「遠野」なんだり・かんだり

遠野の歴史・民俗を中心に「書きたい時に書きたいままを気ままに」のはずが、「あればり・こればり」

中下熊野神社

2007-01-27 00:12:41 | 熊野
  玉千代さんに教えて頂いた遠野物語119の「けんだん」について

 獅子踊り(遠野物語ではこの字を使用)の歌詞の中に次のように載せてある。
   
             ●けんだんほめ●
 一 まゐり来てこのけんだん様を見申せや、御町間中にはたを立前
 一 まいは立前油町
 一 けんだん殿は二かい座敷に昼寝すて、銭を枕に金の手遊
 一 参り来てこの御札を見申せば、おすがいろぢきあるまじき札
 一 高き処は城と申し、ひくき処は城下と申す也
              
                 (地元の私にも理解できない言葉がある。)
 
 まずは、「検断」であるが、藩政時代の遠野六町(六日町、新町、一日市町、穀町、裏町、小友町)には、その自治、収税、検察の権限を持った役職があり、それを検断役所といった。(注釈遠野物語より)

 この歌詞はどこのしし踊りのものなのだろう。佐々木喜善との関係から土淵関係のしし踊りのものなのであろうか?それとも早池峰系のものか?少なくとも柳田が筆写した明治40年頃には、既に100年あまり以前のものだと記述している。(地元遠野では、この歌詞について、どこのものだという話を聞いたことが無い)

 駒木鹿子踊り保存会に伝承されている「鹿踊濫觴巻」には

           ●検断へ歌●
  参り来而是レノ御役所見申セ哉 國ヲ治メル掟御札
  我々ハ今日古里ヲ立チ出テデ 今来而御禮申ス那リ 続く
 
 以上のように歌詞は違うが検断を対象にしたものがある。しかし、「青笹しし踊り」をまとめた本には検断についての歌詞はない。また、綾織や小友系のものも同様。残りの上郷・土淵・早池峰系については活字として世に出ていないので不明である。
 郷土芸能の伝承は口伝えによることが多く、本来の言葉の意味に関わりなく、「訛り」もそのまま伝承される。今回の検断についても、明治後期においては、江戸時代の歌詞が口伝えによって、まだ、伝承されていたであろうことから、地域に関わり無く、広く、検断をモチーフにしたものがあったのかもしれない。

 本日の画像は、そんな「しし踊り」の中でも、現在、わりと勢力的に伝承活動をしている青笹町中下の熊野神社である。
 青笹しし踊り保存会は昭和39年に糠前しし踊り、中下しし踊り、中沢しし踊りが統合してできたもので、(青笹町に、しし踊りが一団体しかないのは、このためである)当時の中下しし踊りの幕には、熊野山という文字が入っており、この神社に由来するしし踊りであることがわかる。


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4 コメント

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ほほう~ (romi)
2007-01-27 00:35:11
う~~~為になるなぁ~
何時もながらにいいエントリーです。
いずれは虎猫ドンや笛吹ドンの本が出る日も来ますな!
愉しみ愉しみ、健康で長生きしなくっちゃ!(^^v
健康 (笛吹童子)
2007-01-27 09:34:43
 romiさん、おはようございます。
何は無くとも、健康第一ですよね。健康でさえあれば、活路は開ける。そんな微かな希望をもって、ブログ更新をし続ける所存でございます。なんて・・・
無知がばれました(笑)。 (タマ千代)
2007-01-27 20:57:48
記憶の片隅にあった「けんだん」へのお答え、有難う御座います。
やはり、同一語だったんですね(ホッ)。

でも、「○○ほめ」
って、なんかいいと思います。
疑問の社は、近々オラホに載せてみます。

オラァ、ほでなすだから度々「・・・・は、なんだろう」を連発して周りの人を困らせてしまいます。
また懲りずに疑問を表すかも知れません・・・・
そうやって、更に無知の上塗りをするのであった。
どんどはれ。
姫御前 (笛吹童子)
2007-01-28 20:24:26
  玉千代御前殿:
 姫が市中の事にあまり詳しくなると、下働きの者共の仕事がしづらくなります。「あれは何じゃ。」と言って頂いた方が、都合がよろしかろうと・・・。
 

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