まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

いつの間にやら・・・ 08 6/20 再 あの頃…

2020-02-29 20:59:14 | Weblog

■「いつの間にやら」

今はピントの合わせ方も変化しているが、無関心が進行しているようだ。


 読まない、聴かない、あるいは関心がない、といった問題が、いつの間にやら大人の世代まで浸透しています。
     ◇
 NHKのアンケートで「二十世紀における世界の十大ニュースを挙げるとすれば」という設問があった。各国の市民を対象にしたものである。
 日本では、一、二に阪神大震災、地下鉄サリン事件、続いてアポロ十一号月面着陸、原爆投下、ダイアナ妃の死、日航ジャンボ墜落、サッカーW杯初出場、和歌山カレー事件などが選ばれている。

 アメリカでは第二次世界大戦、世界恐慌。ドイツでは東西ドイツ統一、第二次世界大戦。共通して原爆投下、アポロ十一号月面着陸、他にペニシリン、エイズの発見がある。

 娘の通う板橋区の某公立高校のクラスでは、はやばやとこの選択結果を授業に取り上げた。
 ことさら順位選別の優劣を問うべきものではないが、「世界の中の日本、あるいはこれからの若者は国際人として視野を広げなくてはならない」という多面的な観察の目標は教育課題にもなっている。
 それを奨励する我が国の大人といわれる世代と、他国民との比較観点は、若者にとって現代の日本人観や、比較研究の良材でもあるようだ。

 NHKによる各国のアンケート結果は、一、二に第二次世界大戦、東西冷戦、そして世界恐慌、太平洋戦争、アパルトヘイト人種隔離政策、ヒトラー、EUヨーロッパ統合、香港返還、国際連合の創設、ソ連解体と十大ニュースが選択されている

 娘と同級生たちは私の家に集まり、この選択課題の理解と、日頃接しているテレビ、新聞に代表されるマスコミの発する情報の見方、問題意識の大人と若者の違いなどを討議した。私は傍らでこの討議の行方を見守っていた。

 

              1989北京

 


 不思議な問題となって現れたのは、「何が選択されたか」ではなく「どうしてこのように他国や自分たち世代とは異なる選択が大人たちからなされたか」ということであった。それは、選択肢が溢れ、情報の発達した社会を共有する先進国との違いに関する疑問でもあった。

 さらに、我々は豊かで自由な社会に住んでいるという認識――戦後、目覚ましい発展をした経済大国と謳われ、いまだにアジア、アフリカに現存する貧困に喘ぐ国々や戦火に逃げ惑う人々との比較による認識――を持つ人々の国際感覚に疑問を持ったことは云うまでもない。
 貧富やモラルの有無ではなく、社会を構成する人々の目的意識や広い観察力、いわば「ピント」の問題でもあった。

 疑問の解決の一助にと、私は、歴史を広角的に観察するための提言をした。
 全てのニュースの基には「人間の欲望のコントロール」があり、それをどのように克服したらよいのか。加えて、日本という小さな国の中で追い求めている成功という果実のためにあるような、地位、財力、学歴など、人格とは無関係な附属価値と、国際人の育成と云う教育課題との関連について考察するように促した。
     ◇
 高校二年といえば思春期の盛りだが、考える対象として、マニュアル化された家庭、社会、組織に、それぞれの「理想像」を持っています。
 考え方も、一方で一面的・枝葉末節的・現実価値、他方で多面的・根本的・将来的、あるいは歴史を鏡として、あるものの価値を認識することとでは、結論が逆になることがあります。

 明治の小学校は「尋常」を頭につけ、急がず、慌てず、平常心を尋ね(養い)、学問の大前提となる長幼、清掃、礼儀を習慣づける(小学)を行っています。

 はたして、アジアの光明と謳われた明治人が、十大ニュースの選択を試みたらどんな選択をするだろうか、興味のあるところです。

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人間考学 石破氏に比して、昇るだけで、くだらない人たち

2020-02-25 12:23:12 | Weblog

           

           上善は水の如し  埼玉県名栗湖

 

昇官発財」とは隣国の官吏のならいだが、官位が昇れば生活は安定し、俸給は担保され、退職後は天下りで民の労を貪る、まさに内なる賊だ。

外の賊 破るは易し 内の賊 破るは難し」外敵は他国、「内」は国内や己の欲心のことだが、これが甚だしくなっている。

 

歴史上、多くの功績をあげた人物でも晩年を汚す者もいるが、人の愛顧として残像し語り継がれる人物もいる。

 

日露戦争では陸軍大臣で将来の宰相として謳われた児玉源太郎は、二階級降格して満州派遣軍総参謀長として乃木を援け、難攻不落の旅順陥落を智略した。人を観る眼も秀逸だった。

官界では変わり者の医官後藤新平を台湾民生長官に抜擢した。その縁はコレラが蔓延していた満州からの帰還兵二十万人の検疫を行い、国内感染を防いだことだ。

つまり、専門は医官だが台湾の民生向上にも役立つ人物として後藤をみたのだ。

 

     左後藤と児玉

 

後藤の人物について孫文も愛顧している

以下は「天下為公」寳田時雄著より抜粋

≪後藤の胆力≫

山田良政は伯父、菊地九郎との縁を唯一の頼りに台湾民生長官であった後藤新平を訪ねた。孫文と山田は初対面にもかかわらず、こう切り出した。

「武器とお金を用立てて欲しい」

 革命事情と人物の至誠を察知した後藤はとやかく言わなかった。

「借款というのは信用ある国と国が何なにを抵当としたうえで幾ら借りて、利子は幾らで、何年で返すということだろう。きみたち青年の志すところは正しく、意気壮とするといっても誰も知りはしない。また清朝を倒すといったっていつ倒れることやらわからない」

「私が君たちの革命を助けるのは、君たちの考えが正しいからだ。しかしそれが成功するかしないかは将来のことなんだ。あなたのような若僧にどこの国に金を貸す馬鹿があるか。それは無理ですよ」

「しかしなぁ。金が無かったら革命はできんだろう。武器のほうは児玉将軍が用意しようといっている。しかし資金のほうだが、事は革命だ。返済の保証もなければ革命成就の保証すらないものに金は貸せない」

「どうしてもというなら対岸の厦門(アモイ)に台湾銀行の支店がある。そこには2、300万の銀貨がある。革命なら奪い取ったらいいだろう。わしはしらんよ」

 靴で床をトントンと踏んでいる。銀行の地下室に銀貨はある、という意味である。

 物わかりがいいと言おうか、繊細さと図太さを合わせ持ったような後藤の姿は、官吏を逸脱するというか、常軌を超越した人物である。また、人間の付属価値である地位や名誉、あるいは革命成功の不可にかかわらず、しかも正邪を表裏にもつ人間の欲望を恬淡な意識で読み取れる人物でもある。

 虚実を織り混ぜ、大河の濁流に現存する民族が希求しつつも、だからこそ、かすかではあるが読み取れる真の「人情」を孫文はみたのである。植民地として抑圧されたアジアの民衆が光明として仰いだ我が国の明治維新は、技術、知識を得る大前提としての「人間」の育成であったことを孫文は認めている。

 それは異なる民族の文化伝統に普遍な精神で受容できる人間の養成こそ再びアジアを興す礎となると考え、そのような人格による国の経営こそ孫文の唱えた“西洋の覇道”に優越する“東洋の王道”であった。

 晩年、孫文は純三郎にむかって

後藤さんのような真の日本人がいなくなった」と、幾度となく話している。

 それは錯覚した知識や、語るだけの見識を越え、万物の「用」を活かす胆力の発揮を、真の人間力の効用として、またそれを日本人に認めていた孫文の愛顧でした。

    左山田純三郎と孫文

 

    兄良政頌徳碑 谷中全生庵

 

本文

異民族に普遍な信頼に足る人物を登用した児玉だが、後藤も似たような人物観がある。満鉄総裁時代山田という社員が孫文の革命に奔走していることを知った後藤は山田に問うた。「満鉄社員でシナの革命に協力しているものは幾人いる」『私だけかと』。叱られると思った山田だが、その後給料は倍になった。そして兄良政とともに孫文に随い、後に孫文の最側近となり,臨終時、妻宋慶鈴とともに末期を看取った唯一の日本人である。また後継総統を尋ねられ蒋介石を推したのも山田である。

現在は中国・台湾でも国父として敬せられる孫文の中国近代化の魁は、このような日本人の協力があって今となっている。その一端を為したのは、児玉や後藤の胆力ある人物眼であったのは云うまでもない。

    旅順遠景

 

秋山兄弟の兄好古も、゛くだること゛を知っている。当時の感覚だが、あろうことか郷里の小学校の校長先生に就任している。

日露戦争の分岐点は黒構台の戦闘だった。好古よって近代化された騎馬兵団を率い、圧倒的なロシア軍を押し止めなければ日本軍は総崩れしかねなかった。極寒の地では鉄製銃器に触れば肌か張り付くような状況での戦いである。軍司令立見や機略に富んだ好古がいなければこの分岐点は防げなかったとは後世の戦史家の語るところである。

その好古は東京にのこって勲章をぶら下げ、戦勲を餌にして人生を過ごす気持ちはさらさらなかった。しかも校長職は、゛下った゛職位ではなく、縁あって軍人になり、日露戦役に従軍し、敵とはいえ縁もない若者と戦い、運よく(天佑)勝利した好古ならでこその思いでもあった。

戦友や部下も失くしてしまった。当てがわれた人生ではなく、郷里の童子と戯れ、人物を育てる、それが好古の最良の人生だとしたら、哀も悼(哀悼)も体現した、自然体として到達した人生なのだろう。

弟の智将真之も戦後は神かがったと揶揄それるような風容だった。司令官の東郷も明治神宮参拝時は敗軍の将のようにうつむいて歩いていたという。

    秋山真之

 

それは勲章をねだり飽食に明け暮れた戦勝気分とは異なっていた。真之は「この戦勝はアジアが植民地の頸木から解放され、再び日中相携えてアジアを興す機会だ」と孫文の革命に協力している。もちろん戦闘中の三笠の艦橋でも彼はそれを冷静に描いていた。勝つことは解っていた・・・、戦闘中その後の経綸を考えていた。

人物」と成るものは、はみな地位や名誉に恬淡である。拘らない、欲しがらない、だから下ることを恥ずかしいとか、名誉が穢されたとは何とも思わない真の教養がある。孫文も「真の日本人」にそれをみたのだろう。

付記すれば、あの維新の功労者西郷も鹿児島に帰郷してからは晴耕雨読の生活だった。あるとき郷の村長選びで村民が右往左往していると、『それならワシがなってもいい』と。驚いたのは村民だ。維新の功労者が村長? 西郷にとっては官位(爵位)や名声などは何の価値もないものだった。

最後に児玉源太郎だが、戦後まもなく亡くなっている。人生は恬淡で洒脱だった。計略は大謀にして計らずだ。

遊里遊びに興を求めたが俗人と違い女色漁りではない。通い路で数人が立ち話していた。児玉は市井の話題に興味があって何かと思って聞き耳を立てた。戦争の話しだ。

戦争は児玉将軍のお陰で勝ったようにものだ。たいしものだ。」児玉はその屯に首を突き出して『へ~、児玉ってそんなすごいのか?』まさか小づくりで着流しの男が児玉だとは知らない男たちは、とうとうと見てきたような話を繰りかえした。うしろ姿で聴きながら飄々と遊里に向かう児玉の足は軽かった。

東京という糜爛し巷では勲章待ちや、パーティーの挨拶役が黒塗りの車に乗って徘徊している。製造会社なら工場で職人と働いた本田のような経営者も少なくなった。長野の井出代議士は郷里に戻って小塾を設けて青年を教育している。

政界のヒラメ代議士からすれば偏屈な印象のある石破代議士は海自の事故遭遇した漁民の自宅に毎年2月、一人で訪問して焼香している。嘘つくこと、隠すことなく、国家の体裁を当時の責任者としてかなぐり捨てて誠実に対応している。意志に応じた家族や隣人は石破氏の選挙応援で選挙区まで行くようになった。どこか粛軍演説で有名な兵庫出石の斎藤代議士の薫りがする

    斎藤隆夫

 

翻って御上御用の小団体の幹部は上部団体の席を競い、町会やPTAも兵隊ゴッコの類でヒラメ官吏に迎合したり、仲間内では鼻を膨らましている。まともな学びが乏しいためか、あるいは士農工商の倣いなのか、妙な疑似階級意識が民癖として沁みついている。児玉のように二階級降格してまで国家を守る気概がない。よって国に靖献した戦士に対する哀悼もない。それが群れとなって雑駁な浮俗を闊歩している

倶楽部を冠とするゴルフ、ライオン、ロータリーも奉仕や貢献を謳うが会への帰属意識ならぬ貴族意識も垣間見える、その臭いがする。

それらは仮装の誇りがあるのか、下らない。

まさにクダラナイのだ。

 

イメージは一部関係サイトより転載させていただきした。

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「人間考学」は無限空間での座標考「心の標(しるべ)」である

2020-02-10 02:23:48 | Weblog




≪解題≫
【寳田氏の「人間考学」を含めて、その他の作品群を集積し、分類し、然るのち体系化することは可能である。作業としてはできる。しかしほとんど無意味だ。氏の思想と文章は一個の芸術だからである。氏のどの個々の作品の中にも全体が貫徹し、全体を観ればそれが個々の作品を写影している。

戦後、発展した複雑系の数学では、これを基本原理(フラクタル)になっているのだが、要するに芸術の芸術たる所以は人々に生き活きとした感動を与える事にあるのであって、体系化や分析をした途端、何かおかしなものになってしまう。「目黒の秋刀魚」になる恐れがある。読者に注意を喚起したい。

※「目黒のさんま」とは七輪で丸ごと焼いたさんまは美味いが、骨を取り頭と尻尾を取って身だけ献上しても丸ごとの焼きさんまの美味しさとは違うと殿様の面白噺である。】



宇宙はどこまで広がっているのだろう。空を見上げるときの疑問である。それは童心でもあり、既成の知を積み重ね、老成しても解くことのできない想像である。

よく空間に仮説を立てて、その中の森羅万象を説明しているが、そもそもその仮説に立てられた「空間」の境の状況は、あるいはその先はどのようになっているか、童心におもった『どこまで続いているのだろうか・・・?』という疑問には、この文明にして、この論理の整えた結果にしても、 だれも納得するハナシはない。未だ、ああ言えば、こう言う、世界のようだ。註釈①


≪註釈≫
古今東西、人間が追求してきた永遠のテーマである。最近の現代物理学(宇宙論)によれば、宇宙年齢は137億年である。これはハツブル法則から逆算されたものだが、実感はわかない。空間の広がりも然り、曖昧模糊としている。カントは「純粋理性批判」の中で、人間の先験的認識について論を展開しているが、我々が宇宙について考察することは暴挙なのかもしれない。


よく、解明されている宇宙の仕組みは10パーセントにも満たないという。
その10パーセントが物理学、自然科学と称してカリキュラムや試験の題になっているが、一過性の探求を事実として刷り込まれ、数値評価の種として食い扶持まで決定されたのでは堪らない。その評価さえ「仮説の修得」という、「仮の能力」の姿として、新説まで否定する権利などはないだろう。もちろん奇説、珍説もむげにはできない。たしかに学び舎では定説に随うことが生きるすべでもあるようだが、それが「仮説」で生きる者たちの絶対範囲のようだ。

ならば、茫洋な姿である宇宙を無限だろうが、有限だろうが、拡大した想像なり考察を縮めて、その人によっては異なる範囲の世界のどこかに一定な位置を標したらどうだろう
まずは東西南北、言い方はどちらの方角が先でもいい。その中にどの方角に変更したとしても、定(観則)点を決めてみる。あくまで己の感覚だ。註釈②


≪註釈≫
然りであるからこそ、どのような姿の標でも「定点を決めてみる、あくまでこの感覚だ」という発想が活きてくるし、非常な重要な意味をもってくるのだ











それは四方でも円周でも現在の時間を見回すことになる。地球の東西の文化や現実の金融情報もあろう。あるいは紛争もあれば、幸せな国もある。切り口はあろうがさまざまだ。

そこに天と地(上下)を加える。
地理上で言えば通常は極点になる。時間軸で言えば横は現実、縦は過去と未来の時間軸にもなるも、あるいは平面を回転させる軸にもなる。
もし、そっくり90度回転すれば、東西なり南北は縦軸になり、横の現実は極点と赤道は規則どおり交互に到来する。

この動作が不規則に交互に回転してきたらどうだろう。
己の座標はどうなるのだろう。また地球外を観照して不規則回転を認めたり、あるいはスパイラルに動く地球内の一点をみとめたら、どのように映るのだろうか。

人間に戻るが、よく推察、予想、など将来観がいわれる。あるいは過去の歴史の考察にある事績の解明、人間の変遷、地球環境の変化、それらは、たかだか人間の思索や観照の果てである。その堆積は「知」や「技」として、今代に現示され用いられている。註釈③



≪註釈≫
人間の思索や観照は影のようなものである。その堆積を無限に重ねても、おそらく真理に集束されることはないだろう。数量的、機械的な集積ではなく、全的、質的な転換(パラダイム)が必要となる。そこにこの存在意義がある。


また、そこには発する場所、つまり座標がある。己の存在位置だ。
これが無くてはどんな論にも貼り付ける膏薬のごとく、言を発し、書類は埋められるが、「本意は解からない」だろう。

あるものは学派や閥におき、男女老若もあろう。思想や生活環境、その慣れ親しんだ感性もあるだろう。能力的には直観力や身体能力もその考察に影響を及ぼすだろう。

ただ、先に述べた座標を考えると、時や状況によって変遷したり転化したりするのは座標ではない。あくまで、転覆や転化は外部なり外周でおきる現象である。

座標の意味からはおかしい言い方だか、ここで云う人間考学は「浮遊する座標」であるが、ヨットのようにバラスト(重し)がそこにはある。ゆえに定点で観る座標では上下水平、あるいはどのように転化しても、その視界なり観察が座標を基に行なわれる。
それは転覆しない、あるいは全体の部分という存在(自分)を見失なわないことでもある。
譬えはどうか、乗馬の呼吸のようなもので、バランスが悪ければ鞍上は常に尻を叩くようになる。この場合のバランスは膝の柔軟さと締める按配である。

しかし概念では一時でも、その瞬間の座標である。否定するものではない、それが生き物としての人間の姿と呼吸の合わせ方だからだ。

異性の好き嫌いが変わったり、食べ物の嗜好や思想の転換も、事実の倣いだからだ。
そこに生きている理由が在り、軋轢がエネルギーだからだ。

ここでいう「人間考学」だが、座標の置き様で良質のエネルギーとなり、世の融解と組成の繰り返しを平常な姿で観察できる「眺め」と「率先」、あるいは「拘泥」と「柔軟」を容易に判別する倣いの学として考えている。つまり縁の機会、運の到来という、合理的といわれる西洋学の整理検証に囚われた論理では到底と解くことのできない部分を、どのように受容するかとの考証でもある。註釈④



≪註釈≫
デカルト以来の機械的な近代合理主義は20世紀以後の量子力学の発展過程で、完全に行き詰まり、もはや我々が期待しているような、いや望みをかけられるような有効性を喪失している。たとえば生物化学の世界では、DNA内の染色体の数量や、その設計図まで解明されているが、だれが、いや何ものが設計を成したかについては全く何も解かっていない。つまり「生物とは何か」については全く何も解明されていないわけです。神の神たるゆえんは此処にあるように気がする。











前記した空間だが、狭いより広いに越したことはない。想像、推考の思考や行動の多面性でもあるからだ。ときにその茫洋さは絶対無限に逃避する向きもあろうが、ことさら物理学の数値探求や宗教に言う神ゴトに委ねるものではない。

宇宙観やその検証の発意は己に在る。意思を成文され研究本なり、仮説は己の言辞にある。それは己の心に宇宙を描くことから始まる。それを「智」と称している。はたまた夢か。
智は錯誤と正邪の切り口を提供する。論争となり、抗論、詭弁、が徐々に増幅され、人の利が絡めば戦争になる。それは智でなく、疑うべき狡知なのだ。註釈⑤



≪註釈≫
歴史的には科学の発展は西洋によるところが大きい。自由と平等の理念しかり。しかしながら狡知と背中合わせの理念でもあった。第一次世界大戦のベルサイユ会議で提案された「人種差別撤退」が西欧諸国において一蹴された事実がこれを如実に物語っている。


人間はその解決の為にまたもや「智」を用いる。「人間考学」の一面は、その解決を他の智を借用することではなく、己の内なる潜在する能力を探し出し、内なる心宮の、仮称「神」なり精霊に問うものだからだ。「神」は示す偏に申す。つまり「示す」行動と「申す」言辞は己のものだからだ。
だからといって宗教ではない。教義もければ、垂直系列もない。註釈⑥


≪註釈≫
私の解釈では氏の謂う「神」とは宇宙の意志であると思う。宇宙それ自体を一つの生命体として把握すれば、この一節は自然に、素直に氷解するはず。したがって当然に宗教ではないし,教義でもなければ、垂直系列でもない、という結論になるはず


それは内在する座標の探求と他との調和のために、あるいは空間における「自由自在の座標」の慣性を養い、他を活かし有効とする人間の「考学」だからだ。

よく時間は伸び縮みして空間はねじれると聴く。註釈⑦何れも定則は無いし、たかだか解明されてない空を宇宙空間(ここでは間(マ)を限定)と呼び、そのなかの米粒のような、あるいは近ごろいわれているナノ粒子の様な地球の時間を大宇宙に当てはめても無理があるのは誰でも承知だ。たとえ地球を周回する人口衛星に周回時間の誤差が数兆分の一あったとしても、大宇宙では数時間にもなる。これほど些細な誤差を云々する人間の知力の証明という代物でも、あるときは定説として、ときに、゛原則的には゛と、数百年にわたる論争を繰り広げたりする。



≪註釈≫
ちなみにアユンシュタインの A「特殊相対性理論」と B「一般相対性理論」を方程式で表現すると次のようになる。
(A) E=MC2(二乗)     (B)   時空の曲がり=物質とエネルギーの分布
(A)は原水爆を生み、(B)は最近の宇宙観測の結果、その有効性が疑問視されている。要するに理論を金科玉条にしたり、彼を神格化したりするのは危険と錯誤を冒すことになるのです。













子供の頃、おもちゃ屋でコマを売っていた。和ゴマも洋ゴマも紐で回転をつけてコマの縦軸を立たせるが、洋ゴマのそれは何処か地球を想像させた。勢いよく回れば軸は垂直に立ち、勢いがなくなればダッチロールして軸がぶれる。もし地球のコアを安定させる回転エネルギー(陽極、陰極)の磁力が衰えたら地球は妙な回転を起すだろうと子供ながら考えた。

太陽のエネルギーは磁力と光熱とは童心でも解かっていたが、これが永劫に衰えないとも限らない。もし衰えたら太陽に向かう傾斜の変化が気候の変化が起きるだろうと想像もした。あるいはコマの回転力がなくなると倒れてしまうのではないかと恐れもした。

ただ、永い時間を刻む地球の慣性と太陽の関係は、自分の生きている時間から比べればことのほか恐れることはないと、それからは考えもしなくなった。それは童心のコマ遊びの、かつ一瞬の疑問だったが、人の慣性と歪み、そして何事もコア(中心核)が一番安心できることではないかと想像した。
今になって考えれば、核は戻るところであり、安心であり、そこから眺める外の世界、つまり脚下でもあった。その足下の有るを知ることが学びの前提だったようだ。

あのアインシュタインから忌避された、いや無理解ゆえに遠ざけられたハイゼンベルグも物理学者の定義や範疇になれば,後世の数値好きに弄ばれる。死者に反論なしを承知の決めつけである。もし不確定要素である仮説を、後世の研究家が確証だと言いくるめても、ハイゼンベルグは「たしかに物理の世界は・・」というに違いない。註釈⑧



≪註釈≫
ハイゼンベルグはアユンシュタインと並ぶ物理学の天才で在り、量子力学の元祖でもあった。量子力学は現代物理学や宇宙論の基礎を原理的に支え、生産活動にも応用されている。(一例 TVブラウン管)
奇妙なことに素粒子の位置と運動量を同時に観測することはできない。素粒子の位置や運動があたかも観測者(人間)によって影響を受けてしまうという状況になっている、と解釈せざるを得ない訳です。素粒子の世界は深遠なる神の世界と限りなく接近しているということとも思える状況だ。
ハイゼンベルグの名言に「部分の算術的総和は必ずしも全体にならない」とあるが、これは彼が晩年に中国やインドにおける古代アジア思想の研究に没頭した所産でもあった。     つまり、二千年以上の時空を経過した結果、古代のアジアの英知、哲学と現代物理学とが見事に符合、調和したということになる。ちなみに現代最先端物理学は真空エネルギーが真理として説かれているが、これは中国自然思想の哲人「老子」と見事に一致している。
「天下の万物は有より生じ、有は無より生ず」


それは人間考学にいう、それぞれの事情におかれている後世の定点観測が、己の位置表現なり、従前の論拠なりに拘っている、いやそうでなければ自己表現のある位置すらオボロゲニなる研究者によって行われているために起きる、゛その世界゛特有の表現だからだろう。

研究者といわれる類いは何処かに納得する処を自身の証として描いている。思索や観照とはそのようなものだからだ。つまり仮説は結論と同義なのである。なかには想像を立てて結論を導くというが、結論なり結果を不思議さや問題意識から、そもそも何々であるという仮説を立て、思考を逆戻りすると不思議さにたどり着く。その不思議を説明すれば論理は成り立つ、そのようなものだ。

畢竟、そんなことは研究者の高邁な理屈を添えなくても人は知っている。いや多くの人々といってもいいだろう。

人間考学はその「学」を超えて思考や想像の座標を柔軟にすることにある。註釈⑨
゛定点が無ければ説明がつかない゛、これは説明好きの世界である。かつ想像力の無い世界である。



≪註釈≫
この一節を真に理解する方法論を二つ提示したい。第一に氏のレベルの感性は(または体験的認識能力)を身につけること。第二に理屈好きの方は、複雑系の数学と数学(非線形幾何学)と現代物理学の基礎(または初歩)を学ぶことが早道かと進言する。









桂林の童




時間が伸び縮みしたり、空間が歪む、空間や無限界では至極当然な現象とみる。なぜなら敢えて空間の見方を代え、時間を恣意的に理解しようとする限定空間の住人には「仮置く」などもってのほかに他ならない。つまり、説明がつかないと多論を仮借するだろう。

だから争うのだ。

もともとたかだか人間の解き明かす能力はみな知っている。だた、少し多く知っているかだ。

それを不確定要素と行った途端、究極の誤差を生じる一過性の機器を駆使し、かつ間違いの多い人間の目と手足で観測して、間違いを言い募る、これこそ人間の動作と反射を考える相対的な科学ではないだろうか。

このバカバカしい反射と動作は、心と体の為せるものだか、ならば座標は物理学なのか。
今だかって解明されることの無い世界、あるいは途方に暮れる一刻、それは物の理(ことわり)を知る以前に、茫洋とした世界の到達を想像しなければ生きている意味もなさない。

定点、限界の実証をしたいなら、自らの及ばざる不確定を観るべきだろう。
外は内にある、内は外に有る。

「壺中、天あり」よく謂ったものだ。註釈⑩



≪註釈≫
氏の小論の最後の一節は見事な表現である。偶然か必然か定かではないが、この一節は道元の著した「正法眼蔵」の帰結と軌を一つにしている。
「仏道を習うことは自己を習うなり。自己を習うということは自己を忘れることなり。
自己を忘れれば,万法進みて自己を証するなり」

註釈②解題者の観を圧縮して表現すれば、「宇宙意志」だ。宇宙意志(神と精霊)は、己を含めて森羅万象を貫徹している。
以上

                 「解題」「註釈」  処士  村 岡 聡 史 



また逢うと 思う心を 標にて
               道なき世にも 出ずる旅かな    龍馬

またあふと おもふこころを しるべにて みちなきよにも いずるたびかな

      「読後感」  龍馬の詠み歌を想起して      大 塚 寿 昭







桂林





いゃはゃ、畏友御両人は小生の拙文に戯れた。
異なることを恐れない独立した意志を掲げる自称奇人達だが、稀な存在と幾分は任じている。

村岡氏は某大学を出て、しかも卒業後莫大な寄付をしたが、大学など行かなければ良かったと、拙者を観て嘆じている。浮浪者と語らい、その哲人たちとの交誼と、図書館を住み処のようにして無上の悦楽を糧として人生を紡いでいる。
まさに交互の糸の網目は精細で無地ながらさまざまな文様を魅せてくれる。

ほんの数分の刻を筆に託した小論てあり、錯誤をも問う拙意だが、瞬時に同感する慧眼には恐れさえ抱く。
つまり、何かに書かされているようだと観た、と。
小生には殊のほか苦手な分野を調和させる、解題、脚注に敬服する。

大塚氏はIBM入社。当時のBK Systemの統括とし指揮し、己の置き所を確認すべく退社、数年間の米国流浪、帰国後著書が脚光を浴び某省のCIO-補佐官(IT担当)として辣腕をふるい、なぜか官域の水を忌避して短期退職、その識見は「人生は喰いに生まれたのではない」と喝破して大丈夫たる人生を闊歩している。人呼んで平成の龍馬とも称されている。
まさに、龍馬の詠み歌にある「標(しるべ)」は、小論の意を龍馬に重ね合わせている。それは龍馬の事績を云々する学究の徒とは異なる人間龍馬の真意に添う氏の観察と矜持のようでもある。

童子心の投げた小池の波紋が、波動となり、躍動となり、大海の変動に相対する力となることを希求して拙い小論の戯れとしたい。

                筆者
                          


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コロナと米国の季節性

2020-02-05 14:45:10 | Weblog

 

 

外電では、中国武漢から始まったコロナウイルスによる感染によって新型肺炎患者は、令和2年1月現在2万人の感染で400人の死亡を伝えている。

市内映像も伝えられているが、交通量、人通りもなくゴーストタウンのようである。

近隣諸国は入国禁止、施設閉鎖など対応処置をとっている。中国政府は突貫工事で病院を建設、住民の武漢市外の外出禁止など彼の国の体制ならではの緊急対策をとっている。

 

政府の政策には対策が有ると、それを感知した人たちは一族郎党を引き連れ海外に逃避している。もともと国家が利を提供してくれるからこそ面前では従っているが、その自由もなく利がなくなれば地球の表皮のいたるところに生息の場を作り、順応できる民族ゆえ、国から離れることに何ら躊躇することはない。

 

「小人、利に集い、利薄ければ散ず」

利があるうちは権力に随い、権力が衰えると面従しながら、他の力のあるところを探す。

これは、裏切りや非国民ではなく、生きることに貪欲、或る意味ピュアで真剣な考え方でもある。そうなると孔子の儒教に代表される道徳的事物は単なる「看板」でしかない。

もちろん、「共産党」も、利するための看板でもある。

できるとき、できる限り、財物を収集する。ちなみにわが国でいうところの賄賂は「人情を贈る」ごく当然な行為と考えている。

 

           

                          北京 知人の絵師

 

四角四面に雑な法を作り、政党助成金、政治献金、補助金、独立行政法人、官吏の数多ある手当など、小賢しくも巧妙に国庫から掠め取るさもしい行為は日本人らしい小者の狡知でもある。「狡務員」と揶揄されるバチルスはとどまることなく拡大しているが、その点、摘発は共産党の方が効果的に進んでいる。

 

ちなみに、数年前の警視庁の捜査2課は摘発件数ゼロ。地を這う捜査で端緒をつかんで立件しようとしても、上部の警察庁の権力御用の御目付役キャリアが、権力の顔色をうかがって立件見送りとする。それが能力のある警察官僚として出世する。

その点、小者でも縛れ、と号令する習近平氏の方が庶民には分かりやすい。

 

       

            桂林の子供たち

 

章は逸れたが、流行病は人の流れと季節が影響することが多い。

米国では季節性インフルエンザと称しているが、無保険の市民が多いことと、高額な市販薬のせいか、その感染は驚くほど多い。

日本では「風邪と感じたら・・・」「くしゃみ・鼻水には・・・」と重症にならない時期に市販薬で抑制する、つまり薬剤メーカーの季節の予防周知?によって効果をあげている。

 

今シーズン(2019後期から2020初頭)の米国のおける季節性インフルエンザは2600万人感染し、25,000人死亡している。入院は310,000人である。

ちなみに、2017~2018年は4,500万人で、死亡は61,000人である。

あくまで、コロナのような新たなウイルスによる感染ではなく、季節性インフルエンザ、つまり風邪である。前記したが、2月現在中国は20,000人陽性 死亡400人である。

 

将来拡大し、適合ワクチンもないというが、数百万人が行き来する空港が数多設けられている日本で、米国の2017年から86,000人も亡くなっているインフルエンザが問題にはならない不思議さもある。アカデミック医療では死者数より、病原、羅患率、治療法の探求などが問題となるようだが、ここでは渡航減少による経済的影響、民情の安定、政治の対応力も混在し、その指標となる羅患経路、死亡率の推測など、民生に心理的影響を生んでいる。

 

だだ、民族的民癖なのか、日本人は安心しているのか、信頼しているのか、歴史的習性なのか、国外逃避は少ない。政府の唱える情報の希薄が無関心、あるいは依頼心と相応して国外には向かわない。ぬるま湯でも言いたいことは云えるし、これが平和だと従順にしていれば、みな同じに生きていけると感じているのだろう。

 

          

              台湾高雄の屋台

 

中国では宰相の任につく「相」は、高い「木」の上に「目」をおいて過去と未来を遠く見ていた。各省の「相」も同様だ。

その「相」は「民」を主としなかった。「民」は、目を矢で射抜いて昏く(盲目)なっている意味だが、追従や盲動はあっても、「主」とは成り得ないものでと知っている。「民」も。税金は納める、言うことはきく、だから自由を邪魔しないでくれればいいと諦観を保っている。 しかし相からみれば「釜中の民」だ。いずれぬるま湯が熱湯になることも知らず釜のなかで生きている民の姿だ。

だから「民主主義・・? よしてくれ、人のためになんか」とも考えているから、ときおり起きる西洋的民主化運動は「あまり勝手なことをして懐に財を蓄え、俺たちのささやかな自由を邪魔しないでくれ」と唱えるのだ。

 

学生も民衆も、西洋的自由と民主や平等を持ったところで、ここに棲み付いた人々の民癖をして、また清朝末の混乱とカオスになるのは目に見えている。また外国に分割された歴史の憂き目になることは十分承知している。

 

共産党でも国民党でも、誰かが便宜的にでも束ねる紐にならなければ、生業のグランドがなくなってしまう。アカデミックには馴染まないが、生身の人間の集まりには穏やかな専制形式が必要と感じている。それが権力と戯れ、ときに反発し揶揄する、その民族社会が、何処か落ち着く巷の風香として察するのがそれなのだろう。

 

不謹慎だが、昔はスズメの一斉捕獲でスズメを捕食したが、お蔭で害虫が増えて飢餓になって多くが亡くなった。昨今は季節ごとのサーズやコロナ、北京の粉塵、滅びることのない民の豊かさになったゆえの風物詩とも思うのだが。

 

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