まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

毒まんじゅうを喰らう政治  2012 あの頃も

2024-10-01 01:52:32 | Weblog



クリーンハンドの法則という言い方がある
賄賂を貰うような汚職について、一度でも手を汚してしてしまうと、余程のことがない限り汚れは付いて回る、つまり何かにつけても弱みとなって言葉や行動が色眼で見られてしまうということである。

神様でもあるまいし、と同類に慰められても、あるいは貰った当人しか知らないことでも、どうも居心地が悪い気分になり、言葉も行動も遠慮がちになる。

「お前だって・・」と言われれば、「それとこれとは状況が違う・・」「一回ぐらいは・」と反発しても空々しく、日頃の貫禄など吹き飛んでしまう。なにも物のやりとりだけではない。煩雑で道徳域まで入り込んでいる法にかかれば、立ち小便、吸い殻のポイ捨て、行列の割り込み、あるいは何処かの妻持ち、旦那持ちと人情ごとまで邪推されたりするだけの風評で立ちいかなくなることもある。

それも競争相手を引きずり落としたり、単なる嫉妬心から謀を企てるトリックになると、うかうか甘い言葉にものれないような世知辛い世の中になる。

 

 

以前、政治家が巧妙な裏切りにあったとき、「あれは毒まんじゅうを食らった・・」と激高していたことがある。原因は、同じ村(派閥)の長年の仲間を閣僚のカラ手形で裏切ったときのことだった。この手のまんじゅうは時限爆弾のようなものもあれば、徐々に利いてくるものもあるが、中国の賄賂(人情を贈る)とは異なり、相手の魂胆を見透かして誘いをかける謀(はかりごと)のような類で、なかには陰湿な計略もある。

あの時は竹下派経世会の衰徴し、当時の幹部が医師会から小切手を貰ったことが露見して世間を騒がしたが村岡議員がスケープゴ―ドにされた。そのとき村(派閥)の仲間割れに言い放ったのが「毒まんじゅうを喰わされた」だった。

それも慎重な相手にはそれなりの手順もあるが、往々にして日本の政治家や官吏、サラリーマンの類は「仲間の証」あるいは「上下の分別」として、あえて毒まんじゅうを、しかも喜んで喰うのである。官吏が便宜を図る利権のお手盛りなどはその最たるもので、これも日本社会の習慣的性癖として毒まんじゅうの免疫性を支えている。つまり、喰っても当らない人間が大勢いるのだ。

この場合は、喰わないものは仲間外れだ。まずはそれに馴染むことから始まるが、問題は正義と公平を司る治安や税官吏、政治家に免疫が多いと国民はそれを倣い終いには、毒まんじゅう国家?になってしまうことが憂慮にある。

裏金、裏手当、便宜供与、官官接待、任官当時は正義感溢れ国家を支えると意気込んだ若者だったとは言うが、みな饅頭を喰っていれば染まるのは必然だ。若いころ…とは言うが、もともと心底が安定職食い扶持を描き、一族の期待を背負って任官した青年も仲間外れになっては喰っていけない。それを「しかたがない・・」というらしいが、それが日本の能力あるエリートと外国では見ている。










なぜなら、それらは喰うだけでなく、毒を毒と思わなくなり「染まる」のだ。官吏が政治家に「これは国家の一大事」と喰わせ、政治家は美辞麗句、ときには嘘八百を堂々と公言し、教師は人類愛と平和人権を餌箱に入れ子供に喰いつばませている。どれも反対できないハナシだが、古今東西成ったためしがない。あったのは走狗に入る知識人の言にみるだけだ。

その点、単純なのは政治家の毒まんじゅうだ。聴くも見るも滑稽さが付きまとう。そう思っていた輩でも、騙された、引っかかったと広言されても可哀そうには思わないのが国民だ。一方、引っ掛けた方も決して利口には思えないが、だいたいが抗論もせず知らん顔をしている。まんじゅうに毒を仕込んだほうが一人前の政治家に思え、喰わされた方が愚かでオッチョコチョイの欲張りにみえるのも、この世界の面白さだ。

閣僚の候補に入れる、公認をするなどから、地方議員の利権のおこぼれや視察旅行の水増しで子遣いの捻出など、国家を護り人々の生活向上をわざわざ拡声器で誓った口の渇く間もなく、いともコロリと引っかかる。しかも体裁のよい理屈をつけながらでも撒き餌に集う雑魚のように集うのもこの群れの特徴だ。

この場合のまんじゅうは「俺も喰いたい」と思っているが仲間を裏切ることはない。それは蛍のように「こっちの水は甘いよ」と、まんじゅうに誘われて群れの決まりごとを破り離れることだ。近ごろは野党が合従連衡すると今までの野党が政権のうまみをと実態を知り、かつ官吏の手のひらに乗ると旧来の群れが離脱しても与党に残るような議員も出てきた。これもよく効くまんじゅうのお陰だろう。

加えてこの群れを手なずけ飼い馴らす上手(うわて)もいる。

それらは宿便のように隅々まで導管に寄生し、滋養を吸い取っている。

「一官、九族に繁栄する」「昇官発財」
隣国のみならず、多くの国家は貪りの官吏の群れによって滅亡している。
あの野田君が唱えていたという・・・、シロ蟻だ。

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台湾民主主義 消費者から見た日本ブランドの偽装問題  15 4 改題

2024-09-30 00:55:29 | Weblog


子供たちは幼稚園から常に手を洗うことを習慣としている。日本以上に健康生活には敏感である
台北市 中山記念小学校

 

2024  9月25日

台湾は日本からの輸入農産物の全面解禁を決定した。

 

本稿

30 7/25

日本産食品の解禁を問う」台湾11月に住民投票

野党国民党は消費者の不安を煽り、解禁を目指す政権を攻撃してきた。

国民党は、政権が日本の機嫌を取って核被災食品の解禁をしようとしていると攻撃。

 

どちらの側に立つものではない。また与野党の政治的目的から離れて以下に記した。

 2017 02/9 の掲載

先日、台湾外交部関係の高官と食事を共にしながら懇談した。
それは青森県平川市で行われた台湾シンポジューム招請の返礼の意もあった。
場所は都内のホテル内の飯店、円席を共にしたのが某高官と秘書官である。
その高官は我が国のキャリア官吏の様子とは異なり、外交官らしく直感と俯瞰力に優れた人物である。
時節の話題としてリラックスした会話だった。

 

南方の緋桜 東御苑


以下、「フォーカス台湾」より参照転載

台湾、輸入する日本食品への非被曝証明などの添付 6月にも義務化へ【社会】 2015/03/25 19:20
      
(台北 25日 中央社)衛生福利部は25日、安全性確保のため、日本から輸入される全ての食品を対象とした産地証明書および一部の食品に対する放射能検査証明書の添付を、6月にも義務化すると発表した。

同部は昨年10月末、添付を義務化する措置の草案を発表していたが実施には至っていなかった。だが、24日に東日本大震災直後から輸入が規制されている福島、茨城、栃木、群馬、千葉の5県で生産された食品の一部が、産地を偽装して販売されていたことが発覚したため、早期実施を求める声が噴出した。

野党・民進党の林淑芬立法委員(国会議員)らは、日本側の圧力により実施が大幅に遅れたことが今回の事態につながったとして同部を批判。これを受け衛生福利部は、2週間以内に義務化について公告すると回答している。

輸入が禁止されている食品が流通した問題については、現在までに規定値を超える放射性物質が検出された報告は入っていない。また、同部の蒋丙煌部長は25日、輸入規制の撤廃を検討していると明かしている。
(龍珮寧/編集:杉野浩司)≫

台湾は冷静さを保ちつつも、日本人業者が行った産地ラベル偽装(偽ラベルの重ね貼り)の刑事的事件の処置および再発防止を要求した。(放射能汚染の禁輸は国際基準に基づく処置)

林農水大臣は「台湾の処置はおかしい」と抗議。

震災時の交流経緯から、日本国内では「まずは偽装を謝るべき」「情けない」「恩を仇で返すのか」「日本人の恥」など声が噴出した。







以前、産地偽装表示の問題で千葉県に足を運び、かつ台湾国会議員の森田千葉県知事との会談をセッティングして、事は収束したかに見えたが、ここにきて食品衛生部より日本からの輸入品すべてに産地証明を義務づける通達が出たため、政治問題化していとのこと。

筆者は専門家ではないので、状況の概略と現地消費者の動向を伺い、セシューム風評時の青森県産リンゴの輸入停止時の状況と当時の対応をお伝えした。

違うのは風評による停止と偽装表示の違いだが、いずれも福島原発から排出した放射能の問題として同じ根から出ていることだ。今回は産地偽装とこれに行政の対応遅延という不信感が重なって政治問題化した。

https://www.ys-consulting.com.tw/news/57615.html 現地報道



 

以下は筆者と高官の会話です

「リンゴ輸出の大部分を台湾向けで占めているあの時の青森の状況ですが、県や自治体が正式国交のない台湾の機関に働きかけをしたが、私は「風評は消費者の声なので台湾当局としての働き効果は限定している。まして口に入るものは政府が大丈夫だと国民には保証できない。まさに風のごとく流れる感情だから、関係する地方自治体は現地に飛び、市場調査を行うべきだ。そしてバイヤー任せで売るばかりではなく、マンゴーに代表される台湾農産物とバーターすることです。また不信感から生ずる風評を起こさないために積極的住民交流を行なったらよいでしょうと伝え、その交流調整を代表處へご依頼もしました。その後、様々な交流が活発に行われているのは御承知のとおりです」

A「私どもも招請していただき自治体交流にも参加して台日交流も活発になっています。
これからも人と物の交流は盛んになりますが、そのためには政策関係者だけではなく、互いの市民が国情を照らして食品などの安全基準の普遍的理解を深める必要がありますとくに日本製品の安全性や技術に裏打ちされた信頼度は台湾のみならず世界のブランド化されています。それは勤勉・正直。礼儀。忍耐の徳性で培った人の信頼性が基となっています。

今回の問題は多くの日本製品を求め、また購買力の高い層の市民から出てきた疑問なのです。また、これに対する処置は台湾だけの基準ではなく、国際基準なのです。そのことは日本の皆さまも理解するはずです。市場には日本のみならず多くの国々から同種の製品が輸入されます。量からすれば日本製品の数倍、数十倍に及びますが、とくに日本品を求める層は高価でブランド力に安全性を求めています。決して過度のことではなく、国際基準に照らしてクリアーできる選別力、安全性、製品管理を認めているからです

また、この層の市民は政治力も大きいこともあります。「問題があって高ければ買わなくてもよい」ことではなく、日本の生産者がつくる適合した製品を求めたいから声を上げるのです。期待もできるし、クリアーできる能力が日本人にはあることも知っているユーザーなのです。また、この方々の声を中心にして東日本の被災については我が事のように悲しみもできる限りの義志(volunteer)を行ないました。
そして、徐々にですが被災地の復興を歓び、かつ期待しています。


今回の問題がなんら台湾と日本の関係に影を落とすものではないと信じていますし、私も交渉窓口として目の回る、いやゆっくり寝ることのできない日程を過ごしています。」

同伴の秘書官も「昨日は一時間しか寝ていません、今日も朝から、この食事の時間は心の問題として、たいへんくつろげます」









A「政府と市民、そして外交の問題となり、日本も当局者と生産者、そして台湾同様の国民感情になっています。そのことで政治的風評も市民の間で騒がれています」


「先の代表(大使にあたる)も良くマスコミに寄稿していましたね」


A「もと、ジャーナリスト関係ということもありますが、正式には日本の新聞は台湾代表のコメント記事は載せないことが多いようです。大きく出るのは観光や国慶祝宴などのPR記事です。位置づけは中国総局の台湾支局という扱いです。ご存知のように台北駐日経済文化代表處の外交部の機関の亜東関係協会に属します。日本側は交流協会台北事務所として各種の調整を図っています」


「そういえば、園遊会で陛下と代表がお話しされていましたね」


A「本来は話しかけてはいけないのがルールです。あの時は代表が『台湾代表の馮寄台です』とお声を掛けたのです。すると陛下は代表に国民の声としてお礼を述べています。面白いことがあって皇后陛下が英語で代表夫人に声を掛けられました。米国企業の台湾重役である夫人は、それを英語では応えず、緊張して日本語で応答していました」


「あのシーンでは陛下が日本人を代表して感謝を述べたことに、安堵しました。その前の慰霊祭で台湾代表を他の援助国の席ではなく、一般席と同じ二階席に案内したことに国民は、゛友邦に対して礼がない゛と怒っていましたので、国民の溜飲が下がった思いがしました」






馮代表


A「その馮代表のエピソードで台湾の民主主義の受け取り方で逸話があります。代表を辞めて民間人として米国の会議に出たときのことです。空港カウンターで搭乗機のチケットがダブルブッキング。そのとき代替え機を頼んだら『できません』。上司に連絡依頼すると航空会社のリストと時刻表を見せられ『ここから選んで手続きをしてください。アナタにできることはそれだけです』今までは代表ですよ。しかも馬総統の友人です。日本の航空会社ならクラス上の席が空いていればお詫びを言って搭乗させてくれます。監督官庁の職員や高名な議員なら気が付けばワンクラス上もあるかもしれません」


「政府と国民の関係や間(ま)の取り方は法のもとに厳格さを求められますが、ナルホドと思っても、馮代表の心中は複雑ですね。とくに日本滞在経験の慣習をみたら首をひねりますよ」


A「続きがあります。やっとのおもいで米国に着いたのは夜も遅く、急いでホテルに向かいました。ホテルカウンターで事情を話し予約を確認すると『到着が遅れたので別の客を入れました』苦情を言うと『私がアナタにできることはこれだけです』と空港カウンターと同じ応答だった。『シャワーを浴びたい』というと、プールわきのシャワー小屋を教えてくれた。
この顛末を米在住の弟さんに話したら、『この国はそれが当たり前ですよ』といわれ、さすがの国際人であり台湾の知識人の馮元代表も嘆息していました」






後藤は赴任後、不作為、遅延がおびただしかった日本人不良官吏を内地に召喚して、無名だが気鋭な若手官吏を登用した。先ずは住民の健康を考慮した防疫、医療、くわえて教育の充実だった。
その政策は浸透して清潔簡便な営みが住民の慣習となった。
つまり、いま後藤が台湾にいたらもっと厳しい処置を内地(日本本土)に課していただろう
そのくらい厳しい気概があったからこそ今の発展基盤がつくられたといって過言ではない



「それを考えると風評や政策の齟齬や遅漏を日本のように大手の新聞社記者クラブを総動員して宣伝したり、あるいは記事にしなかったりしても効き目がないほど市民感覚は鋭くなっているようです。その感覚が判らないと日本の生産者は偽装しても政府に働きかけて台湾の当局者に便宜を企図しても、こと健康のことは市民も政府の言うことをそのまま聞くはずはないですよ。その意味で自治体には市場調査と民情観察を促したわけです」


A「このことは政府と市民の力関係とか統治力の問題ではなく、民主主義に関する市民の受け取り方が問題になってきます。馮代表の逸話ではないですが『いまアナタにできることはそれだけです』の状況ですが、その関係が日本のように市や県や政府に依頼しても国内問題なら済むかもしれませんが、国外の問題では解決をより難しくさせます。
ですから、この台湾の市民の苦情というより、日本への提案として「国際基準の順守」を言っているのです。これは圧力でも台湾政府の国民への対応不能でもなく、かえって日本の国際競争力や製品管理の向上に役立てられる提案なのです。」


「日本政府も騒ぎを大きくしたくないとか、対応遅延を批判されたくない。あるいは放射能問題を起こしたくないという現場の不作為や先延ばしもなかったとは言えません。
今回のことは台湾の消費者にお詫びすべきことであり、不謹慎かもしれませんが、かえって台湾でよかったと思います。単なる輸出禁止ではなく、国際基準に沿って市民が歓迎する日本製品を潤沢に輸入したいとする心温まる提言なのです。
いっとき、液晶はメーカーではなく工場の立地場所で亀山モデルがありました。和牛も近江や但馬もあります。リンゴは青森です。ブラジルでは日本人の栽培で陛下が訪問時に『日本と味も香りも同じようですね』と感想をお応えしたリンゴがあります。何よりも安い。
でも、台湾では日本の津軽リンゴは愛好者が多い。国交がない自治体交流ですが、ここは国産基準を難しいことと思わず、また風評と看過せず、中身の伴った外交儀礼を学ぶよい機会かと思います。それが津輕なら国内外における真の誇りの魅せ方なのでしょう」


A「そのような理解はより底辺の広い交流が図れます。政府間はいろいろな事情がありますが、人の人情と心の方向は同じです。私の娘も日本の歴史にハマってしまい新選組や幕末に興味があります。ほかの勉強が疎かになるのが母親として心配です」



           

          地方自治交流  青森県平川市(台中市と友好交流)


                    

「いゃ、歴史は時空を超えた俯瞰力を養います。また人物に興味を持つことは数値選別に弄ばれたような価値観とは違う感性を浸透させます。それを基とすれば知識や技術も活かされます。台湾の繁栄もそのような感性を持った人物によって支えられ発展したものだと思います。何よりも異なることを恐れない、そして台湾の国民に浸透している義志や義行というボランティア精神がそれに添った社会づくりです。お嬢さんは心配ありません。アナタと一緒で直観力や俯瞰力、そして許容力(寛容)をいま養っている世代としても好機のようです


A「どうしても言ってしまう(娘さんに)。でもその観点は学校教育にはない部分ですね」


「その意味では、生産性や利潤を追い求める効率的経営のなかで起きた今回の問題です。考え方によっては正式国交がないからこそ地方自治体にとっては世界を知り、真の繁栄価値を知り、じかに消費者の心情を知る好機です。
いろいろとネガティブな意見もありますが、先ずは足元を見て、かつ自分に置き換えて素直に現象に向き合うべきです。

それは棲み分けられた地域においても人々が信じ合い助け合う協働の心にもなります。日本でも官と民との問題がありますが、地方では依頼関係があります。今までは人情に基づいた無謬性を信頼する関係でしたが、さっきの馮代表の逸話と弟さんの言葉にデモクラシーの行く末をみたようにも思います。でも今回の台湾政府の要求は市民の提言として教えていただいたように思います。信じ合える、困った時に助け合える友の忠告は有り難く甘受するのが日本人の応えであるべきです。こちらの逸話ですが、日本の若者が台湾に旅行に行って行儀が悪かったのを台湾のオバサンが咎めた、『昔の日本人ならそんな行儀の悪いことはしなかった』
じつは私も一度怒られたくて行くのですが、まだその機会?に恵まれてはいません」


A「今日は○○(秘書官)とも楽しみにしていました。こんど家もこの近所なので遊びに来てください」


「昨日は一時間くらいしか寝ていないと聴きましたが、○○さんの調整に期待がかかると身体か心配です。はやくゆっくりお休みになれるように願っています。外交官は応答直観力と許容量が肝心ですが、○○さんはその能力に溢れている。その点は心配していませんよ」

A「次回はもっとゆっくりしましょう」



国内消費者者ともかく、海外に「分らないだろう」と偽装商品を輸出する心が日本人として悲しいことだ
日本人を信頼する台湾の人たちも、その日本人の変化が辛く悲しいのだ。
国内消費でもラベル偽装やブランド地域に輸送してそこで梱包して送る「…産」も多いようだが、食べ物はともかく、日本人の劣化が激しい。それも、みな金儲けだ。今までは嘲笑していたどこかの国とその点では同化傾向にあるようだ。


今回の問題に際して丁度、符合したように台湾外交部の俊英が調整に臨んでいる。
なんというめぐり合わせなのだろう。
どことなく飯店からでる姿に凛とした雰囲気をあった。
「人情は国法より重し」
これも縁と清談の妙なのだろう。

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安岡正明の説く 税務署長の心得

2024-09-27 09:51:53 | Weblog

            

            郷学研修会 安岡正明 講頭 

ある日の講話

「税(公平)と警察(正義)が国民に表す姿によって、民情はいかようにも変化する。

 

 以下はご尊父安岡正篤氏の督励ではじめた小会(郷学研修会)の講頭を務めていただいたご長男の正明先生の国税勤務当時にご縁のあった五十目寿男氏のブログ「芋沢日記」よりご紹介させていただきます。

 

地方行政官(税務署長)の心得

 

 昭和天皇の終戦の詔勅を刪修(さんしゅう=手を入れて調える)したことで知られる思想家安岡正篤の長男安岡正明氏(1927~2003年)は、大蔵省入省後、国税の世界にも長く身を置かれた。税務署長は仙台国税局管内の水沢税務署(岩手県)で1年経験されている。
 
 筆者が初めて税務署長になった際に、何か署長の心の持ち方として参考になるようなものがないか探して行き着いたのが、この「地方行政官の心得」である。これを常に手元に置いて考えるよすがにした。

 不思議なことに国税組織には幹部向けにこうしたものはないと思う。元国税庁長官の講演録みたいなものは時々散見されるが、これはあまりあてにはならな い。

 なぜかというと、皮肉のように思われるかもしれないが、言行がまるっきり一致しない元長官を筆者は複数知っているからである。

 さて、安岡正明氏の心得はどのようなものか、概略を引用する。ただし、氏はこれを熟読したからといって、地方行政官として何ほどかの利益があることは保証できないと断っている。その上で、幾分か爽やかに世に棲むことだけは可能になると信じている、と結んでいる。

 

        

 民を救い,矯正もする 台湾民生長 官後藤新平

 

1 地方行政官とは、行政の第一線にあって国法を遂行する位にある者である。この地方行政官の誠実と勤勉が、国を支えていることは疑いを容れない。

2 地方行政官の職は聖なるものである、と心に固く信じていなければならない。それは地方行政官にとって密かな戒律と誇りの源泉である。運命共同体の僕(しもべ)であり、正義と公平を具現すべき国家倫理機能の一勢力であって、株主のために営々と働いて妻子を養う職ではない。

3 国民が、納税者が、行政官に要求するものは、潔癖と公平とやさしさである。行政官の処分に誤りがあったことは稀で、異議のほとんどが、やさしさの欠除に対する感情的なものだった。例えどれほどの才入を確保しようが、納税者に国家に対する怨恨を生じさせてしまっては無意味である。

4 行政官の、自分の立場に対する理解とは、【2】で述べたことのほかに、自分の行政官としての権限と、自己の人間としての力に対する、謙虚で正確な分別である。正義を背負ったものの驕りと尊大さは、不正を隠すための虚勢より、遙かに非人間的である。

5 地域単位の機関の長の立場は、主観的にはともかく、客観的にはまことに微妙なものである。一年くらいしかその職に居ない場合、一回の春秋は、定められたスケジュールに乗って、またたく間に過ぎ去ってしまう。そこから事が始るべきなのに、そこで事が終わってしまう。なまじな知識で総合調整を行使しようと欲しても、なかなか思うように行かないのではないか。時には、混乱の痕跡だけが残ることもある。鏡のように無私の心で対する外ないだろう。

6 人には、その心中の花の早く咲く型と遅く咲く型がある。行政官には早咲きが向いている。しかし、そのために早く枯れて、心豊かな晩年が送れぬ場合が多いように見受ける。

7 時折り、真面目な能吏と言われる人に、部下と全く等質な事務を熱心に行っている人を見ることがある。これでは、決裁の技術的ミスの発見に止まって、方向や理念の誤りを修正することはできない。管理者は指示し、質問し、決裁文書を読むこと以外にも大事な仕事がある。思うことである。

8 人の上に立つ者は、おおむね性急な性格がある。彼等は、限られた時間で、前後の脈絡なしに飛び込んでくる仕事を判断し指示しなければならない。判断に必要で十分なデータは、少なければ少ないほど良い。税務職員には、往々にして、これを勘違いして、データは多い程良いと思っている人がいる。

      

     郷学研修会 右2人目 安岡氏

       

9 法律の文章は、解釈が多岐に分かれないように、内容が限定された言葉を用いざるを得ない。勢い語数が多くなる。短い、解り易い文章で、エッセンスを表現し、全体の姿を浮き彫りにする、要約と表現の能力は、身につけておいて損はない。

10 上司から、あれは便利な男だ、と思われる人は、中間管理職に早くなれる。それ以上の地位に進む人は、あれは便利な男だが、どこか底知れない所がある、と思われる人である。人間的な力である。

11   若い時は、群れの中の個として見られている。群れの中から個が選ばれるのは、専ら、知識と性格の比較による。中年になると、個々の中から個が選ばれる。それは個性と人格の差によってである。

12   個性の差は、税務大学校が、ついにそのカリキュラムに組み入れることのできない無用の学の差から生じる。それは本から学び、人から学ぶ外ない。がんじ搦めの身分である行政官にとっては、友人を選ぶためには、厳しい選別能力が要る。自分独自の人相学を学ぶべきである。

13   他人が自分に下す評価と、自分が自分に下す評価には当然誤差がある。それは全くの誤認もないわけではなかろうが、評価の基準の差である場合が最も多い。人事は、その人のためではなく、組織のために能力を判定する。評価の基準の差の最も著しい点である。不遇を嘆く人の大部分が、この差に気づかない。

 また、いかに正しい能力判定が行われようとも、人間には運がつきものである。めぐり合わせ、というものから逃れられる筈はない。自ら不遇なりと思う人は、組織の要求する所と、自分を評価する人の能力と、自分自身の能力を冷眼をもって比較計量し、万止むを得ずと思ったら、肩をすくめて天を仰げばよい。雲の行末は誰も知らない。

引用:安岡正明「随想 苦笑い」1979年財務出版刊P59~69

 

 中央 安岡氏 右 卜部皇太后御用掛  

 

筆者随聴 オモシロ夜話

 水沢税務署の頃、小料理屋の座敷でひとり酒していた時、つい立越しに,つい聴き耳を立てたことがあった。それは人目を忍ぶ関係なのか、押し殺す声で連れの女性に手当のことだ頼んでいる状況だった。「じつは税務署の調査があって、手持ちが自由にならないんだ・・」と。仕事とはいえ聴きながら吞んでいるほうも切なくなった。

税務大学校長のころ、泥棒と売春婦の徴収について生徒に課題を出した。課題を出されれば何の疑問もなく答えを出そうとする、数値選別の学び舎習慣だったが、売り上げから経費を引いて課税の道筋を懸命に考えている。泥棒の経費は、売春婦の経費は、それぞれ交通費、衣装、布団に避妊具、いろいろだった。

泥棒売春婦は認めてない行為である。よって不法行為は治安当局の罰金か弁償金など処罰対象になる」

 日ごろ徴収額の多寡を考えるあまり、新税の在りどころを探索することに汲々とする吏員の慣性に、あらためて勤労成果物に対する税法運用職員としての心構えを説いたのでした。課題の考案がまさに安岡流であり心得の再確認ともいえる教え方でした。

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「人間考学」 選挙、その笛を吹く人たち   9 1/11 あの頃も

2024-09-27 01:18:05 | Weblog

            林檎の花

 

2024年、大勢の笛吹が聴き飽きた音色で笛を吹いている。

話は上手いが、立派とは思えない容と像と体、そして音声だ。

音声は知性を表すとは古人の覚りだが、政治家は人を騙して雄弁家ともいう。

いかに国家経営の影の主役である役人の教えたとおり腹話術ができるか、役人の不始末を国会で上手く謝ってくれるか。嘘、改ざん、隠蔽、の言い訳、あるいは国家経営の証であるが、都合の悪い公文書の廃棄すら許し、謝罪、言い訳、はたまた辞任までしてくれるか、上手く踊れば足もすくわず政権に協力する、そんな舞台レースに観客も騒いでいる。

 

 

 

笛吹き」といえばハーメルンの鼠捕りが思いつく。
色とりどりの服装で鼠捕りを請け負う笛吹きの物語だ。
笛に浮かれ誘き寄せられた鼠が川で溺れ死ぬが、市民は笛吹きに報酬を支払うことをためらったために、子供達(130人)を笛で誘い洞窟におびき出され二度と帰ってくることはなかったという悲劇が記されている。

今どきのマスコミ表題では、゛鼠捕りの報酬を払わなかったために笛吹きは怒り、130人の子供達を拉致した゛と事件は踊るだろうが、その末尾に助かったのは足の不自由な二人と盲目とろうあ者の四人であると記事が結ばれたら趣は変る。

ハーメルンの笛吹きについては多くの隠された歴史がある。
ペスト患者の隔離、十字軍の徴兵、あるいは開拓者として植民地に向かった、など様々な説が「鼠捕りの笛吹き」によって追い立てられ、誘われ、連れ去られた、と後世の諸説に登場する。

そして笛吹き男は悪魔だと・・

 

           

 


今もそうだが子供達は思索や観照に薄い。いや大人に成るにつけ失くしてしまった素朴さと純情さゆえに疑うという問題視がない。それゆえ「笛吹き」の奏で方一つで誘われてしまう安易さもある。

昨今では大人とて「笛吹き」には容易に誘引されるのが倣いだが、とくに耳障りのよいスローガン、あるいは商業的キャッチフレーズに思索も観照も効かなくなる。

騒がれている派遣労働者の解雇だが、景気のいいときは仲介業者に登録し゛やりたいこと゛を選択肢として職業の自由を享受し、気ままな渡り派遣が流行っていた。
若者は先輩を範として、゛職業はフリーター゛と好きな趣味に没頭できる、そんな社会がしばらく続いた。規則や時間に縛られる社員を避けている人もいた。

それは規制の緩和や職業の自由選択を謳う「笛吹き」が歓迎された頃でもあった。

紹介業と仲介業との違いだが、高度成長期には山谷や釜崎では労働仲介業者がトラックに労働者を満載して現場に送り出していた。もちろん体が丈夫で能率が上がりそうな人間が優先だが、繁忙期には道具を入れる腰袋を提げていれば誰でも集めるといった大工事が多くあった。つまりニンク(労働者の頭数)数稼ぎである。巨大なドームや宗教施設が建てられたころである。

彼等には選択肢は多くないが、世の中を見る目が有った。
これが続くわけは無いということを・・・

「笛吹き」だが、ハーメルンの門に記されている碑文には、マグス(ラテン語で悪魔)と刻まれている。
「笛吹き」は語ることなく、身体を揺すりながら派手な衣装で懸命に笛を吹き、人を誘い込んでいる。「笛吹き」にとっては鼠も人間も同じである。

困ったことに現代は笛吹きに誘引されるだけではなく、「笛吹き」待望する風が吹いている。ハーメルン市民と同様に報酬を払うつもりも無く笛の音を待っている

ちなみに筆者もキーボードを奏でているが、利もなく甘美さも無く、鼠すら寄っては来ない。ハーメルンの物語には足の不自由な二人の子、と盲目とろう者の二人が残されたというが、世情に疎く不器用で変わり者ゆえ未だに誘いは無い。

外のチェンジ、内の改革、巷にある道路鼠捕りも、必ず痛みと報酬が付きまとう。
踊らされるか、躍らせるか、年頭の獅子舞も笛に踊り、些少の金子(銭)でおとなしくなる。

 

          

 


ちかごろ笛吹きが多くなったことが気がつく。
数多講演会の人集め、選挙の票集め、阿諛迎合的性癖といわれる日本人だが、群れの安心感は独立意思の涵養とは異質の似非知的教養の姿である。

だが、それさえも労務なり、時間なり、報酬を払わなければ悪魔になることは今でも同じようだ。

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可愛い女傑たち 2017 2 再

2024-09-24 02:43:07 | Weblog

                                            

 可愛いか、可哀いのかはそれぞれだが、事と次第によっては熱狂と偏見、悲壮感さえ漂う雰囲気がある。街中では歩けないような原色スーツで身を装い、赤絨毯を闊歩する女性閣僚たちの予備軍のような方々であった

 

 

俗人は「贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む」という。

しょせんロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。

まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。まして逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。

 

以前、政治評論家の板垣英憲氏の主催で「可愛い女傑たち」というパーティーに誘われた。普段は政治の裏側や政策評論などを生業としていた板垣氏の呼びかけだったが、参加者はそれなりの女性だが、みな一堂に揃うのははじめてらしく利発さと相まって、どこかツンと澄ましていて気弱な小生などは会話もままならぬ雰囲気だった。

 

三分一の男子は役人か企業サラリーマン風情、渡された名刺には公正取引委員会と厳めしい。女傑と公取の関係は知らないが、鼻の下ではないらしい。

板垣氏の人脈構成も多種多様なようだが、さて、゛可愛い゛という定義はともかく、男勝りの女傑を集めて何をするのかは聞きもらした。

和んでくると会話も進み、積極性ある起業家女性らしく名刺交換も席を超えて活発になる。

 

後日、何人かの女性から連絡が入ったが、ビジネスの前段によくある会食の促しが多かった。美容・医療・飲食とさまざまで総じて30から40代の美麗女傑だが、積極性は並ではない。集いでは女性らしく華を競っていたが、どこかイザとなれば烈しさが噴出する、その意味では弦が張ったような凛とした女傑が多く、軟弱そうで鷹揚な応答をする小生に不思議感があったようだ。

江戸っ子は女に優しくても野暮は嫌われるが、銭儲けの対象には適さないためか、銭と大樹に寄り添い覇を競うような女傑らの音沙汰は途絶えた。

弱き男の防衛的免疫反応は、まだ有効だった。

 

それは女性のビジネス起業のはしりだったが、分野においては男が足元にも及ばない展開能力を発揮する女性が増えてきた。また選挙目当てなのか外国模倣なのか、国の政策も、゛目玉゛と称してアダ花的に数多増えてきた。それは従前の扶養政策とはことなり、起業を積極的に応援するという方向に向かった。

            

              

青森県黒石市 こみせ祭り  キツネの嫁入り行列

 

女性の社会進出といえば保険勧誘員、医療従事、飲食サービス業、技芸教授などだったが、そのころからIT、健康補助食品、などの女性特有のネットワークを活用した企業の現場従事、あるいは総合職から企業経営と広がり、公務員でも管理職、大学教授など社会慣習上においても今までは女性から忌諱された職掌まで幅広く進出してきた。

 

また男女区別において、あるいは機会均等においても偏狭な女性観から閉ざされていた職業であり、単なる色どりや助手的な位置におかれていた現場作業(自衛官、警察官、土木作業)などでも管理的職掌を得て指揮監督する有能さを発揮するようになった。

教育分野では東大合格率や他の教育分野での上位合格者は女性が多くなった。

俗に「女に負けるものかと馬鹿が云い」が現実になってきた。

 

負なのか当然の帰結なのかはわからないが、就業に伴う政府の援助的施設である保育園などの幼児教育施設などの施設費や経常管理費などが増大して、支出とGDPや税収の関係が問題になった。

この分野はことさら費用対効果を云々するものではないが、家族構成では夫婦の家庭内の役割分担や諸事の決定権が女性に移り、人生観の合理性なのか、自由、平等、人権、均等が家族間の判断慣性となり、経済的観念も変化してきた。

 

するべきことより、ヤリタイことが家族間でも個々の単独人生観となり、情感より合理性に移り、その表現である家族や継続した家の連帯や調和まで意味の薄いものとして乏しくなってきた。種の保存や継続や夫婦間あるいは父子間の関係も守護するべきと考える側からすれば論をはばかる状態になってきた。

婿とり、嫁とりも入るものからすれば、習うより慣れることから新規参入の人材として経済的能力が求められるにつれて、非生産的なことはアウトソーシング(施設扶養)が増えてきた。

 

           

         インド ラダビノード・パル判事 「日本の若い女性に」

 

それは、「しっかり者」から「烈しい女性」に映る女性の姿でもあり、世俗の要求でもあった。セクハラやパワハラが問題となったり、アラフォー(around 40 活躍する35~40代の女性)がもてはやされ社会の進出範囲も拡大した。今では女傑などという言葉も禁句のようになり、あの更生保護婦人会も女性会に名称を衣替えした。

浮俗では飲食やホテルの支払いが女性と割り勘が珍しくなくなり、家計も別管理、育児もイクメン(育児する男子)が分担するようになった。もちろん夫婦別姓が叫ばれ、男児雇用機会均等法も施行された。

昔話しだが、キッチンの領域は妻の権利として、男子の立ち入りは御法度だったが、近頃は自分の食器は運び洗いが普通だという。互いの率先協力はよろしいが、義務だ権利だとはじまると喉ごしのビールも苦くなるようだ。

戦後の高度成長期からマスコミ宣伝は家事の便利さを唱えるものが多かった。三種の神器(家電ほか)、化粧品や健康食品、はたまた痩せ薬やエクササイズ(健康体操)まで、その多くは女性の労働軽減と余暇の活用と美容が順を追って提供される。

ちなみに若者向けには男性のファッションや美容などもあるが、やはり女性向けとでもいおうか、生命保険や傷害保険など、生活担保の提供が多くなった。病気やケガ、はたまた亡くなったら困るという類だが、離婚に伴う年金分割ともなると一家団欒などは空々しくなる。

また、高根の花を咲かして消費を進捗させる、比較、羨望、嫉妬、無理なローンを昂進させ、架空現実エンターテイメントの提供とともに温泉、グルメ、旅行、イベントが宣伝提供された。追うは女性、従うのは男性が多くなり、付きまとう濡れ落ち葉などと揶揄されるようにもなった。それが世俗の一面であることも判るし、しかも鮮明になってきた。

善し悪しはともあれ、自由は孤独とうらはらと知り、贅は自制を破る。

分かっていても止められなくなったのは、この頃からだったようだ。

 

写真提供 Chikako Kogawa

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永田町と霞が関の毒まんじゅうは美味いか? 2018あの頃も・・

2024-09-21 02:13:16 | Weblog

   終わることなく、変化すらない・・・

 

安倍くんもおめでたく三選となり、茶坊主だのチルドレンの猟官も騒がしいが、ここまでヤルと、次は、゛江戸の仇は長崎゛で、かたき討ちにあうのは分かっているのか、今のうちに愚にもならない肩書や地位をレッテル貼りに勤しんでいるという。

 

反社(暴力団)と名付けられた任侠も薄くなり義理や人情、狭い範囲の掟も厳しい分別があるが、議員の失業対策となった騒がしい選挙は、めでたく当選すれば寄らば大樹とばかり、政策是非はともかく親鳥の餌を巣待ちしている幼鳥のようにもみえる。

 

エサは派閥や党、見栄えが良ければ行政府の充て職に納まるだけなのだが、多くの国民は怨嗟を通り越し、政治家観の諦観(あきらめ)として、ときに政治に対して怠惰にもなっている。なによりも、あの御方の大御心を煩わせる無頼の徒のようにも映っているようだ。

 

        

 

政治家についてはクリーンハンドの法則という言い方がある

賄賂を貰うような汚職について、一度でも手を汚してしてしまうと、余程のことがない限り汚れは付いて回る、つまり何かにつけても弱みとなって言葉や行動が色眼で見られてしまうということである。

 

神様でもあるまいし、と同類に慰められても、あるいは貰った当人しか知らないことでも、どうも居心地が悪い気分になり、言葉も行動も遠慮がちになる。

 

「お前だって・・」と言われれば、「それとこれとは状況が違う・・」「一回ぐらいは・」と反発しても空々しく、日頃の貫禄など吹き飛んでしまう。なにも物のやりとりだけではない。煩る雑で道徳域まで入り込んでいる法にかかれば、立ち小便、吸い殻のポイ捨て、行列の割り込み、あるいは何処かの妻持ちと旦那持ちとの人情ごとまで邪推されたりするだけの風評で立ちいかなくなることもあ。

それも競争相手を引きずり落としたり、単なる嫉妬心から謀を企てるトリックになると、うかうか甘い言葉にものれないような、せち辛い世の中になる。

 

以前、政治家が巧妙な裏切りにあったとき、「あれは毒まんじゅうを食らった・・」と激高していたことがある。

原因は、同じ村(派閥)の長年の仲間を閣僚のカラ手形で裏切ったときのことだった。この手のまんじゅうは時限爆弾のようなものもあれば、徐々に利いてくるものもあるが、中国の賄賂(人情を贈る)とは異なり、相手の魂胆を見透かして誘いをかける謀(はかりごと)のような類で、なかには陰湿な計略もある。

 

あの時は竹下派経世会は衰徴し、当時の幹部が医師会から小切手を貰ったことが露見して世間を騒がしたが村岡議員がスケープゴ―ドにされた。そのとき村(派閥)の仲間割れに野中広務議員が放ったのが「毒まんじゅうを喰わされた」だった。

 

それも慎重な相手にはそれなりの手順もあるが、往々にして日本の政治家や官吏、サラリーマンの類は「仲間の証」あるいは「上下の分別」として、あえて毒まんじゅうを、しかも喜んで喰うのである。官吏が便宜を図る利権のお手盛りなどはその最たるもので、これも日本社会の習慣的性癖として毒まんじゅうの免疫性を支えている。つまり、喰ってもアタラナイ人間が大勢いるのだ。つまり慣れという免疫だ。

 

この場合は、喰わないものは仲間外れだ。まずはそれに馴染むことから始まるが、問題は正義と公平を司る治安や税官吏、政治家に免疫が多いと国民はそれを倣い、終いには、毒まんじゅう国家?になってしまうことが憂慮にある

裏金、裏手当、便宜供与、官官接待、任官当時は正義感溢れ国家を支えると意気込んだ若者だったとは言うが、みな饅頭を喰っていれば染まるのは必然だ。若いころ…とは言うが、もともと心底が安定職食い扶持を描き、一族の期待を背負って任官した青年も仲間外れになっては喰っていけない。それを知恵もなく「しかたがない・・」というらしいが、それが日本の能力あるエリート官吏と外国では見ている。

 

    

    この方の御世は・・・・  

 

 

なぜなら、それらは喰うだけでなく、毒を毒と思わなくなり「染まる」のだ。

官吏が政治家に「これは国家の一大事」と、耳元でささやき喰わせ、政治家はできもしない美辞麗句、ときには嘘八百を堂々と公言し、教師は人類愛と平和人権を餌箱に入れ子供に喰いつばませている。どれも反対できないハナシだが、古今東西、成ったためしがない。あったのは走狗に入る知識人の言にみるだけだ。

 

その点、単純なのは政治家の毒まんじゅうだ。聴くも見るも滑稽さが付きまとう。そう思っていた輩でも、騙された、引っかかったと広言されても可哀そうには思わないのが国民だ。

一方、引っ掛けた方も決して利口には思えないが、だいたいが抗論もせず知らん顔をしている。まんじゅうに毒を仕込んだほうが一人前の政治家に思え、喰わされた方が愚かでオッチョコチョイの欲張りにみえるのも、この世界の面白さだ。

 

閣僚の候補に入れる、公認をするなどから、地方議員の利権のおこぼれや視察旅行の水増しで子遣いの捻出など、国家を護り人々の生活向上をわざわざ拡声器で誓った口の渇く間もなく、いともコロリと引っかかる。しかも体裁のよい理屈をつけながらでも撒き餌に集う雑魚のように集うのもこの群れの特徴だ。

 

この場合のまんじゅうは「俺も喰いたい」と思っているが仲間を裏切ることはない。それは蛍のように「こっちの水は甘いよ」と、まんじゅうに誘われて群れの決まりごとを破り離れることだ。近ごろは野党が合従連衡すると今までの野党が政権のうまみをと実態を知り、かつ官吏の手のひらに乗ると旧来の群れが離脱しても与党に残るような議員も出てきた。これもよく効くまんじゅうのお陰だろう。

 

加えてこの群れを手なずけ飼い馴らす上手(うわて)もいる。

 

それらは宿便のように隅々まで導管に寄生し、滋養を吸い取っている官吏だ。

 

一官、九族に繁栄する

親族が出世して高官になると、みなおこぼれがあり繁栄する(便宜供与)

 

昇官発財

役人は官位が昇るにしたがって財を発する(天下り、渡り転職)

 

隣国のみならず、多くの国家は貪りの官吏の群れによって滅亡している。

あの元総理野田君が唱えていたという・・・、シロ蟻だ

 

イメージは関係サイトより転載

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あえて田中真紀子氏の言に耳を傾ける・  12 11/14

2024-09-19 01:19:17 | Weblog



田中角栄氏の子女真紀子氏は教育行政について独特な考えがあった。
父は教科書無償、教員の給与を含めた待遇改善を多くの反対を押し切って立法した。
今は、言葉には混乱もあるが官制の教育制度にある大学校の設置基準について政治家としての言を述べた。

角栄氏は戦後の教育行政へ勢力を伸ばしてきた日教組の構成員である教員の待遇を改善し、公務員なかでも厚遇というべき施策をおこなった。

その理由は子供たちに教育の機会拡大する枠組みとサポートする教員への援護だった。要は、角栄氏の許容量と見るべきだろう。

思想も施策も人間のなせること。複雑多岐な要因を以て構成されている国家を俯瞰すれば与党も野党もその協力者も当然な意味を含んだ存在だ。与党為政者といえど、欲望交差点に騒ぐ陣傘代議士とはことなる位置に居たことは確かだ。

当時、教員の多くは日教組に参加し、その政治志向は共産党、社会党と与党自民党の反対勢力だった。

教科書とて後の侵略記述にあるとおり教員の選択に任せた教材だが、これを無償配布した。

後日、「この施策については忸怩たる思いも少なからずある・・・」とも述べているが、それは自身の体験から「姉の使った教科書を大事に使った・・・」という、その教育環境の、゛ひもじさ゛と、教科書(もの)を大切にするという徳目が混在した複雑な思いからだった

だだ、戦後の疲弊から豊かさへの欲求であったが、易きに流れる風潮は内面(情操)教育を疎かにして、外面の形式を装う教育とそれに迎合する政治(政治家)・行政(官吏)・教育(教育者)の人材養成に多くの諸問題を発生させた

それは政治家、官吏、教員という公を代表する位置に在る「人間」の弛緩、怠惰、堕落を誘引し、角栄氏が時代を繋ぐ子供たちのために施策した法のもと、社会事情を顧みることなく既得権保護として、政府の是正もしくは効率化に、いや教育環境の適正化に対して政党を巻き込んで反対するようになった。

加え、偏差値という数値選別が人間の多様な能力を閉ざし、学校が商業化してそこに官界、政界の利権として多くの既得権者を生んだ。

覚えた、知った、類の数値が唯一の選別基準として社会全体を覆い、「人」の存在が希薄な状況を作り出した。

茫洋な混沌、あるいは橋下市長の言う、ふんわりした民意の怨嗟、とはこのことだ。

わかりやすく例をひけば、金融機関がリスク回避をするために信用保証機関の債務保証つきの貸出をするようになってから職員の査定能力が衰え、単に保証機関の取次店のような姿になったことと同様に、教員の教育の独自性、多様性が文部省通達と全国試験を生業とする企業の偏差値に右往左往して教員の機械的作業となり、あるいは適性(偏差値で算定した学校)紹介業の補助的な役割に陥っている。

時間が足りないとは言うが、それだけではあるまい。






本当の子供新聞

子供の不思議感、子供ながらの残酷な大人への疑問や指摘を直接生徒が取材して、日本の中古二色刷りの印刷機を駆使して生徒がカラー版を作る。

もちろん日本のような宣伝広告は無い。識字率は向上し、新聞によって大人は子供の疑問を知る。そして学校では子供新聞を教材にする

バングラデッシュ子供新聞 「キシロチェトロ紙」 記事は学校ポスト投函、日本へメール送信して校正・紙面データー化して送信する。

16ページ、海外面、社会面など、みな子供の書く記事で、大人の記事は小さいコラムだけ。毎月1000部、費用は数人の現地、日本の少ない賛助で発行している。





日本の大学数約800、多いか少ないかは別として、多くの内情は供給側の減少を補うために珍奇な学部を増設したり、コンビニ、レストランの併設や校舎のリフォームなど、より大学校本来の意味合いをなくしている。その大学に請われて講義に行ったことがある。

90分の授業では教授案作成が一週間かかる。同じ授業で教科書も同じなら、学生が変わっても同じ授業をオウムのように行っている教員もいるが、こちらは一期一会の機会である。
また、90分の間で緊張できる時間は15分ぐらいと老練な教授の言だが、そのほかは居眠りか、近頃は取り入れているパソコンへの集中だ。

授業とは言うが、顔を観て声を聴き、学びの意欲を共有することが学び舎の教場と考えていたが、ここでも出席単位の確保のみがはびこっている。

ある大学で女子生徒を注意したが、「叱らないほうがいいですよ、それに生徒はお客さんですから・・」何をかいわんやだ・・・。

私事だが、進学校だった私立高校卒業時に人並みに大学進学を考えた。それは想像したといってもいい。現実に視えたことは大学紛争と弛緩した大学生の生活だった。なかには女と酒と遊びがもっぱらな先輩たちだ。教場では居眠り、途中参加、教員はお構いなしにボードに学説という「説」なのか「拙」なのか分からんような文字を書きこんでいる。そしてお座なりの試験という数値選別だった。

一旦、人生の様子見を決め込んで逍遥した。逍遥はブラブラしたわけではなく、したいことより、するべきことの発見だった。

そして今は歴史記述にある多くの人物と邂逅し、いまは流行りとなっているオーラルヒストリーという、直接応接してときに問答した。

あるとき、安岡正篤氏に
「そろそろ大学に行ってみようかと・・」呟いたところ、
『大学という学問は面白いが、大学校はつまらん所だ。君、行くのかね』
確かに氏は帝大だが、自身の志す教科が無かったために併設図書館に通って、あの王陽明研究という名著を在学中に著した氏のこと、意味は深い。
゛好きで楽しくなければ覚えない゛゛学問は衣食のためにするものではない゛と古人も説くが、その意味では「大学」と「官制大学校」の世界は異なる場面だ。

その後、多くの縁を促され、多面で多岐な人物と応答が適った。それが安岡氏の言う「学問」なのだろう。

いまは拡大された縁を収斂する齢に差し掛かっている。それに随って拙意の提供を請われたり、大学等での駄弁を弄する機会も多くなった。

軍隊でいえば二等兵が士官に講ずるようなものだが、生徒が好きで楽しいためか居眠りも少ないようだ。犬ですら犬好きには吠えないというが、その点、若者のバーバリズムは健在のようだ。

もちろん教科を説明する「経師」ではなく、縁に随った稀な人物に倣って「人師」になろうと心掛けている。官制の「学校歴」はなかったが、学びの継続は「学歴」をいまだ追求し、そして欲している。そして生徒には「大学校は落第してもいいが、人生だけは落第しないように」と語る。
それは舌が言う「話(ハナシ)」でなく、吾を言う「語り」だからだ。

言い方が悪い、空気を読んでいない、仕草が悪い、と散々な真紀子氏だが別の切り口で見ると、よく空気を読んでいることが分かる。

あの石原氏や橋下氏が訴える官吏の弛緩と堕落、それは外務省の外交姿勢と隠ぺいされた内外の勤務状況に絡んだ経費の支出。文部省の政治家と絡んだ呉越同船の学校利権と、それが及ぼす教育の実態。みな夫々が判っているが是正できない問題だ。




桂林



いろいろ発言を面白がられ、それを気にもしない突破力は石原、橋下氏にも劣らぬものがある。政治家の言は国民の期待とはいうが、あくまで想像力をかきたてられるものだ。
また、総てが納得することもないが、ただ、橋下氏が言う、゛ふんわりした期待と怨嗟゛、石原氏が言う、゛大きい枠で協働する゛(小異をのこして大同につく)様子は、思索力をなくした人々に明確に喚起の為す意味を教えているようだ。

余談だが、あの小泉氏への応援演説は当の小泉氏への期待というよりか、田中氏への行動力、突破力に自民党有権者は賭けたのだろう。

それは外務省にも向けられたが、漏れるはずのない井戸端噂の類が高学歴、高級官僚の狡猾な情報操作で伝わったのだ。

父は高学歴の愚かものには人情という小遣いを使った。その位な連中だということを知っていた。要は国民のための政策を容易に実行するためだった。ただ、娘は入れ込んで昂揚していたためか、あるいは余りにも世間とかい離した官界に切れたのか、押さえきれない暴走になった。

「国民の意志を」と政治家は言うが、社会や国家を憂慮する意志などサラサラなくなった人々に、欲望の喚起を誘引することこそ、国家の自殺行為であることすら解っていない。歴史を観照して現在をみて将来を推考する、そんなことすら億劫になった人々には、たしかに変人、異物に映るだろうが、時宜を得ている言辞は貴重な存在だ。

面白がって揶揄する処世の民癖だが、こと大学ならず生徒を客として大学校を食い扶持にする連中にとっては前段の緊張として歓迎すべきことであろう。
ただ、またしても女性の烈しさに隠れる男子が情けなくも映るのも忸怩たるおもいもある。

 

 

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慎みの乏しくなった権力 2015 あの頃

2024-09-16 02:01:25 | Weblog

自民党をぶち壊す!と吠えた小泉氏のワンフレーズに酔った有権者だったが、しばらくして現れたのは、非正規雇用という、まさに正規の雇用ではない、いつでも解雇できる臨時雇だった。狂ったように叫び、争った郵政改革なるものは保険、貯金の虎の子を株や為替の博打まがいの世界に流動させる手立てだった。

規制改革は非効率な役人世界の手から離し、ハゲタカのような新興成金に安売りしたが、言い分は不良債権の切り離しという簡便な会計操作で、正常化を装ったが、ついでにリストラで従業員を解雇し、まるで垢落としでスッキリした気分になったようだが、要は見た目の変化の如く、本当に自民党だけではなく、社会構造や人心までぶち壊されてしまったようだ。

今までは非正規と正規に分離だが、今度は効率的とか働きがいなどと言葉を変え、正規まで雇用の流動化を図り、しかも要求者たる企業団体に政策として、早々と御説明に上がったとか。

あの時も競走馬のように、わき目も振らず走れとばかり遮眼帯だったが、やはり似たもの同士には非正規雇用口入れ屋の振り付け師も苦笑いしているだろう。

やはり「匹夫に責あり」無関心、無理解な有権者にも問題は大いにある。

 

 

横須賀  スカ ジャン

 

旧稿


戦後レジュームとかの脱却・・・・・

レジームとはフランス語で体制だが、安倍総理が就任時に頻繁に唱えた戦後レジームと云えばヤルタ・ポツダム会談後の連合国戦後体制、つまり日本でいえばGHQ(連合軍総司令部 ダグラスマッカーサー司令)が作り上げたという日本の戦後体制である。それは憲法条文や教育、土地税制、医療保険、防衛など多岐にわたり、一方でいわれるところの日本弱体政策といわれたりしている。

安倍総理はその習慣的思考が及ぼす政治政策や官吏の立案形態を「脱」という言葉で変えようとしている。それはレジュームのもう一つの意である「管理体制」下に構築されたという前提のもと現体制のレジュームチェンジだ。

しかし、「脱」と問題意識をもっても、今更ながら「脱」は出来ない、好まない一群がいる。しかもそれが政治中枢の周囲を取り巻き、「脱」の影響範囲を狭めている。要は、この部分だということに気が付いていないだけでなく、それらによって岩盤のようになったレジームを政権の背景力として互いに利用し合っている可笑しさがある。

何を基にしているのか政権が安定すると、その内にレジームの踏襲こそ平和安定の基であるなどと言い出しかねない。そのくらいに総理を操る力をレジームはもっている。

天に唾するようなことだが、安倍総理は安倍晋太郎の子息、母は岸総理の娘。それゆえ彼のバックボーンは実の父より、岸元総理の血脈として喧伝されることが多い。
戦前の商工省、満州官僚として統制経済を牽引した。

統制経済は集中資本、統制管理によって黎明期の満州経済を発展させ、その試行成果をもとに戦後は興銀を中心に重厚長大産業といわれる鉄鋼、造船、鉄道、エネルギーなどの産業を興している。まさに戦後復興は満洲の映し絵のよう近似政策だ。

私事だが、その満州人脈が会した新橋の国際善隣会館に唯一戦後生まれとしてその老海に漂い、取り付く島の縁に逍遥していたことで満州実情を大観させていただいた。

復興経済は多くの功罪を遺した。その副作用なのか、基幹産業を育てる過程で時世をにぎわす政財界の贈収賄が数多発生した。造船疑獄、インドネシア・フィリッピンの賠償利権、韓国地下鉄利権、アラブ石油利権、穀物利権など内外政治家と経済界、はたまた高級官吏を巻き込んだ汚職腐敗が蔓延った。

しかも、どこの派閥はエネルギー、他方は建設や電波利権、どこそこは文教(教育・技術)やODA利権など、国民からすればとんでもない利権が構築され、いまでもその系譜には手を突っ込めない状況があるという。つまり改革、省庁統合、独立行政も裏を返せば利権の再構築(陣取り)のようだと新進官吏は嘆く。

つまり戦後体制は戦前の軍刀に怯えていた連中が、GHQにお追従して手に入れた新世界なのだ。維新も欧米の植民地侵攻の怯えと対応を失くした幕府を倒し、美味い飯を奪った結果だが、その小人然とした貪りに、西郷は慚愧を抱いたのだ

今度も外来の侵攻軍だ。戦前の体制は倒れ、人物二番手が疲弊した戦後を曲がりなりにも担った。だからドサクサの奪い合いが起きたのだ。それが戦後レジームの恩恵を受けた群れであり、その血脈をつなぐ二世、三世の世襲議員が無くならない理由でもある。
ことさら抹香臭くも青臭い、または左翼(欲)掛かった立ち位置でいうのではない。あくまで下座観がそう観るのだ。










貧者のヒガミ根性なのか、日本人に染みついた習性なのか、今ほどウルサイ眼が無かった頃、政治家は井戸塀から金満に変わった。都内に大きな邸宅を構え、郊外には別荘、不思議に思っていると未公開株や情報有りきの土地ころがし、穀物やエネルギーの外交利権など、官吏の狡猾な知恵を寸借した蓄財が指摘されるようになった。

また、もともと財を成した二代目議員は狡猾な官吏出身議員の財布代わりになって没落したものもいる。「戦禍に倒れた人々のお蔭で繁栄した」、とはいうが、西郷の言葉を借りれば「こんな国にするつもりはなかった」だろう。それが遺伝子となって政権与党に群生する忘恩の徒を増産している。
それが、人心の衰えた権力に寄り添う者たちの戦後レジームなのだ。

官吏、政治家、軍閥の姿は、現在の官吏、政治家、官警、と何ら変わることのない御上御用の姿として国民は眺めている。数値比較ではなく、深層の国力というべき人心、情緒をみるならば確かに、戦後レジュームは戦前のそれと大きく異なる。しかし本来の問題は維新後のレジューム(体制)は、日本及び日本人の姿を根本的に変質させてしまったことだろう。

文明化は便利性とともに到来する。そして誘引されるように起きた情緒性の齟齬は近ごろの世代間の断絶どころではない。棲み分けられた地域に複雑な要因を以て構成され継続した国家なるものと、そこに棲む民と称される人間の親和性、すすんで連帯と調和心が、時とともに融解している。その憂慮に為政者の関心は薄い。その意味では、昔はそれを慎みを以て鎮考した為政者がいた。





ともあれ、戦勝国に迎合した知識人や議員、当初GHQの急進的もしくは試験的に試行しようとした勢力によって、あえて戦前・戦後と裁断された歴史的継続性だが、その後の至るところの各分野で馴染まない齟齬をきたしている。それは環境資質を基とした棲み分けられた人間の特徴ある姿の変質だ。

一方、その戦後レジームという安倍氏の云う紛い物の体制だが、ドイツの剛毅な反応と異なり、憲法のみならず、税制、教育、土地改革など、骨抜きや面従腹背を得意とする官吏や迎合政治家は巧妙にも自らの利権として戦後体制にバチルスのように寄生した。

他人から与えられたパッケージだからと理由にするが、GHQのみならず現在の日米関係は「年次要望書」の類にある、建設工事の透明化は談合排除、金融・保険は市場参入の自由化、医療の自由化、郵政改革は保険・金融の分離と自由化、それらの政策は治安当局のショック策を巧みに援用して市場開放と彼らの云う自由化に突き進んでいる。正規、非正規といわれる雇用問題も要望書の切り取りだ。


ここで問題なのは、戦後レジュームの恩恵を受けてきた公職者は食い扶持土俵を毀損することなく、その身分のようになった安定担保職を変わることなく維持している。
西洋感覚でいえばタックスペイヤーは変化に晒され、タックスイーターはお咎めなしの状態だ。その群れが弛緩した戦後レジュームの守護者なのだ。それが安倍君の視点にはない。
例をひいて恐縮だが、南欧のギリシャ、もしくは後進社会主義の国情だ。


憲法だが、ことさら組織や体制、もしくは法治の基となる条文を変え、整えたとしても世の中(国風)は変わらない。書き物や制度で民族を収斂し国家として成さしめても、単なる形式的国家としてしか成立しないだろう。法がことさら証明したり説明したりするための具では無いことは承知しているだろうが、それしか方法がない、つまりそれに数字を付け加えれば唯一の正しい答えとする固陋で許容量のない思考法しか導けない人間の習慣性の問題を考えることもない。神棚は汚れ掃除しなくてもお札は鎮座している。ときおり願い事のために手を合わせるが、エゴの利益には効能もない。













筆者がおもうに、これこそ戦前・戦後のみならず、明治に遡る「脱・模倣レジューム」だ。
あの頃は、法はドイツ、イギリス、教育はフランス、海軍はイギリス、陸軍はドイツと拙速な模倣だった。何よりも人間が西洋カブレに陥っていた。
また、そのモノマネに真や核というものを拙速にも置き忘れたために起きた形式欠陥が、その後の虚飾された経済力や軍事力に依存した国風となり、民風は人心すら微かなものとなってしまった。

世上では余りにも明治維新の異業などと喧伝するものだから、偉人、先覚者と顕彰される英雄や知恵者を汚すこともできず、その背後や後の場面で巧みに、時に狡猾に立ち回った連中によって近代模倣国家が曲がりなりにも出来上がった。

そして藩民は「国民」と呼ばれ、「国家」なるものに収斂された。
繰り返すが、西郷は「こんな国にするつもりはなかった・・」との意を語る。鉄舟も海舟も松陰もそんな慚愧の気持ちだと筆者は拙くも推測する。

教育はフランスかぶれの森有礼が持ち込んだ人権や平等、自由を編み込んだ啓蒙思想を文明の証として制度化した。それに直感し諭したのが明治天皇だ。(聖諭記)

理科、物理、法科は見るべきものがあるが、果たして相となる人材を養成することはできるだろうか・・つまり部分専門家は必要だが、多面的、総合的に内外の歴史を俯瞰して将来を推考する「宰相」を養成することは、この形態では適わない、という指摘だ

今もってその残滓は教育が立身出世の具となり、その弊害は先の原発被災時の東電経営者や監督官庁の官吏、そして選挙で選ばれた為政者たちのエリートと称される階層に、明治天皇の指摘を想起するのだ。

「現場は世界一だ、比して日本はエリートの養成に関しては失敗している」とは、世界中のジャーナリスト、有識者の感想だ。

これこそレジューム(体制)に安閑と巣を営む明治以降変わることのない残滓なのだ。いわゆる「脱」はこの部分であり、名利と安逸を最善の欲望として貪る者たちのコントロールの欠如なのだ。つまり欲望の自己制御を学問の基としておかず、互いに素餐を蝕む群れこそ、脱レジームの根幹をなすものであり、ここに視点が及ばないことこそ政治の放埓を招いている原因でもあろう。







ならば、どうしたら、こうしたらと堂々巡りの戯言が騒がしくなるが、先ず問題意識をもって明治以降の歴史の変遷を我が身に置き換えて内省してみたらよいだろう。
欲望についても「色、食、財」がある。世につれて対象と目的は変わるだろうが、この欲望のコントロールはどうだろうか。「数値」については法治、人治、そして数治になっていないだろうか。「知」について、質より量が単なる知った、覚えた類の学になってないだろうか。あるいは「色」にある性別、情欲が禽獣の別を弁えているのだろうか。「人物観」について一過性の数値の多寡や儚い名利に憧れたり、追従していないだろうか

学校では教えてくれなかったという。
もともと、官制の学校制度は数値競争と知の遊戯のようなもので、人間そのものを悟る場面ではない。習いはあっても「倣う」対象は少なくなっている。

未完

イメージは関連サイトより転載

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この有様は「五寒」の政外、内外の表れである  10   9 月  再

2024-09-12 01:00:15 | Weblog

あの頃も

 

平成29年、現下の情況は五寒にある「謀弛」、政治のユルミであり、隠していることが漏れる現象である。

また、政府を取り巻く諮問会議など、都度に国会の審議を得ることもなく、為政者にフリーハンドを与えたシステムではある。

だか、邪な意図をもった為政者なり側近が運用すると恣意的(思いのまま)に政策が遂行されてしまう。

つまり、官邸と一部の迎合官僚と業者の関係のみで国会のチェックもない。

面倒な争論を省き改革するには重宝だが、緩み(ゆるみ)と漏れ(もれ」は、必ず起きる

現下の騒動はその結果であり「五寒」に示す、謀弛の現象だ。

再三にわたりブログで記すが、「四患」から「五寒」になる過程は、人心の劣化と国家の衰亡である。

また、五寒にある「敬重」は、天皇、いや「天皇家」の意志にもかかわる問題である。

そもそも、天皇といわれる日本独自のシステムは、明治維新や戦後の民主制度で作られたものではない。

或る時は豪族が、封建では武士が、明治は議会が整う前は、有司(官僚)が考えた在り様だ。

有司が必要とあれば有史以来はじめて天皇に軍服を着せた。そしてその袖(かげ)に隠れてコントロールした。

最後は勝者である司令官に頭を下げさせ、多くの軍官吏、官僚、政治家の責任者は科(とが、罪)をのがれた。

今は、かたちなりに国民から権利を負託された政府が、その在り様を決めている。

だが、天皇の存在意義を考える側と、連綿と続いた掟や習慣で「家」を維持してきた側とは自ずと立つ位置は異なるのは当然なことだ。

その意義をどのように用いるかは為政者の問題だが、それらの手のひらに乗るお立場でもないことは、究極には割れない国家(分裂しない)であった歴史を俯瞰すれば自明なことだ。

欲望の交差点のような議会の与野党が分裂しても、国民の深層の情感は揺れることはない。いや安心しているといってもいい。

譲位は「家」の事情を含んでいる。

想像は勝手だが、「家」なりの深い事情が潜在することは事実だ。

それこそ「忖度」の用い方の知恵だ。ここでいう忖度は権力におもねて身を護る「そんたく」ではない。

 

                     

                         桂林

                                  

 

以下は再掲載ですが・・・・

政治のピントが外れる  「政外」


内政、外交の調和も無く、時として異国に侮られる  「内外」


「内外」は内政が治まらないために外に向かって気勢を上げる、あるときは危機を煽って国内の耳目を転化する状態である。

つまり、双方「信」が無いのである。いわんや「力」が乏しくなる状態である。

先ずはそこを押さえて昨今の日中問題、米国の政策を理解すべきだろう。
それは数値に表れる軍事力、経済力などを基に国力を見るだけでなく、過去から押し寄せるもの、将来を勘案して企てることが地域間に棲み分けられた民族の盛衰、あるいは民情の流れ方にある速度や量の問題を加えることへの促しでもある。

それは人間が群れとして向かう成功価値への欲求と集中、またその群れをコントロールする国家なり民族のリーダー【長(おさ)】なり政治機構の姿が「五寒」として現れるのである。

「信」が無く、「力」がなくなれば人間に関わる問題はすべからず弱体する。

とくに民主自由にグローバルという平準化がアジアに押し寄せたとき、率先して迎合した我国の諂いは隣国の民衆に一部にどれだけの追い風になったか、それを因とした、゛いいたいこと ゛゛ヤリタイこと゛が便宜的主義と相まって彼等なりの民族間競争がすすんだ。


゛彼等なり゛とは我国の政党内抗争同様、利に集い、利に散ることを掟や習慣でいう陋規(狭い範囲の因習)によって衆を恃み、群れを構成する姿である。従前の成文法(清規)がグローバルという外来システムに応用できず、また「人治」と称される実力者の意向(力)とのせめぎあいが心理的抗争という形で、表面形式や裏という其々の姿の権力が軍や経済を背景に間合いとバランスを取り合っている。


国内問題であるうちはまだしも、各々が国外に威を競争し始める、それが昨今の「力」の変容となり、国内異民族や諸外国との摩擦を起こしているのである。火山自噴の溶岩や地震が目に見えない境界を越えて影響を及ぼすことと考えればいいだろう。

また、それを当然の如く行なわせているのは「天下思想」と独特な諦観である。
つまり地球全体が住処であり、天は照らすこともあれば雨や暴風もあるが、それはそのときのこと、という生き方だ。それは普通に考える国家や社会観ではない。そのため「力」の有りようによって対応はどうにでも変化するのである。

分かりやすく言えば、゛天下の客であって主人゛なのである。
もちろん異なる考えを持っている民族なり国家との乖離は当然ある、また「力」の増減によってその対応は変わってくる。根底は肉体的衝撃と惨禍を想像させる「力」の姿とその表現である。


米国の軍閥といわれる産軍複合体同様、中国の各軍区における競うような経済行為と軍備拡張も新興財閥と同衾してそれぞれが独自の勢力圏を築き中央政府までコントロールしている。
つまり、力を「威」として政治すら傀儡化し、しかも其々が経済外交、国外勢力圏の増殖に走り出している。陸の軍区は内陸自治区から隣国を脅かし、海の軍区は海洋版図の書き換えを謀り外洋に進出し始めている。

歴史的にも軍(武力)を背景にしたものが権力を安定させてきたが、政治内局の各々が各軍区の後ろ盾を持つようになると、いつもながらの権謀術数が蔓延り、危機を感ずるものは財産の国外移動が当たり前のようになっている。

そこには国家を俯瞰した愛国心が、「一官九族に繁える」といった歴史的倣いにすすんでいる。「一官・・・」とは部族、親族に官位が昇り財(便宜、賄賂)を得るようになると「九族・・」でいう親族が恩恵を受けることである。

「政外」、「内外」その表れる姿は敬重を本とした「力」の威が衰えることではあるが、人を尊敬するとか、人々が譲り合うという敬重が無意味になる昨今、その本は財利に集中している。

「衣食足りて礼節を知る」とはいうが、゛足る゛の際限の無い欲望は彼の国をあげつらうまでも無く我国も同化しつつあるようだ。世界は財という鎖によって結ばれた。縛られるものと、引っ張られるものも明確になってきた。それは恣意的に与えられ放埓となった自由と、連帯や統合を妨げるように昂揚した民主意識を携えて現住所形の国家観に変化してきた。

彼等の活動しやすい状態になってきたことだが、それは、とりもなおさず自由と民主を掲げて便宜的資本主義を軍事力、財力、システム構成力を以って推し進めてきたもう一方の勢力の謀のような企てでもある。





               




【その行く末は・・・】

その一方に偏した繁栄と、そのシステムの頚木から解かれた新興勢力や復興勢力の計算高い連携と分裂の繰り返しが起こり、今までの経済支配から「力」(軍事)を背景にした固有の政治支配である専制への欲求が再び頭をもたげてくる。地域二国間の軋轢は国論を統一不可能になった、いや、そうすることによって連帯と調和を亡くすように民主、自由、平等という資本欲望と相容れない恣意的美句を諂い迎合受容した民族の衰亡をより明らかにする。

つまり群れの「長(おさ)」さえ推戴できなくなった群れの末路は獲物にとってこれほど好都合なことはない。気がつくことは親が親でなく、子が子でない家族の実態を国家に置き換えればセンターラインの無い繁栄として妙で特異な成功価値を生み、歴史の良とした価値まで融解するようになってきた。

一過性ではあるが,先の大戦後の政治経済における世界の「長(おさ)」であった米国の衰弱は、俗に言う、゛けつ(尻)持ち‘の実態を見極められたからである。要は力のあるうちに拙速に結論を求めるべきだろう。持久戦で疲労するのは前線の衛星国である。

なぜなら「平和」を謳って市場を確保していた資本市場は新たな「力」の登場に、またしても平和を唱えてそれを収めようとしている。彼の国の平和は、戦争と戦争の間を言うのであって、真の平和は「太平」と「安寧」なのだ。それもハナシとして理解している民族だ。

孔孟もハナシとしては理解できるし発生の必然もある。ただ、色変わりする国論のようなものはあるが、それは逢場作戯(その場、その時の対応に戯れる)と、「臨機臨度に涵養を観る」ように、人や国力を測りつつ柔軟に応ずる人治の論のようなものだ。







            

山内たつお




【応ずる国家の実態】


それに応ずる我国の高官の「本(モト)」とするものは、文部省の官制学校のカリキュラムを唯一の糧とした既得保全の群れの稚拙な応答でしかない。これでは国家も人(日本人)も見切られてしまう。しかも緩急に国論の統一性のもとである調和連帯の意識も無く、四角四面で遅拙な結論しか生み出せない。


満州崩壊で多くの高級官吏、高級軍人は電話線まで切って遁走した。

日本人は開拓民を置き去りにして逃げた歴史を彼等は知っている。

そして潜み、言い訳をする。

日本人の学問の果ては肉体的衝撃を回避する。そう観ている。

それは国家の大経綸と覚悟とのない貪官の群れでもある。


もちろん「五寒」に説く、「内外、政外、謀弛、敬重、女厲(レイ)」の到来と、その前提にある政治家、官吏の災いである「四患」に説く、「偽、私、放、奢」の由縁すら理解の淵にさえ届くことは無い。

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人間考学  人の世はこれに尽きる  2014 11再

2024-09-11 05:13:50 | Weblog

人心は微かになっている。

人物になじまない知識は、教養が乏しければ、一過性の、゛物知り゛でしかない。

浮俗では食い扶持(収入)や優越性(地位)のための知学てはあるが、運や縁を渇望する不思議さもある。


以下は我欲を抑制して、ためらわず、惜しまず、補い合う、まさに「小学」(小学校ではない)の良き習慣性でもあり、忠恕心の涵養の勧めである。

力ある者は疾(と)く以て人を助け、 (すばやく)

財ある者は勉めて以て人に分かち、 (譲る)

道(教養)ある者は勧めて以て人に教う    (伝える・教える)



数多の宗教家や政治家がこれに類似したものを説くが、私心がある。
官吏はこれを黙殺することで職に安住する、それが昨今のようだ。

なぜ、このような言辞が掲げられるのか、それは人心が微かになったからである
力や財や道には人を経過することで排他性を生ずることがある。
政治家は政策を、宗教家はこの教えがと、これが唯一だと宣伝するが、人間を介在するとおかしくなる。かといって書かれたもの(教義や成文法)や、石に刻まれたものはナルホドと認知されても、こと習慣化された浸透性には程遠いことだ。

 北京の友人作

 

ここで掲げられている綱目に見るものは、墨子の説く、行動を促す考えを「疾(と)く」「勉め」「勧め」が項目を実利として働かせる重要な部分を示している。
つまり、考えていても行動に出せない様々な要因を打ち払う内心の様相を示しているからだ。
「疾く」「勉め」「勧め」は、「考えthink」から「有働action」に移行するために障害となる問題を自身の内面に求めている。
筆者は剛毅な先人から「成らざるは 為さざるなり」の揮毫をいただいた。
「できないのは、やらないからだ」至極当然なことだ。

考えたことができないと、金がない、人脈がない、車がない、彼女もいない、学歴もない、と無いことを理由にする。無いのは当然だがそれは嫉妬の類でもあり、恨みにもなり、成すこともできなくなる。成す資格も能力もないと云わざるを得ない。
次は「人に云われはしないか」「失敗したら」「所詮、無理だ」が続くが、すべては我欲だ。

そんな人に限って、愛やボランティアなど衆を恃み群れに埋没する。それは好きなことをするが、するべきことをしない。つまり自分を知らず目的も流行り事に興味を持つ。

「自分」とは、
自は「鼻」、下部は音記号で自は己自身のことだ。それが「分」のある全体の一部分で己の位置や能力を探すことだ。そして己を知り、他と異なることを確認するのだ。そのようにして世界の人口六十数億人の一の自分を知るのだ。
もちろん同じ人間はいない。だから松陰は「他と異なることを恐れない」学問の根本を教え、先見性と突破力と養ったのだ。





    金沢八景 称名寺



秦の統一以前の春秋戦国時代 墨家が勃興した。その思想は多くの人々に歓迎された。人心つかみ取った墨家の思想と行動力は、儒家を圧倒、混沌とした社会をまとめ実利(生活に有効性のある利)ある展開として広がった。

人の「やる気」など数値に表わせないし説明もできない。合理的な考えではない。
ならば屁理屈を敢えて云えば、無理は理(ことわり)がないことだが、無は無限大、無尽蔵と東洋の観点でみたらどうだろう。

つまり人は無駄に産まれ、生きているのではないとの賢人の言に沿って、人を「情」を掘り下げて存在を、有なのか、もしくは無なのか、あるいは、世俗の有無が逆転し、老子の云うような「無用の用」を感知するのかを試みる必要があるだろう。
それは有無が混在する「他」があればこそイノベーションが起こり、掴みどころのないものから、偶然発見する、あるいは新たな生命体が動き出すことも起きることだ。

多くの科学は仮説を立てて、研究して合理的な説明を立てて証明する。

そして多くの偶然性を求めるように多岐にわたる方法や様々な切り口を駆使するが、それでも物理学などは真理には届かないという。現象は眼前に表れているが説明がつかないのだ。

人もそうだ。物や生物集合体に置き換えれば、刺激を与えれば思惑通りに動く。近ごろはその傾向が強くなった。副作用は刺激に慣れるとより多くの刺激を求めるようになる。まるで農薬や抗菌剤のように・・・。人の場合、往々にしてその疫は「欲」であり、いくつもの新種が発生する。
「欲」は解っているが、枝葉末節な対応ではエネルギーばかり取られて「益」より「疫」の方が勝ってくる。こうなると政策という抗菌剤では効き目が無くなってくる。
つまり、政治のピントがずれてくる。次は諦めと自堕落だ。

それも薄々わかっているが、手をこまねくばかりで決定打はない。それは動物でさえ理解している衰亡への直感が単に、合理的には「説明つかず」の状態に陥っているからに他ならない。動物はどうするか、自然推戴された長(おさ)が率先垂範して犠牲になることだ。命まで取られることもない昨今、群れを教化できる行動を示すことだ。




 箱根



議会制民主主義の定義や本質を知るものは少ないが、先ずもって金の議論が多い。
世の患いごとや犯罪も、多くは金がらみだ。
だから人の金を充てにして、その金主代理人である財務の役人の顔色を見るようになるのだ。彼らとて、国にいくら資産があり、借金がいくらあるかも細かくはわからない。

本会計100兆、国会議論や会計検査員の検査も入らない特別会計は本会計の3倍、約300兆の隠し金庫や外部独法の懐銭など、亭主の名目収支より女房や子供、親戚が隠し持つ資金は箪笥金として膨大な額になる。
民は上に倣う」というが、だれが責任者なのか分からない組織や国になっている。

そろそろ官吏や民の欲望に鼻面を引かれることを止めて、至極単純明快に標記の三項に政治の座標をおくべきだろう。命懸けというものの姿を魅せるのも宰相受任の要件だ。
皇居で拝受した輔弼たる印綬の意は邦の数値的成功より、深層の国力というべき情緒の護持が大命題となるべきだ。

外交、防衛、経済、などは、それを護持するためにある。
いちど青年の雄叫びの如く三項目を唱えたらどうだろうか。

それが「一」一線に留まり、あるいは堕した一線を打破する「一に止まる(正)」、正しい治め「政治」ではないだろうか。

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総理候補は、陛下の大御心を忖度できるのか  2019 2 改再

2024-09-07 14:58:10 | Weblog

 

 

ここでは民主主義社会のなかで、四角四面に天皇の存在意義や権能を、あれこれと論ずるものではない。また、哀願に似た依頼を抱くものではない。

ただ、人々が垣間見た行動や、その表現となり発するお言葉や、その元となるものをたどって推察する「大御心(オオミココロ)」と、それを忖度して具現するであろう、宰相としての姿をトレースしたとき、実感として感ずる乖離観の疑問でもある。

また、保守とか保守系と自らを称する候補者の言辞に、同民族に推戴され長い年月を経て畏敬の存在に高められた民族の長(おさ)の存在が、自ら行うであろう施政にどのような位置づけにあるのか明確な意思はないようだ。

赤尾敏氏に筆者は尋ねた。「いつも演説の最後に、天皇陛下万歳を唱えますが・・」

『本当は日本国万歳だ。だが今の政治家の体たらくでは日本国万歳はなじまない。天皇陛下万歳は天皇の長寿や個人的願望ではない。民族統合のシンボルとして唱えている』

三木総理は党内抗争の三木下ろしの最中でも「あの御方なら解っていただける」と強固な意志で持ち堪えた。就任当初は周辺の影響もあり参内することは少なかった。妻の睦子が陛下にお会いした時「三木は変わりないか」と御下問。

参内した三木に懇ろな自然体対応に感応した三木は足繁く参内するようになった。

佐藤総理も来客の多くは、陳情、党内煩悶、なかには猟官もあり週末には渋面がこわばるほどだった。そのような時、参内した。もちろん御都合もあるが、ご面会して応答されているうちに佐藤の面妖は、元の覇気ある団十郎に戻ってくる。

三木、佐藤と決定的に違うことは、偉くなりたい、人から褒められたい、物を所有する欲望がない、ということだ。つまり地位、名誉、財に恬淡でありそれを可能とする特殊な学びと習慣を、頭の学びでなく肉体に浸透された姿なのだ。 

筆者とて時の流れにまみえ、ときに省みて遊惰かとおもえる生活をしているが、それでも経国を委ね、強大な権能を委託した為政者にむけて、ときに天に唾することと知りつつ戸惑い、憂うことがあるのだ。半知半解な右派、左派と称する群れもある。多くは空気に流されているかの如く生存の証として不明確となった目標に向かっている

 

  

    子守っ子  昔は子守として奉公(手伝い)に行った。

 

今年は政府の文書改竄と忖度で明け暮れたが、第一次で官僚の狡猾さとマスコミの攻勢に懲りたのか、第二次で内閣人事局を作ってからは上しか見えないヒラメ官僚の忖度が横行しているという。要は口には出さないゆえに忖度を請い、商業マスコミや言論貴族や売文の輩には追従を、これまた口には出さない暗黙の了知として利用している。

文は経国の大儀にして不朽の盛事なり」を解せず、学校歴も豚に真珠のようだ。

 

昔からこれを強いるような小人は、問題が起きると言い訳するか逃げるのが常だのようだ

証券界はあの山一だが、不祥事の責任者はイギリスへ逃避、ほとぼりが冷めてから舞い戻り、不良債権の飛ばしであの破綻劇になった。政界を揺るがしたグラマン・ロッキード事件の時は岸総理の側近の川部美智雄氏は委員会喚問を避けてブリュッセルの「日本館」に逃げている。この時は安倍晋太郎氏は「みっちゃん、しばらく日本館に行っていたらいい」と助言した。縁は甦るのか、あるいは倣ったのか、森友騒動では総理夫人のお付き役の谷女史を海外の大使館に逃がしている。言い訳はあるだろうが、真摯な問題解決意識は無きに等しい。

 

あの世界では当たり前なことだが、世間に晒されると疑獄事件など数えきれないほどある。

分かりにくいのは海外利権だが、明治のシーメンス事件から始まって、戦後のインドネシア・韓国などの賠償、満州国の日本国内財産の詐欺的強奪、など、何のために、お願いしますと声を嗄らし土下座までして代議士になりたいか、その魂胆がよく見える醜態が繰り広げられ。

シーメンスは物の売り買いのバックマージン、東洋では賄賂、隣国では「人情を贈る」という。川崎重工の潜水艦マージンもそうだが、近ごろでは潜水訓練の深度や時間をごまかすさもしい悪事が常態化しているとのこと。岡に上がったセコイ狡猾公務員に倣って、カラ出張ならぬ空潜り も考案したらしく、うちなる賊の増大は各分野に蔓延っている

よく隣国に強く言えないとの風潮があるが、前世代が侵略した贖罪意識だけではない。

手練手管の外交は金と異性が勝負になる。スカルノ大統領には好いた女性を斡旋したが、逆なこともある。ハニートラップという色仕掛けである。だがこれは可愛いもので、せいぜい噂話や家庭騒動になる程度だ。

 

金になると要求する者は可愛いいもので、渡すのではなく預ける、ここでは人に投資するように渡すことがある。あるいは貿易物流の利権などだが、大豆1トンにつき幾らのコミッション。石油もメジャーブローカーと組んで利益をむさぼっている。この海外利権の迂回濾過装置が商社であり海外施設なのだ。「日本館」もそれに利用されていたのだろう。

なぜ、ベルギーに財界などから資金を集め日本食料理屋を作ったのか。前記の岸総理の側近だった川部氏を匿ったのか、よほど国会で騒がれていた航空機リベートのことで川部氏証人喚問が危険だったのか、よくわかる情況だ。

 

その連中は狡知がことのほかよく働く。そのための高学校歴なのだが、判明すれば捕まるのは国の税金補てんで学んだ国立大学出身だが、検挙する側も同様な学校で、国民からすれば税金で何を戯れているのかと、諦観(あきらめ感)にもなっている。

 

今回の改竄も東大から財務省だが、これに倣って各省の貪官もそれに続く。

議会も相変わらず官僚の書いた答弁書の腹話術だが、このところ大臣など誰がなっても良いくらい、適材ならぬ、粗製乱造の様相だ。

 

筆者は国会・行政府の騒動を、なるべく眺めるように心がけてはいるが、その群れが何を座標に言を立てているのか、また、行き着く先の「取り付くシマ」をどのように考えているのか、最近、とみに不安になってきた。

 

日本は政教分離が騒がしいが、米国では議会宣誓に際しては、聖書に手を置く。コーランの国も同様だ。台湾は民進党になっても総統宣誓は、国父孫文の遺影だ

翻って我が国は言葉や行動の範なり誓いを何に求めているのだろうか。国会ではテレビカメラ、委員会では任命者(使用人)の宰相なり政権幹部。つまりご都合で「言」が変わる曖昧さだ。

 

隣国の商店に「言、弐値なし」と看板がかかっていた。表示は定価で、二つの値段はない、つまり正直だということだが、人によっては、弐値はないが、参値、四値、五値もあるということだ。外交も人が変われば約束は反故だ。これは商いなら面白く躍動感があるが、近ごろではスマホをかざせば済むキャッシュレスだ。路地裏の買い物も面白くない。人民公社と同様、彼らの気質には馴染まないと察するが、いずれ狡知を働かせるはずだ。

 

その、弐値はないが、聞かれれば、二も四も五もあるとなると、親切さと正直さがなくなってくる。津々浦々とこでも首長(官吏)と議員の論争は似た状況となっている。自身の任期満了の失業対策選挙も騒がしくなるが、その因は「人のため」「生命と財産を護る」「平和な国」と謳い誓う座標は何か、言うこともなければ、聴く者もいない。

 

   

    二月の皇居東御苑

 

 

政策は踊り、対策も忙しい、それは落ち着きのなくなった人間の問題だ。

目標は財貨獲得の繁栄に偏重して、エントロピーの法則を喩えれば、山が高ければ谷は深くなる。本来は谷の深さが政治の問題なのだが、振り返ることもなく、大衆の欲の亢進に勤しみ、谷はより、その深さを増している。

 

その谷の由縁を考察して為政の欠陥を癒しているのが現在の国民の天皇観だ

喩えは奇だが、敗戦後、一部の高官は割腹自裁して責任を遂げたが、逃げた者、隠れて戦後要職に就いたものも数多いた。

しかし、いくら高官でも戦勝国の司令官に会いケジメをつける者はいなかった。いや任に適い耐えうる存在ではなかった。まさに、取り付くシマとして天皇の威徳にすがったのだ。

今は、当選した選良と名利位官を得て食い扶持を得ていても、土壇場で役に立たない群れは、歴史の証左に数多くあらわれている

 

せめて、身を引き締め、部下郎党の綱紀粛正に目を転じてもらいたいと思うのだ。

巷の下世話かと考えるが、せめて平成の御世の結びの備忘録として、次代の縁(よすが)としたい。       

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宰相として為すべき学問の特殊性 其の三   2009 7・22R

2024-09-07 01:20:33 | Weblog



美しい国》とはあるが、通常、至るところで「清く」、「正しく」、「美しく」が三拍子のように日本人の生き方として唱和されていた。
美しいものには前提がある。ちなみに可愛い童子が「ハイ」と応える様子が隣国の「美」の意味と聞く。

素直で、清く、正しく、が美しい姿なのだろう。
つまり清く、正しくを人の姿として、国民に人倫の道を表わすことが政治家に課せられた最低限の勤めだということである。

それが説明、解釈もなき美しい姿ではないだろうか



               






以下本文

【人としての日本民族】


学問といえば家庭の躾、朋友との練磨、伝統歴史の自習といった郷学、藩校での学習,海外での見分など゛成長に沿った多面的な学問習得から,真に頭の良いといわれる「直観力」「先見性」「勇気」を涵養,自得している。 

歴史の機会や時に委ねても、同じ国土に、単に時を違えて輩出された人物を思うにつけ,忘れてしまったものに対する愛顧は募るばかりである。アジアの大衆から光明と謳われた時は財も知も借り物だった。いまは自前だが、この落差はより人物としての『相』の存在を想起させる。

『相』の存在と育成に心慮する聖喩の言葉は、現代にも通用する疑問や,諸事おきる忌まわしい官の腐敗や,教育の荒廃など、我々に国家,国民という呼称ができあがった頃の明治人の苦しみと憂慮が、そのままの状態で継続されている。

果たして日本人としての性癖なのか、あるいは集団になると涌き出る国癖なのか、歴史を煩わす諸事の根本的憂いでもある。

未完

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宰相として為すべき学問の特殊性 其の二   09 7/22再

2024-09-06 01:26:18 | Weblog

               
               八景 称名寺


《国家百年の大計は人を樹る事にあり》
 国家、国民という呼称が出来上がった創成期に国家リーダーであった天皇の憂慮は、大正昭和の立身出世、学閥、或いは軍閥など、エリートの堕落によって現実のものになった。

 それは競争なり発展を否定するものではなく、その収穫を利他(国内外)に効あるものにするために、地位、名誉.権勢といった欲望に恬淡とした人物の養成、つまり国家のリーダーには人類普遍的な精神の涵養が教育の根本に据えなければならないという天皇の意志でもあり、西洋合理主義との関係において調和すべきもの、あるいは、堅持すべきものの峻別を促したものでもあった。

ここに教育面において『相』の養成に心を砕き、当時(明治初頭の大学教育とその学制)の教育に憂慮を抱いた天皇のエピソードがある。




            


           深層の憂慮に添う


「聖喩記」 

明治天皇の侍従 元田永フが天皇の言葉として記したものである。
「喩(ュ、さとす)」は、諭す、分からせる、ではあるが、「君子、義において喩る」の、ここでは「教育に敏感で疑問を取り出してさとす」と考えたほうが、この場合は理解しやすい。

明治19年11月5日 元田永フ謹記とある。
小生の拙訳だが

11月5日 午前10時 いつものように参台いたしますと、陛下は直接、伝えたい事があるとのこと。私は謹んで陛下の御前に進み出る。 陛下は親しく諭すようにお述べになった。

「過日(10月29日)帝国大学(現東京大学)の各学科を巡視したが、理科,化学,植物,医学,法科はますますその成果は上がっているが、人間を育てる基本となる修身の学科は見当たらなかった。
和漢の学科は修身(人格、識見を自身に養う)を専門として古典講習にあるというが,どこにその学科の存在があるのか。
そもそも大学は我が国の教育でも高度な人材を養成する所である。
しかし、いまの設置している学科のみで、人の上に立って政治の要に役立つ人物を教育できるような姿であろうか。
設置されている理科医学等を学んで卒業したとしても『相』となるべき人材ではない。
現在は維新の功労者が内閣に入り政治を執り行ってはいるが,永久に継続する事はできない。 

いまは『相』となるべき人材の育成が重要だ。

しかし、現在大学において和漢修身の学科が無いようだが、国学漢儒はかたくなで、狭いと思われているが、それは、それを学ぶ人間の過ちであって、真理を求めた学問を狭い範囲に置くのではなく、普偏な学問として広げなければならないと考える。
わたくしは徳大寺侍従長に命じて渡辺学長に問うてみる。
渡辺学学長は人物の養成についてどのように考えているのか。
森(有礼)文部大臣は、師範(教師育成)学校の改正の後、3年経過の後、地方の学校教育を改良して面目を作るといっているが、中学は改まっても現在の大学の状況では,この中から真性(ほんもの)の人物を育成するには決してできない。君はどのように考えるか。」


《小学》
,躾(躾「身を美しく」)で表す習慣学習は親子,兄弟,朋友の位置と役割の分別から発する調和のための礼儀や作法。あるいは身や立脚する場を清潔にする清掃など自己と他人の別や、知識,技術を活用する為の前提となる人格,徳性を習得する学問

《大学》
小学を習得した後、思春期の問題意識から自己の探求、そして必要な知識,技術を練磨した後に己の存在を明らかにする学問




                

             
            天を敬し 人の尊厳を守る




ここでは明治天皇の掲げる国家の形態や構成する人材の育成など、特に問題意識となるリーダーの養成方法についての不備を説いている。

また学長や大臣に対する考えは近代国家,富国強兵に突き進んだ明治初頭の国家経営の拙速さも読み取れる。

兵学でも陸軍はドイツ,海軍はイギリスといわれているが、陸軍などは拙速の余り戦術論が主となり国軍としてのあり方などは、その後の盛衰や錯誤の端となってしまった。

 明治天皇が諭すとおり日露の戦役における両軍兵士の勇敢かつ潔さ、あるいは敗者に対する礼と哀れみなど,戦術論で言う如何に欺き,如何に大量に破壊するかを知識として学んだだけでは日本民族軍としての矜持を添えた姿にはなりえまい。

戦う集団の武士道と民兵の違いはあれ、たしかに大量補充の問題もあろうが、規律,統率を力とする軍のリーダー如何で軋轢,禍根の芽は摘まれたであろうことは実証としてある。

 もちろん、今の各方面のリーダー像と比較しても大差ない問題を噴出させていることでも事実だ。
司馬療太郎氏の小説,坂之上の雲に著わされる乃木,東郷,児玉,秋山兄弟の表す矜持は今でも政経組織のリーダーとして通用する器量を備えている。

以下次号

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宰相として為すべき学問の特殊性 其の一   2009 7/19再 

2024-09-04 08:05:54 | Weblog

    「名山の元に名士在り」と謳われた岩木山 (陸(クガ)かつ南)作



【再度の総理だが、当時に戻って考えてみたい】



平成19年8月27日 
安倍総理は参議院選挙惨敗後、早々と続投宣言をおこない、明日新しい内閣の布陣を発表するという。

独り鎮考するというが、以前と同様つねに被写体フレームに顔を出す家族ぐるみで飲み仲間の官房副長官の進言があると思われる。なぜなら官房副長官の選挙区では当初の組閣で安倍さんから唯一相談があったと吹聴しているからである。

あの時も総理は河口湖の別荘で独り組閣人事を練ったことになっていたが・・

若者二人は宰相の意義を真摯に熟慮したのだろうか。

老婆心ながら彼らの別世界にある、いや官制学校歴マニュアルには無い人間学から「相」の存在を考察してみたい。



     

               宰相 臣茂



【以下本文】

『相』について

『相』は木ヘンに目だが、木の上に目を置き遠くを見通せるといった意味で、政府機間でいう何々相は,歴史の必然性と方向を見通せる立場を表している。
つまり先見の明で表わされる「逆賭」の問題である。
アカデミックに合理を追求したり、歴史の必然と言っても、因果律といったように原因と結果について突き詰めた理屈を拾ったところで皆目,答えが出てくるとは思えない。

ところが碩学、南方熊楠いまどきの脳髄では曖昧な部分に棲み分けされている因を縁と関わりを持たせ「因縁」、所謂、「縁」の必然として随所にその探求を試みている。
熊楠は仏教にある曼荼羅の深遠な真理から確信に辿りついたというが、縁の遭遇といった意味ではこんな言葉もある。

「経師、遭い易く 人師、遇い難し」
経とは五経のように教本の解釈や知識,技術の類を講ずる先生はどこにでもいるが、感動や感激を添えて人間の師となる先生にはなかなかめぐり合わない。
それと同様に国家においても「相」を備えた人物の出現を待って久しい。

ならば現代の官制学の勉強という記誦方式において「相」となるべき人物の養成は図れるだろうかとなると難しくなってくる。
文頭における先見性といった一部分の解決には、集積データーや科学的根拠という説明材料を高尚な書物に著したり,前段で自己の領分に事例や仮設を貼り付けたところでどうにか様にはなるが、肉体的衝撃を伴う場面では、からきしだらしない姿を露呈してしまう。

とくに「相」は決断の責任や歴史の継承者としての任があるため、単なる知識,技術では納まらないものがある。
ならば『相』とはどのような人材なのか。
近代といわれる歴史の岐路であった明治初頭の人物養成について、貴重なエピソードがある。




               




筆者が貴重というのは、平成現代が抱える政治,経済,教育を論じる時,最も重要な構成要素である人間の所作にかかわる問題だからである。

官民を問わず、組織やシステムはその操作,構成の課程には全て人間の存在がある。
たとえば国家の構成は民族,領土、伝統の3要素といわれるが、おのずと(自然に)存在する領土,伝統とはべつに、民族は意志という己の探求如何でどのようにも変化できるものだ。
歴史は探求,欲求が及ぼす不調和を補う為に掟や法といった意志決定の客観性をつくりだし、また,尊敬や忠恕といったような全体の調和に欠かせない「礼」の自得としての習慣学習を促し,人物,人格といった自他の現存の上に立った『自尊』という誇りや矜持を教育といった場面で涵養を図っている。

明治初頭の学制においては。小学では冠に「尋常」をつけ、怖れず,騒がず、といった平常心の自得を習慣とし、将来の思春期の問題意識へて大学の自己を明らかにする(明徳)大前提の必須として,時には強制的に行っている。 
《ここでいう小学,大学は「校」だけではなく、古典にある「大学」の意を含んでのことである。》

そこには幼子であっても身を護り、身を委ねる対象としての尊敬される教師の姿があったことは言うまでもない。

また,その人物像は人生の折々に想起され、縁に触れ蘇えるものですが、同様に国民が『相』の理想像を描き,相親しむ人物像は知識,技術の習得だけではその範になり得ない。人間の人格,徳性を兼ね備えた『相』の出現は現代のカリキュラムには無い「人間学」的要素をもった学問が必要になってくる。  

 尚更のこと『相』の人材育成過程ともなれば、知識,技術,さらには一過性の暗記,点取り術では『相』の存在さえ、あの科学的、合理的とおもわれる説で覆い、その認知さえおぼろげになってしまうのが現状である。




               




立憲君主,議会制民主主義といっても、熟練した政治手腕を持つ人物如何によって、その興隆,衰亡の姿が刻まれることは歴史の証明するところである。
我が国の律令制度が定まり、各期の政治体制は公家,武士という身分社会のそれぞれ『相』によって政治が行われ,戦国の世でも頼朝,秀吉,家康らの武士の頭領も征夷大将軍に任ずるという勅令によって、いわばお墨付きによって拝任している。
近代国家のさきがけといわれる明治においても、万機公論が謳われるなか天皇の輔弼(ホヒツ)として宰相の存在があつた。

戦後、吉田総理は書の末尾に,「臣茂」と署名している。
勅令を発する天皇の側としては、どのような期待を『相』に抱くのか.あるいは『相』の習得すべき学問の内容とはどのようなものなのか、近代の歴史で天皇の発言が際立った明治期の例に考えてみたい。

以下次号

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選挙ポスターはいつから笑う(嗤う)ようになったのか  10 7/28 再

2024-09-02 00:07:45 | Weblog

あの頃と同じく変わらない 後藤新平



古臭い考えかと思うが・・・

街中のいたるところに掲示されている選挙ポスターだが、今どきはデザインも印刷もナカナカのものである。

そして多くが歯を晒して笑っている


書きモノの中身は公約が姿を消し、マニフェストやらアジェンダと゛盗って?゛つけたような異文化の文字が約束事として羅列されている。
この横文字で有権者の大部分は半知半解のマジックにはまってしまう。

昔は「国つくり」「まちつくり」が脚色され、゛お年寄が安全に暮らせる゛゛夢と希望の描ける゛など、曖昧だがどこか納得させるものがあった。

近頃では具体性と説明責任が加味され医療や年金、雇用が細かく謳われるが、これもあてにはならないことを国民は承知している。  今は「安心・安全」だが、これも易しいが、優しくない

ちなみに防衛や外交は票にはならないと語らない、いや語れない候補者が増えた。
当選に必要条件は駅立ちと握手、そして有名人の応援演説だ。
また、何よりも歯を出した笑顔が大事な用件だという。

「熱き叫び・・」とは田中角栄氏のはじめてのポスターだが、今どきは野暮で古臭いらしい。どうせ陣笠で官吏の不作為の言い訳に使われると判っていても、いずれ実力者として郷に役立つだろうと,タニマチのように時間を掛けて育てる地域ボスがいたが、結果と利のリターンが早くなったせいか口が達者で映りの良い候補者が選ばれた。

 

今回の参議院でも多くの職域団体からの推薦があった。ある省ではオンナに問題があったキュリア官吏を補助金団体に委ね立候補させている。官吏はつねに生涯賃金に頭を絞っている。たかだか代議士は落ちれば徒の人,生涯給料は政策責任もない安定職官吏には敵わない。しかも国会の言い訳は代議士がやってくれる

あの地方分権が叫ばれている自治体とて市会議員と課長は同じような給料だ。

ただ、税金経費は議員の方が使う。
あるとき〇〇砲と云われている週刊誌記者が駆け込んできた。

その元建設官僚も欲張りなのか関係業界からの口利き献金の収集に忙しい。

日本人だが外国人風に髪を染めたオンナを係りにして外車、別荘をねだり、補助金団体の役員技官の便宜を図っていた。

本妻が苦情をいえばオンナは、゛その生活を維持したければ・・゛と脅す始末。それが辞める時に「参議院の本義にももとる」と、野暮な言いぐさで離党までしている。

この議員もポスターは笑っている。
標記だがいつごろから歯を出して笑っているのだろうか。
また、その頃からだろう西洋の外交儀礼だと称して女房と手をつなぎタラップを降りてくるようになった。選挙でも女房は髪を振り乱し土下座までするようになった。
候補者もイケ面だからと亭主にけしかけ物書きや芸人が数百万票獲得するようになった。
思慮分別の無くなった国民から頭数を掠め取る選挙が蔓延ったのもこの頃からだ。




中央とパイプがあるとか役所に顔が効くことも役人天下を如実に示すことだが、この時節に金の差配権限を戻した途端、数兆円の裁量予算、いや欲望を喚起しいらぬ競争心を煽り民意を混乱させる狡知が再び頭を持ち上げてきた。



  

  国会の開会
              

                        
喩えは悪いが、女房(官僚)が自由を担保にして恣意的に配っていた家計(予算)に釘を刺し、財布の管理と使い道を限定した途端、うわべは何ら変わることなく巧妙なサボタージュを子供(部下)を巻き込んで始まった。

亭主を気取ったところでスーツを買い、バッチをもらったが、渡された財布はカラッッポ。これでは体裁が取れない。鼻を膨らせたところで威厳も無い空威張り。もちろん房中の秘事も拒むことは無いが無感動。

だだ、こんな亭主にいつまでも威張られては堪らないと、あの祖父の様に唐突に大風呂敷を広げさせ他人にもボケたように見せることで、巧妙に外からも内からも攻め立て、堪らなくなった軟弱亭主は財布の管理と使い方を再び女房に任せるように仕向ける。

すると、どうみても収入に見合わない臨時小遣いが渡され、またスーツに似合った空威張りが始まった。

どうも家計の目的を旦那の自由にさせてはならない。子飼いに迎合され歓心をもたれなければ女房のプライドが許せないらしい。

また、さもしくも卑しい子飼いが増殖し教育にも悪い。

多数の危機・・、消費税の広言・・・、惨敗・・・、戦略局形骸化・・・、二兆円
どこか女房の狡知と類似している。同じ餌でも税のような苦い餌はだれも喰い付かない。
言わされる亭主も高級な竿を渡されて意気込んだようだ。
しかも錯覚した潮目と海流のデーターも女房が優しく小耳に呟いている。




       

          北一輝   陳基美



同じ大風呂敷でも後藤新平や孫文は笑ってはいない。
どうも雄の子が歯を出して笑うのは、こと精神的、肉体的にも衝撃を受ける有事指揮の立場におかれると思うと薄気味悪い。

想像してみて欲しい。

この時世に嗤う男が、「お願いします」と哀願する。

国民のために命を懸けるという者が笑っている。

そんな男の覚悟は如何に・・・・

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