まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

中学狂歌其の二 「学校で はかれぬ能力 俺にあり」 15 2/16 再

2019-07-28 15:51:17 | Weblog



以前、寄宿舎をつくり登校拒否生徒を集めた私塾での講話を依頼された。
まさに、狂歌に出てくるような生徒を全国から募集した専門校だった。
冒頭に自己紹介を省き、「お母さん、子供さんのこと好きですか」と問うた。

誰からも声が上がらなかった。唐突な発言だったせいもあったが、事実、応えに戸惑っていた。全員30代後半から40代後半の全員女性だったが、集まった理由は「子供が登校拒否で困っている」理由だった。

拒否なのか、学校や教員または親に不満があって、学校に遊びに行くのは楽しいが、勉強にはついていけず、システムから除外、いや無視同然になった生徒の母もいた。着物姿、カラフルな洋装、化粧も今流、30人ほどだった。

『お母さんとて人生がある。自分は子供の犠牲と感じている人もいるだろう。自分が描いている自由と、家庭以外の人に認められたいと思っていることもあるだろう。

思春期とはいうが、春を思う年齢はいつでもある。人との比較でオシャレしたり、友達とカルチャーも楽しみたい、なかにはパチンコ、カラオケ、仲の良い男友達との出会いもある。
それと子供だ。

子供が登校拒否なので私が困る」と云うなら、自分で考えなさい。子供のことを第三者の観察で知りたいというならお話もしますが、お母さんが困っていることには答えがない。
その答えは、子供が一番よく知っている。お母さんも社会に出て失敗したり,隠し事をしたり、そのために家庭がゴタゴタしたり、つまらなくなったり、帰りたくなくなったり、そのようになれば答えは自然に出てくる。

その逆に、一生懸命に家族のことを考えても、どこかに我欲があれば、結果は同じ事になる。
また、子供の教育期間が終わって社会に出れば、このようなことは一過性の想い出として忘れてしまう。そのくらいの心配事だ。

転べば痛い。疎外されればさみしい。歳にかかわらず人を想う心もある。それを家庭や親子の枠に入れば二つの心だ。それを心の中でやりくりして生活している。それをウソと言うのは簡単だが、昔の良妻賢母が成り立たない浮情の社会に、どこかオカシイと思う気持ちを持っていれば、登校拒否も違った見方ができるはずだ。
「困る」気持ちは子供も同様にもってもがいている。』

マニュアルもなければ処方もないような辛辣な講話だったが、思春期のうつろいや悩みは、我が身に置き換えても片腹痛い内容であったと記憶している





青森県黒石市 「よされ流し踊り」  毎年8月15日






以下、矢野壽男著「このままじゃ僕の将来知れたもの」より抜粋


≪母の印象≫

消えたいよ 母キンキラと 参観日  2男

見せるので なく観に来いよ 参観日  3男

美しい ママを自慢の 参観日   1女

友達に 母バカにされ 参観日   2男

もう少し センス磨けよ わが母は  2男

店先で 大声あげて みにくいな 母はペラペラ 得意だけれど  2女

歯ぐきまで 見せて母は 大笑い とても不潔だ セールスマンと  2女

わけ聞かず いきなりカッカ 醜いな  2女

母子でも 顔の不出来は 言わないで  2女

お前さえ 生まなきゃと母 殺したい  2男

女でも 堪らなくなり セロテープ 欲しくなります 母の愚痴には  2女

母だけど 女のズルサ 許せない 父を悪者 自分はいい子に  2男

元気よく 「ただいま」 言えど 家のなか 誰もこたえず いつか言わずに  2男


≪金 かね ≫

金有れば 高校大学 スイスイと  2男

世の中 金ほど強い ものはなし  2男

役員の 月給もらえ お母さん  PTAに 勤めているんだ 2男

人間の 生活すべて お金だと 反省もなく 言い切る母  3女

働くは 金のためかね それではね  3女



≪共働き≫


学校を 追い帰えされても 子供には パチンコ屋もないし バーもない  2男

よしいいぞ グレてやろうか 子の俺が それで共稼ぎ やめてくれるか  2男

今はもう 慰め合いも 我が家には いたわり合いも 昔のことだよ  3女

服装も 話の仕方 その中身 働きに出て 母だらしなく  2男

母ひとり イキガッテいく パートだが つまり我が家を 放り出したんだ  2男

働きに 母でてから はじめだけ みんなニコニコ 今はゴタゴタ  2男

何となく どことなく 母だらく  2女

捨てられた ように父と子 母を待つ  2男

母親の 勉強しろが 消えちゃった  2女

返事だけ いいけど母は うわの空 パートに出ての 変わり方  1男



≪思春期の性≫


また見えた これじゃ成績 上がらない 若い美人の ミニの先生  1男

駆け出せは スカートひらり かがむ目に 今日のパンティー ピンクと判り  2男

恋人が できて学校 天国だ  2男

僕つくる その体位をば 考えた  2男

相談も できずに一人 本を読み ひたすら性の 道きわめん  3女

やつのママ セクシーだな スキあらば いつも狙って 遊びいくなり  2男

わざと聴き 先生困らす 性のこと  2女

夜の声 友達が教えた 通りなり  2男

のぞきたい 心は女も 持っている 俺は見つけた 女子の覗きを  2男

もう十年 若かったらいい 母はだか  2男

見たよパパ ママにヒップを なでてった  1男

いやらしい 目つきの父を にらみつけ  2女

父の客 酔って大声 エロ話  3男

押入れの 隅から出たよ エロ雑誌  2男

中年の いやらしさなら 母もまた  2女

メシベ オシベ 先生まじめに わざとらしい  2男

アノことに 関してだけは 親まじめ  2男

 


よくよく考えると、いくつになっても考えることは成長がない。老齢な社長も居酒屋のサラリーマンも、心と身体が健康なら心は青い

安岡正篤氏も、その鋭い観察に「おそるべし」と紹介している


恐るべし、いやその直観には畏るべき思春期でもある


一部イメージは他サイトより転載

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腰の落ち着かない防衛多論

2019-07-23 04:14:49 | Weblog

腰の落ち着かない防衛多論


腑に落ちない」は、気に入らないことではない。意志を共に行動するとき、頭で考えるロジックなるものを整理納得しても、生死の土壇場に係わる問題は、よく「腑に落ちる」と表現することがある。肉体にも感応する、つまり浸透するように沁みることを言うのだろう。「落ちる」は誤用ともいわれるが、書き物はともかく、内なる心の了解ごととして市井ではよく使う言葉だ。

耳から入った情報を賢察もせず口から出る、これを「口耳四寸の学」というが、耳から入り、頭を回って、身体内(体験など)を巡って口から発する、これを浸透学とか実学ともいっている。これに直感力が備われば、瞬時に反応できる。

 

 

わが国では兵士といわず隊員という。

ある壮年の団司令が、「我々は軍人とはいわない、でも武人です」と応えていた。

防衛当局者の、゛徐々に゛゛着々と゛が、無関心の国民からすれば、゛いつの間にか゛その防衛(戦闘)能力は諸国と比べて格段の向上をみせている。

軍事における宗主国のような米国とは、経済貿易における摩擦と称する論理を背景と、わが国の依頼心と迎合をチームバランスとして、物理的(装備等)、政治的、軍事能力において、その役割分担は、より明確さを表してきている。

それは戦闘の指揮権限や装備品にしても米国との共有性と指揮専権であり、米軍の軍事プレゼンス(存在感)を補完する部分は自衛隊と明確に分担されている。

 

例えば海上自衛隊は航空部門として海上の監視と警備、船舶は補給と第七艦隊の周辺警護、潜水艦やイージス艦がその任にあたる。航空自衛隊は空域の目であり、航空機の運用に欠かすことのできないレーターサイト、あるいは不明機のスクランブルや地対空ミサイル(高射隊)など、米軍が運用する日本国内の基地や政府施設の防衛警護の役を任じている。

 

とくに、兵站や航空警戒の空自、周辺海域警戒監視や戦闘艦となる太平洋軍の空母を中心とする第七艦隊(米国)の警護哨戒を任務とする海自は、米国司令部と緊密な連携をとって運用されている。安全保障協定の随時運営上の取り決めである地位協定では、指揮権、基地権、裁判権が明記され、国内に広大な基地を専有する米基地に寄り添うように空自、海自も配備されている。

 

極東軍司令部の横田は航空総隊、三沢基地は敷地の90%以上は米軍が使用し、自衛隊は残り僅かな敷地に基地司令部、第三航空団、北部警戒管制団が配備され、基地ゲートの管轄は米軍が行い、自衛隊員もその許可を得なければ基地にも入れない。

 

近ごろ、これも、゛いつの間にか゛だが、平床型大型護衛艦二隻(海外ではヘリでも戦闘機でも航空の母艦)に戦闘機を搭載するという。支援戦闘機には渡洋能力、ミサイルは距離を伸ばすなど、着々と自衛から外征型戦闘集団に装いを変えている。

近隣の軍事上の変化に応ずるのは政治の責任だが、今まで担ってきた米軍の警備・警戒・補給・基地提供が、米軍のお墨付きを得たのか、彼らが疲れたのか?、徐々に武装集団の運用が変化している。

それは、自主防衛を面前の問題としてきた制服組の当然なる欲求指向でもあり、その機能と戦略思考は徐々に態勢を整えつつある。

 

   



現実問題への対応には状況の鋭敏な観察と、自己能力と目標との対戦能力を測り、実働への不可にたいする事前計策が必要となる。まして面前に近づいている軍事攻守には待ったなしの判断が必要となる。

無関心や享楽遊惰の、これも、いつの間にか親しんできた浮俗の民情のようだが、火事に消防士の喩えのように、武装しなければ戦争がない、消防士がなければ火事がない、などの論では、最後は人の責任とする民情となり、その説明理解も難儀になるのは仕方がない。

ここでは、゛誰だって゛とは思うが、その誰が、゛自分゛になったら、生死は自分で決めなければならない。いくら税金を払って任せているといってもだ。

 

それとは別に防衛現場では、また癖が出て、しかも深くなってきている。

よく、明治以降の軍は人も組織も、欧米の植民地主義に抑圧された被抑圧民族からすれば、一時は光明にも映った時期があった。その特徴は組織になれば強固だが、まさに民族性癖という悪弊が発生する。

民は町会から各種団体、官は縦割りと、それぞれが蟻塚(コロニー)を造ってボスを推戴して同類の他組織と競い、利を企図するようになる。近年、謳われてはいる「個人」だが、その個人が各々独立できない蟻塚は、出れば風邪ひくヌルメの温泉のようで、目的を失くし怠惰、劣化、腐敗に進むことを誰も止められない。

 

とくに、肉体的衝撃を体験しない「戦争を知らない世代」になると、装備を持てば高邁になり、ときに夜郎自大にもなる。持てば使いたくなる。なかには威張りたがる。大型車や舶来車に乗ったり、世俗でもブランド装身具に身を包むと、男女問わず虚飾者同士が競い、そして争い、内心の争いになる。

中身が乏しいと、なおさらその劣情は激しくなり、ときに衆を恃み(味方を集い)闘いにもなる。人間では中身は健全な思考と価値観意識だが、国家では内政が騒がしく落ち着かい。そこでパンとサーカスだが、今は贅沢に慣れて効き目がない、そこで外に危機を煽り向けるのが為政者の常套手段だ。


          



ことに組織の内部統御について顕著になる。力のあるものは何れ弛む。政治権力もそう言われている。

細かい説明はいらないが、よき例がある。

終戦時の陸軍大臣阿南惟幾の言葉に軍人は政治に拘わってはならない」 「軍を失うも国を失わず

そして、将官だった子息戦死の報に側近が伝えた

「若い兵士の声をよく聴いた立派な士官でした」何よりも意を強く満足げだったという

筆者も機会あるごとに防大卒の幹部指揮官諸士に、統御は地位や肩書、あるいは内規に負うものではなく、本の立った人物に依ってこそ成るものだと伝えている。

また、教えることについても秋山真之氏の言を用いて、


戦勝の余光は一般社会の風教に変化をきたし、または外国将校等の交際もだんだん増加するにあたり、奢侈の増長する傾向がないとは言えません質素は軍人の守るべき最大要目です。礼儀を失せず、体面を重んじさえすればそれでいいのです。」


「今日の状態のままで推移したならば、わが国の前途は実に深慮すべき状態に陥るであろう。総べての点において行き詰まりを生じ、恐るべき国難に遭遇しなければならないだろう。俺はもう死ぬるが、俺に代わって誰が今後の日本を救うのか」


教官から話を聞くことは啓発の端緒にはなっても、知識が増えるだけで諸君の知識が増えることにはならない。戦史を研究し、自分で考え、さらに考え直して得たことこそ諸君のものとなる。たとえ読み取り方を間違っても、100回の講座を聞くより勝る。」


そして、学生の書いた答えが自分の考えと違っていても、論理が通っていて、一説を為しているとすればそれ相当の高い点数を与えた。もし教官が自分の思い通りでなければ高い点数を与えないというやり方をすれば、学生は教官に従うだけになって自分で考えなくなる。その様では、いざ実戦で自分の考えで判断し、適切な処置をすることができなくなってしまう。」

 

あえて秋山氏の言葉をここで借用するのか。なぜ、再記しなければならないのか。

時代が変わろうと生命を賭す職掌にある若者に対する上官の普遍な心構えだからだ。

あえて彼らに語り、書き伝えるのかは、現況を実感して、秋山氏の云う「行き詰まり」を誘引する状況だと感ずるからだ。これが政治にリンクするとよりその傾向は明らかになってくるとの直観がある。また、それを推考する学びも亡失している。

憲法とか戦争とか焦点を当てることも必要だが、現われる事象はすべからく人間の及ぼす欲望の制御域の問題である。今は行政職の一端を担う防衛組織であるが、ときに肉体的衝撃をも含むその特異なる職掌と組織の性格をみるに、何処か形式的統御の様相が少なからず観えるのだ。

若い指揮官はいう。「自衛隊の最大の特徴は、未だ戦争を体験していないことです」と。

 

 

 

    

     北京の知人 作


思えば、その起因する状況も個人の考え方、社会の仕組み、国家の目的も、慣らされ、馴れた結果のシステムなのだ。つまり大自然に生息する犬も、犬小屋に入ればエサは与えられるし、散歩もする。本来、犬は散歩などしない。自由に大地を駆け、泳ぎもする。

人間に馴れるから名犬ではない。ちなみに檻から解き放たれ自由に動く犬の歓びと、顔つきならぬ犬相は、まさに犬らしい。

 

゛いつの間にか゛檻に入り、掃除され、エサもあり、小屋も居心地がよくても、いずれはほかの檻が気になり、不満も貯まる。すると吠える(声を上げる)。なにぶん外を知らないため、エサがまずい、日当たりが悪い、散歩が少ない、鎖(自由)が短い、などの狭い欲求だが、他の洋犬や若い犬がくると、人間同様に嫉妬や諍い、排除が働くようだ。犬には学歴ブランドはないが、それでも純血意識はあるのかもしれない。

はたして、野良犬から檻の中の従順な犬をみたら、どのように思うのだろうか・

たとえ貧しくとも、自由がいい、と思うに違いない。

 

人間の世界でも常人からみれば変人でも、その変人に興味を持ち、模倣したりすることがある。もちろん、居心地の良い檻での一時の夢だが、ひそかに、その純真さを覚えて、我が身を嘆息することもある。

 

歴史上でも、過去に立ち戻って、あの時の感情、些細な行動が後の惨禍の起因であったと思える特異な分岐点がある。防衛問題から大衆の集団化されたときの民癖、そして犬の人生ならぬ本来の、゛犬性゛に例をひらいた。

詰まるところ犬と同様に安逸の檻、それは皆で造って、悦んでいた檻が、つまらなくなって別の檻を求めたりても、脚力は野生に及ばず、考えは狭く、与えられた餌(課題)に無意味に腹を膨らませることのみ考えている飼い犬は、広い世界には通用しないばかりか、他の犬との普遍的交わりも難しい。たとえ柴犬がチワワの鳴き声を真似しても、似て非なる犬に相違ない。

 

   

     万物有霊  北京の知人作


人間社会も柴犬語、ブルドック語、ポメラニアン語のように、様々な言語が混在している。

ブルドックに守られたいとブルドック語を倣い、ポメラニアンの雌犬に気に入られようとポメラニアン語を習ったところで、純なる血統は雑になるだけだ。

 

まさに課題を与えられれば、課題そのものに疑問も抱かず、美味い餌ほしさに懸命に主人の好きな答えを出し、単なる一時の出来、不出来で、しかも毛並みならぬ、数値で選別され、居心地の良い檻に閉じ込められることに慣れた、それに似て安全と豊かな暮らしと沁み込んだ人間種には肉体的衝撃や、略奪、殺傷はなじまないはずだ。

 

近ごろではコンピューターと武器が、ファジーでバーチャル世界のような戦争を繰り広げている。痛くて、寒くて、帰りたい、そんな戦争は少なくなった。それでも血と涙は無くならない。

 

空も海も陸も組織はそれぞれの職掌がある。それは部分だが、それも前記した各々の蟻塚によって、分離し、機能不全になった歴史が厳存する。戦闘指揮権は米国とのことだが、平時組織の軍官僚の内部統御は、有事に機能するのだろうか。

なによりも有事になると想定したら、背後を支える国民の無関心に覚醒は望めるのだろうか。

 

すべては人間の問題とはいえ、厄介な民癖と蟻塚の存在は、現況の経済と装備をリンクさせた政策に、別の切り口で検証が必要となるだろう。

また、「生死の間」に生存の意義があるとしたら、あまりにも生命の亡失を想念しない学びに、一抹の不安と、かつ助長させる世俗の情況に憂慮さえ覚える。

力の優越を問う以前の問題として考えなくてはならないことだと思うのだが・・・。



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天涯孤児の人情と許容

2019-07-16 12:38:10 | Weblog

天涯孤児の人情と許容

父母不明、親類縁者なし、朋友は見当たらず

 

アカデミックに考えるものではないが・・・。

人間は産む本能、あるいは性欲にいう男女交接の歓喜は、なかなか口舌に挙がることは無いが、まつわるハナシや五感を触発する成果物(著作、映像)は数多創造されている。人生の潤いにおいても大切なことではあるが、秘めた心情はより増幅した想像を生んでいる。

 

斯様にもってまわった言い回しだが、あからさまに性交の誘惑や歓喜にまつわる話題を秘めた仲間以外には話すことはない。ただ、視界に思いがけずに飛び込む異性の衣服の乱れや、誘惑されるわけでもないが勝手に妄想してしまう欲望の衝動は男女を問わず覚える程好い緩みの一瞬であろう。

 

          

 

そこまでは至極よくある秘めた情感だが、同棲、結婚、生活、離婚という状況に置かれると、飽き、抵抗、排除と動物のバーバリズムというべき理性とかけ離れた自身にも説明のつかない行動がおきる。

建前の理性と本性の野蛮性、良きにつけ悪しきにつけ人間には併存している。

それまでの恋慕や愛、尊敬、追従といった単純かつ素朴な情感が一瞬のうちに転化することがある。昨今は産む、育むといった人間の継続や情緒にかかることまでがそれらと衝突するように、かつ乖離するかのように多くの事件なり煩いを引き起こしている。

 

よく誕生した幼子を゛愛の結晶゛というが、前記のようになれば憎しみや排除の対象、つまり当たる対象として、あるいは己の自由の担保の障害として忌諱することがある。愛玩ペットの犬や猫もそのターゲットになる。総じて弱いものであり、他に見せる幸せ感の虚ろな慈愛の演出小道具のようなもののようだ。ブランドに身を飾ることと同様な状態である。

 

それは往々にして異性より同性に向けられる優越表現のようなもので、しかも相手に優越性があると、より飽きや反目、排除が昂進され、その都度目新しい更新が繰り返される。

それゆえ宿命に対する反目や弱きものへの排除が巧妙かつ陰湿に行なわれ、それを覆い隠すように表層の慈愛表現もその深さと華麗さを増すようなる。

 

それゆえ表裏のギャップは自己愛の演者として、止め処もない切迫感を生んでいるようだ。

それは他に心を悟られない行動として陽気さを表現し、内心においては案山子のように内外のバランスに苦渋するようになり、生活にも落ち着きがなくなる。

 

         

 

 

国家の衰亡を説く「五寒」(当ブログ内参照)に「内外」という、内政が治まらないために外部に危機を煽ったり、足元の政治が成り立たなくなる状態がある。

家庭なり人間では、内面(内心)が治まらなくなると外に気が向かい。いや他が気になって仕方が無いという状況だ。無駄が多く整理がつかなくなり乱雑になる。そして子供は騒がしく落ち着きがなくなり、考えることが疎かになり流行ごとに追従する。そして流行ごとを競争し争うようになる。

 

その社会なり国を衰亡させる「五寒」には、「女厲」がある。

女性が「烈しくなる」という。つよき母、シッカリものの女房ではない。「烈しく」なる。

 

そうなると「敬重」という、敬うことがなくなる。つまり父母、師弟、為政者、精霊などの存在を功利的、数値的な損得に置くようになる、と「五寒」では警告している。

 

虐待、放棄、殺人、遺棄、など、良し悪しの分別もそうだが、まるで憎しみの衝動のように幼児に向けられている。邪魔なのか飽きたのか、ペットの如く母を魅せていた、いや、゛オンナをしていた゛女性の変容は、阿修羅のような母の剛というより、゛烈゛のはげしさをみせている。

 

よく「男とは違い女の性欲は精神が大切」と聞くが、性欲はなにも肉体交接に限ったものではない。ジャマを排除するのもその為せることだ。ここでのジャマは、邪(よこしま)の魔ではなく肉体を分けた幼児であり、一時は狂うほど恋慕を寄せた夫であり、信頼を謳った友人である。

 

決して女性のみの問題とすることではないが、一体化した細胞が体外に産出されたときからどのような関係になるのか、それは鈍感化したかのような男性には感じ取れないよことだ。

こと雄か雌かの区別だが、女子の優れた性、あるいは劣性ともいえる排他性が対立するかのように、葛藤にも似た苦悩は多くの患いを発生させ、その烈しさとともに社会をも劣化させている。

 

それはデーター数値ではなく、群れの盲流に起きる、微動が激動になるような衝突や、檻に入れられた子犬のけたたましい叫びが解放とともに歓喜に替わるように、つねにプロパガンダに触発された安易な不平と不満に囲まれていると、゛易き゛解き放ちに充足するようになる、つまり明確な処方も無いような風、ここでは社会の「気」の噴流のようなものである。

 

亡羊な未来、つまり分かりにくい未来を醸し出す「気」の処方はある。整流と方向、つまり女性の、゛そもそも゛゛らしさ゛に整えることと、辿り着く道順を明らかにすることである。

男にも男の教育と習慣性が大切なことだが、女性にもそれがある。

ここでも障害となるのは恣意的に使われている自由、民主、平等、人権、などの啓蒙的宣伝への盲従である。それしかないという思索と観照の狭さが問題となってくる。つまり、頭の整理より肉体の習慣化と、そこから自覚する互いの性の異なりと分担の峻別を前提とした宣伝への問題喚起であろう。

 

小難しい理屈のようだが、オンナは女でありオトコは男であるという当たり前な姿だ。それを前提とするならば何も専業は主婦でなく主夫もあり、所帯主も同様だ。家庭も国家も効果的な運用について妨げるものはない。ただ互いの性別という袖に隠れて守られながら不平や不満を垂れ流しても劣性が際立つことが問題なのだ。

 

江戸の川柳にも「女房に負けるものかとバカが言い・・」とあるが、心の自由は担保するのは貧しくとも、苛められても、如何様にも在るものだ。

 

        

 

いまから40年前のこと、当時はボランティアという呼称が周知していなかった。

筆者は司法ボランティアという枠の中で社会資源ともてはやされた多くの若者とさまざまな施設を訪問した。服装のことを例にしても時節の違いと生活規範の変化がわかるが、当時はまだ子供と大人の峻別と、悪いことは悪いと判る分別はあったようだ。

 

いまは、悪いことにも大きなワルと小さなワルがあると、多岐にわたる多くの事情を勘案した多くの論を交差させ、解決不能で茫洋な状態に迷い込んでいるようでもある。

 

あの時は論を恃むことなく言葉が無かった。つまり思春期を過ぎたばかりで正邪の峻別に素朴な疑問を持ち、情緒も荒削りな若者でさえ沈み込む思いだった。

とくに何歳も違わない施設の子供たちの姿は、今どきの施設訪問、視察、慰問、など、囲いの覗きや触りとは異なる衝撃あった。それはその後の社会観、人間観に多くの影響を与えてくれた体験だった。

 

施設の名は失念したが千葉冨里の海に面した養護施設だった。青年司法ボランティアが小父さんさん、小母さんと呼んでいた保護司と更生保護婦人会の訪問だった。収容されている子供たちは小学生。生活苦で扶養できない子供や、当時の筆者の感覚ではわからなかった夫婦の諸問題による扶養不能や、数年前のマスコミを賑わしたコインロッカーでの捨て子、事情を伺えば齢わずかといえ多難な宿命を負う子供たちだった。

 

下着も共有、つまり自分のものはない。今日のパンツは明日別の子がはいている。味噌汁には具が少ない。バットもグローブも自前で作っている。木の枝とゴムひもを利用したパチンコも器用に作っている。そして屈託のない笑顔と応答に、そう年代も違わない吾が身の境遇を考え直した。それは大人の事情はともかく子供をコインロッカーに棄てる母というオンナの姿だった。ついぞ男が子供を棄てることは聞かないが、事情は共有するものだろう。いま問題にもなっている虐待も想像できる。

 

帰り際に手紙を渡された。まだ見ぬ母への手紙だった。

「この手紙、お母さんに渡してください」

ただ、どうしようと独り沈考したのを覚えている。

 

その後、保護観察所より委託された若者もそうだった。

父は不明、母は再婚、本人は教護院。非行、それも喧嘩だ。

クリーニング工場に勤め、右手の指と手のひらの境はタコが山脈のように固く盛り上がっていた。母恋しさか工場主の妻の入浴をくもり硝子越しに見ていたところを咎められ、そのまま飛び出した。恥ずかしかったと言ったが気持ちは理解した。

見たい、触れたい、抱かれたい、不埒なことではなく、雄の子の自然な本性だ。

次は印刷工場だった。根気があったのですぐ仕事は覚えた。

盆暮れは必ず小子にお土産を持って来てくれた。律儀だった。

 

        

 

夏の暑いさなか急死した。発見されたのは死後3日を経たときだった。

工場主が発見した。新宿コマ劇場で歌手の舞台を観るくらいの趣味しかなかったが、不思議と貯金通帳も印鑑もなかったという。連絡が来たときは荼毘にふされて遺骨は工場の2階に移され、間借りしていたアパートの備品は整理され、残っていたのはダンボール一個に入った人形だった。それはお世話になった人の子供に送るものだった。

 

数ヶ月して保険会社の女性から連絡があった。彼の階下に住む女性だった。

契約書には、もしもの時には筆者に連絡するようにと連絡先が記されていた。

相当な金額である。何れのときの結婚を計画してコツコツと納めていた保険だった。

もちろん預金もあっただろうが、詮索するすべもなかった。

だだ、縁者もいない保険の受取人の欄が気になった。

担当者は妙に躊躇しながら指し示した欄に彼を棄てた母親の名前が記されていた。

たどたどしい漢字だった。

 

「探し出して渡してください。叶うならお母さんと一緒に入れる墓を作ってくれるよう伝えてください」絞った言葉はそれだけだった

 

その後は追跡していないが、それが彼の男としての母への思いであり、生きざまに沿うことだと思った。生前、彼には母を捜して会ってみたらとは言えなかった。棄てた母への哀慕は彼にとって手のひらの異様に盛り上がったタコで充分だった。決して恨みを語ることはなかった。

そして、多くの人情を知って彼になりの誓いとして誇りにした。

保険受取人、 「母」

やりきれない思いで雄の子の大きな慈愛と許容力を教えてもらった。

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切り口として、少子化と虐待の遠因

2019-07-08 06:35:14 | Weblog

暑くなれば寒さが恋しくなる・・・・ 岩木山

 

SNSなら炎上は間違いなし。

ことさら勇気もいらないが、ゴマメの歯ぎしりとして当世を備忘してみた。

 

中華人民共和国は「一人っ子政策」という、゛人口減対策゛によって産児調整をしていた。

いまは小皇帝とよばれる子供たちが青年期に差し掛かっている。

彼の地の古い諺に、男児が4人いれば一家を机にたとえ、4脚の支えとして吉事とした。

ゆえに一人っ子政策では、女児は忌避されたりもした。

日本と同じで、まつりごとは皇帝、為政者も男子が担い、ときに則天武后や清朝の西太后など、幼帝を背後で支える政治を執り行っていた。まさに陰(地・女)の支え、陽(天・男)の動きだ。ちなみに漢字を操るのは男子(漢)、なぜだか女篇ばかりで、男篇は見当たらない。いたぶる意の「嬲」(なぶる)があるが、同意だが女が男を挟んでナブルがある。当世は娘と女房に挟まれてナブラレているようで、やはり女篇が合う。

 

その昔、男子は武人や官吏として一族の繁栄に役立った。陰茎を断って宮廷に仕官する宦官も皇帝の権力を盾に、財を蓄えた。つまり、官吏も宦官も「昇官発財」を目的として、登用試験には名目として孔孟を学び、行いは「色(性)、食、財」の三欲獲得に邁進した。

ゆえに国のスローガンとして孔孟を由縁とする道徳運動は、「あれはハナシ」として、面従腹背した。大衆に密かに人気があったのは「厚黒学」(李宋吾)に説く、腹黒く、面の皮が厚い生き方の処方や、老子の由縁を持つ道教が好まれた。

薬の神様、財の神様、健康の神様、つまり実利が歓迎された。台北の龍山寺、横浜の関帝廟は、まさに繁盛している。

 

賄賂は「人情を贈る」と、陋習はデジタル社会になってもアンダーテーブルの有効性は表の成文法(法の書きもの)など、なんのその、狡知を働かせて庶民の潤いとなっている。

数学ならぬ、算数を駆使する四角四面の税官吏や取り巻き士族などは、あれも食い扶持と揶揄する鷹揚さと、応答さえも余裕がある。それは「逢場作戯」(場面において種々の人間に戯れる)智慧が為せる技でもあろう。

 

知恵が増せば、自ずと三欲のために狡知を働かせ、平然と大偽を唱え、一族のために精勤?した。一人が官に昇って高位に就けば一族が繁栄する。「一官九族に繁える

そして「智は大偽を生じ、小人は利のために殉ず」、国家社会はその為の利用目的でしかなかった。(ウソのために知識を活かし、財利のためには命を懸ける)

 

そのような社会が一人っ子政策を行えば、自ずと個々の競争は激しくなり、親類縁者の構成上、甥っ子、姪っ子、おばさん、伯父さんもいなくなり、親族構成は人情薄弱となり、政権とて個々の欲望充足のために政策選択も狭まってくる。政権につく高位高官も殖財に励むようになり、かつ賄賂さえも「人情を贈る」意識の陋習もあり、選択としては国家を括るには、便宜的に専制的手法(共産党独裁)を採らざるを得なくなってくるのは至極、自然な姿なのだ。

 

田中角栄総理が周恩来に「おたくは便宜共産主義ですね」と語り、付け加えて「これだけの人口を取りまとめるには共産党専制でなくてはまとまらない。一家に10人も子供がいては親も大変だ」と田中流の考察を述べている。

 

あの天安門の騒擾も、はじめは冷静だった。学生は、徐々に専制体制を緩やかにして、諸外国と比すぐらいな成長を描くためには、大衆も国の将来を落ち着いて考え、政府も統制を緩やかにするべきだと考えていた。ところが、どこの国でも世間は人が集まるところに興味が向く。地方から学生や労働者が北京に押しよせ、学生指導者も収拾が困難になってきた。

 

   

   桂林

 

もともと、学生指導者は大衆の性癖を知り尽くしていた。

もし、見たこともない、有るかどうかわからないような民主、自由、平等、人権を掲げたら、この国は混乱する。その時は、国家は脆弱になり、外国からの浸食が始まる、その歴史を知っている。

 

筆者の体験だが、デモは整然として長安街を進んでいた。まるでイベントのように軍人、官吏、教員、労働者、学生が、それぞれの制服なり、こぎれいな身なりで和気あいあい歩いていた。路肩の見物する市民もビラを受け取り、拍手したりして応援していた。

そのさなか、小学校は普段と変わらない授業風景だった。

五十万人とのことだが、北京飯店から広場に渡るには斜めに隊列の中に入り、普段の3倍の時を要したが、熱気というか爽やかな笑い声が印象的だった。

 

そんな情景の記述がこの章の本題ではない。

数年後、北京にある孫文の妻、宋慶鈴記念館の館長が来日したおり、知人の紹介で懇談した。

記念館の前の大きな池の畔の朝市の話題から始まったが、「ところで、あの頃の若者たちは、いま社会で活躍していますか。彼らは歴史を熟知し、あれだけ市民から歓迎された行動をました。拙速な対応が適わない政府だと理解しつつも、一人っ子政策で大事に育てられた彼らが、不特定多数のために行動したことに感銘を受けました

 

「・・・・・」館長は言葉を選んでいた。

 

政治の話しではなく、あの気概と勇気は、いずれの機会でも社会に有為な人材です。遅れているとか汚いとか、日本でも嘲る方はいますが、そんなことは国力評価ではありません。普遍な人情をもつ素晴らしい人間が大勢育つことが、貴国の力になると思います。その意味であの時は、いずれ日本は負ける、と思いました」

 

あの時、来館されて、孫文先生が云った、゛真の日本人がいなくなった゛と伝えて頂きましたが、社会は人間の在り方、とくに若者の姿で将来がわかります。でも、経済が発展し、社会が弛んでくると若者も変わります。今は、経済の富に夢中です」

 

「・・・・」今度は筆者が言葉を探した。

 

その後、一人っ子政策は中断したが、その影響は様々なところに及んでいる。

教育は受験戦争が激しくなり、享楽的、厭世的にもおもえる非行も増えてきた。自然の運行を遮ると、思わぬところに弊害が生まれてくる。その対策に、また専制的な治安対策などの社会対策のコストが増大する。為政者が公職者の腐敗汚職を取り締まるのも当然な姿として国家運営に露呈する。

 

    

 

ちなみに、蒋介石率いる国民党は台湾に逃れた。子息の経国氏は「いま台湾にいる国民党は戦備が乏しくて負けたのではない。大陸において国民党が腐敗し、堕落したから民衆の支持がなくなった。それが一番の敗因だ」と説いて「新生活運動」という社会整風(道徳)運動を行っている。

その意味では、他の意味も含んでいるが、習近平主席の腐敗幹部摘発は民衆の歓迎をうけている。また、最近では党学やエリートの学び舎では、今まで禁忌のように思われていた古典の学習が盛んになっている。上海ではゴミの分別もはじまり、赤信号は歩行者も止まるようにもなってきたという。

 

運動は一握りの問題意識を持つ人間が始める。しかし付和雷同する無知文盲が問題の行くえを混沌とさせる。そこに権力の策謀が働くとデモは騒擾となり、動乱分子として当初の人間も括られ、市民からも反発を受け、そして一網打尽となる。

香港の公官庁の破壊も、見知らぬ人間の行為であったという。もしも、そうだとしたら破壊よって彼らは反感の対象になり、市民の怨嗟によって官警なり軍の出動が大義となる、どこの国でもありうる権力の姿だ。

耳障りの良い自由と民主の標語は、無知文盲やそれを策動する為政者にとっては、諸刃の剣だが、タイミングさえ逃さなければ、立派な行動大義ともなるようだ。

 

その自由と民主、くわえて富の欲求が添加されると、家庭では離婚率が高くなり、経済は投機的になり、抑制のきかない実利現世主義は、地球の表皮を食い荒らすようになる。まさに、国家は営利獲得のグランドとなり、大衆は国境を超えて天下思想に戻るようだ。(天と地の間のどこでも棲家となる)

その栄枯盛衰の倣いに沿えばと、筆者は、「日本は隣国と同化しつつある」と、度々小論を発した。

 

温泉・グルメ・旅行・イベント、ギリシャもローマも大英帝国も、その没落時の大衆の指向は繁栄の享楽だった。そして、゛いつの間にか゛没落した。しかも、たとえ気が付いても損得が優先して、学びや直感力が行いとして活かせない、それも知識人の堕落として後世の歴史に刻まれる。それは、゛どうしたら、どうすれば゛に停滞して依頼心を増す「釜中の民」(釜に入れられて冷・温・熱・沸騰に慣らされて滅ぶ)の様相でもあろう。

 

   

  桂林

 

 

拙い講話を懇嘱されると、学びの端(はじめ)となる枕に、孟子の「四端」と、荀悦の「五寒」をお伝えして、現実社会との符合を考えていただけるよう提案する。

そして、゛いつの間にか゛流れになり、慣らされた感覚については、これも数百年前に作られたという、企ての文章を紹介する。

いまだに古代の思想や宗教を倣っている人類ですが、ときおり、釈迦やキリストが、もしも転生して、アレは訂正したい、といったらどうする、と戯言を言ったりする。

 

集団化のマクロメリット、部分をほじくる教育のミクロメリットは、たしかに信ずる者がいなくては成立しない。そこに高位と財貨などの名利がオマケに付くと、人はからっきしダラしなくなる。つまり、人格を何ら代表しない附属性価値の奴隷に進んで成り下がっているようだ。くわえて、無関心はそれを進捗させる衰亡エネルギーのようでもある。

 

       

 

 

そんな時代にスポットがあてられる、少子化と虐待というキーワードである。

貧乏人の子沢山とはなるほどだが、いずれ隣国も少子化になるのかもしれない。その喩えでいえば日本は逆に、心も身体も貧乏とケチになってきたが、そろそろ子沢山になるのだろうか。

 

いや、いまの仮想先進国の現状では、子育て、待遇、が、女性には満足できないといわれる環境ゆえ、幸せの収穫が、温泉・グルメ・旅行・イベントとなると、人と比較した不満足度が、ときに嫉妬や恨みになり、己の自由が毀損されると考えれば、その対象となる個体虐待が起こるのではないかと、妙な心配もある。

 

敗戦後、極東軍事裁判でインド選出判事、ラダ・ビノード・バル博士は、日本の青年男子と女性に提言を残している。それは数百年に亘って英国の植民地だったインドの変容を体験した言葉だった。それは「宣伝に気を付けてください」に要約されていた提言だった。

 

これから西洋的資本主義に翻弄される社会となり、大衆は消費者としてあらゆる心地よい宣伝に晒される。幸せは物質に置き換えられ、その競争は人間の連帯を解き、固有の情緒性は失われ、個々の自由にしても家庭内では、親兄弟、結婚すれば、夫や子供ですら、生産や勉強が数値に置き換えられ、成功価値や幸せの価値まで変質する。

それらの多くは企てられた他からの「宣伝」によって多くの人々は流動し、孤独感はますます進捗し、架空の連帯に組み込まれるということだ。

 

それを原因から探ってみれば、少子化も切り口の変わった考え方にもなるかもしれない。

同じ犬でも愛玩犬は生まれたとき、一生鎖につながれるとは思ってもいなかっただろう。故事では、羊は、羊飼いに従順な牧羊犬に吠えられ、群れとなって行先も判らず妄動する。

ときおり羊毛は刈られ、祭りには神の捧げものとして犠牲になる。美味い、まずいと勝手に食べるのは人間だ。羊に神はいるのか。西洋の神は応えない。

 

羊飼いは、政治家、金融資本に置き換えられこともあるが、経世家によれば、吠える従順な犬は官吏(税と警察)という喩えもある。妄動するグランドは狭い社会だが、狭くしか考えられないように、問題(課題)には数値に置き換えられる範囲の、決められた思考しか与えられない。

パンとサーカスを与えられれば、考えることを許さない、自由な羊がいることも知らされない。

それが「宣伝」だと、バル博士は要約している。

 

どうも、難儀なことだが、当世の姿を備忘として記さなければならないと考えた。

 

イメージは桂林の友人より  本文とは無関係です

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安岡正篤と参議院選挙 10 5/31再

2019-07-05 05:47:03 | 郷学

このコラムに多くの読者が訪れている



一人は『君、議員になるのか?」と訊かれ、もう一人は『安岡が入れるからおやりなさい」と・・・

衆議員議員の秘書を永年勤め郷学研修所々長であった柳橋由雄氏の笑談だった。
「先生には参った・・、あるとき議員に立候補しようと慎重にも機会を見つけ先生にお話したら、「君、議員になるのかね…?」でやめた。それから新しい気持ちで学問したものですよ」

もう一人は前ブログに登場した岡本義雄である
 或る時、近所の在日韓国人が『近頃の日本人はおかしくなった。選挙公約だって守られたことなど無い。国民はだまされているのに怒らない。岡本さん出たらいい』

地盤、看板、かばん(資金)もない岡本だが頭には百万の援軍を思い描いた。
世情では宰相のご意見番として持てはやされているが、岡本にとっては公憤の烈行を思い切りぶつけられる相手でもある。

世間では変わり者といわれる岡本だが、安岡の眼には童心のような素朴さで漢詩を詠み、つねに下座において利他の増進に励む岡本の姿に愛着さえ抱いていた。

遠方に赴くときは「暫く留守にする」と直接安岡氏から電話を架けてくる心遣いのある間柄でもあった






                    







早速、安岡氏に訴えた
『先生! 参議院全国区に出ます。ついては全国師友会の推薦を得たい』
いつものこと結論が先だ。

岡本の烈行に師はこう応えた
『師友会は私の会ではない、学友同志の会だ。先日も荒木さんが来られたがお断りしている』
  ※ 荒木・・・荒木文相

岡本は引き下がらない
『選挙は国民の票を騙し取っている。私はこんな奴等に投票するな!と訴えます』

師は微笑をもってこう応えた
『おやりなさい。安岡家にも票はある。私が入れるからおやりなさい。』

岡本にとってまさに百万の援軍であった。

地位名誉や高邁な理屈にも「義」の香りに人物を観る安岡らしい厳命であった。岡本の烈行を掃き溜めの鶴声のように観聴したのであった。

当時はA3形のポスターと葉書とラジオ演説である。
岡本は躊躇無く言い放った

『貪官(官吏)に鼻面を引き回される議員に票を騙し取られる! 投票所に行くな!』

開票すると全国から30,000余票が岡本に投じられた




令和ならぬ、「令色 」




安岡は呟いた
『一部を除いて、人物二流しか議員にはなれない・・・』

今時の虚飾重層された安岡像には描かれることのない激しい心情は、岡本をして、
「落選を、゛恥ずかしい゛゛結果が心配゛といった我欲を破棄させるほど真摯で暖かい厳命だった」と述べている。

日を置かず安岡師より長文の手紙が送達された。
それは公理、情理を整えた人間の有り様を含むものであったことは言うまでもない。

ちなみに現在政界には松下政経塾出身者が多いが、松下幸之助を心服させ塾の創立を促したのも安岡氏である。自宅の茶道具には松下氏からの寄贈の茶碗があるが、都度に妙縁を感じさせてくれる。

「いまはデモクラシーは亡くなり、゛デモクレージー゛ですな」
文章添削の折、とくに低音で語った言葉が妙に想いだす。

また選挙の季節になった。

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「萬晩報」 高知と国憲 2015年2月6日夜学会

2019-07-01 14:14:34 | Weblog

                                          2018年5月3日(金)

                                 萬晩報主宰 伴武澄

 今日は憲法記念日。日本国憲法が1947年5月3日に施行されたことを記念して翌年から祝日となった。建国記念日はどこの国にもあるが、憲法施行の日を祝日としている日があるのか考えた。祝日となった経緯は「戦争放棄」を世界で初めてうたった憲法を制定したことを国民として喜ぼうという思いがあったはずである。

憲法が改正されて、国軍として自衛隊が認められれば、普通の国となるので、世界に胸を張る憲法ではなくなる。そうなれば、たぶん憲法記念日も廃止する必要があるのではないか。そんな問題意識である。

 小生は2015年1月からほぼ毎週、はりまや橋夜学会を開催し、民主主義を根底から考え直そうと訴えている。3年前の2月6日、「高知と国憲」というテーマで講演した。以下その内容を掲載したい。

――――――――――――――――――――――――――――――――――

      

   横浜市 港の見える丘公園

 


  龍谷大学の先生をしている友人に高知で夜学会を開いていると話したら、僕もそんな学会を開きたいと言っていた。「違う、夜学の会だ」と言って大笑いになった。多くの人は勘違いしやすいが、あくまでも素人が学び合う会なのだ。

 僕は外大を出て、新聞記者で経済を専門にしていたから、法律はど素人に近い。学生時代、法律ほど面白くないものはないと思っていたが、記者になるとまず最初に刑事訴訟法を知らなければ仕事にならないことを知った。まず警察が容疑者を「逮捕」するとな何か、そして警察が検察に「送致」する。

さらに検察が裁判所に「起訴」する。そんな基礎的用語から学ばなければならない。身近なところから教えてくれれば、もう少し勉強したのにと残念に思う。

 不思議なもので3カ月もすると警察官の話していることがすんなりと入ってくる。実務が大切だということだ。記者が軽率というか軽薄なのは、学者の世界からすれば生半可な知識で分かったような顔をして、記事を書くということだ。そんなことを30何年もやってきた。

 この15年ぐらい、憲法とは何なのか考え、自ら勉強するようになった。もともとは改憲論者だったが、学んでいるうちに出会ったのが『法窓夜話』という本だった。東大の初代の法学部長になった穂積陳重が書いていた。
メソポタミアのハムラビ法典から始まって、ギリシヤの法律、中世の日本の武家諸法度 まで網羅してあってやさしく法律の意味を学ぶことが出来る。

 この中に憲法という項目があって、明治初期に「憲法」という表現はなかったと言っている。17条の憲法はあったじゃないかというかもしれないが、近世以降の概念としての憲法はなかった。福沢諭吉は英語で言うConstitutionのことを律令と書いていた。国法、国制、国体、朝網など人によって違う訳語をあてていた。一番多く使われていたのが「国憲」という訳語だった。だから植木枝盛の憲法草案は「大日本国国憲按」と題した。条文の仮名では憲法という表現を使っているが、タイトルはあくまで「国憲」だった。

 これは非常に重要なことで、僕たちがなにげなく使っている憲法という訳語は、明治初期には人口に膾炙されていなかった。

 憲法が正式に決まったのは、伊藤博文がプロシア、オーストリアへ憲法を学びに行った時に「憲法取調」という役職をつけてからのことだった。大日本国憲法制定の5年前のこと。そうなるとそれまではいろいろな訳語を使っていたのではないかと想像するが、そうでもなかった。大学の授業はすべて英語だったから、Constitutionで通っていたはずなのだ。

 

       

      青森県黒石市 

 

 穂積氏の本によれば、東大法学部で授業が日本語になったのは明治20年のこと。それまでは政治も経済も、自然科学も英語で教えていた。

 当時の学校ではたぶん以下のようなやりとりがあったのではないかと想像している。

 

先生「France is now a republic. Not like our country, they dont have
    a king as a Sovereignty」
学生「先生、そのrepublicというのはなんですか」
先生「日本では歴史始まって以来、天皇がまつりごとの中心におられたが、
   フランスにはそのような存在はもはやない。つまりpeopleが
   sovereignというこっちゃ」
学生「ますますわからん。そのSovereigntyとかsovereignとか日本語で説明
   してください」
先生「それが先生もわからんのじゃ。まつりごとをつかさどるという意味だ
   が、日本にはそういう意味の単語がないのだ。天皇が京都に在位して
   いて、将軍が江戸でまつりごとをつかさどっていた。その将軍が大政
   奉還して明治の世となった。天皇が復権したいま、ヨーロッパに学ん
   で天皇を中心にどのようなまつりごとの仕組みをつくろうかみなが考
   えている最中なのだ」

「政治」も「共和」「主権」もいまでは普通の日本語になっているから誰も気付かないが、当時はなんとも説明のしようがなかった。ヨーロッパの概念を一つひとつ日本語で説明する作業は並大抵でない。だから授業はほとんどが英語だった。

 明治日本は数多くの訳語をつくった。共和とか自由とか、もちろん政治や経済もそうだ。2000近い和製漢語が生まれた時代だった。多くは中国の古典から探し出した表現に近世的な意味を与えた。

 数日前、西岡さんのところで夜学会をやって江戸時代の高知のことを学んだが、古い地図に鏡川のことを潮江川と書いてある。そういえば四万十川となるのは 1990年代のことだ。それまでは渡川といっていたそうだ。NHKの放映によって、昔から四万十川と呼ばれていたようになっている。長宗我部家のことを書いた『土佐物語』には四万十と書いてあるそうなので、川の名前にも変遷があるということなのだ。

 安芸市の民俗資料館で発見したが、もともと安芸は「安喜」だった。長宗我部元親が安芸国虎を破った時に「安らけく喜ぶ」としたのが、明治時代になって元に戻した。地図を見るまで誰も知らないというのはよろしくない。

 重箱の隅をつつくようなことに思われるかもしれないが、我々が常識と思っている多くの事象は実はあやとない事実の上に構築されているかもしれないということである。

     

青森県田舎館  稲のアート

 

    

 

 さて憲法である。近世に初めて憲法が生まれたのはアメリカ合衆国だった。イギリスの植民地だった13州がイギリス国王に反旗を翻した。13州それぞれ総督がいて統治していたが、インド人を統治したのがインド総督だったのに対して、アメリカでは総督はイギリス人を統治していた。例えば薩長連合軍が徳川に反旗を翻して西日本国を樹立するようなものだ。だから、アメリカの独立はインドの独立やベトナムの独立と決定的に意味が違う。

 結果的に13州が勝利するが、その背景に13州を応援したヨーロッパの国々があったからだ。アメリカ独立戦争時のフランスの統治者はルイ王朝だったから、応援したのはフランス市民ではなく、王様だったことを覚えておいて欲しい。自由を求めた13州を支援したのだからおかしな話に聞こえるが、アメリカ独立戦争は実は英仏戦争 だったのである。

 面白いことに13州の兵隊は民兵で正式な軍隊ではなかった。その民兵たちの頭領がジョージ・ワシントンだった。独立宣言は1776年。その後、合衆国憲法が生まれるのが1789年。13年にわたり13州の人々はこのをどうするか議論を続けた。

 イギリスとの戦いに勝利したワシントンは側近たちに「閣下、一刻も早く即位を」と王様になることを求めた。当然であろう。当時、地球上に民主主義などはなかった。だが、ワシントンは拒絶した。13州の人々は王様を戴かない国家をつくることにした。合衆国憲法はそんな13州の約束事を文章にまとめたものだっ た。Consitituteは構成するといった意味合いである。

主権者はもちろん人民(peaple)であるが、最高権力者をPresidentと命名した。プレジデントは聖職者や企業の代表にもつける呼称だったが、政治権力者に命名したのは13州の人々で、いわば大統領が彼らが発明者たちだった。

Constitutionやpresidentをどう日本語で表現するか悩んだのが100年後の明治の人たちなのである。

 

       

       観音崎  千葉遠景

 そして明治22年に大日本国憲法が誕生するのだが、僕が一番注目したのは99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書いてあることである。矛盾していると思わないか。憲法を尊重するなら国会議員が憲法改正を口にできなくなる。

 僕が習った憲法は基本的人権、主権在民、戦争放棄の三つの柱で構成されていた。基本的人権や主権在民は合衆国憲法やフランス憲法には載っているが、明治憲法にはない。明治憲法は欽定憲法といって天皇が決めたものだった。だから臣民はこれを守らなければならないという代物だった。

 いま安倍首相が「国民には権利と義務があるが、憲法には権利ばかりが書いてあって義務が書いていない」と改正憲法に国民の義務を多く盛り込む姿勢を示しているが、憲法の第99条にあるように、公務員が暴走しないように箍を嵌めるのが憲法なのだ。

安倍首相は憲法制定の主旨をまったく理解していないとしかいえない。

法律は国民に箍を嵌めるものだが、憲法はベクトルが逆なのだ。

法律は上から目線であるのに対して、憲法の建前はしたから目線なのだ。冒頭にConstitutionの日本語訳について長々と説明した意味は全くここにある。


 憲法改正に国民の意思が表明される国民投票が必要なわけもここにある。合衆国憲法の改正は国民投票でなく、州議会の議決が必要となっている点、日本と大いに違う。

 だから、各国の憲法には必ず修正条項があり、日本の場合、国会議員の3分の2の議決を受けた上で国民投票で過半数を必要としている。フランス憲法で面白いのは絶対に修正できない条項がある。人民主権という条項で絶対に王政に戻せない仕組みになっている。

 戦後の日本国憲法にはいくつか決定的矛盾がある。まず第一条に天皇は国の象徴であるとあるが、主権在民の憲法の第一条が天皇というところに大きな矛盾がある。国家の構成を規定するのが憲法だとすると順番が違う。

ついで、前文に「国民はこの憲法を確定する」とあるが、われわれは国民投票を経験したことがない。ともに明治憲法の改正条項を基に日本国憲法がつくられたため、大きな矛盾を残すこととなっている。

明治憲法73条は「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」とある。そして第2項に、3分の2以上の出席を得て、3分の2以上の多数を得なければ改正できないと書かれてある。国民投票の条項がないから、新しくできた民主憲法といっても一度も国民の信託を得ていないのである。問題はここらが議論されたことが一度もないことである。


 改正の手続きに瑕疵はないが、どうもしっくりいかない。だから僕の憲法論は「廃止」なのだ。フランスなどは何回も新しくつくっている。

 

     

横浜市金沢区 称名寺      

 

 ところで、日本では総選挙後、特別国会を召集して、次期首班を指名することが憲法で定められている。国民が選んだ衆院議員の仲から首相を選出するのである。しかし、同じ議院内閣制を取るイギリスでは首班指名はない。

総選挙後に形勢が判明した時点でバッキンガム宮殿から選挙に勝利した政党の党首に対して組閣が命じられる。衆院議員の中から首相が選ばれるのではなく、あくまで組閣を命じるのは国王なのだ。憲法がない国だからなんとも言えないが、そういうしきたりとなっている。

イギリスの場合、すべてが慣例に従うことになっている。戦前の日本でも組閣を命じるのは天皇の役割だった。

 同じ民主主義国家といえどもそれぞれにやり方が違うことを知っておく必要があろう。アメリカには国王はいないが、大統領選挙後、相手が「負けました」と敗北宣言をしたで、大統領就任が決まる。2000年の大統領選で民主党のゴアと共和党のブッシュが戦い、最後のフロリダ州の開票まで勝敗が決まらなかった。フロリダ州では票数の数え直しまで行われたが、それでも年明けまで勝敗が分からず、結局、ゴアが敗北宣言をしてブッシュの勝利となった。日本のように選挙管理委員会の最終票決を待つことはない。ここらが世界の民主主義のやり方の面白いところだ。

 アメリカが合衆国憲法をつくってから、多くの国がアメリカに倣って憲法を制定した。ドイツはプロシアを中心とした連邦国をつくった。日本だって考えてみれば、江戸時代は徳川を中心とした連邦国家だった。ただ徳川が強すぎたから、諸国は徳川に従わざるを得なかった。

幕府が倒れて、薩長土肥が連邦を形成していれば違う形の国家が生まれていたかもしれないが、薩長は天皇を中心とした国家をつくろうとして、そうなった。植木枝盛が国憲按で連邦制を唱えたのは、そのころまだその可能性が残されていたと考えられなくもない。

 アメリカは13州で建国したが、建国した団体をコングレスといった。今も上院のことをコングレスという。今も昔もコングレスは州一人を選出する。2年ごとに選ぶから、50州で100人の上院議員がいるが、一票の格差は日本の比ではない。ここにアメリカの民主主義の原点があるのだ。もし日本も連邦制的な発想を持てば、例えば参議院は各県一人することだって可能になる。連邦的は発想を持たないと、票は全部東京に持って行かれることになる。

はたしてそれで日本という国家の均衡が保たれるのか疑問となる。このまま人口が稀薄になれば四国で一人とかになりかねない。それは冗談ではない。その時はもう遅いかもしれな い。

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