推理と言うより右京の想像により、少しずつ明らかになっていくストーリー。それを受動的にダラダラと見せられただけで、退屈で苦痛さえ感じる2時間30分だった。
あなたがたはどう思うか
ある人に百匹の羊があり
そのうちの一匹が迷い出たとするならば、
九十九匹を山に残して
その迷い出た一匹の羊を捜しにでないであろうか
マタイによる福音書
「“特命係”って、どんな部署なんですか?」
「言うなれば、他の部署の手から零れ落ちた何かを、拾い集めていくような、そんな部署です」
「“零れ落ちた何かを、拾い集める”……面白いですね」
「訊いてもいいですか?……“彼女に最後に遭った時、どんな様子だったか?”」
「“私の家は、お金に困っていたので、滅多に家族旅行なんてしなかったんですが、珍しく家族旅行に行ったんですね。小田原に山荘に、数十年に一度しか咲かないという綺麗な花が咲いていて…”……そんな話をしただけです」
ドラマ冒頭に朗読された『マタイによる福音書』の一節、それに続く西田悟巳の葬儀の際の、右京と犯人との会話がストーリーの核心に触れていた。
富士の樹海で集団自殺した者たちに代わっての復讐劇であったわけだが、自 殺した者たち=「ストレイシープ(迷える子羊)」であり、その羊を探し手を差し伸べたのが、真犯人だった。あるいは、真犯人と西田悟巳もある意味では迷える羊で、探し出し手を差し伸べたのが特命係(右京)だったとも見ることができる。
序盤のスリリングな誘拐劇、右京と悟巳と犯人・新井(飛城)の心の動き、右京のために父・峯秋に頭を下げ、息子を信じ自分の首を懸ける峯秋という見所はあったものの、記事冒頭に述べたように、ほとんど“想像”に近い右京の推理で真相が明らかになっていくうえ、それが“後出しジャンケン”で、やたらもったいぶった展開の脚本で、苦痛に近い退屈感を味わわされてしまった。それにしても、山荘と取調室での右京と新井のやり取りは長かった。
そのうえ、犯罪組織のトップの死にたまたま居合わせただけの男に、遺言があるのならともかく、ナンバー2以下の主要幹部が素直に従うものだろうか?(何をしているのか全貌がつかめていない下っ端はともかく)
また、犯罪のノウハウ書があったとしても、それを使いこなす技量があったのだろうか?という疑問が視聴中ずっと頭について回り、楽しめなかった。
その他にも、疑問に感じることが多かった。
万引き少女を補導した右京を恨むなんて、逆恨みも甚だしいし…。
右京は悟巳に対してどういう感情を持っていたのだろうか?まったくの初出の女性に対して、長期シリーズドラマ、さらに、あの右京が恋愛感情を抱いていたとするのは、あまりにもご都合主義であろう。ぼやかして、“どっちもあり”の演出は卑怯である。
仲間由紀恵は、ほぼ“通行人”だった……
今回、一番感心したことは、携帯電話(スマートフォン)を手に入れるだけで、「誘拐した」という結論に至ってしまったこと。携帯電話を失くしても、まったく動じない悦子さんもすごい。
【ストーリー】番組サイトより
年の瀬の夕方、6歳の少年が何者かに公園で誘拐される。
その頃、杉下右京(水谷豊)は、西田悟巳(石田ひかり)という女性の葬儀に参列していた。彼女の遺品に右京宛ての手紙があったため、呼ばれたという。そこには右京への思いが綴られていた。
一方、警視庁では、元東京地検特捜部のエースで、現在は衆議院議員の橘高誠一郎(三浦浩一)の要請で、飛城雄一(平岳大)という男について報告が行われていた。飛城は新タイプの犯罪を次々と考案し、「犯罪の神様」とまで言われている男だというが、正体は警察でも掴めていなかった。
同じ夜、誘拐犯から「子供を返してほしければ、生みの親である梶井素子(川上麻衣子)に1億2千万円を用意させろ」という電話が掛かってくる。指示された身代金の受け渡し方法は、素子が現金を背負って指定場所まで走って来いという奇妙なものだった。警察は万全の警備態勢で臨むが、そこで予想だにしない事態が! 右京と享(成宮寛貴)だけは即座に状況を察し、単独で犯人を追跡するが…!?
同じころ動画サイトに「12月25日、衆議院議員の橘高は必ず罪を犯す」という映像が投稿される。警察庁次長の甲斐峯秋(石坂浩二)は念のため警視庁広報課長の社美彌子(仲間由紀恵)に橘高について調べるよう指示する。
さらに、ある料理屋の女将(大家由祐子)が拉致されてしまう。警察は飛城の尻尾を掴むことはおろか、その目的すら分からないでいた。そんな中、右京と享は、すべての事件にある共通点があることを掴む。それは、右京にも繋がりがあるものだった。
右京に恋した女性の謎の自殺。
犯罪の神様とまで呼ばれる飛城の正体とは?
相次ぐ誘拐と謎めいた予言。その驚愕の目的とは…!?
ゲスト:平岳大 石田ひかり 川上麻衣子 三浦浩一 寺島進
脚本:真野勝成
監督:和泉聖治
あなたがたはどう思うか
ある人に百匹の羊があり
そのうちの一匹が迷い出たとするならば、
九十九匹を山に残して
その迷い出た一匹の羊を捜しにでないであろうか
マタイによる福音書
「“特命係”って、どんな部署なんですか?」
「言うなれば、他の部署の手から零れ落ちた何かを、拾い集めていくような、そんな部署です」
「“零れ落ちた何かを、拾い集める”……面白いですね」
「訊いてもいいですか?……“彼女に最後に遭った時、どんな様子だったか?”」
「“私の家は、お金に困っていたので、滅多に家族旅行なんてしなかったんですが、珍しく家族旅行に行ったんですね。小田原に山荘に、数十年に一度しか咲かないという綺麗な花が咲いていて…”……そんな話をしただけです」
ドラマ冒頭に朗読された『マタイによる福音書』の一節、それに続く西田悟巳の葬儀の際の、右京と犯人との会話がストーリーの核心に触れていた。
富士の樹海で集団自殺した者たちに代わっての復讐劇であったわけだが、自 殺した者たち=「ストレイシープ(迷える子羊)」であり、その羊を探し手を差し伸べたのが、真犯人だった。あるいは、真犯人と西田悟巳もある意味では迷える羊で、探し出し手を差し伸べたのが特命係(右京)だったとも見ることができる。
序盤のスリリングな誘拐劇、右京と悟巳と犯人・新井(飛城)の心の動き、右京のために父・峯秋に頭を下げ、息子を信じ自分の首を懸ける峯秋という見所はあったものの、記事冒頭に述べたように、ほとんど“想像”に近い右京の推理で真相が明らかになっていくうえ、それが“後出しジャンケン”で、やたらもったいぶった展開の脚本で、苦痛に近い退屈感を味わわされてしまった。それにしても、山荘と取調室での右京と新井のやり取りは長かった。
そのうえ、犯罪組織のトップの死にたまたま居合わせただけの男に、遺言があるのならともかく、ナンバー2以下の主要幹部が素直に従うものだろうか?(何をしているのか全貌がつかめていない下っ端はともかく)
また、犯罪のノウハウ書があったとしても、それを使いこなす技量があったのだろうか?という疑問が視聴中ずっと頭について回り、楽しめなかった。
その他にも、疑問に感じることが多かった。
万引き少女を補導した右京を恨むなんて、逆恨みも甚だしいし…。
右京は悟巳に対してどういう感情を持っていたのだろうか?まったくの初出の女性に対して、長期シリーズドラマ、さらに、あの右京が恋愛感情を抱いていたとするのは、あまりにもご都合主義であろう。ぼやかして、“どっちもあり”の演出は卑怯である。
仲間由紀恵は、ほぼ“通行人”だった……
今回、一番感心したことは、携帯電話(スマートフォン)を手に入れるだけで、「誘拐した」という結論に至ってしまったこと。携帯電話を失くしても、まったく動じない悦子さんもすごい。
【ストーリー】番組サイトより
年の瀬の夕方、6歳の少年が何者かに公園で誘拐される。
その頃、杉下右京(水谷豊)は、西田悟巳(石田ひかり)という女性の葬儀に参列していた。彼女の遺品に右京宛ての手紙があったため、呼ばれたという。そこには右京への思いが綴られていた。
一方、警視庁では、元東京地検特捜部のエースで、現在は衆議院議員の橘高誠一郎(三浦浩一)の要請で、飛城雄一(平岳大)という男について報告が行われていた。飛城は新タイプの犯罪を次々と考案し、「犯罪の神様」とまで言われている男だというが、正体は警察でも掴めていなかった。
同じ夜、誘拐犯から「子供を返してほしければ、生みの親である梶井素子(川上麻衣子)に1億2千万円を用意させろ」という電話が掛かってくる。指示された身代金の受け渡し方法は、素子が現金を背負って指定場所まで走って来いという奇妙なものだった。警察は万全の警備態勢で臨むが、そこで予想だにしない事態が! 右京と享(成宮寛貴)だけは即座に状況を察し、単独で犯人を追跡するが…!?
同じころ動画サイトに「12月25日、衆議院議員の橘高は必ず罪を犯す」という映像が投稿される。警察庁次長の甲斐峯秋(石坂浩二)は念のため警視庁広報課長の社美彌子(仲間由紀恵)に橘高について調べるよう指示する。
さらに、ある料理屋の女将(大家由祐子)が拉致されてしまう。警察は飛城の尻尾を掴むことはおろか、その目的すら分からないでいた。そんな中、右京と享は、すべての事件にある共通点があることを掴む。それは、右京にも繋がりがあるものだった。
右京に恋した女性の謎の自殺。
犯罪の神様とまで呼ばれる飛城の正体とは?
相次ぐ誘拐と謎めいた予言。その驚愕の目的とは…!?
ゲスト:平岳大 石田ひかり 川上麻衣子 三浦浩一 寺島進
脚本:真野勝成
監督:和泉聖治
私も「相棒 元日SP」見ました。
そこそこ楽しみました。
色々なことはさておき,1つ気になったことがあるので
教えてください。
最後のところで,右京が甲斐の彼女の携帯について
「すぐに見つかるでしょう」とか言っていたと思います。
だからエンディングで携帯が見つかる場面があるかと
期待したのですが,なかったように思います。
この右京の言葉にはどんな意味があったのでしょう?
それとも,たいした意味はなかったのでしょうか?
もしお分かりなら教えてください。
ちょっと,ながら見だったので,細かいところがよく分かりませんでした。
どうでもよいこととお考えなら,
黙殺していただいて構いません。
今年も英さんのブログを楽しませていただきます。
ときどきコメントします。よろしくお願いします。
>最後のところで,右京が甲斐の彼女の携帯について
「すぐに見つかるでしょう」とか言っていたと思います。
>だからエンディングで携帯が見つかる場面があるかと
期待したのですが,なかったように思います。
>この右京の言葉にはどんな意味があったのでしょう?
携帯電話を失くすとしたら、①家の中の思わぬところへの置き忘れ、②会社、友人の家、行きつけの店などでの置き忘れ、③道端など不特定な場所、④盗難が考えられますが、①~③の場合、携帯を鳴らしたり、GPS機能などで、見つけることは割と容易です(携帯の一番近くにいる人が前任の場合に限りますが)。それでも、悪意の存在や、故障(水の中に落ちるなど)、電源オフ、などの理由で困難な場合もあります。
今回の悦子の場合、犯人が所持しているので、携帯の所在はほぼ特定できていると考えられます。なので、右京の言葉は、一般的な紛失の場合と比べて、「すぐに見つかる」と言ったのだと思います。
>今年も英さんのブログを楽しませていただきます。
ときどきコメントします。よろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします
犯人が持っていたのですか…。
その辺りを見逃していたようです。
右京が犯人から悦子を拉致したと脅迫を受けた際、携帯のディスプレイに「悦子」と表示されていました。
先のコメントで、説明を抜かしてしまいました。