まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

視察などもってのほか、見学が先だ  あの頃も

2023-08-28 08:19:52 | Weblog



公務員のお手盛り視察は予算残余の帳じり合わせと聞くが、議員のそれは与野党そろってアゴアシ(交通費、食事)付、土産に報告書の代書までついてくる。それほどタダの毒饅頭は恥いる暇のないくらい美味しいものらしい。中味は、さもしさ、卑しさの詰まった効き目のある毒饅頭、競って手を出す習慣性もあるらしい。

 




ゴマメの言いがかりだが・・・・

「視て察する」、これは相当熟達した教養がなければ難しい。
「見て学ぶ」は、知った。覚えた、そのくらいのことだろう。
文部省の官製学校歴を幾ら積もうと、いや、積めばつむほど判らなくなる。
ただ察するのではない。「明察」に達しなければ単なる暗愚のそぞろ歩きである。

あのとき菅総理が災害被災地に視察に行った。遅いも早いも問題にする方もおかしいが、察することができるなら音声や映像視覚でも用が足りることだ。現地の実態視察によって用が足りるのは別の意味からだろう。流行りのパフォーマンスもあろう。

ちなみに菅総理が行ったときヤジや罵声が飛んだ。あくまで国民の感覚的印象の一声が飛んだが、仮にも選挙で選んだ総理である。逆に小泉議員が行くと黄色い嬌声が巻き起こるが、これとて政治なるものでない。







両者の好き嫌いはともあれ、陛下が膝を折ると鎮まりの中でその忠恕心に涙する。権力はともかく威力がある。それはとてつもなく大きい。
しかも過不足を哀願したり、批判することはないが、被災者のあてどころもなくも、やりきれない心を慰めとともに自省や自立を抱かせる威力だ。それを癒しというのだろう。

つまり国の政治とは、金や資材の提供だけではなく、自立心と努力に相応した成果なり価値観をつくるための自由を担保・護持するものであり、人の善性の喚起を援け、それによって人々は「分」を得心し、親和力を促す作用なのだろう。
「分」とは自然界に生息する人間種としての弁えと、調和によって役割を知ることだとおもう。






PKO自衛隊員



事件の証拠集めではないが現場を見なければならないことも多々ある。
匂い、感触、感動、など言葉や文章で説明しきれないものがある。たしかに高給取りが持ってくる多種多様な情報が錯綜し、四角四面な成文法に縛られていては用が足りないことも斟酌できるが、先ずは総理がしたことは「見学」が適当である。

目で見て学び、その後、推察、洞察することである。
なにか文字にすると軽薄に感ずるような「見学」だが、いい加減に言葉の意味を解釈すると解釈がスキップして妙なところに着地することになる。やたら、゛文句付け゛を食い扶持の種にしている輩に気をとられていると沈着冷静な判断ができなくなる。
もともと荷が重いことも知らずに背負った立場だが、せめて松戸市の「すぐやる課」なみのフットワークで現場を見学して欲しい。

総理の政治経歴もそうだが、政権内外には、゛いまさら゛という気分が立ちこめている。
内には自衛隊違憲、大企業の横暴、米軍への感情的嫌悪を党是としていた群れがあり、一種の逡巡と衒いがある。
外には卑小な阿諛迎合と現世利益を当て込んでいた民情の流れがあった。その圏外には儘っ子扱いされた自衛隊や現業職員が被災地の前線で辛労している。その解けない気分の方が辛い。

民情の流れの中には真摯に可能性を探りながら自活と自制を心がけるものがいる。陛下のお暮らしとメッセージはそれを後押しした。一方、鬼気せまる形相で買占めに走る、多くは戦後生まれの婦女子の大群がいる。落ち着いたが、それも反省ではなく飽きたのである。

まともな人間はそれを見学した。愚かさの反面教師である。そして彼女達は社会熱となった義捐募金に乗り遅れまいと参加し溜飲を下げて、その貢献の大小なりを語り合っている。
今こそ己の内と外を学ぶ良機だ。その点、家庭も学ぶべき場だろう。先ずは童に傾聴することだ。学校は何を学び、社会は何を教えてくれたのか。そして言志をなくした雄の子はどう学び、覚醒するのか。

そして「察する」こと、つまり他への忖度から忠恕に高めることが促がされるだろう。
文献や考証学、はたまた他に説明できるものに意味をおく知学の土壇場の無力を、人の倣いとして察することだ。それは潜在する能力や情緒の確認であり、己の再発見となるだろう。

徒な批判、右往左往する行動、それは先ず「見学」、そして「観察」が大切なことだ。
「目で視る」から「観る」、そして察する。この順序が狂うと結論が逆になる。









「陛下、今年は涼しくて何よりで・・・」

『東北は冷害で大変だろう』

「陛下、雑草を刈り取りました・・」

『名もない草木でもそこで生きている。やたら刈り取らないように』










どうも世俗の学徒とは観点が異なる。それは幼少期の乃木学習院院長や青年期の杉浦重剛の倫理御進講の由縁なのだろが、戦後は一時期を除いてその人間学(帝王学)に沿う宰相には遇うこと難しだった。(経師、遭いやすく、人師、偶いがたし)
かといって四角四面の固陋な気質ではない。
「入江は食べ過ぎだっのか?」
入江侍従長がなくなった折に卜部侍従に下問した言葉だったが、健啖家の入江侍従長の死因に関する素直な疑問ではあるが、洒脱とも思える述べ方は筆者と卜部氏が理解した阿吽の双意だった。

察する、思いを寄せる、倣うべきは学び舎の数値ではなく人物から倣う。
それは、縁あって棲み分けられ、日本人として呼称されている人々の情緒は、その倣いを許容し理解する器量が矜持でもあったはずだ。。

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勝者の資格 機略のタイミングと逆賭   2015 9/5一部挿入

2023-08-26 19:52:58 | Weblog




「機略」機会に応じた考え。(略には奇略もあれば策略もある)
「逆賭」将来を予測して、いま手を打つこと。


この場合の司令官の機略とは、臨機(機会に臨む)に、いかに各ユニットのコンビネーションを計り組織を司る人間の職掌を超えた連帯意識と調和を考えることであり、かつ目的を共有した使命感がなくては行動のタイミングを失うことになる。また多くの識者も大意はそのようなことを仰せになる。なぜならそこには人間が絡む問題が発生し、多くの時間と労力が割かれる憂慮があることに他ならない。

元米国の国防長官ラムズフェルド氏の回想録を読んでいる。
自身の出生から思春期の事情もあるが、考え方はことのほかドライである。筆者の友人である米国人に聞くと「右派」と切って捨てられたが、何処か納得するような気分にさえなるが、似て非なる心情吐露もそこに感ずる内容もある。それを日本人なりの忖度推考としても、彼の順を追った経歴説明がどこか空虚に映るのは、幼児期に無垢で素直な童心に添うことのない大人の対応からの離脱と、それが他への厳しすぎるくらいの客観的間合いにしみついた習慣的思考の組み立てが見て取れるからだろう。

解りやすくいえば寝技型の柔道と突き放し型のボクシングとでもいおうか、思考、性格にも現れている。音楽でいえば人付き合いの巧くない奏者がセッションによって不規則ハーモニーといえるような楽曲と、楽譜通りに演奏するパートが指揮者のもとに楽曲するバンドのようなものだ。聴く方も解ったような気する熱気とソロ曲奏、雑音一つ許さないオーケストラは、双方、演奏する者も聴く方も同じようなものが集うのである。

そこの了解事項は、ともに結果に納得性があるが、あらたな機会の創造と目的の自己納得という正当性のロジックを、他のくちばしの届かないところ、それはバーチャルであれ、球体であれば底部しか見えない位置に浮かせる必要性がある。

それは彼の行動説明の方程式のようなもので、全ての組み立てに応用され、その分析理解と論理的考証、そして他への説明は明解ではあるが「明晰」とは異なり、あるいは右派というよりか、中国の混乱期に交渉を委任された説家のような自在応答の巧みさであろう。それは余程計画だったものでも開戦、終戦、掌握,平定、撤退と普通なら数年かかる軍事オペレーションから現地の臨時軍政、施政委譲など、選択変化が多い状況に合った政策が事前に策定できるものか疑わしいし、その変化をネガティブな論争を想定し、かつ耐えるような継続的大義なりが必要になる。





「大統領の戦争」とは・・・




何よりも大統領の発意を政策として練り上げることは、そもそも大統領の戦争というエピソードを記しつつ、逡巡する高官の意見を調整するという従順な臣下と、一方の権力への緻密な客観的観察に長けた臣下という姿を自己調整しなければならない。

いろいろなエピソードが綴られるが、それを超えて向かわなくてはならない使命があった。いやそう見える。なぜなら、機会に望んだときに現れる有能な人間の多面的な考察にある両にらみの気質ではあるが、ラムズフェルドの能力と大統領と良き相談相手のチェイニーの登場は、その段階から意図されていたともおもえるような絶妙なセッションパートであったようにも見えるのは、職掌や権域を超えて符丁が合ったからでもあろう。
つまり、失敗しても氏の責任として問わない事前了解のようなものだ。
それは、勝つのは解っている。どう勝つか、どのように整理するか、ということが目的に合った戦争だったように、そこからみえるのだ。

とくに強大な軍事力が背景にあるからこそ可能な説得論理でもあり、近ごろの日本の若者にもあるような分類、考証し、自身に組み込まれている思考の手順、結論の導き方に合わせ、その範囲とは異なる方策に討論を挑む、ある意味の小心で排他的な自己確認の様子が回想経過にもみえる。

それは納得せざるを得ないような高邁な理屈を並べ、珍奇な学説さえ編み出せるような環境作りのために、別の意志で戦争ロジックを作り、それらしく発表することだ。批判、反論が出やすいロジックだ。本意は前に記した、くちばしの歯入れない所か、球体の底辺しか見えない箇所に吊るせばいい。なぜなら食い扶持としての足場がないところ以外には立たないことを知っているからだ。

それは突き詰められたときの国家への帰属意識や、より複雑な要因を以て構成されている合衆国へ無条件の貢献という、より難解な取り組みてはなく、繁栄を毀損すると考えるもの、市場の増殖を抑えるもの、あるいはメンツを汚すものへの復讐など、米国民の潜在する一方の良心との葛藤の様な行動にみえるのだ。それを整合するための他との事前了解と自己(米国そのもの)の納得は、より難しい論理の整合性を求められるのは当然なことだ。
民主主義の体裁、議会の了解、予算の確保、まさに簡略拙速が求められる後方戦略でもある。


また、その後方における広報戦略のイロハは、広報をゲリラユニットとフォーマルユニットに分け、大統領コメント、あるいはメッセージとして各機会の用となすのだ。彼はその機能を駆使して機略を整え周知している。
ただ、戦後軍政については、それほど時を割かなかったようだ。だが、それが政権の足を引っ張ることまで彼の性格上組み込まれなかったようだ。それは既定勝者の増長ともいえるが、米国民が納得する戦争の意味からすると、より混乱の種となることは必至だからだ。それはベトナム、ソマリアの泥沼にトラウマが潜んでいることを彼自身十分知っていたことと、機を逃さないとする熱気の高まりがそれを置き去りにしてしまった。
米国は戦争の長期耐力が衰えたとの印象を世界に与えた。長期戦に耐えられない・・・、それは装備にも如実に表れた。


初戦さえ防げば・・・。あのフセインは開戦前に「空爆でやられても、地上戦では勝つ」と言い放った。それはゲリラでもなんでも長引けば米国世論が後ろから槍を向ける、つまり大統領選をはじめとする選挙の攻撃を受けるということだ。それを読まれた上での戦争だ。国防長官も難儀だが、一番は前線兵士の想定意志だ。まかり間違って「こんなに戦闘が長引くとは・・」「こんなに増員補充が必要だったとは・・」
この部分ではラムズフェルド氏は有能だった。そして完遂した。












かれはビジネスマンとしても優秀だった。それも全米でも優秀な企業として世界にも販路を広げている製薬会社だ。あの高熱死亡の流行り病で騒がれた当時、我が国の国策で購入したタミフルも彼の会社の主要品だ。多くの副作用が問題視され薬害とも噂されたものだ。

組織の組み立て、人員配置、能力の可否判断、販路の開拓、よく整理され、それぞれの部署が機能的に連動し、氏の人脈も加味された総合的な企業として成功している。それは社員の冷徹な観察が人事にも表れ、そのガバナンスは総合戦略の具体的な手法と相まって優れた業績を上げている。もちろんラムズフェルド氏の経歴も大いに効果を上げたようだが、株価、利益率など経営上の数値基準も整ったグローバル企業として成功している。

我が国も民官の交流と称して天下りが横行しているが、米国のそれは前任の関係充て職だけでなく、多くは実質的経営を就任の前提となっている。財務長官がゴールドマンサックスの社長、国防長官が製薬会社の社長など多くの政府高官が民間企業との関係を持つが、再就任する場合は議会の厳格な公聴会をクリア―しなければならない。余談だが、我が国でも天下りなどと揶揄されないよう官吏の事前審査公聴会を開いたらと思うのも、あるいは人事考査の峻別厳格さなど、米国の手法を憧れと感ずる日本人が多いのも事実だ。

それはアメリカらしい姿として、かつ公私のドライな峻別の姿として人の追及を容易にさせている。我が国のように政界のみならず産業界まで狡猾に支配する官吏の姿からすれば、分かりやすい人材の登用基準である。

彼は国防長官となりアフガン、イラクを指揮したが、すべてのきっかけはブッシュ大統領の一言から始まったと記述している。また冷徹と合理の塊といわれた彼にとって唯一気がかりな子息の薬物依存と浮浪の生活を旧友のチェイ二―や大統領が個人的にも心配してくれたことに涙を流す場面に、大統領が肩を抱える状況は戦争意志の構成に多くの職掌を指揮する他の部下とは違う三人の共通意図がみえる。それは誓いに似た強固な意志を常に確認するエピソードとしても綴られている。






真の正義と勝者の判別は・・・・
「時が熱狂と偏見が過ぎ去った暁には、女神は秤の均衡を保ち、賞罰の置くところを変えるだろう」

インドの司法家 ラダ・ビノード・パル博士



それが9/11を切っ掛けとしたものなのか、あるいは彼らの考える除外すべき異端の敵なのか、それとも純に自由と民主を広げる殉教的に近い考えなのか、はたまた自由な市場をグローバルに広げる意図なのか、その分類された理由ではなく、単に力を持ったものが陥る思考の行き付く極単純な現示的行為であり、宗教的教示の強圧なのか。それは単なるアカデミックな分析では理解の淵にも届かない複雑な問題のようにもみえる。

日本にも「説明責任」がはびこった。行為について解るように説明しなければならないという強圧に近い促しだ。その上、聴いた印象でものごとの可否を民主的に採決して数値の多少で納得する。たしかに中枢会議では一言も疑義をはさまなかった将官が、マスコミに語りそれがさも反対意見のように書かれ、しかも将官が訂正しない不思議さをラムズフェルド氏は、非難はしないが、不思議さを感じている。

いや、戦術の合理的説明には挿入する言葉もないのだろう。しかも大統領の戦争なのだ。
将官の憂慮は、たとえGPSをつかい誘導爆弾を投下しても、あるいはトルコを除く関係国の領空飛行許可、諸外国の賛同、そして米軍の召集がスムーズに進み部隊運用が計画されても、戦後の駐留にともなう異なる多民族、異宗教、異習慣を深慮しなければ、より多くの要員を派兵しなくてはならず、抜き差しならない状態になると考えていた。

日本の戦後を例にとったものがいたが、そこには毀損されなかった「長」がいた。そのことはマッカーサーも熟知していた。ベトナムはマクナマラが指揮をとったが、数年かかってキッシンジャーの交渉で結末をみた。中国、フランス、日本、そしてアメリカなど歴史上侵攻してきた国にとっての国防の矜持は力を背景にした文明国でも歯が立たないことをホ―チーミンは示し、逃げ帰った米国との交渉に一歩も引きさがらなかった。
その後のアメリカ社会はどうなっただろう。アジアの賢明なる指導者はその勝者の弛緩と糜爛したアメリカ社会の民情を決して鑑とはしない。


もし、ヒット&ウエイの戦術合理的手法によって拙速に戦闘終結しても人々の血は怨念として刻まれる。いくら「オー・マイ・ゴット!」と叫び、神は許すと考えていても戦争は人の血を消耗品として「率」を数値計算する。それは将官(騎士道にある武人)として合理的言辞に馴染むものではなかった。

それは自国の法を世界に普遍化しようとする意図と、異民族にも普遍な情の乖離に逡巡するゼネラルとして当然な精神だったとおもう。

彼はそれを理解しても同情心を抱いてはいけない、あるいは雨のように投下する爆弾の下で逃げ惑う人々の声を聴いてはいけない、それは立場を変えれば吾が身も家族もそのようになる、と納得した。もちろん勝って当然な戦争でも、である。たとえ一人でも部下を死地に赴かせる愛国指揮官としてその説明責任は問われる。自分さえ解らぬものが説明はできない。いやラムズフェルド氏だけではない、みな真意でなく状況を知りたいだけなのだ。その説明の具は数値の比較有効性と飾り立てた大義が、一番納得し易いことを知っている。

ラムズフェルド氏はそれを部分の問題として考慮の範囲においていた。だが、まずは戦争に勝たなくてはならない。しかし誰が考えても負けるはずはない戦いだ。それを如何に合理的に説明つくところで決着をつけなくてはならない、その工夫が大統領の意志に沿うことだった。イラクの戦後より選挙の動向が一つの要因にもなったようにもうかがえる。

それは、国務長官のパウエル、ライスへの人物観、友人チェイニーとの永年の回顧、ロックフェラ―副大統領への評価など、何をもとに人物をみているのかが遠慮がちな記述でも解るし、それが氏の人との関係の、゛間合い゛として有効なものを選択する基準のようなものだった。

また、なぜそのような評価をするのかは、戦争の大義と勝つための戦術、紛争地の異民族との応答という多面的な要素を整理説明する手順と結果に導かれた現実感の共有化を促す姿、つまり池の小石の波紋ではなく、染料を流し込んで色付けする作業のようにみえるのである。

波紋は障害があれば流れを変えるが、色は薄まりながらも平均化する。だだ、ブルーに染めても染める前の透明化をまつことなく、時々の繕った大義で順次黄色や赤色を流しこんだら民族なり環境の他とは異なることの有効性や、生存するために異質の慣習を持つ民族の種さえ毀損してしまうことになる危惧もある。








勝者の自由・・・?



異様な種や厳しい陋習、稀なる結論の導き方など、白人、西洋、キリスト教、文明国と評され、現在では論理的とも思われている米国の強制威力を持つ軍事責任者の異なるものの理解は、謳いあげる自由と民主と市場拡大が、随い順化され、平準化を有効として、かつ圧倒的な力によって見せられた民族は、言われるがままに、衣を染めつけられるだろう。

地球上には多岐にわたる陋習慣が存在する。それは近代国家の選別カテゴリーとして独裁、社会主義、民主主義と選り分けられるが、宗教分類ではイスラム、キリストという一神教の軋轢が国家戦争ともなっている。それは未だ多くの要因を含み、ときに戦争によって新たな闘争を誘引している。武器消費においては市場拡大だが、その戦争経費の出どころは金融と資源、つまり懐と地下から取り出したもの、つまり宗教では禁じられた金貸しの金利と為替、資源の意味のない浪費という、なんら宗教戒律とはかけ離れた戦費調達によって、何らかの宗教的使命感や現示的幸福感のための異なる欲望を満たしている。

゛邪魔ものは殺せ゛とは映画のセリフだと、またそんな恐ろしいことを考えることなく生を営んでいる処世の人々にとって、欲望を理屈に符合させ、整理して説明しても真の納得はない。いや以前はそうだった。だだ、都会の衆遇の多声や,衆を恃む扇動家を周知宣伝する商業マスコミの騒論は、群れとなった衆を思索と観照から遠ざけ、より高邁な説明論法によって方向を集約している。これも一つのユニットの力でもあり、有効な判断観察の恣意的な姿である。


ラムズフェルド氏に戻るが、現実の諸問題に対応するのは政治家の勤めだが、相手の峻別を一方の価値に包む謀は、自陣営ですら煩いの種として排除し、彼の視点では多くが優柔不断に思えるような強固な意志は、愛国者というよりか、効率的思考のテクノクラートと映る。ゆえに戦いは勝利しても混乱期の軍政(占領統治)には現地の歴史に浸透した固陋な掟や習慣、そして底流にある面子や金銭などの欲望について理解が深いとは思えない。いや,前記したが深くては戦争などできないのだ。数パーセントの副作用を見込む薬業の世界と同じことのようだ。

あのアフガンで推戴された指導者も権力が安定すれば、主体的に戦闘を協働した米国を始めとした西側といわれた国々の影響力から離れ、逆に歴史的にも対抗する大国の援助に多くの利権を与えるようになっている。それはラムズフェルト氏を含めエリートと称される人々の理解範疇にはない、つまりアカデミックから土着的協調への変化と、現地の転化という将来観とは別なる情緒に対する考察が欠如している故だろう。

学科の数値能力と応用能力と異なることは、我が国の「不」エリートではなく、「似非」エリートのintention(意図)とAction(行動)の乖離と効果なき連動は、既得概念に染まった官吏の慣性劣化で実証済みだが、米国発知的労働者像も数値に対する愚直さとしてみれば、情緒や将来観などは不必要な部類であり、それゆえに繰り返して記す、゛戦後の現地折り合い゛の稚拙さは当然なことと思われる。

意図を行動に結びつけるとき、目の前に大きな溝なり障害が逡巡のもととなるが、それは自身の欲の一種である習得知力の範囲内での行動のこだわりや、切り口の異なる異能者に対する排他的態度など、数値エリートの宿命的欠陥でもあろう。

よく数学者が挑む素数の証明も、物理学者(量子学)とのふとした縁で知った原子の性質との類似性によって、数学の世界では証明できなかったことが、別文野との接触て新たな切り口が発想となり、可能性が進歩した例がある。処世て言うなら「世間知らずの専門バカ」の様なもので、個々の特徴を調和(譲り合って)させて、連帯する効果の接続要素は、人間社会ては「縁」ということすら解らないようだ。その動きの法則を素数の配置で証明しようとしているのだろうが、大自然の原子ら始まる運動体の複雑な動きは、数学者ならずとも無学な知恵者は直感している。なかには「そんゆうものだ」と心身調和した実利的生活を世代を超えて継続している。
滅びの順は、心身や調和と個々の結びつきがなくなれば分裂し崩壊する。

それは、ソフトパワーによってある程度の効果はあがり、人心や金融は混乱の極におかれるようになったが、今度は戦争というハードパワーによって、より亢進性をたかめる両面策の目的は、単なる動いていればエネルギーは発するといった単純なものではないらしい。

処世の哲人たちは、そのセキュリティまて知っている。それは自身の「ホド」と「キリ」た。説明すれば「欲のコントロール」と「吾身の限界を知る」ことだ。
高級な学び舎に行くと心が放たれ、知恵が飛散する。だから「勝つために」「効率よく破壊するため」「人間をひとくぐりにまとめるため」などに妙なシステムや組織論を論じ、そして世界観を夢想するのだ。


しかも、的が外れるから混乱するのだ












M16のクェートとイラクの直線分断によって利権を確保したが、それはあの混乱期のことだ。こんどは北のクルド人地区をイラク新政府と分断して採掘権契約を結ぶ様な意図は、数百年にわたる彼ら西洋商人との複合国家のたくらみとして現地人は『またか・・』と政策には面従腹背している。アジアの賢人からしても戦争大義と勝者の態度は決して心の勝者とはいえない姿であり、勝者の資格さえない権力の使い方である。

ラムズフェルド氏が単なる軍事オタクならそれもあろうが、「しょせんはそんなもの・」と思われる米国の大義も意気地がない。やせ我慢ゆえ獲物を目の前でかすめ取られることはヤンキーの意地と精神では我慢ならないだろうが、自分で獲物を抱えて腐らせる愚かものは別として、唱えた大義のために、かつ怨霊の恨みでなく、米国の若い兵士の意志として獲物を分け与えたら兵は死ななくて済むようになる。これは経綸であり大戦略であることを、まず知ることだ。

皆、腰ぬけと嘲られながら戸惑うのはその将来への逆賭なのだ。つまり将来に起こることを想定して現在取るべき布石を打つことへの、もう一段高い調整と努力の検証の必要性だ。
だだ、「兵は拙速を旨とする」定石からすれば、機会を逃すことにもなる。その間に隠匿されたり逃避されたり、外交問題が混沌としてキャスティングボードが握れないかもしれないが、負けたら大変というともあるが、勝ったらどうなるか、人心は弛緩しないか、奢らないか、いくら民主と自由を掲げても敗戦国の国民からから怨嗟を受けないか、まずは戦闘者の矜持として戦災地の民生と勝者の自尊と弛みを慎重に考えることへの促しである。

それを以て勝者の資格であり大国の名誉だということを考えることが必要なことだろう。


戦後、米国の勝利は高級軍人の口利き、納入便宜など、正義を謳って勝利した大国にあるまじき弛緩が起こっている。くわえその弛みは戦闘の大義であった大量破壊兵器はなかったという情報がイギリスから洩れた。増長した為政者に対しては自国の自制として漏れたものだが、はかりごとが弛む風潮はウィキリ―クスの出現によってより広がった。

そして戦勝国のアメリカは信用を失くし、「力」を敬する諸外国から侮られるようになってきた。

それさえも指をくわえていなければならない東北アジアの同盟国として忸怩たるおもいがある。あの阿諛迎合的にみえた被占領国民であった日本人の姿は普遍ではない。米国の力が弱まっても先の戦争を「アジア侵略!」「謝罪と賠償」などとは吠えない。カリフォルニアの日系人強制隔離があっても、忘れかけたころ米国大統領が過ちを認めれば、それでこそ米国大統領だと賛辞を呈し、しつこく賠償金を訴えない。

だからこそ米国の変質が気にかかるのだ。戦後処理、つまりその態度に敗者は戦争の意志をみる。憎らしければ虐殺、虐政を救いたければ徹底的扶助、だだ風の吹きまわしで起こる戦争は意志がゆるみメンツのみで泥沼になる。
米国は色々な経験をした。だだ、大国の「欲」にもみえる、経済市場の確保と支配の意図が見えすぎると、折角の戦略も兵士の血も台無しになってしまう。

その米国の世界戦略にほころびが出てきた。我が国同様とは思えないが縦割り機関である国務省と国防総省、つまり戦闘と外交、戦後処理の意志の乖離だ。それも表に出ない暗闘だ。

それは多岐にわたる陋習と導かれた為政は整理分別し集約転化したとしても、積み残されたファクターを敢えて無理解におくエリートの整理切り捨て意識は、ライス、パウエルといった有色種に祖をもつ情緒には届かなかった。また、そう考えると論理が構成できず、また「情」という彼らの考えるいい加減で無価値な事情をファクターにしたら、効率的殺戮ができないと真面目に考えるのである。つまり戦争のコストの問題なのだ。

息のかかるような白兵戦など効率的ではない、なによりも自軍の兵士の命、いや効率の問題であり、時を逸すると愚かな市民が世論という手で邪魔をする。それが朝鮮とベトナムで学んだことだ。「兵を動かすには拙速をむねとする」、司令官としては有能だが、縁あって戦闘を共有した敵味方の兵士に鎮魂をささげ、敗者に哀悼を捧げる心が乏しいのもその考えからなのだろうか。

たしかに大統領はともかく国防責任者の作業認識は、今の理屈では妥当だろう。しかし大国アメリカの愛国者はゼネラリストであり、武力の行使は政策としても、司令としても世界から「正義と公平」の認知を受けなければならない。それは誰も正面切って戦いを挑まれることのない米国だからこそ表すことのできる忠恕の心であるべきだ

あなた方は教える。弱者の正義はないと。中国も善悪問わず「力」は正義だと故事は記す。











だから負けた国は「いまにみていろ」と。米国もそのような勝ち振る舞いをする。
たとえ好奇心と阿諛迎合の軟弱精神と集団狂乱の癖があるとの事前調査結果の功があったのか、日本の戦後は誠に従順だった。今頃になってマッカーサーのせいにしているが前線の兵士以外の軍官吏や官吏は従順だった。おかげで仮にも居心地いい社会になったが、おんな子供は烈しくなり、公職者は食い扶持に堕している。それも占領軍政策のせいにしたがる人もいるが、かといってケネディーやレーガンに憧れ、あんな政治家が日本にも欲しいとの声も聴く。アメリカに負けてよかったと思えるのも現下の幸せ感が、いまは最上なのだろう。不可思議な国だ。これでは武力集団も戸惑いつつ、「ます゛、実戦はない」と、囲われることに問題意識もなくなる。


居酒屋の人生論でさえ「男が一人前になるのは闘いと貧乏だ・・」といわれてもピンとこない日本男子だが、世俗では大病、疑獄、倒産の三拍子が揃うと一人前だという。
政治家は人をだまして雄弁家。軍隊は物を壊し人を殺して英雄。むかしはその様にして男子を鼓舞して育て上げた。

有能な国防長官のおかげで、また一時の安逸が味わえる一方の陣営だが、やはりコストはかかる。

疫病の蔓延を恐れて我が国は膨大なタミフルの常備在庫がある。有効も期限がある。感謝のしるしとしては些少だが合理的説明がつく、それぐらいのことしかできない国になってしまった。



【イメージ写真は関係サイトより転載】

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NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」 2015

2023-08-25 07:40:52 | Weblog





NYタイムズ東京支局長指摘 「大新聞は国民を見下している」

来日して12年になるマーティン・ファクラー氏(C)
写真 稿 日刊ゲンダイウェッブサイトより転載



国の根幹が変わるのに、新聞が反論を載せない異常
 
相変わらず安倍政権の支持率は高いが、不思議なことだ。庶民にアベノミクスの恩恵はまったくないし、イスラム国の人質事件は最悪の結末に終わった。政治とカネの醜聞が噴出し、大臣がまた辞任した。そんな中で、安倍政権は平和憲法をかなぐり捨てる法整備を進めているのに、世論は怒るわけでもない。その理由を尋ねると、来日して12年になるニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏からは明快な答えが返ってきた。

「報じない大メディアが悪いのです」――。


――この調子でいくと、今月中にも自衛隊が世界中に出ていって、戦争協力する法案が提出されることになります。国の形が完全に変わってしまうのに、日本人は関心も示さない。どう思いますか?

こうなっているのは2つの大きな要因がありますね。ひとつは自民党一強、野党不在の政治状況。もうひとつはメディアが安倍政権を怖がって批判を控えていることです。



――やっぱり、怖がっているように見えますか?

 見えますよ。日本はいま、これまでとは全く異なる国家をつくろうとしている。憲法に基づいた平和主義を守るのではなく、米国や英国の仲間になろうとしている。果たして、それでいいのか。大きな岐路、重要な局面に立っているのに、そうした議論が何もないじゃないですか。これは本当に不思議なことです。恐らく多くの国民は、戦後以来の大きな変化が起こっていることすら知らないんじゃないですか。私は何も新聞に反安倍のキャンペーンをやれと言っているわけではないんです。安倍政権はこういうことをやろうとしているけれども、そこにはこういう問題点や危険性がある。こういう別の意見もある。せめてさまざまな立場の見方を紹介して、幅広い議論を喚起することが必要なんじゃないですか。



――しかし、それすら大新聞はめったにやらない。何か安全保障の問題はタブー視されているような印象すらありますね。

 なぜ、タブー視されるのでしょうか。9・11の直後、米国では国を守るためには団結しなければダメだという危機感がメディアの批判精神を鈍らせました。これは大きな失敗でした。あの時こそ、メディアは冷静になって、きちんとブッシュ政権に問うべきだったんです。本当にイラクに大量破壊兵器はあるのか。本当に、この戦争をしなければいけないのか。しかし、それをやらなかった。それと同じ失敗を日本のメディアは犯そうとしていますね。いま、日本の国家はどういう危機に直面しているのでしょうか? 台頭する中国への不安や懸念ですか? イスラム国の脅威ですか? そんな小さなことでジャーナリズムが批判精神を失うのでしょうか。



――イスラム国の人質事件ではニューヨーク・タイムズ紙に掲載された風刺画が非常に印象に残っています。「イスラム国は平和主義から逸脱する日本を後押しするか」というタイトルで、車夫(=日本人)の鼻先にイスラム国の旗をぶら下げ、「憲法改正」の車を走らせる安倍首相が描かれていた。キャプションには「安倍晋三“大統領”は復讐を呼びかけた」とあった。



 ニューヨーク・タイムズの論評を扱う部署には複数の風刺画家がいます。そのうちのひとりがアイデアを提示した。私が関わったわけじゃありません。



――ということは、米国人は一般的に安倍首相のことを、そういう目で見ているということですね?


 そうだと思いますね。ひとりがアイデアを出して、みんながそうだね、と賛同したわけでしょうからね。



――それなのに、日本の大メディアは風刺画どころか、安倍政権が人質救出に何をしたのか、しなかったのか。イスラム国と戦う国への2億ドル支援演説の是非もほとんど論じていませんね。

 私は中東で調査をしたわけではありませんが、東京から見ている限り、安倍政権はあらゆるルートを駆使したわけではないでしょう。最初からあきらめていたように見えます。身代金の支払いにしても早い段階から拒否しているし、この事件を政治的に利用し、テロに屈しないと宣言して米英の一員であることを国内外にアピールするのが狙いだったように感じました。



――人質救出に全力を挙げると言っていましたけどね。

 政治っていうのは、みんなそんなもんですよ。オバマ政権も一緒です。ただ違うのはメディアが政府の言い分をうのみにするかどうかです。私は列強の仲間入りをしたいという安倍首相が悪いとは言いません。彼は素直に自分のやりたいことをやっている。それは就任前の言動から容易に推測できたことです。問題はそれに疑問も挟まず、従って何の質問もせず、説明も求めないメディアの方です。だから、安倍首相が積極的平和主義を唱えれば、多くの国民が何の疑問も持たずに“そんなもんか”と思ってしまう。ここが危険なところです。



――積極的平和主義で、米国と一緒になって戦う。それが日本を守ることになる。こういう主張の政治家、官僚、学者、評論家たちは、米国がやっていることが正義であるという大前提に立っていますね。ただし、そういう人々の多くは、アーミテージ元国務副長官に代表されるジャパンハンドラーと呼ばれる人としか付き合っていない。このほど、ファクラーさんが出された孫崎享さん(元外務省国際情報局長)との対談本、「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)の中には、こういうことが書いてあって、本当に驚きました。ハンドラーという言葉は「犬を扱う」ようなイメージだというし、そのジャパンハンドラーの人々が米国を動かしているわけでもない。これは非常におかしなことだと思います。

ジャパンハンドラーの人々は非常に保守的で、オバマ政権にも入っていないし、決して米国の意見を代表しているわけではありません。それなのに、自民党の政治家や外務省の官僚はジャパンハンドラ―に頼ってしまう。



――対談本でファクラーさんは、「ジャパンハンドラーは『既得権益集団』で、コンサルティンググループなどをつくり、強欲な商売をしている」とおっしゃっていた。

 鳩山政権の時に脱官僚を唱えた瞬間、日米関係がぶっ壊れたでしょ? あんなにすぐ壊れるものかと驚きました。このことは日米のパイプがいかに細いかの裏返しです。一部の自民党の政治家や官僚とジャパンハンドラーとの付き合いしかないのです。日米関係に関わっている人は非常に少数で、そういう人が同盟関係を管理している。だから、普天間基地の移転問題にしても辺野古しかないという結論になってしまう。もっと幅広い人脈と付き合っていれば、さまざまな意見、選択肢が出てくるはずです。



――集団的自衛権についても、それが日米同盟では当たり前ということになってしまう。


 確かに戦後70年間、米国と一緒にやってきて、ある意味、安全だった過去の実績はあります。でも、今後もそれでいいのか。平和憲法を捨てず、平和主義を貫く選択肢もあるし、鳩山政権や小沢一郎氏が唱えたようなアジア重視の道もある。どちらがいいかは国民が考えた上で決めるべきです。



――ところが、日本人には、それを判断する情報すら与えられていないんですよ。新聞が選択肢すら報じないものだから。

 日本のエリートの上の方で、物事が決まっている。大きな新聞はそちらの方を見て記事を書いている。そんな印象ですね。新聞社は読者の側に立って、権力を見ていない。権力者の側に立って、国民を見下ろしている。そんなふうに感じます。こんな新聞を国民は信じますか? 



――このまま米国追随路線をエスカレートさせたら、この国はどうなっていくと思われますか?

 イスラム国のような事件がまた起こりますよ。米英豪仏などと同じ一員になれば、彼らの敵が日本の敵にもなる。日本人はそこまでの覚悟をしているのでしょうか。いずれにしても、民主主義国家でこれほど異常な一党支配の国は私の知る限り、見たことがない。戦前と似ていると言う人がいますが、野党不在で政権と違う意見を許さないという雰囲気においては、似ているかもしれません。健全な民主主義に不可欠なのは議論なのに、それを忘れているとしか思えません。




▽マーティン・ファクラー 1966年生まれ。ダートマス大卒業後、イリノイ大、カリフォルニア大バークレー校で修士。ブルームバーグ東京支局、AP通信東京支局、ウォールストリート・ジャーナル東京支局などを経て、ニューヨーク・タイムズ東京支局長。近著に「崖っぷち国家 日本の決断」(日本文芸社)。

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日本の兵士 もう一つの情景

2023-08-23 01:32:45 | Weblog

今から35年くらい前に「新勢力」という雑誌があった
そのころ「新日本協議会」という安岡正篤、安倍源基、木村篤太郎らが発起した会もあった
伴氏が記す葦津珍彦氏も筆者はそのころ邂逅した。

当時は学生運動、マージャン、ナンパが若者の流行りだったが、どの様な訳か明治の老海に小船を漕ぎ出した。
それは同年代とは別の航路を辿ったようだ。
もちろん同年代は皆無、海は荒れたり鎮まったりしたが揉まれる海はは豊饒だった。
孫のような小僧は独りぼっちゆえか可愛がられ、いじられ、督励されて老海の恵みを浸透させた

戦時中、葦津氏は現地に赴いた。以前ブログに記した若杉参謀こと高松宮親王殿下も現地で日本軍の現状を憂慮した。いま騒いでいる朝日新聞も筆を折ったのか、肉体的衝撃を案じてせざるを得なかったのか掲載をためらった。もとより高学歴の立身出世組は今と何ら変わらない。

葦津氏は今どきのカテゴリーででは民族派、右翼、靖国派と云われるが、是非の峻別は人道を基とした人間愛であり、そこに日本人の教化を描いた。

組織は往々にして愚直で無教養を率いなければならない時がある。とくに軍はそうだ。
それは理屈で命を考えることなく、的(まと)にできる人たちだ。そして皆、その成果に訪れる欲望の充足に一過性の安逸を覚えるのだ。
皇軍、聖戦といわれた戦闘行動も結果はそうだった。
そして、朝日を始めとする新聞はそれを国民に知らせなかった。

戦後の葦津の訴えや行動は浮俗の未熟な色分けにも応ぜず、神道や靖国、そして日本人のあるべき姿に傾倒した。
戦中は危険人物と云われたが、それら迫害、妨害した彼らも含めて神道や靖国に包み込んでいる。
右翼左翼を問わず、日本及び日本人への問題意識として、彼の所業はいま再び甦ろうとしている。






中国を虎視眈々と狙う列強



以下は友人の伴氏の萬晩報の寄稿をご紹介します


「驚くべき日本兵の蛮行 葦津珍彦私家版史料から」

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伴 武澄 (2013年8月19日 20:52)

「萱野長知・孫文関係史料集」の中に驚くべき報告がある。葦津珍彦というどちらかといえば靖国派に属する研究者が中国で見聞した日本軍兵士の蛮行を綴った文章である。

 昭和13年だから1938年、日中戦争が泥沼化していた時期の話である。中国が最近になっても日本を許さない歴史的背景の一光景であるはずである。

 さすがの葦津珍彦も戦前には発表していない。戦後になってしかも友人に配ったパンフレットにしか書けなかった事実なのであろう。


 






視察報告記 上海戦線より帰りて
         昭和13年1月 葦津珍彦

 今や中支全戦線は、日本軍に依って荒廃に帰して終った。総ての財物は掠奪せられ、総ての婦女子は辱しめられた。かかる悲惨事は、凡らく近世の東洋史の知らざる所であらう。

 激戦の後に一つの町が占領せられる。民家に兵が突人して来る。「女はいないか」と血走った眼が銃剣をつきつける。恐れ戦きつつも、愛する者のために、男は「いない」と答へる。兵は二三発の弾丸を放つ。弾声に驚いて女の悲鳴が聞える。兵は男を殺して女を辱しめる。かくて数千の夫や親や兄が殺され、かくて数万の女が辱しめられたのである。

 兵はあらゆる所で掠奪した紙幣や貴金属を携へて行軍している。部落部落の牛や豚や馬は片端から徴発されている。五十円、六十円の牛が僅に三百万分ノ一(二銭)の値段で徴発せられる。戸棚も寝具も、衣類も引ずり出されて焚火の燃料に浪費されて終ふ。

 かくて数百里の間、中国の地は蹂躙しつくされようとしている。
 この日本軍が皇軍と僣称する事を天は赦すであらうか。
 我が日本民族の清き血を伝へ来った人々は之を赦し得るであらうか。
 天誅は必ず来るであらう。必ず来らねばならぬ。



 今や祖国は功利のどん底から理想の天涯へと飛躍せねばならぬ。然らずんば、亡国は遂に避け得られぬであらう。
 私は抗日戦線の華と散った数千万の中国の青年子女達に対し、心からなる哀悼の念を禁じ掲ない。私は諸君とこそ力強い握手を交し度かったのである。

 祖国を守らんとして、弱く後れた祖国を防衛せんとして山西の天険に、江南の平野に、若き命を棄てた諸君の生涯は美しい。
 私は諸君の如き中国の青年子女が数万となく失はれた事を想ふ時に、人生の淋しさをしみじみと感ずる者である。

 私は閘北の戦線で諸君の最後を想像した。
 諸君の行動は、真に真摯であり、情熱的であり、精悍であり、又純粋であった。
 諸君は実に中国民族の、否東洋民族の華であった。
 私の知友の一人は、戦線に於て諸君と百余日間(以下滅失)
 
 葦津泰國蔵。葦津珍彦が一九六七年知友に頒布した私家版のパンフレット(書名なし、非売品)より。葦津については本書四一六頁参照。




当ブログ拙章 参考参照

≪三笠宮崇仁親王殿下(若杉参謀)に倣う  憲法改正へ向かう前に≫

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/27243d4c240115a7be9510e936596c41











以下関係サイトより参考抜粋

靖国神社、そして葦津珍彦 - Living, Loving, Thinking

 葦津珍彦氏は、在野の神道史研究の大御所で、神社本庁創設の中心人物。戦前は東条内閣批判のビラを国会議場でまいた。検挙もされた。戦後の61年、天皇制支持の寄稿が雑誌ごと廃棄処分された「思想の科学事件」の渦中の人でもある。

 調査会が設置されていたのは戦後十余年のころ。世間には戦争指導者への批判が渦巻いており、A級戦犯合祀は靖国批判に火をつけかねなかった。当時の宮司は、皇族出身の性格温和な筑波藤麿氏。珍彦氏は筑波宮司に代わり、総代会の最強硬派である青木一男・元大東亜相らを抑え、「国家護持が先だ」と説き伏せる役目を担っていた。

 筑波宮司の後任、松平宮司の「抜き打ち合祀」に対し、珍彦氏は79年7月、ある小雑誌に匿名で「信教自由と靖国神社/戦犯刑死者合祀の難問」と題する論文を載せ、この中で「国の公式命令による戦没者」に限定した「靖国合祀の条件」があると主張。「神社にせよメモリアル(国家施設)にせよ一定の限界を立てることは極めて大切だ。国に功のあった人を片端から祭れなどの俗論も聞くが、表敬者の心理集中を妨げる」と論じた。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)を否定し、A級戦犯の処刑も「戦死」であるとする考え方について「それならば東京、広島、長崎、旧満州(現中国東北部)はじめ外国軍に殺された一般市民が50万人以上もある。その『限界』はどうなるのか。悲惨な敗戦へとミスリードした責任者もある」と批判的見解を例示した。神道信仰や戦争責任を問う立場から、A級戦犯合祀に疑義をぶつけたのだ。

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三笠宮崇仁親王殿下(若杉参謀)に倣う  憲法改正へ向かう前に

2023-08-20 08:40:19 | Weblog

 

13  5/7掲載


当ブログでも、十七条憲法は権力を構成するであろう人々の集団や、彼らが恣意的に行うであろう行為が人間の尊厳を毀損するであろうと危惧したため、それらの権力集団の権力行使の制御を抑えるために聖徳太子が制定したとされる矩であると度々書いた
そして改める意図と機会に際して、慎重な歴史の鎮考が求められるとも記した

安倍氏の歴史感覚と当面の対処は是とするが、改正後の人々の動向と民癖のように歴史に刻まれた日本人の変化を想定することも同時に推考しなくてはならないと考える
それは、ネガティブに足を引っ張ったり、種々な異論を糾合して徒な反対に応ずるのではなく、自らの良心と美しい国とかかげる政権理念を将来にも汚すことなく、かつ現実に対応する胆力を養うためにも一考を呈したい。

戦争には秘話がつきものだ。開戦秘話、謀略秘話、日中秘話など未だに秘匿や隠ぺいされた資料が多い中で、いの様々な軋轢を生んでいる日中の戦いで意義深い逸話がある。
それは、「どうも心配だ・・・」「よく解らないが・・」と流れに乗る国民議論の中で、日本人が蓋をするように当時は「聞かぬふり」をしている内容であり、この問題さえ解決しているなら憲法改正も然りとおもえる、同族である日本人に対する集団化の変化、現状看過の無責任な流れ、など、面前の人を信ずるという信義だけでは済まない特異な傾向が潜在する民癖のようなものだ。


最近も社会保険庁の醜態、行政改革のとん挫、治安機構の変容、政治の混迷など、日本には独特な問題が堆積している。さかのぼれば江戸の御家人、明治以後の軍官僚、戦後の官僚など熟すれば弛緩する制度と堕落など、国家の本綱や維にいわれる国民とスメラギの紐帯の導線を自らの充足と安定に利するために用いて、真の本綱の維持を希薄にさせ、あえて思索と観照の意を衰えさせ、かつ棲み分けれられた民族に必須な精霊の存在さえ無意味にさせるような面前権力や同胞への怨嗟が起こっている。

つまり改正は己も他人も心配なのだ。しかも言い尽くされてはいるが権力を制御する憲法を現世価値を追う議会の権力によって改正することへの危惧だ。
大方は任せているという。外敵が攻めてくれば自衛隊がいるという。しかし、国民の私権を制約しなければ戦うことも守ることもできないという。大方の国民は撃たれることも、女子が凌辱され、資産は没収され自由もなくなることなどは空事と思っている。

沖縄の戦いは沖縄の人が知っている。占領下の日本はその当時の人のことだと考えているが、もし米軍が日本軍占領下の中国大陸のような軍隊だったらと想像しても、今の感覚での想像でしかない。














昭和十九年一月、戦局は日本軍に不利だった。いや壊滅まじかだった。
支那派遣軍総司令部の若杉参謀は尉官将校に命令を下した。

「支那事変がいまに至るも解決せざる根本要因について思うところを述べよ。ただし三行三十字」

高級軍人も頭をひねりながら、得意の整理と論理的合理を思案しながら数値評価で出世した倣いで知恵を絞った。与えられた課題に対する部分考証はいかんなく発揮されたが若杉参謀の深慮には到底届くものではなかった。つまり、それら明治新政府がかぶれたように採用したフランス式啓蒙主義を土台にしたアカデミックな教育の成れの果てのように、歴史は残酷にも異郷の地において結果をさらした。それは戦略戦術の稚拙さや時流の流れなどではなく、日本人につきつけられた「日本及び日本人」への痛切な問いであり、猛省を促すものだった。

だが。後年それが仮の反省であり、問題意識すら抱くことのなかったことが、再び問題として、かつ国家の弊害として勢いを増している。まさに若杉参謀はそれを推考しているようだった。

彼らの答えはこうだった
「蒋介石の反日教育」  「ソ連の共産党への援助」  「英米の物的援助」  
「ビルマル―トの打通」 「中国大陸の広さ」 などだった。
その各々は現況の原因かもしれないが・・・と続け

「しかし、いずれにも本官は満足しない。諸君の回答は事変未解決の一つの回答だとしても、それは単に枝葉末節、あるいは部分的原因にすぎない。いずれも本官の考える根本的原因には程遠い。諸君の回答は落第である」

帝大や高等文官、陸大の数値評価では合格だろうが、若杉の意図にたいする答えは見いだせない立身出世の当時のエリートだった。

「ただし、この答えだけが本官の期待した唯一のものだ」と一通の答えをとりだした。

「沢井中尉前えっ、読みたまえ」

沢井は両手で答案用紙を前に掲げ大声で読んだ

「支那事変未解決の根本原因は、日本人が真の日本人に徹せざるなり」

当時は刑罰ものである。あの皇軍を汚す行為だと・・・・

若杉参謀は語気鋭く満場の兵士に迫った

「その通り、支那事変未解決の根本原因は日本人が真の日本人として行動していないからだ。略奪暴行していながら何が皇軍か。現地の一般住民を苦しめながら何が聖戦か。大陸における日本軍官民のこの様なあり方で、いったい陛下の大御心に沿っていると思っているのか・・」

満場は総司令官以下みな頭を垂れ沈黙した。若杉は続けた。
「我が日本軍にもっとも必要なことは、武器でもない、弾薬でもない、訓練でもない、これだ・・・」と後ろを振り返り黒板に大書した。

「自らを省み、自らを慎み、自らの一挙一動が大御心にもとることなきかを自らに問うことである」

若杉参謀は軍の倣慢、居留民の堕落を余すところなく衝いたうえで

、「今、この時、日本人が真の日本人に立ち直ることができないなら、支那事変は永久に解決しないであろう」、と断言した。

彼らは相変わらずだった。若杉が退出すると高級副官は
「只今のお言葉は,何ともその、恐れ多いお言葉だが、そのなんと言おうか、あまり、いやまぁ、なるべくだな、外部に口外せぬように」と無反省な戯言を吐いた。

若杉は日中事変そのものの不道徳性を衝いた。人間としての日本人の姿に我慢ならなかった。そして「日中間の事変が解決しないのは、中国人の心が読めないからだ」とも述べている。諸国間の意図や軋轢、世界的陰謀など混在する問題があるなかで、ここまで言い切る剛直さは、その世界に存する方ならではの威厳が言葉にもある。

その若杉参謀だが、一参謀が総司令官に頭を垂れさせ満場の幹部に訓導することは軍隊の階級ではありえないことだ。じつは天皇の弟君三笠宮崇仁親王殿下の陸軍での秘匿名なのだ。そしてこの言葉に関する記述資料は危険文書として総司令部は破棄を指令。

それよりもあの戦時下の現地において殿下の明快な現状俯瞰力と根本を衝く勇気と英明さは、内容が当然なこととはいえ、歴史をたどるものからすれば驚愕な姿だ。













そこで憲法に戻ろう。
むかしは軍人、いまは官僚といわれて久しいが、当時の政治も現状追認でややもすると軍人の行動を忖度して擁護する議員もいた。そして翼賛政治に向かった。異を唱えたのは齋藤隆夫や浜田国松が有名だが、みな官僚、いや軍人の便宜供与や肉体的衝撃を恐れる議員が地位保全を計って口をつぐんでいた。いま皇族は意志を発することは閉ざされている。まして若杉参謀(三笠宮殿下)のような英明さも活かされることはない。だだ、その意は議員諸氏の胆識にかかっている。あの三笠宮殿下が「真の日本人であるなら・・」と訓導した見識と勇気があるのならそれは可能だ。

振り返れば、あの現場はいまに置き換えるとよく解る。戦況と選挙、俸給担保と当選のための戦術、俯瞰力をなくした枝葉末節な議論、そんなことでは日本のみならずアジアの信頼さえ得ることができないと衝いた三笠宮殿下の見識。

省益や議員の便宜利権に模せば、三笠宮殿下は、現地軍が戦闘をはじめ、天皇に後始末を押し付けた、と統帥権の逸脱を記しているが、今の国会は議院内閣制とはいえ細々した省の諸問題を腹話術に罹ったかのように、自身には関係のない言い訳すら言わされているが、内容経過すら熟知せず更迭の憂き目にもあっている議員もいる。

そんな状態で、自らの権利を拡大することは三笠宮殿下ならずとも危惧するだろう。
孫文も側近の山田純三郎に呻吟している
「真の日本人がいなくなった」と。それは信じられなくなった日本人だ。

色目人(異邦人)でも宰相に登用する中国のこと、李鴻章は伊藤博文を支那の宰相にと語ったという。フビライは北京で二十歳の青年を見抜き、後の宰相にした。色目人である耶律楚材だ。つまり人間の能力を数値でないところで見抜く目を持っている。
民主主義制度の名のもと大衆が選んだ管首相は震災被災地で罵詈雑言をうけた。継続された皇室は膝を折り、海に祈り、人びとの感涙を誘った。

叶うなら、若杉参謀の言う「大御心」に沿った憲法をつくってほしいと願うのは、憲法によって制御される者ではなく、それらに真の自由と尊厳を毀損されかねない人々の思いだ。解っているなら大いに結構なことだが・・・


岩武光宏著 「日本人が知りたかった東洋史」より一部参考抜粋編
写真は宮内庁および関連サイトより転載

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次郎長と喜之助、今はいずこに 13 8/13再

2023-08-18 13:50:27 | Weblog


志は青雲



次郎長は山本長五郎、幕末任侠の徒。喜之助は戦後の新宿に光を灯した任侠,尾津喜之助。その稼業は異なるが政治が混乱し態をなしていないときに表れた義狭である。
ひとは総称してやくざ(役三)と呼ぶ。いまも全国津々浦々に散見するが当局の御都合で暴力団と命名され、いくら善行を積んでも国民の目線から遮断され隠れた存在となっている。
いくら格好良く名を売るといっても、端から暴力団では絵にならならない。まして、「俺みたいなやくざもんは・・」といわれたら二の句もさせない。せめて「俺たち任侠は・・」と言ってほしいし、それなりを魅せてほしいのは山々だが本人たちも一種の自虐に陥っている。堅気素人とて「どうせ学歴もなく貧乏で・・」といわれたら、どうも話が暗くなる。

土方(土木労務者)とて高学歴の青瓢箪では使い物にならないように、鶴嘴(つるはし)とスコップを器用に使いこなせなければ仕事にもならない。しかもその使いこなした道具は人をあやめる武具にもなる。゛バカと刃物は使いよう゛とは筆者の母の口癖だったが肉体的威力も戦争では前面にかりだされ軍官吏は安全地帯といのが大よその倣いだ。

安岡氏も(正篤)も、真に頭のいいということは暗記力や知識充足だけでなく直観力がいいことだと説くが、その直観力は良質なバーバリズム(野性)としてもともと備わっている。
ならば、机上で数値データーを駆使したり高邁な理屈ではなく、大自然の恩恵である陽の光(熱)風雨(潤い)大地(恵み)大気(循環)などを感知する能力を劣化させないような習慣性や変化の直観を養わなくてはならない。つまり、この手の学問と修得の必要を感ずることが、゛頭のいい゛人間になる早道ということになる。

その点、肉体的衝撃や忍耐を自らすすんで受け、かつ利他(不特定多数の人の社会)に向かう姿は、「己をむなしくする」という武士や僧侶の情緒と同様な薫がする。


清水次郎長こと山本長五郎について

≪ 明治十一年十一月

 清水次郎長、五十九歳、網元の伜に生れたが、養子に行った山本屋でグレだし、イカサマ博突のゴロツキから、いつか無宿兇状持の暴れ者となり、力ずく度胸ずくで、張り合い争い合って、やがて街道にも鳴りひびく大親分と成り上った彼も、ご維新前後の変転の中に、幸にも、山岡鉄舟や榎本武場、関口隆吉などという偉物たちの知遇と指導を得て、ようやく正道に立ち帰ろうとつとめたので、他の博徒たちとちがい、後年名を残し、謳われるまでの男になりえた。実に恵まれた。
 小柄肥満で、目方は二十三貫もあった。容貌もあの近藤勇に似て、黒い顔の中に大きな造作が、泥でねじこまれ、押しこねられたような、みるからに太々しい、不敵さをたたえ、これなら人の何人もぶった切って生きてきた者とすぐ分る。

 しかし、この頃は、鉄舟らの教えを守り、自分から何ごとも人にゆずる身腰になって、着物も粗末な木綿をまとい、それだけはどうしようもない凄みのある目玉。
 このころ、明治七年から、富士山麓(富士郡大潟村万野原)に、静岡県令大迫貞清に願って、静岡監獄の兇悪犯や刑人たちを引うけて、数十町歩の開墾をやっていた。子分はもとより、自分も鍬をとって働いた。桑や茶畑を作る一方、清水港に、横浜との蒸気機関船定期航路までひらき、少しでも人のため世のためになり、過去の乱暴者の終りを良く飾ろうと、損得かまわず、何にでも、手を出していた。家の中では、養蚕までやっている打こみ方で、昔の次部長を知る者には、何もかもおどろきである。
 そのくせ、子分はいつでも三十人程はゴロゴロしているし、古くからの子分、大政や桶屋の鬼吉や、増川の仙右工門らも、それぞれ縄張をもち子分ももって、近郷近在に居り、声をかければ、三日で、ウソではなく千人のやくざが清水港に勢ぞろいできる実力を、いまだに持っていた。その家内は、二代目お蝶が、先年浪人に斬殺されて、その後に迎えた三代目お蝶が切盛っている。本名お花、元三河国西尾の武士の篠原藤吉の娘で、一度は嫁いでいる。出戻りで、連れ子があるが、学問もあり、勝気で、よくやくざの世界にもなじみ、良き伴侶になっていた≫

         【愚 庵】より抜粋    作 久坂総三 編 たからだときお













浜辺に流れついた幕軍の亡きがらを弔ったことで山岡鉄舟の知遇を享け、山岡の家に集まっていた原敬、陸羯南、三遊亭園朝、勝海舟、落合直文など明治傑物たちとの交流があった。

総じて次郎長のような人間は人情家だ。もっといえば童のような純情がある。
鉄舟の臨終に場面を借りてみる。

≪ 英女を呼び、着物を、と云う。運ぶと、首を振った。
 英女は、ハッと覚り、退って、再び携え来ったのは、かねて用意の白装束。
 英女が、さしだすのを、鉄舟は自ら着して、また、病床に戻ったが、アグラをかいて、煙草を一服した。終ると、禅坐に変り、金剛経一巻を懐中に、左手に念珠、右手に団扇を執り、静かに周り 居並ぶ一同を見廻した。一人ひとり、じっと、静かな微笑で見つめる。
 「では、みんな、達者でナ、おれは先へ行く」
 耐え切れずに、だれかが泣きだした……が、叱りもせず、ことばもかけず、もう鉄舟は、従容慨然として、微動もせず。
 そこへ、勝海舟が来た。
  次男の直紀があわてて出むかえる。
 「先生っ」泣きそうだった。
 海舟は、ズンズン中へ入っていった。
 薄眼端然たる坐像の前に、小兵の海舟は立ち、見下して、こう云った。
 「山岡さん、どうだね」目をあけ、鉄舟。
 「これから行くところです・・・ごきげんよう」
 云っただけで、また瞑目……静かな呼吸。
 みんな、見守り、石のようになっていた。
 いつのまにか、鉄舟の呼吸は、微かに、微かに、長く、長くなって……一同が、気づいた時には、坐亡していた
 口辺の微笑は消えず、休は全く崩れない。すすり泣きと共に……驚嘆の感動が、清風の如くひろがった。
 午前九時十五分 五十歳。(五十一歳とも)









 次郎長は、まに合わなかった。
 やっと一番船で、三度笠に手甲脚絆、合羽姿、さすがに廃刀令で、長脇差こそ腰にぶっこまないが、殆んど喧嘩支度にさえみられる、子分百人も引きつれて馳せ参じた光景は、見る人集る者たちの眼をヒンムカせた。
 その次郎長は、お英の手をとるや、恥も外聞もなく、ワァと吼えるように泣き、鉄舟の遺骸に抱きついた。
 「先生っ、先生ッ、大将、なんで俺をおいていっちまうんだよぉ……!」
 お英も、もて余しつつも、また涙だ……
 次郎長一家の、キビキビとした、しかし、哀傷深き葬祭の執り仕切りは、人々の目につき、また感銘を与へた……
 会葬千人……さらに、その葬送の後には、二百人も東京中の乞食が、泣いて付いていったというのは、奇異、奇観である。
 新聞は、「サスガに、化け物屋敷の名に恥じず」と、これを伝えた。≫

これが任侠の徒、次郎長である。

後で記すが最後は次郎長と同じ境遇の尾津喜之助について記してみたい。
じつは筆者が三十そこそこの頃、尾津さんとの縁で新宿の扇風堂という武具骨董品の店を工事させていただいたことがある。多くの職方を引き連れての夜間突貫工事だった。
夜も更けたころ着流しの粋なオジサンが「御苦労さん」と職方に声をかけたきた。
小声で黙って掌に入るくらいなポチ袋を筆者の手に握らせた。大金だった。この様な渡し方は余程の遊び人か、人の気分に障らないことを知っている器量人であることはすぐ解った。
「大変だね」左衿の内側にしつらえた子袋には細身の護身用が差し込んであった。
ただものではないと思ったが、戦後の瓦礫が片付かないころの新宿でマーケット(葦ばりの露店)をつくった関東尾津組の尾津喜之助氏だと知ったのは別枠で来た親方の言葉だった。
愉しく、利口な人だった。たびたび人生経験も浅い若造に近寄ってる。淡い関係だが、たしかに「君子の交わり淡交」とはいうが、仕事の発注人とはときに利交になる。べたべたする女とは違うが、駆け引きは詐交、いっときの関係は熱交、さまざまだが尾津さんとは、探り、上下、面子などない淡交のようだった。もっとも懐古すれば学んだことばかり。それも口からでる武勇伝やお足(金)を語ることもなく、どこか感じさせる背中学のようなものだった。そういえば安岡正篤氏も子息の正明氏には何も教えなかった。それでもどうにか門前の小僧になったと筆者に語っていた。

次郎長と共通していることは、時代の混乱期もあるだろうが御上(政府)が混乱し、経済や治安が脆弱なった社会に率先して行動したことだ。しかも「尽くして欲せず、施して求めず」といった意気地(矜持)が備わっていた。それは貪らないことを心の宝としたことだ。
なにも次郎長や喜之助だけではなく幕末の混乱、明治の創成期には多くの義狭が遺されている。時代を生き、己を活かす、くわえて人を活かすという人情、いや忠恕心があった。









横田尚武氏




その「忠恕の心」だが、昭和の中期、ブラジルに渡った日本人による不毛の大地セラードの開拓も現地に棲む民衆の苦難を救うことがきっかけだった。そして大地に頬ずりし、臭いを嗅ぎ、手にとって舐め、覚悟を決めた。まるで疲弊した現地人のような姿で懸命に土壌改良を重ね、いまは豊饒な大地として穀物輸出の大半を占めている。田中総理はヘリコプターで訪れ、多大な援助を即決している。

しかし、はじめは歓迎された彼らも米系の作為的金融、中国資本の侵入で再び苦しみを味わっている。西欧の入植者は本国からの資金援助があったが、政権の変わった日本政府は彼らを救おうとしなかった。外国資本に遠慮したのである。そして作物は農薬を使いだし輸送は外国資本によってコントロールされている。余談だが、大西洋からパナマ運河を通るが、アンデスにトンネルをつくってペルーから出荷することを計画した人物がいる。
しかし、それは欧米資本にとって死活問題である。政権はつまらぬ嫌疑で倒された。
それは、日系人大統領アルベルト・フジモリだ。フジモリは天皇陛下との会話で「私は勤勉、正直、礼儀、そして母から忍耐を学び、その心で国民の理解を得ています」と。
日本大使館の占拠では自ら防弾チョッキを着て現地指示している剛毅さもある。
いまは大きな監獄に収容者はフジモリのみ、父の訓導を得てはるばる北九州から面会にいった若者がいる。その人物も元暴走族のリ―ダーで、いまはサンパウロ新聞の日本支局長としてブラジル奥地で活躍している日本人を訪ねまわっている。
吉永正義、卓也親子の海を越えた義狭も語り継がれる日本人の情緒だ。
《当ブログで「ブラジル番長・・」を参照》




ブラジル番長 吉永特派員 と麻生太郎氏




フジモリ大統領



再び「忠恕の心」だが、セラードの開拓者の若者たちと天皇陛下に拝謁したときだった。
がやがや騒いでいた二世の若者たちだったが陛下の御入りの時は促されることなく整列した。陛下はおもむろに引率代表の横田尚武にお声をかけた。
「忠恕の心を以て活躍されることを期待します」
後日、横田はその「忠恕」を開くことも少なくなった辞書で調べてみた。
「自分の良心に忠実なこと、他人に対して思いやりの深いこと」
難しいことは解らなかったが、現地の人々の苦難を見過ごせなかった。大地を苛めることなく土を好きになることで恵みを育ててくれた。育てたのは大地であり人間はささやかな手助けをしたのだ。横田は子供心に進駐軍が憎くて下を走るジープに向かって小便を掛けた。先生には怒られたが母は怒らなかった。

ブラジル渡航のとき、奥の仏間の前に座らされた。目の前には母が嫁入りに持ってきた懐刀が置いてあった。
「この刀は防御でも人をあやめるために使うものではない。自分が良心に恥かしいことをしたら此れで自身を突きなさい。もし還ってきたかったら船に乗って大洋の真ん中で飛び込みなさい」
そういって送り出された横田は苦難のなか大富豪になった。そして女遊びだ。
関わった女は大学ノートにつけ、陰毛を貼り付け印象を書いた。ただ、セラードの困窮を観てピタリとやめた。八〇〇人以上だと笑うが,日本でたまに頼まれる講演で話したら女性から苦情がきたと童心のように笑う。「これもあちら(ブラジル)では忠恕なんだ」と軽口も出る。そして大富豪はすっからかんとなった。だか、いまだ眼光は鋭い。何かといえばピストルをぶっ放す現地での体験を物語る真実の姿だろう。
横田さんと呑む酒も、肴が要らない語りがある。愉しい仲間である。
此れも海を越えても通用する任侠の姿である。













尾津さんだが、新宿のマーケットはどこから仕入れたのか物が豊富だった。もちろん不埒な人間が隠匿した軍の物資や盗品もあっただろうが、ともあれニーズがあった。鍋から魚、衣類に野菜に鯛焼き器まであった。買う方も売る方も有り難い市場だった、しかも無理強いすることなく活き活きした場所だった。露天商はテキ屋の領域だが、売り子は引揚者や引き上げ軍人を雇用した。

もちろん警察はもとより行政機関の手続きも正規にとった営業で、かえって戦後第三国人に警察を襲撃されたり占拠された警察にとってはありがたい存在だった。もちろん尾津喜之助は新宿、いや日本のヒーローだった。新聞もはやしたてラジオやテレビにも招かれ、請われて仁義をきって見せたこともあった。法に触れることもなく当局とは、狎れ合いでなく、協力関係も良好だった。いや、善良な彼の力にすり寄ってきたと言ってもいい。
もちろんこの時代は尾津のような義狭のある人物がいなかったら新宿の復興は大きく遅れただろう。物が動き社会が安定しなければ博打も打つ余裕もない。ある意味、社会基盤整備のような作業を尾津が行ったのだ。

当時は占領下、GHQ(占領軍司令部)が日本を支配していた。朝鮮、台湾も戦勝国国民だ。
双方とも直接戦闘はなかったが、併合された異民族として繁栄の経過はともかく、敗戦国になった社会では当然の権利として特権を主張していた。日本の警察は手も足も出なかった。被災した土地、疎開不在な土地は彼らの占有となり、いまでも繁華街の目抜きはその痕跡を多くのこしている。その彼らは駅前マーケットを設営する新橋、渋谷、新宿の土地をめがけて強引な収奪を重ねてきた。もちろん戦道具は短銃、手榴弾、機関銃、などだが、前記したように警察は彼らに占拠されることもあり、無力だった。

巷間、さまざまな記録が著されているが、ここでも尾津はリ―タ―に祭り上げられている。もちろん戦勝国の民衆との争いにはGHQの規制捕縛の危険があったが、尾津の一声で数千人の手勢が集まった。新橋の商店主は炊き出しを申し出た。そして旧軍の機関銃を発射して彼らを追い払った。しかし尾津は一末の危惧があった。











案の定、GHQは日本の民主主義を定着させるために親分子分のような隠れた掟や習慣で機能する組織の取り締まりに動いた。よく、解体は憲法や教育だというが、恣意的に誘われた狭い議論である。かえって国民が争い、調和や連帯をつかさどる家庭、郷村、社会、国家の分離、分断を意図し、自由と民主主義というありもしない現実を理想として謳う彼らの背景にある歴史的意図に巻き込まれたといったもい。
フランス革命も自由と民主を掲げて国家の長(おさ)を断頭台に送った。ロシアは同様なことを、さも新しい主義のように装った人民革命で長である皇帝を抹殺した。

どこでも残るのは右往左往する市民という大衆であり、長が維持した民族の大綱を差別や搾取の元凶として破棄し、社会の複雑な構成を超えて連帯を促す従来の矩(規範、道徳価値)を意味のないものに落とし込んでしまった。新たに出現したものは文章化した規則や、より企みをもつ一群が入り込みやすい普遍的な愛や平和を謳うものだった。

旧来のモノは悪という前提から、郷村の決まりごと固陋とし、上下の関係を差別と置き換え、より曖昧かつ一方では狡猾な管理体制を築いた。それは為政者と民衆をダイレクトに結ぶものではなく、狡知を絞る官吏の出現であり、権力化であった。それは王族の財(この頃は宗教的にも不浄もしくはそれによって利を得ることを避けてきた)を預かる特定の民族によって金融の概念が虚である利子を実利に転換する金貸しが力をもち、巨額の金利によって多くの債権者が奴隷化した。フランスはブドウ畑や城が担保としてとられ、戦争を企画すれば王族に金を貸して新たな支配構造を構築した。彼らがまず行うことは民族の連帯の融解であり大衆の分断だった。













ここで述べるのは、なにも国家を国家なさしめているのは憲法など文章ではなく、かつ金融でもない。要は人びとの融和と連帯であり、それを司る穏やかな掟や習慣だということだ。それは共通の情緒性のもと、欲望をコントロールして分け与える民といえど「公」の意識であり、俗に言う「人のため」という互助の表れでもある。
それを促し、率先して範を垂れる、それが民から自然発生した任侠なのだろう。
なかには不埒な欲張りや、行儀の悪い邪まな人間もいるが、あえて法を盾に取り締まる御上の手を煩わすことなく、郷の矩(掟、道徳習慣)によって制裁したり、訓導する自治が必要になってくる。
とくに作為的に法を駆使して税を取り立てたり、恣意的に罰金を徴収する官吏の跋扈する社会では、暗黙の認知を得る長(おさ)のような任侠が出現したのも必然のことだろう。それは民衆の世界では歓迎され畏敬の対象でもあった。

しかし、それこそ分断され連帯をなくした大衆をつくることを目指す者たちの障害なのだ。大衆は浮浪して、ときに盲動する。御上が大義を掲げれば熱狂して迎え、異なるものを排除する。個の発揮といえば、個人は勝手気ままに行動し発言もする、国際化といえば、異民族を模倣し、普遍的といえば、愛を語り平和を謳い血は混交する。まるで大阪城の堀埋めのような状況だ。

じつは次郎長も喜之助の、そして現在もその気配がする。
それは国内事情だけでなく、治安プレゼンス(宣伝)を通じた国際的イベントの招致や市場開放の環境整備など、よりグランドの解放とその平準化を意図したものだろう。悲惨な歴史だが、不具や精神を病む子供を座敷隔離したり、ライ患者の隔離などは、病巣因果の解消や撲滅を名目として、一方では人目につかない所に置き、曲がりなりにも健常な社会から区別なり、あるいは差別隔離といわれる作為的仕組みつくりなのではないだろうか。
次郎長は新政府の新規範周知、喜之助は民主主義移行への旧習慣との別離など、彼らだからこそ甘んじて随ったが、農地解放政策での郷の長の衰退、相続税制での篤志家の減少、教育改革の教師の労働者教員など、国家の情緒まで融解させてしのったことを考えると、
日本人みずから再興するすべを考えることも必要だろう。

次郎長は鉄舟やら傑物との交流から自らの生きる道を覚醒した。もともと人情家だが時代の先が読めなかった。いやそれでよかった。
混乱期の義人、陰の功労者は明治近代化の西洋と背比べするようにカブレ模倣した成文規範によって、馴染まない部類としてお縄になった。あの時もやくざモンと呼称されその部類は一網打尽だった。それは装いを付けた着物のシミのような扱いだった。民衆は今でいえば更生し、人生を覚醒した次郎長を偲んで講談、浪曲、歌謡曲、映画で次郎長を讃えた。
一方、尾津喜之助はGHQの指示で捕縛された。
理由は民主主義に上下関係のある結社はなじまない、と。
警察も、検察も、占領軍にはからっきしだらしがない。いくら、逮捕したくはない、しかたがない、お世話になって申し訳ない、といっても、監獄に入るのは喜之助である。しかも重罪犯の如く八年の判決だ。有り難かった庶民もそうなると助けようもない。これまた、体裁と御都合で任侠は捕まった。







尾津喜之助氏




ただ、尾津にとっては好都合だった。人生の内観ができよい機会だった。
内観は、生まれて今日までの人生を鎮まりの中、じっくり考えることで、休む間もなかった人生を更新できることだった。監獄は、日々新ただった。(毎日が新鮮だった)
学問の機会もできた。歴史、政治、潤いのある邦楽、俳句、好きな古美術書をひもとくこともあった。よく晴耕雨読とは言うが欣読(悦んで学ぶ)の毎日だった。それは緊迫した現場を踏んだものだからこそ味わえる環境だった。

あの着流しから掌に包んだポチ袋(チップ)の包み方、渡し方、眼の流し方、緩やかな挨拶、そして遠目で視線を送る優しさは、タダものではない、筆者にとっては人物、人格を味わう良機でもあった。まさに筑前の豪傑と称された加藤三之輔翁のいう薫醸の学だった。薫り立つ人格とはこの様な人物のことだろう。
まさに倣うべき任侠だと実感した。

次郎長も尾津も世の転換期に官吏の御都合で貶められた。いや却って庶民から敬愛された。そして語り継がれている。だだ、官吏はいつの世でもだらしない。次郎長は西洋かぶれ、尾津は占領軍、近ごろはやくざより悪辣な金融マフィアの手代の草刈り場として良質な任侠気質まで総称暴力団としてタガをはめられ、これぞ文明社会だと胸を張っている。
外車、ギャンブル、女、に見栄を張り、子分に辛酸を舐めさせているボスもいるが、近ごろでは糖尿病と肝臓疾患で病む者が増えていると聴く。

つい最近でも郷に敬愛された親分が強欲なシマ荒らしにあったとき、近在の堅気衆が集まり「親分は稼業で同じことでも罪は重い、私たちなら素人なので罪は軽い」と親分を護ったという話を聞いた。もちろん炊き出しは近所の商店主やかみさんだ。
このごろは高学歴も多い。同級生が警察官や自衛官というのも普通になった。
いっとき、政治家や経済人は虚悪として糾弾されたが、みな東大法学部。逆に警察、検察、裁判官も東大法学部。いったい国税で運営されている東大はどうなっているのか、かつ、それがさも国家の中枢に巣をつくっていると国民はたまったものではない。
しかも、すべて金がらみだ。加えれば陛下の認証を得る褒章、勲章もお手盛りのように虚像を飾っている。この様に大御心を汚す行為すら恥じない連中が法を駆使する狡知は、最高学歴といわれる者の倣い(慣性)のようになっている。
松下幸之助は渡米の感想として、「弁護士と精神科医が多い国は三流国家だ」と喝破した。
つまり人を信じられなくなり、関係が希薄になるという。人はバラバラで流浪する。正邪も弁護士の腕次第、つまり懐次第なのだ。それがまともな社会なのかという疑問だ。
日本及び日本人もその社会を迎合し、模倣した。そもそも、大御心すらその在るを知らものも少なくなった。法および法を司るものが当てにならない社会は善悪、正邪が混沌として判らなくなる。人々には怨嗟と諦めが充満して自棄になり、野蛮性すら蘇ることもある。

あの中国を統一した秦代のまえ春秋戦国時代もそうだった。そして、多くの侠客が出現した。政府あって人物なし、どこか昨今は似ている。
陸軍若手将校が決起した二月二十六に際し歌われた詩だか、どこか、やりきれない様子は当時と変わらないようだ。参考に抜粋する

 

昭和維新の歌

泪羅(べきら)の淵(ふち)に波騒(なみさわ)ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ 混濁(こんだく)の世に我れ立てば 義憤(ぎふん)に燃えて血潮(ちしお)湧(わ)く 

(屈原は世をはかなんで泪羅(べきら)の淵に投身した。われわれは混沌とした世を正すために立ち上がる)

権門上(けんもんかみ)に傲(おご)れども 国(くに)を憂(うれ)うる誠(まこと)なし 財閥(ざいばつ)富(とみ)を誇(ほこ)れども 社稷(しゃしょく)を思(おも)う心(こころ)なし

(為政権力者(政治家、官吏、金融資本家)はその力をおごり、国民を憂うる心なし。財を誇っても国家を思うことなどない)

ああ人(ひと)栄(さか)え国亡(ほろ)ぶ 盲(めしい)たる民世(たみよ)に躍(おど)る 治乱(ちらん)興亡夢(こうぼうゆめ)に似(に)て 世は一局の碁(ご)なりけり


(浮俗の亡者が大手を振り、社会は衰亡する。盲目になった民衆はそれに踊り、歴史の栄枯盛衰は夢の如く、世の中は盤上の遊戯のようになった)

功名(こうみょう)何(なん)ぞ夢の跡(あと) 消(き)えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否(せいひ)を誰かあげつらう

(名利衣冠はいっときの夢のようだ。誠の心は消え、人生を有意義に行動することに遠慮はいらない)


さてこの例示を以て懐古趣味、右流れとするかは、次の逸話をもって推察願いたい。











近在のことだが、ある稼業人の子息がいる。どのような起縁だったかは忘れたが筆者の催す郷の学びに参加したことがある。そのご街で逢っても挨拶する程度だったが、別縁で稼業人の従者の何人かが訪れてきて、いろいろと話を聞いたことがある。それは更生保護分野の委嘱をうけている筆者だからでもあるが、居心地がよかったらしい。出所後の生計、稼業での悩みなど様々だが、あるとき街なかで行われる縁日について子息に語ったことがある。

元来、このような人の集まる縁日には色々なところから酔客や若者が集まるが、むかしは地元の稼業人が混乱を納めたりして堅気衆から感謝される立場だった。この様な場所には警察官はなじまない。なかには後輩もいるだろう。時をみて一声かけて戴いたら有り難い」

約束もなかったが、当日は若手の従者を誘って雑踏の中に入り、やんちゃ坊主を注意して回ってくれた。終わりまぢかになっても帰らない遊び盛りの若者に、言葉はきついが「そろそろ帰りなさい」と帰宅を促してくれた。良くしたもので若者たちは反発もなく滞りなく終了した。「お世話様、ありがとう」『いや、自分たちがこうゆうことをしているということを知ってもらえばいいんですょ』暴対法という法ができても、彼らはその仕事の大切さを知っている。今年も誰彼となく率先して参加してくれた。もちろん、更生の相談も兼ねてのことだ。昔はケンカや恐喝などで怖くて近寄れないという母子の嘆きからのことだったが、彼らの参加以来もめ事なくみな安心して楽しんでいる。

最近の話だが、その子息も親の道に入ったという。訪ねてきた刑事も「あの子はとてもいい子だ。補導歴もないし人柄も優しい。稼業を変えられないか、どうか促してくれないか」という。稼業人も「あれ(息子)はこの稼業には合わない。優しすぎる。堅気にもどってほしいんだ」と呟く。

それからしばらくして人のもめ事で法に触れたということがあった。当局が厳しいことと稼業人の実子ということで逮捕拘留され東京拘置所に居?を得たときのこと、旧知の従者が「稼業の人ばかりの面会で参ってしまう、時間があったら面会に行って戴けますか」という。なにぶん篤志面接で地方の刑務所まで行っているが、東京拘置所は始めてである。それから二度ほど訪問したが、彼とは病院面会の如く「顔がむくんでいるぞ,陽に当ったほうがいい。運動もしているか。」差し入れは彼の学力向上を期待して少々難しい本を持っていった。「むずかしいですよー」よき記念品になったことだろう。それよりどうにか堅気の道を促そうとしたが、野暮な気持ちになって言葉を閉ざした記憶がある。
その彼の行動にうなることがあった。いや感心したのだ。 












ある知り合いの友人が困って稼業関係に借りたことがあった。額は数百万円、それが間もなく一千万になったという。短期間に数倍になった。要は返せなくなって親の財産に眼を付けられたのだ。その計算理由は稼業人特有のものだが、彼は相談を受けてその行儀の悪さに義憤を感じた。業界の大物である稼業人(親)に相談したが、「やめとけ」という。どうも気が治まらない。
普通だったら組織間の稼ぎに口出すことはもめ事になる恐れもある。この場合は稼業人の言葉は絶対だが、組織間の按配で堅気が苦しめられることを是としたくはなかった。それは自分の良心に照らしても助けなければならないと思った彼は相手の事務所に乗り込んだ。もめれば抗争である。

「堅気に対してあまりにも行儀が悪くありませんか。それはこちらの親分も承知していることですか。」と悠然と切り込んだ。相手は「そうだ、了解している」
という。「了解しているのですね。それなら解りました」昔ならこちらの仕事にケチをつけにきたと暴力沙汰になっても仕方のないことだ。稼業人(親)も人の親、それを心配したようだ。その頃、別部屋で様子をうかがっていた責任者は大先輩である稼業人(親)に連絡を入れ、この件は引く(ごわさん)にすると伝えてきた。彼の度胸もそうだが、堅気を援ける気概は恐れるもののない勇気となったのだ。この世界では「解りました」とは了解して引くということと、覚悟を決めましたよ、という意味が含まれている。年期からすれば駆け出しの時期だが、若さの突破力はこの様に使うのだということを覚っている。

後日談もある。その借り手の親がお世話になった少なくない金額を持参して、使ってくださいという。親はその世界の淵も歩くことのない、ごくありふれた善人である。相談を持ちかけたのも友人である。「受け取るわけにはいきません」押し問答があったようだが、彼は受け取らなかった。いまどきの堅気でも「いただけるものは貰え」と口惜しがるが、彼は任侠だった。いや、ごく普通の常識ある日本の青年だった。それも考えようによっては稼業の世界のありように一石を投じた行動であり、かつ稼業人の面目と矜持をいつの間にか親である稼業人から学んでいた。別に教えたわけではないが、親の背中学というものだ。





門田隆将著



「これからは勉強だ。西郷も龍馬も晋作も大学など行ってない。だが、その後の教育は彼らのような人物の出現を閉ざしている。いや、名もいらなければ金にも転ばない人間は始末に悪いのだ。その意味ではその悪になるべきだ。これからは自分の特徴を発見して伸ばす勉強をしよう。法の庇護の届かない人たちや、ヤンごとのない理由で稼業に入った若者を自立できる稼業の世界をつくるべきだ。義理や意気地はそのなかでも活かすことにもなる。視野を広げて新しい世界をみる余裕が欲しい」
身近
にも任侠はいる。「俺はやくざだ」という捨てバチで肩をいからすものもいる。次郎長も尾津も生まれながら稼業を求めてきたのではない。総て縁なのだ。人のめぐり合いもそうだ。そして人は転化する。

戊辰の戦いで親とはぐれた会津の天田五郎は車曳きだったが、山岡鉄舟との縁は人と学問の愉しさを知った。無学の五郎は次郎長の養子になり、目の前で繰り広げる大政、小政、石松の姿を漢文で東海遊侠伝として遺した。囚人を引率して富士の開墾をした。そして白刃も抜いて制裁をした。ふたたび鉄舟の促しで京都天竜寺の禅僧になった。貧乏寺を庵にして人生を回顧した。
自分みたいな無学の天涯孤児でも気に留めてくれる人はいる。勉強すれば漢文を修め、和歌も詠めるようになった。任侠無頼の徒になって行きずりの人を援け、そのために喧嘩をしたり、斬ったこともある。そして坊主にも成れた。

どうだろう。願うなら平成の任侠にも希望はある。後に続く若者もいるだろう。魅せてもらいたいものだ、次郎長や喜之助に劣らない人生を・・・。   

敬称略   

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お金に卑しい教員と議員が国を覆っている 2017・9 あの頃も

2023-08-13 02:41:59 | Weblog

 

ごまめの歯ぎしりのような気分になる

 

むかしは恩師 いつ頃からか労働者教員

公立、私立を問わず、ことなかれ ヒラメ 下剋上。

それは政治家、官僚も揃って自浄すらはたらかず、ますます増殖している。

今は上も下もないが、互いに譲り合ったり、敬重の念もいだく心の動きすら覚えなくなった。

 

 16 .9  稿 再

テレビでは扱わないが多くの教職員が教科書会社から金品を貰っているという記事が、数年前からたびたび掲載されている。夜店の縁台ではないが安倍政権の一次・二次と必ずと言ってよいほど教育改革が政策の高位を占めている。女房友達の元塾経営の議員も二次では文部科学大臣に指名され、ついでに所管の文教の関係なのか、各派閥の手つかず臨時利権のオリンピック担当相も兼任していた。まさに我が世の春の様相だ。

だだ、塾を取りまとめて株式会社の学校経営を新規政策として動いていたが、肝心の後援会のボスが補助金搾取の容疑で検察の捜査にさらされている。本来は捜査二課の範疇だが検察が動くことは余程のことがあるのかと推測されている。

おかげで旗振り役は内閣改造でお役御免かと思ったが、お友達は特別補佐官として目立たない官邸の奥に籍を置いている。

彼ら思い付き政策の立案者たちは教育政策の視察として欧州に行ったことがある。明治初頭にかぶれた西洋模倣で陸軍はドイツ、海軍はイギリス、そして教育はフランスの啓蒙思想に染まった制度を真似している。

あの本当にそのものがあり得るのか解からない「自由・平等・博愛(友愛)」を謳うフランス革命の市民教育の模倣だが、ついでに人権や個性なるものが入る道筋をつけた。ただ、それが可能かどうかは別として言葉としては素晴しい理念だが、抗論、煩悶の種になっていることも事実だ。それも進捗して解決の糸口さえない。

その合理的と言われる教育制度が果たして地理的環境にも、あるいは習慣化され涵養された民風(情緒)の由縁すら斟酌することなく、富国強兵の具として便利・簡便に用いられ、人間を数値選別でその効をくくる教育制度化出来上がった。

その結果が立身出世は軍人と官吏が早道とばかり、拙速な試験選別、競争育成が為され、その積み残しが忠恕心や情緒の希薄なエリートなるものを生み、その齟齬は歴史に多くの惨禍を遺し、人間教育の主なる要点となる人物涵養に多くの欠陥を生じている。

 

             

         岡 潔 氏

        

そしてまた、西洋に倣おうと議員が団体で押し掛けた。それをバックアップしたのは一家言ある古参議員だが、この友人に会った折、古参議員の選挙区には山田方谷という人物がいて理財論をもって藩を立て直し、旅人がその領地に入ると当時の徳目である勤勉、正直、礼儀、忍耐、応答が整っているのがすぐ分ったほどだ。松代の恩田杢、石田梅岩、みな良質の習慣性と教育が調和した藩政だった。なによりも指導者はそれを行うために、身を正し、ぜいたくを慎み、民の信頼を得て財政も教育も整えられた。いまさら明治以降の人間変容の轍を、またもや西洋から仕組みを拝借する知恵のないことでは、善なる変化は起きない。視察団の議員の中で英国の学校に箔付けで入学させている者もいる。それが志を持った議員の視察なのか、伝えてほしい。と話したことがある。

 

仮に議員としての選良意識にある自尊や職業冥利が、その目的を名利獲得や衣冠にあると先ごろの富山の市会議員のような偽領収書まで作った給与詐欺が起き、教員においても教科書選定における分り切った贈賄まがいになり、その類は体操着メーカー、修学旅行の旅行社、内申書かさ上げの便宜など、さすが頭のいい(実は狡猾)職分だと感心する。

 

議員とて、視察に行けば旅行費から小遣いを浮かせる舛添モデルが横行しているが、これとて旅行社指定は便宜が利くもの、またそのアドバイスは同じ税金食いのプロ仲間の議会事務局が伝授している。

教科書会社のT書籍の営業が語るに、教科書に掲載されている書家や絵画の作家に色紙や小額を作ってもらい選定者である教員に渡し、作家とて教科書に載ればグレードが上がる算段だ。昔の国会議員も絵画でマネーロンダリングしていたが、あの平和相互事件の金屏風もその類だ。教科書のついでにアンチョコまで作ってもらうことも常態化している。

 

                    

         真に頭の良いということは直観力が優れていること  安岡正篤氏

 

いっとき、教科書問題、つまり南京や慰安婦の記述の字句いさかいがあったが、そんなことより現場の教職員の官吏的堕落のほうが問題だが、その劣化を是正する処方はいまだ見つからない。つまり売文の輩や言論貴族は教員と似たような臭いを持っているからだ。

また、そこに問題意識があっても看過する、似たような文部官僚や議員とて五十歩百歩な状態がある。生徒や親とて子供の教育年限が終わると、喉元過ぎれば・・・で忘却する。

それは、いつの間にか劣化、退廃、腐る経過を無関心に繰り返しているだけのような状態だ。

 

同じように社会も自立性が衰え、鼠色のフラットな社会なり国家が出来上がり、時たま内外の刺激を欲しがるが、それも一過性の彼方に忘却するようになる。

 

教育は国家百年の計とか装いの大義はもっともらしいが、議員も教員も銅臭紛々では互いの「信」すらままならない

昔は医者、警察官、教師は尊敬を仰がれ、結婚式の挨拶では常連だったが、昨今、これ等の職分は食い扶持になるが真似てはならない人間像に成り下がった。また、だれでも抱く欲望の自制なり免疫なりを類例をもって伝えることも亡くなり、とくに浮俗の徒にもある、生徒への猥褻の頻発と責任回避の様相は、仰ぎ見る人間像としてあった聖職といわれた教師、恩師、の関係意識すらすら亡羊にさせている

 

あれもこれもと疲れる話題だが、己は何者、どう生きるか、などを意識外に置いた観察では問題意識も立てようもないところにきている。かといって「俺さえ良ければ・・」でも嘆かわしい。政府は制度をいじくり、資金を投入しても良くなるどころか尚更の感がある。

この糜爛のいくすえはコントロールの利かなくなったダッチロール社会の到来なのだろうか。あるいは欲望の衝突する国会のようなカオス(混沌)なのだろうか。

 

雨模様に嘆息して伸吟するも応えるものはないようだ。

 

 

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人間考学からの警告「五寒」に表れる、゛謀弛゛の姿 10 11/25 再

2023-08-11 09:16:03 | Weblog

旧稿ですが、その進捗はより速くなっている。

組織の問題でよく言われる、ことなかれ、ヒラメの増殖だが、今は下剋上に進んだ。「進んだ...」と記したが、部下の反発や反乱、サボタージュは組織内壊の淵に近づいている。この視点は己を下座に置いてこそ見えるものだが、鎮まり、落ち着きはなかなか得られない世相になった。

 

以下は占術の類ではない

歴史の記述に繰り返し表れる人間の様相である。

アカデミックの分野では分派した諸学科はあるが、人間種の織り成す歴史構成でも、この難問に解決策は乏しい。

ここでは、「人間考学」として、異質な切り口で章をすすめる。

 

干支の「戌」(いぬ)は草カンムリで茂となる。

長年にわたって積層された残滓(繁茂)によって風通しが悪くなる。すると虫が葉を喰いつくし枝や幹、しまいには根まで弱らせる。

そこで植木職人が必要になる。素人がやたら切ると翌年は花が咲かない。

いまは国家の植栽、剪定をする人物がいない。多くは葉の裏を見て汚れている、枝ぶりが悪いと評論する。

マスコミや議員、はたまた拡大増産された衆愚によって、より混迷を深めている。

黄門や暴れん坊将軍に期待をかけても映像の中だけ。西郷や松陰を学んでも行うものは皆無。

処方箋の書けない病気のようなものだが、まずは「診たて」をすることだ。

一昔前の医者は、状況を聞いて、顔色を見て、目ぢからを見て、触診した。そのご詳しいことは検索研究してその患者にあった処方を考えた。

患者の顔もみずパソコンの画像や数値データーを見ながら処方する。患者も不安だ。

身体を預ける医者もそうだが、国を預かる議員や公務員も甚だしい。

ましてや、その見立てをすると、まず悪相だ。高位高官ほど己を偽り、人を欺く言葉を知っている。慇懃無礼とはこのことだ。

 

平成30年に入って多くの悪事が露呈した。

まさに小章で再三指摘する「五寒」の現れだ。

その前段では公務に位置するものの「四患」として、偽り、私、放埓、奢り、を上げ、この症状が進むと「五寒」に入ると記した。

懐が豊かになり、飲み食い、異性、利殖に邁進すると身体は習慣病、性は乱れ教育もおぼつかなくなり、生活は享楽に怠惰する。

この三欲が昂進して公が私ごとの我欲となり、社会規範は緩み、人間は自然界に対してもおごり高ぶる。

そして、衰亡から破壊になる。

 

王陽明は「外の賊は破るに易し  内の賊は破るに難し」と説くが、前ブログでもその「内なる賊」のなやましい退治がある。

内とは国内、家庭内、心の内、外は無責任に言いつのっても、内のことは言いずらい。

掃除嫌いの買い物好き」というが、買い物好きの家は雑然として落ち着かない。女性なら化粧も派手になり言葉も騒がしくなる。

つまり家がおさまらないから、面倒だからといって外で気勢を上げる、「ねぇ 見て見て」に表れる世俗認知の類だ。

これが国家だと、国内が治まらなくなると外に危機を作り国民を煽って話題を外に向ける。これを五寒では「内外」と分別する。

以下は、前コラムだが、ここにきてより顕著に表れるようになった。しかも干支の「戌」も符合する・

参考に再掲載します。

 

 

                        

                       祷るは 国のいくすえ

 

2020  11  25

 

内外(ないがい)、政外(せいがい)、謀弛(ぼうち)、敬重(けいちょう)、女厲(じょらい・れい)

それらが国家の衰亡、亡国に表れる現象であり、その前段に人々の心に表れる姿や、その原因となる病巣に公務員に表れる四患を当ブログで紹介し、その例示も再三記してきた。

 後の祭りを語ったり、あまり現象の現れていない状況でその兆候を警告したところで浮俗の耳には入ってこない。
あまり政局のことは当ブログの趣には馴染まないが、時々の人々の姿に表れたり、誘引されたり、「五寒」にいう現象が絡み合うと個々の興味や得意分野、あるいは己にかかる厄災などから発する言葉や行動が騒然とする状態になる。

それぞれの関係を手順を追って解きほぐすと、その現況の行き着くところや、解決が見えてくると。そのように考える筆者のお節介を記してみたい。


内外」と「謀弛」が顕著に現れたのは米英が推し進めたイラク戦である。

 内政問題を覆い隠し外に向かった衝突は大量破壊兵器の保有が前提にあった。しかし無かったことが漏れ、露呈した(謀弛 はかりごと弛む)。

それによって情報部の管理力は疑われ、その推進役であった米英の政策責任者への信頼は失墜し政権交代にすすんだ。それは政策責任者への敬重(信頼と尊敬)の失墜でもあった。

そしてリーマンショックである。これは「四患」にある偽、私、放、奢そのものであった。
゛偽りの数値によって私企業が法規範を逸脱し奢った゛まさに偽私放奢の流れである。

四患は「公」に位置するものに表れる姿だ。

政治家、官吏、企業経営者、知識人教育者、あるいは御上御用の充て職に就く民間人だが、それらが「いつの間にか」人は倣い、社会に浸透し、怨嗟、いたすらな競争、などが昂進する。もともと人間の評価を附属性価値である、地位。名誉。財力、学歴?学校歴、に人格まで映す社会的習性の固定観念ではあるが、されが欲望の飽和点に達すると、「五寒」のような状態になるようだ。


その結果「五寒」に推移するのである。

つまり人の問題なのである。

今回の尖閣問題でもその通りの道筋をなぞっている。また、゛なぞる゛ことが予見できる人物たちによる結果でもあった。
外交上における各種会議、資源問題など必須と思われているが、往々にして会うことに意義がある程度の内容しかない会議、それに拘って内政のスケジュールなりシステム転換を図るような本末転倒な状況がある。

ビデオは漏れ、税官吏の汚職、閣僚の放言などは使命感や責任の弛みであり、公務員の偽りと私事である。もちろん信頼や尊敬などは見る影も無い。

文書の恣意的改竄、隠ぺい、便宜供与、ことなかれ、すべてが露呈する。ここには民主党、自民党も同質である。

国民からの負託権力、特権的待遇,虚飾名誉、それらを手のひらに乗せる腹話術官吏。まさに、それは機能不全(衰亡)だ。

いくら善意から発した政策でも、中間(行政組織の構成員)がそうでは国民にいきわたらない、途中で留まり、貯まることもある。

選挙当選、政権交代の謳いはマニュフェストの偽りと政権党の弛緩によって国民の怨嗟を助長した。弛みの政治主導ではなんのことはない。

奢りは「驕り」でもある。公務員の高待遇と高額給与は、国民状況を判っていながら知らない振りの狡務員や公無員の群れの増殖を放っている。

これを官僚社会主義というのである。これではお隣の中国も嗤えない。












もちろん上下交々、利を征(獲」るように、国民にもその倣いは顕著になっている。
母親は安定職と子供に公務員とせかし、教育界、知識人にまでその食い扶持の用学に陥っている。人生を説き、夢を描く男子のへ風圧は「女厲」にある、女性の荒々しさ、烈しさとなって表れる。それは方向性のさもしい競争でもある。

浮俗の噺だが、浮気調査は時を代えて男子の相談が多くなり、パチンコとサラ金は女性客のほうが多くなっている。それに付随して警察白書には場所まで記されないパチンコ屋のトイレの自殺は女性客が多く、しかも一日何十万も稼ぐときがあり損することもあるパチンコは博打場ではなく、健全な遊技場と称している。この恣意的な法の適用と立法の促しは警察である。

そこに自由と民主と平等や人権が添えられれば、より一層、放埓(やりたい放題)、民主(人は人)が四患を顕著にさせ、家庭や教室でも「敬重」の存在は無く、もちろん政治の要諦である「信」や尊敬など、どう考えたらいいか、尊敬とは何か、と理解の淵にも届かない情緒が漂ってきた。

学生も学歴だけはとっておけばと商業教育のお客となり、当選すればと居眠り議員や、総理まで目力のないウツロナ様相を晒している。みな、こんなはずではなかった、と思いつつも俸給と待遇に魂を滅ぼしている。

以上、成すべきことを避けて、゛言いたいこと゛を垂れてみたが、この症状が治らなければ亡国である。「亡国とは亡国の後に、その亡国を知る」といわれるくらい、自然に忍び寄ってくる。あのローマ、ギリシャ、大英帝国、もそうだった。
また、亡国のたどりはことのほか楽しいものだという。
そして、すべてが、偽、私、放、者をたどって「五寒」に行き着き、打つ手も無く滅んでいくようだ。

身近な世界や政治の携る人間も同じ日本人だ。

気が付く人間と、覚醒転化する人間がいる。

また、ただ騒ぎ立てるものもいる。

四患」と「五寒」を透かして世の中を観察することをお勧めする

まずは社会と人との関係を「見る」ことと「観る」そして「診る」ことから適所にあった治療が始まるはずだ。

写真は津軽新報

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秋山真之の母の手紙と 「・・・一家全滅するとも恨みなし」 再

2023-08-09 01:57:14 | Weblog

2022   4/16  AP電

ロシアはウクライナ南東方の要衝マリウポリの侵攻に於いて、「これ以上抵抗をするなら全滅させる」との声明を発した。

 

数年前、「肉体に浸透し自得する」との講題で防衛関係の幹部指揮官に伝えたことがある

その例題として、教官の心得と、その勇気ある智慧と行動のもととなった、秋山好古,真之兄弟の母の手紙を紹介した。

高官任用への糸口のようになっている、防衛大学、公私立有名大学の出身者でも、面前に差し迫った問題に難渋したり、逡巡したりすることがある。その場合の手立てとして、六法全書、内規などに随った対応や、大学教育の課題解決の応用もあるが、それだけでは部下への極限の命令に具体性はあっても、専任上官として何かが不足する。

その何か・・・は、自然の講話標題とした「統御」の、とくに縁をもって任官し、これまた事情によって上下関係の命令権者になったとしても、本来の深層に潜在する人の情感(人情)の力がなければ、命令だけでは、決して有効的な選択とは言えない。

 

例えば隊員の死があるとすれば、何によって、誰が補うのか。なにも補って欲しいから命令に従うのではないだろう。旧軍では教官が「俺も必ず後から行く」と逸話があるが、身近な縁では想念も強い。高位高官となり戦略や戦術を企図するような肉体的衝撃を回避もできる軍官吏は、前線兵士へ厳格かつ冷酷に見えるような命令を下す。それが職掌の役割でもあった。

以下の例題は、同様な境遇において、生死を共にする部下に諭すように教育論を述べている。

また、常に応変する戦場において、瞬時、的確に対処するために肉体に浸透する学びのすべを説いている。

 

    

 

 「例題」

教官から話を聞くことは啓発の端緒にはなっても、知識が増えるだけで諸君の知識が増えることにはならない。戦史を研究し、自分で考え、さらに考え直して得たことこそ諸君のものとなる。たとえ読み取り方を間違っても、100回の講座を聞くより勝る

                        ( 秋山真之の教育論)

 

 

≪真之の戦争不滅論講義≫

 

「生存競争は弱肉強食ある.そして奪い合い、報復する」

 

「戦争は好むべきものではないが、憎むべきではない」

 

「大国といえども戦いを好む国は危うい。平和といえど戦いを忘れた国は亡びる」

 

「戦争を嫌悪して人為的に根絶しようとして、かえってこれに倍する惨害に陥ることを悟らない国も、必要以上に武力を使って、手に入れたものより、失ったものが多い国も哀れむべきだ。」

 

そして、学生の書いた答えが自分の考えと違っていても、論理が通っていて、一説を為しているとすればそれ相当の高い点数を与えた。

もし教官が自分の思い通りでなければ高い点数を与えないというやり方をすれば、学生は教官に従うだけになって自分で考えなくなる。

その様では、いざ実戦で自分の考えで判断し、適切な処置をすることができなくなってしまう。

 

そして要諦は「天地人」と説く。

①  いかなる天候、いかなる機会、いかなる作戦

②  いかなる地点をとり、いかなる地点を与えてはならない。

➂ 人の和が重要。

いかなる統率のもと、いかなる軍を配置し、いかにして将官の命令を徹底するか、これが人である。

    

        

     「もし戦争になったら国民にその覚悟はあるのか」

     中曽根総理の自衛隊ペルシャ湾派遣に諫言した。

 

母からの手紙と兄の名刺

もし後顧の憂いあり、足手まといの家族のために出征軍人として覚悟が鈍るようであれば、自分は自決する」

この手紙と母の写真、そして「這回の役、一家全滅するとも恨みなし」と書いた兄好古の名刺と一緒に軍装の内ベケットに入れていた。

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苛め イジメ 虐め 

2023-08-08 02:38:25 | Weblog

                バングラデッシュ 子供新聞 キシロチェトロ

 

 

女ヘンのつく漢字は多いが男編は少ない

ちなみにイジメに似ているナブルがあるが、嬲と嫐がある。

昔は男二人が女を挟んで、゛いたぶって゛いたが、今は、女房と娘に挟まれる男が増えた。

なかには、房中(寝室)でイジメ合う睦み事がある。

声を張り上げて嫌だ厭だと云ったと思うと、涙と歓喜に変わるのは視聴覚の学びだが、これもイジメと称すが、イライラと虐げは男女共通の鬱憤発露としてよくあることだ。

それが上手くいかないと子供にアタリ、登校拒否になったりもする。男は部下にアタリ、いじいじして酒で紛らすものもいる。

十七条の「和を以て貴しとなす」は、それ以前の隣国の房中の要にある「夫婦相和し、拒ばまざるを以て旨とする」を拝借したのではないかと古人が言っていた。

つまり、調和は「素直に拒まない」ことからなのだろうが、イジメる人間の鬱積は夫婦でさえ、色・食・財の三欲のコントロールができなくなっているからだろうが、それを認知する自分の能力、相手の理解度、社会の位置、などの「分(ぶん)」が解らなくなっている。

 

    

秩父

 

教育現場の事件や事故には子供どうしのイジメが絡んでいることが多いが、どうも教育機関という昔は治外法権のような、はたまた聖職者といわれた教師がいたころとは現場が変わってきている。呼称の例だが、近くに老練な稼業の親分がいる。「俺たちヤクザは・・」と語るので、「自分たち任侠は・・」と語ったどうかと促した

ヤクザは当局からひっくるめて暴力団と命名されているが、任侠なら全国津々浦々に、゛黙ってみていられない゛お節介者がいる。善なるお節介だ。いつも、任侠、ニンキョウと自称すれば、それが任侠だと自認するようになり、援けられ、叱られた若者も、それがヤクザでなく任侠だと思うようになる。

生まれながらの悪党ならともかく、援けられたり諭されたりすれば陰ながら賞賛もあろう。いわんや表だって褒められるのが照れくさく、それを以て意固地で怒るものもいるが、陰ながらなら独り、素直にもなろう。

教師は教員と自称が変わり労働者とも自認している。

よって、恩師もいなくなった。言われれば恥ずかしいのだ。用務員さんは校務員になった。昭和三十年ころの団塊と言われている世代はひとクラス40人以上、土曜はハンドンといわれた午前中のみ、それでも教師の授業持ち時間は今の倍はあった。女教師も少なかった。授業参観も作業普段着の母親が多かった。生徒は着た切り一着で一週間とおす子供も多かった。もちろん受験なども小学校は数えるほどしかなく、高校進学率も今ほどではない。

それは昔のことと棄てるとこは易い。ましてワーク・ライフ・バランスが事務職だけでなく、行政現業職の自衛隊、警察・教員に当てはめられると、各職掌は政策には現場対策ありと得意の狡知を働かせて、従前の機能を維持しているようだ。

 

学校現場の環境が改善され整うと、教師が教員となり労働条件が変化するとともに、数値成果による学校の経営評価や生徒の進学率を競うようにもなった。外注の全国模試による競争は教員の評価として表れ、とくに私立高校はその数値評価を上げるために血眼になった。

 彼らは使用人たる文部省の下げ降し教育カリキュラムと課題について、なんら問題意識もなく汲々として答えを数値として出すことに勤しんでいる。

くわえ、手厚い補助金などで教育が商業ベースに乗り、教員の待遇が改善され、しかも補完的二次産業となった塾の乱立は、いかに教育が利益を図れる簡便な産業になったかの証左だ。

今更ながらの考察だが、標記のイジメが高低の差が大きくなったエントロピー曲線の底部を表わしていることに、国の行政だけでなく、就学児童扶養している家族の一過性の期間経験、世間の無関心などが相まって、常に繰り返しの問題として社会に停留している。

 しかも、受益者である子供の動向や社会的推移などお構いなしに、課題そのものの設定すら疑問を持たず、数値に依って人間を判定することを何ら不思議におもわない教員が増えている。

 

摸倣ストレスなのか、大人同士の職場のイジメも甚だしい。多くは無視が多いという。

いっとき、その職域を狙って消費者金融が動いた。自衛隊や警察官、看護師も狙われた。なにしろ安定給与で担保は公務員共済や自宅がある。つまり普通の客より担保があり、世俗比では生涯賃金が確保され世間知に疎いとみたからだ。とくに公立の小中学校の教員はそのターゲットだった。

しかも、職場では相談もできず、判っていても声すら掛けない仲間の非人情もある

それらの職域からは数多の相談が筆者にあった。多くは女房にも内緒のことだ。

顕著な例だが、それらの職域は問題の把握と解決能力に乏しい。つまり課題に従順な解答を求められているためか、浮俗の諸問題に感応しないことが多い。

 

    

台北少年観護署訪問

    

 

昔は理屈が先行し赤い旗を振って権力を忌み嫌っていたが、こと己に向かう問題について、例えば校内暴力、非行などについては、知恵を出し、協働して解決することなく、先ずは110番で、彼らが抗した警察の権力にすがるようだ。高潔な建学の精神や公訓を掲げている私立でさえ、自己解決力も乏しくなり、゛何でも警察゛と、まるで掃き溜めのように警察権力を利用するようになった。

 

当初は尋常と冠を付けた小学校も、尋常「常を尋ねる」という、平常心すら習慣化されなくなった。平常心とは教科書(知識)を学ぶ前に、慌てず、むやみに競わず、騒がず、など連帯の調和に必須な精神を肉体に浸透させる(習慣性)をつける、社会性の端緒を小学校で修得べき成長過程と考えていたことだ。助け合い、正邪の判別、長幼の礼儀なども習慣性だ。

 

それが無くなり、そのまま中学校に送り込まれたら、中学校の教職員も堪ったものではない。

だから落ちこぼれも、登校拒否も、非行も発生するのだ。おおくは数値選別機関のコンベアーの規格にハマらないために排除されるからだ。加えて画一化した課題の答えしか目に入らない教育労働者と上司の、彼らなりの苦痛や煩悶となって徒労感のある職場となっているようだ。もちろんモンスターと蔑視される和製PTAの一群もそれに加担している。

 

地方自治の教育は、郷の特徴を付加した郷学のようなものでなくてはならないと考える。

しかし、中央集権統治の効率的教育方針は、その付加を逸脱として見るきらいがある。

それは、つねに教育価値とか効果とかいわれる人間の数値選別を、唯一の有効性ととらえ、

安易簡便に、知った、覚えた、類の記誦学を教育の要として、社会の有効なる個々の人間の

特徴さえ、平準化の流れに埋没させている。

これでは官制学校の教員は試験監督に動員されるアルバイトでも間に合うようなもので、有名高校ですら大学受験のための大型塾の様相になってきている。

記誦の学は学にあらず」と云われてきたが、ますますその傾向は烈しくなっている。

 

韓国もそうだが、中国はコネや優遇に加えて学位による身分制度のごとく、かつ親族内で一人が官位が上がれば九族(親族)に繁栄するという歴史上の科挙現代版とした狂騒に陥っている。

 

      

台北の小学校朝礼

 

 

イジメは排除といわれるが、茫洋としてつかみどころのない現実の憂慮は鬱積として堆積している。そして、無くならない。

政治に当てはめれば、独裁強圧には面従腹背がある。政策には対策がある

ここでは虐めを批判したり抵抗しても無理がある。

ならば、いじめに対して柔和に避けたり、逃げられなければ同化して馴染むこともある。

イジメは現存する。虐めではなくても、そう感ずることもあればストレス被害者となる。

 

大陸の華人は、世の中は排除と圧力はどこにでもある。

もし、虐げれたら我慢して相手を圧倒する力を付ける。つまり、立場が代わることもある。

苛めは当然ある、だから負けない強い心を育てるのが教育のあるべき姿なのだと理解している。

まして教員や親の責任にしても、何も解決しない。

個人の恥は家族、一族郎党の恥だが、それをバネにして財を蓄え、高位になって苛めたものを嘲ればいいのだ。

国家間でもその意識は残存する。近ごろの関係はその経過をたどっていると考えれば理解は易い。

イジメと並んで無視がある。

心の中では「馬鹿なやつら」と無視していると、「何で無視しているのだ」と、イジメやチョッカイが始まる。近ごろの男女の関係や職場の上下関係も似たようなものだ

なかにはバカバカしいことだが、18の大学までは嫌なことでも仕方がないと従うが、「俺もお前らみたいに遊びたいよ」と妙な同感さえしている知恵者もいる。これらが卒業すると無気力や気が利かないもの相手にパワハラが始まる。それが官吏や裁判官になったらどうなるのだろう。

そもそも教育は、世のなかにはイジメもあり、勉強が苦手もあれば、運動の得意な者もいる。オールマイティはわずかだが、それらの優劣を補い合い調整する工夫の力を養うことだ。いわんやイジメも、世の中にはどこにもあることだ。ならばイジメに負けない人間を作ることが肝要だろう。人間は善悪表裏が時と場面によって表れる。組み合わせ次第で優劣も出てくる。

巷間、青少年の間で新聞沙汰になったり、隠された過度のイジメによって精神的、肉体的な負荷を与えられたら、応報処置が必要だ。いくら教育的処置を与えたとしても被害者の肉体的衝撃は判らない、我が身をツネって人の痛さを知る、などの因果応報の知恵など知る由もないだろう。その場合は強制的な矯正が必要になってくる。

昔なら仏壇の前に座らされて母の懐刀を前に、『お前の行動は恥ずかしいことだ、そんな子供を育てたことは恥ずかしい、あなたもこの刀で自らを突きなさい。私も一緒に死ぬ』と、弱い者いじめを諭し、解らなければ死だ。日本の各地で最近までよく聴いた逸話だ。

 

             悠仁さま

  

     

 悠仁親王のおしるし 「槇(マキ)」

 

畢竟、教育とは負荷に弱らないことと、我が身に発する欲望に誘引される精神のコントロール、そしてイジメに挫(くじ)けない強靭な精神を作ることなのだ

流行りに乗る大衆の群れは意識もなく、そのものが個々に負荷環境を作ることがある。

その加害は意識もなく世俗の成功価値として人々は昂進している。

また、長い人生、禍福は転換し、いずれ罪の評価さえ置く処を変える。

 

稚拙ながら一方の切り口として、時節の備忘記とする。

 

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政治・行政・教育 要は綱紀粛正からだ 2018 10 あの頃も

2023-08-07 03:00:39 | Weblog

 

       

 

 

文字と詭弁の「乗数効果」、そして「超数的能率」

 

いっとき管直人君がこれでやられた。

ただアカデミックな言葉は知らなかっただけで、政治家の離合集散における乗数効果はお手のものである。

 

小人、利に集い、利薄ければ散ず

小者は利の臭いに目ざとく、利(力)が衰えれば離れる、

 

考えれば選挙制度なども政権側の継続的維持のために図った仕組みだが、浮気性の国民はその仕組みさえ別の要因でひっくり返す。年金とスキャンダルだ。

突き詰めれば大きな勢力による専制、つまり同じ党でも思惑がバラバラで纏まりがつかなくなり外交や税制すら決められなく、終には候補者の選任を党が行うという、国民にとっては推戴の選択すらなくなった小選挙区制による議員の生存与奪権の党一極集中化にもなった。

 

向かうところは憲法改正ではあろうが、仕組みは宜しくとも人間が成っていなければ食い扶持や便宜供与ですぐにひっくり返る代物だ。それくらい卑しくもなっている。

 

官吏とて、゛今のままがいい゛と、無理もせず傍観している。これもしたたかだ。

 

怠惰や堕落の兆候も世上に表れたとたんに「乗数効果」のように、100が500効果となって、ここでは蔓延効果がはびこっている。天下りによる組織権益の増殖などは、まさに乗数効果である。

 

彼らのその位置をまんまと占めた結果、法によるガードは国民に向かっている。同じ理屈の土俵に乗った議員などは情報の栓を閉められればギブアップである。

 

 

あの大阪の橋下君は維新を唱える。

いまの法の在り様を是正して新法をつくり対抗しようとしている。あのレーニンも、「その行動は法に違反する・・」と忠告されたとき、「革命は現在の法を無とする、つまり無法が革命だ・・」と既存の法体系にこだわりない行動を推進した。

 

翻って維新は「維」を新たにすることだ。「維」は国家の縦軸の様なもので、現在観の横線はスパイラルのように縦軸に絡みついている。この連綿と続いている縦軸を折ったり、入れ替えることが革命である。橋下君の維新は、縦軸に絡みついた人の模様、つまり怠惰堕落に陥った既得権をはぎ取り、すっきりした「維」を明確に表して、新たな縦軸に寄り添い、守り,護られる覆いを作ろうとする新風運動でもあると思うのだが、これも勢力が拡大すれば軌道を外れ綱紀は緩む。

 

台湾でも蒋介石、維国総統が「新生活運動」を行っている。公務員の綱紀粛正、国民の道徳喚起を柱とした整風運動だ。「風」は趣、装い、香、などだが、異郷に我が身を浸してみると社会の情勢、人の姿、落ち着きなど異なりを以て感じたり察したりすることがある。単に雰囲気としての印象はあっても、それを支える表層の経済や政治の姿とは別に、往々にしてそれを司る官吏の意識で国情は変化するものだ。

 

たとえば官吏の賄賂だ。高官や政治家が汚職を働けば国民はそれら倣い、また国家に怨嗟の気持ちをもち愛国心などはお題目になるが、官吏の汚職は社会の喧騒を招き、公徳心すら毀損する。しかも人々が信じられない世界が表れるようになる。

 

汚職といっても大金ではない。せいぜい税関や郵便局、役所、それと警察官だ。

それらの国は、国民も分かっている。その点「人情を贈る」ぐらいの気持ちだろう。

物でなければ、「風」を忌まわしくさせるのは怠惰である。手続きの遅延や滞貨である。

 

 

 

翻って我が国はどうだろう。賄賂はないが罰金の種別の多さと法の煩雑さは諸外国でもずば抜けている。街には制服警察官が溢れ各々交通切符を抱えている。昔は家族駐在があったが、こんなことをしたら防犯や非行防止の協力さえ得られない。街での精励勤務の姿の現示はいいが、罰金徴収の勤務評定はいかがなものだろうか。

企図するは「禁ずるところ利あり」安全や防犯を旗に掲げ、法を作ればいくらでもノルマ付きの罰金は増大する。立法役の議員は解釈次第で違反になる網目の細かい公職選挙法を盾に安易に立法に賛成する。

 

狡猾な官吏は坂道に隠れてスピード違反の切符を切っている。これでは坂道を作ったり、車が増えれば罰金の乗数効果があるということだ。筆者の懇意なある警視庁幹部も捕捉され「こんなところで・・」と嘆息していた。そもそも坂道で捕捉するのは日本だけではあるが数値は上がる。まず欧米ではアンフエアーな行為だ。

 

なにも交通安全、法令順守に掉さすつもりはないが、面前権力の姿として一番目立つその立場からすれば「風」の乱れを考慮すべきことだ。

税にもいえる。赤字解消と首長が騒げば、我が身を切らず、サラ金の取りたてのように税官吏が法の平等を屏風にして恫喝する。

事情は忖度することなく「差し押さえするよ」、しかもその金利は延滞税と称して14%で経費にもならない。

これも税収や罰金徴収が順調なら上司からも数値を責められず、国民は安心して暮らせる。

政策がよくて経済にまともな乗数効果が発揮できればのことだが・・・

 

この二大面前権力は「江戸の仇は長崎で・・」のように国民は逆らうことができない。

これが、我が国の「風」だ。大人しく、押し黙り、我慢をする、そんな印象は当然だ。

 

 

 

さて元気な時もあった。

後藤新平は『一に人、二に人、三に人、その人が金を効果的に使えば「超数的能率」はかならず上がる。つまり国運は上がり人心は安定する』と言った。

金が人を駆使するものでなく、人が金を産み、活かし、それが数字を超えた能率を高める、と言っている。

「乗数効果」と「超数的能率」、前は数値計算、後の方は人の資質如何で増大する。

つまり、官吏の能力によって数値は想定外に超えることができるということだ。

人品骨柄を問わざるを得ない環境に堕した、それは人間の質といってもいい。

明治はことのほかリーダーは人物眼を要求された。それは地位、名誉、財力、学校歴という人格となんら関係性の無い附属性価値を避け、目的を共有し、使命、責任を全うできる人物の登用をまず国政の要諦にしたのだ。もちろん経済界、教育界もそれら倣う。

 

それは「人間考学」から生ずる英知の欠落でもあった。

 

そもそも「人間考学」は、教える者もいなければ、学んでも金にも安定担保にもならないと考えられているが、ブロイラーはつよく善い卵は必要ない。ただ大量に見栄えのいい卵が必要なだけだ。

 

認知しているかどうかわからないが、名古屋の河村市長も橋下君も国家の下座観から推考している。余談だが公務員上級試験に「空間推理」「数的推理」「判断推理」がある。

だが、狭い度量、目的意識の欠如、はたまた偏執、変態の類は計ることなく数値評価のみが支配する。もちろん公徳心や愛郷心などはかえつて邪魔で無意味な感情だろう。

 

とくに、経国に必須な「先見」や「逆賭」、あるいは「地球俯瞰」、「歴史事象の賢察」など、ゼネラリストとしての養成が欠落している。ただ海外研修や官官交流、渡り職でお茶を濁している。

 

だが、安定職と食い扶持のタックス・イ―タ―任官試験ゆえに、通ったら忘れる類だが、後藤の言う、「一に人、二に人・・・」の類は微塵もない。

公徳心や使命感、責任感の乗数効果も、相乗効果すらない。

 

どの社会もそうだが、部分分担に調和と連結が無ければ総和は図れない。

天に唾する拙い考察だが、ここでは後藤新平の慧眼と逆賭に今を観るようだ。

 

人物如何で超数的能率の効果は国家の盛衰を示す。

 

だれでも分かっていることだが・・・・

 

 

 

 

 

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覚悟のない人たち あの頃と今 再

2023-08-04 01:17:39 | Weblog

予想したわけではないが


< 関わる人をみれば結果は自ずと解る>

 

アニマルといわれた男 渡辺長武 (昭和のオリンピック)


 石原知事の招致

たとえば、あの頃のIOC委員の記者会見での感想である。
どうも釈然としない。そう考えても決して天の邪鬼だとは思わない。
だだ、オリンピックがイベント興行となった現在、それら狂騒する人達とは、異なることを恐れない、と思うだけだ。

 以後、決定されるまで半年間も生煮えの迎合をしなくてはならないらしいが、あの小沢一郎氏が総裁候補である年嵩のある三人の政治家を呼び出して面談して時に似て、IOCもどこか慇懃無礼な振る舞いだ。
 

あのときも、一過性の恥もしくは厚顔ゆえか、総理を目指して哀しそうな笑顔を振りまき呼び出された政治家は、男子の誇りさえなかった。決定したとて自主性もない事は目に見えている。

 流行りごとなのか、総理まで呼び出して似合わん英語をたどたどしく使って開催を請うさもしさは眼を覆う恥態だ。

これぐらいならいいだろうと殿下のお出ましまで願っている。

 経済の効果や国民の連帯、名誉など大仰に唱えずとも、またそれがオリンピック開催目的だとしても、開催地の東京では江戸ッ子が「みっともねぇ」と、その野暮なノリだけに酔う軽い連中に苦虫をかみつぶしている。

瓦版屋は人の興味量というべきアンケートを恣意的にいじって太鼓を鳴らしているが、どうも調子が合わず雑音になっている。

 最近、隣の北京から旧友が戻ってきた。彼女は文化大革命にも遭遇しているが、今の北京の様相は、すぐ戦争が起きるかのような雰囲気だという。おかげでストレスになって身体を壊したが来日した日本の状況に驚いたという。もちろん平和そのものだからだ。

 賄賂や便宜供与は、゛人情を贈る゛と考える民癖ならまだしも、好奇心と迎合は異文化に寛容のようで、一方では静かな観察にさらされる。それは、どこか戦後間もなくのGHQによる民情観察に媚をつかう小商人や追放を免れた小心な政治家の姿に似にている。

 ゛人を樹うること百年 ゛といわれるほど人物養成は継続した重層が必要となる
だが、壊すことは一瞬だ。

その後は唯々諾々として阿諛迎合する人間によって外来の強圧に屈するようになる。理由は肉体的衝撃への怖れと、それを理由とする狡知がある人の群れだ。

戦後、日本人は従順だった。器量や度量を基とした許容量ではなく、身のほど知らない受容量が増え、馴れてくると需要となってきた。彼らはそれを腰ぬけと蔑んだ。
 いまは近隣まで高飛車に挑んでくる状況だ。


ドイツは大方の重要部分は拒絶した。しかし気骨ある民族として印象が高まった。
そして、EUはドイツ抜きではありえない状況になった。

 アカデミックな教科にはないが、人間社会の普遍的価値は昔から変わっていない。
だだ、それさえ無理解で頓智のないものの選良という既得権がはびこっている。

 細事の失敗や成功は徒労感がのこる。いわんや怠惰を誘引することは必然だ。そして、民族は弛緩する。


 眺めればすぐ観えることなのに、だ。

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イザベラ・バードを想いて、逍遥の風 08・9

2023-08-03 01:42:21 | Weblog

イザベラバード女史は雇用した日本人のお供をつれて、日本のいたるところを観光、いやこの頃は探索といってもいいだろう、そのような旅をしている。

きっと、そのとき見た瑞穂の国の黄金色のウエーブだったろうと、暫し筆者も足を止めた。






ここは秩父に連なる名も無い山の中腹だが、秋はこんな風景を見せている。
イザべラは各地の様子を詳細に手紙に記して母国の妹に送っている。もちろん、お供の日本人のフンドシ姿も興味深く記している。行く先々の宿場で興味深げに集まる日本人の姿も記しているが、ことのほか異国女性の一人旅でも不思議?と安全だと驚いている。






              

外国名は失念したが、お彼岸には必ず花を咲かせる彼岸花(別名まんじゅしゃげ)は妖艶で可憐で、奇妙な姿をしている






当時は北海道の開拓集落で行なわれ始めた酪農だが。ここでは山歩きの牝牛たちの行列である。ことのほか美しく素朴である。妙な言い方だが牛らしい顔をしている。付き添う牧者もどこかの政治家や官吏とは違い、純なる日本人の容相である。

あの頃の外国人は観察処が良かった。
道を掃く人々と粗末な服装だが清潔感があった。よく働き、正直な応答、何よりも譲ること、つまり礼が肉体化された神々しい人たちが尊敬されていた。
その意味ではパラダイスのようだとの印象記述がいたるところにあった。



                        


陽の光が天上になる頃、透き通ったような花弁を、敢えてか弱々しく細い茎で造形したようなコスモスが揺れている。花弁も蝶のようにヒラヒラと動き出す。
心地よい秋風が、夏季の涼風を楽しんだ情緒を惜しむかのように渡ってくる。なにか自然の繰言のように肌を擦っているようで、暫し刻を愉める。

はたしてイザベラの故郷の風は彼女に何を語ったのだろうか。それとも彼女等西洋人から観て、森と瑞穂の国に棲む粗野で未開といわれていた日本人の姿は、異邦人が難儀なく一人旅が適った郷の風とともに、どのような新しい精神世界を見せてくれたのだろうか。

愛顧すべきあの頃の日本人の風義をおもうとき、洋の東西を問わず普遍なる「風」として、時に忌まわしくも思える世情に清風を吹かせてくれる。

懐かしがってばかりいられない。イザベラの好奇心と観察力、そして勇気に倣いたいものだ。


参考 イザべラバード 南陽市関連サイト

http://www.city.nanyo.yamagata.jp/kankomidokoro/717.html

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慌てず、騒がず、競わず、鎮まりのあること 09 12/12 あの頃

2023-08-02 01:35:40 | Weblog

    極東軍事裁判インド選出判事 ラダ・ビノード・パル氏

「時が熱狂と偏見が過ぎ去った暁には、女神は秤の均衡を保ち、賞罰の置く処を替えるだろう」

 つまり、流行りごとのような現代の価値観を人々が冷静に考えられるようになったら、無価値と思えたことに人間として大切な意義と新しい価値を加えるようになると説いている。当時は戦争について勝者に賞、敗者に罰と定義した裁判への考察でした。それは数百年にわたる西洋列強のアジア植民地の声でもありました。

 

             

パル氏の生地 西インド地方(バングラデッシュ)

識字率向上のために発行したベンガル子供新聞「キシロ・チェトロ」は学校の教材にも使われている

 

よく政治家、経済界、知識人が、コロナ以後の世の中をいろいろと推測(予測)しているが、人間(他)を考えることばかりで、己を考えることが無為なことと感じているようだ。以下は旧稿ですが、とりつくシマ

 

旧関連稿ですが・・


社会(国情)が騒がしいと、ろくなことはない。
もともと四角四面だが決断が遅いといわれた民情が、模倣の流行ごとに翻弄され、慣れない競争ごとに投下されるとろくな結果を導き出すようだ。

音楽でいえばメロディーが揃わなくなり、重低音のリズムが氾濫するように、心拍が乱れ不整脈をおこしているような動きが社会全体に蔓延する。

荀子は衰亡の徴として
そのような時は音楽が雑音のようなる・・」と。
その章には
歌舞音曲が淫靡になる」
「一つのことに集中できなくなる」
「服装がオンナだかオトコだか境がなくなる」
そうなると
「子供は親を棄て愛人に走る」

規範が衰え世の中が騒がしくなると社会(国家)は衰亡し、「亡国の後に、その亡国を知る」と結んでいる。









もともと国家意識が薄い民族は連帯と自律意識も薄い。
たとえ解放と自由、民主、改革、という文字が躍っても繁栄の裏側にある「衰亡の徴」を範とする心はない。ここでは「意味の無い」ことのようだ。

荀子の郷(中国)もその繰り返しのようだが、日本もその騒がしさは同化しつつある。
しかも、それをもダイナミック、活性化などと言いくるめられても、その衰亡は必然である。

東洋にいう循環の中での衰亡期、西洋にいう終末には人々が落ち着かなくなるという共通な民情観がある。これは一国のみに当てはまるものではなく、連鎖の慣性として浸透し染まっていくものだ。

目ざとい民族はこの民情をコントロールしつつ、己の有利さに誘導しながら目に見えない支配という形でよりその力を強大化させている。
つまり、鎮まりのない民族は強大化されスタンダードとなった支配に誘引されたとも知らず矮小化された問題に一喜一憂してしまうのである。
それは、思索と観照と精霊の在ることを認知することなく、己さえ亡くすことに何の危機感をも抱かなくなった人々の姿でもある。


哀公と孔子の応答だが
「引越しに女房を忘れていったものがいる・・」
「女房ぐらい忘れてもいいが、今の人は己を忘れてしまっている」
小話のようだが歴然とした故事である。

そんな時は学びも役立たない
小人の学は利にすすむ
志すところ全て利」
「小人、利に集い、利薄ければ散ず」


それらの人間が社会を形成すると
「上下、交々利をとれば国危うし

内なる良心に問いかけることもなく、面前の現世利益の一部分である「名利」に競う落ち着きのない騒がしさは東洋の循環性の一過と看過しつつも、同化した種の変質の倣いに危惧を覚えるのである。

゛熱狂と偏見が過ぎ去った暁には女神は秤の均衡を保ち・・゛とパル判事は歴史に問うたが、己を自尊してその種の継続をつづける動植物の一隅にある棲み分けられた人間種が、稀なる姿と精霊を抱くことの理由(意味)を、今こそ鎮まりを以って考える其の機であろう。

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