たびにでるたび

***旅に出るたび **胸につもる何かを *ほんの少し、眠る前に

言葉の自由

2021-10-30 18:05:00 | Weblog

「火が燃える」という文章は

いかようにも言い換えることができて

たとえば

「火が山肌を舐めるように広がる」

「火が渦巻きながら列車ように進む」

とか、状態によって

「燃える」という動詞の部分は

どうにでも表現できる

それは、多くの場合は比喩であって

ただの「燃える」よりも

感覚に訴えかける力があると思う

形容詞もそうだ

「熱い火」だったら

「肌をジリジリと焦がす火」

「獣のように襲いかかる火」

のように表現が広がる

問題は、名詞だ

「火」は表現の幅が少ない

視覚的に「赤い花」に例えたり

「オレンジ色に広がるカーペット」など

状態を比喩的に表現できても

結局は形容詞のお世話になりがちだ

そこをもっと自由にできたら

言葉で空だって食べそうな気がする




3年と数日後

2021-10-28 12:19:00 | Weblog

こんなことってよくある話なんだろうか

メールの受信トレイを開いたら

久しぶりの友人からメールが来ていた

よく見れば、数年前に送ったメールの返事

3年と数日前

返事がないのは忙しいからだろうと

こちらもすっかり忘れていた

今になって返事が来るなんて

何か良いことか悪いことがあったのか

と小さな興奮と心配を抱きつつ

メールにざっと目を通す

しかしそれはただの返信で

3年と数日の月日には

一言たりとも触れられていない

なぜだろうとメールの冒頭に戻ると

送信日は3年と数日前になっている

友人が3年と数日前に送ったメールが

今になって届いたということか

こんなことってよくある話なんだろうか

何度もメールを読み返し

自分の目が間違っていないことを

何度も何度も確認した

3年と数日前の友人は

無邪気に何かを説明していて

どうか今も

3年と数日後の今も

友人が同じく幸せであるようにと願う