-25 07:43:53 | Weblog

 

             ベンガルの哲人 タゴール



中華民国(台湾)のカウンターは北朝鮮か。ブッシュ政権末期、台湾は国民党政権になり新任の馬総統は大陸との関係交流を一段階上げたようにみえる。

その台湾と貿易関係にある北朝鮮は米国ヒル代表に対して核開発の凍結を伝え、ライス国務長官は敵対的関係と制裁の解除を予告している。

それに呼応するように外務省は北朝鮮交渉当局者との会談に入り、どのような経緯か拉致家族や関係者には分からぬまま、国民には唐突に思える制裁解除の手続きを始めた。
しかも、その舞台装置はヒル次官補が再三にわたり事前会見に、おいて「拉致」を条件とする、いや日本政府になり代わって拉致家族に伝えるメッセージのように聴こえたのは妙に回り舞台の駆動に似た感じがした。
これは北朝鮮を影響下におき、世界のATMと揶揄されている日本の助力で陣営の間断材としてみているかのようだ。
今までの友が先祖帰りしつつあるからともみえる。

国民に説明しなければならない政府当局者が、外国高官に其の任を委ねるような順序だての後に来る役者と舞台は、万景号と拉致被害者の帰国と国交正常化なのだろうか。
いや、正常化を否定するものではないが、東北アジアのグランドデザインを鮮明にし、かつ理解判別が乏しいかもしれないが、国民に勇気を持って示せないものなのか、その危惧を感じるものである。

我国はいつまで大国の後を追い足下に置かれなくてはならないのか。あの日本海へのミサイル発射によって脅かされると、MD(ミサイルディフェンス)のためのミサイル購入に数千億を支払い、大国の意向が変わり、忘れやすい国民の喉もと過ぎれば援助に数兆円、何たる国家になったのだろうか。

いつもの事だが、米国の後追い対策に政府外務省の拙速さが見える。現状追認が倣い事のようになっている政府だが、「欧州の情勢は不可解」と迷言を残して総辞職した戦前の政治状況と情報解析に拙い政治家、官吏の醜態は変わらないようだ。

いまアジアは、良くも悪くもアメリカの影響下、あるいは支配下にある。

歴史上、アジアに食指を動かしたのは大英帝国によるインド、中国、オランダによるインドネシア、フランスによるインドシナ(ベトナム)、遅れをとったアメリカはフィリッピンとそれぞれが未開で野蛮と思っていた亜細亜から彼らのルールによる貿易や為替を通じて富を掠め取った。
そんな姿を先進国と模倣した日本も追従したが、チームから弾き飛ばされた。

今の理解では届くものではないが、あの時代は彼らのサロンに参加するには鹿鳴館の洋風仮装衣装や模倣のような憲法、そして軍事力と自国以外の版図を持つことが欧米の認知度だった。
繁栄と成功の尺度は、秤の形状や目盛りの尺度まで西洋化されなければサロンの一員とは認められなかった。今どきの黒髪を茶髪に、賓客にはフランス料理、看板も資本主義、民主主義と、けなげにも彼らの模倣が平和と繁栄のセキュリティーのように思っているようだ。

植民地主義がアジアを席巻した頃、オランダは国家予算の40%近くをインドネシアから収集している。ちなみに投資の回収ではない。インフラ設備にある道路や学校をつくりインドネシアを発展させたわけでもない。

いくらか野蛮性が文明の衣をまとい始めると、そのコスト高の為に彼らは撤退し、コントロールの手段だけを残した。インドネシアと東チモール、南北ベトナム、南北朝鮮、インドもしかり、イラクとクゥエートも分断され、まるでチェス盤を愉しんでいるように民族融和の障害を遺している。
冒頭に記した北朝鮮も東西冷戦の理由としても、機に応じて対中国、韓国、日本のカウンターとして動かされているようにも観える。それは現実の分析ではなく、近未来の結果として翻弄される近隣諸国の姿が映し出されるからである。
つまり、理屈では読み解けない独特のソフトとノウハウのもとに行なわれる企てのようだからだ。

敢えて区切るとすれば、戦前は彼らの国に無いもの、香料、陶磁器、紅茶など一次農産物や文化的文物だったが、戦後は復興に伴う購買の欲求から金融を餌にアジアを消費地として、しかも独立の端緒にみられる専制に似た集中的権力に向けて、自由と民主というアジアにとってはある意味では、゛きわもの゛を挿入しながら、人々を物質的欲求に昂進させ、国家のあるべき姿である固有の連帯さえも融解させている。民衆には金を貸すから品物を買え、しかも後払いの分割を歓迎すると・・ 妙なシステムに慣れ親しんでいる。

「太平」は戦争のない世界、「平和」は戦争の合間だという。また中国はその策謀を「平和演変」とも云っている。確かに北東アジアの国々は巧みな技法を駆使した外交を行い、一過性の現状を解消、もしくは先延ばししてきた。
しかし、明確であるべき意思が、どこか舅、小姑に遠慮して消化不良に陥っているようにみえる。それは常に「種」を残しているようにもみえる。
昔、岡倉天心が「アジアは一つ」と唱えたが、考えれば、゛一つにしてはならない゛あるいは、書生論かもしれないが、共通エリアに棲み分けられた民族同士の互恵、互助を良かれと思わない人々が厳然としていると天心は言っているのだろう。


翻って情緒的にも「ほど」を弁えた民族であった民情も、それらのチームの渦に翻弄され、資本集中と目標設定のあった統制的経済の終焉と相俟って、消費欲望の多様化と進捗は、おのずから複雑多岐な民情を生み出し、かつ巧妙な消費プロパガンダによって、その用とする金融は生活様式を変えるほど消費物質の流通を促し、その相乗作用は読み違えた繁栄を発生させ、国家経済はもとより、勤労、倹約などという民族の矩をも後戻りできないような状況に陥っている。

よく、組み込みは得意だが、ソフトは別段の感性ある欧米人には適わないという。
また彼らの意思に沿ったシステムやルールによって構成されたグランドのデザイン力は、つねに人間の陥りやすい、行き着くところを俯瞰し、かつ時間を管理している。

その能力を駆使した北東アジアのグランドデザインは、ソフトパワーとハードパワーを交互に使い分け、そのエリアにある国々の事情を特別な意志をもって観察しつつも、煩わしさを隠しながら、その企てを詳(つまび)らかにはしない。

またそれを補っている勢力がこの地域には多く存在するのも阿諛迎合を性癖とする民族の、侵入を誘引する事情でもある。
それは、自らの政策行動を絞めることでもあり、ついには大国に寄生する国家となってしまうだろう。

中国が龍になりかけている現在、アジアは脅威とみて伏してハードパワーを引き込むのか、それともアジアの意志によってソフトパワーを構成するか、あるいは中華民国(台湾)と北朝鮮を、龍を取り巻く駒としてバランスをとるかのような考えに同調するか、各国が胸襟を開く機会が到来している。

先ずは左右両派に纏わりついたかのような残滓を払拭し、その地域内の棲み分けを確認して民衆に目を向けることだ。その下座観がなければ歴史の俯瞰も無く、ましてや栄枯盛衰から読み取る民族智の恩恵も無いだろう。

これはアジアにとって千載の機会であり、潜在する民族情緒を共通グランドによって融和させるために歴史の要求する節でもあろう。
逆賭すれば、今その良機は眼前にある。  

 

「逆賭」・・・ 先を見通して今を行う 先見性

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税と警察の姿で国民の信を得ることができる   14  1/20再

2023-11-22 01:38:30 | Weblog

岩木神社

 

税と警察には政治家も腰をひく。

目の細かい投網のような選挙法は警察のさじ加減でどの様にもなる。

税も同様にサジ加減が利くが、警察の正義、税の公平が崩れたら国は自ずと融解する。

国会でそのような分かり易い国家の根源的な論議は聞いた事はない。

議員ですら口を封じ、いや問題意識すら抱かない、それよりか見て見ぬふりが現状なのだろう。

 

1989北京

近ごろはこの様な元気すらない日本。やはり仕方がない諦めか。



標記は漢学者の安岡正篤氏の筆者につぶやいた呻吟でもある。
くわえて子息正明氏もその経歴にある税務大学校長の経験から父の言をなぞっている。
筆者も一方は自宅書斎で、正明氏からは小会(郷学研修会)で同様な社会観察、歴史考察から同様な憂慮を聴いた。

当時、安岡氏の周囲には多くの集いがあった。
何を意図しているかわからない経済人、政界関係者、あるいは人脈の必要性を「あの人を知っている」類の集まりを募って仮想、偽装の弟子と称して商業言論、売文に勤しむジャーナリストもいた。

なかには出自に劣等感を持っていた投機家は出版会社を作り売名に目ざとい商売人を表紙に顔写真をデカデカと掲載し、安岡氏を始めとする名のある言論人、教育者の論文を種物ページにして、会員制の月刊誌を販売しているものもいるが、終には巨額の脱税で逮捕されている。





安岡正篤氏


その集いだが、警察関係のキャリアが多く参集していた。安岡氏の大きな会合には公安関係者がカメラ片手に参会者を撮っていたが、氏の国家的思想、右翼的人脈などと勝手な枠組みがあったようだが、参会者の警察官僚の多くは実直な学徒として存在していた。
もちろん官界も大蔵省をはじめとして各省の多くのキャリアが参集していた。

その安岡氏が税と警察の姿勢に言及し、その面前権力の姿によって国民は国家の意志を観察し、税の公平、警察の正義を為政者の秤として、それを倣い、その意向を、息をひそめて観察していることを社会の下座観と無名の庶民の視点で憂慮していた。

いまは税収も取り締まり件数も、その評価は総て数値になっている。官吏とて新税の在り処を探り、罰金も網の目のごとくその種類は多くなっている。罰金のキックバックは数百億、とくにあの二人組の緑装束が出てきてからは交通関係から生ずる罰金、反則金は膨大な量になっている。交通安全に寄与することは国民も承知だが、些細なことで己に降りかかってくるようになると、どこか首を傾げざるを得ない。





川路大警視



都内には通常の通い交番のほかに駐在所がある。家族で住み込み地域の行事に参加したり、啓蒙パンフレットを作成して配布したりして地域住民から信頼される存在である。交番には住民の旅行みやげが届けられ、駐在さんは四方山話の中から地域環境を読み取りつつ、また住民も面前の出先権力の姿として安心感を感じ取っている。ときに結婚式に招待されたりもする。
「ところで地域内の駐車違反などはどうしているのですか」
すこし意地悪い質問だったが笑いながら応じてくれた。

「住民が困って通報してきたら対処しますが、駐車違反を探し回ることはしません。事前対処、防犯ということも大切ですが、警察と住民を離反するようなことは、本題の防犯協力や警察のいろいろなお願いになじまないようです」

繁華街と住宅地の違いはあるが、地域住民の見る目はこの駐在さんと変わりがない。ただ、上司が駐禁の成績ノルマを課したらどうだろうか。いや、国民がそのような覗き方をすることこそ良好な関係を壊すことを心得ているから、駐在さんにはそのことを聴くことはない。その点はまだ信頼関係が残っている。

駐在さんは、権力は国民からの預かりもの、と考えている。組織の都合で恣意的に罰金なり反則金という庶民の財を取り上げることは警察本来の目的とは違うことだと、峻別している。

その人柄ゆえか、転勤には盛大な送別会が催され、惜しまれて転地に赴いた。一昔前は校長、医者、警察官は子供のあこがれの職業だった。安定高給を担保にしてはいなかった。みな別れを惜しみ縁への感謝として、よき目標としてその人格を懐かしんだ。









街中では税官吏との接触は少ないが、若い官吏のトレーニングなのか、ときおり商店や法人事業所に調査に入るが、ことさら便宜を意図しない人の善い主人が昼飯の用意をしても、腹を減らした若い官吏でさえ丁重に断る。なにも手心を加えてほしいわけでもなく、「腹減ってるか」は、ごく普通の日本人の縁のなせる情だが、なかにはお茶さえ断る若者もいる。

新潟から出てきた若者が住み込み修行して独立、豆腐屋を営んでいた。人が寝静まったころ起きて冷水に手を入れ、仕込みをする。極寒なら難儀な仕事だ。儲けようと思えば豆乳に水を多く入れるが、とても食えたものではないと亭主は言う。

細かい税吏は大豆の量で豆腐の量を換算するがこの亭主には馴染まない。根掘り葉掘り質問するが、もとより亭主には説明責任などということは慣れていない、しどろもどろになると官吏は高飛車に問い詰める。

老いた女房はおろおろしながら買い物客を相手にしているが、官吏はお構いなしに亭主を引き留める。結果はなにがしかの追徴金を払い決着するが、面倒なので徴税に首を垂れる。医者でさえインフォームドコンセプト、つまり不明には親切に教えて処置の理由を伝えるが、税は言うもいわせぬ権力を振り回す。

税務大学校長だった安岡正明氏は若いころ東北の税務署長を経験した。洒脱な逸話だが、民情を察するためによく居酒屋に行った。もちろん身分を知る者はいないが、座敷の衝立の向こう側から男女の会話が聞こえてくる。いわくある女性と男のお手当の会話だった。
「このところ景気も悪くて税務署も厳しく、すこし負けてくれないか・・・」聴いているほうも衝立を隔てて吹き出しそうになった。税務署も使いようがある、と。

あのころは疑わしきは罰せずだったが、近ごろではノルマがあるのか疑わしいことを探すようになった。自己申告も国民の社会参加意識が希薄になったせいか、あるいは税の関する法が緻密を通りこして煩雑になったためか様々な場面で無理解が衝突する。それは投網をかけられた国民の側でなく、運用者側の現場に対する無理解と、委ねられている権力に対する意識が変質したようにも見える。税は国民のこの国への参加料だ。道路も歩けば交番では道案内もしてくれる.

だだ、面前の執行者に国民が税を添えて権力を負託した人間の意識が、単なる支配権力者のための官吏となり、そこに生活の意義や担保を見出している食い扶持官吏となると、国民、つまりタックスペイヤー(税を支払う側)からすれば不満が募る。さらに信用がなくなる。






山内たつお作


とくに標題に掲げた、警察の正義、税官吏の公平が衰えると政府の政策も届かなくなる憂慮だ。かといって、四角四面の硬直した運用もいただけない。
世情は生活安定を求めることに汲々としている。親は子供を公務員にと自然躍動の芽をつぶすことに邁進している。

公務員に人生観を問うものではないが、だだ、食い扶持安定のための担保としてその職を選択したなら、食い扶持の種である民の信頼を得なくては何の「公」なるか。

唯一の息抜きであろう狭い範囲の行動にも四角四面の法に括られ、組織に入ればコンプライアンス(法令順守)に縛られる。なんと愚かな自縛循環なのだろうか。
気が付いたら衰亡と亡国、世には「わかっているが、止められない」ことが多くなってきた。そして諦めつつある。光明を見出すのは些細なことだが、面前官吏の運用執行には自身に向けた問題意識を喚起することだ。

上しか見ないヒラメ上司を嘲る居酒屋談義よりもより良き人生があるはずだと、ゴマメですら歯ぎしりをしている。

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まちづくりに外国人の発想をという初夢  2015

2023-11-20 22:23:57 | Weblog

弘前城

これも既得権益つまり政官の利権が災いしているのか?


2008年の伴氏の章ですが、今と変わりませんね


萬晩報主宰 伴 武澄


あけましておめでとうございます。まもなく萬晩報は満10年を迎えます。ことしもよろしくお願いします。

昨年来考えていることは、日本の物価水準が世界的に安くなっているのではないかということでした。日本経済新聞の新年企画は「YEN」から始まりました。 アジアの人たちが日本で買い物天国を楽しむさ風景はまさに20年前の金満ニッポン人が欧米で繰り返したビヘイビアでした。

日本の物価が高い、人件費が高いといっていた時代はとうの昔に終わっていたのです。47ニュースの編集で頻繁に目にする地方紙の記事はアジアからの観光客誘致です。正月にも山形新聞は蔵王での韓国からのスキー客誘致の話題がトップでした。

日本の半分以上の地方空港には韓国の大韓航空やアシアナ航空の機体が並んでいます。不思議なのはそこにJALやANAのマークが少ないことです。

国境を海で閉ざされた国民の習性でしょうか、日本の国際化は日本人が外国に出向くことでしかありませんでした。日本に外国を招くことは日本人の国際化には ほとんどなかったのです。いまやアジアの国々から100万人単位の観光客がやってきています。それも年々二けたペースで増え続けています。

 中国人などは昨年3000万人もの海外渡航者がいたという話です。すでに日本の海外渡航者を上回っています。たぶん世界有数の人数だと思います。その中国人を日本に迎えないで、何が観光立国なのか。そう考えざるを得ないのです。

 年頭に買い物をしたヨドバシカメラでは、中国語、韓国語だけでなく、ドイツ語、フランス語、スペイン語などでも店内放送をしていました。20年近く前、新宿の百貨店で韓国語や中国語放送を始めるというニュースを取材したことがあります。隔世の感があります。

 姉が勤務する高知県のある大学では大学院生の3分の2が外国人でその半分が中国人だということです。その大学では中国人学生なしではもはや経営が成り立たないのです。姉の仕事は中国を始めアジアの大学との提携関係を強化して学生を高知に"誘致"することなのです。

 秋に何回か訪れた群馬県大泉町では日系ブラジル人によるマイホームブームが始まっていました。日系ブラジル人たちは出稼ぎから定住に切り替えつつあるので す。この町では住民の一割以上が外国人、つまり日系ブラジル人になっています。イギリスやドイツ、フランスなどと同じ水準になっているということです。役 場で聞いた話では「少し前まではゴミの捨て方などを指導していたが、今では自治会活動などに積極的に参加している」ということなのです。

 一時期、オランダ村、ドイツ村、デンマーク村などテーマパークが各地で生まれました。異国情緒を国内に持ち込んで国内の観光客を誘致しようと考えたのです が、多くが失敗に終わっています。逆に本当に外国人たちが日本の各地に住み込むようになる。そんなことは考えられないのか。町づくりに外国人の発想を導入 すればおもしろいことになるかもしれない。そんな初夢を描いています。

室蘭で中華街をつくる構想が浮上しています。実はある中国企業が熱心にそのプロジェクトを推進しているのです。

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還りたい あの頃のつずり あの頃 08 9/25

2023-11-19 00:52:51 | Weblog

 

夏が過ぎると候を待ち臨んでいたかのように草花が甦ってくる。
古より、「天高く・・」と詠まれているが、首(こうべ)を巡らせると透き通った円空が目の前の海に溶け込んでいるかのように水平線が混色している。

そこから海原を渡り水際から足元に眸を転じると、不思議かな視界が狭くなり,仕舞いには黙想状態になる。日頃世俗の事象に追いかけられているものにとっては、一瞬であろうが、言いようも無い独悦の刻でもある。

それは、ことさら憂いや悩みがあることではない、ただ還ってみたいと思い立ったのである。世間知らずのガキが憧れの車を駆って、よく訪れた処で、同じ情景を味わいたかった。時を違えているがガキのころの気持ちと何ら変わってはいない。

あの頃は嬌声に囲まれ騒いでいたが、今は浮世の戯言の訪れに口耳四寸を駆使するくらいにはなったが、゛独り゛の気分はあの当時と早々変わるものではない。
ただ、適わなくなったことがある。それは童心を想起することはあっても、応答に躊躇するようになったのである。


            
初春の称名寺 横浜市金沢区


今年の夏、幼子の手紙を読んでも、なかなか応答が叶わなくなった躊躇である。
それは不思議でならないくらいの吾が身への戸惑いでもあった。

齢を重ね、巳にかかるものには柔軟な対応が曲がりなりにも可能にもなった。老齢者の応答にも応えられるようになった。また大自然を吾が身に溶け込ませる意志も衰えてはいないと思うが、未だバーバリズムの残る幼子のメッセージに対して、純に応えられなくなった歯がゆさがある。

足元の砂を握ると指先から幾条の滝のように落ちる。浪打際に投げつけようとしても飛散して届くことは無い。

           
先人はこれを、゛無常゛というのだろうか・・・
情が無い「無情」ではない、常に定まることは無い「無常」である。
武士はその定まりと鎮まりを尋ねる「尋常」として、心の平常を尋ね(探求)冷静に対峙したのであろう。『尋常に勝負せよ』まさにそれである。

八景の一つ「野島の松」で有名な野島の寿司処、鎌倉の名刹称名寺の彼岸華、阪東橋の板さん、中華街の女傑、何かに追い立てられたような人物逍遥のあと、占領軍の名残があるグランドのバーで潤いはあの時と同じカウンターのシェリーだった。


             
 

いつもの部屋は変わり往くベイサイドのとばりをスクリーンに映すようにワイドに広がる。備えの紙片に何かを書こうとしたが微動だにしない。

早朝、高層からみる初秋の港は、いつもと少し違うようだった。自身の眸もいつもより大きく開いているようでだった。それは、手前勝手にも昨晩の逍遥が効ある刻だったかのようにも思えるものだった。そして自身に言い聞かせるように幼子への応えがおもい付いた。

「アリガトウ」と





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投票前提  吾は社会そのものなり. 9 8/20 再

2023-11-18 01:49:11 | Weblog

以下は前コラム「国賊的・・・」に対する東夷学徒さんのコメントに対する応答です。東夷さんの了解を得る手段もありませんが、拙文の趣意に免じて参考掲載いたします。



「われ未だ木鶏たりえず」 (東夷学徒)
2008-09-14 01:44:14


こんにちは。私の質問に対し、いつもご丁寧に返答頂き誠にありがとうございます。
自民党総裁選と並んで、今国民の視線が注がれている問題として、大相撲の外国人力士の大麻汚染疑惑?問題が挙げられます。

「われ未だ木鶏たりえず」という名言を残した角聖・双葉山の『心』の師であった安岡正篤氏がもし生きておられたなら、角界の一連の不祥事をどのように受け止め、一体どのような改革・再生に乗り出されたか、
天上の安岡氏に聞いてみたいと思うばかりです。




弛緩 (孫景文)
2008-09-14 13:01:51


国家が弛緩している、と考え、その因を「人間」の問題して軸の再興を描くと思います。

それを以って政治、経済、外交、など諸々の具体が動くものとの認識です。

予算も時間も掛かりません。男子三日会わねば刮目(かつもく)する。、といわれるように人は瞬時に変化します。覚醒もあればその逆もありますが、夫々の能力に合わせた触媒が必要です。

人間が繰る歴史の栄枯盛衰に観ると、国家に対する触媒は忌まわしいことですが、肉体的衝撃と純粋な血の感動のようです。

それは傍観から主体に自ずから移行することです。

それを超えるような全知全能の発動があれば可能です





以上ですが、その傍観から主体へ移行するとき、あるいはもともと傍観も無く、吾は社会なり、吾は国家なり、日本人の情緒なりと考えたのが、前記の老人でした。
その老人が記した金言章があります。再掲載します。



               





安岡氏は
「この金言集は単なる知識学ではない善行実践の銘とすべき岡本さんの言行録でもある。しかも逡巡することも無く習慣化している。如是我門とはおもしろい。」


冒頭はこの言から始まっている

以下、《・・》注訳、ルビは筆者
子罕曰く 《孔子は利益と天命と仁についてはめったに口にしなかった》
「罕(カン)」(まれに、めったに)

「貪らざるを以て寶と為す」
《我欲を放縦にして名利、財貨を貪らないのが心の寶だという気概である》
 

【賢 愚 月 暦】

一、賢は為すべきを成し、愚は為すべかざらるを成す。

二、賢は貪らざるを以て宝となし、愚は金玉を以て宝となす。

三、賢は苦言を噛みしめ、愚は甘言に使に便乗する。

匹、賢は己れを信じ、愚は己れを欺く。

五、賢は万物に感謝し、価は不平不満で日を暮らす。

六、賢は身心を磨いて道光を放ち、愚は爪を磨いて金色の夜叉となる。

七、賢は愚を庇い、愚は賢を嘲笑う。

ハ、賢は災害の未然防止に心を砕き、愚は災害の跡始末に狼狽える。

九、賢は礼節を弁え、愚は節度を知らず、思慮はなはだ浅し。

十、賢は人に処すること藹然、愚は人に処すること冷然。

十一、賢は詐らず、愚は詐りを以て智ありとなす。

十二、賢は機先を制し、愚は後塵を拝す。

十三、賢は善例を創造し、愚は前例に執着す。

十四、賢は失意の時は泰然自若、愚は失意の時は徒だ呆然。

十五、賢は仁の足らざるを頂礼、愚は金の足らざるを怖る。

十六、賢は利他を重んじ、愚は利己を先にす。

十七、賢は聖賢の書を愛し、愚はエロ、グロ漫画に耽ける。

十八、賢は善を布き、愚は悪を捨てる。

十九、賢は受けた恩義と羞恥は生涯忘れず、愚は咽喉元すぎれば何でも忘れる。

二十、賢は苦境に落ちて希望に燃え、愚は苦境に入ると怨嵯に燃える。

二十一賢は冗を省き、愚は冗を助長する。

二十二、賢は自然を愛し、愚は自然を破壊すに捕われて分別なし。

二十三、賢は奢侈を慎み、愚は奢侈を以て福ありとなす。

二十四、賢は怯まず、愚は怯を以て守ありとす。

二十五、賢は争はず、愚は争を以て勇ありとす。

二十六、賢は血税の濫費を恐れ、愚は血税の濫費を以て政治と心得る。

二十七、賢は身命を尊重し、愚は身命を汚辱する。

二十八、賢は意中の害虫を殺し、愚は身中の害虫を養う。

二十九、賢は力めて息まず、愚は休して怠る。

三十、賢は忍従に耐え、愚は忍従を逃避する。

三十一、賢は良識に勝れ分別極めて解明、愚は貪欲に強く人情に薄く、事物に囚 われて分別無し

 以上三十一項を以て賢と愚の月暦となす。

 何時の日か、誰かこれを見て反省のよすがになれば甚だ結構。

 

【如是我門】

《経文の冒頭にあり通常は「我聞」だが、岡本の場合は「我が門、かくの如し(人の説いたものではない、自分の意志だ)、との強固な表現となっている」

急がず、 躁(さわ)がず、 争わず

撓(たわ)まず、 怯(ひる)まず、 阿(おも)ねらず。



【優国賦】

《優れた国に授かったもの、あるいは詠むもの)「賦」(ふ、生まれつきとも)》

一、
良識とは、「文珠の智恵」のこと。則ち犬自然に順応し、賢明腺、裁量腺、神気腺の寄って集って滔々と流れる三腺合流をいう。
要するに、阿ねらず、怯まず、貪らず、天地神明に誓って毫も恥ぢない言行。

二、
叡智とは、法を以て律することの出来ないない事態に際し、速やかに善例を創造し、これを一刀両断に裁量する神気をいう。

三、
日本国民とは、日本国籍を有し、厳に放埓を慎み、善法に順い、常に感謝、欣労、奉仕の念に徹する人々をいう。

四、
福祉を阻むものは、

《岡本のいう「福祉」とは介護、扶養の意ではなく、「祉」神がとどまって国民が幸せなことだと言う。つまり神がとどまるような社会を阻害する人々に言は向けられている》

イ) 悪法といえども存続する限り、これに順い改むるを知らぬ愚か者。

ロ) 自国の古い伝統を疎かにし、蔑み、嘲笑い、徒だ一途に他国を礼讃する放将至極の不良の徒。

ハ)極悪非道、即ち詭弁、禁労、左翼(3K)

二) かばん、かんばん、めくらばん、(汚職、虚飾、無責任)

ホ) 愚政、招災、無頼漢、(亡国、呆然、傍若無人)

福祉を阻む「放埓」を自由と看倣し、看過する限り、愚政は愚政を産み、遠か
らず国家は売国奴の手中に渡るであろう

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裕福な家のメイドより、貧乏でも自由が欲しい. 15.8/13 再

2023-11-17 03:02:21 | Weblog


ある在日の若き韓国女性の呟きごとだ。

姉は結婚もせず事業に邁進しているが、独りよがりな強引さに妹は鬱陶しくなっている。
姉も淋しがりやだが性格なのか他人を信じない。また金で人はついてくると考えている。
別段、何に追いかけられているわけでもないが、つねに頭から事業が離れない。
姉妹は普段は人情もあり仲は良いが、喧嘩するとパトカーが来る激しさがある。

日本に来てスッキリしない自分の国の問題と情緒に染みついている感情は、ときに嫌になる。他人に烈しくみえるのは、我が解らない、いた堪らないなのかもしれない。
今まで周りは「我」として生活してきた。「自分」という考え方が習慣化されていないようだ。本当の自分を知って広い心で周りの人をみるべきだろう

だが、そうしなければ生きられなかった地域の諦観(あきらめ)なのでしょう。
儒教でもかたくなな朱子学の囲いなのか、文句を言っても姉から離れられない。もちろん経済的なこともあるが、姉も妹が自立して離れていくことに戸惑いがある。

こちらに来て感じ、おきた心だが、本当は日本に生まれた人が羨ましいのかもしれない。
でも、このように考えることができる不自由な生活中での自由な考えは、いままで心を支配していた金銭的問題や生活感覚の戸惑いを超えて、貧乏は不自由と考えていたことから解き放たれたような気分がある。

姉とは性格の違いもあるが、成功価値も安心感にはそれほど違いはない。
ただ、追われることと、失うことの恐れが余りにも現実を支配しているからだろう。
多くの日本の人は戸惑っても心の中で解決する。問題があってもどこかで自分のこととして次に期待をしている。

昔から比べて・・というが、まだ蛍が「こっちの水は甘いよ・・」といわれる環境がある。
自分を失くした憧れや過大な希望を抱かなければ、貧乏でも自由は楽しい










以上は真剣に吐露した自由の語りだが、それは知ってか知らずか日本人がよく使う「自分」という呼称を自然に駆使する日本人の気風を語ったことへの応えだった。
「自」とは、オノズから(自然)と、ミズからの意があり、否応なく老化する、心が怠惰になることを、化粧したり、運動したり、読書や宗教で自浄する相対作用がある。

しかも、「自」は己の中心に位置する「鼻」であり(自の下部は音記号)、己のなかで互いにせめぎ合っていることでもある。自制が勝れば怠惰にはならない。大食したり鯨飲しても、運動したり、精神を豊かにすれば病気にならない。放っておけば自然に劣化・老化することを、制し、抑える、つまり自己免疫性を高めることの促しを教えてくれる。
つまり、本性的欲望を否定することなく、程よく上手に使う融通性も必要なのだ。

そして自分の「分」は、不特定多数の混在する中での一人、つまり全体の一部分という認識が必要だ。家族でも国家でも「我」意識で云いたいことを勝手な合理性を唱えて主張しても調和はとれない。民主主義だからこそ「自分」意識が必要なのだ。
なにも個人の尊重は他人がすることでなく、いわんや己の存在理由から知らないものが勝手に主人になっては主義を維持すべき全体は成り立たない。

二人いれば二分の一、世界七十億ならその一部分であり、独りとして同じ人はいない。そしてその特徴があるのに、人のモノマネをしたり、流行に流される。しかも今どきの成功価値である地位、財力、学校歴などの数値比較に翻弄されると自分を見失い「我」の意識で全体が分裂して、依って立つ位置さえ判らなくなる世代の繰り返しが止まらない

自を求め知るには、修行なり探求して知ることと、全体の中で己の能力や位置を知る方法があるが、「我」だと往々にして比較優越や劣性を覚えるだけで、しかも目に見える範囲の情報知や、単なる知った覚えた類の学識でしか世界を読み取れなくなる。
「分」には、人間だけでなく自然界の神羅万象に自身を照らす世界もある。あるいはイメージ(感性)を研ぎ澄ます衝撃や感動も含まれている。







それを包み込んで他人なり諸々な事象に応ずれば自然と己に合った(分)が自得できる。
幕末の賢人勝海舟は貧乏な頃に家財や家屋の一部を燃やして暖をとった。その感慨を「赤貧、また愉しからず」と遺している。貧乏もここまで来ると愉快になるということだ。
今どきのパチンコ貧乏、着道楽、ブランド貧乏とは趣が違う愉しみ方だ。
また、そんな共感できる歴史の先達が存在したことも、うれしいことだ。

そんな酒呑み話に応えた若き美麗な韓国女性の理性に、賛意をもって盃を重ねたことは言うまでもない。



イメージは関係サイトより転載

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人間考学  歴史の静止考証と動態活学 08 3/18 再

2023-11-15 06:01:20 | Weblog

 

            枝頭の梅花によって春の訪れを知る(師からの便り)

殺伐とした欲望と偽善の環境は、ときに素晴らしい情感を潤いとしても表現することがあるという。我が国の男文化の昇華は、戦国時代、幕末、敗戦直前の死生観から生じていると・・・、それは、実直、真摯、洒脱、大らかにも見える義挙への靖献の清々しさであろう。》


以下 珍奇な切り口ですが

このところ起きる様々な事件、事象を歴史に記述するにあたって、その因果関係を考証するに旧約聖書の預言に求めたり、地球が宇宙の構成要因として物体の経年上避けてとおれない大気の変質や基盤変化などが、人間の所作である歴史の現象に深くかかわっているような論を聞くことがある。

分派、分裂してボスと、その他一同を抱える学派にはみることはないが、これも人間の「識」(道理)の変遷とすることを歴史考証の成り立ちとして、現代学徒そのものの考証としても面白いものがあるようだ。

彼らのいう珍奇、高邁な仮説のもとに西洋学にある科学的根拠の組み立てと分類を披瀝する苦労は、東洋にある変化する動態を俯瞰するような活論の透徹さと、将来に評価を委ねる余裕とは異なる学である。もちろん食い扶持学、面子学のような類もそこに見え隠れする。

あのドイツの碩学、ハイゼンベルグも部分の算術的総和は全体を表さないとその論を述べているが、もう一歩踏み込むとするなら部分も全体も多様な個として、時間の進行、所在の「移動」を加味すれば、上下左右にスパイラル(連鎖的移動)のように変化移動し、かつ人間の観察にある各々の多様な論点を加えたならば、諸学の一隅を占めている歴史学派にしてみれば百家争鳴の態を成すことは当然のことであろう。

其処には、名声の有無、手駒である系列研究員の量によって定説化することもあろうが、他の諸派との仮説争論によってより不明確な歴史考証積み重ねているのが実情であろう。

それらはよく「壇」にたとえられる文学、絵画も、その世界にしか通用しない屯を構築し、似たようなボスを戴き名利獲得に勤しんでいる

それは人間の作為によってつくられた戦禍や衰亡の歴史など、そこから生まれる悲哀に似た情緒の復活に必要な「活論」の欠乏ゆえ、単に成文化した出版界に位置する「売文の輩」もしくは「言論貴族」に成り下がり、遂には知識人の堕落が亡国を進捗させたような、隣国の歴史に観る臭九老となって、鼻つまみ学徒を形成してしまうようだ。

 

          

   岩木の麓 

当世の歴史学派でみれば、英雄や勳官の技だけの考証ではなく、知識人の堕落が歴史の集積に存在することを、まるで枕屏風に隠す遊女のような媚言論によって、「智は大偽を生ず」にあるような、作為の偽装という責任意識のない一群をなしているものもいる。

宗教や陋規にある、習慣、掟の範疇にある人間の狭い範囲の規範に属することだが、もう一つは清規(成文法)がある。その二律は欲望追求や獲得の知恵から生ずる、表裏、陰陽、正邪のハーモニーで集積された歴史考証を構成するものでもある。

切り口の多様な学徒は各々学派を構成し、互いに蟻塚を形成して、差別化なのか敢えて異を唱え、協働すべき問題でも覇を競い、分派統合するべき事柄においても分派ならぬ分裂となり、本来は目的と影響を思慮して分派の成果を協調統合すべきことが、研究初頭の部分から片肺考証に陥っているようにもみえる。

つまり、簡便に直観できる歴史の俯瞰(全体像を多角的に観察する)することをあえて矮小化して、明治以降、わが国が陥った記誦、記聞学という、習い考えることで停止してしまうような、Shinkから Actionへ導くことの行動活学が、明治以降の官制学校歴にいう学歴に囚われ、なんら人格を代表しない「勉強」と称するものに陥り、歴史を糧に自己陶冶や利他の増進という目的に錯誤をきたしているのが実情である。

それは、歴史の考証を「知学」から「活学」に高める術(すべ)が欠落したため、食い扶持のための利学に浸り、肉体的衝撃を回避するあまりに臨場感ある実学をなくした我国知識人の無感性的堕落にもなっている

畢竟すれば、明治の近代化、あるいは半知半解な西洋化は、特徴の伸長や有効化であるべき分派は、分裂した個性という賜物とともに、国民の情緒の変質を促し、国民の矜持すら茫洋とした大海に投じてしまったのである

財は、民族の特異な智学であるタルムードや厚黒学をもとに賄賂学や詐学、性は欲望甘美な高揚のために、隣国の房中の秘の性事学など、どのようなものでも学部にしてしまうことからすれば容易なことでもあろう。
つまり宗教の秘事や陋規を学の机上に上げる愚に反して、いかに動態活学の多面性が人間の歴史構築の上で有効性を支えたかを理解すべきだ。

 歴史のウラに女色、飽食、財貨、(色・食・財)という欲望の本性があり、その本(もと)を成しているもの、またそれによって事象構成の必須なものとして位置づけられるべき内容を含んでいるかが、人間の歴史を司る欲望を考える上で必要なものとなる。

そこから地位獲得、收奪・戦争・それに係わる論や学が生ずるのだ。まさに抑制と開放、人の躍動や苦難など、第三者にとっては、まさに現代は「口耳四寸の学」的、欲望の蔓延るグランドでの様相となった。


 欲望の本性は「学」に品性が亡くなるとの指摘もあろうが、それを学とする人間の人格の問題と考えるべきで、我国の漢文や古典の学を固陋なるものとしたのは、固陋なる人間の存在がそこにあると、側近の漢学者元田ナガザネに指摘した(聖喩記)明治天皇の炯眼にみることができる。

 歴史学に厚みを持つことは、理解の淵を広くすることであり、歴史構成と我が身の残像を噛み合わせ、より有効な活学を提供するグランドができると考えるからである。つまり古教照心ではなく、己を知って対象をみる「照心古教」でなくては、前記した口と耳の間の学と同様の「眼口四寸」の学びになってしまうだろう。「聴く」でなく、聞くとなり、「観るべきもの」が、見ることになる、そんな学びでしかい。

 

           

              林檎の花

 

 

 余談だが、教育基本法に「国家愛」とか「祖先を大切に」との記述を挿入するかどうか権力負託者である議員の争論が世間をにぎわしている。
果たして祈りや陋習、あるいは情緒の積層にあるものを国家の遵守規範として成文化する愚は、より愚かな国民を生み出すのではないだろうか。

 しかも家族や祖先を守るという家族、ここでいうのはアメリカンファミリーではなく「家」意識の中で醸成されるべき規範を国家の成文とすることは、官製教育のみならず、わけの分らない日本人を作り出してしまうだろう。容易な理解は、安易な人間をつくるのだ。

文ハ経国ノ大業ニシテ、不朽ノ盛事ナリ

それさえも「文」は恣意的に改竄し、隠蔽もしくは廃棄する高学歴の狡猾官吏や、それを統御すらできない為政者の劣化も、歴史の動態として観察もしくは眺めることも大切なことだろう。

静止して部分を掘り下げ関連をさぐり、騒々しくも反証ないし抗論まで備える彼らの学問的陋習は社会のあらゆる部分に浸透して、国民に注ぐべき潤いを枯渇させている。

それは国力評価さえも数値に翻弄され時節において、地球の表皮に棲み分けられた国なるものの、真の国力と考えるべき深層に積層された人間の情緒性すら、更に毀損する姿にみえるのだ。


いまさらながらその利功複雑にすぎる国家の成文の変容、そして考証する知識人と称して素餐を貪る学徒に、この国の社会と人を観るのである。

※ 素餐・・・功労や才能が無いのに高い地位に就いて報酬を得ること。

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の六

2023-11-14 04:55:15 | Weblog

中央は若かりし頃の邦彦氏(下中邸観桜会)



下中邸は国道二号線の池上を過ぎたあたりを右折した小高いところにあった。
閑静な住宅街のなか、石垣塀に囲まれた高台に広々とした芝生の庭が続き、玄関を覆い包むように桜の大木があり、和洋折衷の家屋がカネの手に作られている。

観桜会はライオンから生ビールのケータリングと邦彦さん好物の瓶覗きという壺酒が用意され、新筍の照り焼きや混ぜ飯、そして主人の鍋奉行でおでんが提供された。

参会者は各々庭で歓談しているが、主人は開け広げの縁側で楽しそうに眺めている。和服姿の麗人もいるが、さすがに飲み仲間の杯は早い。
ともあれ、あの出版界の怪物と謳われパル博士と義兄弟の契りを結んだ下中弥三郎が思索を廻らした庵である。

好物の銘酒カメノゾキを傍らに鍋奉行を任ずる亭主の箸捌きに具が踊る。
「弥三郎釜の桜の会も楽しい、行きましょう。嵐山光三郎さんも来ますよ」
「お父さんの趣味ですか」
「横浜の戸塚です。そこで陶芸を習っている人たちが大ぜい来ますよ」
C:Documents and SettingsNEC-PCuserMy Documents下中丹波篠山の有名人 下中弥三郎.htm

そこは想像した以上の桜だった。光三郎さんの挨拶から始まったゴザ敷き宴会も下中流の風流遊びなのだろう。

「弘前の桜もいいですよ」
「行きましょう。計画してください」
何か、今年は意地になって桜を追いかけているようだが、酒も桜も人を求めることの楽しさからだろうか、どうも馬が合うのだろう。
世間では、゛白足袋゛という呼び方がある。床の間の置物といわれる御仁もいるが、まさに弥三郎の子息邦彦氏はその風でもある。
それは、出版会の風雲児といわれた邦彦氏の一方の姿でもあつた。


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財流は欧州から米国、そして孔子の国へ 2009,9 再々稿 

2023-11-14 04:53:23 | Weblog

色、食、財、

三欲、とくに財の欲望は、あらゆるものを誘引し、同化する。

肌の色は違えど、その欲望の指向するところ、具体的には似て非なるような興隆と衰亡の循環は、軌道を同じくして同衾に近い状態に導くだろう。それは表層の政治状況とは異なる裏面の戯れのように進んでいる。

 

半藤さんの読みは鋭い。

 

さまざまな意図を推考するあまり本質を見失うことがある 世はインテリジェンス流行りだが、相手の本意と次の行動を予想して策を労するようだが、知識があっても胆力なく、小欲があっても大欲なく、いわんや連帯と調和を失くした国家には対応力もない。

本質は事象の探索ではなく、人間の問題から発する欲の行く末と観れば容易に見当がつく。 歴史からみれば一過性だが、米国は中国に向かう。それが財の目的、支配の意図、だとしても現世利益優先のグランドは大陸に向かう。気難しい女より、欲が明け透けて解りやすい色気たっぷりの女に気が向くのは自然た゛。

それは、突然やってくる。慰謝料や保険などと騒ぐ女もいるが、欲はしがみつく女を非情にも棄てる。 だからといって後を付け回したり、けなげに尽くしたところで、男は気もそぞろだ。 男の友達(スタッフ)もそんな人たちだ。 棄てられた女は不憫だが、棄てた男も哀れだ。 はたして机の下のやり取りが得意な民と恣意的合理の民の欲望は「財」だが、同化消滅の歴史繰り返すのだろうか。

 

桂林

               

【各々の名目主義はさておき、利に向かう集団(国家)の量とスピードは鎧を隠して経済戦争の様相がある。横綱は中国とアメリカだが、エコノミストの数値評価には含まれない観点で考えてみた。

例えば民主主義の合議の手順と独裁のトップダウンではスピードが違う。また政策変更の応用も容易である。

加えて多くのエコノミストが多用する数値の図表に含まれないが、経済交易や政策変更の前提にある専権当事者の判断の多くを支配するであろう個人的潤いである賄賂、コミッションを含んだ交渉は、アカデミックな経済論では理解の淵に届かない部分である。つまり前提条件が違う為に、そこから数値成果すら導けないのである。

金銭哲学や投資回収というリアクションが類似した異民族が、その固陋なる掟、商習慣を携えて連衡し、分離し、衝突のサイクルをアジアの大陸で繰り広げる。国内の構造的問題と海外事情で生産基地を移転する日本とは根本的に異なる目的がそこにみえる。

ババをつかむのは誰か・・・

それは欲望のコントロールができなくなったシステムを数値成功と錯誤した人々に降りかかってくるのは自明なことだ。それは肌の色が白か黄色か擬似白かは問わない。】

 

                    

 

国家を超え、自由を求めて

一方は欲望に随って、゛やりたいこと ゛、もう一方は、゛やるべきこと゛の集積である。

 自由は国家や分別された機関のカテゴリーにある自由感覚と、それから解き放たれようとする自我自由がある。とくに土地、つまり固定資産を財として持つものと、圧政や宗教的抑圧からの逃避が移動性を生み、つねに流動する中での蓄財法を民族の陋習まで結びつけた民族は、よりその蓄財のグランドを、゛己の自由゛に適したグランドとして、財に、゛似て非なる価値゛を抱くアジアの一隅に捜し求めた。

 《上海サッスン財閥の成功と現在の金融資本の流入》

 とくに、国家の管理するシステムが硬直し、あるいは国家として存在するに前提となる法務、税務の執行に恣意的な国柄には、その自由と民主というプロパガンダによって大衆の欲望に順じて弛緩したシステムを要求(例 対日年次要望書)、しつつ、自らの自由グランドを構築している。

 また大衆はより自由という結果に到来する固体分離された孤独の恐怖から、より無定見な放埓に流れ、終には弛緩した社会を構成して、逆に管理された安住を捜し求めるようになった。






             

         砂民をまとめる潤いとして再来するか



 砂民ともいわれるものが、曲りなりに国家の態を成す凝固の触媒となった人情と財の感性を、権力維持の手法とした恐怖と監視の緩みから、独裁専制からの開放、いや実態は民癖を知り尽くした権力によって、放埓に近い政策で解き放たれた。
 それは無策の策といったものでもあるが、そこには歴史的には法治では立ち行かないしたたかな民情に加え、民生の安定制御を司った習慣、掟といった陋規の崩壊が、よりその進行を早めている。

 しかし、その触媒となる財貨、人情には変わりなく、より放埓した混迷を導き、却って自由な海外逃避に保全の途を抱くことが多いようだ。とくに権力に近いものたちの子弟、親族にその傾向が強く、国家に責任を持つなどは論外の様相である。
 つまり愛着の前提にある国家、社会の連帯意識の欠如は、外的進入によって易織が変ることの無常観、諦観が染み付いている民族の悲哀でもあるが、昨今騒がれているグローバル経済には取ってつけたようにピッタリと呼応する内壊間際の民族でもある。

 翻ってみるに、我国にも観られるおんぶに抱っこの限定的自由獲得は、もらい扶持、食い扶持の政治家、官僚の公徳心欠如によって、より増長した社会を作りだし、外部から見れば民主と自由の大義を掲げれば群行群止する家畜のように見えるだろう。

 実利として役に立たない官制学校歴、軽薄な金銭価値、狭い範囲の兵隊遊戯のような官位褒章の執着など人間の作為として行う経国の要諦を見失った非独立国家は彼らにとって看過すべき国として通り過ぎてしまった。





                 




 歴史的にも上海におけるサッスン財閥の繁栄は、大陸における財と情報の浸透性が共通価値の中で容易に行われたことを実証している。それは色、食、財の欲望に正面から向き合える民族と、財貨への欲望価値と偏在する世界観の普遍化への欲求が、あまりにも似ていることに由縁する民族の悲哀にも似た類似性でもある。

 宗教的にも、あるいは権力の固定維持から統治仕法となった冠位を忌諱し、却って身分の棲み分けを強靭なシンジケートに変え、宗教的賎業であった金融を、貴族の資産運用や戦費調達にかかわる金融為替を生業にした人々は、地域間の国力差異、紛争時の軍費としてその使用料、つまり金利によって権力者の喉もとさえ押さえつけるようになった。
 それは戦争を破壊ではなく、絶好の生産機会であり、促したり誘発させることによって生ずる虚利の対象として、その情報の虚実を操作して国家間の軋轢さえ企てるようにもなった。

 それは、当時の国民政府、共産党の政治勢力状況や諸外国の干渉を超越した部分にある陋習民癖、あるいは欲望の志向性とも思える部分に素直な共鳴感がみてとれる。もちろん国民党の孔財政部長による米国の援助資金確保や、中華人民共和国成立時のソ連から莫大な援助なと、双方混乱時の資金流動もあるが、それにも増して権力当事者の財貨、権力の欲望は、その看板とする思想さえ、単なる意味の薄い「話(ハナシ)」として権力奪取や集財の具にされている。


              



 表層の柔和さと表裏を成すように、その内に秘めた別の心で読み取る財と人の関係と、わが身に及ぼす禍福の影響を感じ取るための透徹した感性に裏づけされたある種独特の価値観があり、かつ両民族の似て非なる様相は民俗学、人間学、比較理財の利学としても興味のある問題でもある。

 ともに数千年の歴史を経た民族でありながら、一方は地球規模のグランドを選択し、一方は亡羊とした環境のなか選択不可欠かつ刺激的なグランドを諦めにも似た悲哀を抱えながら栄枯盛衰に身を任せている。

 各地域で掲げる自由、平等、博愛は人類普遍なスローガンのようにみえるが、己の意思の自由獲得、少数ゆえの平等、同胞愛に根ざした友愛であることは歴史の事実として明確に語られるところでもある。

 一方、片手に孔孟の謂う規範像を装いながら、老荘の謂う天下思想に実利ある生き方を方便として、天と地の間に国家帰属意識もなく、砂民のごとく地球上至る所に棲み分けし、その特異なる金銭感覚と陰陽対比と調和に基づいて滅ぶことのない復元力によって旺盛な生活を戯れのように演じている。

 それは「逢場作戯」という臨機に柔軟さを増し、「小富在勤、大富在天」にあるように、勤労によって生ずる富は小さく、天に沿った富は大きいと、小欲、大欲の価値感性を規範的な孔孟にもたとえ、かつ危機や厄災を達観できる老荘の柔軟性を使い分け、ことのほか楽観的(positive)に人生を活かす術も心得ている。

 また双方は、究極の統治形態である専制独裁にその有効さを認めている民族であり、20世紀にはその試行も経験している。

 それは人間を管理し有効に利するには、耳障りのよい自由と民主が大衆の意思を群行群止させる一番の方法であり、意思なき分裂に導くことによって国家を融解させ、財貨の欲望と管理によって情報の指向性をコントロールすることをいち早く発見した人々でもある

 フランスのブルボン王朝は自由、平等、博愛(友愛)の名のもとに断頭台に終焉し、社会大衆革命の名の下にロシアロマネフ王朝は滅亡した。また純化のため、階級闘争のために粛清と称してヒットラー、スターリン、毛沢東、カンボジアはポルポドの政策によって短期間に合計一億人以上の民衆が抹殺されている。

 また、驚愕するにそれらの専制独裁を間接的支えたのは、グローバルな金融資本であり軍備費、戦禍復興いずれにも色の付いていない金が使われている。
権力維持や反対者の抹殺のために資金が使われ、その使用料としての金利によって権力そのものが管理される滑稽な状況結果がある。

 ちなみに、日露戦争にも外国債が使われたがその担保は関税権であり、年6分である。しかもロシアにも同様に貸付られたという。幕末の薩長にはイギリス、幕府にはフランスが援助干渉している。 金貸しが為替差異や金利を稼ぐことから、国家の関税権や統治システムまで収奪することが、当時の植民地政策のあらたな管理方法として定着してきた。

真似をしたのかアジアやアフリカ地域に莫大な資金を貸し付け、港湾の長期貸与契約をして、返済できなければ永久使用ともなる手法で権益を拡大している。もちろん輸送インフラの道路や鉄道も同様である。

以前、あったような内容だが、西洋列強に蹂躙された中国(当時シナ)が受けた手法そのままの姿が現在進行している。香港、マカオは99年の割譲で返還された。まさに軍事力を背景にした財流パワーは、あの頃に倣ったかのように、金利、複利に手法をもって発展途上国と言われている地域に侵攻している。

                  

民主と自由の看板主義を用いた統治


 一番効果的な管理方法は人間そのものの欲望によって、自らを自動的に衰亡に導ける自由と民主による孤独と自己責任という、言うに云われぬ連帯希薄な環境に追い込まれている。  

 資本主義のダイレクトな効果利潤として金融支配は、とくに使用料としての金利という虚の循環生産を駆使して、促成された欲望の収斂を図り、つまり消費管理資本主義という力の強いものの一方的な管理社会を構成するという、国家さえ超越した大衆管理を成し遂げている。
 しかも一国の通貨管理や生活システムの馴化につれて地域固有の情緒の融解さえ巻き起こしている。

 処世の一方は旧約聖書にある名門であり諺(ことわざ)に似た経世訓を保持し、一方は厚黒学という、歴史の看板である老荘孔孟を包み込む利学を有している。

それが彼らの生産のための術であった人為的冷戦を経て、看板はいまだ塗り替えられない共産主義の苦衷にある政体の支配地域に、彼らの自由という安住を認めて再び舞い戻り、賞味期限が過ぎた米国という仮の住処を離れつつある状況がある。しかも用心棒の指令アジトをトランスフォーメィションという構想を掲げ、順応国家である近隣に配備しての慎重な進出準備がある。

 欲望の構図に話を戻そう。
 男女の性欲に関する欲、食欲という生命保持と止め処もない飽食、有れば有るに越したことのない財貨の集積欲、これら三欲は人間の同化を促す術として有効な手立てでもある。
 

満州国、新京の魔窟といわれた大観園の親分は一方で道徳会の会長でもあった。
親分は実直な日本人にこう話した。

「日本は早く負けて日本に帰ったほうがよい、さもなければ日本そのものが亡くなってしまう。なぜなら我々は濁水の中で生きている、清水にも生きられる。しかし日本人は濁水の中では生きられない。欲望は一緒でもこの国では日本人そのものが亡くなってしまう。日本人は遺さなくてはならない・・」と。

 また、副総理張景恵は「日本人は四角四面だ。あと二、三回戦争に負けたら柔らかくなるだろう」と、大陸での実直すぎる日本人観を述べている。
 善悪の可否を超越して、力こそ正義だというだという大陸の感覚を、アジアにおいて似て非なる人間の生き方として学ぶときが訪れることを示唆している。

 脱亜入欧といわれた文明開化において、入亜をスキップして入欧したつけは未だ尾を引いているようだ。政治家、否、日本人は異民族との交流に致命的に欠陥を露呈する。とくに土壇場の状況はより鮮明な姿を表している。

 だが、唯一のセキュリティーであり、実直さのあまり異質にもみえる日本人の陋習にある生活規範は、勤勉、正直、礼儀、忍耐という集積された特性を備え、欲望同化の誘引に対応する唯一無二の資質として、国柄という範疇を超越して人間の尊厳を祈護した古代の賢者の遺した祈りに沿うものでもあり、栄枯盛衰の導かれた智の結晶でもある。
 

 大陸における連衡は必然である。それは繁栄のサイクルと地球上の移動が、時を同じくして歴史の循環と共動し始めているからである。

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の五

2023-11-13 00:28:42 | Weblog

《銀座ライオンビヤホール》



下中邦彦氏との機縁と淡交友誼

松坂屋の新橋寄りにライオンビヤホールがある。
戦前からの古めかしい建物だが一階のビヤホールは天井も高く、照明は今ではアンティークになるドイツ製、正面のモザイクタイルで描かれた裸婦の壁面は戦時中、乳房が隠されてたというエピソードがあるくらいハイカラな内装である。

戦後の一時期は進駐軍に接収されバーベキューの燻りでホール全体が煤けているが、それも変遷の激しい銀座の路面店では珍しい歴史の名残として絶妙な雰囲気がある。

モザイク壁画を背にしてビヤカウンターがあるが、ウェートレスが忙しく運ぶビールの飛沫が掛かろうかという場所に常連席がある。
週末は入り口に列を作るほどの盛況さだが、その脇をすり抜けて常連席に着く人たちがいる。互いに氏性を聞くでもなし、ましてや出自や社会的地位、商いごとなど、かしこまって尋ねるものなどいない。
それでも三十年も通っていると何となく阿吽で分かるビール好きの仲間である。

曖昧だが常連会があって会長は毎日のように常連席に顔を出すのが通例である。
一時は四卓で二十人ぐらいが席を占め、それぞれのグラスが空くのを見計らって注文が飛び交うのが此処の飲み方だ。

ときには入り口から入ってくるのを見て注文し、席に着くときには用意されている。ルールではないが、そのときの注文者に向かってグラスを挙げ、相手のグラスの空け具合をタイミングよく見計らってお返しするのが暗黙の意になっている。

ときおり懐具合が乏しくても一時のゴチビールも許される世界で、景気の悪いときは小窓から覗いてゴチになれそうな仲間を探して入ってきたと、或る常連の話がある。

また、金のハナシとホールで知り合った女性は連れ出してはならない、との妙な建前風な不文律があるには有る。

易者、鳶頭、築地の魚屋と八百屋、株やに相場師、不動産屋、東大の医者、博打打ちの親分、新聞記者、写真家、花街の芸者、歌手、落語家、大企業のオーナー、挙げればきりがないが、ともかく毎晩一期一会の卓を囲んでいる。なかには入江侍従、卜部皇太后御用掛も席を選ばない飲み仲間である。

いつものような奇縁だったが、そのときだけは深い縁を意識せざるを得なかった。
「下中です」
痩身だが銀座が板についた老紳士だった。とっさに
「下中弥三郎さんを御存知ですが」
一瞬、眼を見開いたような気がした
「父です」
唖然とした。初対面の年配に向かって握手することもできず、眼の奥を観た。一瞬だがその紳士にも透視された感じがした。

何度か席を同じくする機会があった。それも週に二回ぐらいの縁を重ねた。
「今度、我が家で桜を観る会をするので幹事をしてくれないか」

以下 つづく

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の四

2023-11-11 05:19:04 | Weblog

日本の青年へ

端緒

数年前、ことさら畏まった日ではなかったが九段の杜で刻を過ごしていた。この域は別段の想いを懐く処でもあるが、騒がしい世情から脱した時空を思い描き、時の経過を自省するには謂うに言われぬ潤いを感じさせるところである。また昂揚するも、それが還って鎮まりを請来させるような雰囲気を漂わせるまさに鎮護の杜の佇まいである。

その参道の門前にテーブルを並べて書籍を販売する一団が在る。掛けられた襷には英霊の会と墨記され、見受けると老齢ではあるがかくしゃくとした健児のように眼を輝かしている。

一冊の本が目に留まった。〔パール博士の日本無罪論〕、アジア人らしき人物の写真が表紙を飾っている。靖国のそれらしき本かとベージを捲ると、裁判の判決文や著者の考察があり、終章には思わず引き寄せられる稿があった。

「日本の青年へ」として男子、女子に向けた生き方と、浮俗に蔓延している欲望喚起するものへの自制への警鐘だった。
さらに参考欄に、あの箱根のある建物の説明が書かれていた。施設名は、パル・下中記念館、はじめて目にする下中と併記された名があった。

果たしてパル博士とはどのような人だったのか、また併記されている下中という日本人についても興味が湧いた。

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の三

2023-11-09 14:25:36 | Weblog

パル・下中記念館の回想

神奈川県箱根町、国道のつづら坂に沿って見落としがちな小道が旧道に向かって入り込んでいる。端には壊れた外国のスポーツカーが朽ち錆びて棄てられている。鬱蒼とした径に歩を進めると急に視界が開ける。

広場のようになっているが、もとは芝生だったのだろう。周りには夫々異なった種目の建物が囲んでいる。右奥は低層のリゾートマンション風、左は二階建て研修道場風の建物があり、左手の小高く造成された石段を登ると拝堂がある。何かを鎮座するためのものだろうが、手入れの行き届かない周辺の様子ではある。それでも何かの意思を持って構成された建造配置であることが分かる。

振り返ると広場の入り口の左手に自然石で作られた碑がある。
和文とベンガル語によって記されている碑面は、雑草が蔽い風雨に晒され判別が難しい。

拝堂の裏手の奥まったところに開き格子のガラス戸の建物がある。玄関まで行くには左右からはみ出た雑草と樹木の覆った路を10m-ほど入る。雨上がりの雑草に裾を濡らしながらガラス戸から覗くと正面に背もたれの長い木製の椅子がこちらを向いている。
座は革張りだが、年季の入った油気のない皮肌のようにひび割れている。

訪れるものも少ないような施設だが、昨今の日本人にありがちな恩顧、懐古に対する感性のなさと情緒の欠落は、歴史からの問いと語りという慈雨を干し、民族の残像を無意味なものとして忌諱しているようだ。

それは、現実の有用の前提に存在するものへ心を向けるという、最低限の意識すら認知できなくなっている現状の表れとみた。

その古びた椅子は誰が座ったのだろうか。どのような意味と縁が何故此処にあるのか。
どうして寂れてしまったのか。静寂に包まれ茫洋に似た感情の続くなか沸々とした意識が昇ってきた。身に覆いかぶさるような不思議な感情だった。



【現在は出版記念堂が隣接しているため整備されているが、訪れる人は少ない。見学は前もってパル・下中記念財団へ連絡を】

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《或る法律家の節操》  ラダ・ビノード・パル 其の二

2023-11-09 01:09:56 | Weblog



『日本の寺は博物館のようだ』京都に訪れたときの感想である。

寺は人が集まる場所、という意味があるが、僧侶が観光ガイドとなり、拝観と称して入場料をとり、はたまた落語会、演奏会などイベント会場として用をなしている。寺とは僧侶の学習の場所であり、目的は民衆を救済することにある。
パル博士には寺院がそのように観えたのだろう。


インドの司法家ラダ・ビノード・パル
勝者が敗者を裁いた極東軍事裁判(東京裁判)の判事として、また唯一裁判の無効性を唱え独自の見解を残したパル判決文でも有名な人物である。
出身はインドの哲人、賢人を多く輩出したベンガル。

ここでは東京裁判や靖国問題など、言論思想界に登場するパル博士ではなく、ヒューマニティあふれるパル博士の人柄と日本人の交流を取り上げたい。

なぜなら、巷間パル博士の言動は戦争の惨禍の後にある責任論や歴史解釈の論拠として仮借されたり、外国人評価を迎合する知識人などによって取り上げられものとは異なるパル博士の姿があるからです。

偶然、筆者は博士と義兄弟と称された下中弥三郎氏の意を継ぐ縁があり、そこから垣間見たパル博士の姿と日本人観を、世俗の争論を離れ、下座観、世情の俯瞰視において真に「人間」を憂慮する方々への光明としてお知らせすることができればと、筆を執るものです。

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