゛近頃の男のヤキモチは女並みになったが、そのぶん女も烈しくなった゛
旦那は古臭いと床の間に上げられ、町衆が明朗会計の割り勘定で行こうとなったが、行き先は今までの馴染みのおでん屋ではなく、カウンターバーのおネエちゃんを話し相手に飲もうということになった。
別ボトルに入れられた色の付いた洋酒とスルメとピーナッツだけで一時間2000円。早めに入ると安いので町の会議と称するものを早々に切り上げてのこと。
旦那はいつもの様にポチ袋に一万円を入れて若者に渡すが、゛チョット用があって゛と、馴染みの居酒屋で独り愉しむ。
若い衆は町の祭りやら長老からの手間銭、そして町の会計予算にある福利厚生費を懐にバーの扉を胸を張って開ける。一応は町会費が振り分けられた福利厚生費だが、近頃の若衆は一泊旅行は気が向かないようで、研修と称して他の町の視察と日帰り温泉やイベント参加が多いようだ。
研修費や厚生費でも自分達で会議と称するものを開いて決めるのだから、一種のお手盛りのようなものだ。さりとて女房がうるさいので一泊までは出来ない。
そうして女房のPTAと夫の町内会は程よく成り立っている。
゛近頃の野郎どもはホドを知らない゛ 竹本談
ともあれ、他人の金には無駄が多い。
接待の相伴、割り勘の居酒屋、大勢で繰り出すキャバクラ。帰った後のテーブルは散乱し、グラスには半分ほどの酒が余されている。公務員でも警察官と教員の宴会は、署長や校長が逃げ出すくらい行儀が悪く騒然となるらしい。なかでも看護婦といわれていた頃の飲み放題宴会はすざましかった。
そのくせ居心地が悪いとパワハラやセクハラを理由にして、宴会さえも無くなりつつあるようだ。
近頃は議員の後援者も其の類だという。その金の種類は政党交付金の会議費に振り分けられているものもあるようだか、ついぞ手持ち金でオゴルことも知らない議員は旦那にはなれない。
それにしても野暮でホドのない連中が多くなった。
麻生総理が「さもしい」と呟いたが、寄生虫のような特別職と後援者は、与野党の別はないようだ。よく市民運動家や庶民の味方と大声で唱えるものは「我々の会議はお茶とアンパン」を売り物にしていた。しかし訴えるものは「分けろ」「平等に」が多いようだが、面白いことに追求は「費用対効果」である。
旦那もボヤボヤして世のスピードに追いつけなかったが、行き着くところは幾らか先見がある。同じことをしても言葉を増やし、ものめずらしい横文字の仕組みを発するが、人間の変化はない。
まして、貰い慣れることと、たまには不特定の若衆に喜捨をすることでは、他人を思い量ることについて天地の開きがある。
゛形ばっかりつけても、実がなければ・・・゛
銀座金春湯 竹本恵贈
近頃では、゛有難うございます、お気持ちだけで充分です゛は、ついぞ聞かなくなった。
税金の色を変えて貰った銭はキャバクらのオネエチャンと胃の中に入るが、これを、゛さもしい゛というのである。
それは一層、激しくなることは間違いない。
しかも、隠れたり言い訳を付ける野暮、まさにバチルス種である。
こう呼ばれる様になって、初めて一人前の男として認められるのでしょうね。いつもながら勉強になります。
「粋」と「節」が大切なのではないかと思いました。
こういう人情を忘れたくありませんし、私のブログの読者の方にも知って頂きたかったので、引用とリンクを張らせて貰いました。ご勘弁下さい。
「酒の飲み方」で「人間の格」は量られて来ましたけど、今の人々の飲み方はどうなんでしょうかねぇ。
゛人は人゛ということでは無理なことです。
飲みかたも含めて、色事や財の使い方も当てはまります。よく、飲むと本音が出るといいますが、相手の観点は類似と異なりを見極めたいとすることですが、酒は本性ですね。
飲んでも飲まなくても真意は語れますが、そうでないのは、つねに比較対象が無いと不安な世情だからでしょう。
先ずは自前、面前は整える、腰(時間)はホド、また金の話と武勇伝は嫉妬と悪口を生みます.
こんなことでは旨くないと云われそうですが、語(己)ることなく,話(他事)の多くなった酒席が多いからでしょう。語れるようになって、語れる相手と酒を用として呑むことが独悦にもつながります。
その点、熱燗は語り合い、ビールは交歓、ウイスキーは独悦、焼酎は話悦が似合いますね。
少々、独善ですが・・・・