まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

゛日本の若い女性へ゛ パルが遺した 言葉 11 1/1再

2018-08-19 13:40:24 | Weblog

 

インドの東にバングラディッシュという国がある。昔はインドベンガル地域だった。西洋の植民地支配国はそれを手放すとき総じて分断政策をとり、つねに混乱の種を残すようにしている。これも影響力の保持である。

そのベンガルは詩人タゴール、インド独立の英雄スバスチャンドラボーズ、そして国際法学者であり東京裁判のインド判事ラダ・ビノード・バルを生んでいる。

ベンガル人は細かい作業を得意として、世界ではドイツ、日本と並んで歴史的にも精密作業においては有能な民族に数えられている。川辺の植物から大人の全身を装うような繊維を作り、小さくまとめれば指輪にもなるような精密な作業を行い、日本で馴染みの藍染めも彼等の得意な作業だ。

それゆえ欧州でも人気のあまり業者が政府に苦言を申し入れた。蔑んだ未開の地の物産が欧州を凌駕することは許されなかった。早速英国は武断政策を行いベンガルの織物職人の指を切り取った。彼等の植民地政策とはそのようなものだった。(在日ジャーナリスト,シャカー談)

パル判事もその頃のことは覚えている。東京裁判は敗戦国日本を裁く裁判だった。法学者として国際的にも信任の厚いパル判事は勝者の判決文にパル意見書をそえた。もちろん勝者の熱狂と偏見に到底入れられるものではなかった。

戦後いくたびか来日して日本人に多くの提言を語っている。それは列強の仲間入りに遠大な志操を失くそうとしていた日本に対して異民族である孫文が「惜しむらくは・・」と述べたことに似ている。日本人が忘れ去ろうとしている誇りや伝統に培われた価値観に対する諫言でもあった。

とくに人間の尊厳を支える人の問題、それは陰陽の調和に譬えた男女、家族、社会、国家のありようを指すものだった。

パル判事は「日本の青年に」「日本の女性に」と注意深く、簡略に記している。孫文と同様に西洋と東洋の異なりと安易な模倣による問題を提起している。戦禍に打ちひしがれた日本、とくに次代を背負う青年男女にパルは予言ともいえる言葉である。

それは、数百年のイギリスによる植民地の圧政にあって、終始その精神性の護持を唱え「糸つむぎ」の労働を想い起こして西洋的な習慣化からくる堕落を防ごうとしたガンジーの意志の伝承のようであった。

とくに惨禍、欠乏から物質的富への当然の要求について、それによって亡くすものの危惧を憂慮し、女性としての存在意義と、その分別における性の優越性の在り処を知ることが必須なものだとして語りかけている。

 

        



あなた方は、知的的にも道徳的にも最も感受性に富み、もっとも受容力の大きい時期にあります。学校教育から本物と偽者を見分ける能力、社会の将来を形成してゆく力についての知識を得てください。

とくに宣伝に惑わされない判断力を得てください。宣伝の恐ろしさは、絶えず感情に働きかけ、知らず知らずのうちに、自分の本質と矛盾することを信じ込まされることにあります。

皆さん一人残らず、どんなことに出会っても、勇気と優しさと美しい魂で処理してください。

皆さん一人残らず「世界を歩む美女は何人もいるが、どんなに飾り見せびらかしても、あなたの完全(内面)な美しさとは比べ物にならない」と、尊敬の気持ちをもっていわれる様に、行動されることを願っています。』


参考理解として
   次号の… 

羊飼いの犬に追われた夢】も併せて賢読していただければ幸甚です


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成りすまし 2012 3/19 あの頃

2018-08-14 08:17:37 | Weblog



国籍に始まって宗教、思想、組織帰属には、よく「成りすまし」がある。

特務諜報員などは自国の成り立つ思想を隠してでも敵国任地の思想堅固を装う、つまり成果を得るまでは偽装する。例えば権力側や右翼や民族思想だ。
あの満州の崩壊から国民党、共産党と支配者は代わったが、国民党支配のころは幹部として、共産党が進出してきたときは一夜にして現地司令官としてなったものもいる。

あるいは台湾では反共新聞を発行し、ときには共産革命一世代の高級幹部の密使として我国の総理に、゛個人的関係゛、つまり「利権」の確保に動いているものもいる。日本人にも行動右翼として名を立て、ビルを建てたものもいるが、その披露のとき挨拶に立った荒木文部大臣から「右翼の衣を着て中共からの資金援助でビルを建てた人がいる」と皮肉を言われている。

いまは独自の路線を唱えているある政党も、旧党本部の建設を図ったとき建設委員会が作られた。資金も無いのでどうするのかと思案していたとき、「当時は親密だった他国の政党から三億円の資金をもらってきた」、と除名幹部は当時を語っている。

みな独自路線だとか、思想堅固を謳うが、身の安全や金にまつわると、からっきし弱い。

 

台湾の日本語世代    残置された日本人とも・・・

 


帰化、国籍取得が問題視されているが、往々にして自由を求めとか、身の安全を、あるいは自身の可能性を図ってとの理由が多い。かなには資産移動地に担保として縁者の国籍取得を考えて帰化したり、永住権を取得することもある。

「成りすまし」は生きるすべだが、なかには不自由な国から言論自由な国、もしくは大国に帰化すると、母国を口汚く罵るものがいる。幾らか言語が堪能だったり、高邁な理屈や物書きにその類をみる。

日本は素晴らしい、それに比べ母国は政治も悪いし民衆も行儀が悪い。日本は素晴らしい歴史があり、その策謀に気をつけたほうがいい・・』
そんな具合の阿諛迎合が恥ずかしげもなく繰り返される。


国家意識もなく狭い範囲の人情で地球の表皮を住処にしている民族からすれば、母国や生地などの帰属意識は薄く、たんなる縁あって棲み分けられた「郷村」の隣人くらいに考えてはいないような遠慮のない姿である。
昔から外国人、とくに白人には手を出さないが、自国民にはその陋規の範疇にある掟や習慣で厳しい矩と過酷な罪科、そして残酷な刑を与えている。男性器を叩く刑や三千回を計って傷つけ、その前に死ぬと執行者が罰を受ける、つまり三千回の苦痛を与える報復である。

我国も戦国時代は首を切り褒章の証としたり、首が重いので多くの耳を削ぎ細綱に通して証のしるしとしていた。そのなかで団や藩、部族への裏切りが一番恥ずかしいこととして武士へは自裁を促した。逃避すれば隣領へ執拗に追跡し殺害した。

ロシアも北朝鮮はいまでも追尾して実行している。韓国の大統領候補者を日本のホテルから拉致したのも記憶にある。それは秘密を知った大物だったからだが、昨今の言論、出版会に大手を振って母国の政治体制に罵詈雑言を投げかける人々にはそれが無い。
どこか上手な配慮が働いているようだ。たしかに浅薄になった日本人にはホドほどの情報のほうが都合が好いし、食いつきもいい。それも民情観察として功をなしているようだ。










特務や諜報といわれる役割は任地の情報取得や民情かく乱などだが、成りすましは自国の友党ではなく、任地の政権政党の深部や国営放送などに紛れ込んでいる。
ある高名な書評家だか、安倍公房、司馬遼太郎からきた手紙の束を差し出したが、それぞれ7、8センチほどの量だった。この書評家は外交部出身で単身赴任、草稿の多くは自国で書くと、指摘したらその通りだった。

数ページの書評のうち、数行に彼の国の知識人特有の臭いが見てとれたためだ。
商業出版の多数のスタッフに装飾された本が、あのノーベル賞の候補に羅列されることに心魂を費やす物書きの魂胆は、外国特務の絶好のターゲットである。必ずといっていいほど招待され歓待されているのもこの手合いだ。
スタッフとはネタ本の収集、誤字脱字の校正、表紙のデザインと誇大な宣伝、これらのパラサイト集団のことである。

映画の世界でもある。先の大戦中のスパイ事件の日本側主人公を撮ろうとしたが、インパクトが無いので外国人首謀者をタイトルにした。彼の国大好き人間で、国営放送の特番旅行に嬉々として出演していた。何を期して撮影に取り組んだかよく解る姿だった。
これが知識人、教育者、人格者に祭り上げ、それを文化というのなら褒章、勲章も色あせるはずだ。

それらは、゛成りすまし゛に簡単に騙される。小説という嘘書きを生業としている物書きと外国人書評家、それに配達された多くの依頼書簡、それが「明治」を書くというが、勇ましい戦争モノは書けても、明治の言論に随う気風は表せなかった。当時の言論人は国家や社会を説いた。小説は今でいう漫画の類だった。流行りものに乗る当世モノ書きの骨柄が透けて見えるようだ。

いま政治状況や経済市況停滞する中で多くの企業が安価な労働力を求めて海外に進出している。それは日本からの逃避ではあるが、進出国の政情が不安になり賃金が上がれば、また生産地を転換する。そのような世俗の状況からすれば、日本国籍を棄てなくても海外に移住する日本人がいてもおかしくはない。だが国家国民ということではなくても、培われた帰属意識や情緒を棄ててでも有利や功利に向かうことを、どこか是としない気風があるようだ。

まして、不平不満から他国に帰化転籍してその国の人たちに迎合して、先祖の鎮まる母国の社会や暮らしぶりを悪し様に非難する気風は、古臭い、野暮かもしれないが多くの日本人にはないようだ。加えて、そのような人間を好まない。たとえその言論が日本人の誇りをくすぐり、技巧をほめられても分別のつく日本人なら信用はしないだろう。

虐政に抗して自らを焼身して利他に殉ずる人もいる。大国の狭間で苦慮する経国に難儀する指導者もいる。多くの人々は生まれ育った郷を棄てることなく、かつ独自の諦観を養って、敢えて慌てず、騒がす、批判せず、淡々と生活を営んでいる。



 命懸けの政治   ホンモノのペルー人




隣国の智慧に「欲を少なくして貧を医す」

(欲張らなければ貧しい悲哀や不満は起きない)

と「五医」にある。それは貧しくて医者にもかかれない人々の「心の医」であり、コントロールなのだ。他を比較すれば不平や不満が為政者に向かう。どんな為政者でも嫉妬や批判に晒されるか、その多くは外部、とくに異文化からの刺激や気づきへの促がしなのだろうが、それが一過性の抗論だということを人々は知っている。なにしろ知識人は「臭九老」「九儒」といわれて上から九番目の位置に蔑まされた者達だからだ。

それが、言うべきことではなく「言いたいこと」を自由に放言する国へ逃れたとしても、彼らも日本人と同様に信用はしていない。なにしろ孔子でさえ「アレは話」と戯れる知恵のある人たちだ。物書き、口舌の徒は何処の国でも同様な見方があるようだ。

「成りすまし」それを平然と演技し、自身の高邁な言辞でさえ著作にすれば、懐勘定である部数著作料に一喜一憂する人たちである。愛国者、民族運動家さえ片腹がくすぐったい、はたまた気分がよくなる阿諛迎合を恥ずかしげなくできる気風は嘆かわしい痴態だ。

彼の国は「逢場作戯」といって、人によって演技し己を同化させることが倣いとなった社会がある。それが砂民といわれ、まとまりのない民を統治するスベとしての覇権専制だとしても、それに面従腹背しなければ生きてはいけない民の倣いである。
また、゛成りすまし゛が唯一の自己防衛であり、家族親戚の間でも成りすましていなければならない事情もあった。

いま多くの成功者は資産保全のために子弟を海外に移住させている。また資産移動も活発だ。それも自国と近隣の自由地、そして西欧の資本主義国家への三分割だ。
綱渡りをしながら今を稼ぐ、民間はともかく為政者周辺や官吏の逃避は国力伸張もなんのその、投資という形での資産移動が忙しくなっている。

それは、成りすましという客分に軒を貸して母屋を取られるようになることでもある。
棲み付いた他国に忠誠を誓い、生地を嘲り、権(力)あるものに迎合し、、機をみて転化する姿は歴史によく見るところである


号令一下、震災直後多くの人が帰国した。にこやかに応答するコンビニからもいなくなった。日本人は放射能に鈍感なのかと不思議に思ったが、外国人は過剰反応ともおもえる行動をとった。しかも多くの国が自国民に通報、あるいは命令した。

満州崩壊でも高級官僚と高級軍人は電話線を切って開拓民に通報もせず逃避した。
天安門事件の際も、通報順序は官吏、政治家の子息、企業駐在員だった。当時日本の航空会社は帰国便のみ。戒厳令さなかは米国のUA便で訪中した。行ってみると「民主化」のスローガンはなかった。鉢巻きも、壁新聞も腐敗幹部の「下台」だった。日本でもいつの間にか西洋風の民主化要求だと染めつくされた。

なぜ歴代為政者は専制を選択したか、知りすぎるほどの民癖から彼らはそれをよく知っている。ただ、ホドホドにしてくれれば政治は語らない、と。










あの日中国交の条件として中華民国台湾を断交した。台湾と大陸民衆は忘恩の徒と日本を蔑み、共産党為政者は、懐の浅い小者と見た。中国は断交を喜んだのではない、日本の態度を哀しんだのだ。それは偽満州と嘲りながら、大国ロシアを打ち破り満州の興隆を一種の易旗の勇として随い、日本人に驚愕した中国民衆が、゛満州の成りすまし゛と気持ちを転化したきっかけでもあった。

成りきって満州に死地を求めた自治指導部、大同学院の学び舎に民族協和の理想を見た多くの満人、漢人、は慙愧の念で日本人をみている。「至るところ青山在り」地球の表皮を自由闊達に躍動した当時の日本人には、゛成りすまし゛はない。あったのは内地の「公」に成りすました官僚、軍官吏、政治家だった。

彼の地は、異民族の成りすましを解らない民族ではない。
それは国法より重い「人情」を本として人物をみている。
高邁な理屈や、心地よい迎合ではない。

ちかごろは黄色い顔の成りすましと、白い顔の成りすましの腹芸が盛んだが、我国の、゛成りすまし゛は、公と利を語り素餐を貪っているものが増殖している。

ただ、それさえも解らなくなっていることが、より心配の種だ。

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