***旅に出るたび
**胸につもる何かを
*ほんの少し、眠る前に
「火が燃える」という文章は
いかようにも言い換えることができて
たとえば
「火が山肌を舐めるように広がる」
「火が渦巻きながら列車ように進む」
とか、状態によって
「燃える」という動詞の部分は
どうにでも表現できる
それは、多くの場合は比喩であって
ただの「燃える」よりも
感覚に訴えかける力があると思う
形容詞もそうだ
「熱い火」だったら
「肌をジリジリと焦がす火」
「獣のように襲いかかる火」
のように表現が広がる
問題は、名詞だ
「火」は表現の幅が少ない
視覚的に「赤い花」に例えたり
「オレンジ色に広がるカーペット」など
状態を比喩的に表現できても
結局は形容詞のお世話になりがちだ
そこをもっと自由にできたら
言葉で空だって食べそうな気がする
こんなことってよくある話なんだろうか
メールの受信トレイを開いたら
久しぶりの友人からメールが来ていた
よく見れば、数年前に送ったメールの返事
3年と数日前
返事がないのは忙しいからだろうと
こちらもすっかり忘れていた
今になって返事が来るなんて
何か良いことか悪いことがあったのか
と小さな興奮と心配を抱きつつ
メールにざっと目を通す
しかしそれはただの返信で
3年と数日の月日には
一言たりとも触れられていない
なぜだろうとメールの冒頭に戻ると
送信日は3年と数日前になっている
友人が3年と数日前に送ったメールが
今になって届いたということか
こんなことってよくある話なんだろうか
何度もメールを読み返し
自分の目が間違っていないことを
何度も何度も確認した
3年と数日前の友人は
無邪気に何かを説明していて
どうか今も
3年と数日後の今も
友人が同じく幸せであるようにと願う