まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

君が在る世を鎮考する

2012-03-24 14:02:19 | Weblog


明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる
勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。

詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。
あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。

歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。

中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。

ここでは、明治天皇の和歌を掲載させて戴き、遺すこと、繋ぐこと、事象の見方、そして現代に比して考えてみたい。







簡訳と羅線は筆者の拙意


 「詠み歌」

 言の葉の花の色こそかはりけれ 同じ心のたねと聞けども 


わが国の情緒や感性の根は同じだというが、言の葉の使い方で詠み歌はさまざまな心を表している



「処世」

 世の中はたかきいやしきほどほどに 身をつくすこそつとめなりけり 


世の中は縁の作用によって高いとか低いとかのいうが、それぞれが適材適所(特徴)を発見して怠惰なく生活を営むことが幸せに導く方途だとおもう



「塵除」

 つもりては払ふがかたくなりぬべし ちりばかりなることとおもへど
 

小さな問題でも放置すると積もり、解決さえできない大きな残滓となる。為政者もそのことを深く考えなければならない

人を観る、人間を活かす、この「観人則」が衰えると法の運用が偏り、人間の尊厳さえ毀損するようになる。そのような堕した慣性がはびこると民は施政者に倣い共に衰退する。これは精神の塵であり、その兆候を見逃さず除くことが経国の要諦である


「教育」

 いさをある人を教へのおやにして おほしたてなむやまとなでし子 

歴史上の賢人や勇者の英知を教育に活用して、それらの人格に倣うことは子供にとって有益な学びである 

目標とする人を敬い、人格を倣い、感動と感激を通じて魂の継承を学びという「人間学」


「学処」

 いまはとて学びの道に怠るな ゆるしのふみを得たるわらべは

 
 たとえ学び舎の卒業証書を授与されても安心せず、本来の学問を怠らず立派な人間になるように留意すべき



「机上の浄」

 よりそはん暇はなくとも文机の 上には塵をすゑずもあらなん

 
たとえ家業、事業で多忙でも大切な学びの机は清掃して学びの準備を怠らないように



「家庭の訓」

 たらちねの庭のをしへはせばけれど 広き世にたつもとゐとはなれ


 
家庭には家訓や歴史も善き習慣がある。その教えを将来につなげ、立身の基礎にしなければならない



「情操」

 ともすればかき濁りけり山水の 澄せばすます人の心を


往々にして自然の恵みである山水も汚れ濁ることがある。人の心も純に澄んでいる時は美しい善性をもっている

数値評価で表れる経済や軍事力だが、民族の善性を護ることを深層の国力という
 


「慎み」抑制
 
思ふことおもふがままになれりとも 身をつつしまんことを忘るな 


たとえ思い通りにならないことがあっても、平常心を以って心身を慎まなくてはならない

東電の停電の際、暖房を消して生活していた今上天皇を想起する



「人材」

 山の奥しまの果てまでたづねみむ 世に知られざる人もありやと 


山奥の郷村にも無名だが世に有力な賢人がいる。往々にしてそのような人材が斬新な智慧と鎮まりを涵養している。そのような無名有力な人材を捜し求め、世に活かすことが肝要なことだ

人格を何ら代表しない附属性価値(地位、名誉、財力、学校歴)が人物選定の具になったのでは有効な人材は探すことはできない。


「忠恕の心」

あつしともいはれざりけりにえかへる 水田に立てる賎をおもへば 


極暑のなか、津々浦々で懸命に勤労する国民のことを思うと、吾が身の暑さなど考えることでもない

昭和天皇も侍従が「今年は涼しくて・・」と呟くと、『東北は冷害で大変だぞ』と叱責
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酒を温めて「鬱」を医す  08/9再

2012-03-24 11:57:35 | Weblog
Yamauchi Tatuo


行きつ戻りつの酔譚で恐縮ですが・・・


絵本作家 夢ら岡実果さんは「カー君と森の仲間たち」(文 吉沢誠)という絵本を出版して小中学生に増えている鬱症状から自殺について警鐘を鳴らしている。

内容は独りよがりにもみえる、思いつめた孤独感が他と接触し、認め合うことで錯覚した生き方を新しい環境の中で見つめなおし、そして自信を持った生き方を発見する・・というストリーだが、この絵本をスライドを使った、゛読み聞かせ授業゛を夢ら岡さんは行なっている。

この取り組みに対して学校、自治体、文部省が賛意を示し、その展開は全国的な取り組みとして拡大している。

いま小学生の十人に一人、中学生の五人に一人は鬱症状があるという(夢ら岡談)
たしかに読み聞かせ後の感想を生徒に聞くと、茫洋とした気持、目的が明確ではない、などを「鬱症状」とするなら、多くの生徒がそれに当たるだろう。

余談だが「ストレス」についても老若男女を問わず、感ずる、ある、が大部分だろう。つまり思い通りにならないことが数多の内部障害的症状に出てくるということである。

そこにカウンセラー、心療医師、研究者教師、はたまた占い師などが切り口の異なる原因論、解決策を提示し、その選択は「鬱」と自覚、あるいは認定された内部障害者に委ねられている。つまり症状を持つ人が多くなったと同時に、社会の表層に現れたとき、とりわけ「鬱」に関わる人々も増大し、社会現象としも耳目が集められるようになり、人間が「個性」という文字に括られたように、過去の歴史には今ほど表れることのなかった「鬱」が、触れてはならないことから、現代の病として定着しはじめている。

症の高低はあるが、無気力、虚脱、は競争社会には付き物だというが、

自己を知らずに競争に混じり敗北感を味わい自信をなくす。
馴染まない、あるいは似合わん事に手を出し混乱し、右往左往してしまう。

これらは、たとえプロパガンダで誘導されたとしても事前の観照や思索が無かったと諦められるが、自己に還ることの出来ない場合は「ストレス」「鬱」という自己認定が幾許のダメージを和らげてくれることもある。



Yamauchi Tatuo

「鬱」に真贋は馴染まないが、重度、軽度に評される他からの認定は、これが見た目症状ではなく、患い病としての医療処置が施されるべきことだが、筆者は天邪鬼にも「鬱」と対に発せられる「躁」についても考えてみた。

よく、゛躁鬱が激しい゛というが、前後の起伏が交互に訪れる状態を言うのであろうことを理解の前提として考えると、躁にみる騒がしさとの関係はアカデミックな論を外にして、躁鬱交互とは落ち着きの無い騒がしさとも観える。

ならば「躁」を考えることで「鬱」の理解程度も高まるのではないかと考えるのである。歳を増すと感情の度合いが弛むのか、それとも落ち着きが増すのか前後交互の節目が曖昧になる。肉体的鮮度?なのか、コントロールが効くのか躁鬱の調和が取れてくる。もちろん鬱や躁という意の持つ有効性と負荷を経験則で学んだ故のことだが、ことさら忌諱する文字でもないことを理解している。

またそのようになったときの対処を己に合った方法で解決している。


Yamauchi Tatuo

つまり、手軽な相談者や受診者にならないものがそこにある。

「酒を温めて鬱を医す」
食生活の変化もそうだが、よく肉を食べると冷える、根菜を食べると温まるという。風邪に葛根湯というが、葛の根を炊いたものを飲むことで身体を温めることだが、芋を食べていた敗戦直後の女性の体温は37度だが、ベジタブル、肉食グルメの近頃の女性は35度〜36、これでは冷え性から便秘、体毒が滞留して関節の痛み、肌荒れ、そして「鬱」が顕著になる。

近頃では馴染まない世界で抜け切れない状態が「鬱」を招くという。だが理解の許容を云々するより、目的、使命の置き所と無闇な合理や計数との整理不可など、自と他、つまり公私の間の涵養が欠けると「鬱の棲家」も浮俗の許容に届くらしい。

それらは際限のない欲求とともに、内在的不満、要らぬ恐怖心を発生させ容相まで変化させる。誰のせいでもない「欲を少なくして貧を医す」である。

ならば「躁」を賢人はどうしたか。
「静座して躁を医す」
まず、不安から群れる徒党の騒がしさから離れ、独り静かに座って目を閉じることだと教えている。

どうも人間から発した欲望がコントロールを失い、それが社会の現象となり、育て上げたモンスターが一端降り注げば、それから逃れる為に乱舞し、あるいは殻に閉じこもる。しかし乱舞に疲れ、殻の居心地を考えたとき、解決策の無い亡羊とした世界に独り置かれたようになってしまう。

民主主義の発祥といわれるギリシャ都市国家アテネ、ローマ帝国、日が落ちることの無いといわれた大英帝国、アジアの大清国、そして今は米国も歴史の栄枯盛衰に倣って衰亡しようとしている。我国もその淵にある。

それらは繁栄の渦中に何を見て、何を国家なり民族の目的とし、行く末として観たのか・・・
人々には共通した嗜好があり、目標があった。
「温泉、グルメ、旅行、イベント」それが繁栄が誘引した幸せ感だった。

財貨と国威影響力を用いた支配地域への旅、世界の美味、浴場にみる快楽、そして奴隷の闘いと競争(スポーツ)が過度の刺激として際限なく増大した結果、民族は弛緩し国家は滅んだ。

あえて過量な酒と薬草で「躁」(トランス)状態をつくり性を快楽として、その後表れる「鬱」をも陶酔として愉しむようになった。それは病的な鬱とは異なり人為的に躁鬱といわれる症状を愉しんでいる。また自己の肉体さえ改造し、変形させてあらゆる欲望を昂揚させてもきた。終には天国や楽園をおもって自らの命を悦楽に捧げるものも出てきた。民族のカオスである。



                Yamauchi Tatuo

自省を鬱的(的→のような)ものと観て、自己陶酔を躁的と理解するもいいだろう。
ただ、我々が字句に囚われ、スポットとして関心を持つようになったことで多くのエネルギーを費やし、解決の無いまま多くの問題を浮遊させていることに、幾許の関心を抱くべきだろう。 反核、人権、平和、平等、自由、民主、総じて美句である。

アノ頃は言われることも無かった。科学は新しい問題提起として部分の探求に勤しむあまり、多くの刺激的字句を命名し発表してきた。分野としての功はあるが、果たして人々に安心を与えたか・・・誰にでも当てはまるデーターの差異と、見るからに利便に見える科学からのシャワーのように降り注ぐ、゛お知らせ゛は、より人間の心身にスパイラルにも見える負荷線を提示しているようにも見えないだろうか。

標題に戻って付け加えるが、徒党を組み酔いにまかせて悪口を言う、これは悪酒で身体にも悪い。まずは独りで酒を温めて杯を傾けることだ。それを悦楽とすれば良き友も自然に集うものだ。冷でも温でも和酒は対応する。なにか日本人の自助の姿に似てはいないだろうか。







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成りすまし

2012-03-19 14:33:42 | Weblog



国籍に始まって宗教、思想、組織帰属には、よく「成りすまし」がある。

特務諜報員などは自国の成り立つ思想を隠してでも敵国任地の思想堅固を装う、つまり成果を得るまでは偽装する。例えば権力側や右翼や民族思想だ。
あの満州の崩壊から国民党、共産党と支配者は代わったが、国民党支配のころは幹部として、共産党が進出してきたときは一夜にして現地司令官としてなったものもいる。

あるいは台湾では反共新聞を発行し、ときには共産革命一世代の高級幹部の密使として我国の総理に、゛個人的関係゛、つまり「利権」の確保に動いているものもいる。日本人にも行動右翼として名を立て、ビルを建てたものもいるが、その披露のとき挨拶に立った荒木文部大臣から「右翼の衣を着て中共からの資金援助でビルを建てた人がいる」と皮肉を言われている。

いまは独自の路線を唱えているある政党も、旧党本部の建設を図ったとき建設委員会が作られた。資金も無いのでどうするのかと思案していたとき、「当時は親密だった他国の政党から三億円の資金をもらってきた」、と除名幹部は当時を語っている。

みな独自路線だとか、思想堅固を謳うが、身の安全や金にまつわると、からっきし弱い。

帰化、国籍取得が問題視されているが、往々にして自由を求めとか、身の安全を、あるいは自身の可能性を図ってとの理由が多い。かなには資産移動地に担保として縁者の国籍取得を考えて帰化したり、永住権を取得することもある。

「成りすまし」は生きるすべだが、なかには不自由な国から言論自由な国、もしくは大国に帰化すると、母国を口汚く罵るものがいる。幾らか言語が堪能だったり、高邁な理屈や物書きにその類をみる。

『日本は素晴らしい、それに比べ母国は政治も悪いし民衆も行儀が悪い。日本は素晴らしい歴史があり、その策謀に気をつけたほうがいい・・』
そんな具合の阿諛迎合が恥ずかしげもなく繰り返される。

国家意識もなく狭い範囲の人情で地球の表皮を住処にしている民族からすれば、母国や生地などの帰属意識は薄く、たんなる縁あって棲み分けられた「郷村」の隣人くらいに考えてはいないような遠慮のない姿である。
昔から外国人、とくに白人には手を出さないが、自国民にはその陋規の範疇にある掟や習慣で厳しい矩と過酷な罪科、そして残酷な刑を与えている。男性器を叩く刑や三千回を計って傷つけ、その前に死ぬと執行者が罰を受ける、つまり三千回の苦痛を与える報復である。

我国も戦国時代は首を切り褒章の証としたり、首が重いので多くの耳を削ぎ細綱に通して証のしるしとしていた。そのなかで団や藩、部族への裏切りが一番恥ずかしいこととして武士へは自裁を促した。逃避すれば隣領へ執拗に追跡し殺害した。

ロシアも北朝鮮はいまでも追尾して実行している。韓国の大統領候補者を日本のホテルから拉致したのも記憶にある。それは秘密を知った大物だったからだが、昨今の言論、出版会に大手を振って母国の政治体制に罵詈雑言を投げかける人々にはそれが無い。
どこか上手な配慮が働いているようだ。たしかに浅薄になった日本人にはホドほどの情報のほうが都合が好いし、食いつきもいい。それも民情観察として功をなしているようだ。










特務や諜報といわれる役割は任地の情報取得や民情かく乱などだが、成りすましは自国の友党ではなく、任地の政権政党の深部や国営放送などに紛れ込んでいる。
ある高名な書評家だか、安倍公房、司馬遼太郎からきた手紙の束を差し出したが、それぞれ7、8センチほどの量だった。この書評家は外交部出身で単身赴任、草稿の多くは自国で書くと、指摘したらその通りだった。

数ページの書評のうち、数行に彼の国の知識人特有の臭いが見てとれたためだ。
商業出版の多数のスタッフに装飾された本が、あのノーベル賞の候補に羅列されることに心魂を費やす物書きの魂胆は、外国特務の絶好のターゲットである。必ずといっていいほど招待され歓待されているのもこの手合いだ。
スタッフとはネタ本の収集、誤字脱字の校正、表紙のデザインと誇大な宣伝、これらのパラサイト集団のことである。

映画の世界でもある。先の大戦中のスパイ事件の日本側主人公を撮ろうとしたが、インパクトが無いので外国人首謀者をタイトルにした。彼の国大好き人間で、国営放送の特番旅行に嬉々として出演していた。何を期して撮影に取り組んだかよく解る姿だった。
これが知識人、教員者、人格者に祭り上げ、それを文化というのなら褒章、勲章も色あせるはずだ。

それらは、゛成りすまし゛に簡単に騙される。小説という嘘書きを生業としている物書きと外国人書評家、それに配達された多くの依頼書簡、それが「明治」を書くというが、勇ましい戦争モノは書けても、明治の言論に随う気風は表せなかった。当時の言論人は国家や社会を説いた。小説は今でいう漫画の類だった。流行りものに乗る当世モノ書きの骨柄が透けて見えるようだ。

いま政治状況や経済市況停滞する中で多くの企業が安価な労働力を求めて海外に進出している。それは日本からの逃避ではあるが、進出国の政情が不安になり賃金が上がれば、また生産地を転換する。そのような世俗の状況からすれば、日本国籍を棄てなくても海外に移住する日本人がいてもおかしくはない。だが国家国民ということではなくても、培われた帰属意識や情緒を棄ててでも有利や功利に向かうことを、どこか是としない気風があるようだ。

まして、不平不満から他国に帰化転籍してその国の人たちに迎合して、先祖の鎮まる母国の社会や暮らしぶりを悪し様に非難する気風は、古臭い、野暮かもしれないが多くの日本人にはないようだ。加えて、そのような人間を好まない。たとえその言論が日本人の誇りをくすぐり、技巧をほめられても分別のつく日本人なら信用はしないだろう。

虐政に抗して自らを焼身して利他に殉ずる人もいる。大国の狭間で苦慮する経国に難儀する指導者もいる。多くの人々は生まれ育った郷を棄てることなく、かつ独自の諦観を養って、敢えて慌てず、騒がす、批判せず、淡々と生活を営んでいる。








隣国の智慧に「欲を少なくして貧を医す」

(欲張らなければ貧しい悲哀や不満は起きない)

と「五医」にある。それは貧しくて医者にもかかれない人々の「心の医」であり、コントロールなのだ。他を比較すれば不平や不満が為政者に向かう。どんな為政者でも嫉妬や批判に晒されるか、その多くは外部、とくに異文化からの刺激や気づきへの促がしなのだろうが、それが一過性の抗論だということを人々は知っている。なにしろ知識人は「臭九老」「九儒」といわれて上から九番目の位置に蔑まされた者達だからだ。

それが、言うべきことではなく「言いたいこと」を自由に放言する国へ逃れたとしても、彼らも日本人と同様に信用はしていない。なにしろ孔子でさえ「アレは話」と戯れる知恵のある人たちだ。物書き、口舌の徒は何処の国でも同様な見方があるようだ。

「成りすまし」それを平然と演技し、自身の高邁な言辞でさえ著作にすれば、懐勘定である部数著作料に一喜一憂する人たちである。愛国者、民族運動家さえ片腹がくすぐったい、はたまた気分がよくなる阿諛迎合を恥ずかしげなくできる気風は嘆かわしい痴態だ。

彼の国は「逢場作戯」といって、人によって演技し己を同化させることが倣いとなった社会がある。それが砂民といわれ、まとまりのない民を統治するスベとしての覇権専制だとしても、それに面従腹背しなければ生きてはいけない民の倣いである。
また、゛成りすまし゛が唯一の自己防衛であり、家族親戚の間でも成りすましていなければならない事情もあった。

いま多くの成功者は資産保全のために子弟を海外に移住させている。また資産移動も活発だ。それも自国と近隣の自由地、そして西欧の資本主義国家への三分割だ。
綱渡りをしながら今を稼ぐ、民間はともかく為政者周辺や官吏の逃避は国力伸張もなんのその、投資という形での資産移動が忙しくなっている。

それは、成りすましという客分に軒を貸して母屋を取られるようになることでもある。
棲み付いた他国に忠誠を誓い、生地を嘲り、権(力)あるものに迎合し、、機をみて転化する姿は歴史によく見るところである。

号令一下、震災直後多くの人が帰国した。にこやかに応答するコンビニからもいなくなった。日本人は放射能に鈍感なのかと不思議に思ったが、外国人は過剰反応ともおもえる行動をとった。しかも多くの国が自国民に通報、あるいは命令した。

満州崩壊でも高級官僚と高級軍人は電話線を切って開拓民に通報もせず逃避した。
天安門事件の際も、通報順序は官吏、政治家の子息、企業駐在員だった。当時日本の航空会社は帰国便のみ。戒厳令さなかは米国のUA便で訪中した。行ってみると「民主化」のスローガンはなかった。鉢巻きも、壁新聞も腐敗幹部の「下台」だった。日本でもいつの間にか西洋風の民主化要求だと染めつくされた。

なぜ歴代為政者は専制を選択したか、知りすぎるほどの民癖から彼らはそれをよく知っている。ただ、ホドホドにしてくれれば政治は語らない、と。










あの日中国交の条件として中華民国台湾を断交した。台湾と大陸民衆は忘恩の徒と日本を蔑み、共産党為政者は、懐の浅い小者と見た。中国は断交を喜んだのではない、日本の態度を哀しんだのだ。それは偽満州と嘲りながら、大国ロシアを打ち破り満州の興隆を一種の易旗の勇として随い、日本人に驚愕した中国民衆が、゛満州の成りすまし゛と気持ちを転化したきっかけでもあった。

成りきって満州に死地を求めた自治指導部、大同学院の学び舎に民族協和の理想を見た多くの満人、漢人、は慙愧の念で日本人をみている。「至るところ青山在り」地球の表皮を自由闊達に躍動した当時の日本人には、゛成りすまし゛はない。あったのは内地の「公」に成りすました官僚、軍官吏、政治家だった。

彼の地は、異民族の成りすましを解らない民族ではない。
それは国法より重い「人情」を本として人物をみている。
高邁な理屈や、心地よい迎合ではない。

ちかごろは黄色い顔の成りすましと、白い顔の成りすましの腹芸が盛んだが、我国の、゛成りすまし゛は、公と利を語り素餐を貪っているものが増殖している。

ただ、それさえも解らなくなっていることが、より心配の種だ。
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土佐の咬ませ犬といわれた男 門田隆将の津軽弘前

2012-03-10 10:23:01 | Weblog


               駄洒落の神様?  塩田丸男氏


前段再掲載 後段2012/3


昨晩、週刊新潮の門脇護氏の卒業式?が行なわれた。
書かれるほうからすれば憎っくき週刊誌のなかでも完結主義といって、地を這う取材、記事起稿を行なう新潮社の姿勢は、見開きにヌードグラビアを綴じ込む他社とは異なり硬派的な雰囲気がある。

「土佐のかませ犬」「狂犬」とも呼ばれ、社内でも鉄拳を振るうこともあった。また取材の綿密さと、言い換えれば、゛しつっこさ゛は群を抜き、その視点はバーバリズムの良性にある素朴と純情を軸として、裏面にある凶暴?さをも駆使して出版界の侠客ならしめているようであった。

夜中に訪ねて来ては同行の新聞社の社会部長に向かって「あんたの所は60人だがウチの十数人に敵わないのはどうしてだ・・」とサラリーマン体質と弛緩した大新聞の姿勢を問い、あるときは共産党の大物除名者を同行して「記事を書いてくれるよう言ってくれないか」と助力を求めたり、創価学会の敵役ジャーナリストを連れてきて「今日、裁判に負けてしまった・・」と、忙しい狂犬でもある。

直接依頼も多く「誰々を取材したい・・」あるいはノンフィクション作家佐野真一氏に満州秘史の取材を依頼されたときも、「伝えられる範囲は任せるから・・」と数時間の取材聴取に時を費やしたことがある。

その門脇氏が「門田隆将」と名を変えて「裁判官は日本を滅ぼす」そしてNHKドラマ「フルスイング」の原作である「甲子園の遺言」を書いたあたりから新潮社を卒業?する腹をかためたようだ。
数年前に傾いた老舗週刊誌の肩代わりを尋ねてきたが、その頃からの独立志向だったのだろう。

卒業式は桜井よし子、花田元文春編集長、屋山太郎、筆者と駄洒落仲間の塩田丸男など商業出版の売れっ子や、なかには売文?言論貴族?など多士が集った。

よく、゛宴の後の悲哀゛というが、脛に瑕(キズ)をもつ門田氏のこと、池から跳ねた鯉にならないよう祈るばかりだが、宴末の謝意に『日のあたらない処に生活する立派な日本人を書き遺したい』との意思表明は、参会者から即セキュリティのガードが固められたといっていい意志ある集いだった。

逆に追い出し?を掛けた新潮も、田中真紀子、鈴木宗雄を辞職に追い込んだ誌の筆鋒が緩まないか心配になる

同日、別の約束で中野有(ブルッキング研究員)と神楽坂の蕎麦屋でのこと、突然門脇氏が飛び入り「朝から何も食べてない、腹へって・・」
緊張しているせいか、当日の主役も落ち着きが乏しい。
中野氏と初対面で卒業式に参加することになり、旧知の桜井よし子氏と回顧に話が弾み、「京都ダボス会議」の提唱で盛り上かった。よって中野氏は新幹線に乗り遅れ京都にもどれず・・・

ともあれ無事に追い出し卒業式も終わったが、余談がある。当日のビデオカメラにテープが入っていなかったとのこと。あの桜井よしこ女史のスピーチだけは残しておきたかったと筆者も残念に思う。彼の怒ること、慌てること、人生の慙愧と拝察する

自宅のローンも終わったようだし、落ち着いたら一人旅でも促してみたい。








皇帝溥儀と工藤忠





2012 3/14

その門脇こと門田隆将氏が講演で津軽に行く。

あの卒業式のあと日の出の勢いで出版界を走っている彼も、近頃では文化人として講演活動も充実してきた

「是非、山田良政の墓前に参りたい。そして佐藤先生の墓前にも・・」

まことに侠気豊かな気分いい土佐っぽである。

佐藤先生とはこのブログに度々登場する佐藤慎一郎氏である。門脇氏との縁も佐藤氏を紹介した時からである。
その当時、彼は「学さん」と呼んで張学良氏を書き残そうと意気込んでいた。
台湾取材の後、連絡があった。

「あの革命忠烈祠にあった山田良政の写真が外されているのを知っていますか」

津軽弘前はその山田兄弟と佐藤氏の生地であり、辛亥革命の聖地で台湾政府要人も度々訪れている。

また、満州皇帝溥儀の秘書長の工藤鉄三郎(溥儀の命名は忠)の生地には記念館もある。

その工藤、佐藤両氏が戦後満州秘話を録音した大量のテープがあったと門脇氏に伝えたところ、またエンジンが動き始めた。あの根本中将や太平洋戦争三部作など歴史にうずもれた偉人を著わしてきた門脇氏だが、今度のターゲットは「満州と工藤忠」になりそうな気配だが、そのテープの発見が大変だ。

満州国とは・・・、そこでの日本人は・・、その多くの証言は任に就いた人々の多くの縁は津軽にある。門脇氏もそのことは先刻承知だ。

温泉に浸かって酒を飲む、もちろん多忙な彼には最善の促しだが、取り組んでもらいたい期待もある。

土佐の咬ませ犬が、明治の言論人陸羯南の生地で何を学ぶか、彼の揺るがぬ基軸がそれを活かすだろう。

若いころ、‘売文の徒に堕すことなく、羯南を鑑として真の言論人を志向すべきだ‘と促したことを想起する。

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TOSHICO 再

2012-03-09 14:26:07 | 《TOSHICO》について



ブログの名前にちなんで司馬遼太郎さんの「北のまほろば」にある津軽弘前の秘話を紹介します

弘前市の北西に十三湖(トサミナト)があります
昔は大陸に面する日本海側が表日本ですが、そこを根拠地にする安東(アントウ)水軍は大陸との交易で栄えていました。
司馬さんの記述では大津波で衰亡したといわれていますが、興味あるところは日本の端に在った津軽人の進取の気持ちと、その行動力でした。

江戸から明治の頃は樺太が結氷すると多くの人が徒歩で大陸に渡っています。
地元の人の話では雪の津軽はどこもトレーニングができる、それと津軽は何もないので皆外(地域外)に出る。

当時、明治維新を成し遂げた日本とは違い、アジアの地域は欧米の植民地として蹂躙されていました。中国も「清」の末期で欧米列強からの圧力に抗し切れず正に風前の灯でした。

そこに中国の政治を変えようとする革命が起きます。その為には日本の協力を得てもう一度、アジアを興そうとする連帯が必要でした。辛亥革命です。
弘前からも山田良政、純三郎兄弟が挺身しました。
兄は戦闘で亡くなり、弟は孫文の臨終に立ちあった唯一の日本人です
TOSHICO(敏子)は兄良政の妻です。


そのテーマ曲として作詞しましたが、明治の女性は愛とか恋とか、あまりそんな言葉は使わない無言の伝達、あるいは「問わず語らず」心を通わせていたとの印象です。

曲は「百万本のバラ」を日本で始めてレコーディングした兵頭ニーナさんです。
この曲は加藤登紀子さんのヒットですが、兵頭さんと満州で知人だった加藤さんのお父さんが「登紀子にも歌わせたい」と6人目のレコーディングだそうです。






夫 良政





《中国の革命とトシコ》

 近代中国のさきがけとなった辛亥革命に挺身して唯一日本人として戦闘行為で亡くなった弘前市出身の山田良政の妻敏子を詠ったものです
『スグカエル リョウシンヲ タノム』
との便りを最後に恵州の戦闘で清朝軍に捕らえられ殺されています。

死に臨むとき、当時の情勢では『日本人だ・・・』と、いえば殺されなかったものですが、最後まで中国人と言い張り異国の土となっています。 
 
孫文に従い中国の植民地からの開放とアジアの平和を、死をも恐れず行動した良政に対して、孫文は全中華民族を代表して褒め称えています

また、弟純三郎は兄良政の革命意思を継ぎ、終始孫文の側近として補佐し、革命運動に挺身して、唯一、孫文の臨終にも立ち会っています。 
このような明治の日本人の活躍があって中国の近代化が進んだのです
 
その間、津軽では革命に挺身したまま安否も知らされないままに、妻敏子は老いた両親を看ながら良政の帰りを待ち望んでいました。  
 
孫文は良政の父を「吾が父のごとし」と称えて掲額を贈り、良政には「その志,東方に嗣ぐもの・・・」と碑文を書き上げその行為を讃えています。 

革命のロマンに燃え、異国の土となった良政を支えたのは、敏子の慈愛もさることながら、当時のアジア全体を覆う状況を理解してのことでした。 

また、義侠心と我慢強さを培ったのは、明治の頃の日本では、ごく普通に行われた男女の特性を弁えた人間教育だったことは言うまでもありません






良政の弟 純三郎と孫文




≪TOSHICO≫


作詞 孫景文 作曲 兵頭ニーナ


風が吹く 西の国から風が吹く
夢に誘われて旅立つ空は
白い雪
異国に渡るアニにくれる 津軽は何もない
アニにくれるものはない 


風が吹く 西のたよりではすぐ戻る
冬の支度に身体は凍る
アニはいつ来る
異国の人の夢にのって アニはもう止まらない
津軽の魂(ココロ)はとまらない アニにくれるものはない


風が吹く 異国の産土(ツチ)になったという
ワレにはもう戻らない
あー 独り
異国の父に抱かれた兄の津軽が映るよう
アニにくれるものはない


                     孫 景文

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再読 政治の座標を観る 《昇官発財》 其の七

2012-03-08 10:10:55 | Weblog
          
        蒋介石と革命の先輩山田純三郎(弘前市出身)





      昇(しょう) 官(かん) 発(はつ) 財(ざい)
官吏は昇進するたび財を発する、また民はそれを嘲りつつも倣うものだ

己れ自身を正すことなくして、天下万民を指導することはできない。
私利私欲を抑えながら天理と一体になってこそ、万民の意に添うことが出来るはずだ・・
・日本の経済繁栄と同時に、公々然として氾濫しているのは「偽 私 放 奢」だ。これを除かなければ政治を行おうとしても、行う方法がない・・
  

天安門の若者は民主化を唱えたのではない。みな「官倒」と「下台(悪い指導者は辞めろ)」だった。いまの日本はやっと気がついた。それも嫉妬が混じる。その点,気がつくのは中国より二十年遅い。その官の搾取に「明け透け」と「狡猾」の違いはあるが、根は似たような土壌に育つようだ。




【以下 本文】

(8)民衆から見た官吏

孔子の弟子F曽子」(前506年〜?)は
 「官は、宦成るに怠る」(小学)
と言っている。官吏は、その地位や役職が安定してしまうと、とかく怠け心が生じてくるものだと戒めているのである
北宋の程伊川(1033〜1107年)は、宋学の大綱を定めた人であると云われているが、彼も
「官と傲れば、人の志を奪う」(近思録)
官吏となれば出世だとか、保身、世評だとかに心を煩わされて、その人間の初志を失わせてしまいがちなものだと戒めている



              






民衆の見方からすれば
 「何官無私、何水無魚」(俗諺)
魚の住まぬ水はないように、私欲のない官吏はいない、と評している。
だから、官吏は
 「育児不打送礼的」(俗諺)
贈物を持って来る者を、叩かないのが慣わしとなっているのだという。 

清国の官界を見てみよう。

「清国の賞揚は。公私の区別は甚だ分明ならず。かつ会計検査の制度は未だ設けられず、官吏の思いのままに官金を費消することができる。そのため官吏の所得の多寡は、ただその心がけの良否一つにかかっているだけだ。諺に“官をすること三年、以て三代の子孫を養う可じ゛と言っている」

と靖国行政法汎論にも、はっきりと書かれている。



                






では、一体官吏をすれば、どれほど金銭がたまるものか。民衆の見方では
 「三年清知府、十万雪花銀」(俗諺)
つまり、三年間清廉潔白な県知事でも、十万の雪や花のような銀貨がたまると云うのである。
官吏の目的は、民生の安泰でも、国家の繁栄でもなく、自らの具有発射のためであるという思想が、汎濫していくのは当然のことだろう。


そのため官吏たちにとって「官界」とは一大劇場のようなものだ。彼らは、その劇場の舞台の中で、「逢場作戯」(その場その場に合わせて、芝居をやる)
 
その場その場に合わせた芝居のせりふを並べたてながら、あらゆる機会を金銭に換算しようとして必死に稼ぐしかないようである。

先に「九儒十カイ(こじき)」のところで、お話したように、「官」と「吏」は、中国社会では、最高にすぐれた人たちに属していると、中国人は分析している。このままでは、中国には明るい未来は、ありえない。 

要するに、お役人についての民衆の批判は沢山あるが
 「店、脚、何、無罪也該殺」(俗諺)
 旅館業者、運送業者、投入、これらの人々は、たとえなんにも罪が無いとしても、当然死刑に処すべき奴らであると云うのが結論のようである。












(4) 結び

1.乱世の徴

今から2,300年も前に死んだ旬子という人がいる。この人の書き残した本に「荀子」という本がある。この本は動乱の世に在って、天下を統一するための思想的な準備をもたらした書である。

 この本のなかに「乱世の徴」(荀子、楽論篇)に就いて論じている一篇がある。

その原文は

 「乱世の徴、その服は組、その容は婦、その俗は淫、その志は利、その行は雑、

その声楽は険、その文章は匿(とく)にして采(さい)、その生を養うに度なく、その

死を送るに瘠墨(せきぼく)、礼義を賤みて、勇力を貴び、貧なれば則ち盗を為し、

富めば則ち賊を為す、治世は是に反す」とある。
 







              桂林の子供たち(友人の子息)




「その服は組」とは、服装は非常にハデである。

 
             

              イメージ関連サイトより




【その容は婦】

その、たちい振舞い、身のこなしは、婦人のように、しなやかで、男か女か分らない。

 旬子は別な箇所で
 
「今の世の一般の勝手なことをしている指導者や、田舎の軽薄で小ざかしい連中

は、みなその容貌を美しく、なまめかしくして、珍奇な着物を着、婦人のような装

飾をし、気象も態度も柔弱で女のようである。

 婦人は婦人で、こんな人を自分の夫にしたいと思い、娘は娘でこんな男を自分の

意中の人にしたいと思わない者はいない。そして親の家を飛び出して、そんな男の

所に、かけこみたいと思う女が続出するありさまである」(
菊子、非相)とも婁い

ている。


              
 
              好々爺





【その俗は淫】

その風俗はみだら。今の日本は子供らの前で、うっかりテレビも見ておれない




            

                桂林の子供たち





【その志は利】

志という字は、心と之の合字、之はゆく。志とは、心の向うところという意味。

その志すところは利。

利とは、滞りない、よく調和がとれていること。易経でも、

利とは「あらゆるものをして、その生を遂げしめる徳」であるとしている。利とは、義つまり正しいことの総和だからである。
 ところが人間の欲望には、とめどがない。それで「利」には、貪ると云う気もちが、何時でもつきまとうようになる



「利は、貪なり」である。



                

                 桂林の小父さん




 それで
 「君子は義に喩り、小人は利に喩る」(論語、里仁)
「小人は則ち身を以て利に殉じ、聖人は則ち身を以て天下に殉ず」(荘子、豺栂)
といった違いが生じてくることになる。

 日本の現状を正視して、ごらんなさい。世はあげて、利益、利益、そして利益、
 「天下は攘々として(集り群がって)みな利のために往き、天下は煕々として(喜び勇んで)みな利のために来たる」(六韜)

 今から五〜六年も前でしたか、たしか文部省が、世界十数カ国の青年(18才〜24才)の意識調査をしたことがある、それによると、
 日本の青年の人生の目標について、金と答えた者は38%で、世界第一位。
 社会のために尽すと答えた者 3.8%で、世界最低。
 他国が攻めてきたら、逃ると答えた者 100人申 97人。
 
目本の前途がはっきり、示されているようで暗然とする

 「ことごとく、仁義を去り、利を懐いて相い接わるなり。かくの如くにして、亡びざるものは、未だこれ有らざるなり」(孟子。告子、)

日本の指導者 政界の現状をごらんなさい。
「勢を以て変わる者は、勢傾けば別ち絶つ。利を以て交わる者は、利窮すれば則ち散ず」(文中子、礼楽)

上の人も下の人も利を柾(あさ)るようになれば、国、危しと孟子が言っているでしょう

 

               



【その行いは雑】

雑とは、雑然としていて、まとまりがない。筋道がたっていないと云うこと。
 学生の現状を正視してごらん。喫茶店で、チレビを見て、音楽を聞き、コーヒーを飲みながら、他人のノートを写している。おまけに、みんなで試験問題どこでるか……と山をかけて、試験に僣えている。大学生たちまで一つの事に専念できなくなっているのである。(この10月7日に)ある役所の責任者が最近の職員は雑談しながらでないと執務できない。……と言って嘆いていた。



【その声楽は険】

険とは、曲ってる、乱れるということ。

 「音楽がなまめかしく、よこしまなものであれば、民は乱れてしまりがなく、下品になってくる。正しい礼と音楽がすたれで邪悪な音曲が起るのは、その国家が危機にさらされ、その土地が侵略され、敵国から侮辱をうけるようになる根源である」と言う。
音楽を聞けば、その民族の治乱興亡の実状がわかる。




以下 次号

内容についてのご意見は
greendoor@tbm.t-com.ne.jp
連載終了後、取りまとめて掲載し活学の用にしたいとおもいます
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橋下、河村の両氏にみる現代の階級闘争

2012-03-03 10:28:52 | Weblog
石原莞爾 弘前養生会蔵



共産党は権力者(搾取側)と労働者に分け、それを階級として高低、多少の異なりを差別として闘争を煽った。レーニンは従来の権力者の成文法を否定し、革命を遂行した。
隠された本意は、曲がりなりにも民族の長(おさ)だった皇帝を追放し、民を平準化することだった。

フランス革命も前段思想として知識人に啓蒙思想を宣伝させ、本来の企てを虚飾するために恣意的美句である自由だ、人権だと謳い上げ長(おさ)を断頭台に運び、呼称を国民から市民に創り変えた。

アジアでも多くの長(おさ)である皇帝、王、が無くなった。インドのマハラジャも遺物文化として残っている。中国も辛亥革命によって皇帝は廃位し培った文化も消滅した。

それで残ったのは、倒す為に用として功があった軍人と、その行為を飾る知識人だった。
いろいろな目新しい施政のスローガンや統治形態が謳われたが、総じて歴史の垂直的継続された情緒を破壊し、武力をもって民族を統治することは倣いのように同じだった。
それは肉体衝撃と排除におののく人間の恐れを利用した支配だったが、政治の届かない部分であった固陋な掟や習慣、あるいは宗教や儀式によって補っていた緩やかな統治形態も、忌まわしき陋習として弾圧した。

それは、長(おさ)の涵養していた立場では分別された処にあったものだが、それを用いることによって統治に効用があった民族の掟や習慣は破壊された。彼等は人々を熱狂と偏見のもと糾合させるために謳い上げた自由、民主、人権によって、今まで是としていた連帯と調和破壊し、愛や解放という美句によって人々の妄動を促がし、自らが意図する囲いに誘導した。
それは誰のための愛なのか、何からの解放なのかが分からずじまいで、まるで競馬馬の遮眼帯をはめたような群れのような動きだった。

雇われ知識人はそれを階級闘争と叫んだ。意を同じくするものには「友愛」を、逆らうものには「反革命」という奇妙なレッテルを貼り付け粛清した。以後の彼等の係累に友愛は語られても、不特定に普遍な「人情」は無い。それは人を合理的に、効率的に分別支配するための官製教育にも行き渡った。試験は紙面の中にしか答えは無く、法はその中にしか自由は無い。間違いは排除され、脱法は罰を与えた。すべて拘束された中での自由であり偏狭で供与された囲いの中での自由しかなくなった。


当時の資本は王道、覇道を問わず王や皇帝の執る支配制度の中にあった。作物を産む農地、作業する民衆、それを守る武人、それが資本だった。異文化から収奪した金銀財宝や文物は収蔵品として流通経済の代物換金としては馴染まないものだった。






桂林




また宗教的にも陋習規範でも「金」に携るものは特別な人たちだった。
特別な人たちは忌みなる作業を共有する人たちと連帯し、国境を越えて協働するようになり、共通な目的である皇帝の預かり金の運用を考え、ときに争いを誘導して資金を貸し付け「金利」概念を普遍化した。

争いによって長(おさ)の多くは消滅し、金に纏わる情操は融解し、金を偶像視する連帯の無い市民が発生した。彼等が謳わされたのは自由、人権、民主、平等、愛だった。
その幸せ感はすべて「金」によってもたらされるようになった。そして金を借りまくった。名前は、借金、ローン、クレジット、である。それは金利や為替で操作され、博打好きには為替、株市場も提供された。

民主を装った政治という代物には議会が提供され、大衆から選出された代議員をおいたが、もともと形式民主であったために、執行機関として元老院、書記局、事務局、などをおいて選別範囲を恣意的に狭くして合議を取り繕った。また統治の手法として意味の無い褒章も約束制度として作り出された。

ややもすれば人間の尊厳を毀損する擬似権力であり、長(おさ)の忌みされた特別な使用人は、名前を変えて官吏となり、人々から集めた長(おさ)の流通財を勝手に使うようになった。それは隠れた権力として金を予算(あらかじめ計算した金かさ)と呼び、足りなければ長(おさ)の名を仮借して集めた。
日本では税吏と呼び、この使い走りを官吏といっている。

彼等は一概に公務員とは言うが、食い扶持安定、便宜供与を民と比較すれば、それは身分の階級と呼ぶに相応しい人たちの群れである。もちろん本意である公務ではなく、政府行政職員であり、思想や宗教観をひた隠して区割りされた役のみに没頭することを求められ、いや安住する異質特殊な身分である。










まさに階級の発生である。橋下氏も河村氏もその行き着くところを憂慮している。なにもアカデミックな政治論や、ともなう政策など詮索しなくても、肌身に感じる人々の憂慮を汲み取っているだけなのだ。挫折すればひとごとのように批判する受益者である大衆のことも熟知している。

一方、東の石原氏は「共感」とエールを送る。
しかし、東京都庁はどうなのだろうか。マスコミも都知事としての行政監督などに興味がなく、氏の政局批判や動向などに興味を煽る。

はたして東京都の行政は大阪市と比べてどうなのだろうか。その実態はマスコミにも載らない。くわえて行政区である23区の実態はどうなのだろうか。国政の政局や外交問題に一家言ある石原氏だが、足元の状況は大阪市に類似しているものはないのか。似ているのは、「何か出来そう」「頼りになる」ではあるが、いかに職員を覚醒、指揮できそうな風への期待だ。あくまで「風」だ。

何よりも大阪市と名古屋市にみた彼らの問題意識に共感する前提が、下座観から見た地域行政の行く末にあるなら、先ずは脚下照顧を行動現示することで共感となすべきだ。

いまのリーダーは、一昔前のすわりのいい床の間の石から、それらしき人物、そして、石や人物をそれらしき形に演出してきた行政組織や議会への批判は、少々行儀が悪いが組織や議会の既得権力を崩すヒーローに望みを託した。ただ大衆社会ではヒーローの賞味期間は短い。橋下、河村両氏はそれを知っているから邁進できるのだ。








まさに身分と成った既得権力者への挑戦は、新たな階級闘争になっている。
豊かに、平和に、そんな美辞麗句は彼らの言にはない。加えて「法」は既得権をまもる便法となっていると考える彼らは「法」より重い、人間の尊厳を毀損する既成権力に向かって刃を向けている。

それは律令の時代に聖徳太子が憂慮した、いずれ権力を構成するであろう政治家、官吏、知識人(宗教家、教育者)にむけた、十七条の理念にも適うものだ。

つまり、国家を俯瞰した権力の腐敗が人間の尊厳を毀損すると考えた太子の意志の共有であり、本綱(もとつな)の紐帯である元首を推戴して、歪んでしまった「維」を新たにする維新は、まさに時宜を得た行動であり、なによりも名利衣冠がみえない大欲の業である



「私することを忍び、以って大業を為す」山岡鉄舟

気をつけるべきは
「小人 利に集い、利 薄ければ散ず」
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「人間考学」からみる唱和力

2012-03-02 11:28:22 | Weblog
雀の樹




≪狼は月に向かって吠えるとはいうが、連らなって群れが吠えはじめると一定のリズムがあり心地よいハーモニーになる。何処にでもある唱和だが、人間界だけは調和もなければ連帯もない。かえって狭い範囲の軋轢さえ起こしてしまう。「和して唱える」とは、よく言ったものだ。いまは唱(となえ)に和するようになったが、それに疑問も持たないようだ。つまり、従うことに安逸している。≫


さまざまな民族は複雑の要因を以って国家なるものを構成している
また、環境に棲み分けられた人々は神と精霊の存在を認知し、それを共に畏れ崇めることによって宗教なり習慣的陋習をもとに連帯と調和を司ってきた。

人は集い、衆を構成し、共通な陋習を掟や規範として血脈の継続と、拡大する衆の統制に活用した。それが衆を構成するシステムとして成立すると陋習は「矩」や「則」「規」となり、成文された「法」となった。もちろん前提にはツールとしての文字の修得と共通化が合った。

だだ、その経過というか、人間関係において他の存在が多面化することによって従前の掟や習慣が成文化された法が「清規」となり、逆に一方の「規」である掟や習慣という「陋規」が古臭い、無用だと忌避されるようになった。それは近代法における適用振り分けに馴染まないというだけの理由だ。

中央集権は支配地(施政権)の及ぶ範囲の法の普遍化である。それを以って法治国家の前提といえるものであるし国家の領域、境際の具現であるが、環境の異なる地域の陋規を括ることの限界もある。





奥名栗の朝






食、性、財に関する欲望も異なる姿を表す。いくら議会制民主主義の制度を取り入れたとしても、それぞれの地方自治は人々の関係にある隘路、つまり人の関係の基とする人情交感の仕方で議決が異なることがある。制度の認知能力もあるが、表面はスキームをなぞっても、結論までの経路は地域特有の陋規が大きな要因を含んでいる。

集権と地方自治も近頃では効率性、利便性を叫ばれているが、平準化の流れがカウンターとして地方化あるいは固有な情緒への回帰と、民情の嗜好さえも方向を変えつつあるようだ。
「まちづくり」への孔子の言は、『外の人、来る、内の人、説(よろこぶ)ぶ』といった内外交流であり、棲み分けられた地域特有の有益かつ固陋なる情緒の交感であった。
つまり異なる各個存在の空間点在であり、その協調なり、すり合わせによる価値多面性の理解にすすむ学びの涵養と蓄積でもある。

それは人の誘引であり、異なるものへの好奇心、興味を高めることになり、幕府藩政のころはその異なるものがセキュリティーとしても有効性を保持していた。
言葉、食べ物の嗜好、生産のマニュアルなど、棲み処の連帯と環境調和は、今どきの部分検証ではなく、すべてが俯瞰された文化観、風情として人の姿にも、気骨、気質(かたぎ)として色づいている。

それは郷の身学であり、醸し出す哲学でもある。とくに無位無官の人々にこそ涵養できる、敢えて教えることのない、不言の教えというべきもので、アカデミックな学ではなく哲理にある理(ことわり)が自得されている。たから阿吽や直感といわれる感性が磨かれ、しかも己以外の他人や自然界にも柔軟さ、「たおやかさ」を観るのだろう。












官製学制でいうアカデミックという認証を授けられた観察は、あの熊楠に感銘した柳田の例を出すまでもなく、一種の「学びの極み」「普遍の真理」で表されるモノの実情を仮屋の仮説として空間や存在を語るが、いずれも洋学、唐学の習いに随い、邦人の潜在する情緒を含合する表現は乏しい。

たとえ為政者に表立って抗することも敵わず、肉体的衝撃を恐れたかのように見え、噛み心地の好くない本居でさえ、その実情の観察は的確だった。この環境に棲み分けられた邦人として自身の実情が前提の学問だったからだ。「もののあわれ」多岐な切り口にさらされる名言も時を違えて廃れることなく、人の言の葉に乗せられる。
分類、分析の域に置かず、ときに茫洋なる世と時の流れを、実情を観る人間の直感性や深層な情緒に委ねる登覧的な姿は、ときに未来を逆賭する力もある。

思索と観照が衰えたかのような遊惰な世情には、本居の「眺める」姿勢に得るものがある。


さて、その眺め観察で標題の「唱和力」をみると、小は集いから、宗教、民族、国家なりに意味深い、゛声だし゛が唱和されている。
キリストは『アーメン』仏教は『ナミアムダブツ』『ナムミョウホウレンゲキョウ』国では『バンザイ』、宴会では『カンパイ』などいろいろある。近頃の法事では般若心経の読経唱和もある。学び舎でも昔は唱和した『ハト、マメ、サクラ』そして唱歌を合唱した。

筆者も「イラカの波と雲の波・・・」わけも解らず歌ったが、「イラカって何ですか」と質問したことがあった。加えてみんなは解っているのかと戸惑った。尋ねないということは意味は不明だが、つまり音(オン)の流れで歌っていたのだろうか。それを聴くのも恥ずかしい年頃だったため質問者である筆者の恥ずかしさで止めた。
それにしても「家には瓦があるでしょう」優しくも辛辣な答えが先生だった。

よく教場の教員は教え子に自身の研究本を買わせて教材とする。しかも試験でもなぞるように出る。もし教場に食い扶持を求めるとその教員の研究本は否定できない。それが師弟の関係と、一種のトラウマから逃げられない。

ハイゼンベルグ氏が東洋にその答えを求めようとして時、西洋学派は異端扱いした。
しかし、゛部分の算術的総和は全体とはならず゛との至言は東洋学派には解りすぎるほどわかる。分派学派の部分に拘泥した探求は研究者ならずとも一定空間の理論しか導かれないことは童心でもわかる。しかも仮説で将来に賭けるのである。






管さんも若かった  関係サイトより転載






ところが唱和は無位無官の大衆や無垢な年少者にとって、前記の巷間、賢者と称する屁理屈論者の無関心を得て、多くの場所で行なわれている。
松蔭の言に「異なることを畏れない意志、それを涵養するのが学問」とあるが、幾ら共同体であっても、あるいは孤独恐怖や食い扶持保全であっても一斉唱和は余程のこと阿諛迎合な精神なくして適わないことだと、偏屈な筆者は観るのである。


新しい発想、生存の価値、自身の探求は賢者の前提必須な問題意識だ。
しかし発想域を限定空間として、童さえ疑問視する宇宙の無限空間の果てを説明すらせず、生存の価値を生きる方便に変え、誕生から死生の感性を人体医学に置き換え、人の探求を単なる陳腐な既成の可能性にして「我、ナニビト」という不可思議な人成りへの想像すら理解の外においてきた。

往々にしてそれらの徒は唱和する。人格とは何ら関係のない附属性価値の世界への勧誘だ。知識は堕落しない、知識を操る徒が堕落するのだ。
つまり知識人の堕落なのだ。
絵画も商業画商の世界に誘引され滅んだ。
学問もベキラの淵で逡巡する。屈原も嘲るだろう。




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伴武澄 稿   租と税の違いの深い意味  

2012-03-01 13:07:07 | Weblog
右 帽子の伴氏



高知に引っ込んで隠居かとおもったら・・・・

それでも、時おり寂しくなるのか糜爛した東京に舞い戻る

それでも通信社時代と違って、興味がうまく枯れてきている

よほど三重支局の頃のお伊勢さんが程よく染み付いたに違いない





               2012年2月27日 萬晩報主宰 伴 武澄

 租税はふだん聞き慣れたことばであるが、「租」と「税」と分けると別の意味が
あるのだそうだ。律令制度の時代の話である。小堀邦夫氏『伊勢神宮のこころ 
式年遷宮の意味』を最近読んでなるほどを思わされることが多くあった。その一つ
が「租」と「税」だった。

 租庸調はワードでも一発変換できる。律令制度時代の税制であることぐらい中学
生でも知っている。租庸調のうち「租」はおコメで納めるもので、「庸」は労働力、
「調」は絹などの特産物である。だがそこに「税」という文字はない。律令制度で
「税」は特別の意味を持っていたのである。

 延喜式に伊勢神宮は20年に一度建て替えることを定めてある。「太神宮は、廿
年に一度、正殿と宝殿及び外幣殿を造り替へよ。(その経費は)神税を用ひ、もし
神税足らずんば正税を用いよ」と書かれている。ここでは「租」と言っていない。
わざわざ「税」と言っている。

 小堀氏によれば、「税」は祖を貯えたものであると解説している。少し古いが養
老令の税についての定めについて「穀物類が祖として役所に納められ、穀倉で何年
か保管されると税と呼びます」と説明している。養老令の「蔵倉貯積条」に「凡そ
倉に貯み積まむことは、稲、穀、粟は九年支へよ。雑種は二年支へよ、糒(ほしい)
は廿年支へよ」。

 糒(ほしい)は飯を干したもので乾飯((かんい)ともいう。現代のアルファ米
に似たものでお湯で戻して食べる。コメを蒸して飯とし、それを寒風で乾らすこと
によって、重さは軽く、体積は小さくなるため貯蓄にすぐれた資源だった。糒は旅
の常備品だけだったのではなく、飢饉のときの備蓄米でもあったのだ。

 日本の古代における租税制度のすごさはまさに「税」にあったといっても過言で
ない。2年、9年、いな20年という長いスパンで備蓄して、それこそ「想定外」の
事態に対応するものだった。昨今に政府とは発想がまったく違う。

 天明の飢饉を目の当たりにした米沢藩主の上杉鷹山はその2年後に、「二年間に
籾米五千俵、麦二千五百表ずつ、二十ケ年の間相備へ候様」と命じた。50編後の天
保の飢饉で一人の餓死者をも出さなかった話は有名だが、古代の律令時代の「税」
の発想が1000年後にも記憶されていたといっていい。いまの霞ヶ関官僚と民主党政
権に煎じて飲ませてやりたい。

 実は、小堀氏が言いたかったのは、なぜ式年遷宮が20年に一度なのかという疑問
に対する根拠についてであった。古代において、20年備蓄する糒は高床式の校倉に
貯えられていた。神税はまさに糒のことであって、20年ごとに入れ替える。想定外
のことがなければ、めでたく当たらし造営の費用がまかなえることになるというの
だ。がってん! がってん!
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