まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

安岡氏は、学問に一子相伝はない、あるは堕落だと。

2022-02-26 01:13:12 | 郷学

 

 

吉川英治氏が著書「宮本武蔵」の現世モデルに安岡正篤氏を模想したのは理由がある。

安岡氏は剣道を好み、事実、技能も優れていた。それは正眼で、「目でみるな、観の眼でみる」との記述でもわかる。それと同様なことを吉川氏は書中で武蔵に云わせている。

互いに酒談を好んだが、安岡氏の「童心残筆」に牡丹焚きの情景が記されている。

筆者も真似して牡丹の枯枝を燃やしたが、煙くて様にならなかった。ついぞ焚き方を伺う機会もあったが、諸事清話に紛れて聴くことはできなかった。

その場面では、挿絵画家の新井洞厳氏と吉川、安岡両氏の三方だが、実は新井氏の子息は住友生命の名誉会長の新井正明氏、その道縁で新宿の住友ビルに伺った折に聴いてみたが、酒席の牡丹焚きまで相伝はなかった。

 

香りまでは聴いてみなかったが、若木ならなおさらいぶい。枯枝でも同じだった。

ちなみにご長男で小会の講頭をしていた正明氏に尋ねたが、その種の会話は親子ならなおさらなかったという。自宅二階の書斎での会話では饒舌だった。真に迫ると小生の紅心に中(あたる)ことばはキツカッタが、家族とは食事中でも懇ろな会話はなかったという。

なにしろ、テレビを見ながら食事する、゛ながら飯゛だったようで、会話どころではない。

奥さんが突然テレビの電源を切ることもあった。

父から直接学んだことはない、ただ背中の学だったと正明氏はいう。

ある試験に落ちたとき「試験は落ちるものか」と皮肉を言われたが、きつい話だ。

 

倫理御進講草案 杉浦重剛

 

縁者のことで母が「あの子は計算が立つ、心配もある」と。父は黙って頷いていた。

今どきの生き馬の目を抜くような世俗では、かえって計算もできる方が何かと楽だが、ただ計算も、゛計算高い゛となると、欲張りと陰口を叩かれたりするものだ。

安岡氏も「人生に五計あり」と語っているが、身計、生計から死計まで見通しながら現在を活かすことだと、その特徴を伸ばし活かす学びを促している。

あの位に名を立てると揮毫の依頼が多い。それも懇意なふりして御用聞きに走る輩もいる。

墨を摺り乍ら「霞を食べていると思っているのか・・・」と呻吟めいたことを吐くことがあった。これはと察した人物とか、清話酔譚に興がのると好んで揮毫したが、「あの社長が・・」「あの政治家が・・・」と秘書が云ってくると、誰でもそうだがうんざりすることもある。

 

鉄舟ばりに善意の浄財のために弟子が紙を差し替えるのが忙しいほど,日に数百も書くことは別格として、意を練る刻の墨すりが、そう万たびでは嘆きも増すはずだ。

そもそも売るものでなければ、歓心や迎合のために書くものではない。しかも無償だ。

 

ところが、近ごろでは売れるようだ。あの昭和の碩学、終戦の詔勅に朱を入れ、平成元号の起草者、歴代総理の指南番、などと謳い文句が飛び交うと、愚か者はみな欲しがる。

これを学問の堕落と忠告していた。

このブログでもよく記すが、師から弟子などといわれる御仁はいない、みな自称だ。

没後の著作物とて、著者の了解も得ずに陳腐なマニュアル本に仕上げているが、存命なら「本質を弁えない書き物」だと了とはしなかったはずだ。

 

なぜなら、たとえ縁者でも学問に一子相伝はないと云っていた氏のこと、ヤスオカというブランドが金になると,その性名をもて囃す商業出版や、いかがわしいセミナーと称する勉強会を催すような、世の寂しがり屋や,氏を金屏風に高説を垂れ流す忘恩の徒は決して同縁の学徒とは呼べない輩だ。しかも雨後の筍のように群れとなっている。

 

佐藤慎一郎氏 小会にて

 

ある意味では氏は形をとらざるを得ない処に置かれていた。

だから、反知半解の学徒は、飲み屋で知り合った聴きかじりの口耳四寸の女に、これまた興味の古典の話題を悦ぶ氏の脇の甘さを絶好の噂話として楽しむのだ。

「賢人にも欲情あり」とは,氏も畏敬する佐藤慎一郎氏だが、゛男でよかった゛と喜んでいる。

息抜きは筆者のような無名な薄学な小僧や、世俗から遊離した人間との応答だった。

その人間たちは氏の依って立つグランドにはなかなか乗らなかった。難字は読めず、アカデミックに分析をすることなく、高邁な論理を立て無闇に随うことも無く、遵わせる道理がなくとも、氏の潜在する紅心に感応する無邪気な童心があった。

 

農士学校  現 郷学研修所

 

氏は、それをよく好み、戯れた。

日光の田母沢で催す全国師友会の夕は氏を囲んだ酔譚となる。

氏の言葉に聞き耳を立てる参加者だが、招請された佐藤慎一郎氏がシナの猥談を語ると、本場の古典が生活の利学、活學として驚愕の実態を伝える。猥談と云えば笑話だが、氏の話題は古典の発生した民族の欲望や万象に抗したり、歓喜したりする真の人間学がみえてくる。

学は学び舎や書中にあるものではなく、路傍にも認める許容や辛辣な体験を通じてこそ、自身を知り、その特徴を生かし、伸ばす、生命を謳歌するものでなくてはならない。

その場は佐藤氏の独壇場となり、安岡氏も聞き耳を立てている。

 

その古典だが、過去に起きたこと、考えたことの記述だが、いわゆる昔話だ。

後生はいろいろ脚色して金看板にもなるが、いくら引用しても、どう解釈しても、今どきの著作権はない。だが、これを応用し、様々な切り口を加えて商業出版にした途端、著作権となり金が発生する。子孫はこれを相続として相伝する。まさに金の面では一子相伝だ。

そうなると、縁者は群がり、他人はブランドを使い、一面だが堕落する。

茶道宗家の箱書きではないが、ブランド姓のサインでも入れば寳ものとなる。

安岡氏は「貪らざるを以て寶となす」と。また、「伝えるのは自分で学ぶ者はあなた」と添える。小生の容像体を見抜いて「無名は有力ですよ」「郷学を興しなさい」「政治家は人物二流でなければ大成しない」「大学へ行くのかね」と、当時は戸惑った言葉だったが、確かに「頭のよいということは、直観力が優れているかどうかだ」と加えられれば、小生の将来に起こりうる禍福を観透していたのだろう。

 

講頭 安岡正明氏 中央

 小会にて

その意識と目の前の人物に倣おうとしていた学びだった。

また、いかに世俗の評価のいかがわしさも見えてきた。

修学の夜は枕を並べて漆黒の闇に首をめぐらせた会話が弾んだ。

「津々浦々の無名の方々の学びが国を支えているんですね」

「有力とは、何に添える力でしょうか」

「父は世俗の評価ではなく、単なる教育学者だったのですが・・・」

目の前の朝茶で乾杯しそうになった正明氏の回顧だ。

 

イメージは関係サイトより転載しました

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安岡ブランドに躍る無性 其の二   10 2 /4 再

2022-02-24 01:22:37 | Weblog





その碩学と謳われた安岡氏だが唯一聴き手になってしまう人物に佐藤慎一郎氏がいる。

古典といわれるものの必然的に発生した中国の人のなりわいや、独特な情感を下座観から肉体化した実直な日本人である。

何ごとにもこだわらないためか終生無名の気概で過ごしている。安岡氏も筆者に、゛無名かつ有力になりなさい゛と幾度となく語っていた。
その意味では、貪りのない観点と異なることを恐れない座標の導きは、両人からキャッチボールされたり、異国や道縁に差し向けられたり放たれても、軌を一にした応答があった。
「良縁を活かすも殺すも己次第、自身の特徴を発見して伸ばすことが肝要だ・・」
それが共通した筆者への訓導だった。





                 









佐藤氏は「経師」のような古典の解説ではない。

どう上手く生きるかという実利と、孔孟なりがどのように映っているのか、そして本来の無為自然の老子が説くものが実利としての諦観なりの口舌の用になっているのか。つまり真の実利を伝えようとした「人師」である

あるいは「学」という狡知と屁理屈を駆使する官吏に蹂躙されていた当時の大多数の農商人が、狡知や屁理屈の種となった科挙の命題である孔孟をはじめとする聖賢偉人の学びを、その管吏の実態と比してどう感じたのだろうか。佐藤氏はその生態の中に浸って『智は大偽を生ず』と実感している。知識を重ね昇官と地位が上がると往々にして身を飾り、言い訳も巧みになるということだ。

アダムとイブも「知」が原罪だった。いまは人物にも拠るが学校歴は食い扶持の用と堕落し、自らを護ることのみに知を修得している。「識」という道理の欠けた知は現代に多くの患いを起こしている。






                     

             満州新京での佐藤家族




佐藤氏は旬悦の「四患」をよく説く。国家における四つの患いである。
「四患」とは、偽り、私、放、奢である。

公職者が責任を回避する悪いある嘘、公徳心をなくして出世だけ考える官吏、規範、道義から外れ放たれた官吏、倹約を忘れ放漫になった官吏、先ず、これらを正さないと幾ら良い政策でも民衆に届かない。その後漢の宰相荀悦の言葉を佐藤氏は安岡氏に伝えている。

ただ佐藤氏は形がなかった。柔軟で四角でも方円でも収まる水のような生き方だったが、安岡氏は立場というものがあった。

国の憂慮においては立場など誰にでも差し上げるとの気概が異なったが、安岡氏も立場の効用は縁の為せるものとして理解し智を財利の貪りに用するものではなかった。

ご両人の共通していたことは包容力だった。脇が甘いと観る向きもあるが、二人並んで談笑していたとき昔は荒くれの侠客が近寄って挨拶をしたとき、ご両人は慇懃に黙礼している。人を名利衣冠の附属では観ないのも共通している。あるとき普段人名を挙げて誉めない安岡氏だが或る中国人を「人物」と珍しく講演で述べた。

佐藤氏は控え室で「彼は特務の親分で北進論を南進に謀略をもって転換させた張本人です」と忠告したところ真っ青になって暫く無言だった。

ロシアの仲介を諮って近衛元総理と新潟岩室の綿々亭に新潟県知事と同宿した安岡氏だが、その安易なロシア情報も親分と親しかった尾崎から近衛に伝えたものだ。




                       


≪ゾルゲ→ 親分W →ゾルゲ → 尾崎→ 近衛≫

≪北進論を転換し南進させて米英にぶつけ、北満に対峙していた精鋭をスターリングラードに転進、ドイツを撃破。

組織謀略によって中国国内状況をつくり、現地追認しかできなくなった日本政府の御前会議を先導した。

親分Wの機関は蒋介石の軍事委員会の傘下にあったが、工作員の多くは共産党員であった。

ゾルゲは御前会議の決定要因を外地の状況を操作することで有利に展開させた。

これには日本人の多くの協力者が存在し、かつ、協力していることすら解らずに国内の軍,官吏の横暴を憂慮する心情を利用された。たしかわざわざ新潟の綿々亭で会談しソ連の仲介に望みを持っていたその時期は終戦時の蛍の舞う頃だった。

ちなみに親分Wの機関の資金源は英国のパイル中佐を通じた資金であり、内容は英国にもたらされている。Wは常徳会戦の戦場を訪れた米国武官に「今度はあんた達だ」といったところ武官は笑って信用しなかった。

Wは真珠湾攻撃を三週間前から知っていた。もちろん司令官の名前も・・・
それで一躍その世界では有名になった。

あの、田中上奏文も彼の作ったものだといわれている。≫





   尾崎

                        
                           
                        田中首相



親分と兄弟のようだった北京の日本人がいた。戦後代官山の自宅には安岡氏の手紙が多くあった。敗戦後、蒋介石に最初に会った日本人でもある。もちろん戦犯回避の労があっただろう。






            孫文と側近山田純三郎 (佐藤氏の叔父)


佐藤氏のところにも多くの中国高官が出入りしている。

住まいは荻窪団地だが邸宅ではない。叔父が孫文の側近で国民党顧問であったためか台湾、大陸の要人が密かに訪ね、歴代の総理訪中には懇嘱され応答辞令の妙意と留意点を与えている。

国務院の高官が訪ねてきて
「ト小平が墜ちたら私はどうなりますか・・」
『あなたはどれ程な地位ですか・・』
「上からこのくらい」
『天が落ちたら一番高いところに当たる。あなたには当たらない』

最高実力者の縁者が来た
「門から玄関まで警備が厳しくて・・」
『警備ではない。監視です。相互監視です』

同様なハナシを政府と自衛隊の高官が北京でガイド付きで観光した折、車にロックもせず財布を置き忘れたがなくならなかったと治安のよさを伝えたとき、余りにもノー天気な観察を諭している。








                 桂林




きっとご存命なら田母神さんのこともこう考えただろう
゛意気には賛同する。だだ、歴史的内容の考察は、肉体的衝撃を受ける軍人と民衆では質が違う。また事実について口舌なり文章で表す場合、軍は政治家と緊張感がまるで異なる。

軍のトップの情報集積が新聞記者や大学教授の論文のような質と量では生死決断の判断は難しい。あれが全てではないだろうが、その手の理解で兵器の質量や戦略や戦術を立てているとしたら方程式は丸裸にされたも同然である。土壇場の謀略はそのようなものではない。とくに児玉さんや秋山さんなら大石内蔵助のようにトボケたろう。臨機応変、縦横無尽、そして臥薪嘗胆だ゛

ご両人が敢えて異なるとすれば白足袋と草鞋履きである。佐藤氏は黙って聴けば判別できないほど流暢な北京語を駆使する。あえて出版など表に出ることはないが我が国の憂慮は同感していた。

佐藤氏は人前で平気でY談をする。しかも、中国庶民のそれだ。

安岡氏との起縁だが、或る会食で同席したとき、いつもは座談の名人安岡氏の独断場だが、佐藤氏の語りは二十年の中国仕込み、安岡氏も耳をそばだてて聞き入っていたという。

田茂沢の師友会(安岡氏を囲む会)の研修後の打ち上げでも客講の佐藤氏が入ると生きた古典や孫文や山田の話題が延々と続き、同席者は興味津々、なぜなら安岡氏自身も身を乗り出して佐藤氏の語る古典や逸話、民諺に聞き入っている。













その佐藤氏がこんなことを伝えてくれた。

『直感の在り処や出発点を探したらどうか・・・』

そしてこの一章だ
「ワタシは彼等ほど書を読まないが、彼等ほど愚かではない」

「物知りの馬鹿は、無学のバカ(莫迦)より始末が悪い」

『ワタシは満州国の土壇場の崩壊に際して高級(給)軍人、高級官僚、勅任官の狼狽する姿や留置場の醜態にこの言葉が自然に思い浮かんだ。最後の重臣会議もこれからどうするか躊躇していた。いや、うろたえていた』

そのとき「佐藤さんに聴いてみよう」ということになった。

佐藤氏は『彼等に任せなさい。この地での生き方は彼等が一番よく知っている。私達はこの場に望んでも彼らの真の姿を知ることが適わない。いや、知ろうとしなかった人たちがいる。此れが実態だ』

『二十年も異民族の人たちと生活し、人情と様々な特徴を知った。しかし、亡国に望むとき立身出世のために高学歴を得た人たちの学問のはかなさは何だったのだろう。愕然とした。

そして民族を超えて多くの人々が彼等の先導に従った。それが土壇場になって、我先に逃げ、捕まったものは責任を回避しうろたえる。負けたことを悔やむより、これからの日本が心配になった』

満州崩壊、敗戦が決まった当日の昼、朝は満州国旗だったが昼は国民党の国旗だった。
尋ねると
『いつも、日、満、ソ連、中共、国民党の国旗を隠している。いつ換わってもいい』

国民党の旗は生地が上等のようだが・・・

『張学良も蒋介石も少しは長持ちするとおもって丈夫な生地にした』
公徳心、良心は孔孟に預けられる人たちなのである。

いまは、それに同化しつつある日本人でもある。





               





古典の原典もいまどきの著作権?も彼の国にある。
しかし、よく考えると土地も著作権も切り取って持ってはいけまい。

満州も香港も預けたと思ったら綺麗になって帰ってきた。
グローバル経済には自由と民主を恣意的に使って社会を分断させ功利的になったお陰で動きやすくなった。

朝鮮は李退渓の朱子学に順じてある意味硬直し中国に従順になった。為政の根幹は民心の安定があるというが、虚構となったカルチャー教養が内なる探求の入り口を閉ざし、境のなくなった「学」の飾りものとなり、日本はステータスとして易きに流れる「・・・学」という代物が行き渡り、その中からブランドができ上がった。

宮島詠士(大八)の達筆は、書は東に渡ったといわれ、孔孟の学も東に渡ったといわれる現状だが、いずれ屏風の模様替えで孔孟や孫文が呼び出されることもあるだろう。いまは大事に東の国に預けて保存しているようだが、まさか説くものまでがブランドになって食い扶持になるなら、いずれ著作権を問われかねない。

なぜなら、それが無性の民によって色、食、を思うままにできる財の用になることを示しているからだ。


まずは終章

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安岡ブランドに躍る無性 其の Ⅰ 10 2/4 再

2022-02-22 15:26:48 | Weblog

無性とは分別、道理が無い状態である

巷間、数多の知識人がいるなかでVS(バーサス)として中村天風と安岡正篤が人生の師と称され商業出版を賑わし、とくにサラリーマン経営者向けの経済誌や教養雑誌にその名を多く見かけるようになった。

その内容は、文部省の官製学校教科マニュアルにはなく、既存の知識から導く手段や方法、はたまた体裁の良い挨拶の借用言辞として重宝され、ある意味では馴らされた「無性」、もしくは現代の「釜中の民」の潤いなり救済のカウンターとして程よい教養となっている。

いや、知のステータスというべき物知りの看板の類として書棚の隙間を埋め込んでいる手合いもいる。人の書棚の評論ではないがビジネス本、古典の兵法書、平易な歴史エピソードや流行の歴史ヒーローなどが並べられているところに往々にして鎮座しているのがその類の本だ。





武州秩父





もと金貸しと出版業だったものが知恵を絞って遠い昔の宗教家を屏風に組織化を図り、関係本を功徳だと大量購入させたのと似て、中身はともかく表紙が壁装の如く壁一面を飾る光景は尋常な姿ではない。

それは、開いていないか、読まされているのであって、読んでいるのではない。
なにも人の食い扶持をけなしているのではないが、ただ、食い扶持に乗る人々の多さと、その結果、訪れるであろう妙な平準化に危惧を抱くのである。

よく、動物は群行群止するという。鯨が群れとなって浜辺に向かい、鼠が群れとなって水に飛び込む、物知りはパニックだの集団心理だの、あるいはその原因はと分派された職業知識人が面白く説くが、一方、人間界では個の確立とか、国際化には己を知らなければ埋没するなど至極当然な古文書のような論を述べている。

その点、商業出版社も狡知を絞り読者を会員組織化したり、録音肉声をテープ化したり、ブランドの縁者に語らせて錯覚した正当化を謳って利を貪っているが、そこには部数に躍り亡き人物の著作権をめぐって様々な問題を起こしてもいる。








                          






どうしたら、こうしたら、との思案は、部外の言や情報に翻弄されることが多くの要因であり、また、その結果を案ずることの要因は、他との異なりや疎外感への恐れを防御するための「我欲」が我が身を押し留めていることが往々にして多い。そこにたどり着けば問題は己にあることは自明となるだろう。

そこで我が身も解らないものが目標や願いの解決を救済しようとすれば経験則なり情報に求めるようになる。その経験則とは心身の慣性であり、頭は明治以降の文部省の官製カリキュラムだろう。じつはそこに留まって口をあんぐりと待っているのである。

一歩踏み出すには、将来の推測と突破力が必要だが、数多の他人世界で人と語ったり、人を許したり、人を助けたりする心がなければ互換性もなければ縁で構成された人の助力も無い。つまり独りの収穫と成功は一人で行なうことになる。これが難儀なら連続集積されるべき経験則は有効性のない分割された人生となってしまうだろう。

草木は風雨や人為に打たれながらも循環し腐葉土となり次の生を養う。生きている人間はそれを無常(死生は必然、一定ではない)と認め、自らを養土として誰か分からぬ次世に命を繋いでいく。つまり不特定多数への貢献を誰でもしているのである。

この場合の突破力とは我欲からの離脱であり、騒ぎ、競わなくても何れも不特定の人々の用にはなっている。よく反面教師とはいうが人の倣いを有用とするか無用とするかは冥土までのプロセスであり、成功と収穫は一過性の夢心地のようなものだが、ここで安岡氏の「然」、つまり、゛しかり゛はそれを自得した後に知識技術という附属性を培うべきと伝えている。




                






「六然」とか「六錯」、あるいは思考の「三原則」など数字を冠することが多いが、見るものにとって軽薄な定則になってしまう恐れがある。

中国の古典(昔話)でも数字を使うが、彼の国の数字の必然性は柔軟である。たとえば「言、弐貨なし」と店先の看板に大書してあるが、現代風に言えば『定価の五割引なのでこれは嘘ではない』ということだが、数字の戯れで「弐貨」はないが、三貨、四貨はある。言っていることは、嘘はないが相手次第だということだ。

余談だが、民族にはそれぞれ貴数がある。「六」は東西南北と天地の合数である。ここでは平面と経緯軸で球体(円)であろうが、ある民族の666は悪魔数字という。ちなみに、三々九度も陰(女)、陽(男)、精霊の三合である。インドでも先のブログに記した七つの大罪をガンジーが唱えている。

また「嘘(きょ)」は空気を吸って酸素をとり入れ、二酸化炭素をはく自然な行為である。貶める嘘ではなく、自身を守る嘘は自然なことだと理解している民族だ。
日本人は、゛嘘つきは泥棒の始まり゛と、嘘を忌み嫌うが多種他民との応答は狡知と解釈されようが交互応答、あるいは連鎖の潤いのようなものである。四角四面と揶揄された日本人には馴染みそうにもない彼の地では必然の芸当のようだ。

それは論語の一説を単なる知の用とするか、生活の潤いあるハナシとして利得に邁進するか、その民族に必然して興ったハナシなり学問を異なる情緒において解釈すると本棚の肥しになることは当然なことのようだ。まさに「論語読みの論語知らず」とはこのようなことを言うのである。

「朋遠方よりきたる・・」懐かしい、楽しいと考えるのは日本人、遠くから来れば何かいい話、何か土産と考える本家のほうが童のようで純情さはある。いや、バーバーリズムに潜む素朴と純情と考えることもできる。その点、我国は素朴と純情に文化を与えそれが文明人だと「識(道理)」の欠けた「知」を集積してきた。素朴で純な心で人や自然を観察したりすることなく、分析多論で物事をあいまいにし、かつ合理と便利で人や社会を覆ってきた。




               




合理の「理」は「ことわり」である。人にとっては弁えや分別でもある。あるいは極みということでもある。しかし、ただ「合」を追いかける余り非合理や不合理を導き出す愚が生じている、しかも多岐にわたる欲望のコントロールが「理」のあることすら分からずに効かなくなっている。これを「無理」というのである。

また、この無理を押し通す「無理強い」が国の政策にさえ色濃く映るようになってきた。
つまり、「人」の存在がオボロゲになり、人が解らなくなり、信が立たなくなってきた。それでも金やシステムや組織や高邁な改革の無理強いで解決できると思っている。

よく筆者は「人心、微かなり」と記すが、「亡くなる」ことも憂慮する。これはセンチメンタルや懐古趣味で伝えるものではない。それは商業教育のカリキュラムを用とするものではなく、また「学」と称する古典や名称学を敢えて忌諱したところにある潜在の感性が伝
えるところであるかもしれない。

安岡氏は当時珍しくも人の取り組まない知識を愉しんだ。

孔子も云う「好きで愉しくなければ覚えない」という生活で授業もつまらなく図書館に通っていた。
産[商い]を務め学に興味を持った筆者に「君、大学校はつまらんが大学(四書五経)という学問は面白い」と、人間学に関する官制大学の無意味さを伝えてくれた。つまるところ、゛いかん方がいい゛ということだろう。

安岡氏はそんな言い方を良くする。柳橋良雄さんが選挙に出ようかと相談したら、゛ほぉー君がなるのか・・゛といわれ止めている。それに続けて、゛代議士は人物二流でしかなれん時代になった・・゛と訳を伝えている。


以下 次号

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安岡正篤に弟子はいない 09 6/20 再

2022-02-21 10:56:35 | Weblog






いまだ学べない弟子と称する偽装

よく安岡正篤氏の弟子と称せられるモノたちには「冠」が付くものが多い。
不肖の弟子と謙遜ならまだ良いほうで、「最後の弟子」「直弟子」など、存命中には聞かれなかったような付属の冠だが、欲望と偽装がバブルのように詰まった瓶の栓のようにはじけ飛んでいる。

永田町周辺に蠢く占い師やブンヤあがりの「人脈屋」、はたまた巨額の脱税をした地方新聞のオーナーなど、多くは出版書籍などのメディアを利用して自身そのものを売り込んでいる手合いが多い。
なかには大仰にも安岡先生の教えを基にと騙り、セミナーや勉強会を立ち上げ、わざわざ無辜の精神を汚し大金をせしめている輩も出現している。





              






そもそも安岡氏は弟子と呼称する者はとらなかった。
それは勝手に自称しているだけである。それは悪いことではないが、安岡氏が原典とした古典でいう儒者百家の論語、陽明学などを思想信条の糧として学ぶものなら、その自称も救いはある。つまり安岡流の解釈、活学であり、つねに「古典を学びなさい」という氏の促しと学び方ならまだしも、氏の人格を代表しないエピソードや附属性価値を金屏風もしくは自己のテンプラ偽装の具にしている輩が如何に多いことが、とくに昨今に観る現状である。

とくに、氏に関する出版書籍が氾濫しているが、氏が存命なら先ず看過しない類のものが大多数であり、総じて陳腐にもマニュアル化され、なかには書棚の飾り物として、あるいは新興宗教のリーダー著作本のような類に背景を飾っているようである。

翻って氏の説いたことを見聞きしたからといって学問をしたということでなければ、その生活行動がその通り映し出されないからといって非難すべきものではない。



      

          応接にて




色、食、財の欲望に抗しきれず、男女で失敗するものや美食で病に陥るもの、あるいは金貸しや刑務所に収監されているヤクザでさえ生き様のヒントや指針として氏の縦横に説かれた古典の活学は応用されるものだ。

書籍の帯に宣伝されている政界、財界の指南役、人生の師父などという麗句は、どこか愚かな大衆と見た商業出版が日本人の性癖のように見える阿諛迎合的な知識の集積欲に触れ、かつ煽る姿でもある。泥棒でも熟練した泥棒の訓話やエピソードはよく頭に入るが、親や警察官の話は蛙のツラに何とかの類であろう。
知識というのはそのようなもので、どこにも知識人はいるものだ。

安岡氏は殊のほか物事の峻別は厳しかった。明治人特有のものなのか厳格さと洒脱、そして冒険心など、今どきの井戸端論議や三面記事には格好の人定騒論だろうが、それらを自身の内面考察と外的要因を考察をおこない、より的確な総合プロデューサーとして古典(むかしばなし)を活かしている。

それは安岡氏特有のスタイルであり風儀として置くところを選択していた。
また政治でも政局論を避け、人間が行なう政治というダイナミックにも悲哀を含んだ繰事に先見、或いは先を見通して物事の結末を見てとる「逆賭」を説き、歴史に刻まれた栄枯盛衰に表れる吉凶を説いている。

とくに政権担当者の周囲にある人間環境では到底解消できない人間の秘匿すべき脆弱さを見て取り、一時でも欲望を解脱したものの清々しさを味合わしてもいた。










            






なかには実利のみを追う浮俗の政治家には、巧妙な皮肉を投げかける洒脱さもあった。それは氏をニヒリズムと称すことにもなっただろう。
あるとき大企業の社長が就任挨拶に訪れた。さしずめ、゛謦咳に接している゛とのことだろうが、普通だったら、オメデトウ、ガンバッテというところだが、なんと『お辞めになるときのことを考えて励みなさい・・』その社長は就任挨拶にてっきり褒められるかと思いきや、辞めることを説かれたので返す言葉も見つからなかった。

それは嬉々として報告に訪れたサラリーマン社長に対する親切な忠告だった。
その後、会社の誇りであった銀座の一等地のビルは新興企業に買収されている。

そして買収企業も政財界を巻き込んだスキャンダルで社長は社会から指弾され放逐されている。





            

            近くもいいが、遠くもいい・・


さて、その人物の行く末の「先見」と関連する環境の「逆賭」だが、氏は初対面でも瞬時に読み解く能力があった。それは氏が講演の枕詞になっている思考の三原則によく表れている。それは枝葉末節でなく根本的、一面的でなく多面的また全面的、現世価値でなく将来的、という部分によく見えるものがある。
氏は同じものでも見方によっては逆な評価、あるいは結果が生まれるという。
そこまでは理解できるしアンチョコマニュアルにもなり、都合のよい挨拶借用にもなるが、それを身につけるために様々な提案をしている。

まず、「無名」でいなさい。「時流に迎合しない」「功劣を問わず至誠を問う」「教わらず習う」「貪らないことを寶とする」

氏は納まりのよい言葉と漢字特有の音感で多くの熟語を構成し、官制学にはない響きと安心感、そして唸らせるものを表現してきた。
それは「学ぶ者はお前さんだ、自分は触媒だよ」とばかり突き放しているようにも見える。

筆者も散々試されたことがある。冥土に行ったら皮肉も言いたいところだが、返されるのがオチだ。
また戦前の覇気ある言動は軍関係に歓迎されたが、氏は「暴力は一過性なもので朝野の人物を養成し国家の基盤にしなければならない」と教学に邁進している。一時、一人一殺を唱えた血盟団の構成員も安岡氏が主宰する金鶏学院に参学していたが、血気にはやる学徒は袂を分けている。それは古典で重要視する「義」についての切り口と行動形態の問題でもあった。






                 

            砂に観る透過性




終始一貫しているのは教学を「教える」だけでなく、人物、歴史に習うことの習慣化と、人格を何ら代表しない附属性価値である地位、名誉、財力、学校歴に翻弄され、真の学問と自身の存在意義を堕落衰亡させることの危機を唱え、その防波堤として下座観を以って地方の有意な篤行を支える「郷学」の作興を先頭に立って行なっている。
つまり国家とその歴史を俯瞰した行動であったといっても過言ではない。

その意味で国家のエリートを養成するという氏の言葉は、官制学校歴に人物の評価を置く欺瞞と、欲望の交差点のようになった国政と経済における指導的立場のものに対する訓導と警鐘はある意味で国民の視点に立った地に伏した行動であったろう。

ちなみに、市井で氏と同様なことを述べても受け入れられず嘲笑の類になるではあろうが、氏の名声は氏の意思とは反対に位置する無名の存在を庇護するという、氏にとってはニヒルで皮肉にならざるを得ない浮俗の錯覚した人物観であり現状でもある。




                 


 元体験をとおしてアジアに普遍な識見を安岡氏に伝え、古典の本質と活用を唱えた佐藤慎一郎氏




ともあれ、読書が好きで無類の教え魔だった。また眼前にある社会の矛盾に向き合って是正しようとした材は古典、つまり先祖の集積物の活用だった。そこには知識技術に翻弄される明治以降の西洋的教学の欠陥を補うものがあった。
高論鋭く孤塁を護る為に苦慮したこともある、また酒を愉しみ酒に苦い思いもあった。

そもそも筆者のような無名を面白がって九州の豪傑?に差し向け、数寄屋橋での著名な民族運動活動家とキャッチボールされたことがあった。

それは明治人特有のトレーニングなのだろうが文句は言うまい。

だだ、昨今の風潮である、゛貰い扶持゛゛食い扶持゛に汲々とする連中が錯覚した学風を撒き散らすことは、真剣に学ぼうとするものの至誠を汚すことになることの危惧を感じている。

「安岡ブランドで食べているものが多い」
『困ったものです、父は教育者です』
ご子息の正明氏の嘆息は、今なお鎮まることがないようです。

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安岡正篤と嫡男正明の四柱推命 2008 10 あの頃

2022-02-15 00:41:08 | Weblog

      或る日の郷学
     
 左より 下中邦彦 郷学相談役 平凡社 パル・下中記念館館長
         
     安岡正明 郷学講頭 郷学研修所理事長 安岡記念館

 右端  卜部亮吾 郷学顧問 天皇陛下侍従 皇太后御用掛    
 



軽薄な出だしで恐縮ですが、あの細木女史も安岡氏に聴いていただろう四柱推命は年、月、日、時を柱として命(運命)を推察するのではあるが、中国ではこの名は無く、さまざまな命学として命の理(ことわり)を解き明かしている。

どうも日本に入ると四角四面の学論になり、また利の為の利学になるものが多く、しかも天然自然環境が異なる民族の必然として興った学問、とくに陰陽という自然の一粒としての認識が発生国とは異なる日本人にとっては「占いごと」として一括りにした方が馴染みやすかったために、多くは「己を知らず、人も知らず」人々にとっては手っ取り早い占いマニュアルになってしまったことは否めないものだった。つまり半知半解の大家の出現である。

学問である以上分派分裂することは、小学校の理科、社会、算数、国語の分類が高校、大学になると多くの学部に別れなかには生徒集めの珍奇な学部が毎年のように新設されている。これも遊学、利学の氾濫である。

年月日時の支柱とした命学だが、占いの術(すべ)としては「星」の運行と「干支」(四季の変遷)を観察し人の動向に照らして読み解こうとするものである。
現世利益でいえば自分と他人の関係を早く読み解きたいのである。
また、一義には人の任用であり、人の性とリズム、そして調和を量るための事前認識と考えたほうがわかりやすい。

政治、軍事もそうだが、金儲け、恋愛、あるいは人の運勢の覗き的趣味としても使われるが、逆に真摯な命題の探求を疎かにしてしまうことでもある。
何よりも肉体的衝撃を伴った体験から導く知力、胆力の涵養を遠ざけ、占術利学の安易さに誘引されると、人に馴れるために人物の秘奥にある意志を読み解くことが出来なくなり、口耳四寸の薄学ステージに安住することなりかねない。

まだ名の売れていない頃の細木女史は、恩顧ある占い教師に安岡氏と子息三名の運勢読み説きを依頼している。精細は省くが殊のほか役立ったようだ。又、この師は「阪神優勝」を何気なく細木氏に伝え、また細木氏の今年の誕生日以降のマスコミ降板を読み解いている。欲心の無い心は人の人生さえ推考することができる透明感を養うことが出来るのである。また、利用され騙されたりするも、さして落ち込む様子もない。

「当たりハズレではないですよ。あくまで人生運行の学びですよ。」と。その師自身の人生だが、やんごとなき出生で、関東では指折りの侠客の養女となり、易学と出会い若いころはテレビなどで活躍した。「カタギさんのと華やかな席には・・・」と、娘の結婚式にも出ない父に育てられた気風がある。


                      


四柱推命に頼らずとも、はたまた占いと称する数多のマニュアルに委ねずとも叶うものである。とくに異なる環境と性癖をもつ異民族の英知を借用したところで、人の本性の見方や、人との関係を運用する方法が、日本人の潜在する情緒とは異質なものであることを知らなければならない。そもそも前提とした座標が異なるのである。

例えば、虚構が解ったとしたら、日本人は避けるだろう。しかし発生の国は自身にも内在する問題として、より近づき戯れる。「逢場作戯」といって己を変化させて同化し誘引する智恵がある。その時々に変化して戯れるのである。つまり「易」の変化は表裏にあり、トカゲの象形(易)はライチョウと同様に色を変化させて生き抜いているのである。

近頃の日本人はそれに同化しつつあるが、同化の要因は本性の欲である、色(性)、食(グルメ)、財である。これにまみれて何を占おうとしているのだろう。それは「直感」を鈍らせることにはならないだろうか・・・



 



あるいは分際、分限にみる、゛身の程゛を超える虚偽なステージを描き、慣れ親しんだものとの分限を超えるような陰湿な謀りことをする人間を多く作り出してしまうことにもなる。

自己愛は自己犠牲によってこそ真の関係が成り立つものである。なにも宗教や高邁な書に頼らずとも自己に内在する確信が無くては上滑りで一過性の狡知しかなく、人生そのものをぶつ切りの部分形成にしてしまいかねない。

先ずは「直感」を磨く為に心を透明にすることだ。それは欲の存在を自覚し、除け分別する箱を用意することだ。言い方は妙だが、心の平行移動でもある。

よくマニュアル本を観て、゛役立った゛とはいうが、その分、直感は衰えている。
本を見ると情感が湧き習慣化されると「育つ」ことにもなるが、あくまで模倣、借用である。アダムとイブの創成期から「知」は何を生み出したのか。正邪は陰陽のように拮抗してその秤を保っている。

また生命の生と死、男女の別、棲み分けられた民俗、数多の宗教、思想、行きつ戻りつはあっても、それらは生死の間から生ずる「知」の発生の成せるものだ。
ならば、無垢で、素朴で、純粋な潜在能力から発する「直感」を養うべきグランドであった生死が明確で良質なバーバリズムへの回帰こそ、人間から発生した現代の煩事の辿るべき道標であるとおもえる。

それは戻るものではない。循環を進捗させるために先に進むことである。
回帰と記したのは、円循環すると吾が身の背に戻るからである。

四柱推命で解く「命学」はそれを「学」として成文化はしているが、つまるところ生きることを知ることであり、生きている間を想うことである。



             

      ラダ・ビノード・パル判事 「 日本の青年に」




美麗な容姿になりたい、金持ちになりたい、死ぬときは盛大な葬式を挙げたい、これは命の欲していることではない。他人が存在するからこそ為せる欲であり願いだ。あくまで己独りの生と死の間を、己しか知らない潜在する意識で悟る、あくまで人間界の死生観である。その、゛触媒゛に隣国の集積された叡智として「学」や「説」があると見るべきだろう。

自然や時の変化を人間の姿として擬似的に映し出し、人の人生(生死の間)を宇宙の運行(変化)や自然の変容と類似性を持たせ、その生(誕生)のスタートを循環の基点として、人生という生命運行を逆賭する、それを占いと称しているのである。

とどのつまりインスピレーションがそれを占める、つまり直観力である。
「占い」とも「卜い」とも称すが、「占」は自分のものにする、特定の場所を占める意があり、「卜」も土地を占う「ト居」があるが、軍事的に占領して支配下に置くなど、戦の前に人智を超えた生死を占いに委ねたように、祷り、もしくは願い心の含んだものであり、また占いも一つの選択肢でもあった。

しかし、生死の間の岐路選択は直観力である。心の覚悟と肉体的衝撃との連結は行動発起を促す直感の喚起でしかない。

つまり占いを信じる、信じないの問題ではないのである。
先ずは自身の直感を信じるほかすべは無いのである。
それを以って、命学、占術は活かされ成り立つものであり、あるいは「易経」を占い易と錯知することも無くなるはずだ。


              

                           教場中央  安岡正明氏


標題だが、正明氏は名目禁酒を解くことがある。
なにしろ御尊父に似て座談と皮肉の名手である。

(郷学研修会 熱海一泊研修懇親後の酔譚)

『父が四柱推命で私を観た事がある』

「それにかこつけて・・」

『きっとそうだ、と解っていたが・・』

「何も教えてくれることは無かったと」

『希望校が受からなかった時も、゛試験とは落ちるものか゛と呟いていた』

「ところで、四柱推命は・・、生まれは親の役割でもあるが、そのことも・・?」

『はじめに、「君は女難がある」と」

「・・・・・」

『よくよく考えると、私は難を掛けられることより、難を掛けるほうだと・・」

「女、難、ですか・・」

『そう、難しいもんだいですよ』






「そういえば佐藤先生が『安岡さんは枯木寒岩だが、私は漏電したお陰で在中二十年・・』といっていました」

『極寒の岩肌に立つ枯れ木ですか・・立場は我慢を要求しますね。その女難については幾ら男同士でも父とは詳しく語れなかった。儒教の親子は我慢比べのようですね』

そういえば、筆者の茶道教授である和子夫人は「夫は誇りを大切にして厳しい人でした・・」といっていたが、御尊父の書斎応答でのピースの紫煙と夫の禁酒破りは知らなかった。亡き人に口無しだが筆者の想い出の無駄話は、未だ封印が解けずにいる。

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安岡正篤の残影にとりつく貪利の輩    2015 9月  再

2022-02-12 04:14:09 | Weblog


               佐藤慎一郎氏

佐藤氏の終戦まで二十数年に及ぶ大陸体験をつうじた考察は、朝野の知識人が説く外来古典の硬直さとは趣を異にし、官制学における通常の狭い理解程度を超え、真の活応学として、過去の外交史にあった問題の解決に多くの訓導を遺した。名利に恬淡であるかゆえに、いまどきの有名無力な知識人と比して特筆するものがある。

中国の古典を知るには、そこに棲んで解るものです。たとえ孔孟の説でも字ズラの理解はできても、意味使いや活かし方は日本人の理解とは異なります。まして有用な実利として学びを効とするには四角四面な理解では応用性もなく、まるで逆な理解で民族齟齬が起きかねません。

それは、中国は孔孟の国との理解からはじまる政治応答にも表れますが、渡来した説をなぞる我国の学風とステータス意識は、錯覚学を基とした表層的交誼になりかねません。ただ、知の看板として己を装う具にはなっています。

そのことは、安岡。佐藤両氏の経験の異なるものへの理解もさることながら、永年にわたる学問的厚誼によって利他活用されています。しかも、その実相に顕れる意思は、浮俗のステータスや偶像化された名跡を残さず、また増幅されたエピソードを金看板に借用する師弟にはその学風を戒め、つねに実態の下座観と俯瞰を身をもって具現されていました。

              

 

『安岡さんは古木寒岩(巌)であった』
意味を尋ねてみた
『寒風吹きすさぶ山にポツンと立っている古木のような印象がある。下界の温もりや潤いが必要だが、そうはいかない残影がある』

御長男の正明氏はよく関係者から尋ねられたという。
先生と同居されていると、さぞ多くのことを学ばれたでしょう」と。
正明氏は面と向かって教えられたことがなかったと。こんなエピソードがある。
希望する大学に受からなかったとき正篤氏は
『試験とは落ちるものかね』
いやはや厳しいものだが、父に似た洒脱さは逸話を笑いで覆う。

父は母には頭が上がらなくて、食事中に好きな時代劇を見ていると母が「『食事をしているときぐらいテレビを消しましょう』とプツリとスイッチを消したことがある。私も父も黙々と食事に没頭しました。」と両親を懐かしんだ

『父は普通の人間として好きな学問に没頭し、学んだことを独特の観察眼で時を選び、人を量って応答していました。父は教育者なのです。確かに眉をひそめるような有名人や取り巻きがいますが、父は分かっていましたよ。正念場はこれからですね』

それは、筆者のこんな問いへの応えだつた。

「近頃、安岡を冠した書籍が沢山出てきました。また各地では勉強会やセミナーが開かれています。おおくの人々に知っていただき有意な人材を養成し、また浮俗を覚醒喚起することでも重要なことですが、金屏風に使ったり、挨拶の借用学にしたり、はたまた擬似ステータスや蓄財の用にしている弟子と称する人が多く出ていますが、ご尊父の学風にある無名で貪らずといった学問習得の前提が切り離されているようです」

佐藤慎一郎氏はそんな正明氏の季刊誌巻頭言を毎回楽しみにしていた。
『正明さんの文章は生きている、肩が張らない優しさがある名文だ』と。
そしてこう付け加えた
『詩情がある。これは中国人にも理解できる普遍な心情だ』
教えない学問、とくに背中からの学問の方が浸透性はあるようだ

      「黙して考える」  台北小学校黒板記載

 

父は「学問に一子相伝はない」と、家系を繋ぐものに誘われる似て非なる学徒や、それに昂揚する者が醸し出す雰囲気こそ、まさに堕落だと、つねに語っていた。遺すものはないと墓石は自然石にする気風があった。その意味では五計に説く、厳然とした死への計らいだった。

形に囚われることの愚、足跡を偶像化する愚、まさに残影に存在する「」を探求すらしない、いや、その在り処すら解らないだろう。

名を無くしてこそ到達するものもあり、学びのすべもある。それこそ「無名にして有力」の意味であろう。その意味では名前は人格とは何ら代表しない、単なる附属性価値でしかない。

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「人間考学」知を重ねる前に「毒」を抜く 2012あの頃

2022-02-08 01:36:57 | Weblog

陸上自衛隊広報センター資料



近ごろ官制教育の突きあたりに気がついたのか、教育機関において種々の科目が新設されている。京都大学などでは年間300万も生徒に渡して生徒を囲う全寮制を試みている。理由はそれぞれが身近に学び、随時話し合う環境だという。

まるで自衛隊か警察学校の様なものだが、これで人物が成ると思うのが官制学派の限界なのだろう。

それらは往々にして特殊な切り口をもった有名人や外国の政治家を招聘して講話をおこなっているが、その辺のセミナーと変わりはない。べつに京大がすることだからではない。かれらもそれが妙案と思っているが、本当は半信半疑なのだ。

よく吠える羊飼いの番犬を増やすことにつながらないだろうか
それは飼い主の餌に馴染み羊の群れを追いまわすイヌのことだ

警察学校や自衛隊の本分は「人に役立つ」「国を守る」国民を扶助する」ことにある。なにも違反切符をとったり、戦車や飛行機に乗る為に行くのではないことは彼らは承知している。またそう考えることを自身の誇りとして許されないことも、本当は知っている。これが安定職となり国民の羨望を受け、ついには嫉妬の対象になることはないように精励していることを国民は知っている。

つまり目的の明確さと使命感、それが各々の生き方として学んでいる。また、それが「公」の姿として国民に具現している。ならば官費や補助金で学ぶ学生たちは何を目的として、かつ使命としているのか。

それは各々の心の領分であり、「人間をつくる」あるいは機関が「養成」する部分としての有り様だが、教育機関の、まして大学は率先して己の徳(善なる特徴)を明らかにするところだ。子供を対象にするところではない。世代的には分別有る青年を対象にするところであり、成人(人と成った)が学ぶところである。
それを未熟な子供のように集団化して論議の戯れ場にしている風潮が人物を作れるか疑問である。


学域に戻るが、これでもかと考えられる有りとあらゆる珍奇で流行りに乗じた科目を設け、生徒の関心を引き付け、学内にはコンビニ、ATM、を設置して快適環境やらを作りだしている。まさに、生徒は授業料を払う、゛お客様 ゛そのものである。

多面的考察、世界的視野などを謳い、ゼネラリストと称される人材育成のために総合学習を行おうとしているが、教える方は部分研修に勤しんだ研究家や、部分に一家言をもった言論貴族や売文の輩が任用されている。

手っ取り早い、安全牌(はい)なのだろうが、誰からも非難を受けないと、近頃の教育プロパーや、四角四面の役人然となった学者教育者、かつ経営者の姿である。それが目新しい科目という餌をぶら下げ偏差値、売り上げと、はたまた数値評価に埋没しているのが実態だ。


あの、南方熊楠、秋山真之、陸猲南、安岡正篤ですら数値で人間を量り、選別する官学の姿に失望している。あの後藤新平の娘を母に持つ鶴見俊介は「親父は俳句はできない」と言っている。つまり学業競争に明け暮れた人間は情緒性が乏しくなるということだ。



民族や文化の表現であるの書や絵画に親しみ、古今東西の英知を自己調和させ、胆識ある応答辞令によって国の誇りを守り、以って社会の安寧に尽くす使命感、つい最近の彼らのごく普通の姿だった

彼らがなぜ官制学を避けたのか。その慣性の質に疑問をもったのだ。

それは、立身出世のネタという、彼らの人間としての生き方に、学問の目的を錯誤した卑しい群れと映ったのだろう。

公私の分別を忘れ軍閥、閨閥、学閥に偏向し囲われた彼らの行為は、国家を存亡の淵に追いやった。

結果は明確に実証されているが、いまだに変わらない状態が続いている





自衛隊の災害派遣



教育は「己の特徴をとらえて探究する」ことだ。あくまで「内在する潜在力」や「秘奥の心」を知ることだ。(素行自得)
その後、外部の他に己を明示することだ。それゆえ「善なる習慣」と「自己探求」を行動によって身に修め、その姿によって良き「縁」を招来し、その作用である「運」を活用する。それが学問を修めた人物と評されるものだ 

※大学の道(明徳)・・・ 自分の特徴を発見したら伸ばし、徳(良なる特徴)を明らかにして発揮する

世上ではそこに財や地位がつけば成功者といわれるようだが、「本(もと)」がなく、あるいは利他に貢献する心がなくては「虚」であろう。

なかには愚かな毒まんじゅうを食して、最高学歴において小人を養い、「小人の学、利にすすむ」「利は智を昏からしむ」といった、不埒な人間を作り出してしまう学舎もある。

「小人の学、利にすすむ」・・・小欲に拘る小人の学びの目的は「利」に向かう。大人となれば義にむかう。

「利は智を昏からしむ」・・・ 利ばかりに向かうと真の教養は衰える。 明快に躍動しなくなる。


気がついて種々な教育施策を執ることは是とするが、間違っても学びの前提に「喰い扶持」を計ってはならないだろうか。

それらを案ずると、食住学の接近も一計だが、そこに「勤労」を添えたらどうだろうか。
その勤労の成果を己の学業の糧にできないのだろうか。いま求められるリーダーはみな官制学の一定期間でその資質や技量を高めたわけではない。一位に挙げられる松下幸之助氏は、経験と工夫、そして人との時節の縁で人成りを得た。

どのようなリーダー像を求めているのかわからんが、いまは、土壇場のリ―ダ―を求めている訳でもなさそうだ。

見えるのは、扇動によって自分たちがひっかきまわして、もともと保持していたものを享楽、騒擾のるつぼに落とし、探し出せないからとタダをこねているようにも見える。

苦労して探し出し、これだと明示しても見るだけで満足して、また新しい興味に逃避するような己を含めた我が侭な個という存在に、それぞれが厭になっている状況だ。

かといって集団化、集中化は、自由が無い、人権がと騒ぎ立てる

つまり前に書いた「己が分からなくなっている」のだ。
安易な相談、コンサルタントに占い師、裁判所は大賑わい、弁護士も忙しい。
これこそ、松下幸之助が米国の感想として述べた「弁護士と精神科医か多い国は二流だ」と、人の相互信頼が社会や国の基だという意味だ、その上で必要なものの適切な消費、それが正しい経済の在り方だと説く。

そして安岡正篤氏の邂逅で、人間をもとにした社会、人物を本にしたリーダーの推戴、を描いて塾を創立した。ただ残念なるかな、人物を知ることができても、教養として倣い、行動するという「本」が理解されなかった。教える人間もいなければ、学ぶ素養もなく野心が先行した人間が流入した。ゆえに人を観る、活用する(観人則)の座標さえ定まらず、ただ、マニュアル評価で仲間づくりをするのみになってしまった。

それは現代人の体質に歓迎された「毒」の浸透だった。

つまり気がついて解毒剤を探しても既成の官制学や流行りのネット検索情報にもないものだった。

こうなると投薬も利かない。だからといって京大を始めとして諸学校で行いつつある試行も、単なる「治験」であって、良薬として普遍になるとは限らない。いや既存に対する一過性の積み増しにならないとも限らない。

」については人の成長の順化をもとにすれば分かりやすい。
まず、教育の世界に拘泥してはならない。それは画を描く世界が画壇となり、作文の世界が虚偽であろうが文壇の雄となり、研究者は学界、政治家は政界と、好き勝手に「壇」や「界」を構成しているが、これも社会の付随と考えると、それを以って社会の善性や人間の陶冶といわれる「人格」を何ら代表するものではない事を考えるべきだろう。

時には浮俗の名誉を得たい欲心を誘って「毒まんじゅう」を食わせることがある。この毒は罹ったら一生治らない病だ。財利もそうだろう。閣僚任命を餌に仲間の裏切りをそそのかす、この時も「毒まんじゅうを喰った」と揶揄される。







弘前市のこども議会  葛西憲之市長



逆に「毒を以て毒を制す」とか「殺を以て殺を制す」とはある。
それは無意味にすることである。法でいえば無法であり、国家でいえば革命や維新である。
いや、それくらいしなければ人間は変わらない、それくらいしなければ、この怠惰な慣性は止まらない、と考える真剣さが必要だ。あくまで依頼ではない、自身の改新であり革命だ。

自由な社会を阻害するように既得権に守られて「このままでいい」という部類が増えてきた。

受験とて戦争といわれながら、しかもおかしいと思いながら、無為に随う、まさに毒が浸透している姿だ。

余談だが、週に三回酒を呑むとアルコール中毒の何級かと認定される。もちろん喫煙も中毒だという。毒に中(あたる)という訳だ。これは迷惑というが近ごろは隠れた嗜好の範囲になった。

さて、標題の「知を重ねる前に「毒」を抜く」結論からすれば、他の評価はともかく自身の毒を感知することだ。これは官制の学び舎にはない。ならば毒消しは・・・

どうしても学び舎での学習が望みなら、まずは社会に出て働き、人の縁を体験することだ。

全体のなかでの自分を知り、特徴を自覚したら、それに沿って目標を立て、能力を補うために、人と異なることを恐れず特異な学びをして、その世界では知の習得を愉しむことだ。

学生アルバイトなどは、学んで教える家庭教師で充分と思わなくてはならない。

いわんや女子がキャバクラ、モデル、芸能人、その特技は学校を辞めるべきだ。
教師は、自らのゆとりを意図した週休二日を返上して、真剣に生徒と向き合うことだ。

知で己を飾り、我欲の毒で心身を破壊する、それを官制教育の慣性なら潔く忌避すればいいのだ。

「毒」は問題意識を枯渇させ感性もなくなる。つまり思索もなく観照もなく、真にアタマのよいといわれる直観力さえ衰えさせる。是非、善悪を量る免疫は衰え、浮浪した精神はひ弱な奴隷のようになる恐れさえある。

いまの学校制度なら学校は行かなくても、さして問題はない。人生を落第しない事だ。

「学校歴」などなくても、真の「学歴」があれば充分だ。学校在籍歴はたかだか明治の学校制度の残滓である。

そもそも、教育は国家が行うものなのかの問題意識もない。

まず、汗を流すことだ。身体からの本当の汗だ。
涙の味も色々あることが分かるだろう。

立派な人間とはそのように成った独立した人物をいうのだ。

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