インドの東にバングラディッシュという国がある。昔はインドベンガル地域だった。西洋の植民地支配国はそれを手放すとき総じて分断政策をとり、つねに混乱の種を残すようにしている。これも影響力の保持である。
そのベンガルは詩人タゴール、インド独立の英雄スバスチャンドラボーズ、そして国際法学者であり東京裁判のインド判事ラダ・ビノード・バルを生んでいる。
ベンガル人は細かい作業を得意として、世界ではドイツ、日本と並んで歴史的にも精密作業においては有能な民族に数えられている。川辺の植物から大人の全身を装うような繊維を作り、小さくまとめれば指輪にもなるような精密な作業を行い、日本で馴染みの藍染めも彼等の得意な作業だ。
それゆえ欧州でも人気のあまり業者が政府に苦言を申し入れた。蔑んだ未開の地の物産が欧州を凌駕することは許されなかった。早速英国は武断政策を行いベンガルの織物職人の指を切り取った。彼等の植民地政策とはそのようなものだった。(在日ジャーナリスト,シャカー談)
パル判事もその頃のことは覚えている。東京裁判は敗戦国日本を裁く裁判だった。法学者として国際的にも信任の厚いパル判事は勝者の判決文にパル意見書をそえた。もちろん勝者の熱狂と偏見に到底入れられるものではなかった。
戦後いくたびか来日して日本人に多くの提言を語っている。それは列強の仲間入りに遠大な志操を失くそうとしていた日本に対して異民族である孫文が「惜しむらくは・・」と述べたことに似ている。日本人が忘れ去ろうとしている誇りや伝統に培われた価値観に対する諫言でもあった。
とくに人間の尊厳を支える人の問題、それは陰陽の調和に譬えた男女、家族、社会、国家のありようを指すものだった。
パル判事は「日本の青年に」「日本の女性に」と注意深く、簡略に記している。孫文と同様に西洋と東洋の異なりと安易な模倣による問題を提起している。戦禍に打ちひしがれた日本、とくに次代を背負う青年男女にパルは予言ともいえる言葉である。
それは、数百年のイギリスによる植民地の圧政にあって、終始その精神性の護持を唱え「糸つむぎ」の労働を想い起こして西洋的な習慣化からくる堕落を防ごうとしたガンジーの意志の伝承のようであった。
とくに惨禍、欠乏から物質的富への当然の要求について、それによって亡くすものの危惧を憂慮し、女性としての存在意義と、その分別における性の優越性の在り処を知ることが必須なものだとして語りかけている。
『あなた方は、知的的にも道徳的にも最も感受性に富み、もっとも受容力の大きい時期にあります。学校教育から本物と偽者を見分ける能力、社会の将来を形成してゆく力についての知識を得てください。
とくに宣伝に惑わされない判断力を得てください。宣伝の恐ろしさは、絶えず感情に働きかけ、知らず知らずのうちに、自分の本質と矛盾することを信じ込まされることにあります。
皆さん一人残らず、どんなことに出会っても、勇気と優しさと美しい魂で処理してください。
皆さん一人残らず「世界を歩む美女は何人もいるが、どんなに飾り見せびらかしても、あなたの完全(内面)な美しさとは比べ物にならない」と、尊敬の気持ちをもっていわれる様に、行動されることを願っています。』
参考理解として
次号の…
【羊飼いの犬に追われた夢】も併せて賢読していただければ幸甚です