まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安岡正篤と吉田正の奇縁 2007 10 あの頃も

2021-03-30 15:02:14 | Weblog


「土壇場の二人」

ひとりは教育者として、ひとりは作曲者として戦後をリードした人物である。
昭和二十年の敗戦の間際に、くしくも同じような感慨で日本を眺めて将来の日本人に期待と激励を送っている。一方は国内で、もう一方は満州の地で「異国の丘」という歌によってメッセージを述べている。

吉田正。明確な旋律と日本人の鼓動にあうリズムで数々の作曲を手掛け、しかも流行歌という時節感の的確な観察で、時々の民情に阿諛迎合することのなく、かつ聴衆の中の“さわやか”とか“すがすがしさ”を自然に発見し、表現できるような人間学歌謡というべき楽曲を多く作り上げている。

近ごろでは繰り返される歴史の現実なのか、当世の状況に逃避する事なく生活している人々にとって目を覆うような出来事が経済、政治、生活の危機的混乱として現れている。
刹那的にあきらめをもって退廃的享楽に身を浸している部類はともかく、人並みの生活すら難しくなった庶民の意識で見ることだが、あるとき奇妙なことに二人のメッセージに同じような内容があることに気が付いた。

 それは惨禍の中で「異国の丘」という応援歌ともおもえる楽曲と、一方は教育者の漢詩の一章に時節を観察した同じような意志が込められていたからである。
 当時の熱狂と、あるいは打ちひしがれ亡国の瀬戸際まで追い込まれた環境のなか、冷静な推考によって自信を無くしかけた人々に向かって、人間力こそすべての根源であり、そこから新しい出発があると、敗戦を予測した後に訪れる復興への指針を、メッセージとして高らかに謳い上げている。

虚報に混迷していた内地に向かって、現地の実態と、正面に向かう勇気、そしてどうあるべきかを自身の能力を凝縮して伝えている一章である。
今日も暮れ行く異国の丘に 友よ辛かろ切なかろ 我慢だ待ってろ嵐が過ぎりゃ 晴れる日もくる朝がくる…」

 一方、教育者だが碩学と謳われた安岡正篤が二十年春、突然訪問した町内の無名の庶民に後日送り届けた漢詩の内容に吉田正と同様な意味が込められている。
無名の士は初対面の安岡にこう訴えたという。
近所に政府要人に影響力のある人がいると人づてに聞いたので参りました。政府は聖戦だとか、必ず勝つとかいっていますが毎日のように空襲に逃げ惑い、多くの人達がなくなっています。どうか先生の力で早く戦争をやめさせてください

当時、安岡は大東亜省の顧問として早朝から迎えの車が待機していたが、突然の訪問にも長時間もかけて初対面の客に対応している。 その間、大東亜省から催促の電話が入るが
「来客中」といって電話にも応えず、無名の士の訴えを真剣に聞いていた。
後日、書生のよって届けられた漢詩に次のような章があった。
「春宵、夢を破って空襲を報ず 殺到敵機、鬼ヨウの如し 劫火洞然、君嘆ずるなかれ、塵餘却って祲氛(シンプン) の絶するを見る

将来に遺す歌や文章についても意志を同じくしてこう語っている。
吉田は愛弟子の橋幸夫に歌手としての心構えとして
歌は心で語るもの。いずれ誰が作ったのか分からなくなるときがある。 そのときこそ歌は永遠の命を持つようになる

 安岡は筆者が頌徳表の監修依頼に訪れた際に
「文章は巧みだとか時流に沿っているかは問題ではない。 将来、意志ある人物の目に触れたとき作者と同様な感動と感激によって魂を継承し、刮目に値するようなものでなければならない」と諭している。

吉田は戦争を「」として、安岡は空襲による惨禍を「劫火洞然」(人が住む世界を焼き尽くし広々として深遠な様子)と表し、「帰る(還る、孵る)日もくる朝がくる」と続く。

 一方、安岡は復興にかける思いと理想を、自らに言い聞かせるように「塵餘」(汚れたもの)却って「祲ぷん」(災いを起こす気風)を絶する。と抗しきれない集積されたものの到達点を民族の姿として是認することなく、他に和して真の英知を世界に役立てる誠の日本人に期待を抱き、自らの責務としての教育活動に邁進しています。

土壇場にありながら挫折感はなく、かつ民族の将来に期待を抱きながら独特の歴史観からくる推考は、混乱の中ですら的確に将来を予測し、どのように考えるべきかを著している。

二人は計らずも同時期に意を同じくした奇縁でもあった

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天下り「前官礼遇」安倍君の眼を外に向けろと釜炊きは言う 14 6/2 再

2021-03-25 03:19:57 | Weblog

逗子の海

2018年の掲載ですが、登場人物は変わっても内容はより狡猾になっている。

 

煩い上司は外で遊ばせろ、トモダチ作りは土産を持たせて配れば気分は良くなる。

担ぐのは軽くてパーがいいと誰かが言った。

 

維新期の有司専制がお飾りの議会を作ったが、戦後民主主義といえどその維新期の有司(官僚)が首を引っ込めたり出したりしながらバチルスのように繁殖している。まだ維新期の元老を輔弼として天皇権威に繋がってしていたころは、いくらか国家意識はあった。 なによりも混乱期の苦労人がいたせいか下座観もあった。

戦後は始末の悪いことに戦前制度は悪と断罪したかのような教育によって、短絡的かつ合理的とも思える基準によって、ものごとの選別する思考となった。また専門分化して技量は増したが、技能が衰えた。

技術・技能だがオートメーションのラインで個々の作業は高まっても、次に続くラインのことまで考えなくても良いシステムが思索や連帯意識と調和力などに影響を与えてしまった・・・・と、ライン熟錬工は嘆く。

それが、さまざまな要因を持って構成なさしめている国家なるものの、人間という部分の変容によって、或る時は騒がしく争い、平時のおいても生命の危機は増大し、人として倣う対象である教育家、宗教家、政治家、知識人らに独善的気風が蔓延し、深層の国力といわれる情緒を涵養する息潜む人々の怨嗟はますます増大している。

 

                   

           天下は私するものでなく公に在るもの  孫文

 

以下は政治的現象の一例の考察である。

内 平らかに 外 成る 」 とは、元号のもう一つの意味だが、外遊でおみやげを気前よく配るまえに、内政に目を転ずるべきことが大切なことだと深慮を求めている。また、そのぐらいな慎みがなければ部下の狡知に乗ずる軽薄な相として名を刻むだろう。

 

 
責任
のあいまいな組織対応に長けた者たちの部分の応答は、決して全体効果を示すものではなく、ましてや歴史に耐えうる経国の成果すら望めない。
前官礼遇」は肩書食い扶持の徒の見方だが、官職や御上御用に対して阿諛迎合性の強い日本人に多い傾向だ。

もとより中国や韓国のほうが制度的に官職の俸給が抑えられ、アンダーテーブル(賄賂)の習慣性が官と民の潤いとなり、相互利益調整の仕組みになっていることと違い、「不埒な心」を起こしてはならないと使用人自身が制度的なお手盛り法を作り、官ならず政までもが地位保全,高給待遇、各種手当と便宜を法に定めるような精細な狡猾さがある。

は、たしかにその方面では世界に冠たる優秀さがある。逆に冷遇したら江戸の敵は長崎で返されると一層の厚遇に励むのも愚かな民の性癖になっている。

しかも、いまでも官職に全職優越性を持つのか、もしくは出身の規制官庁に苛められることを憂慮するのか、民間天下りや独立行政法人への転出が全職官位に準じて行われ、昨今はより勢いを増している。独立行政法人は国公立大学、医療・各種研修機関などだが、この場合の独立は「埒外」と意味を含んでいる。

また多くの補助金や研究費、協力費,の名で関係省庁から拠出され、溜め込んだ留保金は数十兆だとの試算もある。
標記の「前官礼遇」は、そこに席を有す前官吏の様子だが、現場任用の職員からすれば、まさに礼をもって遇する土産持ちの連中であろう。

それらは国民からすれば、隠された状態で、議員すらお手盛り目当てに見向きもしない。これらの処遇は形式的には法によって執り行われている。とくに,精緻にほころびのない投網のような法は、勤勉、礼儀、忍耐を旨とする国民を巧妙に囲い込んでいるが、法治国家を謳い、普遍性を看板にしているところがイカガワシイ。





獲物を掴みとるトンビも増えた


それを支えるのは税だが、よく日本は租税負担率が欧米と比較して低い、だから上げるという理屈がある。
60%も70%も払えば、医療費、教育費、老後も心配ないならそれでもいいが、それには役人の俸給、箱物の管理費などを含む経常経費が予算の90%超えるような予算立てをする慣性能力ではとうてい無理なことだ。碩学は税はこの国の参加費だと思えばいいと云ったが、近ごろは安くならずに、高くなるばかりだ。

国税担当者の発表では給与所得に占める租税負担率は所得比24%だが、これだけを北欧と比較すると低い。
しかしこれに加えて個人所得税8%と消費税、介護保険も健康保険などの負担率は17・5%、これに各種手数料とあの、誰でも、どこでも隠れて徴収される、うっかり、不注意から生ずる罰金や反則金、公的外郭団体の空き地活用と称する駐車料など、行政の経営効率?を掲げる公務員経営の収益もバカにならない

もちろん受益者負担の原則を基としても、使用料、罰金の額は膨大な数字になっている。それが国民の普遍的な利益らなるならまだしも、特別会計というチェックのない金庫に紛れては検証しようにもままならない。その特別と称する額は国会審議に供する予算の3倍もある。

国家予算は国会で審議する本予算と称するものと特別会計がある。本予算の半分が税収であとは赤字国債という借金、ということは子供に計算させても6分の⒈の収入で、チェック無しの類が5倍もあるということだ。数字は精密を旨とするが、ザックリみて350兆超えの公資金が一年間で回る勘定だが、就労人口と税金を払っている人口、タックスペイヤーとイーターの割合も明確になれば幾らか国民にも理解できる問題だ。

しかも、数年前の会計検査院の検査で4000億以上の無駄(不正)支出が報告された。これも氷山の一角だという。
一年で4000億なら10年で4兆円、震災増税もまかなえる。氷山の一角なら全体はどうなのだろう。重箱の隅を突く細かい調査をするなら全体像を示してもらいたいくらいくらいだが、官官調査は昔から舐めあい調査で甘いことは国民も承知だが、迂回システムの懐優遇ではたまったものではない。





彼らの待遇は厳しい  震災地での自衛隊




欧米を例に出して税負担を説くが、いくら公務員が税を払っているからといっても、イーター(食う人)とペイヤー(払う人)の峻別は彼らの方が厳しい。

本来の税収からイーターの総支出(官吏、政治家、独立行政法人や公機関雇用の俸給)を引いたら、先ず残らないし、足らないはずだ。本会計の税収がイーターの支払いに消えてしまう。いくら公的サービス機関とし欠くことのできない利便の慣性になじんだ国民だとしても、国民の多岐にわたる要求だと自然増殖するバチルスのような公組織は、「公」の意識もさることながら、公の囲いの私用集団のような様相を国民に映し出している。

先の負担率の合計と国債乱発の赤字負担を考えると、給与の52%が引かれている。それも国民が、顔がいい、生まれがいい、名前が売れている、経歴がいいと熱狂選挙で選んだ政治家の選択だ。

北欧のようにあと10%出して老後も医療も教育も心配なく、過度の罰金や反則金もない60~70%はどうだろうか。それとも考え直して国家組織の掃除と改造を真剣に考えるのか。
いや、いくら出してもイーターの慣性根性は無くならないと達観している国民は多いのだろうか。
この国に生まれた悲哀と台湾の李登輝総統は独特な諦観を語った。
日本人はそれを他人事として大仰にも理解の形を示したが、我が身が「※釜中の民」だと今頃気が付いたようだ。
それも、一部だが、安倍さんの銃後の守りもそれ如何に懸っている。


「※」釜の中で優雅に泳いでいる魚も、徐々に熱せられる。所詮、釜の中の民だ
 
さて、釜炊きの薪が増えているのも知らなくてはならない

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博打は最後に親が得する 11/11あの頃も

2021-03-24 17:57:23 | Weblog

             津軽黒石の秋




降ってわいたようなTPPという横文字が騒がしいが、養殖ドジョウも池に餌を投げ込むと水面が盛り上がるほど絡み合い集合する
その池も養殖主の気分次第。餌もそれしかないからドジョウも腹に入れるだけで選択肢がない。
「豚も太らせてから喰う」というが、養殖は繁殖させて太らせる、しかも捕獲の網目は徐々に細かくなってくる。 餌は果たして毒か薬か、この仕込みは擬似餌も紛れ込んでいる。
毒だったらとしても「しかたがない」「ケガと弁当は職人持ち」がこの国の民癖のようだ。

囲い池の育ちのせいか四角四面のようで興味と迎合が強く、意外と内弁慶である

その話にも毒ッ気がある。

近ごろは試すこともなくなった「毒味」がある。ドジョウもそうだが並べた料理に毒が入っていないかどうか、あらかじめ料理人が作ったものや献上品の毒味をすることがある。

あの満州皇帝の溥儀氏が宴席の際、その料理に手を付けることに躊躇していたとき、澄ました顔で工藤鉄三郎が箸を付けた。それから溥儀は工藤鉄三郎を忠と改め日本人でありながら最側近として置いている。満州皇帝秘書長の工藤忠、青森県の板柳の出身である。
工藤は樺太から結氷を待って徒歩でロシアに渡り、捕縛、釈放の後に甘粛省まで行っている。ともあれ毒味人は忠実で豪気でなくては務まらない。鉄三郎は毒なら死ぬ、そうでなければ信任を得る、その点は博打である。

しかし、彼には毛頭その風は無かった。その先の意図など溥儀は見抜いていた。
ともかく仲が良かった。





             津軽黒石 上写真の冬






欧米ではゲームともいう。ときにクイズもある。
彼らの流儀に乗らなければゲームにも参加できない。
大王製紙の子息は本物の博打だったが、オリンパスは姑息なゴミ隠しである。その手伝いに法外な手間を払って問題になっているが、サラリーマン気質の辿りつく道でもある。

気質といえば役人気質とか体質が問題になっているが、彼らのその「質」は隠ぺい体質である。
近ごろ飛び交っている話に金融機関が抱えていた不良債権のことがある。
住専然り、あの竹中、木村が暴れまくった不良債権処理と金融機関の淘汰と集中によって多くの債権が処理会社の宝の山として処理されてきた。時価の数十分の一で、いやそれ以上で量り売りのように処理された。

あの社会保険庁の年金施設も驚くほどの価格で処理され、大儲けした企業もあった。
右往左往したのは与野党の議員だけで、処理はスムーズに進んでいた。規制開放を謳った政商のオリックスを除けば・・・。

その現在のことだが、以前は各支店で管轄地域の債権は掌握するものだった。ところが、押しなべて「ぜんぶ本部に回って支店では実態が解からない」という。メガバンクも信金も同じセリフがかえってくる。つまりどれだけ有るのか本部の一部のものしか分らず、しかもその全体数量は金融庁しか分らないということだ。

多くの商店街がシャッター通りとなり、いままでの収入が途絶えて借財があっても金融機関は無理な行為はしなくなっている。たとえ滞っても期限の利益喪失と契約上の大ナタは振るわなくなっている。かつ新規貸し付けは外部の信用保証を取り付け、それによって信用調査能力は数字評価のみとなり、よほどの告発がない限りオリンパスの様なことが巧妙に行われている。しかも、おかみの了解を経た彼らの言い訳がつく範囲だからだ。

数千万を借入して返済のめどが立たなくなった中小企業でも差し押さえ、競売の手順はよほどのことがない限り運ばない。もちろん競売にして処理したところで下落した評価では債権確保もできなければ、不良債権化すれば引当金の積み増しもできない。しかも利回りに誘引されていかがわしい新興国の外国債券を購入して、その損金すら計上できなく塩漬けにしている中小の金融機関が多いせいか、動くにも動けない状況だ。

そのように不良債権と認定もできず、処理もできないものと、確定し本部集約している不良債権は金融庁の指図なくして動かない。ならばどれ位の不良債権が日本中に有るのだろうか。出先の金融機関の職員は「何でも本部の決済」が通り相場となった。

オリンパスのように飛ばす先、あるいは飛ばさざるをえなくなり、飛んだら捕獲される資産はどこに行くのだろうか。あのTPPではないが博打のルールは彼らのしきたりである。
いずれ陰から陽のあたる所に出さざるをえなくなるのだろうが、いまのうちに智慧と突破力のある者が処理しなくては、また宝の山をゴミとして捨てるしかない。












あの維新も、怠惰、無気力になった御家人、武士の「身分」を剥奪することが一つの目的だった。つまり人間の覚醒と人心の甦りを期したものであった。
この身分化したものが文明国家の役人となり、食い扶持と既得権、そして便宜優遇を追い求めることが止まらず、なおかつ幼稚な政治家をもてあそび、国家の真の実情を隠ぺいするなら、彼らこそ国家の不良債として飛ばさなくてはならないだろう


律令の頃、聖徳太子が憲法をつくった。わずか十七条である
その願目と理念は、「人間の尊厳を毀損する権力の制御」にあった。
権力とは「武人、官吏、宗教家、教育者」など、いつの間にか権力を構成する集まりである。財が権力を維持する時世に、執行者でなく仮に預かっている官吏の専横が強くなった。

あのヨーロッパでも王は宗教的にも直接には金を管理しなかった、預かったのは特別な境遇の者たちだった。それが運用と利息をとり増やすことに味をしめ、そのシンジケートの連携は使用者である王を互いに反目させ、戦争に必要な金をたすき掛けで用立てて利息という手数料を取った。銀行の手数料商売が預金金利より高いのも頷けることだ。

王はそんな企みは知らなかった。いつの間にか城や農園は担保として取られ、税さえ上がらなくなった。それは虚という金利を、元本に組み入れ実に換える複利という手法だった。
キリスト教、イスラム教、仏教の戒律や教義にはもともとないものだ。

王の財を預かり運用して巧くいけば運用益が多くなり、失敗しても王様の財である。
しかも、運用のルールを作り、ルールに沿わなければ王の権威を使って召し上げるだけである。そのようにして名目上ではあるが王の統治する国は彼らの宿となり、政治政策さえ陰で支配しながら、都合のよいルールを広げるために、ありもしないパラダイスの様な自由、民主、平等、人権を掲げて浸食した。あるときはヤドカリが仮に棲んだ宿の仲間を巧妙に誘うかのように武器を持たせて愛国を唱えさせた。


古今東西、どこにでも寄生虫はいるようだ。しかも税を搾取して増殖している

その手下は金を吸い上げ、たとえ錯覚でも、あるいは煩雑な法を知らなかったとしてもまちがったらお縄か、いやなら金を払わせる。
その連中も、ことのほか待遇がいい。
まず、降りることはない。

つまり「下らない」クダラナイ群れが、親のように振舞っているのである。



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満州国日本人軍官吏 土壇場の醜態    07 7/8稿 再

2021-03-20 08:49:09 | Weblog



写真の左右は満州経済界の大立者王荊山氏の遺子である。
満州崩壊の折、多くの難民となった日本人に馬車百輌に荷を満載して提供してくれた王氏は、「あなたも敵国民にこのようなことをしては捕まる、逃げなさい」との促しに「私は貴方方日本人が満州において行った立派な行動を知っている。悪い人もいたが、それはどこにでもいる。わたしは人間として当然のことをしたまでだ。心配しなくてもよい、無事日本に戻りなさい」

その後、進駐してきた軍に処刑された。


以下本文

これでは偽満州といわれても仕方がない・・・・・


歴史から学ぶ教訓として、有史以来はじめて異民族の地に国家を創立した満州国の土壇場の醜態がある。
五族といわれた異民族の協和を描いた壮大な事業であったが、その究極にあった一部日本人の醜態は、異民族に日本人そのものを問いかけるものであった。


逃げるもの、留まるもの。もちろん満州国の官吏のことであるゆえ、邦人のみを護る任にあるものではない。高級官僚、高級軍人、教育者など日本で採用されたもの、あるいは満州国に任官して禄を食んでいるものたちである。
彼らは大陸満州に出稼ぎに行ったのではない、開拓民として渡満した邦人のみではなく五族に楽園を希求するために渡った満州公民である。

名誉、地位、俸給を保証された日本人である。

ソ連が越境したと知らせが入った朝、数百キロ離れた新京の宿舎はもぬけの殻、しかも電話線を切って遁走している。残されたのは渡満した邦人開拓民、満鉄職員、満州国民である。

王道楽土を謳った日本人、高学(校)歴ゆえ高位高官になったものの土壇場の様相である。それは歴史のエポックとしてあまり語られることはないが、土壇場に有用な人物の有り様として記憶に残ることでもある。また現在の日本人の言う高邁な「責任」「説明」という論の虚偽と歴史の残像に支えられた情緒の希薄さを問うものでもある。


あえて記せば、
日本国内にあった満州国の財産の行くえにまつわる不可解。
あるいはシベリア抑留60万人における了解密約。
土壇場に婦女子を共産軍に提供した日本人会の会長。

この段では具体的な筆を置くが、これが勅任官、高級軍人、官僚のあけすけな姿である。つまり弛緩した国家組織の観人則が登用試験としてマニュアル化され、かつ貪官僚の恣意的採用や、衆愚から刹那的欲望を契約した議員によって公理にもとづく人間力の発露を閉ざしてしまい、終には問題の在り処をおぼろげにして、単に時の運や陳腐な情報によって、安易な現状追認に陥るということである。

「時代の流れ」、というプロパガンダは、国民の欲望に必須な情報をスパイラル的に夢想して、古にいう「人心」に浸透し「人心、惟(これ)微かなり)という脆弱でバーチャルな意思を構成してくる。つまり人の心が亡くなることである。

為政者はプロパガンダの一方では、スローガンやパフォーマンスといった表層的な虚飾に流れ、それに連れて人事登用も随うようになる。此処では売文の輩や言論貴族といった商業メディアの走狗に成り下がった知識人、有識者が跋扈して、真実の存在すら曲学阿世の論によって隠され、より為政者の姿を妙な権威の床に昇らせてしまうのが常となる。取り巻きの昇官は発財にともないより複雑で更正不可能な私欲の世界と化してしまう。 呼び名は腐敗、堕落、亡国である。

『亡国は亡国の後、その亡国を知る』という。
その亡国の淵は賑やかで楽しいという。しかし亡国の兆しは先に記した「人心」に表れる。また、人の観かた「観心則」という人物を観る座標が狂うことでもある。


人の織り成す歴史の事象は、人によって再び整えられるが、流行の改革も人物を得ることが肝要だろう。もちろん、それは官製カリキュラムに忌諱された「人間学」の再考にあるが、その門は己の「分在と責任」を知るものだけに用意されていることはいうまでも無い。

(第一次安倍内閣のころ)

さて床の間の置物のような立場で若い頃から自民党の要職に就いた安倍晋三氏だが、父がたらい回しの政権談合の順番待ちの渦中、悲運にも逝ってしまったことから、派閥跡目になった森総理の温情人事や、同派閥の小泉純一郎総理の人気取りのアテ職人事によって上りつめた現在の地位である。ほかに目ぼしい人材が無かったのか、あるいは選挙用の見栄えなのか、はたまた党員からすれば恐れ多い血統ゆえか、その党の趣ゆえの推戴ではある。

翻って、近衛文麿の登場は泥沼と表現されていたシナ事変の問題解決という難儀を突きつけられた。なぜ難儀なのか、それは集権国家として国家、国民という呼称が創生された明治の御世からつづいていた、外地における軍の行動に対する止め処もない現状追認に政府と議会の責任機能が衰えたことに多くの因があった。

とくに議会人の堕落は軍、財閥と結託して素餐を貪る人間の輩出という人物、人格の意はいうに及ばず、土壇場の責任を有する、あるいは具現する「日本人」そのものの亡失という致命的欠陥が、システム、組織を原因に問うまでもなく根本的要因として露呈した。






石原莞爾著  弘前養生会 蔵



当時の民情に表れるのは「勤勉、正直、礼儀、忍耐」であり「日本人」の徳目であった。またそれは政府の権益意識に対して孫文の嘆息した「真の日本人がいなくなった」ということでも歴史上で探求し内観できる問題でもある。

それは明治初頭の「聖諭記」にある睦仁天皇の指摘が活かされないままに拙速に行われた西洋化、いや阿諛迎合した教育や政治制度を半知半解のままに模倣した結果でもある。

素餐を貪る議員には軍に抗するものなく、一途の光明として、あの、゛聖戦の美名・・゛演説によって除名された斉藤隆夫、あるいは、ときの陸相に、゛君、割腹しろ゛と迫った浜田国松が記憶にあるが、そのような期には見栄えがよく血筋がいいものが意味のなくなった床の間の飾り物のように登場させることとなる。

近衛文麿は大政翼賛会という議会の自殺行為をいとも簡単に構成し、政府は形式的になり、議会は形骸化したのである。趣は異なるが田中角栄の後の三木武雄の選択と政治改革もその類であろう。

また、そのような時には国民からすれば面前で抗することが不可能な武具を備えた集団が密かに力を増大させる。

昔は軍人、軍官僚といわれたが、果たして今は治安官吏と徴収(税)の姿に模すことができないだろうか。つまり正義と公平を謳う公機関ではあるが、規制と徴収にある恣意的行使である。

「禁ずるところ利を生ず」
見落としがちだが政治家はその結末を先見し、この部分を慎重に制御しなければならない。
これは偏った思想主義の問題ではない。

人間の陥る問題を国家に充てて、「日本人」を問うことでもある


平成の御世でも日本人官吏の心魂は変わらないようだ。

このままではいくら憲法を改正しても空条文にしかならない。


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高杉晋作に観る直感と潤い

2021-03-16 16:57:00 | Weblog



瓦版屋出身の物書きなどが小説という種別の手法をもって多くの歴史人物を書いている。
それらは種本の収集から、商業出版の売れ筋に沿った校正、とくに現代人に合わせたひらがな、装丁によって、当時の浪人、無頼漢、いまでは反体制運動化、テロリストと呼ばれそうな人々を英雄像にして飾り立て、その気概、思想、行為、人間関係を記している。

まさに見てきたような嘘が本当になってしまう滑稽な姿だが、物書きが文化人、教育者にたとえられる時代には文中の先覚者も程よい飯の種になっている。

振り返る先は敗戦前後、明治、戦国時代が多いようだか、総じて雄の子の文化が昇華したころの逸話である。そのなかでも明治維新の前後のエピソードは多くの俄か研究者や同好会の絶好の逸話物知り交流会として閑居を補っているものもある。

筆者もその端類だが、群れで合議して定説を創ったり、集いの客のようなポチ感覚も恥ずかしく、独り珍論、奇説の異なりを恐れず五感で知りえた備忘録を記している。

それは歴史の先覚者を眺めて、そう生きたい、またあのように逝く事の覚悟について秘かに倣うには群れることの怯みがあるように思えるからである。またそのように生きている先輩が筆者の周りに多く存在し、かつ臨終や葬送することが多くあったことにも起因している。






               高杉晋作 (関連サイトより)



高杉晋作を想起したのもそれだった。
『晋作さんが高下駄をカラカラ鳴らして松陰先生のところに通っていたと祖母はよく話していた・・晋作さんは身分が高かったので城下からここまで来ていた』
筆者が二十歳で話し手は八十、その先代の話である。

龍馬についても
『お祖母さんはリョウメと呼んでよく遊んだ・・』
安岡正篤氏が婿入りした先である高知の安岡家の縁者の話である。

売り本にはない、なにか臨場感があり耳がダンボのようになる呟きである。

晋作の墓地は松下村塾の裏手にある東光寺と長府の吉田町にある東行庵にある。
寒朝、突然の訪問だったが尼さんが応対した。小づくりの可愛い人だった。可愛いとは妙な言い方だが化粧もなく頬は白く光っている。棟続きの庵に通され一服いただきながら説明を受けた。暖がなかったが意のある応答は何よりのもてなしだった。



             

          吉田 東行庵    (関連サイトより)


初代尼主(側女おうの)の情感を漂わせた方は谷玉仙尼主であった。
毎年、秋季には自ら採取した境内の栗を贈っていただいた。
また、後で知ったことだが、縁ある道人が多く交誼を持っていることも奇遇だった。

その晋作さんだが己の行動をこう謂っている。
「・・直言直行、傍若無人、身命を軽んずるの気魄あればこそ、国のため深謀遠慮の忠も尽くさるべし・・」(獄中日記)

また彼らしい言葉でこう遺している。
「・・人は人、吾は吾なり・・面白き事なき世を面白く・・」
しかもその目標は「国政を令して維新を為さんと欲す」と結んでいる。
私事は、゛やりたいこと゛その潤いを以って公事は、゛やるべきこと゛であり、その峻別を鮮明にしていた。

「女房を敵と思え・・」は、行動に後ろ髪を引かれる情を制した優しさであり、行動成果は公私に遍く照らされる信念があればこその言葉だろう。

そして戦火に倒れた同志を悼んでこう詠んでいる。
「後れても、また後れても君たちに誓いしことを、我忘れめや」と魂の継承を碑に刻み、師、松陰の「辞して高麗の種とならん・・」と、今どきの格好のいい美化された肉体の消滅ではなく、不特定多数に貢献する精神の秘奥にある魂魄を讃え、その継承を誓っている。

表紙に「動けば雷鳴の如く、発すれば風雨の如し」と記された東行詩集は糜爛した都会を離れる旅にはかかせないものだ。

そこには晋作流の計算であるペテン、風流、巧妙な応答の印象はなく、自らの精神を奮い立たせ、聖人孟子の正義感と陽明の狂に到達するであろう境地が、これでもかと充満し発せられる。






            功山寺 五卿が閉居していた (関連サイトより)



元治元年12月15日 公家三条実美に礼を辞して80人余の町民、農民を督励し、自らは馬上一鞭を入れ功山寺を発った晋作の深謀と成算は、師松陰の訓導にあった、異なることを恐れない勇気と練磨した実学が肉体化され、また見るものに狂に至る人間の境を浸透させることにもなった。




               

         維新回天 ここから維新は始まった (関連サイトより)




東行庵の鎮まりのある佇まいは尼主の落ち着きとあいまって、騒擾としてあの時の熱情を肝に沈潜させてくれる。潤いとか落ち着きの風情はそのようなものだろうと実感する。

あの横浜異人館焼き討ちの際、柵を乗り越える井上らを尻目に柵木を鋸で切る晋作の奇怪な行動は、逃げ道を空けることだとは常人では思いつかない。
頭のいいこととは、゛瞬時の直感゛だと安岡氏も呟くが、つくづくそう感ずる。


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日本型 官僚社会主義の呪縛  そのⅢ

2021-03-12 05:37:56 | Weblog

      桂林の子供達

 

 

昇(しょう) 官(かん) 発(はつ) 財(ざい)

官吏は昇進するたび財を発する、また民はそれを嘲りつつも倣うものだ

 

 己れ自身を正すことなくして、天下万民を指導することはできない。

私利私欲を抑えながら天理と一体になってこそ、万民の意に添うことが出来るはずだ・・

・日本の経済繁栄と同時に、公々然として氾濫しているのは「偽 私 放 奢」だ。これを除かなければ政治を行おうとしても、行う方法がない・・

                           (文中より)

佐藤 慎一郎 先生 

寶田 時雄  対談清話より    平成5年作製     

  

                           

 

 《昇官発財》とは

 学問の目的は「財」にあり。

 学問するところ地位があり。

 地位あるところ権力と財を発す。

 

 

 そのさⅢ 本文

(8)民衆から見た官吏

 

孔子の弟子F曽子」(前506年~?)は

 「官は、宦成るに怠る」(小学)

と言っている。官吏は、その地位や役職が安定してしまうと、とかく怠け心が生じてくるものだと戒めているのである

北宋の程伊川(1033~1107年)は、宋学の大綱を定めた人であると云われているが、彼も

官と傲れば、人の志を奪う」(近思録)

官吏となれば出世だとか、保身、世評だとかに心を煩わされて、その人間の初志を失わせてしまいがちなものだと戒めている

 

民衆の見方からすれば

 「何官無私、何水無魚」(俗諺)

魚の住まぬ水はないように、私欲のない官吏はいない、と評している。だから、官吏は

 「育児不打送礼的」(俗諺)

贈物を持って来る者を、叩かないのが慣わしとなっているのだという。

 

 清国の官界を見てみよう。

清国の賞揚は。公私の区別は甚だ分明ならず。かつ会計検査の制度は未だ設けられず、官吏の思いのままに官金を費消することができる。そのため官吏の所得の多寡は、ただその心がけの良否一つにかかっているだけだ。諺に“官をすること三年、以て三代の子孫を養う可じ゛と言っている」と靖国行政法汎論にも、はっきりと書かれている。

 

          

        三民主義ほ唱えた孫文

 

 

では、一体官吏をすれば、どれほど金銭がたまるものか。民衆の見方では

 「三年清知府、十万雪花銀」(俗諺)

つまり、三年間清廉潔白な県知事でも、十万の雪や花のような銀貨がたまると云うのである。

これでは。官吏の目的は、民生の安泰でも、国家の繁栄でもなく、自らの具有発射のためであるという思想が、汎濫していくのは当然のことだろう

 

そのため官吏たちにとって「官界」とは一大劇場のようなものだ。彼らは、その劇場の舞台の中で、

逢場作戯」(その場その場に合わせて、芝居をやる)

 その場その場に合わせた芝居のせりふを並べたてながら、あらゆる機会を金銭に換算しようとして必死に稼ぐしかないようである。

先に「九儒十カイ(こじき)」のところで、お話したように、「官」と「吏」は、中国社会では、最高にすぐれた人たちに属していると、中国人は分析している。このままでは、中国には明るい未来は、ありえない。 

 

要するに、お役人についての民衆の批判は沢山あるが

 「店、脚、何、無罪也該殺」(俗諺)

 旅館業者、運送業者、投入、これらの人々は、たとえなんにも罪が無いとしても、当然死刑に処すべき奴らであると云うのが結論のようである。

 

終章

関連稿につづく

 

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しばらくすると、重くなる・・・

2021-03-06 16:14:49 | Weblog

東京裁判のパル判事の言葉を想いだす。
≪時が熱狂と偏見が過ぎ去った暁には、女神は秤の均衡を保って賞罰のおくところを換えるだろう≫




以前、ある音楽オーディションに審査員として招かれたとき、思いもかけず電動車椅子に乗った応募者がいた。応募曲は演歌だったが間奏のセリフが審査員を泣かせた。

それは彼女の身体が涙を助長させたようだ。
もともと芸能人を希望するスクールだが、そこに身体的特徴もものともせず応募する彼女の意志が複雑に絡み合ったゆえの涙でもあった。

宮崎生まれの二十代。両親は離婚し母とお祖母ちゃんに育てられた。出産時のトラブルで全身麻痺、言葉も明確さはなく頭部も揺れるが音声は大きい。これが私の特徴だとしたら、歌手も紅白も夢ではないと考えている。いやたしかに特徴である。多くのプロは異形、奇形の特徴をあからさまに発揮してその世界で生きている。アホだ、バカだといわれることを売り物にしている者もいる。つまりその「形」を金と名声に換えられるプロだからだ。

彼女は「可哀想な女の子」として一時の涙を誘う。彼女はそれを分かっている。
そのオーディションはもちろん落選。筆者は人前で歌う機会を残したかったので、自由になる知り合いのライブハウスを案内した。
彼女は多くの客に声を掛けられた「がんばってね・・」
そしてたどたどしい彼女の生い立ちMCを聴いて皆泣いた。
ただ、三度目は駄目だった。あの涙の感激は異形の身体とMCが成したもので、歌ではなかった。人は重くなったのだ。

いい人、わるい人の話ではない。それぞれの生き方として分別して「際」を心得てメッセージを送るのだ。近寄って混交することはできない。一度や、゛たまに゛ならできるが、それ以上は辛くなる、いや自己愛なのかも知れない。その自己愛とは、各々が秘めた事情を抱えて生きていくなかで、彼女が大勢の前で告白し、夢を語ることへの戸惑いなのかもしれない。その繰り広げられるエネルギーの源泉に嫉妬することも、その一つだろう。

大勢の人が関わって音声トレーニングやミニコンサートが繰り広げられた。彼女は嬉々としていた。

その後、彼女のエネルギーはプロを目指し芸能事務所と契約した。担当者には「可哀想な子を売り物にしないようにしてください・・」と伝えて送り出した。
しかし、その媒体は著作、路上ライブなど、やはり「可哀想な子」だった。
だが、世間は「重かった」の積み重ねだった。それは常に新しい縁をつくり続けなければならない日常だった。
「自分はみんなを明るくする為に頑張りたい。でも可哀想な子として売り出される」
その思惑の外れた事務所と彼女の世間知らずの計算が齟齬をきたした。そして契約書に基づいて彼女が損害賠償を払うこととなり数百万円の負荷がかかった。







そして戻ってきた。
「○○は身体は不自由だが頭は健常者だ。それ以上に観察が利くし欲を援けてくれる人が大勢いることも知っている。だが、その理解の溝は、本当は深いものだ。君はそれを錯覚していた。だから大勢の人の心配を振り切って事務所と契約した。それは我欲だ。みな黙って見ていた。普通の人はそれを怒るかもしれないが、身体を考えると黙っているしかなかった。○○はそのことも理解できる頭がある。
世の中は小さなもの、可哀想なものを捜すことがある。小さな草花、可愛いペット、自分の不幸を紛らわしてくれる人の不幸、そして善悪のバランスをとるための善意の発露、なかにはカルチャーもあり、対象を探し涙や怒りや同感で自分を再発見するのだ。だから対象との関係は続かない。同感や想いでが残るだけだ。その世界のあることを確認したら、自信を持った自分が次の世界を探すんだ。でも、君はそのことも分かっているよね。」

無筋力のようになった首を回しながら筆者を見上げ
「困りましたよ・・」
でも、切迫した雰囲気はない
「○○が特徴という姿はみな持っている。禿げ、デブ、異形、みな特徴だ。でもそれを売り物にしない。金に困って貧乏になっても、親兄弟がなくても、台風の洪水で家がなくなるような、人のせいにもできないようなことが起きても、゛可哀想゛を売り物にしない。
○○をはじめて見た時、驚いた。苦しげに唄を歌っている姿に涙した。そして皆、何かできないか、何かしてやろうと思った。しかし、続かない。
君を健常者としてみて付き合う人は少ない。でも○○は、頭は健常者だ。異形を売り物にして唄を歌ったり、本を書いたりした自分を知ってもらっても「可哀想」が、「愚か」に見えてくるょ・・」

「本当は明るくみんなを楽しませたいよ、暗いのは好きではないよ」
欲と引き換えの不本意な流れに戸惑っていた

故郷では苦い体験があった。人間関係の間をおいたボランティアや「可哀想」の観念が無い。自己愛や、そこから導かれるような偽善はない、また、魅せるような貢献は無い。ある意味分別と厳しい環境がある。
親戚からも「何でお前みたいな子が生まれてきたのか・・」
悔しかった、という。
「でも、歌が好きだった。人に聞かせることが好きだった。お年寄りも聴いてくれた」
そして母がなくなり、東京に出てきた。
「東京の人は優しい」
生活保護や多くの扶助を受け、介護者も常に帯同し○○の行きたいところ、寒い路上のイベント、ライブハウス、駅階段の昇降、トイレ、食事、まるで幼児のような手厚い扶助が賄われている。

少々きつかった。そこの意識に戻りたかったような○○に伝えた
「君は幸せだ。住むところも食べるところも心配ない、行きたいところに往ける。唄いたい歌もできる。いつも介護の人もいる。伝えることも移動も不自由だが、生活には困らない。君のために来る人はもっと困っている人たちがいる。君のコンサートに百円づつ出して花をプレゼントしたバンド仲間もいた。彼等はカップラーメンを一日二個、それでも「やりたい」好きな音楽を求めて、君のために「やるべき事」をするんだ」

言葉少ない介護の女性もうなずいた。
「最初は此処から・・・、また来ますょ・・」

じつは、怒られるかと思って事前に友人の伝言を借りて様子を見ていた。
普通は怒られることを察知することだが、「いつでもおいで」といったことを己にも試したい。そして続けられるかの工夫は「負」の環境や不可抗力の事情を正面から見て、互いの補い合いとしてみると考えることだった。

苦しい環境は、もっと大きな負荷に苦しむ人を見て同一感の安堵とすることがある。
そして口に出すことを控えてきた。いずれ聴き慣れ、見慣れすると重くなることを、みな知っているからだ。あるいは面子に触らないように、切っ掛けの援けを惜しまず、あとは自立を遠くから応援する、それが人の淡い交流として根ずくことを知っている。

熱交、利交、にある人の交わりは、慣れて褪める。術も恋の交わりもそうだ。
だから、いつも一定ではない「無常」が、諦めではなく慈愛の知恵として活かされているのだろう。

だから「無常」の常は、争わず、競わず、怯まず、妬まず、それらに拘らない平常心を学び肉体化することを勧めてくれる。天も怒り、自然は暴れる、常のあとに、゛重さを゛感ずる「無情」を見たくないのは昔からの日本人の情緒のようだ。

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