今日は天皇誕生日の誕生日であり、先の大戦後の極東軍事裁判で死刑判決を受けた重臣七名の処刑された日である。
西洋ではメモリアルデーを重要視している。よりによって祝賀の一面を処刑報道で覆った企図に大人げなさを観る。
本文
中国の官制抗日記念集会は天安門に人集めをして兵士と武器を見せた。
日本の安保法案阻止は国会に集まった。12万人と3万人との双方の発表だが、どちらも思惑のある数字だ。南京もシベリア抑留も、はたまたソ連の占領地域に在ったナチス収容所の犠牲者も後世は数字によって記憶されている。
日本の数は治安当局(政府)発表と主催者発表だが、切り口や見方によって差異は有るが、この大きな差は何だろうという疑問はさておき、どうして国会に集まるのだろう。
形式的には国民の選任した代議士が与野党に分かれて採決をするシステムに、それはおかしいと声を上げることに問題はないが、それによって採決が遅れるなり、デモによって思うようになるとは思えない。
たとえば江戸時代の庶民が各地で米よこせ、年貢(税)を軽減しろと暴動を起こしても、藩主なり幕政の主立った者が、余程の悪政や贅沢をしなければ、抗することのできない自然災害、天候異変でおきる凶作には、双方手も足も出ないだろう。
よしんば為政者が原因でも上訴しても佐倉宗五郎や田中正造のように重罪になる。死を覚悟とは武士の専権だと思ったら後のない農民の方が勇敢だった。当時の要求は口に入るものだ。餓死か生きるか、思想などは腹いっぱいにならない。
今回のデモは食い扶持ではなかったようだ。食い扶持とは政党や宗教団体が衆を恃みその人数の多寡を勢力なり、収益などに企図するデモステレーションである。闇雲な批判でなければ、それこそ話せば判ることなのだが、どうも別な要因をも含んでいた。それは政権というよりか、政治システムや与野党問わず政治そのものに擬してはいるが、それだけではないように見受ける。
それは、己の茫洋として掴みどころのない、しかもいつの間にか滞留した煩悶や疑問を己自身で解くことができなく、かつ、己が望み唯一としているシステムである、自由と民主という主義に、戸惑いを起こしているのではないかとも思えるのだ。
どうもプラカードに掲げているワンフレーズとは異なるようだ。なぜなら国会内で争論を繰り広げる代議士にとって、現世歴史の昂揚した臨場感にこそなれ、採決是非には何ら影響がないからだ。このご時世にデモで事が決することが無いことは分り切ったことだからだ。
いずれの機会に江戸の仇を長崎(次の選挙)で討とうと思っているのか、マスコミも野党もイメージを毀損することにこのデモの影響力をみるのだろう。しかし、忘れやすい大衆には、それもあまり効果はない。国会近辺を舞台にした一過性の出来事としか認知がない。参加者の真剣さと思いはそれぞれ異なってもムーブメントとしては立派な取り組みともいえるが、世の中の問題意識の喚起としては、一般の日本人には馴染めない集合でもあるからだ。馴染めないとは…、関心が散漫しているか、別のところにあるようだ。
それでも、なぜその行動は国会に向かうのだろうか。
夫々の選挙区があるなら代議士の自宅に集まれば衝撃力はある。
デモの効用は興奮した大衆の押し寄せる恐怖だ。ときに肉体的衝撃すらある。
国会において寄らば大樹と官警にも守られてはいるが、地元の当落の恐怖の方が優先される議員にとって、選挙区の一揆ほど恐ろしいものはない。国会ではノラリクラリ、抗するは有ること無いことが多いが、これは地元では通用しない。
田中角栄総理ではないが、家庭内野党の娘に「自民党に入れろと云えば」「私は佐々木良作さん(兵庫選出 元民社党委員長)に入れる」といわれ嘆くほど、近ごろは情実より理論(理屈)が親族でも優先される。遠く離れた東京で毎夜放蕩をしたり、利権に敏なることを選挙区で唱えられればたまったものではない。
横道にそれたが、課題(法案)に対する、反対と賛成のせめぎ合いに今どきの大衆の敵対的視点なり行動を記したが、そんな騒々しいことではなく、また直線的対立思考でもなく、日々の営みの中での妙な憂鬱感や、徒労感の漂う政治環境に対して、かつ我が身の自省を顧みてたな清風の到来を抱く大衆も存在する。
内外の諸問題や国内の施政の難問に対処すべき個別課題ではなく、その問題発生の根幹、もしくは深層にある人々の種々な欲望の誘惑や、それにいともたやすく誘引される自省や抑制の衰えを時世の流動とみて押し止めたいとする自覚した人々だ。
それは民主や自由、あるいは人権・平和を謳いつつも、我に関すること無きを良とする、ある意味では、それぞれの司を慣性の意識で是認する人たちだ。もちろん個別の問題意識も薄いので、声を挙げることもなく行動も起きない。
しかし、先に記したデモの別要因同様、「司」の集団的劣化は様々な部分でほころびを見せている。
司(つかさ)」の劣化とは、政治家,官吏、宗教家、労働者、事業者、教育者などの各種既得権集団の個別優遇追求や保証された身分など、それらが権力を構成し、他者のみならず自らの善良なる情緒性さえ麻痺させ、それが相互干渉することで、互いに人間性を毀損させる循環に、あの幕府が崩壊する端緒となったいずれ司も抗することのできない天変地異の異変と人心や連帯の融解を感じ取るのだ。
なにも年金や病気の現世的将来不安ではなく、生存する棲家(国家なるもの)の存立不安が察しられるのではないだろうか。
しかも、この観点の思索や観照を促す習い事にもその範はなく、気が付くべき感性も亡失している。また簡便に頼る官製学校のカリキュラムにもその類はない。
曲がりなりにも制度の形式的成果では成り立つことでも、その制度を司る組織や人間の弛緩や怠惰が、その構成員の現世的成功価値として看過されたなら、問題解決の妙智以前の掴みどころのないままに国家なるものの姿と、民族の集団目標である国家なるも希求すべき目標は、より茫洋な想いに追い込むだろう。
天明や天保に飢饉に際してとった民衆の妙智は,今と比して決してダイレクトに時の権力である幕府には向かわなかった。逆に禁中法度によって手足を縛られていた宮中に別の姿で向かっている。
(参考)
以下は平成15年7月27日のブログである
あの頃に倣えば、移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない
http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/dee9e4799940e168b15dd15c2111e2d8
京都御所
今回は国会に向かってその動員を競った。
筆者なら、皇居に向かう。
プラカードも連呼もない。
粛々と集まり、不特定多数への祈りを添えて何度でも周回巡行する。
当時は御所の周りを毎日三万人ないし七万人だったという。
武家や公家の規として憲法に類した禁中並公家諸法度を超えて、天皇は幕府に書状を送った。幕府も禁を超えてそれに応じ備蓄米を供出した。陛下が幕府を動かしたのだ。
憲法を超えて閣議決定をするくらいなら、天皇の存在威義を国民の力で示せばいい。
明治憲法の範疇かどうかは別として、敗軍の統帥者としての天皇が占領軍司令官に会いに行くことは、なにも閣議や国会が決めたわけではない。言葉は悪いが他のものでは任に堪えない、つまり軽輩なのだ。土壇場のカウンターパートは天皇しかなかったのだ。これは憲法違反とは誰も問題にしていない。もし居られなかったら任に耐えない選良はどうしたのだろう。だた、おじけづいて甘えたか、隠れたのだろう。立憲主義で抑制されていた姿を利用したものの残滓は、いまも慎みのない政治をしている。
ここでは何も政治権力として復古を願うものではない。複雑な要因をもって構成されている国家なるものの選任された為政者が、人間ならずとも精霊や情緒に涵養されている恩顧に慎みがなくなり、範を顧みなくなったら国家が毀損するといういう危惧があるからだ。いくらグローバルで境際がおぼろげになったとしても、国境はあり、民族の昂揚はより激しさを増している。理念や目標、そして現実のはざまで働かせる、たかだか人間の集積した知恵でも贖えないものがあることを知らなければならないだろう。
それは安保や年金や原発ではない。
『内外諸事困難の解決にともに協力して、穏やかな連帯を再復するために政治は互いに譲り合い、国民の信頼に応えるよう』というお言葉だ。これなら政治にも関与することもない激励であり、聴くものとっては督励にもなるだろう。
緩やかだが、認証者たる天皇が為政者に対してお述べになる慎みと責任への当然な督励でもある。
天皇は高御座において即位の宣言をお述べになった
「憲法を護り」それは自身が憲法を守るだけでなく「憲法」そのものを護持することだった。
当時の改憲派や運動家は色を失ったのを記憶している。
改憲、護持を問わず、現存する憲法への誓いだが、空気は我田引水と悲嘆があったが、多くの国民は徳威の継続と分りやすいお言葉に安らかな気分だった。
また、なぜ新憲法ができたのか、その歴史的経過と由縁に自らの慚愧の念を現示して、ともに省くこと、抑制すること、かつ共に精勤して国家の理想を構築するお誓いでもあった。
ならば憲法を改める、との意見もある。成立過程や文字つかいなど、有史以来はじめて異民族に支配され、しかも銃剣に囲まれて慄く(おののく)当事者の立場にも立たず、また世界の数多の歴史上の戦争で、負けた民族の末路を理解する知識人さえも、当世の肉体的衝撃もなく地位や食い扶持まで保全されている立場で当時のやんごとない約束事を大声で非難する姿にやりきれない嘆息がある。
やれるなら米国のホワイトハウスで抗議なり、伝統に倣って諫言割腹でもしたらよいだろう。まず無理だ。肉体的労働や危機を受けないために理屈を覚え、言い訳を巧みとする人たちだからだ。権力者が治安官吏の増殖を看過するのもそのためだ。その増殖の食い扶持は民の社会に侵入して、良質な習慣や掟まで成文法に括るようになっても、権力者は感応しない。
それは数値で現れる国力評価ではなく、国民の良質な善なる情緒すら融解することであり、真の国力の在り処である深層の情緒すら毀損している。それは「国家なるもの」の滅びの途でもあろう。
戦いでの人殺しや泥棒でも、愛国や命令遵守の鑑となる。とくに日本軍特有の、補給は現地調達となれば尚更のことだが、その親のお蔭で誕生し、富貴や栄誉まで謳歌している政治家や官吏、知識人までが忘恩の徒に成り下がっている。ならば勝っていたならと考えると、その忘恩の徒のような人間が跋扈したら夜郎自大となって、より多くの惨禍を招くに違いない。政局である法案についても、賛否両陣営についても、人間の風としては似たり寄ったりの人たちに感じられる。
畢竟、内外の熱狂と偏見がおびただしく、しかも自由放埓と民主騒擾のさなかに、あえて争いの種を、これまた争論することは、より将来を亡羊な観に追い込んでしまうだろう。
権力者は、まずは官吏の綱紀粛正と公徳心の喚起で信を再興し、国民には沈着な思考を促すことが、施策を支える要諦ではないだろうかと考える。急がば回れ、そう時を要すまい。
時は移り、内外事情は変化して国民の姿も変容した。
陛下はあえて自らに課すように様々なお姿を国民に示されている。
震災地への慰問、戦地への慰霊、時宜を得たお言葉、あえて説明など必要のない意志だ。
現世利益を成功価値と企図する営みは数値の多寡を競って世界の情勢となっている。
しかし、陛下の示される言辞は、国民に別な方向をたどり行き着く成功価値を示している。
感知もせず、立ち止まり一考すらしなくなった世俗において、照顧する、あるいは取り付く島として再び覚醒するまで、途切れることなくその現示的行為は続いている。
政治に発言は慎まれている。いや禁止されているという。
自由と民主と人権は国民の権利として担保されている。しかしあれ程の行為を重ね、深い観察と人智の由縁と誤りない是非の感覚を精霊や祖霊に訊く祷りは、その主義の善なる発展背景を担保することだとの国民は理解に乏しいようだ。
お立場は選挙も無ければ、衆を恃むわけでもなく、財の多寡や知の集積を競うものではない。
だからこそ、敢えて知ることもなく、なかには認知することもない状態においているのだろう。
当世の売文の輩、言論貴族にも不信感を持ち、知識人や学識経験者にも知る驚きは有っても,「識」の理である道理はみえない。
陛下は歴史の俯瞰から大局をみて本質を探ることを無言の行為で諭している。
それは、いま生きることと、活かす理由だ。
筆者は陛下のお姿を最上の訓導者として倣うことを学びの基としている。
余談だが、あの数寄屋橋の鬼と称され四半世紀も街頭運動をした赤尾敏氏に「天皇陛下万歳と唱えていますが・・」と尋ねたことがある。
『この道場には日蓮、キリストなどの肖像画があるが、宗教ではない。彼らは命懸けで言論を発した。いまは命まで取られないくせに、派閥の親分に意見を言うものもなく庶民の苦悩にも目を向けない。なにも命まで取られることもないのに代弁者がこの有様だ。陛下に付いては、なにも陛下の健康や好き者のように賛美しているのではない。日本国万歳とは言えないくらい政治も国民も堕落している。このままでは、いつか詰まってくる。またあの頃のようになってしまう。こんな連中のために万歳などはいえない。長続きできないから万歳ではない。だから天皇陛下の存在の持続に万歳といっている。家族の親と同じで、民族には結び目が必要なんだ。』
さりとて、アカデミックな統治学や生物学や人類学などは省くようにしている。
ただ、どうしてあのように考え、行動できるのか、そうなりたいと願っている。
また、他の係累とは異なる唯一のお立場として、呻吟すらうかがわせることのなく、庶民なら難行苦行とも思える行為を志向される強靭な精神力に畏怖を抱き、小生でもともに協働できることはないかと思いが馳せる。
依頼心ではなく、ただ御傍に近づき徳威を感受したい、そのために皇居に行きたいのだ。
形は憲法下であっても、感応する意志に至情はある。
そして、皆で集えば何かが変わり、そして代わるだろう。
ただ、自我の欲望を省き、制する人の集まりだ。大多数は目先の欲を措いて(除いて)感応するはずだ。
国民を「大御宝」と称している陛下のこと、それこそ精霊からの命を懸けて戴けるだろう。
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