居酒屋のことである。
カウンター席は8席、予備の椅子をもってきて、狭い通路の壁には酔客が張り付いて大声で合掌している。
「月月火水木金金」「戦友」「加藤隼戦闘隊」
いや、ものすごい大音声と、リズムが合った合唱である。
曲の合間に大物野球選手の現役時代の勇姿が映像に流れると「彼は在日だ・・」
周りの粋客は言葉なく、頷くだけ。
近ごろは何か吹っ切れたように積極的になってきた。
その親父(アポジ)とはよく一緒に呑んだ。在日朝鮮人のなかでも立志伝となる逸話をもつ長老だったが、同胞にはめっぽう厳しく、いつも威儀を正していたが、ときおり好きな風呂帰りに立ち寄り、話がつくと自宅にとってかえして上着を着て髪もきれいにクシを通してくる。行くところは線路を隔てた路地のスナックだ。
家族の前では「タバコは野蛮人」、「カラオケは苦虫」と聞くが、めっそうもない。
若かりし頃は天才と謳われたが、彼の国の次男は長兄とは雲泥の差がある扱いだ。一念発起、あの差別なはだしいと聞く日本列島にやってきた。あつかいに雲泥の差があった郷里と違い自由があった。当初の帰還運動(下関)では腰に拳銃を下げて戦勝国の気分を味わった。
日本では精密機械工場に勤め、見る間に職長となり日本人従業員を配下においた。なにしろ不良品が少なかった。給料も日本人より多かった。表彰もされ自信もついた。それは技能だけでなく、異郷で生きる環境の順応と差別もない職場の人たちだった。
「一概に差別だといいつのるが、どこにいても不満はある。それを人のせいにすると差別という文字になる」
帰還運動は新潟から元山への帰還とは違い、戦後の帰郷差配だった。新潟からの帰還は、故国は楽園という誘いに帰国した人たちだ。有名人だった親父の長男も帰国したが、長男にはまだ見ぬ異郷だった。在日朝鮮人の有力者の縁者は1世もしくは2世を問わず、誰かしら異郷に旅立っているようだが、その多くはアポジの選択のようだった。だからなのか、呑み仲間の親父は口が重く、それが重厚沈着さとなって同胞関係者の重しともなっていた。
そのスナックはやけに暗かった。女将が老齢のせいもあったのか親父は安心しているようだった。ふと横を見ると蛍が光っているかのようにポー・・と火がともった。
みると親父がショートピースを咥えていた。たしか野蛮人といわれるのが怖くて陰で吸っている跡取も同じ銘柄だったが、まさか・・・。
そのポーズは吸いたての若者が親指と人差し指で挟むあの吸い方だった。戦後のシケモク吸いもあのスタイルだった。

二世の方も多く参加した古典学習
そういえば戦前に来られた若者は男子が大勢を占めていた。女性は一人では旅行さえしない儒教の国だ。当然、結婚相手は日本人女性も多かった。だか、世の中も落ち着くと血統意識が頭をもたげ、2世男子は同胞でなくてはならないと言うようになった。
同じ朝鮮半島でも新羅出身、百済出身、などと固陋な掟や慣習が民族の血脈系統であるチョッポが再び生活を支配した。どこどこの金と、どこそこの金、と、身分が阿吽の姿で甦った。とくに済州島との縁組は難儀だった。それも昔は流罪の島だったからだという。
加えて家族内での大きな区別、食事はアポジとオモ二(母)と娘は席を囲まず台所だった。
安定と豊かさはそれが異郷において甦った。それも形式ばったアポジの仕事でもあった。
親父の口からは望郷はない。懐かしさがあるだけだ。
筆者の友人などは女房が怖くて空威張りだと自嘲する。
その知人が呑みながら面白いことをいう。
「むかし、アポジがオモ二を何かというと叩いていた。とんでもない親父だとおもった。だが、俺も結婚して分かったことがある。あのときオモ二は口喧嘩で、゛わかった゛といいながら、最後に小さな声で棄て台詞を言っていた。゛自分だって゛。これを聴いたアポジが手を挙げるわけだ。いまはオヤジの気持ちが分かるようになった。」

ブラジル入植

政治は勤勉、正直、礼義、そして母から忍耐を学んだと陛下に語る
余談だがブラジルの日本人男子もそうだった。殴りはしないが、その位に烈しくなければ辛辣な苦労は癒せなかった。しかも異郷では地元の人たちに気を遣った。しかし根底ではあえて世俗の風潮に背を向けて日本人的精神を護る世代の姿は、家族の連帯、責任の所在と目的指示の統一など、入植時には多く成果を上げた。その意味では朝鮮半島に祖をもつ方がたも、ブラジル入植者もその成功の類似は環境順応などという生易しい言葉ではなく、民族、家族の普遍的基軸である「血」の守護と繁栄への結束が有効的なシステムとして機能していたようだ。 身内のケンカは何かの確認なのだろう。
韓国の財閥企業もそれで栄えた。そして中小企業の育成を疎かにした産業構成はIMFの軍門に下り、再び世界経済の金融比重の運を得て再び甦った。やはり根底には血脈の信頼があるが、繁栄怠惰と背合わせで名目儒教にちかい様相が起きつつある。
ことは一族の繁栄である。政治も経済も生活もそうだ。
また、そのような社会に在日は拠り所を求めてあまり帰還はしない。
日本人も大変だからといって国を離れることは稀だ。ことさら今の日本人の成果とは言えないが、この四島に堆積した情緒は異郷を祖にもつ彼らのほうがよく知っている。
むかしから辛くなったら望郷の念が湧くというが、ふるさとがシャッター通りで疲弊すれば誰も帰らない。゛こっちの水は甘いよ゛と歌った蛍が想いだされる。
アポジの吸い殻を灰皿にもみ消す仕草が、なんとも初々しい。
「儒教のアポジはしんどいですね・・」
やはり、口は重かったが女将にいつもの曲を選曲して親父にマイクを向けた。
「曇りガラスに手をやれば・・」サザンカの宿だった。
これも家族には内緒の歌だ・・。一世の親父は情緒が複雑で深い。
二世は日本の若者さえ歌わなくなった軍歌の合唱だ。
たしかにスタンドのわめきと叫びの合唱よりは意味が深いが、複雑だった。
まぎれて久しぶりに歌ったのは「帰り船」だったが、やはり辛い歌だった。
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