まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

人間考学  人略 地略 機略  2014 8

2022-09-29 16:39:47 | Weblog

知ったら、想像して、体感してみよう。

学問は行動と化して、はじめて学問の成果という (佐藤慎一郎」


よく戦略とあるが、この場合の略は「戦」をどうするか、こうするかの問題だ。
この「戦」がつくと情報戦、経済戦があるが子供たちの受験戦争もある。
これらは相手より、より多く、より早く、より高度な戦を仕掛け勝利することだが、なかには正対する堂々とした戦いではなく、騙し、欺き、隠す、といった狡知が「術」としてマニュアル化されているものもある。現代はそれは常態化していると云ってもいい。

たとえば、「代議士は人を騙して雄弁家という」が、先ずは錯覚させることが巧い話し方だと、妙に唸らせることが代議士の資質だと覚らせる術がある。立派な内容などは昨今の聴衆にとっては、難しくもうっとうしいことがその理由だ。
その錯覚だが、暴力的武力を「勇」、詐欺的能力を「智」、贅沢を「幸」とする世情なり、成功価値を醸成する「略」が前提となるが、強者への羨望や依頼心が政策的迎合になることを民の習性として熟知した為政者の術策でもある。

よく、国民は困窮しているが独裁的為政者はヒーローとして歓迎されている国家や、とてつもない財力を蓄えた新興成金が歓迎され、ときに目標とされる状況は、閉鎖的情報、画一的思考、宿命的怠惰などに錯覚した未来観があると先導する術策だ。しかも土地環境に習慣化された宗教、固陋な掟や諦観なり民癖を読み取った巧妙な人略、地略でもある。

往々にして独裁的強権に表れるが、あの他民族地域を束ねた中国も専制への批判はともかく、歴代王朝の封建を倒した辛亥革命の孫文、袁世凱はもとより、新生国家毛沢東でさえ、主義主張はともかく専制でなければ砂のような民はまとまらないことを熟知していた。
たとえ、借用思想の共産主義でさえ、最初の唱えは自前の「大同思想」の似たもの転用であり美唱だったが、一方では北方の隣接国ソ連と同じ顔を装う理由があった。元も清もソ連もあるいはその防御としての万里の長城も、すべて北方侵入からの恐れだった。









地政学は今の日本人の発想には乏しいが、孫文は東京駅の喫煙室での桂太郎との会談で、日本の人口増大を解決するために満州の共同経営を語った。
その満洲の考え方としてロシア革命の先導者ゲルショニが孫文に
「シナの革命が成就したらロシアの革命に協力してほしい」と云うと、
「万里の長城以北はわれ関せず」と応えている。
その孫文が桂に云った。
「日本の人口解決は満洲だ。満州を日本の手でパラダイスを築いてほしい。しかしシャッポ(名目的でも頭)は中国人だ。そしてロシアの南下を防いでほしい。もし事情が許せば日中の国境を撤廃してでも協力してアジアを興したい」
「いまは総理を退いているが、その任に付けば実行しよう」
桂と孫文は黙って立ち上がって固い握手をしている

 その後、三井の満州買収計画などがあったが、孫文は桂との約束通り蒋介石(石岡という日本名)と丁人傑、陳基美、側近山田純三郎を満州に派遣している。(三回)
 その現地工作で協力されると思われた頭目に騙されて帰ってきた蒋介石は顔を真っ赤にして「騙されました」と、真摯にわび、その姿を見た秋山真之、犬塚満鉄理事は蒋介石に好感を持ち「今度何があったら援けよう」と云っている。 
                        

 寳田時雄著 佐藤慎一郎先生監修 「請孫文再来」ブログ版 抜粋

 


「天下為公」 キンドル版 公開中



つまり、満州はロシアとの緩衝地帯であり、当時のシナの管轄地でもないことを孫文は語っている。だだ、清朝が倒れてときの革命宣言文では満州も管轄地と明記されたが、その時孫文はハワイに滞在していて関知していなかったという(山田純三郎談)

その後、満州を売る話があったが、当時の幣原外相は「日本人の貴い血を流した満州を買うなら、現地人を総て海に投げ込んでからなら・・・・」と、横柄な態度で追い返している。

思い通りになる相手とは交渉し、ことごとく孫文を排除してきた日本の態度に、孫文が、共産主義は大同思想と同じではないか、と忸怩たる気持ちでソビエトと関係を持つようになったが、ボロジンや欧米工作員の促しがあった。それも日本の偏狭なる対応と現地派遣軍への追認せざるを得なくなった議会人の堕落や軍の増長が結果を誘引したと云ってよい。
この力(覇道)を、日本の繁栄や威力と錯覚した人たちが、まさに群れとなって歴史を導いた。
 その陸軍だが、明治の拙速的吸収は戦術論、つまり対外環境の切迫さもあったが、どのよ
うに破壊し、人的損害を与えることが主となり、そのための組織論となった。

後世の売文の徒は「孫文は裏切り者」と切り捨てるが、人の話を真剣に聴き、真剣に応答したことがあるのか、聴いてみたい。
夜郎自大となった軍部、追従した議会人には孫文が嘆いた「真の日本人」を追求したのだろうか。
たとえ忌まわしいと思っても、痛い歴史を探られようとも、日本人、いや普遍なる人情を交わす隣人に対する大人の態度ではない。
> 

 ならば、他国へ進出する軍人そのものはどのようにあるべきか、参謀本部や将官は占領地をどう運営するか、それはマッカーサーの軍政を比較してみることだ。
 ことに、司令官の人格識見が優れているうちは良いが、妾帯同や利権確保などに夢中になられたら兵士も占領地も堪らない。単なる善い人に当たったらよいが、ごろつき無頼の司令官に当たったら惨禍は戦闘より長期的収奪のほうがより悲惨さを生んでしまう。
 「術」はナルホドだが、「略」が落第では、高学歴無教養のテンプラ知学で選別された学生が、社会では使いものならないことに、ことのほか類似している。
 与える財があるうちは良いが、これが進駐指令官や外交官では国家の行く末は容易に見えてくる。


日中問題の一例だが、これとて様々な切り口と認識があろう、また読み取り情報の虚偽や錯誤もあろう。だだ、当事者からみれば適切であっても相手のあること術策を超えた普遍的な人の関係「人略」、己の位置なり環境を多面的に観察する「地略」、歴史観と時の流れを(機会)を考察する「機略」が、いくら緻密でも補えないことがある。

それは「我が身をツネって人の痛みを知る」情感であり、一方は欲望のコントロールは地域、一国にかかわらず地球を俯瞰視する略、つまり一族、一家、一国にとらわれない良質な情感や想像力を基にした「大経綸」が必要となってくる。



後藤新平





鶴見俊介氏の母の父は後藤新平、父はエリート外交官鶴見祐輔、その父を評して「父は、俳句は作れない。俳句は情緒性を培うものだが、父はエリート選別に勝つために多くの友人を無くし、そのために情感さえ衰えさせた」という。

俊介氏の姉は鶴見和子氏、あの神社合祀による産土神の破壊を危惧し、自然と精霊と人間の作り出す日本人の情緒性を守った南方熊楠氏の研究では第一人者だ。しかも陛下は熊楠の情感に同感し和歌山県田辺にお召艦で行幸され、親しく懇談している。また熊楠は大英博物館では熊楠の椅子と称するものまであり、留学中の孫文との親交も多くの逸話をのこしている。

稿は「請孫文再来」(天下為公)に譲るが、その孫文と鶴見祐輔の会談、孫文と台湾民政長官だった後藤新平の逸話も併せると、機略、人略の要がよくみえてくる。これも縁を頼った孫文との会談だが、児戯に等しいくらい応答が噛みあわない滑稽さが優秀外交官の姿なのだろう。

為政者は、人々からせっつかれるような金銭欲や食欲などの恣意的(ほしいままにする)我欲のコントロールを、これも恣意的な宣伝によって毀損され、国民も自らの行く末をいたずらに恐れ、気ぜわしく競争し,相戦うことを亡羊な気持ちで憂慮している。
彼らにとっては、地政学ですら欲望の充足にともなう大小の恐れと、それに対する策略だろう。誰が敵になり味方になるか、あるいはどの様に変化(気変わり)して逆転するか、狡猾な気分を増長させる学びにもみえる。

欲望の一つに「威を張る」ことがあるが、威張ることだ。
多くは異なるものに向けられるが、子供のいじめも大人の威張りも変わりはない。
威張られては堪らないし、いつ殴られるかわからん、だから逃げるか、生活圏を変えるか、相手より強くなるか、強い友達と仲良くなる。

つまり、その感覚しかないから、外交もそれを前提に邁進する。
旅の恥はかき捨てというが、人を観られることでもある。
お構いなしもいれば、そもそも恥と思わない人もいる。
独裁者が困窮にあえぐ国民をよそに贅沢をすることもそうだろう。








斎藤隆夫

ことさら縁や運に任せるものではないが、いたずらに術策を弄し、言い訳説明に終始しても前には進めない。国民と称する者も、国家との間(ま)が取りにくくなった。それは人と組織との問題だけではなく、随う基となる「信」が乏しくなったからだろう。だから「従う」と感じた人心は離反するのだろう。
だからと云って強権国にみる面従腹背にもみえる民族的性癖はない。だだ、迎合、好奇、が他と同じくする形式礼と連帯の調和力が少なからずある。
欲望の交差点である政治や経済はともかく、生活には術も略も少ない。今は乏しくなったが与えられた国家事情を踏まえた、ささやかな生活計画を描いているだけだ。

何が便利で、何が損得かには敏感だが、だからと云って社会を企図したり、国家に反抗する人も僅かだ。国柄はともかく、人柄は従順だが、異なることへの許容量は乏しい。
 それは人の環境免疫力というべき異物排除の為せることでもあろう。ならば、人たちが一過性の災難や他国との軋轢惨禍を反復して己の人生を計るだけでなく、術や略がときに猜疑心を生み人々が離反することではなく、大謀は計らず」ことを旨とすることだろう。

ある意味では「無為にして為す」ことでもある。
それでこそ「人略」「地略」「機略」を、感知し得る人智だと思えるのだが・・・

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旦那と若衆 09 12/5 あの頃も

2022-09-24 08:10:19 | Weblog

゛近頃の男のヤキモチは女並みになったが、そのぶん女も烈しくなった゛




旦那は古臭いと床の間に上げられ、町衆が明朗会計の割り勘定で行こうとなったが、行き先は今までの馴染みのおでん屋ではなく、カウンターバーのおネエちゃんを話し相手に飲もうということになった。

別ボトルに入れられた色の付いた洋酒とスルメとピーナッツだけで一時間2000円。早めに入ると安いので町の会議と称するものを早々に切り上げてのこと。

旦那はいつもの様にポチ袋に一万円を入れて若者に渡すが、゛チョット用があって゛と、馴染みの居酒屋で独り愉しむ。

若い衆は町の祭りやら長老からの手間銭、そして町の会計予算にある福利厚生費を懐にバーの扉を胸を張って開ける。一応は町会費が振り分けられた福利厚生費だが、近頃の若衆は一泊旅行は気が向かないようで、研修と称して他の町の視察と日帰り温泉やイベント参加が多いようだ。

研修費や厚生費でも自分達で会議と称するものを開いて決めるのだから、一種のお手盛りのようなものだ。さりとて女房がうるさいので一泊までは出来ない。

そうして女房のPTAと夫の町内会は程よく成り立っている。




              

          ゛近頃の野郎どもはホドを知らない゛  竹本談



ともあれ、他人の金には無駄が多い。
接待の相伴、割り勘の居酒屋、大勢で繰り出すキャバクラ。帰った後のテーブルは散乱し、グラスには半分ほどの酒が余されている。公務員でも警察官と教員の宴会は、署長や校長が逃げ出すくらい行儀が悪く騒然となるらしい。なかでも看護婦といわれていた頃の飲み放題宴会はすざましかった。

そのくせ居心地が悪いとパワハラやセクハラを理由にして、宴会さえも無くなりつつあるようだ。

近頃は議員の後援者も其の類だという。その金の種類は政党交付金の会議費に振り分けられているものもあるようだか、ついぞ手持ち金でオゴルことも知らない議員は旦那にはなれない。
それにしても野暮でホドのない連中が多くなった。

麻生総理が「さもしい」と呟いたが、寄生虫のような特別職と後援者は、与野党の別はないようだ。よく市民運動家や庶民の味方と大声で唱えるものは「我々の会議はお茶とアンパン」を売り物にしていた。しかし訴えるものは「分けろ」「平等に」が多いようだが、面白いことに追求は「費用対効果」である。

旦那もボヤボヤして世のスピードに追いつけなかったが、行き着くところは幾らか先見がある。同じことをしても言葉を増やし、ものめずらしい横文字の仕組みを発するが、人間の変化はない。

まして、貰い慣れることと、たまには不特定の若衆に喜捨をすることでは、他人を思い量ることについて天地の開きがある。



           

 ゛形ばっかりつけても、実がなければ・・・゛
                       銀座金春湯  竹本恵贈



近頃では、゛有難うございます、お気持ちだけで充分です゛は、ついぞ聞かなくなった。

税金の色を変えて貰った銭はキャバクらのオネエチャンと胃の中に入るが、これを、゛さもしい゛というのである。

それは一層、激しくなることは間違いない。

しかも、隠れたり言い訳を付ける野暮、まさにバチルス種である。

コメント (2)
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贅沢をするものに憧れ近づき、妬み、そして不幸を待ち望む

2022-09-24 08:08:56 | Weblog

 

 

しょせんラ・ロシュフーコのいう自己愛の観察なのだろうが、どうも、そもそも人間は・・・との問いに頓首せざるを得ない。まだ頭を傾げる姿ならまだしも、おおよそは当てはまる心の深層だろう。

ちなみに、「我々は、どちらかといえば幸福になるためよりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているようである」ともある。

 

当てはまる現象を各々取り上げることも野暮な想索だが、標記を逆に考えれば、己が幸せの羨望を集め、嫉妬されるような幸福感を求めていることなのだろう。

 

 

 

                                       

 

                                ハービーハンコック氏とオスニー・メロ

 

 

ブラジルの天才音楽家オスニー・メロが流暢な日本語で日本人のおかしさを語っている。

エッフェル塔に東京タワー、聞きなれた名称に違和感はないが、彼は東京塔にエッフェルタワーではないのか?との問いだったが、後者はフランス語と英語、だが東京塔は合点がいく。

似たようなものは幾らでもあるが、オスニーには日本人がおかしく見えるらしい。

 

パンツのことも言っていた。女性は下着を見せる(魅せる)ために選ぶという。ついでに化粧もそうだ。多くの見せる相手は同性になる。「どこで買ったの?」「素敵ね」いずれも嫉妬交じりの応答だが、それが何とも気分がいいらしい。男に見せ誉められたり、はたまた欲情を誘ったりすることもあるが、同性への展示には敵わない。

 

こちらも尋ねられた。風呂屋で人のパンツが気にならないのが男。昔はグンゼに福助、近ごろではデザイナーブランドもあるが、尻がたるんで腹が出ていてブランドもない。ところが女性は姿鏡で横を向いたり贅肉を持ち上げたりして悦に入っている。

よってパンツは人に見せることを考えて買うとオスニーは言う。たとえ段腹の下でもがき隠す用もないほどの古裂となったブランド品でもそれなりの用を成しているという。

            

                

 

彼の国の海岸ではヒップアップ矯正した水着が眩しいという。青空の下で裸を競う、いや競えるうちはよいが、オスニーのコンボーザーとしての優れた?感性は、それをも独特な観察眼をもって開放美としている。゛あぶないデカ゛シリーズを始め多くのヒット楽曲やCMを作っているオスニーの日本人観は、錯覚したかのような昨今の成功価値と偏った均一性に絶妙な戯言で聞くものをうならせる

 

東京ジャズフェスティバルでブラジルバンドを引き連れ来日した際も、ハービー・ハンコック等と共演したが主催元の宿泊先の日航ホテルには泊まらず、筆者の店に地下を宿にしていた。理由は店でのセッションとお気に入りのラーメン屋に行くためだった。

                  

               

               Green door

                  

彼の来日時の演奏方法は、ピアノタッチのキーボードの前に座り、ギブソンのギターを抱え、日本人好みの楽曲を自分のキーに合わせ、裏声のハーモニーを挿入したMDをバックに原曲をしのぐステージを魅せてくれる。しかも、一人演奏だがバンドコーラスと一緒のような驚愕なステージだ。

彼はお金を出して聴き,カラダを動かしてくれるような聴衆の、聴きたい音楽を演奏することだと、数多あるオリジナルヒット曲はあえてやらなかった。

あるとき、日本人演奏家が、゛カラオケ゛と揶揄したところ、「自分のキーに合わせ、コーラスも自分、ギターもピアノもライブ、すべてオリジナル・・・・」と諭している。実際、ギターもピアノもミスタッチはない。

 

アマチュアの演奏家や高校生が来ても「一緒にできる?」とやさしくステージに促すが、日本人演奏家は、遅いの、早いの、何が悪いの、と常に排他的で、単に、゛演奏したい゛だけのエゴイストが多かった。

外人演奏家の多くは客と一体になった。行儀も良い。くわえたばこで客席を歩ったりしないし、借りた機材も整え確認する。昔は音楽をするものは不良といわれたが、さもありなん姿が比較される。

                     

 

                

           子供ずきのオスニーは、おもしろフォトを送ってくる 

        

そんな彼らだから本国に戻っても国内転地しても必ず連絡を欠かさない。

オスニーはサンパウロに戻ってサンパウロGRRRN・DOORを開店。事前に名前を使うことの了承を伝え、店のロゴ入りのグッツも送ってきた。ついでに本場のエロチックビデオも送信してくれた。

 

サタデーナイトフィーバーのトラボルタのことで「彼は自家用ジェットと豪邸を手に入れたが、それにつれて太ってきた。太りたくない人間は金持ちになれない。」と、意味深い話を日本人にする。

「いまでもブラジルでは日本人が厠とか便所というが、日本ではトイレ」彼の流暢な関西弁は現代日本人のなくしたものに対して残念がる。平気な日本人だから皮肉にも聞こえるが、考えさせることをビートルズのイエスタデイの演奏直後に言う。

女性にもモテるし潤いの時もよく聞いた。

 https://www.facebook.com/osnymelody/videos/vb.540503906/10154103350878907/?type=2&theater

そんなオスニーが新しいバンドをブラジルで作った。

「ボーカルはないの?」

『人生を懐かしんで、抱えながら希望を持つのに言葉はいらないから・・』

 地球の裏側には別世界がある。

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不忘記  台湾の支援に感謝 2021 3/12

2022-09-21 13:03:06 | Weblog

 

9月18日午後台湾東南部でマグニチュード6.8の地震が発生した。

多くの日本人は、大陸棚の先端に並ぶ島礁に棲む人たちは、人為では購うことのできない宿命を共有している。

そこには政治思想や歴史的経過を超え、かつ経済的対価や幸福観念ではなく自然に湧き出る人の情、つまり「人情は国法より重し」を容易に体現できる関係が培われている。

 

日本語世代  台北

 

台北市地下鉄中山駅で震災10年イベント
3月12日(金)午後7時から
場所:WaterBaseで
講師:伴

伴武澄 について
新聞記者を定年退職後、高知市へ帰り、旧鏡村でシイタケとクレソンを栽培しながら、はりまや橋商店街で毎週金曜日に露天を商い、その夜に「夜学会」を開催するスーパーおじいさん。

     

     

 

 今年1月23日、台北市の「Taipei 101ビル」の上層階の窓に「日台友情」というメッセージが映し出された。日本台湾交流協会が主催した東日本大震災10年目を「日台友情年」として感謝するイベントのスタートだった。式典には台湾の李永得文化部長(文化大臣に相当)も列席した。

 今年2月13日深夜に東北地方で地震が起きた際にも、蔡英文総統は翌日に「福島県と宮城県を中心とした震度6強の大きな地震が発生しましたが、日本の皆さんが無事でいることを信じています。今まで何度もお伝えしてきましたが、これからも日本を応援する気持ちが変わることはありません。

日本の皆さんにとって支援が必要であれば、いつでも台湾はかけつけます。(旧正月)あけましておめでとうございます」と発信している。日本のメディアは震災10年を回顧する記事で満載だが、海外でこれほど日本のことを心配してくれる国はない。感謝しなければならない。

 200億円を超える義援金、85億円の現金配布
 震災から5日後の3月16日。白いズボンと白い帽子、紺色のジャンパーの背中に蓮のマークをつけた一群が茨城県の大洗町に到着した。台湾の慈済基金会(じさいききんかい)日本支部の人々が、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞うためだ。

この団体は、台湾の財団法人「佛教慈済慈善事業基金会」の日本の分会で、本部は台湾の花蓮市にあり、台湾の尼僧の証厳和尚によって1966年に設立された仏教系慈善団体だ。「慈済」とは、「慈悲為懐、済世救人」(慈悲を懐にいだき、世を救済し人々を助ける)という意味で、実践を重視して世界で慈善活動を行っている。尼僧が中心の団体だが、多くの老若男女が賛同し、各地のボランティア活動に参加している。
 彼らは、夜が明ける前に東京を出発し、茨城県大洗町、岩手県大船渡・陸前高田市、宮城県石巻・気仙沼市など被害の甚大な場所に赴いて、気温が10度を下回る中、カレーライス、焼きビーフン、豚汁、みそ汁などの炊き出しを行った。彼らが届けた救援物資は数十トンともいわれている。

この炊き出しは、現地で知らない人はいないが、メディアで報道されることはほとんどなかった。この団体の被災地での救済支援はこれだけではない。彼らは独自に、被災住民に直接現金を配布していたのだ。

役所、公民館や集会場に地元住人に来てもらい、一世帯あたり5万~7万円、一人暮らしの方にも2万円を渡した。配り漏れがないように現地の役所と協力し、お年寄りなど配布場所に来られない人には、直接訪問し、一人ひとりに現金を手渡して回っていたと聞く。

 実際に現金をもらった家族に、取材で話を聞いたことがある。
「台湾の仏教団体が現金を配るので各世帯の代表者は公民館に集まるように、とのチラシが配られました。我が家は父が行ったのですが、世帯名簿のチェックをするだけで5万円をもらって帰ってきました。先が見えない不安の中、本当に心が温まる出来事でした。あのお金は私たちに安心を与えてくれました」と当時を思い出し、涙を浮かべていた。

震災後の復興建設においても、台湾からの支援は継続された。

 病院や保育園の建設
 下記については、中華民国紅十字会(台湾赤十字)の義援金を活用し建設され、その支援は2018年まで続いていたといわれている。これらの建物の前には、台湾の“国旗”と「絆」という文字が刻まれ「台湾の皆さんありがとう」と書かれた石碑が置かれていて、東北と台湾の強いつながりを示している。

【宮城県三陸町】公立志津川病院、南三陸町病院
【福島県相馬市】狐穴団地、南戸崎団地、細田東団地井戸端長屋
【福島県新地町】被災高齢者共同住宅
【岩手県山田町】私立大沢保育園(改築整備)、わかき保育園(新名称:日台きずな保育園)、山田北小学校放課後児童クラブ、豊間根地区放課後児童クラブ
【岩手県大槌町】吉里吉里保育園(移転新築支援)、災害公営住宅

 

 

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馮寄台氏(中華民国駐日代表)と日本

2022-09-20 01:07:17 | Weblog

 
2022/10  コロナ禍で中断していた台湾駐日代表処主催の双十国慶祝宴が行われる。

双十とは10月10日、孫文を領袖とした辛亥革命ゆかりの記念日である。

大陸と台湾は共に孫文を国父として讃えている。歴史的には漢民族が満州族の清朝帝政を倒した記念としての意義ある国の祝い日でもある。

いっその事、孫文の唱えた三民主義で和議ができないのか、それは自由の大義が変容して新自由主義となり、共産主義が便宜上の専制集権の装いだとしたら、共に青い目の謳う主義の借用ではなく、国父の主義を共に掲げたら、民族とくにアジアの国々にも分かりやすいのではないだろうか。

いずれ浮上することは必然であり、必須な人間像でもあるからだ。

まして中日提携してアジアを興し、西洋とも調和して世界を平和にするという大経綸を唱えていた孫文の、日本も拒む理由はない。近視眼的には主義なるものを掲げたそれぞれのスポンサーや小姑が良い返事は無いだろうが、目標や理念さえも抱かなければ変化すらない。


習近平主席   台湾馬総統

 

港区白金にある台北駐日経済文化代表処では日本との関係、とくに国父孫文と革命に協力した明治の日本人や、日本統治下における水利ダム建設によって画期的な農業改善を指揮した八田与一氏らの偉業を展示する催しを随時行っている。

代表公邸に付随するサロンを開放し、革命や殖産貢献者の遺族や交流関係者を招いて、いまも厳然として堆積している事績など、良質な歴史を支え共有している日本人との交誼を積極的にすすめている。

よく人括りに分かったような風で四字熟語を寸借しつつ形式外交をおこなう徒も散見するが、「小異を残して大同につく」とか、蔣総統の「恨みに報いるには徳を以てする」との忠恕を手前勝手に解釈して幅をきかす台湾通がいる
戦後、自民党代表団の訪中(当時は中華民国なので訪中)の際、蔣総統に「恨み・・」について慇懃な謝辞を述べたら
『私に礼はいらない。あなた方の先輩のお陰だ。その人たちにお伝えください』と諭している。







山田良政  恵州の戦闘て殉難

代表處 表敬



それは共に辛亥革命に挺身した革命の先輩である山田良政、孫文の側近山田純三郎、そして朝野の頭山,犬養、宮崎、萱野への恩顧に、その自民党代議士の日中の人間交流の歴史に対する無知を自らの言によって諭している。
つまり、力加減の按配を計る形式外交を、彼の国にある大人ぶった鈍重さではなく、また恩讐を超えた新しい縁の甦りとして両国の先覚者を常に懐(いだ)こうとするメッセージでもあった。

一昨年孫文の側近であった山田純三郎没五十年忌を生地青森で催した時のことだった。
国交時、中華民国大使館の有る頃は、着任、離任時には物々しい警備のなか青森県弘前市の菩提寺貞昌寺において大使が拝礼を行っている。それは蔣総統直々の命令でもあった。そこには孫文撰書の山田良政頌徳碑、蒋介石撰書の純三郎頌徳碑、そこには「永懐風義」と撰し、その革命時の山田の人格を懐かしんでいる。

以前は代表処の文化組長を招聘し講演会をおこなったりマスコミインタビューを行い、その革命事績である頌徳碑の拓本を台北の国父記念館に贈呈した。
その際、感謝状の授与を山田の生地を代表して市長名として請い、永く郷土の誇りとして弘前の人間教育の糧ともなった。記念館館長も多忙のため小生が代理で中華民国国旗である青天白日旗を持参して贈呈したことがあった








中華民国駐日代表  馮寄台氏




その縁もあり、山田純三郎五十忌の開催を事前に馮代表にご案内した。当日はいつもの津軽の曇天が快晴となり多くの関係者によって行われた。その際、住職の赤平さんから「昨日、東京から馮寄台代表がいらっしゃいましたよ」関係者はみな驚き感激した。

後日、御礼にと津軽の人形師木村ヨシさんの孫文と山田兄弟の人形を贈呈した。すると『この人形は応接貴賓室に飾ります。それと来年は辛亥革命百年記念、大々的に行います。協力してください』

代表の動きは素晴らしかった。サロンを公開し孫文展を行い、折からの東日本大震災では多くの台湾国民の賛同を募い、新聞各社に歴代代表として最も多くの寄稿を行っている。それには事情があるという。
各社の支局は北京に駐在している。台湾はその一部としての局扱いで台湾駐日代表のコメントは寄稿の形でしか取り上げられないという。そのためか、馮代表の立場を配慮しつつも、馮寄台風の交流理念と独自の行動施策が思惑や縛りもなく活きいきと記されている。

馬総統と同世代の為政はややもすると経済実利、固陋ともおもえる歴史関係からの脱皮を滲ませた両岸関係や対日政策のように当初はみえた。しかし、馮代表の着任からの対日考察は連帯と実利を歴史を鑑としてバランスよく遂行しようとする配慮と巧みさがあった。加えて黄色いジャンパー着てテレビで日本の被災援助を唱えた総統の姿と、その総統さえ思いもよらない台湾国民の日本に対する熱烈な恩情にその為政の方向さえ転換させる結果となった。

その後、馮代表の深慮は、台中、台日を視野に入れながら台湾と日本の市民、自治体、学術研究など多岐にわたる分野の目覚ましい交流を法的な枠組みが交流の障害とならぬよう政府関係者に促し、アジア流の自由貿易のモデルとしての台日交流を将来的にも高める行動に邁進している。

弘前 貞昌寺 拓本採り   元県立弘前高校鈴木校長

 

以前、毎年東京で開催する双十節記念祝宴について失礼にも問うたことがある
「日本の議員も来日した台湾の議員も経済の数字や新幹線のことばかりで、祝宴の意義である双十の十月十日の革命記念と日本の関わりについて誰も恩顧の挨拶がないようですが、これでは台日は商売人の関係になってしまいます」

馮代表は身を寄せて語った
『来年の革命記念は日本との関係を大々的に行います。祝宴でもそのことを皆さんに話します』

祝宴が待ち遠しかった。多くの友人にもそのことを案内した。そして山田の故郷である弘前の関係者も招待の欄にお願いした。職員はその事情を呑みこめず「地方の自治体に案内は・・・」
『いや、代表の特別な挨拶を聴かせてあげたい。きっと有効な交流があるので至急送付してください』
直前の送付だったが、弘前市の職員は大量のリンゴに華人の好のむ福文字を太陽光プリントして会場の一遇に展示して、郷土の偉人である亡き革命志士も苦笑いの宣伝をしていた。なにしろ革命が成就したら弘前の桜の下で祝宴をしようとした孫文と山田である。双十に桜とリンゴ、意味は深い。

サロンには人形も飾られた。多くの日本人が知らなかった事績が馮代表の発案によって行われた展示によって教えられ、甦った。
いまは八田与一氏の業績が台湾側の企画で展示されている。
本国現地では総統の出席で慰霊と顕彰の式典が挙行され、東京では馮代表が応じた。多くの日本人が忘れていた、いやなかには忌まわしい歴史の同胞と棄てられた歴史の残像と考える人もいるが、台湾は被災への莫大な義援金と民族を超えた先覚者に素直な恩顧を寄せている








木村ヨシ作 孫文と山田兄弟


江の島に児玉神社がある。あの台湾民政長官だった後藤新平の発起で児玉源太郎を祀った神社だ。創建当時資金が集まらなかった。しかし台湾人有志は呼応して建設資金の七割を協賛して建立している。巨大な石の鳥居、使用材は台湾ヒノキ、大銀杏は雄雌一対、コマ犬は台湾の工芸品といたる所に台湾の香りがする。

あの台湾総督であり日露戦争の智将児玉源太郎の顕彰に、かくも台湾人が協賛したのか。日本の施政下での迎合かとみる向きもあろうが、馬総統も思いもよらぬ親日感情に政策方向すら転換を促す潜在する情緒のパワーに、「人情は国法より重し」を実感する。神社は歴史の時空を超えて明治人の普遍な人情を感じさせるたたずまいがある。

馮寄台氏は多岐にわたり広い見識を魅せてくれた。また異民族の人情に教えられた日本人が応えられるかは、今後の秤にかけられる問題だ。
あの、義援金数百億に多くの日本人が驚愕した。そして台湾をマジマジと見直した。若者は台湾の電子機器を買うと叫び、多くの旅行者は台湾を目指した。
また、長い歴史の中で異民族と共通するものや、その本となる人情の発露を想起もした。

ややもすると腰を引くような重いかじ取りを独特な発想と突破力で、今までにない多大な成果を得た馮代表に深甚の感謝を呈上したい。

何よりも、歴史を学ぶことの重要さと歴史への内省を新しい世代が転化する方法を教えてくれたようだ。

孫文は山田良政の頌徳表の末尾にこう結んでいる
「この志、東方に嗣(つぐ)ものあらんことを」

まさに馮代表の言辞と行動は、国父孫文の意志を日本国民に提示したもののようだ。まさに『語りますよ』と約束した祝宴の挨拶は氏の駐日代表着任からの揺るがない座標なのだろう。

それにしても、真摯な挨拶に雑談に耽る日本人が多かったが、この国の将来かと憂慮するのは早計だろうか・・・


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デジタルはオトコとオンナを変えた?    2012 8 あの頃

2022-09-15 04:02:56 | Weblog


妙な切り口だが、一般には便利性が周知され、その多様なアイディアと双方向通信、そして人のつながりの親密さと、一方の希薄さの助長を含ませながらデジタル化が進んでいる。つまり便利性からはアナログが進化したものがデジタルという考え方が一般的だろうが、もちろん技術的な入口は別物である。

一昔前はアナログ人間と喩湯されてもピンとこなかったオヤジ世代も、デジタルの便利性と簡単操作な機器のおかげで今風の家族の疎外感から、少しの息抜きを探し出している。
ビデオが一気に広まったときと同じく、隠れて見るアノ映像が不可能な希望をバーチャルな世界への誘いとして機器の販促に一役買っている。

もっぱらスケベ心と金の世界への誘導だが、無料と課金の騙し合いにウロウロしながらエンタ―キーを押そうか、どうしようかと逡巡している一種の緊張感さえある。
それに加えてオンナが安くなっている、いや「易く」なっている。
世のオトコの懐具合が大きな原因だが、団塊定年を迎えて何もすることのなくなったオトコの隠れた楽しみとして市場は広がっている。

マイクを向けられれば逃げていた世代がカラオケによってマイクを奪いあうようになり、写真さえ影が薄くなると顔を覆っていた日本人が、ピースやチーズの掛け声でしまりのない姿を晒すようになった。

つい最近はあのプリクラにはまった女生徒が流行りに煽られて、個性的なるものを謳う教員(教育労働者)の四角四面の平準授業に真面目?に沿うかのように、同系、同列なファッションなどに嬉々として誘い込まれている。教育の個性化とか国際化はたしかにお題目としては便利な呼び掛けだが、多くの日本人にとっては意味不明な問題のようだ。とくに女子は同性の動きが気にかかるらしい






八景のからす



余談だが、むかしは裏社会といわれた特殊な業界もいまでは素人の参入と、多くの志望者で忙しい時は電話が途切れない状態だという。警察許可営業では公式名はあるのだろうが,通称デリヘルである。デリバリーヘルス訳せば配達する健康だが、今年のゴールデンウイークの盛況は業者もてんてこ舞いだったという。加えてそれを補うデリヘル嬢の充足も近ごろは容易になったと驚く話を聞いた。しかも手取りは一人相手にして一万円未満が多いらしい。

この種の職業にも双方向性のデジタル通信がより便利性を増している。地域や店、そして相手を選ぶのもネットが多く、とくにオヤジ世代の要望がとみに多くなったという。

ある範囲のことだが、同世代の閉じたオンナの方々は、生産の終わったオヤジなど相手にせず、もっぱら同性との歌舞音曲や旅行、なかにはパチンコと、うっとうしいオヤジは眼中にない。残されたオヤジは友人とは疎遠になり、面倒見た部下も来ず、ついスカートのすそが気になる童子還りのような興味は持ち続けている。

立ち飲み屋の話題だが、テンガとかバイアグラだのと、その点は若者と話題は合う。
若者のなかにもテンガの評論家がいて、あのビート・タケシさんも愛用しているとかいう自家発電ならぬ男性用オナニー用具の説明に口角泡を飛ばしている。

ここにはアナログもデジタルもない。オンとオフの点による線描ではなく、緩やかなアナログ曲線は世代を超えて興味を行動に移す体感への願望だ。
標題に戻るが、デジタルはつねにアナログをもとめているが、いまもって届かないという。それがよく解るのは音楽だ。











デジタルが出た頃の愛好家は、アレは真空管には敵わない、硬くてシャカシャカする音だと言って頑なに真空管アンプを探し求めた。アナログは時代に遅れていることの代名詞のようにもつかわれたりするが、音については幾らデジタルが進化してもアナログに届かないようだ。利便性と再現性、そして錯覚、選択の問題ではあるが。
だだ、カセットからMD、そしてCD、HDメモリー、加えて機器の互換性と携帯となると、音の質感より便利性や量の集積、また選別取り出しの容易さは、既存の発想を超えて市場を凌駕した。

アナログの波長は緩やかな曲線を描く。デジタルは1と0のオン・オフでその曲線を描く。
オン・オフが微細になり人間の視聴能力では判別できないものだとしてもアナログ曲線とは似て非なるものだ。だが、その構造を取り上げて機能性の優劣を判別できる能力は人間にはない。判定すら機械に委ねる状況だ。だからバーチャル(虚構)の世界が成立するのだ。

じつは人の生死もスイッチのオン・オフに似ている。その繰り返しが脈となり伝統ともなる。どんな底部なり高部なり、その時々にどのような直線や曲線を描くかは縁とか運に譬えられることもあるが、オン・オフの間の人生をみると如何に断絶した連続線をスムーズに繋ぐかは難しい問題だとわかる。

どうにかアナログのように綺麗な連続線を描けないものだろうか。
人は世俗の欲望にある悦楽や長寿とは別に、生命体としての無意識に潜在する継続本能からすれば、今は人の手に委ねられた操作でのオン・オフや電圧の加減で調整され、その間の栄枯盛衰を描く曲線を定められた宿命と思い込んで、ときに怠惰な人生を描くようになっている。









前記したデリヘル風俗の盛況は単なる社会現象とはおもえない。
終戦直後の女子は粗食だったが体温は37度あった。男も少なかったせいか繁殖はすざましかった。いまは繁殖行為の対象は変化しても、当時より望念は強くなった。ともに女が強く烈しい時代だ。
また欲望もリアルでダイナミックになった。横文字では半納得だが、オトコはAVマニュアル、オンナは感度の探究に走った。マグロが大蛇になってオトコに絡みつく。
それはオトコの尻を叩くように、しかも貪欲さを媚態で隠すことも知っている。

隣国のバーバリズム(野性)は色、食、財の素直な欲望として歴史の事象の裏側の要として支えている。戦いは女と喰い物と金の収奪を目的としてオトコの種の拡散と保存を旨としている。

アカデミックな歴史観では明け透けに記されることもないが、究極は凌辱による血の混交を防ぐのが戦いである。オトコが血を流すのもそのためだ。

近ごろは熟女と称して主婦のデリヘルに応募が多い。AV出演もひきも切らず、不倫も多い。景気のせいだけではないが、オンナの動態が妙になっている。処女性や操(みさお)などは死語となっているようだが、この世界での市場も質より量となっている。







亀集団


いつも小難しいといわれ当ブログに再三とりあげている「五寒」という亡国の徴にある「女厲」(じょれい)を説明しているが、「女が烈しい」とはオトコに対するものだけでなく、オンナの欲望のコントロールが緩み、かつ際限なくすすみ、自ずから行く先を失くしてしまう、つまりオンナだか何だかわからなくなる状況なのかと理解する近ごろの女厲状態である。

もちろん、そのほかの敬重(けいちょう)、政外(せいがい)、謀弛(ぼうち)、内外(ないがい)にある、敬うこと、敬われる対象が分からなくなる、政治のピントが外れる、はかりごとが弛む、漏れる。家庭、国内,自身が治まらなくなり外の状況や流れに盲動する。そんな状況と女厲が重要な亡国要因として記されることは、きっと今の姿を表しているのではないかと納得する状況である。

デジタルは双方向に功利があるとは言うが、あくまでプラットホームに並んだ人たちをひと括りに課金なり流行思考にのせる経済的手法が主のようだが、どうも男が落ち着かないのはスカート丈と隠微なスケベ心が災いしているかのようだ。

気分は否定するものではないが、落ち着かない災いは、あの試験オタクの大蔵省の贋エリートのノーパンしゃぶしゃぶですら、陰湿な覗きにうつつを抜かす時代をみても、あるいは税の発するところハイエナのように群がる今風の日本人には双方向性は便利、功利性を進捗させても、世上の人間学的観察では、「そうゆうものか・・」と、エントロピー曲線の底を実感するのみだ。










「男は疑獄、倒産、大病を経て一人前だ」とは北九州の加藤三之輔翁の言だ。
一方「不倫、離婚、慰謝料」「詐欺、逃避、入獄、」など、巷間の話題の興味をさらっている。どれも法匪の食い扶持に誘引されている。ちなみに官僚は「隠蔽、黒塗り、廃棄」だ。

世はデジタルが歓迎され多くの市場を創出しているが、オトコとオンナの双方向が逆進するように関係を乖離している。腹の探り合い、駆け引き、それが近ごろではオンナの一方的行動によってオトコは濡れ落ち葉のごとくへばり付いて「性」そのものが憤死している。

それは、応用力、即決性、突破力、構成力、俯瞰性、順応性、を疑われるようなオトコの出現だ。アナログどころではない、情に感応することもなければ、問題の在りところも分からない「自己隷属」のみのオトコの姿だ。

それを文化的進歩という人もいるが・・・

アナログがデジタルになってもオンナは軽くなり、オトコは暗くなる。要はコンテンツ(内容・内実)とは言うが、それも流行り機能の限界なのだろう。たしかに「端末機器」とは巧い名称だ・

ITがICTとなり、インフォメーション・コミュ二ティー・テクノロジーと至極当たり前な提唱がされたが、そのCとTの境際にあるものは何なのだろう。たんなる利便性なのか、それともアンプ(増幅器)とミキサー(調整)のようなものに、イコライザーのごとく、異音排除と整流を加えて原音をバーチャルな音に換えてしまうのだろうか。

近ごろではアコーステック音楽が見直されていのもその反動なのだろうか。それとも騒がしく、落ち着きのないことからの逃避なのだろうか。

シリコンバレーも少し雰囲気を変えていると聴くが・・・

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あの時は・・貪りの民と税の騙取   2007/11再

2022-09-12 13:08:18 | Weblog

            19,10/28 弘前城公園


 平成6年の年明けだった。細川首相の公約でもあり、政権の成立要件でもあった政治改革法案が産みの苦しみを経て成立して間もなく深夜の会見で、国民福祉税の創設と7%の税率設定、ついでに景気浮揚を賭けた6兆円の減税案が発表された。

伏魔殿の公(狡)務員が一生懸命に考え意をこらした案であったのだが、役者に口上を語らせても意図するものまでは教えず、かといって舞台のそでから教えたのでは千両役者も大根になってしまう。
旧政権にはない明快な口上であることは疑いもないが、国民にとっては慣れていないせいか“間”のとりかたが難しい。

演出家にとっては反対、賛成も織り込み済みの大芝居の幕開けである。
「自立した民」の湧き出ずる序曲であるかのようにまずは「反対」が出てくる。
論語 泰伯に“民はこれに由(よ)らしむべし、これを知らしむべからず”とある。 意味は、民は君主に従わせることはできるが、その理由を理解させることはできない。ということである。

反対は様々である。“なんで突然、発表するのだ”“わかっているが…気持ちの準備が”“名目を変えた消費税だ”総理も自信もなく発表するものだから、国民も総理個人に高飛車な反対意見が出しやすいらしい。

隣のお坊っちゃんに“八っあん”“熊さん”が苦情をいっているようなものである。 なかには、“あいつが賛成だから反対だ”とか、“やすやすと賛成したのではメンツが立たない”などと日頃の群行群止がここぞとばかり隊列を整え始めた。
降って湧いたような話ではあるが、双方が“国民のため”を合唱している。










ある代議士が唱えていることに耳を傾けてみると
「自由社会での福祉のありかたや、地政学的に観た国土の環境を考えると、他の自由主義、民主主義、資本主義を掲げる国家とは自ずと国民の国家に対する表現方法は違う。 他国との交易で国家の「養」を維持しようとするなら、少なくとも共同で関わるべきことについて価値感の共有をしなければ経国は難しい」

税ひとつとっても百花争鳴の有り様である。建前なのか主権負託行為(投票)とはどこまでの許されるべき範囲なのだろうか。


 以前は外交交渉についても、代表者が国内向けとは掛け離れた論法で上手に取りまとめたのだが、情報公開あるいは漏洩、はたまた国家衰亡の兆しだという漢の「五寒」にある「謀弛」(はかりごとが緩む)によって“言論貴族”売文の輩”を湧出させ、まとまるべきことが破談になってしまう傾向が近ごろ多々みかける。

また当事者である議員も“顔売り”と称して商業マスコミに登場して根本問題の理解力、判断力、に乏しい大衆に向かって“逢場作戯”(その場そのときの演技)に熱中する。なかには役者化粧をして表面を飾る者も出てくる。

現在は一人一人の資質、もう一歩掘り下げて考えるに、明治以降の富国強兵政策による官制教育の一元化、それにともなう知識、技術の習得と、その能力を唯一の価値として地位、名誉、財産まであたえた属性価値の見直しであり“日本人とは何か”の問いかけが重要になってきている。







江の島 児玉源太郎を祀る「児玉神社」爾霊山(203)標石




いわゆる国家とは、民族とは、人間とはの問題意識であり、歴史の真実、真理から将来を見据えた現日本人の覚醒であり、我が国の“内なる独立”に欠くことのできない政治、経済、教育、民生の改革命題でもある。また気に止め始めた時代のシグナルでもある。

このことは単に、方法論や想像目的を設定するものではなく、正に大上段から振り下ろす問題でもある。 しかも政府の政策を待つものではなく、民族あるいは同環境に現住するものの本能的危機から生ずる自主的な社会改革運動でなくてはならない。

 人口やゴミ問題、環境、陋規の崩壊、怠惰からくる怨嗟、公徳心の欠落、これらは御上の下達を待つことでもない国民各自に与えられたささやかながら宴の後の“片付け”であり歴史の中に存在する責任でもある

 それは虚偽の属性価値である地位、学歴、財を問わず、貪らないもののみに与えられた天の配財である心の“放心”を我が身に取り戻した「人」のみ為せることでもある。

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「台湾は誇りだ」と中華街の声  あの頃

2022-09-08 01:07:04 | Weblog

「台湾は誇りだ」と中華街の声

 

数十年も通い慣れた横浜中華街だが、これほど清々しく彼等の笑顔を見たことは無かった。

それは台湾系だけでなく大陸系の華僑にも伝播した。

古老が亡くなれば誰からともなく知らせが届き、葬儀に参列したりして多くの縁があったつもりだが、この歓喜に近い故国への賛辞は懐かしくもうらやましい姿だ。

 

台湾の地方自治交流  青森県平川市

 

ことは災害に際しての台湾の援助のスピードと量についての驚きだった。

『聴いて、きいて・・すごいね台湾は。私は日本で生まれて此処の小学校を出て、ずっと中華街で暮らしているがこんな嬉しいことはないね』

 

普段は感情表現も少ない初老の女性店主である。生き字引のように人で、ある意味日本人のような視点で華人を見ているが、近頃の新華僑といわれる華南系との軋轢が目立ってきた旧華僑になる女性だが、日頃の鬱憤が一挙に吐き出されたようだ。

『国民党も民進党もないよ。今回の台湾のやり方はすごい。私は、政治は嫌いだが今の総統は偉い。善いことには人の顔色を見たら何もできない。困ったらお互い様だょ』

 

「本当に嬉しそうだね。今回のことは本当にありがたい。でもお詫びしなければならないのは、中国に遠慮して政府の対応が、始めはっきりしなくて迷惑をかけてしまった。日本人として恥ずかしい。先日も代表にお詫びを申し上げた」

 

『分かってるよ・・・』

高雄 恒例となった高齢者施設の訪問   右 西館好子さん

 

彼女たちは日本の腰の引けた政府対応に非難しなかった。

彼女は筆者の難渋を理解していた。それが華人の生き方であり情なのだ。日本に帰化して故国の非難を悪しざまに書き連ね、それが軽薄な日本人の歓心をかうことを計算する文筆家もいるが、彼女には父の母国の非難する心はない。

政治は解らないというが、台湾のおかれている事情も熟知している。大陸との間を測る姿は、日本における華人の生き方に似て芯を包むような柔軟さがある。また笑顔に包まれた意味を知っている。

 

いま、震災の影響で横浜中華街は閑散としている。理由は中国人調理人やスタッフが帰国して店が運営できないこともある。それは都内のコンビニのアルバイトや東京で生活を営むファミリーも一斉に帰国したため、アパートマンションを引き払い不動産状況も激変したことも同様な影響を与えている。

理由は地震に仰天したこともあるが、福島原発の放射能に瞬間反応したことでの一斉帰国だ。

 

台北  日本語世代

 

振り返ってみると外国人の流入が顕著になったのはイラン、パキスタン、バングラデッシュなどの若者達だった。景気が悪くなるとその流れは中東に向かった。次は韓国と中国、そしてインドになった。またフィリッピンの女性もホステス、ダンサーとして訪れた。彼等は技術知識を習得して母国に戻るもの、あるいは日本人と姻戚関係をもって永住している方々も多い。

 

異なるところは、彼女は台湾での当時の日本人を知っている。それは語り伝えられて生活に浸透している。中国の力を恐れて浮き足だして海外に逃避する台湾人も知っているが、祖国を捨てない人々がいることも知っている。

 

当時の日本人の愛顧は、今でも彼女の生活姿勢となって日本人と暮す中華街が好きだ。

だだ、商売になると近隣の挨拶など付き合いを大切にするあまり、新華僑の姿に苦情が出る。゛どうして、そうなんだ゛という煩いである。

台北  朝礼の国旗掲揚

 

彼女は、変わりない生活を続けている。景気が落ち込もうが、災難があっても、淡々と生活を営んでいる。そこに久々、故国の感動を添えた行動が厳然と行なわれた。

『すごいね、台湾は』

何度となく繰り返された言葉だ。

 

≪すごいね、日本は≫

ついぞ、日本人からは聴かれなくなった。

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日本人として「思索力」と「観照力」を奪われて久しいが 09 1/22再

2022-09-05 06:47:11 | Weblog

 

いつの間にか・・・

そのように、なった。

 

以前、記したことでもあるが200年以上前の或る企ての章に

・・・われわれはすべての信仰を破壊し、民衆の心から神と聖霊の思想を奪い、代わりに数字的打算と物質的欲望を与える。

思索と観照の暇を与えないためには民衆の関心を商工業に引き付ける。 

そのようにしてすべての人々は自分の利益のみに没頭して共同の敵を見逃してしまう・・・・と記した。

部分の現象に証明を・・・、などという西洋の科学的合理の説明に陥ることに慣れた思索は、時空を超えて俯瞰視した人間の変容を直感することに否定的な学の形態でもある。

一方、東洋の学びには、もともと公式や原理などは存在し、たかだか人間の知能で後の世に「発見・証明」して公式や定理とすることより、人間種を含めた数多の生物が存在する形態そのものが証明する姿であり、あえて文字や数式で表すこともなく、まして発見などとと大げさに唱え、名を刻むなどは相容れない表現方法だと考えている。

植民地時代のインドの無学歴(制度内の施設における学びのない)な数学好きな若者が、王立アカデミー会員でも解けない公式を証明した。かれは歴史に浸透された思索力と「直感」で答えを導いたが、「証明」が必要だとイギリスの教授は言う。彼のことを思って促しだが、その教授に向かって「あなたは証明できないからといって神の存在を認めない。直感は私たちの想う神の存在なくしてひらめかなぃ。」それは、たとえイギリス人から無学で未開な人達と見られても、神の存在を想像して認知するものは、もともと厳存する公式などあえて証明することなど必要ないと。

その直感を知りたければ、西洋の思考回路や考証のシステムに沿うのではなく、直感の在り様を驚愕しても信じない己の心根に探るべきであり、そのインド人の情感なり発生の原点に沿い、求めるべきことだと諭しているようだ。

つまり解らないことを証明という方法で理解しようとして悶々と争論を繰り返すより、もともと存在することに気が付かない無理解、無感覚を問題視することだといっている。有るものを想い起し、想起し、直感する精神の枯渇だということだ。

文中に表記している企ての章は(青字)、その高尚といわれる西洋的思考なり証明を絶対視する学派には、いとも簡単に陥る、あるいはまんまと引っかかる人間の推移だ。

数学的証明はときに神や精霊を亡羊なるものとして否定し(理解不能)、数字的多寡の問題を絶対視するビジネス(商工業)に繁栄のみならず幸福感までをも証明正論として、それに邁進し、煽り、政治目標にすらしている。

これこそ冒頭に記した企てに、易々と誘引される社会や人の形態である。これでは問題が起きても解決のすべはない。競争は激化して人情は薄弱になり、架空もしくは想像のなせる繁栄目的のために他に侵入し、惨禍はとめどもなく継続する。

科学技術や生産の分野では量子理論の援用がいわれて久しい。

それは、突きつめればファジー(あいまい)のような世界だ。

つまり現時点では不確実性という世界の実存だ

たとえそうであっても 現実世界のさまざまな仕組みや論理の成立などは、ファジーでは説明に適さない。さまざまな理論を発したアインシュタインは想像力の大切さを説く。これとても証明結果には多くの時を要する事もある。

普通に考えれば、やっかいな世界に入り込むような拙考だが、水と油が的確な分量と送り出す速さ、そこから生ずる微量な熱量、混合を促すスパイラルな流動の仕組みを作れば、そのエマルジョン効果は有効なエネルギーを生み出すのではないだろうかと。

それは一般の考察では不調和、不確実と思われていたもの、あるいは人間間の起きるのあらゆる問題、そのために理念目標は共に描いているが、なぜか滞留している問題を解きほぐす切り口の変化や、既存意識の更新になるのではないかと思うのだ。

筆者は拙い考察だが、それを「人間考学」として、ブログ標題の冠に加えている。

 

             

 

 

以前拙章に国家は複雑多岐な要因で構成され、目に見えるものとして民族、伝統、領土の三要素があるが、加えて精霊の存在を記し、かつ民族の地域性などによって培われた情緒性の如何と、それを考え習慣化する一人ひとりの思索と観照の重要さを記し、其の衰えの兆候をさまざまな事象を捉えて著した

昨日の小章にも人物の生き様と魂を撰文した頌徳表を紹介させていただいたが、これを以ってしても深遠な魂の存在をわが身に浸透させることは難しいことだ。

かといって容易に「ひらがな」や例題を挿入することの易き姿は、より其の存在をおぼろげにしてしまう、つまり思索のすべを奪い、安易に傾斜して忖度などという情の交感である、゛おもいやる心゛すら起こすこともなくなってしまう。


それは芸術にある音楽、技芸、文芸、詩歌なとが解り易い表現、ここでは思索と観照の衰えに随った範囲の表現になり、それが商業的になればなるほど、゛易しさ゛が進捗されるようになる。

難しさを探求する前段の厳しさの後に訪れる。いうも言われぬ優しさや潤いすら感受できなくなってしまう。心の感動と開放感、つまり独り(独立した)で感ずる真の自由である。


 

厳しさ 優しさ 協働の感動 縦横無尽な発想

本田宗一郎氏            

 


その自由だが、企てが以下に続く

《・・・・自由と民主主義が社会を瓦解させてしまうためには、商工業を投機的基盤(株、為替)におかなければならない。

そして商工業が大地から取り出した富は民衆の手から投機家を通じてすべて我々の金庫に収まる。 

経済的生活で優越を得るための激しい闘争と市場での絶えざる投機は人情薄弱な社会を作り出すだろう。 

そして、高尚な政治や宗教に対して嫌気がさし金儲けに対する執念だけが唯一の生き甲斐になるだろう・・・・・》

まさに人間を科学として陥る欠陥、つまり自らにとって有益な他人となるか、無益の他人になるか、しかも、その欠陥を自らの欲望のコントロール不可能になるように、此処では触媒となるビジネスと呼ぶ商工業と財貨に指向させ、昂進のための添加思考として自由、平等、民主という到達不可能な美語(スローガン)をもちいてコントロールの容易な人間に導いている。

それらは一群となり彼ら笛吹きに随っている。また大きな政治形態の催すイベント就任式での空想目標すら救世主のように歓迎するようになり、それは心の集約ともいえるような、降りることができないステージ上の独裁状態でもある。自由と民主と平等は恣意的に使えばまるで病に罹るように拡大し、かつ一極に収斂される。

先ずは暦と通貨の平準化、そしてシステムと、以前記したのはその意味でもある。
便利な暦と潜む風習、所持危険な現金と煩雑な為替通貨からキャシュレス、縦断的な時間の管理と力に随う機械的システムなど、便利さと安全性を謳って収斂される。




              


さて、自身はどうするか。

ひねくれ者だが、言葉と文字、固陋なる習慣を再度人々の底流に流したい。
歴史を書き換えたりするエネルギーは無いが、危機を察知できるかけがえのない潜在していた直観力が溢れていた童のような不思議感あふれる生活を想起したい。

まずは一時叫ばれていた憲法の前文考に文字と習慣と、己に潜在する素朴と純情を添えてみたい。

いまさら、古臭い、難しい、との他評は問うまい。
「易きもの」より歴史に厳しくも優しい態度で臨みたい。




             


それは偶成の起文だった。

その時、誰かの試案が大新聞に載った。

「東は太平洋、西は日本海に囲まれ〜」

教科書のようで分かり易い、つまり易しい。だが優しさではない。

どこか戦後流行った若者の大衆アジテーター高齢版のようにも想像が働いた。

これでは鎮まりを護る「鎮護の国」の文の薫りがしなかった。

英訳には馴染み容易だが、果たして経年に耐えるだろうか、変化を想像し得るだろうかと。

ヤサシイを勘違いすると、対象の程度に合わせることは耳に易しいが、将来を深慮して、ときに憂う、優しさ(人篇に憂う)はない。

私事だが、安岡正篤先生に拙文の添削の折、

『文は巧みだとか下手だとかは問題ではない。今どきの世俗に迎合したり、分かりやすく説明したりすることではなく、50年、100年先を考え、その時の人物の精神を振起、作興するような書き手の誠意が文に表れなくてはならない。社会や国なるものは、一人の愚か者で滅び、独りの賢者によって興る。遺す文はそれを考えて、しかも短く記したら宜しい。』想起文

思い付いて30分余りで(偶成)著した拙意だが、内心を照らし、ときに省く自家製の懐中薬として、為政者の鎮まりや異国の旅や交流に際して、心の則に用いている平成の回想文です。

 



憲法前文私案

四方(しほう)蒼海(そうかい)の鎮まり(しずまり)に在る(あ)我国の美風(びふう)は、国家創立の礎(いしずえ)として顕示(けんじ)されている古代(こだい)律令(りつりょう)にある矩(のり)を範(はん)として、人間の尊厳(そんげん)を祈護(きご)する心を継承したものである。

その意思は万物(ばんぶつ)隣邦(りんぽう)の共存と安寧(あんねい)を謳う(うたう)皇道(こうどう)の祈念(きねん)を国維(こくい)として、国民に於いては等しくその目標のために勤めるべく、志操(しそう)の涵養(かよう)と相(あい)慈(いつく)しみあう姿を願うものである。

それは人々の連帯と調和を司(つかさど)るために古人(こじん)が宗(しゅう)とした我国の徳目(とくもく)である、勤勉、正直、礼儀、忍耐を基礎とした人格による徳(とく)威(い)の修練を求め、歴史の栄枯(えいこ)盛衰(せいすい)に標(しる)された内省(ないせい)を鑑として、地球史に普遍的な恒心(こうしん)の自得(じとく)に他ならない。

この憲法は人間の尊厳と、それを扶ける綱目(こうもく)を表し、我国の清新(せいしん)な国民意思を次代に継承(けいしょう)祈念(きねん)すべく公布(こうふ)するものであるとともに、諸外国との善隣(ぜんりん)厚誼(こうぎ)において有効な日本国民の意思として掲げるものである。

 

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死に方もいろいろある  そのⅠ

2022-09-03 01:45:34 | Weblog

 

 

以下は筆者の備忘拙意と、参考に人生の恩師、佐藤慎一郎先生の教授案を参照として長文になっています。

 

 

人生五計」という。

恩師である佐藤慎一郎先生は人生について「五計」があり、最後の「死計」を考える上で他の生計,身計(身許)、家計、老計をいかに過ごしていたかによって、死の計画はできても「死にざま」が異なると筆者に説いていただいた。

満州の馬賊は官警に捕縛され首を刎ねられるとき、透き通った青空をまるで鳥を追うようにして眺め、かしも目元は穏やかで、死への覚悟というよりかたどりついた寿命のように達観していた。

「私は死刑判決を受け、刑務所の空き地で穴を掘った。墓穴だ。生徒たちには、自分で墓穴を掘ってはならないと教えていたが、まさに自分が入る墓穴を掘っているのだと思うと笑いがこぼれた。すると銃をもった看守が『お前の子供は何人だ』と尋ねられた。

オトコが四人だと応えると、フ~ンと考えて『今から逃げろ!』という。

机でも、天でも支えがある。とくに四人はメデタイものだとの考えが彼の地ではある。

すると空に向かってパーンと銃を放った。『早く行け!』

それから命は己だけのものではないと考えるようになった。死に方や場所まで想像することもなくなった。」

佐藤先生が逝ったのは病院のベット。亡くなる直前まで話はできた。

後は頼みますよ

いつもは「さよなら」と送られたが、その時は満州の大立者王荊山の遺子を伴っての面会だったが、起き上がることは困難だった。

遺子は「いま、聞こえましたか?」と尋ねられたが、振り返るのも辛かった。

翌晩は深い息を聞きながら一晩、傍にいた。「頼まれても・・・」、何を言おうとしていたかは解りすぎることだったが、まだ傍で視ていて欲しかった。分かっているが、何処かいつまでも死なない師だと思っていた。甘えではない、師と遠望した経過と結果を見せたかった。

足の指の股からふくらはぎをさすり、ずっと手を握りしめていた。いつまでも届くことのない頂(いただき)にいた先生だったが、登り方だけは浸透させていただいた。

困る・・・」言葉に出るが寝床の調息は深く途切れることはなかった。

翌日、ご逝去の報があった。涙が落ちないように天井の敷目を数えた。

ご逝去は、まさに独りの死だった。人の手も借りず、いたずらに死期をあやつらず、自然に任せた人生同様の逝き方だった。

 

ささいな体験だが、故西部 (にしべ すすむ)氏は死ぬときは人為的な療法に弄ばれて死にたくはない、そのため自裁すると広言し、弟子すじの人に頼んで身体を縄で固定し、一方は立ち木に括りつけ入水した。

飛び込んでも何処かに流れ、あるいは魚の餌になってはならないと思ったのか、はたまた、死体が行くえ不明になってはならないと思ったのか、幸い綱はほどけず長さの間隔を保って発見された。できれば溺れ窒息した後、死亡を確認して引き上げれば当事者以外は迷惑も掛からず、騒ぎにもならなかった。

最後は水の流れに任せて、弄ばれたのだろう。

その報を聞いたとき、自分の墓の穴を掘りながら可笑しくなった師のことを想いだした。

 

            鉄舟

                

                      海舟

 

山岡鉄舟も想い出した。

死期が近づいたと察した鉄舟は、皆と語らっていた。

かねてから用意した白装束を着て寝床に戻り、胡坐をかきタバコをふかして禅座瞑想した。金剛経一巻を懐に入れ、左手は念珠、右手は団扇をとり静かに周りを見回した。

一人一人を見回して微笑んだ。

じゃ、みな達者でな、おれは先に逝く」そして瞑目した。

次男が飛び込み泣き出しそうに「先生!」海舟もずかずかと入ってきて「山岡さん、どうだね」と。

鉄舟に「これから逝くところです。ごきげんよう」と静かな呼吸を刻んだ。

呼吸は、静かに長く、みなが気付いたときには、そのまま亡くなっていた。

笑みは消えず、身体は崩れない、五十歳だ。

 

 

      

      山本長五郎 (清水次郎長)

 

清水次郎長も飛んできたが間に合わなかった。

子分が三度傘に合羽姿で喧嘩仕度の約百人だ。鉄舟に抱きつき「なんで俺をおいていっちまうんだ、ヒデェよぉ~、」と泣きじゃくった。

葬式は次郎長一家のキビキビした仕切りだ。葬送の後についたのは二百人の江戸の乞食が泣いてついて行った。(筆者新篇「愚案」より)

 

今どきは葬式外交といわれ花輪の数や回送人数、はたまた有名人はいるかなど騒がしいが、むかしは人の送り方も送られ方も、死を嘆いたり評したりはしなかった。

まして、病院などでは生まれてくるものもなく、自宅で産婆さんだ。死ぬのも病院などない。生きるも死ぬもキレイも汚いもない。

酔っぱらってドブに転げて打ちどころ悪く、汚水に顔を突っ込んで死ぬものもいれば、大勢を呼び寄せ言うべきこと、言いたいことを大声で広言してから逝く人もいる。

あるいは、意に沿わない人間の前で諫言して自決する人間もいる。

人は何とでも言おう。だが。他人の記憶にもなく、記録にも載らない生き方の方が多くは自然なのだ。 おのずからしかり(自然)

 

地球の表皮には多くの土(つち)が堆積している。

そのほんの薄皮には多くの動植物の堆積物がある。

墓石や骨壺に装われて息苦しいものもあるが、これも微小で多くは大自然の腐葉土のようになって還っている。

 

佐藤慎一郎先生は多くの人の死に際して臨場体験がある。

多くは異郷の地の異民族の姿だ。そこで知ったのは自然体で死に臨む姿だ。

先生は「人生五計あり」と伝えているが、一方、「大謀は計らず」と説く。(おおきな謀は何も作為しないことだ)

また、「物知りのバカは無学の莫過(ばか)より始末が悪い」とも。

そして知識人には「ワレ、汝らほど書を読まず、されど汝らほど愚かならず」と。

そして「後は頼みますよ」と伝え遺して逝った。

鉄舟は「達者でな、おれは先に逝く

 

真似は難儀だが、生き方くらいは倣おうではないか。

 

 

            

          佐藤慎一郎氏と王荊山の遺子

 

 

以下は数値評価による選別もなければ、官制学の課題にも載らない佐藤先生の教授案です。

よって、就職や利殖のためにはならない内容ですが、脳箱に余裕のある御仁は入れておいても無駄にはならないと思います。まして、折角の人生ゆえに・・・・。

 

 本文

朱新仲(時代不明)という人は、「人生に五計あり」と言っている。

生計(いかに生きるか)、身許(自分一身のために立てる計画)、家計(一家の暮らしむき、生計)、老計(いかに年とるか)、死計(いかに死に対処するか)の五つの計画のことである。

 

 朱新仲の言葉として「人生に五計あり。人に語るに、身計(自分一身のために立てる計画)、家計(家の生計)を以てすれば、即ち喜ぶ。老計を以てすれば、即ち答えず。死計を以てすれば、即ち大笑して。曰く、子の計、拙なり、(つたない、役に立だないと言う)とある。それ以上の説明はない。

 

 それで、私はいま、私の人生を通じて、私なりの「五計」について、思い出したままをお話申し上げて見たい。

 但し、これを全て「無用の贅言」(近思録・為学)役に立たぬ、よけいな言葉です。

 

「生計」人生をどう生きるか。

 【文字は、漢字圏内の哲学体系、思想体系】

 

 まず、「人」とは何か。中国人の見方しか知らないのでお許し下さい。

  「人」という字は、人間が立っている姿を、横から見た形だそうです。「女」という字も、女性が立て膝をしている姿を、横から眺めた形です。横から見た方が、その人の本質がわかり、そしてまた、その方が美しいのでしょうね。

 人間も、例えば、私が今こうして、壇上でお話している内容よりは、誰も見ていない本人の日常の生活の中にこそ、その人の本質が、より多く出ているのでしょう。それで、中国人は、誰も見ていない所でも心を正していなさい、と教えているのでしょう。

朱子学でも、独りを慎しむことを、人間修行の最も大切な要としています。

 さて、「人間」とは、何でしょう。中国では人間とは、「気」というものが凝り固まって、できているのだ。と説明されています。

 皆さん方は、人と会うと、『お元気ですか』などと挨拶をします。

 

 「元」という字は、中国民族が、紀元前700年頃に書いた「易経」という本の最初に出てくる字です。

 [易経]というのは、中国の伝統思想における自然哲学と実践倫理との根源となった本です。

 その本のいちばん最初に『元亨利貞』という言葉が出てきます。お元気ですかの「元」とは、その元なのです。

「元」というのは、天地の大徳で、万物を生々する所以なのです。つまり万物の始めで春に属しており、その徳は仁(いっくしむ、親しむ、愛する)です。この徳は、あらゆる善の中の最高のものだと説明されています。

 

「仁」とは、自分が他人と、とけあおうとする自然の作用であって、人間の最も根本的な徳のことである。=仁は人なり

  

「元気」の「気」という字は、米を炊いて水蒸気が、たちのぼっている字です

万物生成の根元力で、人間にあっては、生命体の根元となっている活動力のことです。

 要するに、「元気」とは、万物の根本をなすものです。大自然においては、天地の気、人間においては、精気(天地万物の根元となる気)のことです。

 

 私たちは、日常、才気がある、気力がある、意気さかんだ、和気が大切だとか、景気がよい、とか悪いと、言っています。

 その他、気位(心のもち方)、気運、気概、気軽、気質、気力、気色、気値、気分、気候、気味、気楽・・・日常生活の中で、ふんだんに使われている。

 

 

         

 

 次に、人生の「生」について、

「生」とは、下の「一」は「土」、上の「牛」は、草の生長を象っている字、(他の説明もある)、生む、生まれる、生きる・・・などの意に使われています。

 

 この「生」、つまり一つの生命体が、この世に現れてくるためには「独陰生ぜず、独陽生ぜず、独天生ぜず、三合して然る後生ず」(穀梁)という条件が要るのだと、彼らは考えています。

※  結婚式の三々九度は、天と陰(オンナ)と陽(オトコ)に三回づつ,計九回 (筆者註)

 

つまり、男はいくら威張っても子は産めない。お手伝いできるだけ。

しかし、女にしても、一人では子は産めない。また、男女が協力したからと言っても必ずしも子は産めない。どうしても天の協力がなくては、子は生まれてこない。つまり三者協力し、調和がとれてこそ、はじめて、一つの生命体が、この世に産まれてくるものと、みています。

 

 天の時、地の利、人の和が大切だという、人間生活の原理を教えています。

 中国では、天地の徳の中で、一番大きいものは[生]だと定義しています。

 

   「天地の大徳を生という」(易経・繋辞下)

「生」とは、生きとし生きるものは、そのもっている[生]そのものを、全うさせようとして、育成して、やまないものである。従って、人間の道もまた、万物を育てよう、育てよう、生かそう、生かそうとする考え方を、根本となすべきであると見ています。

 

 自然界の働きを天命だと見ながらも、人間の可能性を信じ、自然界に働きかけ、自然を利用すべきだと説いた荀子(紀元前230年頃できた本)にしても、天地があって、はじめて人間が生きることができたのだから

  「天地は生の木なり」(節子・礼論)

とみています。

 

つづく

 

 

 

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