飛鳥時代の寺院跡です 撮影日;2010.4.18
現在は埋め戻され、のどかな畑地です
直径1m程の礎石が15個発掘され、南北約17m・東西約12mの金堂基壇の遺構と見られています
二光寺廃寺の存在は古書には一切触れられておらず
地下に埋もれた未知の寺院です
近くに北窪古墳群があり、これらの被葬者の建立した寺とも推測されています
創建時の瓦と見なされるものは、高宮廃寺や朝妻廃寺で出土した瓦と同笵で、複弁蓮華紋軒丸瓦と偏向唐草紋瓦でした
他に重弧紋軒平瓦や、檜隈寺と同笵の複弁蓮華紋丸瓦も有りました
屋根瓦の間に、多数の塼仏がはさまれて出土したそうです
また、高さ3.3cm・直径3.2cmの土製の螺髪も出土しています
その大きさから、金堂には高さ2mを越える塑像の丈六仏が安置されていたと考えられています
この寺は、出土遺物から飛鳥時代の7世紀後半に創建されたようです
自然災害によって平安時代に倒壊し、鎌倉時代には耕作地となったと推定されています
★所在地;御所市極楽寺・西北窪
★交通;近鉄御所駅より バスで鳥井戸下車 徒歩12分
★駐車場;有りません
★問合せ;0744-24-1101(橿原考古学研究所)
200mほど北東に極楽寺ヒビキ遺跡が有ります
参考;邪馬台国大研究のページ
現在は埋め戻され、のどかな畑地です
直径1m程の礎石が15個発掘され、南北約17m・東西約12mの金堂基壇の遺構と見られています
二光寺廃寺の存在は古書には一切触れられておらず
地下に埋もれた未知の寺院です
近くに北窪古墳群があり、これらの被葬者の建立した寺とも推測されています
創建時の瓦と見なされるものは、高宮廃寺や朝妻廃寺で出土した瓦と同笵で、複弁蓮華紋軒丸瓦と偏向唐草紋瓦でした
他に重弧紋軒平瓦や、檜隈寺と同笵の複弁蓮華紋丸瓦も有りました
屋根瓦の間に、多数の塼仏がはさまれて出土したそうです
また、高さ3.3cm・直径3.2cmの土製の螺髪も出土しています
その大きさから、金堂には高さ2mを越える塑像の丈六仏が安置されていたと考えられています
この寺は、出土遺物から飛鳥時代の7世紀後半に創建されたようです
自然災害によって平安時代に倒壊し、鎌倉時代には耕作地となったと推定されています
★所在地;御所市極楽寺・西北窪
★交通;近鉄御所駅より バスで鳥井戸下車 徒歩12分
★駐車場;有りません
★問合せ;0744-24-1101(橿原考古学研究所)
200mほど北東に極楽寺ヒビキ遺跡が有ります
参考;邪馬台国大研究のページ