まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

君が在る世を鎮考する

2023-12-31 14:15:16 | Weblog

このような気概と忠恕心をもった人物が存在する意義、それは政治権力や財の所有多寡にはない長(オサ)のような存在でもあろう。

明治天皇は在任中に10万部に届こうとする和歌を詠んでいる
勅語とは異なり、真情が表れている。なかには国民をおもう御心や、重臣、官吏、教育者に諭すような詠み歌がある。これを別位置の客観性と見る向きもあろうが、なかなか届くことのない境地である。

詠み歌は国民には直接届くことのないことだが、為政者を越えて繋がる太い綱がある。
あの被災地の歴訪も多くの為政者が訪れたが、陛下のなす自然の動きと言葉に多くの国民は感動した。そして選良といわれる為政者の言の葉と比べたりもした。

歌会始でも御心を詠まれ、皇族もそれに倣った。

中学校でも和歌の授業が行なわれ、多くの生徒が和歌に心模様を託している。

ここでは、明治天皇の和歌を掲載させて戴き、遺すこと、繋ぐこと、事象の見方、そして現代に比して考えてみたい。







簡訳と羅線は筆者の拙意


 「詠み歌」

 言の葉の花の色こそかはりけれ 同じ心のたねと聞けども 


わが国の情緒や感性の根は同じだというが、言の葉の使い方で詠み歌はさまざまな心を表している



「処世」

 世の中はたかきいやしきほどほどに 身をつくすこそつとめなりけり 


世の中は縁の作用によって高いとか低いとかのいうが、それぞれが適材適所(特徴)を発見して怠惰なく生活を営むことが幸せに導く方途だとおもう



「塵除」

 つもりては払ふがかたくなりぬべし ちりばかりなることとおもへど
 

小さな問題でも放置すると積もり、解決さえできない大きな残滓となる。為政者もそのことを深く考えなければならない

人を観る、人間を活かす、この「観人則」が衰えると法の運用が偏り、人間の尊厳さえ毀損するようになる。そのような堕した慣性がはびこると民は施政者に倣い共に衰退する。これは精神の塵であり、その兆候を見逃さず除くことが経国の要諦である


「教育」

 いさをある人を教へのおやにして おほしたてなむやまとなでし子 

歴史上の賢人や勇者の英知を教育に活用して、それらの人格に倣うことは子供にとって有益な学びである 

目標とする人を敬い、人格を倣い、感動と感激を通じて魂の継承を学びという「人間学」


「学処」

 いまはとて学びの道に怠るな ゆるしのふみを得たるわらべは

 
 たとえ学び舎の卒業証書を授与されても安心せず、本来の学問を怠らず立派な人間になるように留意すべき



「机上の浄」

 よりそはん暇はなくとも文机の 上には塵をすゑずもあらなん

 
たとえ家業、事業で多忙でも大切な学びの机は清掃して学びの準備を怠らないように



「家庭の訓」

 たらちねの庭のをしへはせばけれど 広き世にたつもとゐとはなれ


 
家庭には家訓や歴史も善き習慣がある。その教えを将来につなげ、立身の基礎にしなければならない



「情操」

 ともすればかき濁りけり山水の 澄せばすます人の心を


往々にして自然の恵みである山水も汚れ濁ることがある。人の心も純に澄んでいる時は美しい善性をもっている

数値評価で表れる経済や軍事力だが、民族の善性を護ることを深層の国力という
 


「慎み」抑制
 
思ふことおもふがままになれりとも 身をつつしまんことを忘るな 


たとえ思い通りにならないことがあっても、平常心を以って心身を慎まなくてはならない

東電の停電の際、暖房を消して生活していた今上天皇を想起する



「人材」

 山の奥しまの果てまでたづねみむ 世に知られざる人もありやと 


山奥の郷村にも無名だが世に有力な賢人がいる。往々にしてそのような人材が斬新な智慧と鎮まりを涵養している。そのような無名有力な人材を捜し求め、世に活かすことが肝要なことだ

人格を何ら代表しない附属性価値(地位、名誉、財力、学校歴)が人物選定の具になったのでは有効な人材は探すことはできない。


「忠恕の心」

あつしともいはれざりけりにえかへる 水田に立てる賎をおもへば 


極暑のなか、津々浦々で懸命に勤労する国民のことを思うと、吾が身の暑さなど考えることでもない

昭和天皇も侍従が「今年は涼しくて・・」と呟くと、『東北は冷害で大変だぞ』と叱責

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「人間考学」からみる唱和力

2023-12-29 01:25:05 | Weblog

雀の樹




≪狼は月に向かって吠えるとはいうが、連らなって群れが吠えはじめると一定のリズムがあり心地よいハーモニーになる。何処にでもある唱和だが、人間界だけは調和もなければ連帯もない。かえって狭い範囲の軋轢さえ起こしてしまう。「和して唱える」とは、よく言ったものだ。いまは唱(となえ)に和するようになったが、それに疑問も持たないようだ。つまり、従うことに安逸している。≫


さまざまな民族は複雑の要因を以って国家なるものを構成している
また、環境に棲み分けられた人々は神と精霊の存在を認知し、それを共に畏れ崇めることによって宗教なり習慣的陋習をもとに連帯と調和を司ってきた。

人は集い、衆を構成し、共通な陋習を掟や規範として血脈の継続と、拡大する衆の統制に活用した。それが衆を構成するシステムとして成立すると陋習は「矩」や「則」「規」となり、成文された「法」となった。もちろん前提にはツールとしての文字の修得と共通化が合った。

だだ、その経過というか、人間関係において他の存在が多面化することによって従前の掟や習慣が成文化された法が「清規」となり、逆に一方の「規」である掟や習慣という「陋規」が古臭い、無用だと忌避されるようになった。それは近代法における適用振り分けに馴染まないというだけの理由だ。

中央集権は支配地(施政権)の及ぶ範囲の法の普遍化である。それを以って法治国家の前提といえるものであるし国家の領域、境際の具現であるが、環境の異なる地域の陋規を括ることの限界もある。





奥名栗の朝



食、性、財に関する欲望も異なる姿を表す。いくら議会制民主主義の制度を取り入れたとしても、それぞれの地方自治は人々の関係にある隘路、つまり人の関係の基とする人情交感の仕方で議決が異なることがある。制度の認知能力もあるが、表面はスキームをなぞっても、結論までの経路は地域特有の陋規が大きな要因を含んでいる。

集権と地方自治も近頃では効率性、利便性を叫ばれているが、平準化の流れがカウンターとして地方化あるいは固有な情緒への回帰と、民情の嗜好さえも方向を変えつつあるようだ。

「まちづくり」への孔子の言は、『外の人、来る、内の人、説(よろこぶ)ぶ』といった内外交流であり、棲み分けられた地域特有の有益かつ固陋なる情緒の交感であった。
つまり異なる各個存在の空間点在であり、その協調なり、すり合わせによる価値多面性の理解にすすむ学びの涵養と蓄積でもある。

それは人の誘引であり、異なるものへの好奇心、興味を高めることになり、幕府藩政のころはその異なるものがセキュリティーとしても有効性を保持していた。
言葉、食べ物の嗜好、生産のマニュアルなど、棲み処の連帯と環境調和は、今どきの部分検証ではなく、すべてが俯瞰された文化観、風情として人の姿にも、気骨、気質(かたぎ)として色づいている。

それは郷の身学であり、醸し出す哲学でもある。とくに無位無官の人々にこそ涵養できる、敢えて教えることのない、不言の教えというべきもので、アカデミックな学ではなく哲理にある理(ことわり)が自得されている。たから阿吽や直感といわれる感性が磨かれ、しかも己以外の他人や自然界にも柔軟さ、「たおやかさ」を観るのだろう。







官製学制でいうアカデミックという認証を授けられた観察は、あの熊楠に感銘した柳田の例を出すまでもなく、一種の「学びの極み」「普遍の真理」で表されるモノの実情を仮屋の仮説として空間や存在を語るが、いずれも洋学、唐学の習いに随い、邦人の潜在する情緒を含合する表現は乏しい。

たとえ為政者に表立って抗することも敵わず、肉体的衝撃を恐れたかのように見え、噛み心地の好くない本居でさえ、その実情の観察は的確だった。この環境に棲み分けられた邦人として自身の実情が前提の学問だったからだ。「もののあわれ」多岐な切り口にさらされる名言も時を違えて廃れることなく、人の言の葉に乗せられる。
分類、分析の域に置かず、ときに茫洋なる世と時の流れを、実情を観る人間の直感性や深層な情緒に委ねる登覧的な姿は、ときに未来を逆賭する力もある。

思索と観照が衰えたかのような遊惰な世情には、本居の「眺める」姿勢に得るものがある。


さて、その眺め観察で標題の「唱和力」をみると、小は集いから、宗教、民族、国家なりに意味深い、゛声だし゛が唱和されている。
キリストは『アーメン』仏教は『ナミアムダブツ』『ナムミョウホウレンゲキョウ』国では『バンザイ』、宴会では『カンパイ』などいろいろある。近頃の法事では般若心経の読経唱和もある。学び舎でも昔は唱和した『ハト、マメ、サクラ』そして唱歌を合唱した。

筆者も「イラカの波と雲の波・・・」わけも解らず歌ったが、「イラカって何ですか」と質問したことがあった。加えてみんなは解っているのかと戸惑った。尋ねないということは意味は不明だが、つまり音(オン)の流れで歌っていたのだろうか。それを聴くのも恥ずかしい年頃だったため質問者である筆者の恥ずかしさで止めた。
それにしても「家には瓦があるでしょう」優しくも辛辣な答えが先生だった。

よく教場の教員は教え子に自身の研究本を買わせて教材とする。しかも試験でもなぞるように出る。もし教場に食い扶持を求めるとその教員の研究本は否定できない。それが師弟の関係と、一種のトラウマから逃げられない。

ハイゼンベルグ氏が東洋にその答えを求めようとして時、西洋学派は異端扱いした。
しかし、゛部分の算術的総和は全体とはならず゛との至言は東洋学派には解りすぎるほどわかる。分派学派の部分に拘泥した探求は研究者ならずとも一定空間の理論しか導かれないことは童心でもわかる。しかも仮説で将来に賭けるのである。






管さんも若かった  関係サイトより転載



ところが唱和は無位無官の大衆や無垢な年少者にとって、前記の巷間、賢者と称する屁理屈論者の無関心を得て、多くの場所で行なわれている。
松蔭の言に「異なることを畏れない意志、それを涵養するのが学問」とあるが、幾ら共同体であっても、あるいは孤独恐怖や食い扶持保全であっても一斉唱和は余程のこと阿諛迎合な精神なくして適わないことだと、偏屈な筆者は観るのである。


新しい発想、生存の価値、自身の探求は賢者の前提必須な問題意識だ。
しかし発想域を限定空間として、童さえ疑問視する宇宙の無限空間の果てを説明すらせず、生存の価値を生きる方便に変え、誕生から死生の感性を人体医学に置き換え、人の探求を単なる陳腐な既成の可能性にして「我、ナニビト」という不可思議な人成りへの想像すら理解の外においてきた。

往々にしてそれらの徒は唱和する。人格とは何ら関係のない附属性価値の世界への勧誘だ。知識は堕落しない、知識を操る徒が堕落するのだ。
つまり知識人の堕落なのだ。
絵画も商業画商の世界に誘引され滅んだ。
学問もベキラの淵で逡巡する。屈原も嘲るだろう。




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天皇誕生日の稿  あの時、民衆は御所に集まった 2015 9/19 再

2023-12-28 02:17:58 | Weblog

 

 今日は天皇誕生日の誕生日であり、先の大戦後の極東軍事裁判で死刑判決を受けた重臣七名の処刑された日である。

西洋ではメモリアルデーを重要視している。よりによって祝賀の一面を処刑報道で覆った企図に大人げなさを観る。

 

本文

中国の官制抗日記念集会は天安門に人集めをして兵士と武器を見せた。

日本の安保法案阻止は国会に集まった。12万人と3万人との双方の発表だが、どちらも思惑のある数字だ。南京もシベリア抑留も、はたまたソ連の占領地域に在ったナチス収容所の犠牲者も後世は数字によって記憶されている。

 

日本の数は治安当局(政府)発表と主催者発表だが、切り口や見方によって差異は有るが、この大きな差は何だろうという疑問はさておき、どうして国会に集まるのだろう。

形式的には国民の選任した代議士が与野党に分かれて採決をするシステムに、それはおかしいと声を上げることに問題はないが、それによって採決が遅れるなり、デモによって思うようになるとは思えない。

 

たとえば江戸時代の庶民が各地で米よこせ、年貢(税)を軽減しろと暴動を起こしても、藩主なり幕政の主立った者が、余程の悪政や贅沢をしなければ、抗することのできない自然災害、天候異変でおきる凶作には、双方手も足も出ないだろう。

よしんば為政者が原因でも上訴しても佐倉宗五郎や田中正造のように重罪になる。死を覚悟とは武士の専権だと思ったら後のない農民の方が勇敢だった。当時の要求は口に入るものだ。餓死か生きるか、思想などは腹いっぱいにならない。

 

今回のデモは食い扶持ではなかったようだ。食い扶持とは政党や宗教団体が衆を恃みその人数の多寡を勢力なり、収益などに企図するデモステレーションである。闇雲な批判でなければ、それこそ話せば判ることなのだが、どうも別な要因をも含んでいた。それは政権というよりか、政治システムや与野党問わず政治そのものに擬してはいるが、それだけではないように見受ける。

 

それは、己の茫洋として掴みどころのない、しかもいつの間にか滞留した煩悶や疑問を己自身で解くことができなく、かつ、己が望み唯一としているシステムである、自由と民主という主義に、戸惑いを起こしているのではないかとも思えるのだ。

どうもプラカードに掲げているワンフレーズとは異なるようだ。なぜなら国会内で争論を繰り広げる代議士にとって、現世歴史の昂揚した臨場感にこそなれ、採決是非には何ら影響がないからだ。このご時世にデモで事が決することが無いことは分り切ったことだからだ。

 

いずれの機会に江戸の仇を長崎(次の選挙)で討とうと思っているのか、マスコミも野党もイメージを毀損することにこのデモの影響力をみるのだろう。しかし、忘れやすい大衆には、それもあまり効果はない。国会近辺を舞台にした一過性の出来事としか認知がない。参加者の真剣さと思いはそれぞれ異なってもムーブメントとしては立派な取り組みともいえるが、世の中の問題意識の喚起としては、一般の日本人には馴染めない集合でもあるからだ。馴染めないとは…、関心が散漫しているか、別のところにあるようだ。

 

 

 

それでも、なぜその行動は国会に向かうのだろうか

夫々の選挙区があるなら代議士の自宅に集まれば衝撃力はある。

デモの効用は興奮した大衆の押し寄せる恐怖だ。ときに肉体的衝撃すらある。

国会において寄らば大樹と官警にも守られてはいるが、地元の当落の恐怖の方が優先される議員にとって、選挙区の一揆ほど恐ろしいものはない。国会ではノラリクラリ、抗するは有ること無いことが多いが、これは地元では通用しない。

 

田中角栄総理ではないが、家庭内野党の娘に「自民党に入れろと云えば」「私は佐々木良作さん(兵庫選出 元民社党委員長)に入れる」といわれ嘆くほど、近ごろは情実より理論(理屈)が親族でも優先される。遠く離れた東京で毎夜放蕩をしたり、利権に敏なることを選挙区で唱えられればたまったものではない。

 

横道にそれたが、課題(法案)に対する、反対と賛成のせめぎ合いに今どきの大衆の敵対的視点なり行動を記したが、そんな騒々しいことではなく、また直線的対立思考でもなく、日々の営みの中での妙な憂鬱感や、徒労感の漂う政治環境に対して、かつ我が身の自省を顧みてたな清風の到来を抱く大衆も存在する。

内外の諸問題や国内の施政の難問に対処すべき個別課題ではなく、その問題発生の根幹、もしくは深層にある人々の種々な欲望の誘惑や、それにいともたやすく誘引される自省や抑制の衰えを時世の流動とみて押し止めたいとする自覚した人々だ。

 

それは民主や自由、あるいは人権・平和を謳いつつも、我に関すること無きを良とする、ある意味では、それぞれの司を慣性の意識で是認する人たちだ。もちろん個別の問題意識も薄いので、声を挙げることもなく行動も起きない。

しかし、先に記したデモの別要因同様、「司」の集団的劣化は様々な部分でほころびを見せている

司(つかさ)」の劣化とは、政治家,官吏、宗教家、労働者、事業者、教育者などの各種既得権集団の個別優遇追求や保証された身分など、それらが権力を構成し、他者のみならず自らの善良なる情緒性さえ麻痺させ、それが相互干渉することで、互いに人間性を毀損させる循環に、あの幕府が崩壊する端緒となったいずれ司も抗することのできない天変地異の異変と人心や連帯の融解を感じ取るのだ。

 

なにも年金や病気の現世的将来不安ではなく、生存する棲家(国家なるもの)の存立不安が察しられるのではないだろうか。

しかも、この観点の思索や観照を促す習い事にもその範はなく、気が付くべき感性も亡失している。また簡便に頼る官製学校のカリキュラムにもその類はない

曲がりなりにも制度の形式的成果では成り立つことでも、その制度を司る組織や人間の弛緩や怠惰が、その構成員の現世的成功価値として看過されたなら、問題解決の妙智以前の掴みどころのないままに国家なるものの姿と、民族の集団目標である国家なるも希求すべき目標は、より茫洋な想いに追い込むだろう。

 

天明や天保に飢饉に際してとった民衆の妙智は,今と比して決してダイレクトに時の権力である幕府には向かわなかった。逆に禁中法度によって手足を縛られていた宮中に別の姿で向かっている。

 (参考)

以下は平成15年7月27日のブログである

あの頃に倣えば、移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/dee9e4799940e168b15dd15c2111e2d8

 

 京都御所

 

今回は国会に向かってその動員を競った。

 筆者なら、皇居に向かう。

プラカードも連呼もない。

粛々と集まり、不特定多数への祈りを添えて何度でも周回巡行する。

当時は御所の周りを毎日三万人ないし七万人だったという。

武家や公家の規として憲法に類した禁中並公家諸法度を超えて、天皇は幕府に書状を送った。幕府も禁を超えてそれに応じ備蓄米を供出した。陛下が幕府を動かしたのだ。

憲法を超えて閣議決定をするくらいなら、天皇の存在威義を国民の力で示せばいい

明治憲法の範疇かどうかは別として、敗軍の統帥者としての天皇が占領軍司令官に会いに行くことは、なにも閣議や国会が決めたわけではない。言葉は悪いが他のものでは任に堪えない、つまり軽輩なのだ。土壇場のカウンターパートは天皇しかなかったのだ。これは憲法違反とは誰も問題にしていない。もし居られなかったら任に耐えない選良はどうしたのだろう。だた、おじけづいて甘えたか、隠れたのだろう。立憲主義で抑制されていた姿を利用したものの残滓は、いまも慎みのない政治をしている。

ここでは何も政治権力として復古を願うものではない。複雑な要因をもって構成されている国家なるものの選任された為政者が、人間ならずとも精霊や情緒に涵養されている恩顧に慎みがなくなり、範を顧みなくなったら国家が毀損するといういう危惧があるからだ。いくらグローバルで境際がおぼろげになったとしても、国境はあり、民族の昂揚はより激しさを増している。理念や目標、そして現実のはざまで働かせる、たかだか人間の集積した知恵でも贖えないものがあることを知らなければならないだろう。

それは安保や年金や原発ではない。

『内外諸事困難の解決にともに協力して、穏やかな連帯を再復するために政治は互いに譲り合い、国民の信頼に応えるよう』というお言葉だ。これなら政治にも関与することもない激励であり、聴くものとっては督励にもなるだろう。

緩やかだが、認証者たる天皇が為政者に対してお述べになる慎みと責任への当然な督励でもある。

 

天皇は高御座において即位の宣言をお述べになった

「憲法を護り」それは自身が憲法を守るだけでなく「憲法」そのものを護持することだった。

当時の改憲派や運動家は色を失ったのを記憶している。

改憲、護持を問わず、現存する憲法への誓いだが、空気は我田引水と悲嘆があったが、多くの国民は徳威の継続と分りやすいお言葉に安らかな気分だった。

また、なぜ新憲法ができたのか、その歴史的経過と由縁に自らの慚愧の念を現示して、ともに省くこと、抑制すること、かつ共に精勤して国家の理想を構築するお誓いでもあった。

 

ならば憲法を改める、との意見もある。成立過程や文字つかいなど、有史以来はじめて異民族に支配され、しかも銃剣に囲まれて慄く(おののく)当事者の立場にも立たず、また世界の数多の歴史上の戦争で、負けた民族の末路を理解する知識人さえも、当世の肉体的衝撃もなく地位や食い扶持まで保全されている立場で当時のやんごとない約束事を大声で非難する姿にやりきれない嘆息がある。

 やれるなら米国のホワイトハウスで抗議なり、伝統に倣って諫言割腹でもしたらよいだろう。まず無理だ。肉体的労働や危機を受けないために理屈を覚え、言い訳を巧みとする人たちだからだ。権力者が治安官吏の増殖を看過するのもそのためだ。その増殖の食い扶持は民の社会に侵入して、良質な習慣や掟まで成文法に括るようになっても、権力者は感応しない。

それは数値で現れる国力評価ではなく、国民の良質な善なる情緒すら融解することであり、真の国力の在り処である深層の情緒すら毀損している。それは「国家なるもの」の滅びの途でもあろう

 

 

戦いでの人殺しや泥棒でも、愛国や命令遵守の鑑となる。とくに日本軍特有の、補給は現地調達となれば尚更のことだが、その親のお蔭で誕生し、富貴や栄誉まで謳歌している政治家や官吏、知識人までが忘恩の徒に成り下がっている。ならば勝っていたならと考えると、その忘恩の徒のような人間が跋扈したら夜郎自大となって、より多くの惨禍を招くに違いない。政局である法案についても、賛否両陣営についても、人間の風としては似たり寄ったりの人たちに感じられる。

 

畢竟、内外の熱狂と偏見がおびただしく、しかも自由放埓と民主騒擾のさなかに、あえて争いの種を、これまた争論することは、より将来を亡羊な観に追い込んでしまうだろう。

権力者は、まずは官吏の綱紀粛正と公徳心の喚起で信を再興し、国民には沈着な思考を促すことが、施策を支える要諦ではないだろうかと考える。急がば回れ、そう時を要すまい

 

時は移り、内外事情は変化して国民の姿も変容した。

陛下はあえて自らに課すように様々なお姿を国民に示されている。

震災地への慰問、戦地への慰霊、時宜を得たお言葉、あえて説明など必要のない意志だ。

現世利益を成功価値と企図する営みは数値の多寡を競って世界の情勢となっている。

しかし、陛下の示される言辞は、国民に別な方向をたどり行き着く成功価値を示している。

 感知もせず、立ち止まり一考すらしなくなった世俗において、照顧する、あるいは取り付く島として再び覚醒するまで、途切れることなくその現示的行為は続いている

政治に発言は慎まれている。いや禁止されているという。

自由と民主と人権は国民の権利として担保されている。しかしあれ程の行為を重ね、深い観察と人智の由縁と誤りない是非の感覚を精霊や祖霊に訊く祷りは、その主義の善なる発展背景を担保することだとの国民は理解に乏しいようだ。

お立場は選挙も無ければ、衆を恃むわけでもなく、財の多寡や知の集積を競うものではない。

だからこそ、敢えて知ることもなく、なかには認知することもない状態においているのだろう。

当世の売文の輩、言論貴族にも不信感を持ち、知識人や学識経験者にも知る驚きは有っても,「識」の理である道理はみえない。

 

陛下は歴史の俯瞰から大局をみて本質を探ることを無言の行為で諭している。

それは、いま生きることと、活かす理由だ。

筆者は陛下のお姿を最上の訓導者として倣うことを学びの基としている。

 

余談だが、あの数寄屋橋の鬼と称され四半世紀も街頭運動をした赤尾敏氏「天皇陛下万歳と唱えていますが・・」と尋ねたことがある。

『この道場には日蓮、キリストなどの肖像画があるが、宗教ではない。彼らは命懸けで言論を発した。いまは命まで取られないくせに、派閥の親分に意見を言うものもなく庶民の苦悩にも目を向けない。なにも命まで取られることもないのに代弁者がこの有様だ。陛下に付いては、なにも陛下の健康や好き者のように賛美しているのではない。日本国万歳とは言えないくらい政治も国民も堕落している。このままでは、いつか詰まってくる。またあの頃のようになってしまう。こんな連中のために万歳などはいえない。長続きできないから万歳ではない。だから天皇陛下の存在の持続に万歳といっている。家族の親と同じで、民族には結び目が必要なんだ。』

 

さりとて、アカデミックな統治学や生物学や人類学などは省くようにしている。

ただ、どうしてあのように考え、行動できるのか、そうなりたいと願っている。

また、他の係累とは異なる唯一のお立場として、呻吟すらうかがわせることのなく、庶民なら難行苦行とも思える行為を志向される強靭な精神力に畏怖を抱き、小生でもともに協働できることはないかと思いが馳せる。

依頼心ではなく、ただ御傍に近づき徳威を感受したい、そのために皇居に行きたいのだ。

形は憲法下であっても、感応する意志に至情はある。

そして、皆で集えば何かが変わり、そして代わるだろう。

ただ、自我の欲望を省き、制する人の集まりだ。大多数は目先の欲を措いて(除いて)感応するはずだ。

国民を「大御宝」と称している陛下のこと、それこそ精霊からの命を懸けて戴けるだろう。


 

イメージは他の関連サイトより転載しています

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いま、陛下は何処(いずこ)に    15 7/27 改稿

2023-12-25 20:30:07 | Weblog



2016年掲載 旧題 あの頃に倣う 移風は、陛下の「威」と「忠恕」しか解決はない   

「移風」・・・忌まわしい雰囲気を祓い、新しい気風を起こす


 

天明・天保、あの頃も天変地異は多発して人心は乱れた

だだ、民の窮状を直視し、禁中並諸法度を越えた英知で人心を整えた賢帝や国母がいた。

それは民の依頼心や皇位の謀でもない醇なる忠恕心だった。

真の学を作興し、ややもすると慣性に緩む宮中を整え、世に公徳心を喚起した。

その威の力は、経年劣化に堕した幕府(政府)の軟弱さを露呈させ、民の離反を招いた

国風に新たな清涼感を抱かせるには、物や便法ではなく、縦軸である維を新たにする忠恕の心であった。

それが大御心に応ずる民(大御宝)の強固な国なるものの紐帯なのだろう。








以前、日本の道徳的移風は王政(道)復古でなくては、との考えを記したことがある。
文字解釈での多論はあるだろうが、「移風」は現状の民情なり、その方向性や価値観から導く政治なり経済、そして教育の雰囲気や流れを好転させることだ。

以前の章では道徳的移風については王政復古と書いたが、時代錯誤と非難かつ嘲笑された。王政の何処が、と切り取り反論をされても納得するものもなく、かといって天皇に政治権力を委ねるものでもなく、だだ、現状の政治形態にある権力者に慎みがなくなったとき王政の由縁となる「王道」に取り付く島をみるのだ。

己の薄弱さと人生すら完結できそうもない庶世の民として、天皇の姿に何を描くかはそれぞれだが、不特定多数の人々に対する人間の姿として垣間見る行動は、世俗にまみえる処士として、どう見ても近づくことのできない異次元の姿として映るのだ。

たとえ、土佐の賢候山内容堂が無頼の衆と切り捨てた薩長が大義を取り繕うために内裏から世俗にお出まし願い、歴史にもない軍服を着せたこともあるが、また古今の歴史に利用されかつ権力の形式的装飾に用いられたとしても、平成の御世における天皇の大御心を体現する姿は、まさに王道の心をみる観がある。それは忠恕心だともいう。

それを伝統だというのは容易いが、人間はそれができると思うだけでも意味がある。
また、教育においても単に数値選別されて望みの職掌を得た位上人でさえ、及びもしない観念や、庶民から見ても驚愕とも思える所作にも、処世で当然考えるであろう、小欲とは異次元の大業に向かう超克した心情が読み取れる。






昭和天皇


ときに、昨今の選良の態度や輔弼としての宰相と官吏の姿を見ると、どうしても大御心を忖度した行動が読み取れない。処世の人々からすれば一種の軽さを感ずるのだ。
いくら民主や法治と謳われても、そこには収まらない安堵と鎮まりがある。

以前、少し不敬な依頼心を抱いたことがある。
皇室の奥の語り部として重用された卜部亮吾氏(侍従、皇太后御用係)が良子皇太后のお付きで葉山の御用邸に赴くとの連絡があった。筆者とは洒脱な関係だったので「サッポロのビールを差し入れします」とお伝えしたところ、「ビールは輸送でゆすられると、しばらく間をおかなければなりませんね」と氏らしい洒脱な応えがあった。氏は銀座七丁目のライオンビヤホールでの泡友仲間ゆえのビール薀蓄だった。

ところで皇太后様はお元気ですか」と問うたら「お変わりありませんかの方がいいですね」と返された。

浜辺を散歩なされますか」と聴くと「補助を必要としますが」とのこと。

「ならば、皇后陛下がお手を添えれば今どきの婦女子は見習い、それが周知されれば政府の扶養費支出も抑えられます。なによりも国民のムーブメント(運動)となれば、国柄も変わりますね」これが少々不敬な願望だった。

妃殿下ご自身で養育すれば、ベビーカーはどこの製品、衣類はどこの店,帽子はどこのブランド、と世の婦女子は騒がしかった。そこで世俗では嫁が義母の車椅子を押している微笑ましい姿を見倣ったら保護費も抑えられ、家族のきずなも強くなるとトンチまがいに考えた拙意だった。

陛下を活用することを過度にタブー視する向きもあります。もちろん政治にコミットすることも問題となります。

でも、御姿、しぐさ、お気持ち、といった人間が学ぶ対象として活かすことは陛下の意にも沿うものだと思います。

よしんば弛緩した政治家や官吏に対して

「政治は目立たない処を慎重に探り、つねに不特定多数の安寧を心掛けるよう」

と、お言葉を発したら、処世の人々は縁に依って来る苦難や煩悶にたいしても、自己における時と縁の巡り合わせだとして為政者に反目しなくなるはずです。

国民が真摯に政治に応ずれば、権力を運用する政治家や官吏も覚醒するはずです。それは国情の雰囲気を変えることにもなります」






卜部皇太后御用掛  小会にて 

https://kyougakuken.wixsite.com/kyougaku/blank-1


それは縁あって日本に棲む人々の心の中に描いている長(おさ)としての立場を認知している世代が存在する間にしか効力がないことです。

次世の御代が変われば威も徳も薄れるだけでなく、認知すら軽薄な関心しか持てなくなるかもしれません。

欧米のような私生活のスキャンダルやファミリーへの愛着はあっても、畏敬の存在ではなくなることもあります」

動物でも群れの長(おさ)を失うと羊飼いに連れられ、犬に追い立てられる羊のようになります。

郷や国の防衛とて、武器道具を揃え、財を駆使しても人々が連帯を失くしたら、防衛力は弱くなります。

なかには「小人は財に殉ず」のごとく、危機を察知したら責任回避するものも出てきます。

また、間諜も現れます。その内なる反省は70年前に体験しました。」

筆者がせめてもの皇室の「奥」に職掌を持つ卜部氏に対して答えを必要としない呟きごとであった。毎年のごとく節期の激励文をいただき、小会(郷学研修会)の道学に添い、天聴(天皇の知るところ)に達しているかのように至誠ほとばしる督励清言は、あえて意を表すことに逡巡すらなかった。また不遜にも卜部氏を通じて、゛あの御方ならわかっていただける゛、そんな下座からの気持ちだった。

そんな想いも世俗に晒せば、「自由と民主の時代に・・・・」との誹りもある。
その自由と民主の仮借がさまざまな分野に善くない影響を与えているから問題なのだ。

どうも表現が今風でなく稚拙らしい。仮にも定説なるものとアカデミックな論拠を書き連ねれば、いくらか数値選別エリートの反駁にも贖えるのだろうが、そこまでの知能力も耐力もない。いや、関わりになると問題がより複雑になってしまう危惧もある。







  義士 大塩平八郎


江戸、天保の頃、飢饉が襲った。江戸の役職や御家人は強引にも地方から米の上納を図った。江戸御府内という体面もあったが、物が動けば利を生ずるように、お決まりの御用商人と担当、責任官吏の賂も問題だった。私塾洗心洞を主宰し、かつ奉行所与力職にあった大塩平八郎は道学の士を募って豪商の打ち壊しを義行した。

以下ウィキペディア転載

≪前年の天保7年(1836年)までの天保の大飢饉により、各地で百姓一揆が多発していた。大坂でも米不足が起こり、大坂東町奉行の元与力であり陽明学者でもある大塩平八郎(この頃は養子の格之助に家督を譲って隠居していた)は、奉行所に対して民衆の救援を提言したが拒否され、仕方なく自らの蔵書五万冊を全て売却し(六百数十両になったといわれる)、得た資金を持って救済に当たっていた。しかしこれをも奉行所は「売名行為」とみなしていた。

そのような世情であるにもかかわらず、大坂町奉行の跡部良弼(老中水野忠邦の実弟)は大坂の窮状を省みず、豪商の北風家から購入した米を新将軍徳川家慶就任の儀式のため江戸へ廻送していた。

このような情勢の下、利を求めて更に米の買い占めを図っていた豪商に対して平八郎らの怒りも募り、武装蜂起に備えて家財を売却し、家族を離縁した上で、大砲などの火器や焙烙玉(爆薬)を整えた。

一揆の際の制圧のためとして私塾の師弟に軍事訓練を施し、豪商らに対して天誅を加えるべしと自らの門下生と近郷の農民に檄文を回し、金一朱と交換できる施行札を大坂市中と近在の村に配布し、決起の檄文で参加を呼びかけた。

一方で、大坂町奉行所の不正、役人の汚職などを訴える手紙を書き上げ、これを江戸の幕閣に送っていた。新任の西町奉行堀利堅が東町奉行の跡部に挨拶に来る二月十九日を決起の日と決め、同日に両者を爆薬で襲撃、爆死させる計画を立てた。≫

 


中央 安岡正明講頭  右 卜部皇太后御用係  於 郷学研修会

 

それ以前の天明の飢饉には一つの出来事があった。
庶民は、幕府は頼りにならないと京の天皇に直訴した。天皇の忠恕心に委ねたのだ。

光格天皇は窮状を知り即座に備蓄米を供出を幕府に問うた。率先して動いたのは後桜町上皇だった。いっときは一日に三万人の庶民が御所に集まり、周囲約一千メーター余りを周る「御所千回周り」を行なった。

御所の周囲を流れる溝を掃除して清水を流し、上皇は数万個の果実を配った。他の宮家はお茶などをふるまった。

そのお姿は、その後代の孝明、明治とつづく天皇の現示的イメージとして、大政奉還、討幕維新と流れる時世を暗示する天皇の仁を添えた賢明な行動だった。






後桜町上皇



元々は民生の政治は幕府専権である。天皇が備蓄米の供出を関白をとおして京都所司代に命令を伝えることは禁中並公家諸法度に触れることであり、大問題になることだった。

その後、大塩の決起があった。天保は仁孝天皇だった。天皇は天明の件を一例として関白は京都所司代に対して救済策をご下問している。ここでも江戸の幹部用人の無策が露呈している。

江戸幕府ができてから朝廷が幕府に物申したのも初めてだが、しかも天皇をはじめとする上皇や公家の積極的救済は、たとえ「禁中並公家諸法度」という制約があったとしても、民を救済することに何ら幕府に遠慮することなく、怯むことのない皇道(すめらぎの仁道)を顕示する叡智と剛毅がある。



 

平成天皇が鑑とした光格天皇




そもそも存在する立場の役割として、民もその姿を認知し、かつ深層の情緒に溶け込んだ姿は普段の民生には隠れた存在だ。施政は幕府専権であり責任ある為政者だ。勤労の果実は年貢として徴税する。

しかし、一旦事が起こっても何ら問題意識もなく、埒外な政策しか執れないようでは、民は天皇の威と忠恕心にすがるしかないと、当時の民は考えた。そこに意が向くことは当然であり、今でもそれは威能は有し、行動は可能だ。なぜなら民の存在を大御宝(オオミタカラ)と称し、その民の良心の発露である「人情」無くして国法は機能しないからだ。制度はともあれ深層の国力である人間の情緒性は、政治機能とは別の意味で、直接的黙契の関係が厳然としてあるようだ。

幕府用人とて慣習とはいえ綱紀の緩みに対する問題意識すらなく腐敗堕落して、迫りくる欧米列強の植民地を企図する勢力との対応にすら窮するようになった。

現状追認、後回し、事なかれ、責任逃避、そして下剋上。

それは平成の御世に再来した現状とあまりにも類似した集団官吏の姿ではないだろうか。

しかも、その甦りなのか縁の再復なのか、天皇の姿が明らかに変わってきた。いや、変わったのは市井の人々の覚醒と蘇りへの愛顧なのかもしれない。








震災地への巡行、戦災慰霊の旅、津々浦々の市井の人々との交流、そして再び惨禍の兆候を察知したような言辞と国民への配慮は、あの大塩の抱いた正義と忠恕による人心の安定を共に願い祈る、皇祖仁孝天皇の宗旨(皇宗)に沿う、意識の伝承のようにも映る御姿でもある。

世俗は家族を基とした内外の社会生活に煩いを多くみるようになった。生産や消費、そして成功価値の変化や人生到達への茫洋さなどが混在して将来すら計れなくなっている。それらは苦情やモンスターと称される表現でしか表れる姿ではなくなっている。

当時の大塩とてそのような世情の姿に決起したのではないが、掴みどころのない浮俗ともおもえる時節に、問題意識を描く諸士は少なくはない。さりとて、゛どうしたら゛と暗中を模索するのみだ。





上賀茂


そこで筆者は今上陛下の発する大御心に沿うことを提案する。それは真似る、倣うことでもある。

応答辞令、仕草、言辞、様々だが、先ずは慎重に意志を読み取るべく鎮まりのある行動をすべきだろう。だからと言って崇拝主義やファン気質になることもない。姿を見せて膝を折り語りかけるだけで我が身の変化を感じられることの不思議さを我が身に問いかければよいことだ。宰相が百万言を弄しても届くことのない我が身の是非の感覚を探ることだ。

それが、「普段は感じられることでなくてもよいが、何かあった時に想い起していただきたい存在でありたい」との応えに対する市井人のほどよい立場だろう。そして即位の宣誓に「憲法を遵守して・・」と、厳明した言葉を公務に嘱する人々に最も理解してほしい。

民主主義を仮借した政治なるものが、運用者たる為政者によって暫し混迷している時世に、国民は、゛あの御方ならわかってくれる゛それを護ることに何の衒いもない国民は多いと思う。

だからこそ形式的認証であっても、その受任者たる輔弼(政官)を教化して欲しいと、またもや依頼の心が興るのは自然の姿ではないだろうか。今ならまだ間に合うと思うのだが・・


一部、参考資料は関係サイトより転載。イメージも一部同様に転載しています

浮世はなれした切り口ですが、ご感想はコメント欄にいただければ幸いです。

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「五寒」 生じて国家無し その四

2023-12-23 10:53:31 | Weblog

         文 佐藤慎一郎氏



「五寒」とは

《政 外》  政治のピントが外れる。

《内 外》  国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない

《敬 重》  敬われる人物の欠如 敬う意味の欠落

《謀 弛》  謀が漏れる

《女 レイ》 女性が激しくなる。荒々しくなる。


                

               孫文夫妻




[両性の調和]

娘、嫁、姑、姥、と変化する女性の表現文字は、男性から見ると、その積み重ねた経験の変化に、尊敬と慶び、あるいは慈愛にあふれた母性に感謝が込められています。
 
 言葉のニュアンスを論ずるものではありませんが、「女厲」にある女の烈しさと、母の剛さはその意味において大きな隔たりがあります。
「強さ」と「剛さ」、「烈しさ」と「激しさ」も同様に似て非なるものです。
 
 女性には元々、性における特質があります。 表現方法も男性とは違います。
 一つ一つの問題に互いの劣性、優性を争うものではありませんが、区別はあります。本来、両性は特性を際立たせながら互いに補い合う共生本能があり、役割認識があります。

 しかし、その時々の流行や、経済力、あるいは社会生活等の変化や衰退、はたまたは物質的発展とともに蓄積されるという精神的怠惰などは、男女の役割を反転させたり、両性の調和を崩し、単に、対立した権利、度が過ぎた享楽にその特性が浮き上がり、それぞれの生まれながら持つ優性が劣性に変化してしまいます。

男女に区別もあれば能力もさまざまでが、両性の優性が種類の違う自由と権利が交差、錯誤することによって優れた部分を劣化させることにもなります。

 多くの人は義務よりは権利の多くを主張します。
表現は異なりますが、人はそれぞれの範囲の中で権利の主張をしますが、自らが族を主張し、種を主張し、譲りあわなければどうでしょうか。
たとえば、不特定多数の利福を代表する議員が己の生活を主張したなら、「公」の意識は崩壊します。
子供が人権を掲げて大人と同様な享楽的な権利を唱えたら、道徳規範は必要ありません。
理屈では決められた役割ではないにしろ、暗黙の了解とか、当たり前の事、といわれている男性の責務の代表的な“戦地での戦闘”“社会での生産的役割”を一人の人間の自我として放棄したらどうなるでしょうか。

今までは考えもしなかった男性としての当然の責務が、妙な雰囲気のなかで逃避傾向にあるように感じられるのは拙者の思い過ごしでしょうか。


              

             満州での佐藤夫妻



[ 錯覚価値の露見]

或る碩学の格言に「六錯」と称して文明人が陥りやすい錯誤を述べています。

【奢シャ】
      (贅沢)を以て福(幸福)と爲ナ(考える)す。

【詐サ】
      (人を騙す)を以て智(賢い)と爲す。

【貪ドン】
      (むさぼり)を以て爲(行動力)すありと爲す。

【怯】
      (おびえ)を以て守(守り)ありと爲す。

【争ソウ】
      (あらそい)を以て氣キ(ちから)ありと爲す。

【嗔シン】
      (いかり)を以て威イ(人を従わせる力)ありと爲す。



また、こうも併記 されています。

肉体の欲望を神聖な行為と考え、堕落を文化と考え、流行を進歩と考え、道徳を反動と考え、闘争を正義と考え、とある。

  今流に言えば、自分を知らずして、なお且つ地位、名誉、財力、学歴といった無いよりはあった方がましぐらいの附属性価値にうつつをぬかす人々のようなものです。

しかし、このような錯覚価値も自分の秘奥な良心に問いかける心の余裕があれば、あるいは、眼前に現れる事柄に問題意識をもち、自己能力を認めようとする勇気があるなら、正しい価値に覚醒された新しい人生がおのずから浮かび上がります。
そのことは誰もが生まれながら持っている、すがすがしい精神への回帰であり、世俗の錯覚価値に放たれた“放心”の取り戻しでもあります。
赤子の免疫能力のように…         孟子「四端」参照


            
           竹内夫妻  妻は佐藤慎一郎氏姉


[弁(ワキマ)え]

俗話に「女に負けるものかと、馬鹿が言い」とか、「女三界に家なし」「カカア天下」などと様々な言葉があります。
男が威張っているのか、カラ威張りなのか、はたまたは遠吠えなのかは解りませんが、なるほど近ごろではそんな男が増えています。

 江戸の一時期は8割以上の成人男子が独身であったわけですが、平成の世でも60万人以上の男あまりの現象があります。
風俗としては男性の女性化、逆に、女性の男性化が言われます。
人工的に容姿を作り上げたりするものもありますが、男女の“それらしい”姿が希薄になって来ました。

  別に、断定的に男女かくあるべし、というものではありませんが、生活にはどう生きたらよいかの基本的スタイルが有るはずでもあるし、社会の表層に現れた部分を比較して「解放」や「優越性」を唱えたところで両性の劣性のみが目立ち、ときには権利の対立を起こし「優しさ」、「強さ」が、「軟弱」、「烈しさ」に変化します。
 
 現代ではそれぞれの性を忘れたかのように、様々な属性価値を求めて誘引されています。 例えば、「昔の女はこんな風ではなかった」「今の男はだらしがない」などと、いささか江戸の長屋談義になってしまうが、言葉に飾りがないなかにでも互いの性を憂うる気持ちが表れています。
こんな世相のひとこまも井戸端会議のように「カラッと」 しているとよいのだが、ちかごろの雰囲気はそうでもないらしい。 根本的には「自分」そのものが解らない事が多いようだ。
自分を解らないとは少々難解だが、自分を忘れていると考えた方がよいのかもしれない。 


            




孔子の逸話にこんな話がある。
 哀公という皇帝が孔子に
引っ越しのときに女房を忘れて行ったものがあるという話だが」ところが孔子は、「女房ぐらいならたいしたことはない、近ごろでは自分を忘れているものが多いようです」 
 いかにも孔子らしい説話のたとえだが、現代では他人の存在がなければ比較する己もなく、自分を表現できない人生は生きていることそのものを半知半解している風にも見られる。

別段、人生哲学を高邁に述べる訳ではないが、人間は人間そのものとして生きる簡単な行為を分かりにくくして、際限のない欲望と、禽獣同様な部分に身を置いていることに気が付かない。
もっと分かりやすく言うならば「何のために生まれて来たのか」「自分は何をしようとしているのか」「誕生のとき親はどんな喜びがあったのだろうか」
いわゆる「我(われ)は何なのか」を考える余裕と真剣さが必要ではないだろうか。

 こんなときが無かっただろうか。
 喜怒哀楽が親兄弟、伴侶にも垣間見ることの不可能な秘奥なる心の奥底を考えるとき、或るときには絶対無垢な良心で、あるいは邪まな心で、はたまたどうしようもない本能の欲望などさまざまな葛藤が巡るときがある。

 どのように理解し解消しょうかと試行錯誤が始まる。
自分で消化できるうちはよいが、友人や適当と思われる知り合いに連絡を取り一時の“まぎれ”をとるのだが「弱みを見せられない」「他人に話されたら困る」などと余計な心配ごとを発生させてしまう。いわゆる相談事である。
妙に事己納得する風で一事が万事「自己愛」から出発し本当の自分が分からない繰り返しである。

以下次号

コメント (2)
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無学な平民が観る、憂慮ある現れ  19/9 あの頃

2023-12-20 21:27:00 | Weblog

前号 関連稿

 

          

       大塩平八郎

 

 

筆者は世が世であれば・・・・平民である。

明治のころ、文明開化だの近代化だのと騒ぎ立て、藩主は華族はとなり、生き残ったは志士は軍人や吏員となって立身出世の風潮を煽った。

高知の山内容堂藩主曰く「維新の無頼の徒」も功績をあげれば男爵など爵位が付いた。それらはベタ金と揶揄された記章で衣服を飾り貼り付け、勲章をぶら下げて髭を撫であげた。

 

あの智将と謳われた秋山真之が天祐(天の助け)と呟いた日露の戦勝に舞い昇り偉上高になったのも、その元無頼の徒だったが、当の凱旋将軍の東郷平八郎は明治神宮の参拝にはうつむいて、まるで敗軍の将のようだったという。秋山は、゛神かがった゛と奇人扱いもされたが、日本の将来を遠望し鎮まりをもった処に自らをおいた。

乃木希典も同様だ。それは戦地臨場にあり敵味方にかかわらず多くの若者を死地に赴かせた哀悼惜別が終生、鎮まりのなか事あるごとに想起されていたからだ。

 

現代でも大戦を境にして戦前生まれの政治家はその惨禍を体験しているからか、「戦争の惨禍を知らない政治家は危ない」と警鐘を鳴らしている。

いっとき数は力だと、参議院は売文の小説家や女優、タレントが、これまた軽薄になったオトコとミーハー世代のオンナに支えられて政界に進出した。当選したら先生と呼ばれ、お手盛りで法外な便宜供与と俸給が保証された。

政治家も官僚の掌に乗っていればよかったが、近ごろは国会の職場内不純異性交遊や政策談義と称するキャバクラ飲食領収書、それでも隠し切れないとガソリンや切手の大量購入に勤しんでいる。

 

明治の無頼の徒と共通するところは座布団付きの議員バッチの威光だ。まともな国民からすれば虚飾だが、与野党揃って食い扶持の安定担保と、言うべきことより、言いたいことの舞台確保で忙しい。ついでに税金で政治資金まで手前勝手に議決して懐に入れている

流行りの男女共同参画やセクハラコンプライアンスも男女の性の優性を衰えさせた。

ともに分別して具備している魅力まで劣化させ、性の峻別ならぬ同化や転化がもてはやされる様になった。原色スーツに塗りたくって化けた装い(化粧)が選良として議場を闊歩して、ときに髪振り乱して嬌声をあげている。これも今どきの無頼の姿だ。

 多くの平民は観ているが、あえて口を開かない。一つの平民の常なる矜持だ。

 

    

      昭和天皇 

 

大正の頃、昭和天皇の結婚の御相手に久邇宮良子さまがあがった。今も変わりはないが高貴と自認している方は血脈を重要視する。反対派も大声をあげることもできないが、良子さまに色盲の血筋があるとネガティブな宣伝をした、それもお立場があるので狡猾に、かつ応援団を恃んだ。騒ぎを落ち着かせるためか皇太子を欧州に巡行させた。船旅だから長期にわたった。それほど女性の血脈は重要だった。もちろん今は皆無のような純潔遵守である。

その点、男は経験として鷹揚だ。

東郷平八郎は特有の経験則なのか、渡航の事前準備として横浜のメリケン街で訪問各国の女性に若き皇太子をあわせている。口舌なら阿吽もあるが、近ごろの説明責任には馴染まない話の内容だ。

 

平成もそうだった。皇族御用達学校の学習院に常磐会という女性会があった。正田美智子さまの嫁ぎ先予定の義母となる良子皇后も会員だ。厳しくつよい女性が多かったのか、ここでも口に出さない暗闘があったと当時の新聞が後日談として書いていた。

民間の粉屋(日清製粉)の娘で、当時のマスコミ報道はミッチーブームで世間は盛り上がった。一方では、その現象に眉を曇らせる貴き血すじの女性たちがいた。

筆者は「貴き」は自認でよいが、「尊き」はその様な人達に問いかける平民の意志だと思っている。

 

喩えだが、中国では民を水に例え、浮かぶ船を皇帝に模した。水は老子の説く「上善如水」(いちばん良い生き方は水のようなもの)と言われるように、雨は小川をつくり、地下にも貯まる。清水も濁流も排除しないで混じる。大河となって動植物を潤し、どのような形にも納まり、海を創る。静かな海は天が怒ると暴風となり舟を転覆させる。

つまり普段はオトナシイ水だが、怒ると舟である皇帝や為政者を転覆させる力があるということだ。そして何もなかったように寒ければ氷となり、逆に水蒸気となって雪や雨を降らせる。つまり水は循環という大きな流れで刻(歴史)んでいる。

それが、人間の生き方の倣いなのだと考えるゆえに、皇帝や宰相に「文句も言わず言うことも聞く、税金も払う、だから俺たちのすることを邪魔しないでくれ」これが関係の持ち方だと考えている。どんな妃を、婿と縁組しようが、おめでたいのは当事者であって、民には実利が伴わない。面白がるが反対はしない。かえって一部の繁栄を守る戦備や、体面をつくろう館や道路普請に税が増えると考えている。

さしずめ、地球のどさ廻りの五輪興行や祝いイベントも時を違えて似たようなものだ。

 

ここにきて秋篠宮佳子さまと小室圭さんのことで、当事者以外の言葉が世間を騒がしている。仰せになったのかどうかは判明しないが、発言の重い国母が否定的発言をしたと記事に出た。勝手な誤報だと思いたい。表立ってはいない秘事の類にあるやもしれないが、直接国母が発せられる言葉ではなく、意をくんだ側近なり、言論貴族や売文の徒なり、商業新聞が騒ぐことはあっても、国父、国母にその倣いはない。

 

     

   疲弊する民に沿った光格天皇       慈母 後桜町上皇

 

あの聡明な美智子さまでさえ適応障害(当時は云わなかった)になられた。

世間でも田舎から都会にとつげば訛りや食習慣、地域の風習に慣れるまで大変だった。

旦那が鷹揚で頼り無い長男なら「大事にするから」の連呼で役に立たない。

だが、義母も老い、孫が嫁をもらうようになり、同郷の郷であっても「田舎育ちで今どきの子は、親の教育は・・」などと、同じ繰り返しがある。まして昔みたいな人情も希薄だから、自分が嫁に来た時より辛辣になり、なによりも大人しいからと旦那の「」を超えることもある。

 

たとえば、昭和天皇の質素倹約の逸話だが旧知の卜部亮吾侍従と筆者の酔譚を想起する。

戦後の復旧が整い国民生活も安定した頃、お住いの大宮御所も古くなり雨漏りさえしていた。侍従が改修を上申したところ「国民はまだその環境にない」と断っている。戦後の全国巡行に使用していたコートの袖口がほつれていても気にも留めなかった。

卜部さんの語る逸話だが、戦前の大権が有していた天皇が、戦後の惨禍を鑑みて質素倹約に転換したわけではない。もともとの生育過程で習慣化され、長じて松浦重剛等による帝王学の御教育など、知識だけではない浸透学的涵養が優れ、かつ暗雲として覆っていた軍官吏の跋扈と増長を経国の妨げとなり、国家継承の危機となった経験の臨場体験など、戦火を知る者に観る「上」なるものの当然な忠恕心が涵養されていた。

それは、筆者も独りの国民として、゛ありがたい゛と感ずる大御心だ。

 

       

     杉浦重剛

 

後代は、゛国民と共に゛とお出ましも多くなり、流行りなのか皇族のファッションが浮俗の口の端にのるようになり、居も新たに構築された。

名画を喩えにするのも憚れるが、希少な絵画は、゛目垢がつく ゛と称して秘蔵されるのが常だ。

゛視た! 知っている゛では有難味もなくなるのは、゛なんだ~、オレと一緒だ゛となり、時流の浮俗に晒されることになる。憧れが手元に入ると飽きがくる。しまいには下げ降ろす気風も生まれるようだ。

 

その騒ぎも、最後はオヤジが出てきて頭を下げて収めるのがオチだ。マッカーサーの前には勢いの良かった軍人重臣ではなく、まして国母ではなく、国父の実直さと人物でしか適わなかった国を救う会談だった。

 

「文は経国の大儀にして不朽の盛事なり」と、古来から国家の大事として文章管理を説くが、それも反故になったと、登場人物と共に歴史に刻まれた。しかも国家財政で学費を賄い養成された文官エリートの仕業だ。

 

世俗では旦那が意向を出す前に女房が他人の息子が不釣り合いでと広言する家庭は、およそ統御がとれていない。つまりオヤジのガバナンスがないため、女房が我慢しきれず、他人の子供に事に口を切る。ゆえに我が子でさえオヤジの言うことをきかなくなり、アメリカンファミリーのように、先祖や家意識などなく、嫁と子供のことばかりに気が向くようになる。

 

    

        

 

ちなみに天皇の大御心では、民を「大御宝(オオミタカラ)」と称して遍く慈しんでいる。

いくら周りが人権だと騒いでも、己のことについては「権」を語らない。ましてや祷りは、不特定多数が縁あって棲む敷島の安寧を希求することで、我がこと、我が家族ではない。

ゆえに躊躇しない。その特異を認めるからこそ国民との結びはある。たとえ慣習上、どうしても寛容や忠恕心で包めないことが生じても、その調和が解決に向かう努力を超えることであったとしても、オオミタカラを個別に云々することは抑えるのがお立場の倣いだった。

 

オオミタカラは行政管理にある国民だけではない。我が国に訪れる人、援けを求めて来た人。不幸にして罪を犯してしまった人、貧富も国籍も問わず、四方蒼海に存在する敷島(日本)のなかで、縁あって暮らす人々をそう称しているはずだ。

そのお考えは、人間種として天皇が特殊なことではない。だから、その行動は誰でもできることだと勧奨さえしている。

ちなみに「同じ人間ではないか」と、単に同一視する世俗では、忙しいとか身分や財力が、といったらどこにもついて回ることだが、まして、人間そのものを解明したり、証明不能なこととして附属性価値の多寡で選別しても人の世は成り立たない。

 

畢竟、観えることは言葉と行動だ。

「俺たちと一緒だ」では成り立たない。ゆえに明治以降かたくなに守護した空気であり、推戴のもととなる邦人の情感であり、深層の国力なのだ。

これも平民のゴマメの歯ぎしりなのだろうか

 

イメージは関係サイトより転載

 

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「五寒」 生じて国家無し その二

2023-12-20 07:16:52 | Weblog

果たして我国の現状は・・・

五 寒

中国は漢代のころ、当時の識者は国家社会を衰亡させる要因に五つの兆候があると説いている。 

其の一
   「敬 重」ケイチョウ 敬われる人物がいなくなる

  敬う対象がなくなるのか、あるいは敬意の心そのものを無くしてしまうものなのか、閨閥、学閥、財力、名誉、地位など人格以前の属性価値の変化から生ずる無秩序な社会の一過性の現象とも考えられる。 いわゆる民心の混乱でもある。

其の二
   「謀 弛」謀(はかりごと)が 弛(ゆるむ

  大切な問題が筒抜けになる。相互信頼の欠如によって心の動揺が生まれ、公私の分別がつかなくなり我欲が際立つ社会構成になってしまう。 また国家の重要な問題が他国に漏洩したりして、国家の維持機能が軟弱になったりします。
 また、綱紀が弛むなど自己規制がなくなる状態である。

其の三
   「内 外」ナイガイ 内面の欠点を外部で補うようになる

  内政の失敗を、外敵を作り出すことにより国民の眼を外に向けさせたり、外国勢力の力を利用して内政を取りまとめたり、あるいは指導者が自己の錯覚した属性価値を高めるために外国要人との記念写真を国内向けに撮ったりすることなどは、指導者の必須の資質条件と何ら関係のないことである。いわゆる短い単位の歴史の流れにうごめく軽薄な民の組成ほかならない。

其の四
  「政 外」セイガイ 政治のピントが外れ
 
 政治の根本である「政綱」がないままの政策論議が政治家の仕事と錯覚してしまい、常に対策に翻弄されてしまう状態を生み出してしまう。   「政綱」 政治方針の根本や、 目的のない学問と同様に、“我、何を為すべきか”の根本もなく、本来あるべき歴史の真理、真実の探求もなく、単に時運に右顧左眄する政治を露呈してしまいます。 しかも人間のみにその政策の重点を置くあまり、地上の森羅万象を観察する秘奥な心眼を失い自然界との共生ができなくなり“天に唾する”状況を作り上げてしまう。
「 亡国になって初めて亡国を知る」とはこのようなことを言うのであろう。

其の五
 「女厲」(ジョレイ・ラン) 女が(烈)はげしくなる

 国家衰亡の五つある徴(しるし)のなかに“女性が烈しくなる”とある。 
暇に飽かして漢和辞典をひいてみると“女”という文字につらなる合字は数え切れないほどあるが、“男”のそれはなかなか見当たらない。

 薄学が一生懸命探しあてた一つが“嬲(なぶ)る”であった。男二人の間に女を挟んでいる“嬲る”は文字の意味そのものであろう。
“なぶる”は、いじめたり、からかったり、あれこれと苦しめたり、あるいは戯れるといった意味がある。
ところがもう一つの“なぶる”がある。 「嫐」である。
これは小生の辞書にはのってないが、ワープロ変換に記憶されているものである。 確かな意味は判明しないが“嬲る”における男女の役割が入れ替わったものだろうと想像する。近頃はその気配すらする。






 女偏のつく文字のおびただしい数は、それだけ重要な役割と責任がある“性”なのであろう事は疑う余地はない。とくに陽(男)と陰(女)の調和が生命を誕生(産む)させるという神秘的な行為に対する感謝、崇拝が、かくも多様な文字を作り上げたと言っても過言ではない。

 このように両性扶助(調和)は人間界の繁栄と維持に欠くことができない条件ではあるが、歴史はその時々にその還元力を試したり、互いの必須条件を確かめるかのように愛憎の反復行為を両性に与えたりする。
太古の歴史の反復、循環の作用からすれば先入観と考えられることかもしれないが、役割の入れ替えと、心の棲み分けがそれである。

 古代の埴輪にある帯刀した女性、儒教における男女の役割、戦後の社会的生産分野への進出、教育分野での女性的価値観での影響力、政治の分野における女性特有の参加形態がそれである。
街中では到底歩けないような原色のスーツと、ここ一番の厚化粧をした議員が口角泡を飛ばして平和、平等、人権を屏風にして相手を批判、もしくは自身の意見を確認するかのような論を強弁することに本気で応じられるのだろうか。
現在の姿は、平和ゆえに一過性の現象とも考えられる。






 「女」は男性側から指して言っている訳ではない。調和の崩れが及ぼす影響が、いずれは女性自身の側に降り注ぐことを憂慮した、歴史からのささやかな啓示であることを考えてみたい。
 
 たかだか人間の考える範囲の問題だが、人間は平等であるという。しかし男女の区別は双方から見てもある。 肉体の構造は大きく違い、ときとしてその享受する歓びも、それぞれは真に理解することはかなわない。また憎しみも違えば行為も違う。

 こんな俗諺もある。「平ならぬもの、平すれば、平ならず
平ならず、とは不平と書く。平すれば、とは平等と書く。平ならず、とは不平である。つまり元々「平らでないものを、平等にすれば、不平が出る」ということである。この隙間には、個性とか特徴があり、また平和や人権意識がある。

 人間は何と遠回りして考えるのであろうか、あるいは誰に問いかけているのであろうか、人間の身体にも機能は均等だが利き腕、支え手がある、また戦禍や不慮の事故で機能を亡くしても補助や他からの扶助がある。不平、公平、平等を眼前にも意識にも総て存在するのが世の中である。これを得手勝手な嫉妬、恨み、に逆進する意識と、惻隠、感謝、学習に転化することでは、人の世の現象に多くの差異が生ずることとなる。

 だが人間同種として共有、共感することがあるからこそ、違いから生ずるさまざまな苦楽を認め、受け入れることの積み重ねを“愛情”という文字に写しとっているのである。

以下次号

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「五寒」 生じて国家無し     再掲載

2023-12-20 07:16:06 | Weblog

                 


五寒」生じて国家無し と言われる現象 亡国の兆候

顕著になって現れる姿は、政治、宗教、法律によるものばかりではなく、民族そのものの経年劣化、あるいは循環の妙ともいえるものである。

分かり易くいえば、成功価値や幸福感の錯誤のようなものが人間と複合的社会の関係を考察する座標や、人そのものを観る「観人則」の亡失であるといってよい。

宰相、荀悦が憂いた偽、私、放、奢を表す「四患」もその例である。

以下「五寒」を照らして世俗の現象をみると、普段の情報知識とは異なる切り口でそり問題の本質が浮かび上がる。

つまり自身の置所を変えた新たな感覚による考察が浮かび上がることでもある。



政 外》  政治のピントが外れる。

《内 外》  国外に危機を煽るなど内外のバランスが取れない

《敬 重》  敬われる人物の欠如 敬う意味の欠落

《謀 弛》  謀が漏れる ゆるむ

《女 レイ》 女性が激しくなる。荒々しくなる。








女(ジョ) (ライ・レイ)  なぜか国家の衰亡期には女性は烈しくなるという

平成19年(2007)幕開けは二つのバラバラ死体事件と恒例の政治家と金にまつわる話題が各種マスコミ媒体を賑わした。
格差社会、年金、憲法と鎮まりのない議論とかいう、言いたいことの争論が社会の耳目を集めているが、刑事ものの探偵宜しく枝葉末節な推論に大衆も口角泡を飛ばして参戦している。

まるで末世の騒々しさの様相である。忌まわしいことではあるが、これほど多種多様な犯罪が日夜行われると社会や国家の真の存在意義を問いたくもなる。

 政治課題として憲法改正、教育基本法改正、郵政民営化、道路公団改革など、それぞれ政治家、官僚、有識者、専門家といわれる人々が掲げる国民の為、国家百年の計などという大義が部分の埋め合わせ論となり、かつ人間の欲望が混迷の種となり、社会全体の風儀や人の情緒を喪失させ、総ての根幹であり政策の大前提である人心の安定と調和がとれない、いやその在り所さえ判らなくなってしまっているようだ。

 また、そのような切り口にある問題の掲示を、観念的、具体性がない、はたまた科学的根拠が希薄であると、問題解決の前提である人の「意識」や「直感」を生み出す俯瞰性や下座観、あるいは時の経過から推考する考察を遮断するために起きる先見性の欠如に加え、他との調和に欠かせない譲り、委ねることの前提となる「礼」と「分」を否定する争論に陥っていることも大きな因となっている。







つまり、「部分は全体を表さない」というハイゼンベルグの論を人間学的、社会的にも実証しているかのようです。簡単に云えば、選択したものに間違いがあれば、言い訳を生じ、イヤイヤ選択したものの失敗は文句を生む。それゆえ選択に伴う責任を回避して無関心を装う大衆が増え、自らが全体の一部分であるという存在すら希薄になる現象である。

これが愛という共通語によって最小限のパートを組む夫婦はどうだろう。
愛といっても財、家屋、地位、学校歴、美麗、はたまた自らの自己愛を充足させてくれる存在などあるが、ここでは一般形式を満たした夫婦を考えたい。
2005年、浮俗では既婚者の男が女を殺害する件数は一年間に80件、逆に女が男を殺すのは120件、つまり三日に一人は夫が妻や内縁に殺害されている。

理由はさまざまだが、総じて金、嫉妬、ではあるが、近頃ではプライドを汚されたという理由も多くなっている。殺害の仕方も焼殺、切り刻むバラバラ殺人、あるいは食事に混入した毒物など女性らしくも、いやそれもより巧妙になってきている。

 昔は独占欲から別れ間際の殺人だったが、近頃ではドメスティックバイオレンスでも離婚せず虎視眈々と復讐の機会を探るという陰湿な犯罪が増えている。
この他に幼児虐待から殺害、子供の親殺し、あるいは兄弟姉妹同士の殺害など枚挙がない。






あの大江戸八百八町といわれた江戸でも武士は二本差し、渡世人、用心棒はドスを懐に入れていたが、殺人事件は数えるほどしかない。なにしろ殺人があると半年ばかり街中の話題に耐えたとも言う。幕府開設当初8割の男子は独身だったせいもあるが、あのゴールドラッシュの西部劇を見るようで女性は大事にされていた。たまに長屋で祝儀があれば「内の女房は何々家の腰元さがり」「前は大店の女で・・」などと自慢さえしていた。いくら女性が少ないからといって、御手つきばかりではなかった筈だが、それも出自のブランドだった。

 厳然とある士農工商という役割区分は夫々のエリアに調和をもたらしただけではなく、個々の嫉妬、怨嗟など軋轢や混乱の因を吸収できる楽天さがあった。
 
 また無常観という諦観が、「分」の矜持に似て存在していた。それはお上の権威もさることながら、村八分に代表される陋習(掟、慣習)や、支配者や長(オサ)の学問や規範が今のように多様ではなく、ごく自然に受け入れられる人心の素地があった。

また各層を総覧する支配階級には儒教やそれと一体になった山鹿素行の武士道得、または地域の実利学である郷学、塾が庶民の身近にあったことが、よりその有効性を高めている。力や権威とはいうが、力が財、学校歴、資格、という名目唯物ではなく、強いものの忠恕や庶民の人情が、あの大岡裁きに見るように官民一如であったことも否めない事実だ。加えて共通理解の淵が可能な範囲にあったということだろう。







翻って民主と自由を掲げるシステムではあるが、これほど個々の人々が乖離することになるとは・・、いくら欲望のコントロールが効かず、かつ助長させる外的要因(宣伝、思想)があったにしても、これほど人の心の自制心が弱いものなのか・・、ときおり強権のささやきが欲しいものだと思うことがある。
あの鬼平犯科帳の主人公長谷川平蔵は武士の強権によって捕縛したもの(虞犯、無宿物)を、石川島の寄場に集め殖産(手に職をつける)事業を行い、忠恕(権のもつものの優しさ)を添えて訓導している。

夫婦においても、官民においても触れ合う距離感が掴めなくなっている。自己喪失という難解な問題を身近に相対する人なり組織にリンクするにも、対象との位置感覚の境がおぼろげになる分裂した自由意識は、自発的な制御の在りどころさえ喪失して、他からの強制なり意識を超えた驚愕でしか解決がつかなくなっているからだろう。鼠の集団入水や天変地異を想起するような考えが起きるのもそのためだ。






なかには北朝鮮に描く強健国家の強制規律や貧乏と思われる環境に、我国に蔓延する怠惰な民情に起因する人々を矯正体験させたらいいとの片言があるのもその意があるようだ。

半知半解な自由意識や、己を知らない人権意識はとてつもない負荷エネルギーとして社会の融解を助長させている。殊に消費資本という主義システムを甘受した国家は、すべからず欲望のコントロール如何によって人々は時の集積(歴史)を分断忌諱しつつ、主である自身を時空に浮遊させるようになる。

また消費資本の発するバーチャルなプロパガンダ(宣伝)は、人々の表層知識を充足させることはあっても、人間関係に必須な人情の養いになるであろう、思索、観照の鎮まりにみる情緒性を陳腐なものとして廃棄してしまう。

犯罪に置き換えれば信頼に値しない関係、それも自己の都合の上のことが原因で犯罪や腐敗を誘引していることが多いことに気付くのはそのためだろう。単に法に抵触するなどの類ではない、陋規(習慣性、掟)にある善悪区別の迷走であり、成文化された法や制度では到底解決できないステージにこの社会は足を踏み入れたのである。

これも習い事のようだが、似て非なる隣国の永い循環サイクルに基づいた警言に知恵を借りることにする。


以下次号

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この有様は「五寒」の政外、内外の表れである  10   9 月  再

2023-12-19 12:17:34 | Weblog

あの頃も

 

平成29年、現下の情況は五寒にある「謀弛」、政治のユルミであり、隠していることが漏れる現象である。

また、政府を取り巻く諮問会議など、都度に国会の審議を得ることもなく、為政者にフリーハンドを与えたシステムではある。

だか、邪な意図をもった為政者なり側近が運用すると恣意的(思いのまま)に政策が遂行されてしまう。

つまり、官邸と一部の迎合官僚と業者の関係のみで国会のチェックもない。

面倒な争論を省き改革するには重宝だが、緩み(ゆるみ)と漏れ(もれ」は、必ず起きる

現下の騒動はその結果であり「五寒」に示す、謀弛の現象だ。

再三にわたりブログで記すが、「四患」から「五寒」になる過程は、人心の劣化と国家の衰亡である。

また、五寒にある「敬重」は、天皇、いや「天皇家」の意志にもかかわる問題である。

そもそも、天皇といわれる日本独自のシステムは、明治維新や戦後の民主制度で作られたものではない。

或る時は豪族が、封建では武士が、明治は議会が整う前は、有司(官僚)が考えた在り様だ。

有司が必要とあれば有史以来はじめて天皇に軍服を着せた。そしてその袖(かげ)に隠れてコントロールした。

最後は勝者である司令官に頭を下げさせ、多くの軍官吏、官僚、政治家の責任者は科(とが、罪)をのがれた。

今は、かたちなりに国民から権利を負託された政府が、その在り様を決めている。

だが、天皇の存在意義を考える側と、連綿と続いた掟や習慣で「家」を維持してきた側とは自ずと立つ位置は異なるのは当然なことだ。

その意義をどのように用いるかは為政者の問題だが、それらの手のひらに乗るお立場でもないことは、究極には割れない国家(分裂しない)であった歴史を俯瞰すれば自明なことだ。

欲望の交差点のような議会の与野党が分裂しても、国民の深層の情感は揺れることはない。いや安心しているといってもいい。

譲位は「家」の事情を含んでいる。

想像は勝手だが、「家」なりの深い事情が潜在することは事実だ。

それこそ「忖度」の用い方の知恵だ。ここでいう忖度は権力におもねて身を護る「そんたく」ではない。

 

                     

                         桂林

                                  

 

以下は再掲載ですが・・・・

政治のピントが外れる  「政外」


内政、外交の調和も無く、時として異国に侮られる  「内外」


「内外」は内政が治まらないために外に向かって気勢を上げる、あるときは危機を煽って国内の耳目を転化する状態である。

つまり、双方「信」が無いのである。いわんや「力」が乏しくなる状態である。

先ずはそこを押さえて昨今の日中問題、米国の政策を理解すべきだろう。
それは数値に表れる軍事力、経済力などを基に国力を見るだけでなく、過去から押し寄せるもの、将来を勘案して企てることが地域間に棲み分けられた民族の盛衰、あるいは民情の流れ方にある速度や量の問題を加えることへの促しでもある。

それは人間が群れとして向かう成功価値への欲求と集中、またその群れをコントロールする国家なり民族のリーダー【長(おさ)】なり政治機構の姿が「五寒」として現れるのである。

「信」が無く、「力」がなくなれば人間に関わる問題はすべからず弱体する。

とくに民主自由にグローバルという平準化がアジアに押し寄せたとき、率先して迎合した我国の諂いは隣国の民衆に一部にどれだけの追い風になったか、それを因とした、゛いいたいこと ゛゛ヤリタイこと゛が便宜的主義と相まって彼等なりの民族間競争がすすんだ。


゛彼等なり゛とは我国の政党内抗争同様、利に集い、利に散ることを掟や習慣でいう陋規(狭い範囲の因習)によって衆を恃み、群れを構成する姿である。従前の成文法(清規)がグローバルという外来システムに応用できず、また「人治」と称される実力者の意向(力)とのせめぎあいが心理的抗争という形で、表面形式や裏という其々の姿の権力が軍や経済を背景に間合いとバランスを取り合っている。


国内問題であるうちはまだしも、各々が国外に威を競争し始める、それが昨今の「力」の変容となり、国内異民族や諸外国との摩擦を起こしているのである。火山自噴の溶岩や地震が目に見えない境界を越えて影響を及ぼすことと考えればいいだろう。

また、それを当然の如く行なわせているのは「天下思想」と独特な諦観である。
つまり地球全体が住処であり、天は照らすこともあれば雨や暴風もあるが、それはそのときのこと、という生き方だ。それは普通に考える国家や社会観ではない。そのため「力」の有りようによって対応はどうにでも変化するのである。

分かりやすく言えば、゛天下の客であって主人゛なのである。
もちろん異なる考えを持っている民族なり国家との乖離は当然ある、また「力」の増減によってその対応は変わってくる。根底は肉体的衝撃と惨禍を想像させる「力」の姿とその表現である。


米国の軍閥といわれる産軍複合体同様、中国の各軍区における競うような経済行為と軍備拡張も新興財閥と同衾してそれぞれが独自の勢力圏を築き中央政府までコントロールしている。
つまり、力を「威」として政治すら傀儡化し、しかも其々が経済外交、国外勢力圏の増殖に走り出している。陸の軍区は内陸自治区から隣国を脅かし、海の軍区は海洋版図の書き換えを謀り外洋に進出し始めている。

歴史的にも軍(武力)を背景にしたものが権力を安定させてきたが、政治内局の各々が各軍区の後ろ盾を持つようになると、いつもながらの権謀術数が蔓延り、危機を感ずるものは財産の国外移動が当たり前のようになっている。そこには国家を俯瞰した愛国心が、「一官九族に繁える」といった歴史的倣いにすすんでいる。「一官・・・」とは部族、親族に官位が昇り財(便宜、賄賂)を得るようになると「九族・・」でいう親族が恩恵を受けることである。

「政外」、「内外」その表れる姿は敬重を本とした「力」の威が衰えることではあるが、人を尊敬するとか、人々が譲り合うという敬重が無意味になる昨今、その本は財利に集中している。

「衣食足りて礼節を知る」とはいうが、゛足る゛の際限の無い欲望は彼の国をあげつらうまでも無く我国も同化しつつあるようだ。世界は財という鎖によって結ばれた。縛られるものと、引っ張られるものも明確になってきた。それは恣意的に与えられ放埓となった自由と、連帯や統合を妨げるように昂揚した民主意識を携えて現住所形の国家観に変化してきた。

彼等の活動しやすい状態になってきたことだが、それは、とりもなおさず自由と民主を掲げて便宜的資本主義を軍事力、財力、システム構成力を以って推し進めてきたもう一方の勢力の謀のような企てでもある。





                           








【その行く末は・・・】

その一方に偏した繁栄と、そのシステムの頚木から解かれた新興勢力や復興勢力の計算高い連携と分裂の繰り返しが起こり、今までの経済支配から「力」(軍事)を背景にした固有の政治支配である専制への欲求が再び頭をもたげてくる。地域二国間の軋轢は国論を統一不可能になった、いや、そうすることによって連帯と調和を亡くすように民主、自由、平等という資本欲望と相容れない恣意的美句を諂い迎合受容した民族の衰亡をより明らかにする。

つまり群れの「長(おさ)」さえ推戴できなくなった群れの末路は獲物にとってこれほど好都合なことはない。気がつくことは親が親でなく、子が子でない家族の実態を国家に置き換えればセンターラインの無い繁栄として妙で特異な成功価値を生み、歴史の良とした価値まで融解するようになってきた。

一過性ではあるが,先の大戦後の政治経済における世界の「長(おさ)」であった米国の衰弱は、俗に言う、゛けつ(尻)持ち‘の実態を見極められたからである。要は力のあるうちに拙速に結論を求めるべきだろう。持久戦で疲労するのは前線の衛星国である。

なぜなら「平和」を謳って市場を確保していた資本市場は新たな「力」の登場に、またしても平和を唱えてそれを収めようとしている。彼の国の平和は、戦争と戦争の間を言うのであって、真の平和は「太平」と「安寧」なのだ。それもハナシとして理解している民族だ。

孔孟もハナシとしては理解できるし発生の必然もある。ただ、色変わりする国論のようなものはあるが、それは逢場作戯(その場、その時の対応に戯れる)と、「臨機臨度に涵養を観る」ように、人や国力を測りつつ柔軟に応ずる人治の論のようなものだ。







                 






【応ずる国家の実態】


それに応ずる我国の高官の「本(モト)」とするものは、文部省の官制学校のカリキュラムを唯一の糧とした既得保全の群れの稚拙な応答でしかない。これでは国家も人(日本人)も見切られてしまう。しかも緩急に国論の統一性のもとである調和連帯の意識も無く、四角四面で遅拙な結論しか生み出せない。


満州崩壊で多くの高級官吏、高級軍人は電話線まで切って遁走した。日本人は開拓民を置き去りにして逃げた歴史を彼等は知っている。そして潜み、言い訳をする。日本人の学問の果ては肉体的衝撃を回避する。そう観ている。それは国家の大経綸と覚悟とのない貪官の群れでもある。


もちろん「五寒」に説く、「内外、政外、謀弛、敬重、女厲(レイ)」の到来と、その前提にある政治家、官吏の災いである「四患」に説く、「偽、私、放、奢」の由縁すら理解の淵にさえ届くことは無い。

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蟻さんから学ぶ、フリーライダー存在必須の意味

2023-12-18 06:09:12 | Weblog

2019  2/14  あの頃

《以下は関係サイトからの転載です》

北海道大学長谷川英祐先生が進化生物学の見地から詳しく研究し、一般向けの解説書を出している。

それによると、働くアリと働かないアリの差は「腰の重さ」、専門的に言うと「反応閾値」によるという。アリの前に仕事が現れた時、まず最も閾値の低い(腰の軽い)アリが働き始め、次の仕事が現れた時には次に閾値の低いアリが働く、と言う形で、仕事の分担がなされている。仕事が増えたり、最初から働いていたアリが疲れて休むなどして仕事が回ってくると、それまで仕事をしていなかった反応閾値の高い(腰の重い)アリが代わりに働きだす。

 

「疲労」というものが存在する以上、一見サボっているように見えるアリの存在が、コロニーの存続に大きな役割を果たしている。仮に全てアリが同じ反応閾値だと、すべてのアリが同時に働き始め、短期的には仕事の能率が上がるが、結果として全てのアリが同時に疲れて休むため、長期的には仕事が滞ってコロニーが存続できなくなることがコンピュータシミュレーションの結果から確認されている。閾値によっては一生ほとんど働かない結果となるアリもいるが、そのようなアリがいる一見非効率なシステムがコロニーの存続には必要だという。

 

一方、閾値に関係なく本当に一生ずっと働かないアリもいる。これをフリーライダー(ただ乗り)、またはコミュニティをだまして寄生するのでチーターと言う。アミメアリ(女王アリがおらず働きアリが産卵も行なう)のフリーライダーは働かずに産卵だけ行い、フリーライダーの子アリもフリーライダーなので、フリーライダーがいるコロニーはフリーライダーが増えて滅びるが、滅びたコロニーの跡地に新たに健全なコロニーが形成される。

 

フリーライダーは別のコロニーに分散するので、アリの社会全体ではフリーライダーの数が一定に保たれている。フリーライダーの感染力が弱すぎるとフリーライダーは1つのコロニーと一緒に滅びて存在しなくなり、逆にフリーライダーの感染力が強すぎるとアリ世界のすべてのコロニーにフリーライダーが進出してアリが絶滅してしまうが、そのつり合いがとれているので、働くアリもフリーライダーアリも絶滅せずに存続している。

 

すべてのコロニーにフリーライダーが感染してしまわない理由は、アリの社会が複雑であること、専門的に言うと「構造化されている」ことが理由だという。

 

ここで言う「アリ」は「人間」に、「アリのコロニー」は会社や組織など「人間のコミュニティ」にたとえられる。ここで言うサボっているのを言いかえれば、予備部隊(交代部隊)や独立要因に当てはまる。なお、微生物以外の高等生物ではヒトだけに存在すると思われていた「公共財ジレンマ」(フリーライダー問題)がアリ社会にも存在したことは、琉球大学の辻和希らが2013年に発見したもので(フリーライダーを養うために過労死する働きアリも発見された)、フリーライダーが進化生物学的にどういう意味があるのか、なぜフリーライダーアリがいるにもかかわらずアミメアリの共同が維持されているのかは現在も研究中

 

   

 

 

《以下、 筆者 拙意の章》

東洋学では老子の説く自然準拠の理がある。その中で有名な章「無用の用」について考察すれば、二十世紀になるが、パレート蟻の観察から導いた全体の中での部分割合の法則、つまり働くものと、仕方(受動的)なく追従するもの、さぼっているもの、などを割合として示したものがある。

 

参考にした北海道大学長谷川英祐進化生物学でも同じような類似した考察を記している。あくまで生産性についての考察だが、ここで、今では切りすたられるような部類である、働かないもの、自発的行動がないが追従するもの、については「有用」と「無用」の別と考えれば、いまの社会では「無用」の範疇に入るだろう。とくに政治や企業分野の忖度、追従、など、職掌の任に足らぬ群れの存在が多くなっている。

 

しかし、孔子は「無用の用」と説く。つまり有用を活かす「無用の部類」と説く。

その「有用」だが、スピードの速い社会では他との関連性で、瞬時に無用となることがある。

ここで見落としてはならないのは無用と思われるものの存在だ。

筆者の師も「森羅万象の出来事、生きるもの、みな無駄に生存しているものはいない」と、しかも「時の変化や禍福すら・・」と説く。

その用いる場面において無用でも、それらは単に無為に過ごしているわけではない。

東洋的には「無」は西洋でいうゼロではない。ある意味「無限大の可能性さえ持っている。融通無碍ともいえるが、人間の思索においては臨機応変、縦横無尽とも考えられる。

いや、長谷川氏の云うフリーライダーは予備部隊・交代要員・独立要因とも思える存在なのだろう。

 

あるいは、戦闘部隊の兵站、つまり総力の部分を補い、保持する要員であり、連帯調和には欠かせない潤いともなる存在でもある。

尾籠なことだが、オンナを乗せない戦(いくさ)船では、同性の隊員が精神的にも潤いともなるが、多くは戦闘には適さない資質を持っている。

万物は存在(生きていること)に意味がある。植物連鎖もそうだ。それは陰陽の複合連鎖と時の経過で理解できる。それを抱合している自然界に人間種として存在性を占めている要因は、その「理」に順応しつつ、しかも意識なき関知(潜在に留まる意識)に生きていることだ。

 

近ごろは自然界の「理」(ことわり)からすれば、人間こそ「無用の用」なのだろう。

畢竟、人間種が存在することこそ地球の「内なる賊」になっているのかもしれない。

パレート先生も長谷川先生も「アリ」の観察だが、そのアリ先生から見た両先生は、果たしてどの部類に入るのだろうか。

 

    

 

埒外の論だが面白く考えてみよう。

人間以外の動植物はそれぞれ自然界に棲み分けられている。また、必然の理由がある。

ならば、牧畜はどうだろう。ならば美味いかどうかと動物のト殺の際、哀願する眼に食欲しか覚えない人間種は、どのように映るのだろうか。これも自然界のようになっているのだろうか。

 

四角四面の是是非非ではない。無用には無用なりの意味を見出すべきだろう。

東洋では成文できる合理的定理など用いなくても、世界は存在するという前提定理に沿うものではあるが、構成要因は非合理、無理によって成り立っているとみる。それを認知するには自身をも自然界の一部分としての感性、あるいは宿した情緒性で考察しなければ収まらない意識がある。

 

遠い昔、老子は「無用の用」と説いた。聴いたものも、見た者もいないが、説いた。

そして、その文言の用途を、辿り着く人間の考察として活かすことを学びとして残置している。

その間、永いあいだ未開で野蛮と称されたアジアだが、不合理や無用に意味を持たせる、あるいは活かすことを、不合理で意味のない説として忌諱してきた。

それゆえ、証明できないからと神を否定し、曖昧で、あてにならないからと直感力を無意味なものとして切り捨てるような学び舎教育がいきわたった。

 

アリさんも鬱陶しく、煩わしかったのか、本質の実像を見せなかったに違いない。

予報士がいなくても前日から雨を察知して巣じまいして、人間を不思議がらせ、研究者には不確定論を吐かせ、稼がせている。

自然界に横柄な人間には、身を賭して美食を勧め人間種を不具合(不健康)に誘い、彼らに認知できなくなったマジックを使って危機を誘い翻弄させるが、案の定たかだか人間種の浅い知識(情報)に飛び込んで、己の生と死の感覚をオボロゲニさせている

 

     

 

 

不思議さと好奇の探求としての筆者の奇論だが、学び舎の四角四面、かつ、暗誦、記問の数値選別に不思議さを感じない学徒と、それを促す女厲たちには、理解なき駄論だろう。

多くは利学、詐学、吏学という名利追及の痴学のような教育産業の顧客になっている。

小章とて、浮俗では無用の部類だが「用」を識る人間もいることも事実だ。

それは、「無名」に座し潜んでいるはずだ。

「沈潜の学」というものがあるが、その部類だろう。

 

 ※写真はブラジルOsny mero氏より

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異なることを恐れない意志 08,8再

2023-12-16 02:45:00 | Weblog

     粛軍演説で国会を除名された 斉藤隆夫氏


国際主義、平和主義、平等主義
耳障りのよい文字配列だが、そこに自由主義、民主主義、はたまた経済構成を消費資本主義と管理社会、それらをミックスすると現代社会のようになり、茫洋としたなかで目標を描こうとしても、情報という便利魔物にかき回され、確かな答えがうっすらとモザイクを掛けられたような、まさに混沌とした状態が導き出される。

そもそも「主義」なるものをみるに一例がある。
戦前の碩学といわれた大川周明の日記の一章に、「近頃、主義と冠するものが増えたが、往々にして主義業のようなもの・・・」とある。つまり食い扶持を賭して主義を唱えていたのである。

国際の云うところ、ボーダレス。平和が謳われると戦争への道程。平等は特徴を無くし却って不平を生ずる。自由は放埓、民主は分裂、消費は贅沢を生じ、管理は奴隷化の端緒、情報はハナシの充足感。

変わり者の切り口だが、人間を知らずば、そのようになること必然である。
そこには必然を意図する者もいれば、未然に考えるものもいる。

バーバリズムを幾らかでも文明に親しもうと知識を仕入れ、物腰を自制して、妙な成功価値を与えられ文明人を気取っても、現代の多岐にわたる忌まわしい現象は防ぐことは出来ない。却ってバーバリズムに内在する、ナチョラル、ピア、つまり素朴で純粋な人間の在り様が欠け、問題意識もなく危機に鈍重な人間を作り出してしまう。

不謹慎な戯れ話しだが、以前政党の世界について外国人からこんなセリフを聴いたことがある。
社会党は「斜解党」、公明党「混迷党」、共産党「共惨党」、自民党「自眠党」
主義業もそうだが、「党」も旧字には「黨」、黒で表す悪を賞する人々の集まりだと隣国の諺言にある。

「業」それを掌る「党」も似たように衆を恃み(数や勢力を当てにする)特徴を埋没させ、しかも大義と称して主義を唱え、人々を一定の檻に閉じ込め、それが世界だと思考さえ狭くさせている。

我国の情緒を著した本居宣長のいう「もののあわれ」を超え、哀しさと共に「悲哀」すら感ずる文明の姿のようだ。

明治以前はこのような文明観にもとづく「業」も「主義」もなかった。それは「分」を弁えた人たちの気概や規のなかに包まれ、「党」といえば悪党に限っていたと記憶している。たしかに善党はない。

西も東も左も右もと騒がしいが、独り鎮考すると「どのようなことを」「どのような人と」語り合おうかと、ふと心が前に進む。

そういえば安岡正篤氏は
「往々にして世の中を変え、歴史を動かすのは一握りの変人の集いだ・・」と
そして
「それには、無名で有力な人物になることだ。いまは有名だが土壇場では無力なものが多い。また今どきの学問もそのような人間を粗製乱造している」

無名を誇り、異なることを恐れない人物は、名利、財貨の成功を二の次にして己の矜持を高めている。


西郷
金も要らぬ、名誉もいらぬ、このような人間は困ったものだが、イザ(危機に際して)となったときに役に立つのはこのような人物だ」と回顧している。

確かに西郷、安岡も、人と異なることを恐れない言を歴史に標している。

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毒まんじゅうを喰らう政治  2012 あの頃も

2023-12-13 01:37:40 | Weblog



クリーンハンドの法則という言い方がある
賄賂を貰うような汚職について、一度でも手を汚してしてしまうと、余程のことがない限り汚れは付いて回る、つまり何かにつけても弱みとなって言葉や行動が色眼で見られてしまうということである。

神様でもあるまいし、と同類に慰められても、あるいは貰った当人しか知らないことでも、どうも居心地が悪い気分になり、言葉も行動も遠慮がちになる。

「お前だって・・」と言われれば、「それとこれとは状況が違う・・」「一回ぐらいは・」と反発しても空々しく、日頃の貫禄など吹き飛んでしまう。なにも物のやりとりだけではない。煩雑で道徳域まで入り込んでいる法にかかれば、立ち小便、吸い殻のポイ捨て、行列の割り込み、あるいは何処かの妻持ち、旦那持ちと人情ごとまで邪推されたりするだけの風評で立ちいかなくなることもある。

それも競争相手を引きずり落としたり、単なる嫉妬心から謀を企てるトリックになると、うかうか甘い言葉にものれないような世知辛い世の中になる。

 

 

以前、政治家が巧妙な裏切りにあったとき、「あれは毒まんじゅうを食らった・・」と激高していたことがある。原因は、同じ村(派閥)の長年の仲間を閣僚のカラ手形で裏切ったときのことだった。この手のまんじゅうは時限爆弾のようなものもあれば、徐々に利いてくるものもあるが、中国の賄賂(人情を贈る)とは異なり、相手の魂胆を見透かして誘いをかける謀(はかりごと)のような類で、なかには陰湿な計略もある。

あの時は竹下派経世会の衰徴し、当時の幹部が医師会から小切手を貰ったことが露見して世間を騒がしたが村岡議員がスケープゴ―ドにされた。そのとき村(派閥)の仲間割れに言い放ったのが「毒まんじゅうを喰わされた」だった。

それも慎重な相手にはそれなりの手順もあるが、往々にして日本の政治家や官吏、サラリーマンの類は「仲間の証」あるいは「上下の分別」として、あえて毒まんじゅうを、しかも喜んで喰うのである。官吏が便宜を図る利権のお手盛りなどはその最たるもので、これも日本社会の習慣的性癖として毒まんじゅうの免疫性を支えている。つまり、喰っても当らない人間が大勢いるのだ。

この場合は、喰わないものは仲間外れだ。まずはそれに馴染むことから始まるが、問題は正義と公平を司る治安や税官吏、政治家に免疫が多いと国民はそれを倣い終いには、毒まんじゅう国家?になってしまうことが憂慮にある。

裏金、裏手当、便宜供与、官官接待、任官当時は正義感溢れ国家を支えると意気込んだ若者だったとは言うが、みな饅頭を喰っていれば染まるのは必然だ。若いころ…とは言うが、もともと心底が安定職食い扶持を描き、一族の期待を背負って任官した青年も仲間外れになっては喰っていけない。それを「しかたがない・・」というらしいが、それが日本の能力あるエリートと外国では見ている。










なぜなら、それらは喰うだけでなく、毒を毒と思わなくなり「染まる」のだ。官吏が政治家に「これは国家の一大事」と喰わせ、政治家は美辞麗句、ときには嘘八百を堂々と公言し、教師は人類愛と平和人権を餌箱に入れ子供に喰いつばませている。どれも反対できないハナシだが、古今東西成ったためしがない。あったのは走狗に入る知識人の言にみるだけだ。

その点、単純なのは政治家の毒まんじゅうだ。聴くも見るも滑稽さが付きまとう。そう思っていた輩でも、騙された、引っかかったと広言されても可哀そうには思わないのが国民だ。一方、引っ掛けた方も決して利口には思えないが、だいたいが抗論もせず知らん顔をしている。まんじゅうに毒を仕込んだほうが一人前の政治家に思え、喰わされた方が愚かでオッチョコチョイの欲張りにみえるのも、この世界の面白さだ。

閣僚の候補に入れる、公認をするなどから、地方議員の利権のおこぼれや視察旅行の水増しで子遣いの捻出など、国家を護り人々の生活向上をわざわざ拡声器で誓った口の渇く間もなく、いともコロリと引っかかる。しかも体裁のよい理屈をつけながらでも撒き餌に集う雑魚のように集うのもこの群れの特徴だ。

この場合のまんじゅうは「俺も喰いたい」と思っているが仲間を裏切ることはない。それは蛍のように「こっちの水は甘いよ」と、まんじゅうに誘われて群れの決まりごとを破り離れることだ。近ごろは野党が合従連衡すると今までの野党が政権のうまみをと実態を知り、かつ官吏の手のひらに乗ると旧来の群れが離脱しても与党に残るような議員も出てきた。これもよく効くまんじゅうのお陰だろう。

加えてこの群れを手なずけ飼い馴らす上手(うわて)もいる。

それらは宿便のように隅々まで導管に寄生し、滋養を吸い取っている。

「一官、九族に繁栄する」「昇官発財」
隣国のみならず、多くの国家は貪りの官吏の群れによって滅亡している。
あの野田君が唱えていたという・・・、シロ蟻だ。

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「人間考学」前例執着から善例創造への臨機 11 4/17 あの頃

2023-12-08 01:06:39 | Weblog

「非道」 一石百鳥ならぬ百石半鳥      岡本義雄


少し落ち着き始めると「前例」による紛い物の規制が頭をもたげるようだ。

大勢の人を統率し、普遍的という冠をつけることに慣れた職位にある人たちによって前例が巾を利かすようになる。混乱状態になった現況には前例の投網を掛けることが、選択肢の少ない突発的事件には仕方が無いことでもあるが,従前の垂直指示が途切れ、判断不能になったとき現場当事者は少ない過去の例から探さなくてはならないのも現状である。

同じようにマニュアルがある。アンチョコや教科書も同類だ。
とくに人の管理が過度の規則などで括られると、家畜同様に時間と存在を管理され、考える工夫もないままに行動を習慣化され、創造的な意思さえ発揮できなくなる。

そこに仕組みの標準化として「基準」と称する、現世一過性の時流が押し寄せると、それが例として新たな規則がスタンダードとなり、独創性豊かな考察や観照が特異な様態、つまり例に当てはまらないものとして忌避される。

昔、バブル華やかな頃、住友銀行頭取が「向こう傷は恐れるな」と行員に発破をかけた。業績は上がるが不祥事も多発した。いま金融機関は厳しい法制と自縛的コンプライアンスによって、どこか応答が官吏のようになって、放牧ならぬ養鶏(ブロイラー)のようになり、融資査定も前例踏襲を旨として、より行員の考察力、応答感性が衰え人間としての可能性さえも狭めている。

より高い公共性と無謬(誤りのない)性を求められる職業は、とくに確実性もあり、当事者責任の発生しない前例に執着するようになった。それに倣って周辺職域である議員、教員、公務現業にも患いのように伝播して硬直した人間を増産している。それらが執り行う口先やペーパーで行なわれる下げ降ろし規制は、下々の民にも生業にも影響を及ぼし、今までの通り文句であった人権、民主が「前例コンプライアンス」という言葉に取って代わり、商店主や居酒屋などの自由自立業者の言の葉にまで蔓延している。

ある大企業の監査役に尋ねたことがある。
「国民総生産といわれるGDP数値の降下の原因に、切り口の違う視点ではあるが、人を過度に管理する流行(はやり)規制の負は考えたことがないか・・」
応えはこうだった。
「監査も鑑査される時代です。ことにコンプライアンスの整備度合いは会社の存亡にも関わる問題となり、そのために専門コンサルタントや弁護士を雇い、彼等は社長直属のお庭番のようになって人事や方針まで口を出すようになっています。しかも年間数億円の支払いがあります」

前例やコンプライアンスは食い扶持にもなり、囲いから出たら生活することのできない人たちは、嫌々従っている、とは監査役という役職を持った彼の心情だった。

この「嫌々」が、仕方が無い、そういうもの、と怨嗟が諦観になった民族は連帯と調和を失くし、合議の前提にある収斂されて目標のある議論がままならなくなり、騒々しくも落ち着きのない世情を構成する。それは、外圧、土壇場、突発事変に百家争鳴となってうろたえるようになる。

柵(埒)に囲われた家畜は囲われていることに意味があるが、放埓(らつ)して埒外になったら関係は途絶えるが馬は馬であるが、飼い主にとっては意味の無いものになってしまう。
あるいは、狭い金網に区切られた養鶏は照明さえ操作して日夜卵を量産するが、放たれれば身体は強健となり、摂理に応じて産む卵は滋養も多い。

社会や組織、国家、は夫々特異な枠組みがある。放埓を避けるために様々な相互関係をつくり、富や存在に表れる、量や質を調整しながら帰属意識と歴史という継続性を保っている。





                    

      本来の寺は学問の場  先ずは師である僧侶を崇める





前例とは本来、継続性から導く「歴史の倣い」であり、善例を探し出し倣いとすべき「鑑」、つまり手本のようなものである。それを直感自得し、善なる習慣性を他に及ぼすこと、それを理念として肉体化すること、それが教育や学問であろう。その前提があって知識の集積や技術の発揮がある。ただ、知識の「識」である道理、技術の「術」である工夫と役立ての術(すべ)がなければ、単なる知技は痴偽になってしまう。

智は大偽を生ず」「小人の学は利にすすむ
まさに己の邪心によって良心を欺き、身を守るために大きな偽りを偏った智によって補うことになり、人格を何ら代表しない現世価値のみの地位、名誉、財、学校歴に競い本心を失う。それは心の柵である道理とか規範からの放埓であり、孟子も説く「放心」という心が放たれてしまう状態である。これを茫然自失という。

説明責任に追求されても、話すも聴くも放心状態では、「言った」「言わせた」で終始して理解の淵にも届かないことになってしまう。本当は「お前の本心はどうなんだ」と、本質無理解の追及に終始し、別の切り口を売文の徒やマスコミ言論に求めるが、大偽を智で包んでいる知の放舌では半知半解の理解で終わってしまい、行動にもならない。

まず理解の端緒は己の内心に聴くことだ。その前例は体験だ。そのなかで善なる体験を想起することが、相手の理解を深めることになる。

翻って今回の政府対応について多くの非難がある。
ことさら管総理の対応や人物を問うもことではないが、「総理」という役割の本質を知らぬままに管直人という人間の茫洋とした曖昧さを批判しているようだ。それは多数によって推戴した役割に対するやり切れにないこと、あるいは新しい意識による対策が多言によって曖昧になっていることだろう。
あの小泉氏は得意のワンフレーズだった。理屈は付いてきた。後藤新平は大風呂敷といわれた。それは善を想起する驚きだった。










     文部省官制学校歴にはない教養   佐藤慎一郎先生講義




政治はできなかったことを貶(けな)すより、些細なことでも成果を歓迎しなければ関係は成り立たない。それが善例となる。
ただ、善例体験が無い人物は、おおよそ目は虚ろで、落ち着きもなく、騒がしく、直感も磨かれていないのは古今東西の為政者に見られる、これも悪しき倣いだ。

ちなみに党を変遷し党務にうつつをぬかす議員もいるが、「党」は「黨」であり、クロを尊ぶ集団、つまり犯罪でもホシをクロというような人間の集まりのようだ、と隣国の古老は語る。

震災復興は拙速と慎重さの両面が求められる。不可能とは違い「無理」は無限大の「理(ことわり)」を導く。だから無理を押すことも必要となる。だか、たかだか人間のつくった成文前例はこの妨げになる。それは未来を描いていないからだ。落ち着いて考える余裕、それが善なる例を創造するすべとなる。
いっその事、この機会に煩雑無用な法律、成文化された惰性な前例を整理したらどうだろうか。

掃除も整理片付けもできない女房に無駄使いが多いのは世間のつねだ。そんなのに限ってモノでこどもの歓心を煽り、無駄な虚勢を張り、終いに借金漬けになる。

国家に当てはめれば明らかだ。

多岐煩雑な政策、膨大な冗費、こども手当てなどの扶養費、強国に順応、債務増大

政外   政治のピントが外れる  (惰性)
内外   内政がままならないために外交に虚勢を張る (虚飾)
謀弛   政策に一貫性がない    (弛む)
敬重   敬われる人物を得ない   (信)
女   女性(官吏)か烈しくなる  (要求)

これを「五寒」といって国家衰亡から亡国の徴だという。

茫然自失では何も生まれない。
先ずは整理整頓、それは歴史の先人たちは「小学」で習慣として学ぶことだった。

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干支の「龍」は何が起きるか不明  2012 あの頃

2023-12-05 01:30:31 | Weblog

山岡鉄舟

「私することを忍び、以て大業を行う」小欲(私欲)を制して公に行動する



尖閣も竹島も外交問題となっているが、突き詰めれば内政の目くらましだという。
このブログでもその兆候は「五寒」を引用して記しているが、その内の「内外」に当っている。内容は国内が治まらないので外で気勢を上げたり、危機を捏造したりして国民の目を転じる状況である。それは「五寒」の表れに出る亡国の兆候だということだ。

先日、華人的にいえば老朋友(古くからの友人)から連絡があった。
第一声は「賄賂がすごくなっている」
筆者の応えは「天が落ちるとき一番高いところに最初に当る、だから当らないうちに持つものを持って逃げる」
政権が変わることは、天が落ちるときである。地位が高ければ高いほど危ない。
ここ数年、多くの高官の親類縁者が留学、訪問を理由に外国に渡りそのまま居留して市民権を獲得している。そして資産移動なり送金である。
それが甚だしくなっているというのが老朋友の一声だった。

韓国でも大統領親族が賄賂で逮捕されている。しかもあの経済危機からIMFにコントロールされ資本は腰の落ち着かない外資の短期流動資金に依る経済だ。これも「内外」であり「謀弛」(政策が弛(ゆる)む)、そして「敬重」(敬われる人物がいない)の三重苦だ。

この手の話は帰化人の石平氏と宮崎正弘氏の言に添うようだが、様々な現状への切り口がある。要は他を信じないことが一番の要因であり、社会が弱くなっていることでもあろう。

ところで日本及び日本人はどうだろう。決して自虐的な見方ではなく短絡批判の為にするものではない。
政治は裏読み、覗きも含めて、聴いたり見たとおり、ここには「政外」(政治のピントが外れる)から「敬重」「謀弛」「内外」が重なっている。加えて社会は「女(じょれい)」(女性が烈しくなる)が顕著になっている。つまり現象が「五寒」に入ると国は滅ぶというが、政治指導者を始めとして多くの国民は自覚もない。イソップのオオカミもさじを投げる。











とくに規範、徳目を善き習慣として情緒を涵養し、様々な形態を持った為政者の矩や法に委ねることなく、郷の営みを行ってきた応用力、耐力は、「五寒」の前兆である「四患」にある、「偽り、私ごと、放埒、奢り」、の患いにたいする有効な免疫力として維持されてきた。つまり、より重症な「五寒」に進む前の危機回避として、四つの患いを自己治療してきたのである。
それは、人の欲望のコントロールと善なる目的のために、その価値の維持を使命感として、それを文化として維持伝承したのが国柄といえるものだった。

知っていても、便利でも、多くの物資を蓄えても、それを幸福と感じても、行き着くところ「四患」や「五寒」では意味もなかろう。
それに気がつくとき、是正への勇気を持ったとき、大企業病とか組織弛緩など問題となっている患いなど、またたく間に霧散し、新しい切り口を発見するはずだ。

ムーブメントとしてアジアとの関連を考えれば、近視眼的な戦後レジームではなく、維新後のレジームからの脱却が必要だ。つまり俯瞰性をもつ観察だ。
それは、さかのぼって「向かう方向と姿」が問われるときだ。
仲間に入りたいと願っても、入ってみたらどうも合わない。だが離れることができない。
はじめは、もの真似、かぶれ、から始まった。ファッション、グルメ、イベント、人は踊りヒーローは称賛され、そして日本ならずアジアは疲れてきた。

「龍」ならばこそ、依るべき、立つべきものの再確認が要求されるだろう。

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あの頃の娘への手紙

2023-12-03 00:46:55 | Weblog

 

 

親莫過(ばか)の繰り言でしたが・・・

 

    

 

 この度の合格おめでとう。

  でも、うれしく思いつつ戸惑いもあります。

  中学への進学と同時に新しい環境に入るについて、自分を取り巻く人々や祐芙子に対する社会の対応の変化に気が付いたときの気持ちと変化の問題です。

 人は勉強の成績やとりまく環境にどのように対応するかに注目しています。

  それは祐芙子の表面的に見える態度、成績、なかには着ている物や持ち物といった人間の表層に出たもので判断する人と、それとは別に嬉しいとき、困ったときにどんな態度をするのか、あるいは困った人がいたとき何が自分に出来るか、又、行動する勇気があるかを観察される年代になったということです。

 とりもなおさず、自分の心の勉強でもあり自分自身への観察です。

  色々な現象を目の前にして素直に感動し、感激したりする心の勉強です。

 それは試験のように数値で選別されるような学びとは異なります。

  大人に近づくと子供のころに感動したことが素直に表現できなくなったりしますが、お金にもならない、役に立たないとおもわれる心の勉強に興味を拓いてみたら、と思います。

 あわてず、騒がず、むやみに競争しない勉強も大切です。

  自分は何のために生まれ、今何をして、将来どんな人間になるかをゆっくりと想像してみてください。

 すると自分がどうゆう人間かが分かり、いま何をしたら良いかがよく分かります。 

ともかく祐芙子は世界に一人しかいない人間です。

人と異なることを恐れないで、特徴を見つけて伸ばすことが大切です

  ゆっくり、あせらず、大勢の人達のために頑張ってみませんか。

 

                       1988,2,5

                                                 

 

 

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